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タグ打ちの場合なら, 例えば2003年7月1日の日記へリンクしたいときはつぎのようにして下さい.
<a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~hotori/2003.html#20030701">・・・</a>
1999/07/01日記発足 日記を始めます. 日記のリクエスト下さった方々にまずお礼申し上げます. 何を書こうか迷いながらもとにかく発足. 考えてから走るのじゃなくて, 走りながら考えよう.
梅雨末期の大雨があちこちで降りました. 洪水にならずに水源に入ってくれることを祈りましょう. 洪水も土砂崩れも心配のないところに住んでるので, よく降るなあと気楽に眺めていました. しかし近ごろの都市は災害に弱くて, あちこちで被害が出てると報じられています. 心配です.
さて, 何を書きましょうか? ウェブ日記という習慣は欧米にはないとか聞きます. アジア固有なのでしょうか. もしや日本独特? 日記というそもそも本人だけを読者に想定した書き物と, ウェブで公開して不特定多数の読者を想定することとの矛盾をどう解消するのでしょう. 公開する日記・・・航海日誌・・・いいえ, これはちがいますね. せめて後悔日誌にならぬよう努めます.
ウェブ日記のたぐいを見て回るといろいろありますね. ふつうの個人的な日記の公開できる部分といいましょうか, 日常的な身の回りのできごとやそれに対する思いをつづったもの. あるいは評論やエッセイやコラムのようなもの. 日記猿人という 投票システムがありますが, それに参加してる日記のなかには他の人の日記を引用したり批評したりしている同人誌的なのがあります. 一方, 日記猿人には参加していても他人の日記に関心を示してない日記もあります.
そういういろいろな日記を見た上で, さて自分の日記はそのうちどれに当たるのか, 決めてないのです. 考えをつめずに何となく書き始めているのです. 壁紙を使うか, 組み方をどうするか, そういう問題もあります. 成り行きで何とかなるでしょう. どうぞ, あたたかく見守って下さいませ.
さて, ファイル形式だけは少なくとも決断しなくちゃなりません.
一日一ファイルとか一週間あるいは一ヶ月で一ファイルとかいろいろあるようですね.
迷ってます.
とりあえず一年一ファイルにします. 新しいのを上に書き足していきます.
古いものほど下の方にあるという形です.
「1999/07/01」の形式で日付を入れ, その箇所に
<a name="19990701"> の形式でアンカーを入れておきます.
特定の日付のをリンクしたい方は
<a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~hotori/1999.html#19990701">・・・</a>
のようにして下さい.
・・・というわけで第一回は「日記が始まりますよー」
という予告編みたいになってしまいましてすみません.
ご意見, 御希望を歓迎します.
1999/07/02水のほとり 「水のほとり」と名づけたわけを話しましょう. 「湖畔」なども考えたのですが, 湖だけに限りたくない, 川辺や海辺も含めた名前の方がいいと思いました. 音読みの言葉よりもやまとことばの方がひびきがやわらかくていいとも思いました.
思い出の深いのは信州野尻湖のほとりです. そしていまは狭山湖や多摩湖のある狭山丘陵に住んでいます. 家から湖は見えませんけれど, 湖の見下ろせる尾根まではちょっと散歩に行くほどの距離です.
物心ついたときには兵庫県西宮市の急な坂道の途中に二〜三軒ある借家の一つに住んでいました. 林の中でした. 水辺ではありませんでしたけれど, 坂道を下りた平地の方には田圃が広がり, 近くの谷間には溜池があり, 小川が流れ, 水車がありました.
つぎに住んだのはおなじく西宮市の仁川 (にがわ) という川の近くです. 武庫川の支流で, 雨の降ったときのほかはほんのわずかしか水が流れてない川でした. 川の畔から一段高くなった細長い平地に, 商店街からちょっと離れたところに, 家を借りていました. 駅へ行くときは台地から坂を下り, 川沿いの道を行きました.
そして長野県の北の果ての, 新潟県との県境に近い, 野尻湖の近くに越したのは太平洋戦争の始まろうとする1941年のことです. はじめに住んでいたのは湖の南側の山の上で, 湖から四〜五十メートルの高さのところです. 家の近くから湖が見下ろせました. 永島吉太郎油絵作品 の「山ふところの集落」はこのあたりから対岸の集落をみたものです.
三年ほど後, また引っ越しました. それまで暮らしていたところは村の中心から遠く離れた不便なところでしたが, 今度は野尻の村に近い平地で, 湖の西側にあたります. 庭に波の打ち寄せるほんとうの湖畔です. 永島吉太郎油絵作品 の「たそがれどき(2)」はそこの家です. 「山の湖」も「秋晴れ」もその近辺からの眺めです. 湖畔のこの家には9歳のときから21歳まで暮らしていました.
大学に入った1956年から伯母の家に居候しました. 神奈川県二宮町です. 大磯の隣町で, やはり海辺の町です. 家から坂を下って東海道線を横切り, 国道一号線を横切って少し行けば相模湾です.
大学四年のときに伯母の家を出て東京都文京区のアパートで暮らし始めます. ここは水辺ではありませんでした. 転職し同時に結婚した1967年から東京都港区に住まいが移りましたがここも水辺ではありません.
1974年に東京都国分寺市に移りました. 崖下を見下ろすと池があり, 野川の源流の一つになっていました. 野川は土地の言葉で「ハケ」とよばれる国分寺崖線に沿って流れ下り, やがて多摩川に合流します. ハケには何カ所か清らかな湧き水があります.
そして1980年にいまの狭山丘陵の中の家に移り住んできました. 水とゆかりのある暮らしをしてきて, これからも水と関わり合っていきたいと思っています. 「水の惑星」に生まれた幸せを感じながら.
1999/07/03梅雨の一日 雨が降ったりやんだりしています. 腰の痛み, 左股関節の痛みのあるのは, 湿気のせいでしょう. 昨日の授業の疲れも今日に繰り越している感じです. 何となく頭がさえなくて, 筆が進みません.
つれあいと二人で入間市, 日高市へ行って買い物してきました. 霧のかかった雑木林を眺めながらのドライブはちょっといい雰囲気でした. 昼は外食, ファミリーレストランです.
来週の授業の準備をしたり, 研究会で話す予定のテーマについて少し 考えてみたりしてるのですが, 今日はどちらもはかどりません.
ところで, この日記, 文字が見づらくないですか? たとえば行間をあけた方が見やすいとは思うのですが, 一定の字数ごとに<br><br>で強制改行するのもまた問題があって, 何かよい対策はないものかと迷ってます.
1999/07/04母 母が93歳になりました. 日露戦争の終わった翌年の1906年, つまり明治39年の生まれです. 老人ホームで車椅子の暮らしです. 目がよく見えなくて人の表情もわからなくなりましたけれど, 耳は聞こえていて, 意識も記憶もはっきりしています.
父母と私と妹との一家が日米開戦の直前に長野県上水内郡信濃町へ越して以来, 信濃町の野尻湖のほとりに長く住んでいましたが, 私が大学へ進学し東京で就職, 妹も家を出て, その後も父と母と二人だけで残っていました.
年寄り夫婦二人だけの野尻湖畔での暮らしがむずかしくなってきて, 1974年暮れついに信州を離れて茨城県笠間市へ越しました. 父も母も東京生まれなのですが東京に戻る気持ちはなかったようです. 育ったころとくらべて東京はあまりにも変わりすぎてしまったようです.
思いがけない縁で両親は親類縁者もいない茨城県に越すことになり, 終の棲家と定めて笠間に家を建てました. ・・・ちなみに, 終の棲家 (ついのすみか) は信州信濃町の小林一茶の句 是がまあ 終の棲家か 雪五尺 にあることばですね. 晩年に火事で家を失った一茶は土蔵に住んでました・・・ 笠間市に父母の建てた家を描いたのが 永島吉太郎油絵作品 の「たそがれどき(1)」です. 笠間にはめずらしく大雪の降ったときの絵なので信州を思わせる眺めになりました.
笠間の家でしばらくは年寄り夫婦二人の穏やかな暮らしがありました. しかし, 母の体が骨のもろくなる骨粗鬆症 (こつそしょうしょう) に侵されて腰椎をいためてしまってから, 入退院を繰り返し, やがて家事すべてを父が行うようになりました.
介護を要する状況にまで母がおとろえると, ついには父一人ではどうにもならず, 私の家に引き取って私たち夫婦で介護するのも無理な事情を考えて, 茨城県の特別養護老人ホームに入所させてもらいました. 筑波山の見える盆地の八郷町にあるその老人ホームにはケアハウス (軽費老人ホーム) も併設してあり, 父はそこに入所して, 母の世話をしたり笠間の家へ行って仕事したりして暮らしてます.
私は「孝」という名に名前負けしてしまって, 父母をときどき訪れるだけの不孝者ですが, 父も母もいつまでも元気でいてほしいと心から願っています. 飛行機もラジオもない明治から人工衛星やコンピュータの現代まで激動の時代を生き抜いてきて, 戦争やら何やらでどれほど父母が苦労してきたか察していますから.
[行の長さを短くしてみました. 段落の変わり目は一行あけました. 過去にさかのぼって直してあります. いくらか読みやすくなったでしょうか.]
1999/07/05授業 きょうは「数学特論」という三〜四年生向けの専門科目の講義で, 17世紀〜19世紀のヨーロッパの数学の歴史について話してきました. 何をどう教えようか迷いながら資料を調べたり話題を考えたりしています. 講義の概要をプリントして学生に配っています.
教科書を読み上げるだけの講義にすればよほど楽ができるとは思いながらそれに踏み切れないのには, 手ごろな教科書がないこともありますが, テキストを読み上げるだけの講義は聴いていておもしろくなかったという思い出があるからです. 学生時代のことを思い起こしてみると, むずかしくても, 教授自ら考えて話してくれた講義の方が, 印象に残っています.
学生に数学を楽しんでもらうには, めんどうでも自分で考えて題材を選んで講義しなくてはならないと感じています. 忙しいと言いながらも, 講義の準備につい時間と精力とを費やしてしまいます. そして疲れています.
テキストを読む授業というものも否定はしません. しかし, それには講義よりもゼミナールの方が向いていると思います. 討論しながら一冊の本を徹底的に読んでみるのはまたおもしろいと思います. 解釈を考え背景を考え, 行間が読めるようになるまで議論を深めていくのは有益で楽しいことだと思います.
[背景にようやんさんの「淡色くらぶ」の淡いグラデーションを入れました.]
1999/07/06痛み 昼過ぎから頭が痛くなり, 痛み止めを飲んで休んでました. きょうは仕事もほとんど手につきません. 晩になっていくらか治まってきました. 頭の痛みにしても股関節の痛みにしても, ただの肉体的な痛みではなくて, 昔のもろもろの思い出につながるつらさがあります. 連想というか反射というかあるいは刷り込みというのか, 痛むたびに半世紀以上昔の記憶が・・・ 過去を消し去りたいものです.
1999/07/07七夕 七夕ですね. 七月七日だから「七夕」と書くのでしょう. 「たなばた」という読みは機 (はた) の一種の棚機 (たなばた) に由来するとか. 梅雨の時期にもかかわらずきょうは幸いに日本各地で天気に恵まれて, 天の川が見えそうです.
しかし, きょうが七夕ということでよいのでしょうか. 人の恋路を邪魔する気など毛頭ありません. 織り姫様と彦星様の年に一度の逢瀬を祝いたいからこそ, 七夕はきょうなのかと気がかりなのです. 多くの土地で, 梅雨がまだ明けてないのです. 今年は青空に恵まれたとしても, 例年この時季には天の川も織り姫も彦星も見えない晩が多いでしょう.
江戸時代には旧暦の七月七日に七夕を祝っていました. 明治維新でいわゆる西暦つまり欧米諸国でひろく使われているグレゴリオ暦を採用したとき, 西暦の七月七日に切り替わってしまったのでしょう. 三月三日の桃の節句, 五月五日の菖蒲の節句もそうですね. 季節行事を一ヶ月ほどもずらしてしまってよいのでしょうか. 季節感を犠牲にしてまで数字にこだわらなければならないのでしょうか.
季節感を大切にしたいと思います. 七夕は旧暦の七月七日のころに祝いたいと思います. そこでどうするかという問題なのですが, 旧暦を調べて日を決めるのもやっかいなことです. しかも旧暦の七月七日がいまの暦の幾日に当たるかというと, その日付はもちろん年々変わるのです. 妥協案として, 旧暦の七月七日に当たる新暦の平均的な日付を固定してしまうのはどうでしょう.
計算してみたことはありませんが, 旧暦でたとえば春分から幾日目という平均をとれば, 新暦の八月のはじめころになると思います. 「七」へのこだわりを捨てて季節に素直になってみませんか.
1999/07/08黒板 数学の講義ではどうしても式を書いたり図を書いたりしなければなりません. 教科書を使う場合でも, 「○○ページの式を見なさい」ではすまなくて, 黒板に式を書きながら考え方や計算の手順を説明しなければなりません. 科目によっては黒板には要点だけを書いてすむこともありますけれど, 数学では黒板いっぱいに書いたり消したりしながら講義します.
これがかなりの肉体労働になります. 学生の方を向いたり黒板の方を向いたりして話します. 黒板の左から書いていって右までいっぱいになったらまた左の方を消してそこに書いていく, そんな作業が続きます. 消すときには白墨の粉が飛び散って, どうしてもそれをいくらか吸い込んでしまいます. 肺の中には, 長年の間に白墨の粉がずいぶん積もってることでしょう.
教材のプリントをつくるにも, ワープロでは複雑な数式がきれいに組めないので, TeXという組版ソフトを使っています. ワープロより使いこなすのがむずかしいかわりに 複雑な数式も自由自在に組版できます. ご存知の方も多いと思いますが, テックスでなくてテフとかテックとか読みます. 数学者の間にはかなり普及していて, 論文でも教材でもTeXで書く人が多くなりました. しかし, 私の世代では使っている人は少ないと思われます.
数学の教師だけの人知れぬ(?)苦労を知っていただきたくて これを書いています. ほかの科目の先生や講義を聴いてる人はこういうことをどれほど察して下さっているのでしょうか.
