『眉かくしの霊』- 分身と「二つ巴」
( 旧稿名:『眉かくしの霊』について)

眉かくしの霊 あらすじ

 霜月半ば、「筆者」の友人の画師(えかき)境賛吉は木曽の奈良井に宿を取った。出された鶫料理を堪能しつつ、鶫(つぐみ)を食べて口を血だらけにした芸者のことから山中の怪へと談話が及ぶ。これは魔がさした猟師による誤射というこの小説の後段への暗示となる。
 翌晩、境が庭にいる料理番の伊作に怪訝な提灯がついて行くのを窓から目で追うと、それが宿の中へ、湯殿の橋を通って、境の部屋へとやって来る。この背後の出来事を、うしろを振り返ることなく見てしまうという怪事。続いて鏡の前に女が現れ、「似合いますか」といって懐紙で眉の剃り跡を隠して、見せる。夢かうつつか境はこの女によって姿を魚に変えられる。
 伊作は前の年に柳橋のお艶という芸者が同じ部屋に逗留したことを境に明かす。お艶は大蒜屋敷で姦通騒動に巻き込まれた旦那(愛人)を自身の美貌にかけて救いに来たのだが、「桔梗ヶ池」の奥様なる魔の者の凄いような美しさを知り、負けじと妾(めかけ)の身ながら歯を染め眉を剃って正妻の顔に化粧する。その顔は池の奥様の姉妹のように瓜二つであった。ために、大蒜屋敷への途次、魔がさした猟師に射殺される。
 伊作が仔細を語り終えた時、湯殿の橋の方から、伊作の分身と提灯とお艶が、射殺直前の道行きの姿をそのままに出現する。座敷はさながら桔梗ヶ池と化して、汀に白い桔梗が咲くように雪の気配が畳に乱れ敷くのであった。
 桔梗ヶ池の物語に取り込まれた美女が、それとは対照的な大蒜屋敷の物語に登場=侵入することは、不意の射殺によって結果的に阻止された。阻止された道行きは鏡の幻想によって向きを変え、境と伊作のいる宿の座敷へと反転する。幻想文学ならではの豊饒なイメージの奇蹟が、自然主義めいた香りの大蒜屋敷の物語を美しく凌駕するのである。
 泉鏡花の最高傑作[1924年05月「苦楽」初出 1924年12月『番町夜講』改造社 所収]

五行要約
・『眉かくしの霊』は鏡の小説です
・宿の座敷は鏡の幻想が立ち現れる場
・二つ巴の提灯は物語を縮約する中心紋
・お艶と池の奥様は二つ巴のような分身関係
・似合いますかとは私は誰ですかという意味です


 さて、小説『眉かくしの霊』についていくつか考えたことを、少しだけ書いていこうと思います。論文ではありません。解説になってくれればよいのですが、ただの感想文です。それにしても、はたしてこの小説を怪談として読むべきなのでしょうか。恐いとか恐くないとか、怨まれるわけがあるとかないとか、の他にも、読み方感じ方は色々あるでしょう。怪談や因縁噺という枠組みはあっても、それに縛られることはないし、豊饒なイメージの世界をただ興味の赴くまま、手さぐりで巡り歩いてもよいのです。

 たとえば妾と本妻が協力して旦那の姦通疑惑に対処する場面。「お妾でさえこのくらいだ。と言って私を見せてやります方が、上になお奥さんという、奥行があってようございます。奥さんのほかに、私ほどのいろがついています。田舎で意地ぎたなをするもんですか。」と言い切る妾(お艶)が結ぶ本妻との関係性に、時代や社会を見る読み方もあるでしょう。そのいっぽうで、そんなリアリズムの読者がもしかして読み飛ばしてしまうかもしれない「奥行」という言葉をきっかけとして、女と女の入れ子状の関係性に注目していく読み方もあるように思います。

