忠平・龍子の中国料理見聞録
上海料理の巻

平成9年のことでした
テレビや写真を通して中国を目にするとき、そこには繁栄と約束された未来が写し出されています。しかしさまざまな規制があって、現実の厳しさは映像では窺い知れないものがあります。幸い列車やバスで回った今回の旅は、私の中で漠然としていた中国の広大さと風土、文化の違いを強烈に心に残してくれました。冬ということもあり、田や畑に緑を見ることはなく、全体に寒々とした光景が続いていました。ただ道路沿いでトマトやりんご、バナナさらにはサトウキビまで売っていたので、かなり遠くから食品が運ばれてきているようです。 無錫で市場を案内されましたが、旧正月が近いこともあって量も種類も豊富でした。聞いていたとおり、今や人民公社の力はすっかり弱まり、個人の才覚で儲けることが自由になって、売り手も買い手も楽しそうにに値段の交渉をしていました。
食事はホテルや予約した店があらかじめツアーに組み込まれていたので、一般の人の食事風景を見ることはできませんでしたが、見学した工場や職場で働く人たちのお弁当を覗く機会はありました。観光客が見学している傍で、アルミやホーローの容器を広げ昼食を摂っていて、好奇心いっぱいの私たちが覗き込んだり尋ねたりしても、陽気に答えてくれました。ご飯に何種類かのおかずを混ぜて食べるのが一般的のようでした。鶏の足の煮込みも上に乗っていて、どんな味か試してみたい気持ちに駆られました。>レストランでの料理の特徴は、全体にシンプルで日本や香港の料理とは素材や味付け、華やかさが異なる印象を持ちました。けだし中国料理の原点はこのような家庭的な料理にこそあるものと納得しました。どこに行っても出てきたトマトスープは、今では我が家の定番料理になり、スープを味わうたびに上海の思い出がよみがえってきます。
締めくくりとしては、女性にとって一番気になるトイレ事情を少々。観光客の行くところは、よく言われるような扉も無いような場所はありませんでしたが、水洗であっても、水の出はあまり期待できないこともありました。またペーパーもホテル以外は備え付けがありませんから多めに持参したほうが安心です。朝、出発するとき、ほとんどの女性はホテルのペーパーをポケットに、たっぷり詰め込んで出かけておりました。それでもさまざまなトイレ事情に遭遇し大騒ぎしたのも今では楽しい体験です。お陰で同じ釜の飯ならぬ「 同じトイレ仲間」といったところで、終始和気あいあいの旅を送ることができました。
この項、龍子
目を上げると巨大クレーンにまたクレーン。まさにクレーンの林立である。 「現在上海市内だけで5000本のビルが建設中です」というガイドのことばも誇張ではなさそうだ。 煉瓦造りの棟割長屋[里弄(りろう)」をブルドーザーで踏み潰し、高層ビルに姿を変えたとしても、それだけで近代都市に生まれ変われるわけでは勿論ないが、今、上海は市場経済化の恩恵を集的に受けて活気づいており、農村部からの流入が激しく、人口も2000万人を超えるという。1月25日から6日間の日程で上海、 蘇洲、無錫、杭洲を一周する旅でした。「ホテルと料理はその土地で最高のものを用意しました」 という説明でしたが、上海と杭洲を除けば最高のランクにもずいぶん格差がありました。蘇洲で一番というレストランに入ったときのこと、一年中で一番寒い季節にもかかわらず、暖房など無いに等しい状態でした。他の客は平然としておりましたから、これがここでは当たり前のことなのでしょう。ギンギンに冷えたビールを飲んで、体の芯まで冷えてしまいました。
土地柄で様々な食材を見かけました。 太湖から杭洲への道のり、 軽トラック の両側に猪を2頭ぶら下げて、フルスピードで追い抜いていくのに出会いました。後ろの荷台に鈴なりに乗っている乗客は、晩餐の期待で舌なめずりをしているようでした。また、太湖のほとりで、リヤカーで豆腐を売り歩いている、行商人と出会いました。ちょっとだけ指で押させてもらいましたが、これくらい硬ければ昔の人が言っていた、「 豆腐の角に頭をぶつけて死ね」 という叱責も現実味があるかな、という感じでした。
旅をすれば掘り出し物に出会うものです。今回の収穫は無錫産の土鍋と湯呑みです。無錫は良質な陶土を産出し、 食器や土人形が有名です。 土鍋は中国では砂鍋(ザーグォ)と言って料理名の中によく出てきます。>当地の陶器は水でこねて、乾かしただけだそうで、持ち帰った土鍋はお湯を入れると溶けはしないかと、最初に使用したときは、おっかなびっくりでした。上海旅行を終えた今、目に浮かぶのは中国料理でも、バンド( 上海のウオーター・フロント)の夜景でもない。それは道端で曲芸をして小銭を稼いでいた子供たちの姿であり、上海の郊外に広がる昔からの「里弄(りろう)」のたたずまいと、そこで生活する人たちの息遣いである。
   この項、 忠平
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