1999/07/09版組み 日記を読んで下さってるみなさま, 感謝してます. メール下さった方々, ありがとうございます. ちょっと模様替えです. 行の長さを画面表示の幅の2/3にして, 左右両側に1/6ずつのあきを設けました.
1024ピクセル幅のディスプレーを使っている私は気づかなかったのですが, 行の長さを640ピクセルに設定していたところ, 画面幅を超えてしまって横スクロールしないと読めないとのお便りがありました.
行の長さが長いと読みづらいというのは活版印刷に関して昔から知られていて, 二段組なども行を短くして読みやすくする工夫の一つです. しかし, HTMLでは活版印刷と同じには扱えない問題があるのですね.
読んで下さる方のディスプレーの解像度やブラウザの種類がいろいろで, どれにも対応できるように設定するのは, 活版の組版とはまたちがう技術です. そういう技術を少しずつでも身につけようと思ってます.
六十の手習いとか, 思えばTeXもHTMLもかなりの年齢になってから学びました. いくつになっても新しいものを身につけ得る気持ちを持ち続けたいと思っています.
1999/07/10さつきばれ さつき晴れの日が幾日か続きました. 心地よいそよ風が吹いています. きのうに続いて季節感の話ですが, テレビやラジオではこんな天気を「さつき晴れ」といわず, 新暦五月の上旬あたりに晴れた日を「さつき晴れ」といってます.
辞書をひいてみました. 「さつきばれ」の説明はつぎのとおりです.
梅雨の間の晴れた天気。つゆ晴れ。また、梅雨のあがったあとの晴天。
▽太陽暦五月の晴天にも使う。
--- 岩波国語辞典第四版 (西尾・岩淵・水谷, 岩波, 1986).
(1) さみだれの晴れ間。梅雨の晴れ間。
(2) 五月の空の晴れわたること。
--- 広辞苑第四版 CD-ROM (新村, 岩波, 1995).
(1) さみだれの晴れ間。
(2) 五月の、さわやかにはれわたった・天気 (空)。
--- 学研国語大辞典 (金田一・池田, 学研, 1978).
誤用と思っていた(2)の意味もすでに辞典で認められていました. しかし, それがいつごろからのことなのか, 記述がありません.
1970年代からテレビのニュースなどで耳にするようになったと思うのですが, もっと前から使われていたものなのでしょうか. 雨の降り続く時季にたまに晴れ上がり, 高い位置から太陽がじりじりと照りつけ, 稲がすくすくと育っていく, そんな季節感を失いたくないものです.
1999/07/11雨 しばらく降らなかったのですが, きのうの夕方から雨になり, 朝は激しく音を立てて降っていました. まもなくやんで青空がちょっと見えたりしましたけれど, また降り出して, ときどき雨粒が激しくたたきつけます.
きのうまでのさわやかな天気とちがって, 暑くはないものの湿度が高くなりました. こんな日は頭が働かず能率が上がりませんけれど, 前から取り組んでいる問題について考えてみたり, 学生の出したレポートを少しずつ読んだり, 仕事しています.
一日ごとに標題をつけることにしました. 日記を始めるときから, 日々の標題をつけるかどうか迷ってました. 標題を考えるのがめんどうなときもあろうという理由で, 標題なしで発足してみたのですが, やはりあった方がよさそうです. 発足時にさかのぼって標題をつけました.
1999/07/12学期終わり 前期の講義を終えました. 最終回に向けて集中してきたせいか疲れました. これからレポートの採点です. 学生たちが何を知り何を感じ何を考えてくれたのか, それを見るのは楽しみでもありますが一抹の不安もあります. 伝えたかったことが果たして期待どおりに伝わったのか, 気になります.
ほんの百何十年か前まで世界中でいちばん数学の好きな民族であったのに, そういう文化的伝統はすっかり忘れ去られてしまって, 数学は学校で教えられるから仕方なく学ぶという人が多くなりました. しかも, 数学についても, 日本はただ欧米から受け入れているだけだという思いこみが少なくありません. 講義してきて, 誇るべき伝統にいくらかでも気づいてもらえたような気がします.
1999/07/13また雨 雨です. ときおり激しく降ります. 家の傍らの坂道を雨水が洗い流しています. 心の中まで洗い流されたい思いで, 窓から眺めています. 桑の葉が雨滴に打たれてゆれながらも生き生きとしています. ムクゲも花水木も濡れています. ナンテンの葉に滴が光っています.
歯医者さんへ行ってきました. このあいだから火曜日に通っています. 来週がなぜか休日なので, 次回は二週後になります.
明日は雨が降らなければ古紙回収日です. しかし, この天気では 古紙を分類して縛っておいても, 回収車は来ないでしょう.
1999/07/14待ちぼうけ 待った, 待った. 朝から待った. 一日中待った. ♪兎ぶつかれ木の根っこ. 来ない, 来ない. 夕方になっても来ない. 兎・・・じゃなかった.
温水器の検査に来るはずだった. 深夜電力電気温水器の検査に行くと 連絡があって, その日は二人とも外出の予定だったので, 日を変えてもらった. こちらの都合で変更してもらったのだから, 時刻の指定のできないのはまあ仕方ないだろうと思う. 何時に来るかわからないけれど, 検査がすんだら買い物に出るつもりで, 朝から待っていた. なるべく早く来てくれることを願いながら.
18時過ぎまで待ったけれど来ない. 入浴中に来られるとちょっといやだなあと思いながら風呂に入った. 19時になった. 来ないし, 連絡もない. 買い物にはちょっと遅すぎるので, 買い物はやむなく明日に繰り延べ.
1999/07/16日々のこと きのうは日記を休んでしまいました. そのことで, 大変ご心配下さった方もあります. すみません. 毎日読んで, 気にかけて下さっていることに心から感謝します. ともかく, 私は無事です.
ちょっと疲れていた上にネタもなくて, 文章が頭に浮かびませんでいた.
ネタ切れを題にして書いてしまう力のある方にはとてもかないません.
これからもときどき日記が 書ける 欠けるかも知れませんが,
どうぞお許し下さい. 毎日何か書くというのは続けられそうもないです.
田舎の父母にもなるべく毎日便りを出したいと思いながらも, 一日おきほどになってしまいます. はがき一枚を書こうと思って, 書くことが何も浮かんでこない, そんな日があります. ネタはあるのにそれが文章にならない, 疲れたときはそんな状態にもなります. 思えば, 小学校のときから作文は苦手でした.
先日からおなかを壊していたつれあいがかなり回復してきました. 昨日は, とりあえず必要な食べ物などを買うために, 夕方になって二人で出かけました. 陽の落ちて薄暗くなり始めたころ, 夏雲の峰だけが黄金色に輝いていました. それでも梅雨はまだ明けてないそうです.
1999/07/17採点 採点してます. 前期 (一学期) のレポートです. 学生たちは前期の授業が終われば夏休みですけれど, 教師にとっては今が忙しいとき. 目が疲れ, 肩が凝ります. 肩こりが頭にひびいて, 文章がまとまりません. つらいです.
なるべく個性を発揮してほしいと考えて, レポートのテーマは自由にしました. 講義の内容に関連することなら何でもよいということです. 一人一人の問題意識の違いなども読みとれて, 楽しくもありますが, 多様なレポートをくらべて点を付けるのは気疲れする作業でもあります.
試験にして, 同じ問題で, 一人一枚の答案用紙に答を書かせたら, 採点はもっと楽に出来ただろうと思います. レポートだと, 一人あたり数枚から数十枚にもなります. 読んでると目が疲れてきます. しかし, 公式を当てはめて計算する術だという 数学に対する間違った思いこみを打ち破るためにも, 自ら問題を見つけて調べたり考えたりさせたくて, 自由課題のレポートにしました.
1999/07/18入れ直し Windowsを再インストールすることにしました. ネットにつないでる方のではなく, もっぱらオフラインで使っている98 Mate NXです. 以前からときどき思いがけぬときにソフトが異常終了してしまうことなどがあって, 気にしてましたが, ついにTeX for Windowsが動かなくなりました. TeXの再インストールをまず試みたのですが, 途中で止まってうんともすんとも言わなくなります. TeXが使えなくては仕事になりません. 教材を作るのも, 研究ノートも, 手紙を書くのも, すべてTeXに頼ってます.
そういうわけでWindowsの再インストールを決心したのですが, なかなかやっかいな作業です. 使ってるソフトの設定の現状を記録し, SCSIボードなどを取り外し, Windowsを入れ直したらふたたびSCSIの設定やら アプリケーションソフトのインストールやらなにやら, 一からやらなければなりません. 今夜は何時まで作業が続くか見込みが立ちません.
1999/07/20海の日 訂正があります.
祝日だそうだ. なぜ, 祝わなくてはならないのだろう.
何の日であれ休日に恵まれればきびしい仕事から解放される,
そのことを素直に喜んでいる人もあろう.
休暇の取りにくい職場で, 休日でもない限り堂々と休めない,
そんな労働環境で働いている人には, うれしい祝日であろう.
しかし, なぜ海の日を祝わなくてはならないのだろう.
なるほど海国日本, まわりを海に囲まれていて, 人々の暮らしは海とかかわりが深い. しかし, 海軍記念日を祝わなくてはならないのだろうか. イワシの群を追ったりカツオを釣ったりする海ではない. ワカメを摘んだりハマグリを獲ったりする海ではない. 泳いだり波乗りを楽しんだりする海ではない. もぐって色とりどりの魚の群や珊瑚を眺めたりする海ではない. 紀州みかんを積んだ船が帆をいっぱいに揚げて江戸へ向かう海ではない. 戦場としての海である. 戦艦の巨砲が火を噴き, 上空を艦載機が飛び, 水面下からは潜水艦が魚雷を発射する, そういう海である.
世界最強の軍艦をもちながら, 日本は連合国に破れた. アメリカとの戦で多くの人命が失われた. 海に消えていった人々のことを思うと, 大日本帝国海軍のためにきょうの日を祝う気持ちにはなれない. 1945年に海軍に徴兵された父は, 幸い生きて帰って来た. それでも, 私は海軍記念日を祝いたいとは思わない.
1999/07/21うますぎる話 うますぎる話には用心しなくてはいけません. 努力しないで金持ちになれる方法を教えますなんて話はいかがわしい, そういう警告だと思いませんでしたか, 標題を見て. きょうの話はちがうんです. 数理論理学を研究するときの話です.
研究者として数学の問題を解くのは, 試験問題を解くのとはちがいます. 誰もまだ正解を知らない問題です. 出題者が採点してくれるわけじゃありません. 正解かどうか, できるだけ自分で検証しなくちゃなりません. その問題に関心ありそうな人に批評してもらったり意見を聞いたりと いうこともありますけれど, 自分の答をまず自分で確かめてみます. どうやって確かめるかというと, 決まった方法などあるわけがありません. どこか間違ってないか, 落ち着いて読み返してみるのはもちろんです. そのほかに, 問題ごとにあれこれ工夫して, 答が正しいかどうか調べます.
うますぎる話には用心しましょう. そういう感覚を磨いておくことがここで役に立つのです. これは数学の中でも数理論理学 (mathematical logic) という分野の話です. 他の分野ではどうなのか知りません. ○○問題のすべて解ける解法とか, ××の計算できる公式とか, そういううまいものはあり得ないという感覚を磨いておくのです.
数学の勉強というと公式や解法をたくさん暗記して, 問題を見たらどの公式が当てはめられるか反射的に思い出す, そんなものだと思いこんでいる人が多いんじゃないでしょうか. 近ごろの受験勉強はそんな傾向が感じられます. 数学者も公式をいっぱい見つけるのが仕事だろうなんて思われたりします. 公式で解けない問題って考えてみたことありますか? 二次方程式の根の公式はご存知でしょう. 三次方程式と四次方程式にも同じような公式があります. しかし, 五次方程式には公式がありません. もう少し正確に言うと, 二次方程式の根の公式と同じように, 係数から加減乗除と累乗根の計算だけを組み合わせて根を表す公式です. そういう公式は絶対に作りえないことが証明されています.
円周の長さは(半径)×(円周率)×2ですね. 楕円 (だえん) の場合はどうでしょう. 楕円の周の長さを求める公式は, 同じような形では作れません. 楕円積分というものを使えば計算できるのですけれど, この楕円積分というのがまたやっかいなもので, 三角函数や指数函数や対数函数などを組み合わせて計算することのできないものです.
自然数について足し算の計算の仕方は誰でも知ってます. つまり x+y は計算で答が出ます. 掛け算 x×y も累乗 xy も計算すれば答が出ます. ところが, 自然数の函数でありながら計算不可能なものが知られてます. f(0), f(1), f(2), f(3), f(4), f(5), . . . とおのおの値が決まっているにもかかわらず, 自然数aが与えられたらf(a)をこういうふうに計算して求めるという方法のない, そんな函数f(x)があります. 計算法がまだ見つかってないのではなく, 計算法のあり得ないことが証明されているのです.
コンピューターのプログラミングの例をあげましょう. プログラムの間違いが原因で, いつまでも止まらなくなっちゃうことがあります. 必ず止まるかどうかあらかじめチェックできないでしょうか. 「停止問題」という有名な問題です. 結果は, プログラムが止まるかどうか検査するプログラムは作り得ないという, まさにうますぎる話はあり得ないということなのです. プログラムが必ず止まるかどうか判定する方法のないことが証明されています.
こんなのをあれこれ知ってそういうものに対する感覚を磨いておくと, 何か答えらしきものが出てきたときに 「ちょっと待てよ. それは話がうますぎるんじゃない?」と疑問がわいて, どこか間違ってないか点検する手がかりになったりします. ところで, ねずみ講や霊感商法や怪しい内職紹介などには用心しましょう. あ, そういう話じゃなかったですよね.
1999/07/22夏休み 西日本各地で梅雨が明けたそうです. 関東の梅雨明けも近いことと思います. 湿度の高いつらさから解放されそうです. 昨日も今日もところによって激しい豪雨とのこと, 被害のないことを祈っています.
梅雨明けというと話題になるのは夏休みでしょうか.
私には夏休みという実感がわきません.
学校に行ってる ガキ 子どもはいないし,
大学が夏休みに入って授業はなくても前期のレポートの採点にまだまだ忙しく,
解放されるのはまだ先のことです.
研究会に備えてまとめておかなくてはならない仕事もあります.