 鏡花的な曖昧さもあって、どこか曰く言い難いものがあるこの作品を、試みに分身入れ子という主題(テーマ批評のテーマ)に注目して読んでみると、ふたつに共通するアイテムとして<合わせ鏡>という装置が浮かび上がってきます。誰しも二枚の鏡で遊んだ覚えがあるはずだから入れ子は分かるとして、合わせ鏡に分身の意味を見いだすのは珍しいかもしれません。ただ手元の『日本国語大辞典(精選版)』には「二枚の鏡に同じ物を映したように、きわめて似ていること。瓜二つ。」とあります。同じ合わせ鏡も縦方向からは奥行型の入れ子に、横方向からは並列型の分身に見える、という雑な図式化はひとまず脇において、そんな分身と入れ子の主題を化粧道具の「鏡」と、それに加えて照明道具の「提灯」でイメージさせているかに見える『眉かくしの霊』から、ひとつ気になるテクストを引用したいと思います。こんな奇異な箇所があるのです。

そのまま熟(じっ)と覗いていると、薄黒く、ごそごそと雪を踏んで行く、伊作の袖の傍を、ふわりと巴の提灯が点いて行く。おお今、窓下では提灯を持ってはいなかったようだ。――それに、もうやがて、庭を横ぎって、濡縁か、戸口に入りそうだ、と思うまで距った。遠いまで小さく見える、としばらくして、ふとあとへ戻るような、やや大きくなって、あの土間廊下の外の、萱屋根のつま下をすれずれに、段々此方へ引返す、引返すのが、気のせいだか、いつの間にか、中へ入って、土間の暗がりを点れて来る。……橋がかり、一方が洗面所、突当たりが湯殿……ハテナとぎょっとするまで気がついたのは、その点れて来る提灯を、座敷へ振り返らずに、逆に窓から庭の方に乗り出しつつ見ている事であった。

 「巴の提灯」は、正確には「二つ巴」の紋が描かれた提灯のことです。怪訝な提灯です。境賛吉という人物が窓から庭の方を見ていて、提灯の行方を眼で追っていたら、いつのまにかそれが宿の内部へ、湯殿の橋を越えて自分の背後へと近づきつつあるのを見てしまったというのです。しかも「座敷へ振り返らずに」それが見えたという……。SFではないので時空が捻じ曲がったわけではありません。なんだかわけが分からないけれど不気味です。ここは深く追究することなく、ただその不気味さを素直に味わっておくのが聡明な読み方なのでしょう。

 ですが、それはそれとして、主人公の「境」という男がロクロ首になったか、幽体離脱をしたか、まあ、あれこれ思いを巡らしたくなるのも事実です。とにかくそんなふうに「境」という存在が延び広がって、その輪郭が曖昧になるというようなイメージが思い浮かんできます。そうすると小説の中のものごとの境界もまた曖昧になって、伊作の傍を行く二つ巴の提灯がなにやら浮遊する死霊の魂のように見えてきたりもします。ここで注意すべきは、魂のように見える提灯に、さらにふたつの魂の形の巴紋が描かれている、ということ。覚えておきたいです。

補足:二つ巴の紋のかたちには、この「分身小説」自身を縮約し象徴する中心紋 (Mise en abyme)を思わせるものがあります。二つ巴の中に同じ『眉かくしの霊』の物語世界がそのまま嵌め込まれているかのようなのです。たぶん、その物語の中でもまた怪訝な提灯が浮遊しているのでしょう。鏡花の「絵本の春」「女仙前記」などにもそんな中心紋が潜んでいます。Wikiの「紋中紋」を補足しておきますと、たとえば夢野久作の小説『ドグラマグラ』に、ある不思議なノート(原稿)がポツンと置かれている場面があるのです。ノートには小説『ドグラマグラ』と同じ内容が書かれている、という設定になっています。だからそのノートの中にもまた同様のノートが存在するし、以下そのことがどこまでも繰り返される、ということになります。思わず眩暈(めまい)がしそうな再帰構造になっているわけで、このノートのようなものを中心紋といいます。Wikiはデーレンバック『鏡の物語』(ありな書房)の訳語から「紋中紋」を採用していますが、ヌーヴォーロマン界隈の伝統的表記(笑)は「中心紋」です。リカルドゥーの訳書から「象嵌法」ともいいます(『小説のテクスト』 紀伊國屋書店)。

