モンゴル紀行その5
その5の1 サエン・バエノーからバヤルタイまで

 モンゴル滞在8日間の間で、たった一つ覚えたモンゴル語は「サエン・バエノー」だけでした。朝でも昼でも夜でも使える便利な言葉で「いかがしていますか」という意味のようです。すると、同じ言葉が返ってきます。最初は英語のように語尾を挙げ、答えは普通のように聞き取れました。

 モンゴル帝国の古都・カラコルムに残るエルデネズー寺院を見学した時、ガイドしてくれたのは、バヤルマというウランバートルで高校2年に在学する女生徒でした。日本語が達者なので夏休みの間、アルバイトとして日本人観光客のガイドをしているというのです。

 とにかく彼女は日本語がうまい。お釈迦さまの話から、弥勒菩薩、阿弥陀菩薩など仏教の解説をよどみなく話すのです。その知識にモンゴロイドは、ビックリ。「仏教(ラマ教)では、殺生は禁じられています」と言ったので、モンゴルでは5畜が食糧では? と尋ねたら、「首に紐をつけた動物は、神様のお使いなので殺生はだめですが、紐をつけない動物はいいのです」とかわされました。

 このようにモンゴルでは、若い人たちの間で日本語への関心が非常に高まっています。ロシア語、英語は小学校4、5年生から始めるそうです。この他、日本語、ドイツ語を教える学校があるようです。ウランバートルの第20、23、38番学校では、日本語を低学年から教えているようです。ガイドをしてくれたバヤルマさんは、38番学校に在学、来年卒業なのでジャンチブ校長、新モンゴル高校への進学を勧めていました。
 
 私たちを南ゴビにガイドしてくれたスヘー。ジャンチブの義弟ですが、日本語がかなり出来るんです。経歴を聞いたら奨学生としてロシアの士官学校に留学、帰国して軍隊の義務年限を終えた後、除隊して今、インターネットを有料で利用させる会社を経営しています。そこからモンゴロイドは、ヤフーのアドレスで家族や知人に連絡したところ、返信が入っていました。インターネットって便利ですね。
 話がそれましたが、スヘーに「日本語をどこで勉強したの」と聞いたら「独学なんだ」と言うんです。読み書きは出来ないが、話すことは出来るんですね。これも日本に対する熱い関心の現れの一つだと思いました。
エルデネズー寺院で、ガイドをしてくれた
バヤルマさん(右から2人目)。この遺跡は、
周囲に城壁をめぐらした壮大な規模だが、
共産主義のころソ連の要請で大半が壊された
新モンゴル高校の日本語の授業光景。教師は徳島県出身で広島大日本語科4年の女子大生・鳥澤舞さん。2001年の9月から授業を受け持っているが、「1ヵ月もしないうちにモンゴル語で電話をするんですからビックリしました」と、ジャンチブ校長も頼もしげ。2000年度は、山形大大学院修士課程2年の日本語科専攻の佐藤綾さん(仙台出身)が担当した
南ゴビを案内してくれたスヘー(中央)。「ここは南ゴビの砂丘なんだ」というように「〜なんだ」をつけるのが、彼の癖だった 
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