研究に休みなどそもそもないので,
「休もう!」という強い意志を持たぬ限り休めないわけです.
常勤だったときとくらべると,
入学試験関係の仕事から解放されて,
そのことだけは夏に休める幸せが感じられます.
つれあいには夏休みらしいことへの期待もあるようです. 私を休ませたい気持ちもあるようです. つれあいにせがまれて, 昨日は日帰りツアーに行って来ました. ついて行った (?) 私よりも, 行こうと言い出したつれあいの方が疲れたみたいです. 楽しめましたけど, どこへ行って何を見てきたのか, 事情が許せばいつかそれを書きます. このページを親族などの誰かが見てないとも限りません. 老人ホームに入ってる親を見舞いに行かずに旅行に行くとは何ごとかと 誰かが怒鳴り込んでくることもないとは言い切れません. 親のめんどうを見るのはすべて長男夫婦のつとめだという考えが根強いですから. パソコンのソフトの入れ直し作業はそういうわけで昨日はお休み. Windowsはおかげさまで順調に動いてます. アプリケーションソフトの一つ一つについて, 入れ直したりあれこれ設定したり, そういう作業が思いのほか手間取るものです. その問題点をまたいつか書くつもりです.
1999/07/24暑い日 暑い. いままで除湿にしていたエアコンを冷房に切り替えました. 二階は窓を開けておくと風が吹き抜けていくのですが, 一階は冷房に頼ってます. 涼しく感ずるほどではなく, あまり暑くないというほどの弱い冷房にしてます. 暑くてたまらなくなると冷たいシャワーを浴びたりします.
アッシー君しました. 連れあいを助手席に乗せて自動車でお出かけ. 雑貨や薬や食料品を買って, ついでに昼食もファミレスですませました. 半人前の男と半人前の女も, 夫婦として助け合えばこの世で何とか一人前に暮らしていけるものだ, などとあらためて感じたりしてます.
話は変わって, Windowsの再インストールのことですが, Windowsはほぼ順調に動いていて, アプリケーションソフトの再インストールもほぼ終わりました. アプリを入れる毎に契約のためのべらぼうな桁数の数字を打ち込まされたり, 思いのほか手間取るものです. おのおののアプリの細かな設定について, もとと同じにするまでにまだまだ手間ひまかかりそうです.
1999/07/26江戸の心 「みなさん。暑い、暑いと言う前に夏を楽しみましょう。」と, THE ROCKのK.M@69さんが 花火のサイトhttp://www.japan-fireworks.com/を紹介して下さいました. ほんとにそうですね. 暑いなら暑いなりに, 季節を楽しみたいものです.
日本の花火は江戸時代からの伝統で, 世界最高の技術です. 花火の美しさは日本の誇りです. 日本人はおもしろいですね. 鉄砲や火薬が伝来すると当時の日本人は早速その技術を身につけ, 鉄砲の大量生産で世界のトップに立ちながら, 平和な江戸時代に入ると鉄砲よりも花火の改良に熱中し, 「玉屋!」, 「鍵屋!」と美しさを競い合っていました. 西洋人が火器の改良につとめているときに, 鉄砲は先込め式の火縄銃のまま, 火薬の利用といえばまず花火だったのです.
江戸時代の人のそういう遊び心が好きです. あくせくせず, とにかく楽しいものや美しいものを求めていた人々が好きです. たとえば, キャベツが伝来すると品種改良してハボタンを作ってしまう, それが江戸時代の心です. 階級などに縛られた封建制の時代の中でも, 人々の心にゆとりがありました. 高等数学さえも道楽にしてしまう, そんな民族はほかに例がありません. 学者でない名もない人々が, ただ楽しみだけのために難しい積分の計算などしていた, そんな時代の心を取り戻したいものです.
1999/07/27歯 歯医者さんに行って来ました. 古い虫歯の歯冠が取れてしまって, 先月からかよっているのですが, その歯の治療はほぼ終わり. ほかにも治療を要するところがあり, この際すべて診てもらうつもりです. インフォームドコンセントというのでしょうか, どこが悪くてどういう治療をするか, 歯医者さんは丁寧に説明してくれます.
症状や可能な治療法をよく説明して患者の納得を得て治療するというのは 好ましい傾向です. しかし, インフォームドコンセントという言葉は何とかならないものでしょうか. 日本の医療界になかった外来の考えだとしても, 日本語で的確に言い表せないものでしょうか. コンセントというと電源プラグを差し込む受け口を思い浮かべてしまう私は, 時代遅れな人間なのでしょうか.
1999/07/29暑い きびしい暑さに負けてしまったのか, ちょっと体調がすぐれません. きのうは炎天下をやや遠くまでアッシー君. 同じ店に二度つづけて行くのをつれあいはいやがるので, 買い物の行き先をつぎつぎと変えます. おかげで行動範囲は広くなりました.
以前は地理に弱かったつれあいが, 近頃は助手席で地図を見てナビゲーションしてくれます. 年をとってからでも地図を読む能力は身につくものですね. 話は変わりますが, 昨夜は丸い地球の影がお月様に映ってました.
1999/07/30机の上 机の上をいつもきれいに片づけている人と, いっぱいに物を置いてる人といます. 私は日ごろ使う物が机いっぱいに散らかってます. パソコンの中も同じで, 私の場合, Windowsのデスクトップにソフトやデータの入ったフォルダーを いっぱい並べてます. 左下隅の「スタート」の窓印ボタンをめったに使いません. Windowsの再インストールのあと, デスクトップをようやく元の状態に復元して, 使いやすくなりました. なお, 壁紙は使っていません. いま使ってるスクリーンセーバーは「花見」です. みなさんはデスクトップをどうしてますか?
1999/07/31月末 早いもので, 七月も末になりました. 恐怖の大王が降りてくるとかいう「七の月」は, ユリウス暦なのか現行のグレゴリオ暦なのか, また七月なのか九月なのか, 諸説あるようですけれど, ともかく今年の七月が無事に終わりそうです.
明日からいよいよ八月. 暑い盛りですが研究会などがあります. 一学期のレポートの採点もまだ終わってなくて, ちょっとあせってます. 前から書かなくちゃいけないと思ってた手紙をようやく書いたり, ちょっと資料を整理したりしてます. 仕事もあれこれありますけど, 母を見舞いに行きたいと思ってます. 退職したらもっとひまができるかと予想してたのですが, 入学試験関係の職務からは解放されたものの, あいかわらずあくせくしてて, 夏休みという気分になりません.
ところで, この日記のファイル形式を変えようと思ってます. いまの方式ではファイルが日々大きくなってしまうので, 当日の日記とバックナンバーとを切り離そうかと考えてます.
1999/08/01八月 八月ですね. 木の葉のそよぐ音にも雲の形にも真夏を感じます. 乾いた風が吹いていて, 気温の高い割には過ごしやすい日です. 明日は日記を休みます. たぶん, あさっても休みます. メールや掲示板にも, 3日の晩か4日までお返事できません. あしからず. 明日と明後日は共同研究です. 認識の論理とくに共有知識の問題について集中的に討論します. 暑い時期ですけれど, 大学の先生たちには授業のないいまが集まりやすいときです. ちょっと準備が遅れていて, 宿題の間に合わない小学生みたいな気分です.
1999/08/04共同研究 筑波大学へ行って来ました. 三日の夕方まで, 共通知識の問題について討論してきました. 集中力を絶やさずに議論して疲れましたけれども, 成果がありました. 何がどこまでわかっていて, 解明すべき問題は何なのか, あきらかにできました. 私たちの扱っている問題がどれほど難しいものであるかと いうことを見積もる手がかりも得られました. エアコンがあまり効いてなくて暑く, 討論を終えるころにはぐったりしました. それでも, 学問的に意義のある仕事の出来た充実感を味わって帰って来ました.
帰り道は高速道路の二ヶ所で事故による渋滞があり, 家に帰り着いたのは案外遅くになってしまいました. 昨夜はよく眠りました. 今日は, 討論したときのメモを整理したりしています.
1999/08/05夏ばて? 暑いです. エアコンは除湿にしていることが多いのだけれど, この数日は冷房にしてます. 冷やしすぎは健康によくないので, 控えめにして, ちょっと汗ばむ程度の室温にしてます. それでも, エアコンのない部屋とくらべると快適です. しかし, 暑さにやられたのか, 食欲もなく, 頭痛がして, 今日は仕事がはかどりません. 頭がめぐらないので, 日記もこれだけにします.
1999/08/06原爆の日 広島に原爆が落とされた日です. 五十四年目になりました. 新聞に記事の出たのは, 「広島に新型爆弾」という見出しで, 翌日の七日だったと思います. 被害が大きいということはある程度書いてあったと思いますが, あのような惨状は想像もつきませんでした. 新型爆弾というのはそれまでにも目にした言葉で, とくに驚きませんでした. しばらく後になって「原子爆弾」という言葉を見かけたように思いますけれど, それがどんなものなのか見当もつきませんでしたし, 放射能のことなども全く知識がありませんでした. そのとき私は十歳でした. 父は出征していて, 母と私と妹の三人が信州の田舎の家で暮らしていました. 食べるものも乏しい, 苦しい時代でした. 内陸の信州でさえもときどき警報が発令されて灯火管制になりましたけれども, 敵機を見かけることはあっても空襲を受けることはありませんでした. あちこちの都市が空襲されたことはラジオや新聞で報道されていました.
広島と長崎が原爆で壊滅的な被害を受け, 一瞬のうちに多くの命が焼き尽くされ, 生き延びた人も熱線と放射線で地獄の苦しみを受けていたことを知ったのは, 敗戦後かなり経ってからのことだったと思います. 日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏して太平洋戦争が終わった その後に生まれながら放射能障害に苦しんでいる人のことを知ったのは もっと後のことだったと思います. 降伏文書に調印して停戦したはずなのに, アメリカは理不尽にも放射線による非人道的な攻撃をつづけていたのです.
核兵器という残忍な兵器を世の中からなくすために, 人類史上初めて核兵器が使われた当時のことを考えてみる必要があります. 逆説的ですけど「非核三原則」とか「唯一の被爆国」とかいうのをいったんやめて, 五十四年前に立ち返って考え直してみることが必要でしょう. 日本がなぜ戦争を始めたのか, アメリカがなぜ原爆を使ったのか, 歴史の流れの中で考えてみなければなりません.
アメリカには有色人種に対する差別意識のあったことを 歴史家に解明してほしいと思います. 「ジャップに放射線を浴びせてみよう」などと腹の中で思っていたとしても そんなことは決して文字に書き残しはしないから, 証拠を見つけることはたいへん難しいと思います. それでも, アメリカ人はどういう考え方をしているのか知っておくことが必要です. 世界の平和のために私たちが何をしたらよいのか, 考えてみましょう.
1999/08/07週末 相変わらずです. 体調は回復して, 前期レポートの採点の調整をしたり, 共通知識の理論について研究したりしています. 週末といっても平日とちがうという気分があまりありません. 学問を仕事にしていると, 17時になったら仕事が終わるとか, 土曜・日曜には仕事から解放されるとか, そういうことができないのです.
定年後は研究で収入を得ているわけではないので, 研究を「仕事」というのはふさわしくないのかもしれません. 定年退職したら学問から手を引いてしまうという教授もいます. しかし, 私は研究者としてまだまだ現役です. 収入にもならない研究をなぜつづけているかというと, 学界や共同研究者に対する社会的責任もありますけれど, ものを知りたいという欲求が正直な動機です.
退職してからも相変わらず忙しくて, ひまになった気がしません. 研究をつづけていることが, ひまのできないおもな原因でしょう. 家事を分担する割合も, 定年後はちょっと増えています. 退屈することのないのは幸せと思うべきことなのでしょう.
1999/08/08立秋 皆さま, 残暑お見舞い申し上げます. 早いもので, 暦の上ではもう秋. いまからは「暑中見舞い」でなく「残暑見舞い」ということになってます. でも, 暑さの盛りで, まだ「残りの」暑さという感じがしません. エアコンの利いてない部屋にいると, ただ座ってるだけで汗が流れます. 青い空に真っ白な入道雲がむくむくと盛り上がっています. 秋らしさの感じられる日まで, 夏負けしないように 皆さまそれぞれの夏をお過ごし下さい.
1999/08/09長崎 長崎に原子爆弾の落とされた日です. 多くの方が亡くなられ, 半世紀を経たいまも放射能障害に苦しめられている方たちがいます. 終戦を早めて人命を救ったなどという詭弁を許してはならないでしょう. 日本軍が行った虐殺や捕虜虐待によって 米軍の残虐な行為が帳消しになるわけではありません. 日本の非人道的な行為を認めて反省した上で, アメリカの非道を徹底的に糾弾すべきでしょう.
戦争について反省したいこの日に, 日の丸・君が代を国旗・国歌として強制する法律が成立してしまいました. 中国と戦争を起こしやがて米英との戦争に入っていくあの時代に似てきました. 戦争でどれだけ人々が悲しんだか, 忘れてしまったのでしょうか.
1999/08/11秋 暑さは相変わらずきびしいのですが, さすがに立秋過ぎ, 空の青さに深みが増してきました. 暑さに耐えなければならない日々もあと少しだけでしょう.
今日はヨーロッパで今世紀最後の皆既日食だそうです. 恐怖の大王とやらは, もしや, この日食のことだったのでしょうかね. 日食といえば, 初めて見た記憶のあるのは1942(昭和17)年だったと思います. 信州では部分食でしたけれど, 北海道の釧路で皆既食になったそうです.
恐怖の大王といえば, いまの内閣は戦後の内閣の中でいちばん恐いかも 知れないですね. 選挙で公約しなかったこと, 意見の分かれていること, 議論を尽くしてないこと, そういうことをそそくさと成立させています.
きのうは歯医者さんに行って来ました. 古い歯冠の取れてしまった六月から, この機会に悪いところはすべて診てもらうつもりでかよい続けています. 三十年あまり前から気になっていた小さい穴も治療してもらいました. 歯を長く大切にしていきたいと思っています.
