音楽とあんまり関係ない日記 / 12月
by BoogieWoogie Ace Hirota
2002年12月30日(月)
会社も休みに入りぼぅーっとしてたら今年も残り1日になってしまった。
ぼーっとしてたら100年経って〜、という唄があったな、昔。
毎日毎日NFLを見ながら過ごしておりました。
今日はやっと少しばかり掃除をしたのだけれど、たいへんだわ。
照明器具を水拭きしたりしていたら一日終わってしまった。
本当は換気扇の掃除などしたかったのだが…。
さてきっと明日は日記を書くとは思えないので、今日のうちにご挨拶を。
本年もたくさんのお客様に支えられて、
ブギウギは38度ものライブをさせていただいたとのこと。
どうもありがとうございました。
1ライブあたり少なく見積もってビールを3本飲んだとすると、
それだけで114本ものビールを消費したと。
そんなヤツが4人いるとなると、456本ものビールをバンドで消費したと。
たくさん飲んだものだなぁ。いやそういう話でなくて。
1ライブあたり30曲ほど演奏したとすると、
1140曲ほど演奏したことになる。
まあ3ステージでないときもあるのでもう少し少ないかもしれないが、
延べ1000曲ほどか。たくさん叩いたなぁ。
そんな場を与えていただいてありがたいものだなぁ。
こんな調子のバンドにお付き合いいただいて申し訳ないことです。
でも来年もぜひお付き合いください。
あ、それとこのよったような日記にもまたお付き合いください。
では皆様、よいお年を。
2002年12月24日(火)
会社のぼくの近くの席に造り酒屋のムスメがいる。
彼女の家で新酒ができたということで、購入したら酒粕をつけてくれた。
ぼくにとっては初めての食材でどうしたものかとインターネットで調べ、
粕汁風のモノを作ってみた。
まあ、ほぼ豚汁なのだが、事前に味噌と酒粕を混ぜ合わせたのだ。
混ぜ合わせた、と軽く書いたが結構大変である。
お湯を少し加えながらすり鉢でごりごりやるのである。
酒粕というのは堅めのチーズのようでなかなか手強い。
キッチンの床にあぐらをかいて寺の小坊主のようにごりごり…。
おいしくできたので満足である。
2002年12月23日(月)
更新が希薄で申し訳ありません。
応援してくれる方もあるし、がんばらねば!
ちょっと言い訳なんですが一応理由があるんです、めちゃ私的なことだけど。
下の6日の日記にもあるように、NFLシーズンが始まっちゃったわけです、僕にとって。
NFLはレギュラーシーズンとポストシーズンに分けられます。
サッカーのワールドカップのリーグ戦とトーナメント戦みたいな感じ。
今はレギュラーシーズンの大詰めで、トーナメント戦に向けて大変アツイ時期なわけです。
しかも僕の応援しているタンパベイ・バッカニアーズというチーム。
毎年まずまず強いのだが、今年は特にいい。うれしいじゃないですか!
そりゃテレビの前にくぎ付けになろうというものじゃないですか!
今日はバッカニアーズの試合の放映はないのですが、
オークランド・レイダースvsマイアミ・ドルフィンズを見ながらなんとか書いております。
ガンバレ、ドルフィンズ!
