モンゴル紀行その4
その4の1 馬頭琴の話
 馬頭琴の話をちょっと続けます。モンゴル語ではモリンホールと言いますが、「モリ」は馬、「ン」はの、「ホール」はバイオリンのような楽器ということなので直訳すれば「馬の楽器」を意味するそうです。音も仕掛けも中国の胡弓に似ているが、モンゴル独自の楽器で、元帝国のころアラビア人が持ってきた二弦の楽器が、変化 したものだ言われています。
  三味線の胴のようなものに馬のシッポの毛で作った二本の弦が張ってあり、やはり馬のシッポで出来た弓を使います。「馬のシッポ 同士が摩擦しあうのだから、音は蚊の鳴くように小さい。このむせぶような微妙な音を、モンゴル人は何世紀もかぎりなく愛してきた」
                           (司馬遼太郎『街道をゆく 5』)

 知っている人もいると思いますが、日本の小学校の教科書にも 「スーホーの白い馬」という昔話が取り上げられていたことがあり ます。

 〜ある夜、スーホーという少年が寝ていると、ゲルの外に怪我をした苦しそうな馬がいました。少年は介抱し、数日後に馬は元気になり少年は白い馬と仲良く暮すのです。ところがある日、ハーンが現れ「競馬をやって勝った者に私の娘をやる」というのです。
 少年は競馬に出場、優勝しますがハーンは約束を破り、少年から馬を取り上げ、追放するのです。少年は毎日毎日、馬のことを思い、心配するのです。そんなある晩、ゲルの外で馬の声が聞こえました。少年が外に出て見ると、ハーンの家来に追われて傷だらけになった白い馬がいました。
 「私は死んでしまいますが、ずっとあなたのそばにいられるように、私の毛や骨を使って楽器を作って下さい」と言い残して死にます。これが今の馬頭琴だというお話。
モンゴロイドがウランバートルから買って来た安物の馬頭琴。胴、さおと弓がありバイオリンといった感じ。安物だからいい音はしないのでおそらくお蔵入りになるだろう
高価な馬頭琴はもちろん安物でもさおの先には馬の頭部の彫り物が付いている。モンゴル民族と馬とのかかわりを象徴しているようだ
  ついでに馬の話をもう一つ。これは実話でしょう。ベトナム戦争  (1960年〜1975年)の時、ソ連が応援していた北ベトナムにモンゴル人民共和国は、数百頭の馬を送ったそうです。ハノイでは荷物運びのために使われたらしいですが、役目を終えた一頭が中越国境を越 え雲南省昆明に入り、後はどのようなコースをたどったのか。当時、この話が新聞に載り、この高原の国の全土は沸き立ったという話です。
  馬は帰巣本能を持っているという文献は見当たらないそうです。 司馬遼太郎は、この話を聞いた後、「私の脳裏はしばらく白っぽくなり、霧のようななかをゆく一頭のモンゴル馬が憑(つ)いて離れ なくなった。その馬は、北にむかっている」(『草原の記』より)

1/3