1999/08/14雷 一昨日は疲れて日記をお休み. 昨日は書くつもりでしたけれども, 午後から頭が痛くなった上に激しい雷雨でパソコンを止めていたのでお休み. きのうの雷は急に近づいてきました. ぴかっと光るのと同時にダーンと音がして, 電気が消えました. 停電かと思ったら, 向かいの家の電灯はともってます. うちのブレーカーが落ちてました. 誘導雷ですね. 急なことで, 電源プラグをコンセントから抜いてなかったのですが, 幸いにパソコンもTAもオーディオ機器も無事でした. 今日は雷はないものの朝から雨が激しく, 風も強まってきました. 家で相変わらず仕事しています. 世の中はお盆休み. この時期にこそ, 田舎の年老いた両親を見舞いに行くべきだとの考えが一般的でしょう. しかし, 私の場合は勤務に拘束されてるわけでもないので, 電車も道路も混雑しているいまを避けて, お盆休みの終わるころに親を訪ねようと思っています. 親類たちからの非難は覚悟しています.
国会では, 国旗・国歌法に続いて盗聴法 (通信傍受法) と 住民基本台帳法 (総背番号制) が成立してしまいました. それでも内閣の支持率は下がっていないとか, 有権者の多くは問題を意識してないのでしょうか. 知らず知らずのうちに日本が危ない国になっていくのを恐れます.
日記の形式を変えました. いままでの形式では日に日にファイルが大きくなって重くなってしまうので, 最新の一日だけを独立させました. 過去の日記は一年一ファイルで, ファイル名は1999年なら1999.html, アンカーはいままでどおり <a name="19990701"> の形式です. 過去の日記は日付逆順から日付順に変えました.
1999/08/15敗戦の日 聴き取りにくい放送でした. 正午に重大な放送があるので必ず聴くようにと事前に知らされてました. 54年前のことです. 当時のラジオは性能がよくない上に, 録音も悪いのか, 聞こえてくるのは雑音に埋もれがちな不明瞭な声でした. 言葉遣いもなにやら難しくて, 何を言ってるのかよくわからなかったのですが, 「戦争が終わるんだよ」と母が言いました. 父は海軍に召集されていて, 信州の家にいたのは母と私と妹との三人だけでした. 日々が恐ろしく, ひもじく, 心細く, 安らぎのない暮らしでした. 玉音放送で, 何がなんだかよくわからぬままにも, ほっと安心しました. 父が帰ってくるという期待と, 今夜から灯火管制がないという安心感. 幾日か前には「ポツダム宣言を黙殺する」という政府発表があったと思います. 戦争はまだまだ続くと思ってました. 本土決戦があるものと恐れていました. その戦争がともかく終わったということで, 安心しました. それから幾日後のことだったか, 幸いに 父は生きて帰って来ました.
いま, 平和を何となく当たり前と感じている人も多いのでしょう. 気づかぬうちに平和は失われていきます. 平和を守る努力を絶え間なく続けていかない限り, 平和は保てないものです. 飢えと恐怖と悲しみと不安との日々を繰り返さぬようにしましょう.
1999/08/17暑い 歯医者さんにいってきました. 予約の時間が早くて, けさは早起き. そのために昨夜は早めに寝ました. ビールがまわって日記が書けず, ちょっとネットにつないで掲示板を見て回って, 自分の掲示板に返事を書き込んだりしているうちに眠くなってきました.
きのうも今日も暑いです. しかも今日は風がなくて, じっとしてるだけで 汗が流れます. 仕事に一区切りついたところですが, 暑さに負けました. なんだか疲れてます. すねが痙攣したのも, 滅多にないことなのですが, 疲れているせいなのでしょう. 休暇を取ったつもりになって, 明日はちょっと怠けようかなと思ってます. みなさんより一足遅れてお盆休み.
丹沢の水難の捜索に当たってる方々, 台風なみの豪雨に備えてる各地の方々, ご心労をお察しします. そのほかにも, 休み返上で働いてる方々があるでしょう. そういう一人一人のことを思うと, 休むのも何か申し訳ない気分になります.
1999/08/18水難 神奈川県の玄倉川でキャンプしていた人たちが流される悲しい事故がありました.
救助しようとする人の目の前で濁流にのまれていく衝撃的な映像が放送され,
その影響もあるのでしょう. 遭難者の中に幼い子供もいました.
ネット上で, 終戦の日に関することよりも
この水難事故の方が話題になってるように思われます.
この「水のほとり」の掲示板にも,
キャンプ客の水難事故に関して多くのご意見をいただきました.
いずれ整理して私なりの考えをまとめるつもりですが, とりあえず
ご意見を分類してみますとおおむねつぎのようになります.
(1) 自然の恐ろしさに対する無知の問題.
(2) 子の安全を守る親の責任の問題.
(3) 救助や捜索に携わった消防・警察・自衛隊に対する批判の問題など.
(4) ネット上でこういう事件を論ずることの適否, 議論のあり方の問題.
これらの問題が絡み合って議論されて,
かなりややこしくなっているように感じられました.
私のサイトも, 安らぎを感じてほしくて「水のほとり」と命名したわけですが, 水のほとりは安らぎの得られる所であると同時に危険な所でもあります. 山間の川の急な増水の恐ろしさを知っておきたいと思います.
1999/08/19貧乏ひまなし 相変わらず暑い日です. きのうとちがうのは風の吹いていることです. 今日も夕立はありません. 西日本では大雨が降って, 所によって警報が出ています. 被害のないことを祈ります. 玄倉川下流の丹沢湖では捜索が続けられています. トルコでは大地震がありました. プルトニウムを大量に積んだ土星探査機は, 幸い軌道制御に成功して, 地球に落ちることなく土星へ向かって行きました.
今日は一日のんびりと休むつもりでいたのですけれど, たまっていた雑用を片づけたり, 研究集会での発表の準備をしたり, 何となく忙しく過ごしてしまいました. 何もせずにじっとしていると罪悪感におそわれるのは, 身についた悲しい貧乏性でしょうか. どうも私はほんとうに休むことのできない質のようです.
1999/08/21一目惚れ 一目惚れというのはもともと恋愛についていう言葉ですけれど, 仕事や勉強の力に関しても「一目惚れ」があるものです. 一目見た瞬間に「あ, できるな」と直感することがあります. 面接で, 顔を合わせた刹那にわかってしまう, しかしその印象は胸に納めたまま, 直感の裏づけを取る気持ちで型どおりの質問をすることもあります.
ある年ある大学である科目の講義を担当したときのこと. 第一回の講義で教壇に立ち, 教室を見回したとき, 何十人かの学生の中の一人に「いい目をしてるな」という印象を受けました. 何かを学ぼうとする意欲が, そのまなざしの奥に潜んでいました. ほかの学生と比べてかなり年輩に見えました. いったん職に就いていたとか, 別の大学が学部を出てから入り直したとか, 何かあるのだろうと思いました. とにかく, この学生はよく勉強していい成績を取ってくれるにちがいない と予感しました.
講義を始めてみると, その学生は生き生きとした表情で私の話を聴いています. ただ聴いているだけでなく, 積極的に質問してきました. ほかの学生たちに対しても, いい刺激になるだろうと思いました. さて, 学期末. その学生は, 独自の視点でまとめたレポートを書いて, 期待を裏切らぬ成績を取ってくれました. うれしいことです.
すぐれた学生がつねに第一印象で見抜けるわけではありません. しかし, こういう「一目惚れ」は何回か経験しています. 反対に勉強のできない学生も見た瞬間にわかるときもありますけれども, あまり印象に残らないものです. 初対面の印象で仕事や学問のできるかどうかがわかってしまうのは おもしろいことでもあり, 恐ろしいことでもあります. 教壇に立ったとたんに, 学生が私の指導力を見抜いてるかも知れません.
1999/08/22一週間 敗戦の日から一週間経ちました. たまたま玄倉川の水難事故があり, マスコミもネットも話題はその事故のことに傾きがちです. 戦争はもっともっと悲惨だったのに, 過去のこととして忘れられていくのでしょうか. テレビカメラの見てる前で人々が玄倉川の濁流にのまれていく映像は 衝撃的でした. 何とか救えなかったのかともどかしく感じたことでしょう. それでも, 半世紀あまり前のことを忘れてはいけないでしょう. 人が亡くなるのを私は直接に目撃したことはありません. 話に聴いたり本で読んだり写真やニュース映画で見たりしただけです. たとえば原爆の熱線で焼かれた人々, 半死半生の負傷者を目にしながらなすすべのなかった人々, そういう人たちのことを忘れまいと思っています.
戦争についてつぎの世代へ伝えていくことの大切さは 多くの人が認めてます. しかしその戦争がどんなものであったか, 人によって見方が違うでしょう. 戦争をどう見るかどう伝えていくか, その議論も必要だと思います. 東京大空襲・広島・長崎だけでは偏ってないでしょうか.
1999/08/23処暑 融けそうに暑いです. 今日は処暑, 暑さのおさまるときという意味だそうです. 風の吹いてるのがありがたいです. 凪だったらもっとつらい. エアコンのある部屋は28度, その隣の部屋にもいくらか冷気が流れてきます.
いま作ってる理論について, こんな定理がなりたつだろう, 証明はこんな風にすれば出来るだろう, などと予想してやってみてます. ところが, 生やさしくない. 予想どおりに進まない. いくつもの場合のうち一つだけうまくいかないのがあったり, 苦労してます. 暑さのせいか歳のせいかただ努力の足りないせいか, 見当つけたやり方で証明しようとすると, どこかつじつまが合わなかったり 手法の当てはまらない場合があったり, 難しいものです.
数学で独創的な研究の出来るのは三十歳代までとかいう風説があります. しかし私はまだまだ現役. 頭が衰えてきたかなあと感ずるときはあっても, 学問への未練が断ち切れません. 学界から足を洗う気にはなりません. 目は確かに衰えてます. 頭もたぶん衰えてます. しかし新しいことを考えたいという意欲はまったく衰えていません.
1999/08/24夕立 激しい夕立がありました. おかげで涼しくなりました. 道路も洗い流されてきれいになりました. しおれかけていた草も水を得て生き生きとしました. 心まで洗い清めてくれるような夕立でした.
1999/08/26父母訪問 きのう25日, 久しぶりに父母に会ってきました. 茨城県の老人ホームで, 父はケアハウス (軽費老人ホーム), 母は特養に入所しています. 父は91歳の高齢の割には元気ですが, 93歳の母は目も足腰も衰えました. 両手で手すりにつかまって車椅子から立ち上がるのが精一杯で, 歩くことはほとんど出来ず, 車椅子からベッドへ移すにも手助けが要ります. 薬の副作用で, 幻覚が少しあります. それでも, ぼけもせず苦しみもせず生きていてくれるのは幸いです. 明治の末から, 日米戦争など激動の世紀を生き抜いてきたことを思うと, 晩年は楽しく生きてほしいと願わずにはいられません. 景色もよく見えず, 人の顔も表情がわからないというのは悲しいことです. それでも私が訪ねて行くだけでも喜んでくれます. もっと頻繁に訪れるようにしたいと思っていますけれども, 「親の事が悩みとか親の為にしてあげれない事で引け目感じる事がなによりの親不孝. 親にはいつまでも, 甘えているのが孝行ですって」という一石さんのご忠告 (掲示板への08月15日付書き込み) は身にしみています. 忙しくて行けなくてもそのことを負担に思わないことにします.
二輪車で行くときもあるのですが, 今回は天気が不安定らしいと心配して乗用車で行きました. 夕立にも遭わず, 常磐高速を走っているときに滴がちょっと落ちてきただけでした. 屋根のある車はエアコンの使えるのがありがたいけれど, 腰に負担になるようで, 翌日になっても腰が少し痛みます.
1999/08/27宿題 昼間は相変わらずの残暑ですが朝夕はいくらか涼しくなってきました. 世界には難問がいっぱいですね. トルコの震災は被災者の救出に難渋. キルギスで誘拐された人たちの安否は確認できないようです. 東ティモールでは投票日が迫っているのに独立派と残留派との紛争が絶えない. コソボの問題も解決していない.
さて, 研究会の準備も大詰めなのですが, はかどっていません. しかも, 今日はちょっと不愉快な用事が割り込んできたりして, その処理は事務的にすませたものの, 何となく気分が落ち込んでます. 気晴らしというほどでもないですが, つれあいと外食して, ついでに少し買い物して帰って来ました. 土日は研究発表の準備に集中しなくちゃいけない, わかっていても集中できるかどうか自信がありません.
1999/08/28月末の週末 昼間はミンミンゼミやツクツクボウシがしきりに鳴いていて, 宵には秋の虫たちがにぎやかです. 暑さが和らいできたとはいえ, エアコンの利いてない部屋にいるとすぐ汗ばんできます.
きょうは仕事にいくらか集中できました. 研究会の時期が迫ってきて, 新たな発見に時間を費やせなくなってきました. 何がわかっていて, 何がわかっていないのか, そういうことを整理して, 清書を始めています. 近ごろは国内の研究会といえども外国人研究者の参加することが多くなり, 英語で討論しなくてはならない場合がしばしばあります. しかし, 今度の研究会は日本語なので, 言葉に関しては準備が楽です.
1999/08/29準備完了 明日からいよいよ研究会. 準備の仕上げに思ったよりも手間取ってしまって, 疲れましたけれども, ともかく持参する配布資料を書き上げました. 明日は早起きしなければならないので, 早寝します. そういうわけで 日記は簡単にすませます. 明日から三日間ぐらい日記を休みます. 掲示板にも返事が書けないと思いますがあしからず. 夜になってもいまだにひどく蒸し暑いです.
1999/09/01研究会 早くも九月ですね. 日記を休んでいた間, 実は京都へ行ってました. 三日間の研究会を終えて京都から帰って参りました. 京都大学数理解析研究所へ行ってました. 日本にただ一つの, 数学の研究所です. 今回もついでに観光するゆとりなどなく, 駅から研究所へ直行して, あとは宿と研究所との往復. それでも楽しい三日間でした. 数理論理学, 経済学, 哲学などちがう専攻分野の人が集まって意見を交わし 討論は大いに盛り上がり, 研究成果がありました. ひどい蒸し暑さにもかかわらず, 何か気分爽快です. 帰りがけの豪雨のほかは雨にも降られずに済みました.
