忠平・龍子の中国料理見聞録
台湾料理の巻
昭和63年のことでした
 なぜか中国料理に惹かれる。中国料理のことを考えると血が騒ぐ。
やはり大陸生まれの血のなせる技か。 台湾は中国料理マニアにとって、堪えられないところである。かつての大戦後、共産軍に追われた国民党の人たちが台湾に逃げ込んだとき、お金持ちはお抱えコックを連れてきたという。
 

台北の町には、雇い主から開放されたコックたちが開いたそれぞれの地方の中国料理店がごちゃ混ぜに、無数に、といってよいくらいある。北京、上海、広東、四川、と各地の最高の味をここだけで味わうことができるのだ。 男厨会の面々と台湾旅行に出かけたのは11年前、昭和63年のことである。台北の町は、日本語を理解する人が結構多く、治安もよいので、案内人なしでも十分歩ける。また中国料理のありがたいことには、レシピが漢字で書いてあるため、ある程度の約束事さえ理解すれば、大概の料理は想像できることだ。

男厨会のメンバーがゴルフと花蓮ツアーに分かれて出かけた後、私たちは地図を頼りに探訪に出発した。町中に中華料理店があふれていることは、幸せなようでいて、たった一軒しか選べないとなると、なかなかつらいものがある。そこで旅行スケジュールに入っていなかった海鮮料理の店にした。私たちが入ったのは南京東路の「無花」という店。水槽の活魚を選ぶと、その場で調理してくれた。珍しかったのは海老の蒸し焼き。ガラスのキャセロールに元気な海老をたくさん入れ、マオタイ酒をたっぷり振り掛ける。二次会クラブの時の、私のように、ぐでんぐでんに酔わせておいて火をつけ、蓋をする。火の中で飛び跳ねている海老を見るのは、今思えば残酷なものだ。その時は、期待に胸を躍らせていたか、胸を痛めていたか、良く思い出せない。ほのかな酒の香りと、薄い塩味の「逸品だった」ということだけは鮮明に記憶している。

満腹になった後はショッピング。前から狙っていたのが、火鍋子(フォークォツ)である。檀太郎氏が自慢げに使っていたのを、料理の本で見て以来、欲しかったもの。火鍋子は蒙古や満州を中心にした山西料理でよく出てくる鍋のことで、羊のシャブシャブでお馴染みなじみである。鍋の真ん中に煙突がついていて、その下に炭を入れて使う。店は前もってガイドに聞いて見当をつけておいた。人気のない薄暗いショッピングセンターの奥にその店はあった。憧れの火鍋子は銅製で大きく、結構立派なものだった。

帰国時の空港でのこと。大きくて鞄に入らず機内持ち込みにしたところ、金属探知器の所でけたたましい音を発し、周囲の好奇心を呼び、さすがの私も逃げ出したくなった。
この項、忠平
当時の台湾は悪評高い「戒厳令」が解除された直後でした。その開放感からでしょうか、元軍人のバスガイドは、いかに外省人の国民党に差別されてきたかを、案内しながらずっとしゃべり続けていました。最近の民主化によって本省人の立場も対等になりつつあるようですが。 閑話休題……。

一日目の夕食は台湾料理店「欣葉」という豪華なお店でした。次々出された中で、「ナマコの煮込み」と台湾で一度は食べたい「シジミの醤油漬け」が印象に残りました。また紹興酒の飲み方も、原産の緑色のレモンスライスをたっぷり入れ、ぐるぐるよくかき混ぜて飲むというものでした。すっきりした味わいで、いくら飲んでも二日酔いにならないといわれ、ずいぶんお店を儲けさせてしまいました。 翌朝は有名な「青葉餐庁」の朝粥を食べましたが、ここで一緒に出た豚肉のそぼろがおいしく、みんなお土産に買い込んだようです。

今も残っているでしょうか、歩道は木の屋根がかけられ、日本の雪国と同じ光景でした。ただしこちらは強い日差しと、すさまじいスコールから守るためです。スコールには連日あいましたが、さすが聞きしに勝るものでした。 街を歩くとお茶、漢方薬、食べ物関係のお店が目につきます。私たちが入ったのは「天仁銘茶」という当地で一番有名な御茶屋さん。「工夫茶」と呼ばれる中国の茶道で、各種のお茶を試飲させてくれたり、日本語の質問にも答えてくれる、親切なお店でした。ここでのお奨めはキンモクセイが入っている「桂花茶」。咲いているときの香りからは想像もつかない、甘い桃のようなかぐわしい香りのお茶です。

また点心だけのファーストフード店も珍しいものでした。熱いものは保温され、蒸し物は下から吹き出す蒸気で、アツアツの状態で食べられるうらやましいお店でした。 この後も贅沢な料理を堪能し、心に残る旅行でした。私たちの楽しみは別にもう一つ。それは国内外を問わず旅をしたときは、土地の人が買い物をするスーパーや市場の食品売り場を覗くこと。驚きや感動、共感等行って初めてわかることが一番の収穫です。旅のしめくくりに、台北のスーパーを見ての感想は、日本の食材のなんと多いこと。台湾の人は、海苔巻きや沢庵も大好きなんですね。歴史は語るが結論でした。
この項、龍子
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