 さておき、引用した部分のすぐ後で「境」は「鏡」の前に女の霊を見ることになります。そして女の口にひきくわえられ、窓を越えて空高く跳ね上げられ、水に落ちて「魚」に変じてしまいます。結局これは夢か幻のようです。しかし「さかい」から「さかな」へのテクスト的な変容に較べれば、さして重要なことではありません。魚への変身が意味する、境への「水」の属性付与の暗示に較べれば、さらには女の霊自身が「水」属性であることの暗示に較べれば、そんなことはどうでもよいのです。女の霊が水属性であるのは、境に対して水妖のようなふるまいをするからですが、これは霊の正体がお艶なのか桔梗ヶ池の奥様なのかを曖昧にしています。この曖昧さはある仕草にも既に表れていて、かつてお艶が伊作にしてみせた懐紙で眉を隠す仕草を、この場面では奥様の霊がしているのかもしれないのです。眉そのものを隠すのではなく、眉の剃り跡を隠すという「眉かくし」の複雑さは、ふたりの差異を消して霊の正体を曖昧なものにします。そのため、分身のテーマと絡んでお艶と奥様の姿が二重写しに見えてきます。「(私に眉剃りは)似合いますか」が「誰に見えますか」に、さらには「私は誰ですか」に聞こえます。

 そして、同じように重要なのが先の引用箇所です。窓から自分の背後の出来事を見るという境の体験はいかにも異様です。とはいえ、「鏡」の中を覗き込むごく日常的な経験としてこれを見ることもできます。異化された日常というべきものではありますが。窓の外側の世界が、鏡という厚みを欠いた境(境界)によって区切られているのであれば、窓の内と外との境界線上で「境」という登場人物が幻の「鏡」にいくぶんか似てしまい、(鏡を)見ること、(鏡に)映ること、(鏡に)映すことなど、「鏡」の属性をその身に帯びるということも、<小説のテクスト>的にはありうるのです。前が後ろであるような矛盾も、だからここではいともたやすく成立してしまいます。

 境がこの場で遭遇したことは、結局は夢か幻のようです。しかし「境」から「鏡」へのテクスト的な変容に較べたら、さして重要なことではありません。既に暗示された境賛吉の「水」属性と、映し映される「鏡」のイメージとの親和性にくらべたら、夢まぼろしであってもなくてもどうでもよいのです。この作品におけるこれらの親和性を(珍しくもなく)指摘すること。そして「水」と「鏡」の属性を、濃淡に違いはあれ、特権的に身に帯びた者たち(境、伊作、お艶、桔梗ヶ池の奥様)が互いに結ばれ合っていること。先回りしていえば、拙文がいわんとしているのはそういうことです。

 鏡とは、ときに神秘的であったり不気味であったりするものです。『眉かくしの霊』は、ある意味で(リアリズムを遠く離れて、という意味で)「鏡」をキーワードとする小説であるといえるでしょう。桔梗ヶ池の奥様と呼ばれる魔の者は真っ青な池の汀(みぎわ)で鏡に向って化粧をします。いっぽう、この小説のヒロインともいえるお艶は、桔梗ヶ池の奥様を模倣して眉を剃り落とします。もちろん鏡に向って、です。眉を剃るのは既婚女性であることを示すしるしです。妾であるお艶が正妻の顔をみずから獲得しようというのです。彼女が鏡の中に覗き見るのは自分の顔ですが、同時に桔梗ヶ池の奥様の美しい顔でもあるでしょう。鏡という厚みを欠いた<境>を間に挟んで、ふたりの女が向かい合っているのです。まるで合わせ鏡ならぬ<逆合わせ鏡>のように、奥様の鏡像を我が身に貼りつかせながら鏡に向かっているこの時、お艶は桔梗ヶ池の奥様の分身的存在となります。逆合わせ鏡は[女-鏡-女]のイメージで、合わせ鏡が[鏡-女-鏡]なので逆の並びであるけれど、ともに[…鏡-女-鏡-女-鏡…]という入れ子の片割れなのだから、どちらも分身の表象ではあるのです。