出発の前の晩遅くまで準備に追われ, 30日の朝は眠たくて, 新幹線が東京駅を発車してまもなく眠ってしまいました. 目の覚めたときには沼津あたりだったでしょうか. それから, 発表する内容について頭の中でしばらく整理してました. そのとき, 定理の一つについて, 証明の間違ってることに気づきました. 定理が正しいであろうということにはかなり自信があったので, 証明さえなおせば, 理論全体としては問題ないだろうと思いました. 証明をやり直してみようと決心したとき, 新富士と静岡の間あたりを走ってました. 紙に書かずに頭の中だけで考えていました. かばんの中にはレポート用紙なども用意してあったのですけれども, 書かずに考えられるだけ考えてみようと思いました, 何となく. 証明がほぼできあがり, そのすじみちをはじめからたどりなおしてみて ほぼ間違いないだろうと思えたとき, 豊橋を過ぎていました.
その後は窓の外の景色をぼんやりと眺めていました. 京都に着いてその日の討論を終えて宿に入ってから, 証明を紙に書き下して, 間違いのないことをもう一度確かめました. 私の発表は三日目のきょう9月1日. 車中で考えついた「訂正版」の証明を話して, 無事に終わりました.
1999/09/02あれこれ おかげさまで表紙のカウンターが8000に達しました.
きのうは「防災の日」でした. もろもろの災害に対する備えは大切ですけれど, 防災の日というのは何となくいやです.
今日はまだ疲れが残ってます. 京都のすごい蒸し暑さと, その中で思考力を集中していたこと, それに新幹線の何となく体に合わない椅子に長く腰掛けていたこと, そういうさまざまなことの複合した疲れだと思います.
降りそうでなかなか降らないなと思っていたら, 夕方から豪雨になりました. きのうは蒸し暑くて, 京都とあまりちがわない感じでしたけれど, 今日は夕方からいくらか涼しくなりました.
1999/09/03にほんばし 立川へ行って, それから日本橋へ行って来ました. 都心へ出たのは久しぶりです. 親類の用事で, おもしろくも楽しくもなく, ただわずらわしくて気疲れするだけの用件です. なんだか気が重くて, せっかく日本橋まで行ったものの, ついでに買い物など楽しむ気にもならず, 用件をすませてさっさと帰って来てしまいました. 地下鉄の駅のわかりにくさとか, 人混みとか, 汚れた空気とか, そういうものに慣れてないことも疲れを増します. ところで, 日本橋へ行くたびに感ずることなのですが, 上に覆いかぶさってる首都高速は目障りですね, せっかくの史跡なのに.
1999/09/04更新 昼間の蒸し暑さは感じますけれど朝夕は涼しくなり, 日が短くなりました. そろそろ秋の長雨の時季でしょうか. 湿気がつらいです. これから学会や研究会などがいくつもあります. それに備えて研究をまとめておきたいと思ってます. 共有知識に関する新しい理論について, いろいろな問題を解明したい, そんな願望はあるのですけれど, どこまで実現できるものか見通しはまだありません.
業績のページに京都での研究発表のことを書き加え, ついでに表紙を少し整理しました. さらに整理するつもりです. 目次の項目を減らしましたけれど, ページを削除したわけではなく, たとえば履歴や業績などについては 自己紹介のページを経て入れるようにしてあります.
1999/09/05厚底 厚底のサンダルがはやってますね, 若い女性たちに. 不安定で転びやすいように見えます. 歩きにくそうに見えます. 足をくじいたとか膝を打ったとかの噂も聞きました. そして, 先日の新聞やテレビのニュースによると, ついに死者が出たそうです. 転んで頭を打ったのが死因らしいと伝えられています. 若い命を落とされた方はまことにお気の毒です.
川の中州でキャンプしていたのと, 何か共通性があると思います. 危険が伝えられ警告されていても, よもや自分が災難に遭うことはあるまいと信じていたのでしょう. もっと命を大切にしてほしかったと思います. かわいいとか格好いいとか高い目線の快感とか, そういうのが厚底サンダルを履く理由らしいです. しかし, 恐怖を感じないのでしょうか. 命がけで履かなければならないものなのでしょうか. べつに命がけとは意識してないでしょう. おしゃれは自由ですけれど, 命と引き替えにしないでほしいと願っています.
1999/09/06鳩 庭の木にキジバトが巣を掛けました. さすがに目立たぬ所を選んでいて, 気づいたのはきのうのことです. いつごろから巣があったのか, とにかくいま卵を抱いているようです. ちょっと遅い時季ですね. 木の葉のかげになって見えにくいのですが, 窓のすぐ前です. 雨戸の開け閉てにも恐れる様子もなくじっと座っています. 去年もキジバトが来て花水木に巣を掛けました. その同じ親鳥なのか, 去年の雛が親になったのか, どちらかなのでしょう. 去年は一度野良猫に襲われて, その教訓でしょうか, 今年はとげのあるピラカンサスの木に巣があります. 卵がかえり, 雛の巣立って行くのを見守りたいです.
キジバトというのはデデッポーと鳴く鳩. 通称ヤマバトともいい, 都会の公園やお寺に多いドバトとは別の種です. 羽のうろこ模様が美しく, 首の横に青い模様があるのが特徴です.
1999/09/07歯 歯を抜きました. きょうは飲酒も入浴も禁止です. 麻酔の切れたあとも痛みはほとんど感じません. 抜くときの痛みもなく, 麻酔の注射を打つときの痛みも予想したほどには感じませんでした. 六月から歯医者さんに通っています. 古い歯冠の取れてしまったのが診療を受け始めたきっかけなのですが, そのほかにも悪いところがあればこの際すべて治療してもらうことにしました. 勤めていたときは時間的にも気分的にもゆとりがなくて, 体にどこか悪いところがあっても緊急に処置を要する場合のほかは そのままにしてきました. 忙しさのあまり, つい, 整備不良のまま突っ走ってきた気がします. これからは自分の体をもっと大切にして, 長く健康に生きようと思います. 歯のほかにも診療を受けなくてはならないところがいくつかあります. それも一つずつしっかり治していくつもりです.
1999/09/09東ティモール 投票の結果は予想どおり独立派が多数を占めましたけれど, 多難です. 併合派の暴虐に対してインドネシア軍や警察は見て見ぬ振りと伝えられています. インドネシア政府には治安を守る意志も能力もなく, 戒厳令など出してみても対外的なポーズだけのことでしょう. インドネシアに対する経済援助の停止, 禁輸など国際的なきびしい経済制裁を行うとともに, 東ティモールが独立を完成するまでは国連軍などが 治安維持に当たる必要があるでしょう.
ティモールまたはチモールと書くか, ティムールまたはチムールと書くか, 迷います. いま, 新聞などは「東ティモール」と書いてます. 東チムールあるいは東ティムールともよんでいたような気がしますけれど, 記憶が定かではありません. ティモールかティムールか, 読みのちがいに過ぎないかも知れません. しかし, 場合によってはどちらをとるかということが政治的立場にかかわって 来ないとも限りません. ビルマかミャンマーか, 厄介な問題です. 古い世界地図を見たらPortuguese Timorと書いてありました. インドネシアではTimur Timurというのだそうです. さらに調べてみるとインドネシア語でtimurは東という意味の普通名詞. 地名のTimurが「東」という意味に由来するのか偶然の一致なのか, とにかくTimur Timurで「東ティムール」と訳せるわけです.
ティモール島とよぶべきかティムール島とよぶべきか, 東西に長い島で長さ数百km, 幅百km程度で2000mを超える山々があり, 平地は少ないようです. その島のほぼ東半分が東ティモールです. ポルトガル領だった部分です. 西欧諸国が東南アジアに植民地を作り 勝手に境界線を引いて分割してしまったことが問題です. そのポルトガルも植民地の維持が困難になると, しっかり独立させることもなく無責任に植民地を放棄して逃げ出してしまい, そこへインドネシアが軍を送って占領してしまいました. 1976年のことです. インドネシアの武力による東ティモール併合は国際的に容認されてないはずです. いまの報道で「独立派」「残留派」とよんでいるのは併合を既成事実として 容認してるみたいで納得できません.
いま「併合派」あるいは「残留派」とよばれる人たちの暴行, 略奪, 虐殺などをやめさせて, 島の人々が平穏に暮らせるようにすることが急務です. ヨーロッパ人がやってくる以前は, 島の人々には平和な暮らしがあったのだと思います.
1999/09/10Y2K? きのう1999年9月9日には9という数字が並んで, 二千年問題に似たコンピューターの異常が起きるのではないかと, 心配されてるといううわさがありました. 幸いに, きのうの9時9分9秒にも何事も起きなかったようです. なぜ心配されていたのか私にはわかりません. 日付を表すのに, 年は4桁で表すか2桁で表すかの問題があります. しかし, 月と日はそれぞれ2桁ずつとるのがふつうでしょう. 一年間の通算日を3桁で表す方式もありますけれど, それは9月9日に問題を起こす原因にはなり得ないでしょう. 月と日を2桁ずつで表したとして今年の9月9日に問題が起きるなら, 去年までの9月9日にも同じ問題は起きるはずです. 980909が無事で990909が問題になるというのは不可解です. もっと節約して月を1文字で表す方式があります. 十月, 十一月, 十二月をそれぞれX, Y, Zで表すやり方で, コンピューターのほかにも, たとえば缶詰の製造年月日の刻印などに使われていました. この方式にしてもきのうは99909, べつに問題ないはずです. まさか99月99日になったわけではあるまいし, 9の並ぶことに対する漠然とした恐怖だったのではないでしょうか. まったくの杞憂であったと私は思います.
1999/09/12暑い なんと蒸し暑いのでしょう. 暑さに負けたか, 体調があまりよくないです. 数理論理学の問題を考えているのですけれど, 頭がさえず, いっこうにはかどりません. 本を読もうとしても, 字を追いかけているだけで頭に入りません. この夏の暑さはちょっと異常ではないかと思っていたら, 太平洋高気圧の位置が平年とちがうとか, 西日本よりも関東や東北の方が暑さが厳しいようです. 渇水でないのが, まあ幸いです.
1999/09/13地震 朝, 地震がありました. 震度3程度の揺れでした. ニュースによると震源は千葉県北西部, 深さ約80kmということです. 初期微動をやや長く感じたので, 震源はもう少し遠いかと思いました. ところによって震度4の揺れがあったそうですが, 大きな被害はなかったようです. 今回は何事もなかったとはいえ, 地震には日ごろからの備えが大切です. 地盤のしっかりしたところを選び耐震性のある家を建てました. 家具などを倒れないようにすることも必要だとわかってはいるのですが, まだ一部分だけしか対策をやってありません. 防火用水は用意してあります. 大地震で万一家がつぶれたり火が出たりしたとき, どこへ避難するか話し合って考えてあります. 携帯ラジオや非常食なども用意しておいた方がよいのでしょうけれど, まだです. ガス, 水道, 電気の止まったときどうするか, 難しい問題です.
1999/09/14自動車の整備 自動車を定期点検に出します. 近ごろは点検整備も修理も業者任せになってしまいました. 三十年前には修理なども自分でかなり行っていました. 自分でやらなくなったいちばんの理由は, 忙しくなってきて時間的にも気分的にもゆとりのなくなってきたことです. しかし, 車の方も変わってきて素人には手が出せなくなってきました. キャブレター式なら調整できますけれど, 燃料噴射式では手が出ません. コンピューターで制御してる部分など, どうにもなりません.
昔はいろいろやりました. ブレーキ液の空気抜きをやりました. キャブレターの分解掃除と調整をやりました. アクセルの戻りが悪くなったので, ワイヤーを買って来て交換しました. 後退灯の点滅がギアシフトとうまく連動しなくなったので, 部品を自作して修理しました. 長距離ドライブ中にクラッチが切れなくなって, 現場で応急修理してそのまま二百数十キロを無事に走りました. その後, クラッチの油圧系を分解修理しました. 趣味と実益とを兼ねたようなもので, 懐かしい思い出です. 自分で手入れした車には愛着があります. 様子のわかってる安心感もあります.
1999/09/15敬老の日 きょう9月15日は年寄りを敬うことを趣旨とする祝日らしいです. 老人としての特典は65歳からというのがいろいろあるようで, 来年からは私も祝われる側に仲間入りすることになるのでしょう. しかし, いまはそんなことを考えてみる気分になりません. べつに, 自分の老いるのが嫌だというのではありません. 年寄りのことを心配しなくてはならない立場にいるからです. 父91歳, 母93歳, 義母87歳, そして伯母 (母の長姉) は来週百歳を迎えます. 余談ですが, 2000年問題の起きるコンピューターシステムでは, 伯母の生年月日1899/09/23も正しく処理できないはずですね. 元気で百歳ならめでたいのですけれど, 寝たきりの伯母にはもう自分の年齢も親類の顔もわからないようです. 父と義母とは年齢の割に元気ですけれど, 母は介護を要する状態です. きょうは父母の入所してる老人ホームで敬老会が催されたのですが, あいにくいろいろな都合で茨城県まで出かけることが出来ず, 参加できませんでした. 頻繁には訪ねられないかわりに, 父母には二〜三日に一回以上ははがきを出してます. 電話は直通でないので, 急用以外はつい遠慮してしまいます. インターネットをおぼえてくれたらパソコンを買い与えて メールとかチャットとか・・・などと非現実的なことを夢見てしまったりします. ところで, 高齢化社会が来るとか何とか叫ばれてるのを聞いてると, 老人は敬われる者じゃなくて世の中の厄介者とみられてるのじゃないか, そんなひがみっぽいことも考えてしまいます.
1999/09/18履歴書 研究会への出張旅費を出してもらうために履歴書を書きました. 書いたといってもパソコンに蓄えてあるのを出してきて, 最新のことまで載ってるか確認して日付を入れてプリントし, あとは署名捺印するだけです. 便利になったものです.
今回は書式は自由で最終学歴がわかればよいということで, 簡単でした. 書式の決められているときはそれに合わせる作業が面倒なときもあります. 私の学歴は変わってるので, 書き方に悩みます. たとえば, 中学校卒業から書いて下さいなどといわれると, どう書いたらいいのかわからなくなります. 「登校せず現在に至る」というところを書き方がちがうと言われて, それではどう書いたらいいんですかと尋ねたら 考え込んでしまって答えてくれなかった, そんなことも昔ありました. 近ごろは書式などで文句を言われることも少なくなりましたし, 私も気持ちにゆとりが出来て, 珍しい履歴書で楽しんでもらおうなどと思ってます.