どうも僕はフロリダのチームが好きなようです。
2002年12月6日(金)
昨日ようやく足場がなくなった。
晩飯を食った後アンテナを取り付け、寝るまでテレビを見た。
今日も晩飯を食った後さっきまでテレビを見ていた。
ほんの2〜3ヶ月の工事の間にNFLはすっかり終盤戦である。
たぶん17週間ぐらいあるはずなのだがもう13週である。残念。
この日記はNFLのオフシーズンである6月から書き始めたのでたぶんあまり話題にしていないと思うが、
ぼくはアメリカンフットボール特にNFLが好きである。
スカパーを導入してからだから3シーズンほど見ているのだが、
とてもおもしろいスポーツである。
フォーメーションとかシステムとかがわかったらもっとおもしろいのに、といつも思う。
NFLの選手はけっこう悪いやつがいる。
練習をさぼって謹慎とか、マリファナで謹慎とか。
日本のプロ野球の選手は、最近はわりとくだけてきたとはいえ、
それでも聖人君子の扱いであり、ちょっとしたことがタイヘンな騒ぎとして取り上げられる。
どっちがいいとは言えないが、いろんなヤツがいたほうがおもしろいような気がする。
2002年12月4日(水)
今和次郎という人の「新版大東京案内」という本を読んだ。
最近ぼくの中では金子光晴、永井荷風と昭和初期の世相の話がちょっとブームだ。
この「新版大東京案内」も昭和4年に出版されている。
この頃の東京というのはなかなか面白い時期らしい。
関東大震災のあった大正12年から6年を経過し、復興もひといき、という時期だ。
関東大震災の影響というのは大変大きかったらしく、
東京の計画的な都市化が復興とともに一気に進んだようだ。
徳川幕府時代から明治、大正とずるずるとひきずってきた江戸的なものが、
震災とともに断ち切られ、江戸とは違う「東京」が出来上がった、ということだ。
しかしこの後空襲で再度東京は壊滅的になっているから、
この「東京市」の時代はほんの15年か20年程度の短い期間だったことになる。
その間に地下鉄が現れ、市電が発達し、ラジオが普及し、銀座が繁華街として大きくなり、
カフェーが増え、でも髪を結った芸者が歩き、人力車もまだ残っているような時代の話である。
いや、おもしろい本でした。
2002年12月3日(火)
今朝出勤前に家でコーヒーを飲んでいると、
バルコニー側で何事か動きが…。
養生のグレーのシートがあたかもカーテンを開けるがごとくたぐられていきました。
ほぼ2ヶ月半ぶりに南側の景色を直接見ることができました。
この調子なら帰ってきてからスカパーのアンテナ設置で忙しいぞ、などと思いながら出勤。
しかし地下鉄に乗る前に近所に住む駐車場の管理のおばさんにお金を払わねばならない。
いつも3ヶ月に一度、しかも後払いでしか払っていないのに、
「いいんですよぉ、ご都合のよろしい時で…」とか言ってくれる、実にいいおばさんなのである。
今日も9〜11月分の駐車場代を持って訪れると、すみませんねぇ、なんて言ってくれる。
お金を渡し、ハンコを押してもらい、さあ出勤。ところが…。
「お宅さんは家でご飯はつくってみえるの?」
「まあ週に2〜3日は家で食べてますよ。」
「じゃあ、しぐれがあるから持っていきなさい。おいしいですよぉ。
ご飯を炊くときにね、少し入れて炊くとしぐれご飯ができますよ。」
ありがたいなぁ。いいおばさんだなぁ。
今日は一日カバンにしぐれを忍ばせて過ごしたのである。
ちなみにシートはなくなっても足場は残っており、
アンテナの設置はまだできていない。
2002年12月2日(月)
明日はゴミの日である。
ぼくの住んでいるマンションは60戸以上もある比較的大きいマンションだ。
前に書いたかも知れないが、うちは5階にあるのだが3階までは階段を使って下りる。
そんなこともあり、ゴミ置き場までは2〜3分かかる。
たかだか2〜3分がめんどうでぼくはよくゴミを溜めてしまう。
たしか2週間ほど前に捨てようと思ってまとめたゴミがあり、
今日こそそれを捨てようと決心した。
その前に家の中のゴミ箱を集めてまとめようとしたらちょっと入りきらなくて、
その2週間ほど前にまとめたフクロに入れようと思って開いた。
大後悔である。
2002年12月1日(日)
ああ、いよいよ12月である。もうあとひと月で2002年も終わりだ。
それはそうと、どうもようやくマンション修繕の足場がとれるようだ。
先週の中頃、工事の会社から「足場を必要とする作業ほぼ終了とみなしておるが、
塗り残しや窓への塗料の飛散など不都合はあるやいなや」という主旨のアンケートが郵便受けに入っていた。
そのアンケートの締め切りが11月30日となっていたので、
不都合がなければ今週中にはなくなるのだろう。
うれしいなぁ。工事の人と目が合ったりすることはなくなるのである。
日光も直接差し込むのである。
どうか作業に文句をつけるようなことはしてくれるな、と、住民一同にお願いしたい。
当然ぼくはバルコニーに出もせずにOKを出しました。
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