「提灯が、あれへ、あ、あの、湯どのの橋から、……あ、あ、ああ、旦那、向うから、私(てまい)が来ます、私(てまい)とおなじ男が来ます。や、並んで、お艶様が。」

『眉かくしの霊』というと、きまって引用されるのがこの料理番伊作の分身(ドッペルゲンガー)の出現場面です。その場に「境=鏡」的存在の画師(えかき)境賛吉が居合わせていることが、伊作の自己像幻視に少なからず作用しているかにみえて、なかなかに刺激的です。つまり、くだんの提灯が「湯どのの橋」という同じ経路をたどって接近して来ていることから、冒頭で引用した怪異と同質の現象が、今ここで反復されているのではないか、振り返ることなく背後の提灯が見えているのではないかと。射殺直前の道行きの姿をそのままにお艶様と伊作の分身が、あの二つ巴の提灯とともに、あるいは提灯に付き従うようにして、前方からではなく、逆に背後からやって来ているのではないかと。突然の死によって結果的に阻止された大蒜屋敷への道行きは向きを変え、鏡の幻想によって宿の座敷へと反転したのです。その姿を幻の「鏡」の中に覗き見る仕草を、境と伊作は無自覚のうちに共有しているかに見えます。鏡の幻想が立ち現れる場にあって、境と伊作が取り込まれた「桔梗ヶ池の物語」の中に、お艶と伊作が取り込まれた「過去の桔梗ヶ池の物語」が入れ子となって戻って来たのです。したがって、一般に伊作のドッペルゲンガーとされているものは、伊作の「過去の自己像」幻視としたほうがより正確なのかもしれません。

 しかし、それ以上に興味深いのは、むしろお艶と奥様というふたりの女の分身関係のほうです。妾(めかけ)という正妻ならざる存在のお艶は、「美人」でもあり「妻」でもある桔梗ヶ池の奥様への意地と憧れから眉を剃り、ある夜、その奥様と見まちがえられて、あるいは正確に奥様と見定められて、「川」のそばで射殺されます。桔梗ヶ池の水は凝って鏡(奥様)となり、その鏡像関係にある鏡(お艶)が宿の座敷に鎮座(端座)しています。さらにまた、それら鏡(ふたり)がふたたび融けてひとつになり、射殺現場を流れる川の水になる、そう読むこともできるように思います。とても幸せそうには見えない、救いなんて見えそうにない女たちを「水」のイメージが絶望的に結びつけているかのようなのです。ここがこの小説の核心となります(※お艶「(二つの)巴が一つに成つて人魂の黒いのが歩くようね」)。「瓜二つ」という意味をもつ合わせ鏡のような巴とは、渦でもあり水紋でもあります。お艶はひとつの巴です。奥様はもうひとつの巴です。物語は渦を巻いて小さな水紋へ、あえかにあかり点れるものへと収斂していきます。そもそもの始め、この提灯は何処から来たのでしょう。中心紋のこと覚えていますか?

 それにしても作品の掉尾にいたってなお、

電燈の球が巴に成つて、黒くふわりと浮くと、炬燵の上に提灯がぼうと掛つた。

と描かれてしまうほどに、提灯はあやしく暗躍していたもののようです(参照)。ただ、この描写、少々解りづらいです。ちょっと前のほうの道行きの場面、不吉な予兆のように蝋燭が尽きて暗くなった提灯の

(二つの) 巴が一つに成つて人魂の黒いのが歩くようね

という、程なく死を迎えるお艶の言葉とあわせ読むならば、明かりが消えた電球は「巴に成つて」さながら人魂の黒いのが「ふわりと」浮いているように見えてきます。そして電球の下、炬燵の上に、提灯が黒い人魂と対峙するように「ぼうと」淡い光をともしている。淡く光る提灯(消えればこれも黒い人魂)と、その明かりで浮かび上がる巴の電球(黒い人魂)が、要するに提灯と電球が、そのまま二つ巴を形成しているような、そのうえ片方はやはり二つ巴が描かれた提灯であるという、そんな入れ子の構図が眼に浮かびます。物語を縮約する中心紋のこと覚えていますか?

 最後に話を元に戻して、この曰く言い難い虚構世界の私的な堂々巡りを、入れ子の構図で締めくくりたいと思います。「水」属性の存在である桔梗ヶ池の女は(氏素性も知れないまま「奥様」とよばれるこの女は)、彼女もまた「鏡」に向って化粧をするという仕草を(「鏡」を覗き見るという仕草を)、その典型としてとっていました。彼女が鏡の中に見るのは自分自身の顔ですが、同時に彼女と同じ無名の誰かの顔、意地と憧れをふたつながらぶつけたい、奥様でも妾でもない誰でもない誰かの顔であるのかもしれません。恐らくその誰かの鏡にも別の誰かの誰でもない顔が……。