1999/09/20学期はじめ 夏休みが終わって後期の講義が始まりました. ひどい蒸し暑さの中を大学まで行って来ました. 幸いに, 教室は冷房してました. 学生たちもまだ夏休み気分が抜けないのか, 授業中にぺちゃくちゃしゃべってるのがいます. 聞く権利の侵害になるから静かにするようにと注意したのですけれど, 権利の問題だと気づいてくれたかどうかわかりません. きょうの講義は二つとも何となく手応えのない感じでした. 疲れました. 講義二つのうち一つはきょうから始まる後期だけの半年授業, 第一回です. 教室に入ってまず「江戸時代の文化の特質は何か?」って板書したのですけれど, どうも反応がなくて, 江戸時代っていうのがわかってるのか不安になりました. 湿気のせいなのか, 体中のあちこちが痛くて, 家に帰っても休まりません.
1999/09/21大きい数 「万, 億, 兆, 京, . . . その先はわからない」というのをある掲示板で見かけて, なるほど無理もないと思って 「数の名前」のページを新設しました. 日常的に見かけるのは, 新聞で国家予算とか世界の人口とかを見てもせいぜい億か兆までですね. 「京」を見かけるのさえまれなことだと思います. 天文学の話題などになればもっと大きい数が出て来ますけれど, そういうのはたいてい10の何乗とか1兆の1兆倍とか書いていて, 数詞で何とよぶのか知る手がかりになりません. さて, 京のつぎは何というのだろうと疑問に感じても, 辞典では見つけがたいものです. 載ってないのかも知れません. 欧米の言葉では百京あたりまでしか名前がついてないようですが, 日本語にはもっともっと大きい数をあらわす数詞があります. 出典は塵劫記なのですが, 1627年発行のこの書物は原書はおろか復刻版さえも手近にないでしょう. 塵劫記の中の「第一 大かずの名の事」をもとに「数の名前」のページを 作りました. 楽しんでいただけることを期待してます.
実用をはるかに超える途方もなく大きい数の呼び名が, 専門書でなく一般の人の読む教科書である塵劫記のはじめに載っているのです. いちばん大きい「無量大数」は1068という, 現代天文学にもおそらく滅多に出て来ないようなとてつもなく巨大な数です. 江戸時代の人々の想像力や心のゆとりを感じます. そういう心を取り戻したいと思いませんか?
1999/09/22秋分 明日は秋分. 暑さ寒さも彼岸までといわれているとおり, あの蒸し暑さが去って 急に涼しくなりました. 秋の長雨の時季に入ったのでしょう, きのうから降り続いています. 台風が沖縄近くにとどまったまま発達しています. 那覇では50m/sを超える風が吹いたそうです. 被害の少ないことを願っています.
うちでは彼岸に墓参りしていません. 墓参りはとくに日を決めてなくて, 墓地の近所へたまたま行ったときなどについでにお参りするだけです. この世にいま生きている人たちとのかかわりを優先して考えています. お墓へ行かなくてもご先祖さまのことはときおり思い浮かべてます. そういうことで, 勝手な理屈かも知れないけれど, お許し下さい, ご先祖さま.
1999/09/25百歳 一昨日23日に伯母が百歳の誕生日を迎えました. 15日の日記に書いたとおり, 1899年9月23日生まれ, 母の七つちがいの長姉です. 長寿を祝ってあげたいところですけれど, 誰が誰なのかわからなくなっている上に, 何度か危篤になり, 手厚い介護と看病とでようやく生きている状態です. 母には姉との間に兄が居ましたけれど早くに亡くなりました. 私の記憶にある限りうちの親類で百歳まで生きたのは伯母が初めてです. 独身で通してきた伯母には身寄りがあまりありません. 母のほかに, 亡くなった伯父に娘が二人つまり伯母の姪たちです. 一人暮らしだった伯母は仕事を辞めたあと有料老人ホームに入り, そこで暮らしています. さて, 私が百歳まで生きられるかどうか, いまは想像もつきません.
1999/09/26疲れた 何となく忙しい一日でした. プリンターのインクが切れて, もう一台のは紙送りが不調で, 仕方なくインクカートリッジを買いに出かけました. 蛍光灯が切れて, 取り替えました. 丸形蛍光管は取り替えにくいですね. 原稿を書くための調べものも, 資料が見つからなかったりしてはかどりません. 「水のほとり」の更新作業で写真を加工していたら異常終了. どうもHDのCドライブのこみすぎてるのが問題らしいので, Cドライブにあったアプリケーションソフトの一部をすいてるDドライブに移動. これがかなり手間のかかる仕事でした. とにかく, 写真を新たに追加するなどわずかなことですけれど更新できました. 明日は学会に参加せず講義に行きます.
1999/09/28電話機 PHSがほしいとつれあいが言い出し, そういえば携帯電話も新しいのがほしい, 留守番電話も買い替えようか, などという話になって, いくつかの店を見て回り カタログを集めたり現物を見たりしてきました. 技術の進歩の早さに驚きます. いま使ってるケータイは着メロもなく文字通信もできないものですが, いまのはどの通信会社のもほとんど文字を送ることが出来て, インターネットのe-mailを送受信できるのさえあります. 着信表示も相手の番号だけでなく, 記憶させておけば名前も表示してくれます. 機能がいろいろあってカタログを読みこなすのに骨が折れるほどです. しかも軽く小さくなってます. 結局, 留守電はもうしばらく考えることにして, ピッチとケータイとを注文してきました. ちなみに「ピッチ」という新語は最近おぼえたばかりです.
1999/09/30電話機(2) ケータイが来た, ピッチが来た, それぞれ別の店に注文してあったのが同時に. 両方の店へ行って受け取って帰って来た. なかなか便利そうだ. 受け取るまでに実はあれこれあったのだけれどその話は省略. とにかく, どちらも軽くて小さくて, そして多機能. なんと分厚い取説. 取りあえずいちばんはじめにどこを読んで何をしたらいいんだろう. ただ電話をかけたり受けたりするのにはどうすればいいんだろう. ケータイもピッチもいろいろ使いやすく工夫してあるとは思う. かなり高性能のマイクロプロセッサを組み込み, 大容量のROMに大きなソフトが焼きこんであるのだろう. ハードもソフトもよくぞここまでやったものと感心する. しかし, 使いやすさのためには説明書をもっと工夫してほしい. とくにPHS. どこを読めばいいのか, いったい何を言ってるのか, 作る立場じゃなくて使う立場で書いてほしい. あ, きょうは文体がちがうって? まあ, 気にしない, 気にしない.
1999/10/01臨界事故 とんでもない大事故が起きました. 原発燃料のウランを加工する茨城県東海村のある工場で臨界事故です. なぜか臨界量を超えるウラン化合物溶液が装置に入れられ, 原子核分裂の連鎖反応が起きてしまいました. 原子炉の中以外で臨界になったのは日本では広島, 長崎についで東海村が三番目です. 応急処置でひとまず連鎖反応は止まったとのことですけれども, これからどうなるのでしょう. 大量のウラン化合物の入っている装置をどうするのか, 空中に散らばってしまった「死の灰」をどうするのか, 放射線を浴びてしまった人の治療をどうするのか, 問題はたくさんあります. 周辺の人々の暮らしはどうなるのでしょう. 目に見えない放射線は専門家の計測に頼らざるを得ません. 隠さずに状況を伝えてもらえることを期待しています. 事故の再発を防ぐために原因を徹底的に究明する必要があります. マニュアルどおりに操作しなかったことが問題ともいわれていますけれども, もしそれがほんとうだとしたら, マニュアルがよく書けていたかどうか問題です. スリーマイル島の原発の事故のときもマニュアルどおりに操作しなかったことが 事故の原因の一つと指摘されています. 不正確であったり要領を得なかったり読む気のしないようなマニュアルではなかったのでしょうか. 説明書の不備が事故の原因というのはいままで聞いたことがありませんけれど, 説明書に問題がないのではなくて, そういう問題が見落とされてきたのではないでしょうか.
1999/10/03雨 雨が降りました. やんだあと, 買い物に行ってきました. 死の灰は降ってないとは思いますけれど, 自分で計測できないので一応用心. 雑誌の原稿をひとまず書き上げて編集所へいま送ったところです. 何か落ち着かない状況で, 存分には集中できなかったので, 原稿も完成した気分でなくてもう少し手を入れたいのですが, 時間がなくなりました. 明日の講義の準備もやや不安. 東海村の核燃料加工施設の臨界事故についてはさまざまな情報が流れています. おさまったとする公式の発表がある一方, いろいろな疑惑もあるようです. 原子力関係ではいままでに事故の真相を隠したり 計測データを改竄したりしてきた例が多いので, 政府の発表もマスコミの報道も疑いの目で見られるのは仕方ないことです. しかし, 工場の屋根に穴があいてるなどという映像は, 誤報かデマに基くものにちがいないと思います. 冷静に見極めたいと思います.
1999/10/05バケツ 笑い事ではない. ウラン化合物を硝酸に溶かしたり運んだりするのに バケツを使っていたとは. 危険なものを扱っているという自覚がまったくなかったのだろう. いくらかの知識があったとしたら, 恐ろしくてそんなことは出来ないだろう. 命にかかわることなのに危険を感じてなかったという点で, 川の中州でキャンプした人との共通性があると思う. たとえば花火工場などの場合, 危険物を扱っているという自覚をもって, 作業には細心の注意を払っているのではなかろうか. 原子力の基礎知識を学校で皆に教えるのがよいだろうという趣旨の 書き込みが掲示板にあった. そういう教育がもし実現していたら, 誰もバケツでウラン溶液を運ぼうとは思わなかっただろう.
1999/10/06二千円札 二千円札が発行されるそうですね. 記念紙幣ではないけれども, 2000年の沖縄サミットにちなむらしいです. 預金支払機, 自動販売機などからカラー複写機に至るまであれこれ改造したり 取り替えたりする費用がどれほどかかるのでしょう. それによる需要増を期待しているのでしょうか. それはさておき, 二千円という単位が気になります. いままでは1, 5, 10, 50, 100などと一万円まであります. つまり1, 10, 100, . . . と10倍ずつになってゆく十進法が基本で, そろばんとおなじく補助的に5, 50, . . . が使われます. 5倍と2倍とが交互になっていますので二・五進法 (にごしんほう) とか 二進五進法とかよばれます. 英語ではbiquinary. 二千円というのはこういう体系を崩してしまうことになります. そのことにべつに弊害はないのかも知れませんけれど 1, 5, 10, 50, 100, 500, 1000, 2000, 5000, 10000 というのはどうも美しくないですね. 将来2円, 20円, 200円というのは作るのでしょうか.
1999/10/07出張に備えて 明日, あさってと二日間の研究討論のため出張です. 予習したあと, 新しい携帯電話に電話番号などを記憶させたり使い方の練習をしたりしました. 雨になりそうなので二輪車はあきらめて屋根のある車で行きます. きょうの昼食はつれあいと二人で外食したのですが, どうも私の体質に合わなかったようで, 午後から頭痛です. 日記に書くことをあれこれ考えていたのですけれど, そういうわけで今日はこれだけ. なお, 明日8日の日記は休みます. 9日も休むかも知れません.
1999/10/11茨城県から帰ってきました 茨城県へ行って研究討論して, 無事に帰ってきました. 東海村から遠く離れたつくば市の筑波大学です. 今度の事故の放射線や放射性物質はほとんど来ていないはずです. 東海村事故で工場外へ飛散した放射性物質の量はごくわずかであると 報じられています. 工場周辺の汚染はあまり心配ないのでしょう. 放射線を浴びた人たちが十年, 二十年, 三十年後に癌にかかることがないのか, 長く見守っていく必要はあるでしょう. いま心配なのは, あの工場の沈殿槽の中にウランが大量に入れたままになっていることです. 危険で近づくことさえ出来ない状況ですけれど, いずれはウランを少量ずつに分ける処置をしなければならないはず. 処理を誤ればふたたび臨界ということもないとは言い切れません.
さて, 研究討論はいろいろなことがわかってきておもしろかったです. 大学院生も教授もいっしょになって, 共有知識の論理などのいわゆる 「非標準論理」についていろいろな面から考察してきました. 私たちの理論に関心を示してくれる人がふえてきて 研究がますます盛んになりそうです.
1999/10/13母の見舞い 母を見舞いに日帰りで茨城県へ行って来ました. 研究討論に行ったときは自動車だったのですけれど, 今日は二輪車で外環道, 常磐道, そして田舎道を走って往復しました. 父はおかげさまでまだまだ元気ですけれども, この前訪れたときとくらべて母はまた一段と衰えたように見られました. たまたま今日は調子がよくないとのことでしたけれども, 訪ねて行ったことを喜んでくれたとはいえ, 会うたびに衰えていくのを見るのは悲しいものです. 何十年か先, 自分はどんなふうに老いて行くのかなあと考えてしまいます.
1999/10/16週末 冷房しようかと思う暑さから, 涼しいのを通り越して寒いほど. 何を着ようかと迷ってしまいます. さて, 週末ですね. 週末といっても休みという気分にはなれません. 非常勤講師の仕事だけしているいまはとくに, 講義のある日以外は自由なのですが, 常勤の教授だったときでも週末に休み気分になれませんでした. これは学者にはある程度共通のことではないかと思います. 職場にいる間だけが仕事というわけではなく, 家にいても, 休日でも, 考え事をしています. ある問題について考えはじめると, 解決するまではそれが頭を離れません. 休もうと意識して何か別のことをしたり何もせずにぼんやりしたり, そういうことをしない限りなかなか休めないのが学者の暮らしです.
1999/10/17パソコンが頼り こうしてウェブにものを書くにはもちろんパソコンを使いますが, 論文を書いたり教材を作ったりするのにもパソコンが頼りです. きょうは学生に配るプリントを作りました. 前に同じ科目を教えたときの教材の原稿が保存してあり, それを書き替えて作っています. 書き加える部分も, ほかの科目の教材からとってきたり, いずれ何かに使うつもりでパソコンに蓄えておいたものの中から取り出したり, 利用できるものは精いっぱい利用します. ただ, こうして「切った貼った」で書くときには全体の整合性に用心が肝腎. まとまってきた段階で全体を読み通し, 矛盾したところがないか点検しないと, 表現が首尾一貫しなかったり, ありもしない箇所を参照していたりします. プログラミングと似たところがなくもないです. 手書きとくらべて手軽に大量の文書を書けるのはありがたいことですが, ディスクの万一の故障に対する万全の備えも必要です.
1999/10/19寒い 十月半ば過ぎの気温としてはふつうなのかも知れないけれど, 異常に暑い日の続いていたあとなので体が適応できなくて, ひどく寒く感じます. たまたまのことなのか, それとも環境破壊が原因の世界的な異常気象なのか, とにかく急激な変化です. 信州の秋を思い出してます. 十月末には雪をかぶった山から冷たい北風が吹いてきて, 稲刈りのすんだ田に霜が降りて, 白くなった稲の切り株を眺めながら小学校へ急いだ朝. しもやけがつらいけれども, 山々も林も湖も美しかった信州の晩秋の朝. わらじを履いて冷たい向かい風に耐えて歩いた2キロ半の田舎道. あのころの寒さとくらべたら, いまの寒さは何でもないはずなのですけれど, やはり寒いです.
1999/10/22書ける話題がない 罷免されて当然と思える某政務次官が辞職したことについて書こうかと思ったが, 彼の発言はここに引用することもはばかられる内容なので, 「水のほとり」の品位を保つために, この話題は取り下げ. 何かほかの話題を, と思ったのだけれど, それについて書けそうなのがない. キルギスの日本人誘拐, インドネシアの大統領選挙, パキスタンのクーデター, 台湾の地震, 某自動車工場の閉鎖. ニュースはいろいろあるけれども, どれについても考えがまとまらない. そういうわけで, きょうの日記は書けない言い訳だけでおしまい.
1999/10/25講義の悩み 月曜日は大学の講義の日. 毎度のことながら, 黒板にいっぱい書いたり消したりしながら説明しなければならなくて, 白墨の粉をのどの奥までたっぷり吸い込んでしまいました. うがいをしても取れないようで, まだ喉ががさがさしてます. 板書することが多いと, 学生もそれをノートに取ることに追われて, 説明を聞いていなかったりするのが困ります. ノートを取る作業に気を取られ過ぎないように配慮して, プリントを作って学生に渡したりすることもあります. しかしこれにも問題があって, プリントを受け取ったら安心して講義を聴かず, 試験の直前にプリントを読むだけですませようと 考える学生もいるようです. プリントを作る苦労もいろいろあります. 教科書を読むだけの授業なら楽に出来るのですが, それはやりたくないのです.
1999/10/26大工仕事 電話機の置き場所を変更することになって, 電話機の棚を新たに作りました. 久しぶりの大工仕事で, 工具が見つからなかったりして, 探し物に手間取りながらの仕事です. 電話機本体の場所のほかに, メモ用紙をおいておく小さい棚を設け, さらに, 必要なときは電話帳やノートを置けるように考えて, 折畳机のような棚を付けました. ふだんは垂直にしておいて, 使いたいときだけ水平におろします. 昔はもっと面倒な工事もやっていたのですけれど, 近ごろはほとんどやってなくて, 腕が鈍ってます.
1999/10/28秋晴れの日 きのうは台風並みの低気圧が関東を通って行きました. 強い雨風の被害はなかったのですが, 私の体調は天気に連動してるみたいで不調でした. 股関節が痛み, 腰が痛み, 肩が凝り, 頭が重く, 何となく気分の悪い日でした. 仕事もはかどらず, 早めに寝てしまいました. きょうは朝から「台風一過」とでも言いたい見事な青空. 夏を思わせる暑い日射し, 透き通った秋の空気. 白く雪をかぶった富士山がくっきりと見えていました. 奥多摩, 丹沢, 秩父などの連山もはっきりと見えていました. ひまと元気とがあったらちょっと遠出してみたくなる日. しかしまだ昨日の後を引いて気分がすぐれません. 明日はたぶん元気になる・・・と思います.
1999/10/29きょうも暖かい ダイエーホークスが四勝して日本シリーズ優勝. 最寄りのスーパーダイエーへ行って値引きの食料品を買ってきました. きょうも秋晴れの暖かい日で, 薄着してバイクで走るのが快適. 晴れてはいるものの, 昨日とちがって山並みはかすんでいます. 鼻がむずむずして鼻水の出るのは何か花粉が飛んでるのでしょうか. 熱がないから風邪ではないと思います.
1999/11/02光陰矢の如し 時のたつのが速い, そう感じるのは歳のせいでしょうか. あくせくしてる間に十月が終わり, 十一月に入りました. 処理しなくてはならない用事はいろいろあります. 研究会で報告することのまとめ, 教材の準備, もらった手紙の返事, パソコンの整備, 親戚関係の雑用, などなど. しかし, 何となく気が滅入って仕事がはかどっていません. 気分の暗くなる原因は不明. 何か楽しいことはないだろうか, などと思ってます.
1999/11/03文化の日 東京では晴れの特異日の十一月三日, 薄曇りでときどき日が射していました. 寒いです. しかし, ここに引っ越してきて間もないころには 十一月三日はもっと寒かった記憶があります. さて, なぜ十一月三日が「文化の日」なのでしょう. もともと明治天皇の誕生日で, 明治時代には天長節とよばれていたそうです. 戦時中までは明治節とよばれていました. 敗戦後の占領時代に新しい祝日の一つとして文化の日になったのですが, 文化と明治とを結びつける感覚には私は賛成できません. 明治維新, 文明開化, 富国強兵, などなど. 近代工業が興り陸を鉄道が走り海を蒸気船が走り, 郵便, 電灯, ガス, 水道, 電話などが利用できるようになって, 暮らしが便利になったとは思います. そういうものが文化なのでしょうか. 明治は江戸時代からの伝統文化が失われていった時代ではないでしょうか.
1999/11/04新しい店 たまっていた雑用を片づけたり, 郵便局などへ行ったり, 研究を続けている数学の問題についてまた少し考えたり, 相変わらずの一日でした. 多摩モノレールの北の終点の 駅のすぐ前におととい開業した店へ, つれあいと二人で行ってみました. さしあたり必要な食料品や雑貨を買ってきました. モノレールに乗る人が店の駐車場に車をおいて行ってしまうのではないか などと二人で余計な心配をしました. 駐車場の入り口に警備員がいるのですけれども, 出入りした時刻を記録してはいないようです. 出るときもレシートの確認はしていません.
1999/11/07晩秋 この秋になって初めてツグミの声を聞きました. 姿は見えないけれど,
どこか家に近いところでしきりに鳴いていました. 晩秋ですね.
先日はモズの鷹鳴きも聞きました.
多摩湖には鴨が渡って来ています.
紅葉した桜の葉が散り始めています.
冬が近づき, 西暦2000年まで二ヶ月足らずになりました.
来年の仕事のことなど考え始めています.
珍しく田舎の母から電話. 声がよく出ないので,
たいていは父に伝言を頼んでいて, 本人が電話で声を聞かせてくれたのは久しぶり.
この前訪ねて行ったときはかなり衰えて弱々しく感じられたのですが,
きょうは元気そうで安心しました.
1999/11/09立冬の翌日 昨日の月曜日は意外に暖かい立冬でしたが, 季節はずれの夕立に降られました.
女子大の講義を終えたときにぱらぱらと小雨が降りだし,
帰り道の途中で激しい雨になりました.
田無あたりではワイパーを連続で回す状況でした.
家の近所まで来ると道が乾いていて,
家に帰って連れ合いに聞いてみたらほとんど降らなかったとのこと.
きょうも午前中は青空で日射しが暖かかったのに,
昼ごろから雲が出て来てちょっと夕立がありました.
なんだか妙な陽気ですね.
なかなか更新できなくてすみません.
ほんの少しの更新ですけれどいま準備中です.
もうしばらくお待ち下さい.
1999/11/10運転中の携帯電話 携帯電話で通話しながら自動車を運転することが今月から禁じられたそうです. いままでに, ケータイで話しながらの危険な運転をかなり見かけました. 幸い, 事故に遭遇したことはないですけれど, 対向車が理由もなく中心線を越えて来たとか, 前を走る車の速度が不安定に変わるとか, 危険を感じたことは何度もあります. 禁止は当然のことと思いますが, 疑問が残ります. 電話機を手に持たずに通話する「ハンズフリー」とかいうのは許されるとのこと. つまり, 当局の考えは片手ハンドルが危険だということのようです. 何かちがうんじゃないでしょうか. ギアを操作したり, 方向指示器やワイパーやヘッドライトのスイッチなどを 扱うときも, 短い時間ながら片手ハンドルになります. そういう場合に片手でハンドルをさばくことは誰しも慣れているはず. 危険なのは, 片手運転よりも, 運転に集中していないことです. 電話の話に気を取られて, 上の空で運転していることこそ危険なのだと思います. 回りの状況に気づかずに運転していることの危険性は, 酒酔い運転に劣らないと思います.
1999/11/13小春日和 快晴で強い風が吹いてました. 日ざしが暖かく, 強風も木枯らしではないのでしょう. 伸び放題になっていた庭木の枝を切ったり絡まっている蔓を取ったり, 久しぶりに庭の手入れをしました.
年金の手続きの書類が来ました. こういうのは苦手です. このあいだも年金に関して扶養家族のことなどの届けを出すように いわれたのですが, 何が書いてあるのかちんぷんかんぷん. まあ, 当てずっぽうで書いてだしておきましたけれど, 何とかならないものでしょうかねえ.
1999/11/14人間性に欠ける人物 性の営みの快感というものは男女が心から愛し合って はじめて得られるものではないでしょうか. 強姦するというのは相手の人格をまったく認めていない野蛮な行為で, 女を人間としてではなく自慰の道具として扱う行為だと思います. そして, 強姦する人は強姦された人がどれほど深く傷つくか考えていないのです. 金で娼婦を買うのは, ひとまず合意の上の行為とみなされるでしょうけれど, 人格を認めて愛し合ってるわけでなく, 暴力のかわりに金の力に頼って女を道具として扱う行為であり, 強姦と共通するところがあろうと思います.
強姦して罰せられないならみんな強姦魔になってると表明して, 自分が女性の人格を認めない野蛮な人物であることを明かしただけでなく, 世の中の男性たちを自分と同じ程度の人間であるかのようにみて, 女性をも男性をも怒らせた, 人間性に欠ける国会議員が, なんと自衛隊の栄誉礼を受けて防衛政務次官を辞任したのです. しかも国会議員の地位にはとどまったままなのです. 彼に投票した選挙区の有権者たちはどう思ってるのでしょうか. 彼に栄誉礼を捧げた自衛隊員たちは疑問を感じないのでしょうか.
元防衛政務次官は人を愛したことも愛されたこともない人なのでしょう. 男女の愛, 親子の愛, 師弟の愛, もろもろの愛の欠けているところに こういう人間性のない人物を生み出す隙ができるのではないでしょうか.
1999/11/16木枯らしの日, 眼科医院へ 予報どおり木枯らし. 雲も寒々とした冬の雲. 落ち葉が多い. 晩秋から冬へ季節は移って行きます. 冷たい北風の中を, 眼科医院へ行って来ました. 近くも遠くも鮮明に見えず, 目が疲れるので, 眼鏡を新調したいと去年から思っていました. 日々の雑事に追われて延び延びになっていたのですが, ついに思い切って目の診断をしてもらいました. やはり老眼が進んでいて, 眼鏡が合わなくなっていました. 眼鏡の処方箋を書いてもらいました. 裸眼視力が0.8と0.5で, 両眼とも1.2まで補正できるとのこと. かつてのように1.5〜2.0まで見えたらもっと幸せなのですけれど, まあ1.2なら悪くはないのでしょう. 嘆かないことにしましょう. 眼圧は正常, 眼底もきれいだとのこと. 目を大切にして, これからもよい状態を長く保ちたいものです.
1999/11/18開店閉店 店じまいするところがあったり, 新たな店ができたり, 変化が激しい. コンビニが新しくできたと思ったら, その近くに前からあったコンビニが閉店して, その建物はイタリアレストラン. もう一つのコンビニも閉店. 二棟の建物で営業してたファミレスが一棟に縮小し, もう一棟はジーンズ屋に. モノレールの駅前には, モノレール開通前からあるファストフード店や 薬と雑貨を扱う店のほかに, パチンコ屋と薬屋と生活協同組合が新たに開業. 近所のコンビニが閉店して, その建物をラーメン店に改装中. ある系列のファミレスが一つ店じまいして, その建物に別の系列のファミレスが開業準備中. いったい, 景気はいいのだろうか悪いのだろうか, 考えてしまう.
1999/11/19焼却 青空は澄み渡り, 近所の雑木林の紅葉が美しい. 桜の葉はもう散っています. 落ち葉をうちでは堆肥にして土に返していますが, 燃えるゴミとして出す人, たき火で燃やす人, さまざまです. 堆肥にならない木の枝などは燃やして灰にして土に返しています. 庭に小型の焼却炉を備えています. たき火よりも火事の危険が少なく, 煙もほとんど出ません. その焼却炉で, 今日は落ち葉でも木の枝でもないものを燃やしました. 勤めていたときの入学試験関係の資料や期末試験の成績など, 退職後も守秘義務のある文書です. 既に保存期限も切れている不要なものなのですけれど, ゴミや古紙回収に出したりすることはできません. 焼却炉で燃やして灰にして, 安心したところです.
1999/11/23大停電 杉並区善福寺の東京女子大学で講義中, 電灯が消えました.
意外にもなかなか回復しません. 黒板がよく見えない状況になったので,
板書しないですむような話題に切り替えました.
吉祥寺あたりまでひろく停電していて,
交通信号も消えて道路は渋滞し電車も止まってる,
という情報がしばらくして入ってきました.
やがて, 停電の原因は不明ということも伝えられました.
変電所の事故かなあと想像しながら, 講義を続けていました.
かなり長く感じた停電でしたけれど, 二〜三十分でしょうか,
講義の終わらぬうちに電灯がともりました.
つぎの時間の講義は何ごともなく終えて,
帰り道に自動車のラジオで事件を知りました.
航空自衛隊の練習機が入間川の河川敷に墜落し, そのときに送電線が切れて,
埼玉県から東京都にかけてかなり広い範囲の停電.