 とりあえずの結論。『眉かくしの霊』は鏡がテクストを侵蝕する鏡の小説である。

補足:やはりこのことは付け加えておかなければ。いえ、ほかでもない鏡花のほとんど奇蹟のように美しい結びの言葉のことです。

座敷は一面の水に見えて、雪の気はいが、白い桔梗の汀に咲いたように畳に乱れ敷いた。

水も雪もそして桔梗の花も、ここにはどれも存在していません。ただその気配が、たしかに眼の前を領しています。切り詰められたごく僅かな言葉で、宿の座敷はそのまま桔梗ヶ池の姿をたたえて、二重に映し出されます。そこに、「私は誰ですか(似合いますか)」と囁く女のひっそりとした佇まいが感じられないでしょうか。そう、これが泉鏡花の魔術です。

 1998.02.03 / 2021.08.27(debug)


 参照[提灯はあやしく暗躍していたもののようです]()
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『眉かくしの霊』 泉鏡花を読む

、上場らしいが、ハテ真暗である。いやいや、提灯が一燈ぼうと薄白く点いて居る。其処にも :136/330
ら、まだ電燈が点かないのだらう。おゝ、二つ巴の紋だな。大星だか由良之助だかで、鼻を衝 :137/330
大星だか由良之助だかで、鼻を衝く、鬱陶しい巴の紋も、此処へ来ると、木曽殿の御寵愛を思 :137/330
、解きかけた帯を挟んで、づツと寄つて、其の提灯の上から、扉にひつたりと頬をつけて伺ふ :140/330
燭が、またぼうと明く成る。影が痣に成つて、巴が一つ片頬に映るやうに陰気に沁込む、と思 :140/330
う順に流れて、洗面所を打つ水の下に、先刻の提灯が朦朧と、半ば暗く、巴を一つ照らして、 :176/330
つ水の下に、先刻の提灯が朦朧と、半ば暗く、巴を一つ照らして、墨でかいた炎か、鯰の跳ね :176/330
気で、境がこゞみ状に手を掛けようとすると、提灯がフツと消えて見えなくなつた。     :177/330
うから影が映したものであらう。はじめから、提灯が此処にあつた次第ではない。境は、斜に :178/330
          電燈は明るかつた。巴の提灯は此の光に消された。が、水は三筋、更に :194/330
            電燈は明るかつた。巴の提灯は此の光に消された。が、水は三筋、 :194/330
を踏んで行く、伊作の袖の傍を、ふはりと巴の提灯が点いて行く。おゝ今、窓下では提灯を持 :218/330
りと巴の提灯が点いて行く。おゝ今、窓下では提灯を持つては居なかつたやうだ。――それに :218/330
ツとするまで気づかうたのは、その点れて来る提灯を、座敷へ振り返らずに、逆に窓から庭の :218/330
と雪を踏んで行く、伊作の袖の傍を、ふはりと巴の提灯が点いて行く。おゝ今、窓下では提灯 :218/330
えゝ、月の山の端、花の麓路、蛍の影、時雨の提灯、雪の川べりなど、随分村方でも、ちらり :257/330
度がよろしくばと、私、此へ……此のお座敷へ提灯を持つて伺ひますと……」        :287/330
               「あゝ、二つ巴の紋のだね。」と、つい誘はれるやうに境が :288/330
         「へい、湯殿に……湯殿に提灯を点けますやうな事はございませんが、― :293/330
は、今しがた庭を行く時、此の料理番とともに提灯が通つたなどとは言出せまい。境は話を促 :294/330
影に見えました時、ジ、イと、私の持ちました提灯の蝋燭が煮えました。ぼんやり灯を引きま :316/330
支へはございませんやうなものゝ、当館の紋の提灯は、一寸土地では幅が利きます。あなたの :316/330
した。ぼんやり灯を引きます、(暗くなると、巴が一つに成つて人魂の黒いのが歩行くやうね :316/330
い銀のやうでございましたお姿が見えません。提灯も何も押放出して、自分でわツと言つて駈 :320/330
            旦那、旦那、旦那、提灯が、あれへ、あ、あの、湯殿の橋から、… :323/330
巴に成つて、黒くふはりと浮くと、炬燵の上に提灯がぼうと掛つた。            :326/330
                電燈の球が巴に成つて、黒くふはりと浮くと、炬燵の上に :326/330

 佐藤和雄(蟻) / 泉鏡花を読む