しかし交通信号も回復していて渋滞はありませんでした.
家に帰ってみたら, 埼玉県に近いのにこちらは停電しなかったとのこと.
晩のテレビのニュースなどでしだいに詳細がわかってきました.
墜落現場に近い入間川沿いの道路は何度も通ったところです.
墜落の原因が解明されるまでには時間がかかるでしょうが,
落ちたところが河川敷であったことは不幸中の幸いといえるでしょう.
操縦士は住宅地を避けようとして脱出が遅れたのではないでしょうか.
亡くなられたお二人のご冥福を祈ります.
再発防止のために, 事故の原因は徹底的に調べてほしいと思います.
一ヶ所の送電線が切れただけであれだけの大停電になるのも,
電力供給システムの弱点でしょう.
たとえば2000年問題でどこか一ヶ所の変電所などに障害が出ただけで,
広い範囲の停電が起きないとも限らない, そういう不安を感じます.
1999/11/26嫉妬心の恐ろしさ 二歳の女の子が殺されていたという悲惨な事件. 報道されているところによると, 容疑者は近所の主婦で, 二人の子を持つ母親. 子供は二人とも被害者宅と同年齢とか. 動機はまだよく解明されてないけれども, 名門幼稚園への合格を嫉妬したらしい. 亡くなった子の母親に対して何か好ましくない感情を持っていたようだ. いわゆる「お受験」の過熱ということもあるだろうけれど, 二歳の子に対して殺意を抱くというのは異常だ. 我が子に対してはどんな思いがあったのだろうか. 幼稚園や小学校のときから有名校へ入れようとするのは, ほんとうに我が子の将来を思ってのことでなく, 自分の見栄なのだと思う. 犯行のとき何を思っていたのだろうか. 逆上していたのだろうか. これから長く刑務所暮らしになって我が子の受験の世話もできなくなる, そこまで想像してみるゆとりなどまったくなかったのであろう. ふつうの主婦, ふつうの母親を, ここまで狂わしてしまう恐ろしさ. 嫉妬心や虚栄心の恐ろしさは, それが人間の心を壊してしまうところにある.
1999/11/30介護保険 介護保険制度が来年四月から始まる.
始まるというより強行されると言った方がふさわしい.
要介護度の認定について問題がマスコミでも指摘されている.
保険料の徴収の時期を繰り延べるとか, わけの分からぬことが急に決まる.
とにかく, 否応なしに2000年4月から制度は発足する.
そういうわけで, 母のお世話になっている特別養護老人ホームでも,
介護保険の説明会があるということで, 茨城県まで行って聞いてきた.
あきれたことに, 厚生省からは, 老人ホームを運営する福祉法人に対してさえ,
まだ制度の詳細を正式には通達してきてない.
介護料がいくらになるのか, どういう介護ができるのか,
今のところは試算や推測しかできないのだそうだ.
ともかく要介護度の審査があって,
その結果に基いた介護計画が立てられるということになるらしい.
母のように既に入所している人については, 経過措置として
要介護度の認定結果にかかわらず四年間はホームで介護を受ける権利を失わない,
ということで, 母のことに関してはひとまず安心.
もっとも, 介護の内容がどう変わるのか, 費用がどうなるのか,
いろいろと不安も残る.
これから介護が必要になってくる人たちにとっては重大な問題.
要介護度認定とそれに基く介護計画というのがどうなるのだろうか.
1999/12/01最後の月 1900年代の最後の年の最後の月になりました. 忙しいですね. 昨日は小春日和でしたけれど今日は曇り, 寒いです. 日曜日に茨城県まで日帰りして父母を見舞い, 介護保険の説明会に出席しました. 帰り道は途中で日が落ちてしまい, 常磐高速は事故による渋滞もあったりして, 疲れました. 目の衰えのせいか, 夜道の運転は疲れます. しかし, 電車で行くにはあまりにも不便なところなので, いつも自動車か二輪車で行きます. 今回は寒そうだったので四輪車. 月曜日は, 前日の疲れを繰り越したまま大学へ講義に行きました. 講義中に頭痛がしてきて, 講義の終わったころには寒気がしてきました. 自動車の暖房を最強にして帰ってきました. 暖かいものを食べて, 風邪薬飲んで, 早めに寝てしまいました. そして昨日の火曜日もまだ気分がすぐれず, ぼんやりとして一日を過ごしてしまいました. 今日はようやく元気を回復. 研究のつづきを少し進めてます. 年内にまとめなければならないものがあれこれあります. 研究会の発表の詳細, 学会の発表の概略, 雑誌の原稿, 来年度の講義内容など.
1999/12/03鼻濁音 鼻濁音つまりガギグゲゴの鼻へ息の抜ける発音が
日本語から消えていく傾向にあるという
(朝日新聞12月3日朝刊社会面).
子どもはほとんど発音できなくなっていて,
アナウンサーでさえ若手の人は鼻濁音を使わない傾向がある.
一方, 外国人への日本語教育では鼻濁音を教えている.
鼻濁音は消えて行くのか生き残れるのか,
そういう疑問について専門家二人の意見も添えた記事.
鼻濁音を「正しく」使い分けるのが上品な日本語,
美しい日本語と感じる人がかなりいるのだろう.
東京山手育ちの私の父母もそうである.
しかし, 群馬県や九州各地など鼻濁音のない地域の人は
鼻濁音を美しいとか上品とか感じないのではなかろうか.
上品かどうか議論しても意見はまとまらないと思う.
私は日常的には東京山手方言を話していて, 鼻濁音を使っている.
しかし, 鼻濁音の失われていく傾向は止められないと思うし,
失われるのを阻止する必要も感じてない.
日本語の変化すべてについて, 成りゆきに任せようと思うわけではない.
すでにほとんど失われてしまった[ka]と[kwa]との区別などは
何とか残しておきたいと切に願っている.
助詞ばかりを強調する若い世代の話し方も, 絶対にやめてほしい.
しかし, 鼻濁音がなくなるのは「ら抜き」などと同様に
日本語の自然な変化であると思う.
二段活用の動詞をしゃべる母からみると,
それを一段活用でしゃべる私のは美しくない崩れた日本語なのだ.
しかし, 二段活用から一段活用に変化したことで,
日本語の価値が衰えたとは思わない.
1999/12/04時間がほしい 更新しようと思いながら実現できずに時が過ぎて行きます. 書く材料は少しずつ集めてあるのですけれど, ゆとりがありません. 近ごろ疲れやすくなりました. 取りあえず処理しなければならないあれこれを終えただけで 疲れてしまい, ちょっと休んでいるといつの間にか一日が終わっています. 退職したら経済的には苦しくなっても時間的にはゆとりができるだろうと, 勤めていたころには思ってました. その予想は外れました. 支出に見合う収入がないのに, 時間がないのです.
1999/12/06メートル法 NASAの火星探査機が火星の極地方に着陸したはずなのに通信が途絶えている.
着陸に失敗したのか, アンテナの向きが間違ってるのか,
いまだに原因不明で, 復活させようとあれこれ試みているらしい.
この前の火星探査機は, 軌道データか何か,
メートル法とフットポンド法との換算の間違いで, 行方不明になったとか.
うわさだけで, 真相は確かめてない.
ほんとうだとしたらつまらない失敗で, 惜しいことだ.
火星の生命を探ろうという壮大な目標の割にはあまりに初等的な過ち.
ヨーロッパなどの先進諸国と同様にメートル法に統一していれば,
そんな事故は起きなかったはずだ.
さて, 日本はもちろん公式にはメートル法を採用しているけれども,
事実上はフットポンド法がはびこっている. これでいいのだろうか.
コンピュータ関係がとくにひどい. 17インチのディスプレイ,
3.5インチのフロッピーなどなど.
アメリカで決めたのが事実上の国際規格になってしまうと,
インチ表示できりのいい数値になるような寸法に定められ,
メートルに換算して表示すれば数値が半端になっておぼえにくい.
3.5インチのフロッピーを換算で88.9mmと呼んでみても,
ほんとうの意味でメートル法に準拠したことにはなるまい.
1999/12/08開戦の日 アメリカなどとの戦争を始めた日です. 中国との戦争が,
第二次世界大戦へと拡大した日です. 敗戦の日の8月15日とくらべて
マスコミの話題にもあまりならないですね.
1941年つまり昭和16年の12月8日, その日のことをおぼえてます.
まだ六歳でしたけれど, 何かたいへんなことになったらしいと感じました.
その日のことについて書きたいことはあるのですが, まとまらないので,
また機会をあらためていつか書きます.
開戦のこの日のことを戦時中はタイショウホウタイビと呼びました.
大詔奉戴日, つまり天皇の開戦の詔書をいただいた日ということ.
話は変わりますが,
高速増殖炉の冷却用の液体ナトリウムがもれた事故も12月8日でしたね.
あの炉はいったいどうするのでしょうか.
前回の日記に書いたメートル法の話を,
今日の朝日新聞の科学欄でもとりあげてました.
フットポンド法と書きましたけれど, 新聞にはヤードポンド法と書いてあって,
たぶんそちらが正式な呼び方なのでしょう. すみません.
1999/12/21年末は忙しい 日記をしばらく休んでしまいました. 年末はいつも忙しいものですが,
今年はとくにめまぐるしい状況です. 一月に研究会で発表するための準備,
雑誌の記事の原稿, その他いろいろなことが集中してしまいました.
年末年始も旅行にも行かず, 家でパソコンに向かう日々になりそうです.
つれあいは五十肩がまだ治りきらなくて, 髪も結えず重いものも持てません.
年賀状だけは幸いに例年より早く20日に投函できました.
2000.1.1という消印を押してくれるそうですね.
みなさんに同じ文面のプリントですまないとは思いながらも,
それが精いっぱいでした.
住所録管理ソフトを昨年まで使っていたものから
別なものに乗り替える作業もありました.
1999/12/22安全に暮らせる世の中を 大内久さんが亡くなられました. ご冥福をお祈りします.
放射線被曝で亡くなった方は,
日本では広島と長崎との原爆の被爆者のほかには,
1954年に漁船「第五福竜丸」に乗り組んでいてアメリカの水爆実験の
死の灰を浴びた久保山愛吉さんと, 今度亡くなられた大内さんのお二人です.
軍事関係以外の, 原子力のいわゆる平和利用で,
死者の出たのは日本では初めてのことです.
原子力の安全性についてこの機会に徹底的に考え直してみることが必要です.
それでなければ大内さんは浮かばれないのではないでしょうか.
満月の冬至に当たって何かロマンチックなことでも書こうかと思っていましたが,
悲しいニュースが朝刊に載っていました. 今年は, 大内さんだけでなく,
通り魔やストーカーや近所の主婦に襲われたりした方々の悲報がありました.
不慮の死に襲われることなく安心して暮らせる世の中であってほしいと願います.
1999/12/25クリスマス キリスト教ではイエスの誕生を祝う日ですが, ヨーロッパではキリスト教の広まる前からあった冬至祭と融合してるらしいです. 日が長くなり始めるのを祝う冬至祭は世界のあちこちにあるでしょうから, クリスマスが冬至祭といっしょになるのはヨーロッパに限らないでしょう. あらゆる宗教を超えて人々が平和に暮らせるように願ってます.
1999/12/26書くのは難しい 専門的な研究について, 一般向きにわかりやすく書くのは難しい. 難しくても努力してそれをしなければならないと思う. 数理論理学は数学の中でいちばん難しいと分野だとみられているが, いま研究している理論はその数理論理学の中でもとくに難しい. 理解できる人は, 理解の程度にもよるが, まだまだ少ない. たとえば, 評論が書ける程度に私の理論のわかる人は, 世界に数十人であろう. しかし, わかる人をふやしたい. たとい理論の全部はわからなくても, 細かい技術的なことはわからなくても, だいたいどんなことを考えているのか, この理論によってどんな問題が扱えるのか, そんなことを知ってほしい. 私の理論のわかる人を数十人から数百人, 数千人, やがては数億人にふやしたい. そのためには書かなければならない. しかし, 難しい.
1999/12/29忙しくても 原稿を書いたり研究会の準備したり忙しく, 正月らしいことは計画してません. 大掃除も省略. 一部の窓のガラスを拭いただけ. 家の中が片づいていません. 事務的に処理しなければならないあれこれもあります. 古紙やビン, 缶などの年内最後の回収に出す. パソコンの中のデータは二千年問題に備えてバックアップ. アプリケーションソフトも問題が生じないか調べたり. 落ち着いてものを考えたりするゆとりのない日々ですけれど, 美しいものに感動する心を失わないように心がけています.
1999/12/30明後日は西暦二千年 しばらく日記を休むかも知れません. 泊まりがけの旅行などの計画は
いっさいありませんけれど, 日記を書くゆとりがなさそうな気がしています.
年末の買い物にスーパーへ行って来ました.
ふだんでも騒々しいけれどきょうは格別. これでもか, これでもかと
けたたましい音楽を二つか三つ同時に重ねて大音量で流して,
それに重ねて「○○がお買い得!」とか「千年に一度のお正月に…」とか
何とかわめいてます. 頭上から騒音の降ってくる中を歩き回って疲れました.
二千年問題の備えはパソコンのデータのバックアップや
銀行の通帳記入はしましたけれど, 食料はふだんの買いだめ程度.
電気, ガス, 水道が止まることはないだろうと推測してます.
止まったらそのとき考えます. ろうそくは前からありますし,
ラジオもあります. 電池は入れてないけれど買い置きがあるので安心.
核ミサイルの誤発射などは,
そんなことがありませんようにと祈るしかありません.
よい年が来るのを心から願っています.
1999/12/31大晦日 いよいよことし最後の日. 何かと暗い事件や事故のニュースが多く, 政治も見当違いな方向へ走っていく一年でしたけれど, 誰かの予言したこの世の終わりにもならず, どうにか無事にこの一年を締めくくることができました. 多くの方が水のほとりを訪れて下さいました. うれしいことです. 非常勤講師の仕事も, 東京女子大学で来年度も継続することになったほか, 別の大学で新たにもう一つ来年四月から一年間の大学院ゼミナールを 担当することになりました. ありがたいことです. いろいろなことでお世話になりました数え切れない方々にお礼申し上げます. 来年2000年がよい年でありますように.