履歴
2010/10/13 update. Copyright (c) 1998--2010 Nagashima Takashi "Sannensei".
- 氏名: 永島 孝
- 氏名の読み: ながしま たかし
- 住所: (非公開です)
- 電話番号: (非公開です)
- Email アドレス: このページのいちばん下をご覧下さい
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称号・学位
- 理学士, 1960年3月, 東京教育大学理学部.
- 理学修士, 1962年3月, 東京教育大学大学院理学研究科.
- 名誉教授, 1998年4月, 一橋大学.
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生まれ・家族
- 父方の父方の曾祖父(故人) 永島 段八郎 忠胤
- 父方の父方の曾祖母(故人) 永島 ぬい
- 父方の母方の曾祖父(故人) 布施 泉
- 父方の母方の曾祖母(故人) 布施 ます
- 母方の父方の曾祖父(故人) 北島 剛三 (旧姓 川島) 1844年 (弘化元年) 生, 1909年 (明治42年) 没
- 母方の父方の曾祖母(故人) 北島 志う (旧姓 山崎) 1849年 (嘉永2年) 生, 1931年 (昭和6年) 没
- 母方の母方の曾祖父(故人) Horace E. Brown
- 母方の母方の曾祖母(故人) Caroline D. Brown
- 父方の祖父(故人) 永島 忠重 1871年 (明治4年) 生, 1938年没
- 父方の祖母(故人) 永島 (旧姓 布施) 瑛子 1878年 (明治11年) 生, 1961年没
- 母方の祖父(故人) 北島 亘 1868年 (明治元年) 生, 1949年没
- 母方の祖母(故人) 北島 (旧姓 ブラウン) リリアン 1875年 (明治8年) 生, 1952年没
- 父(故人) 永島 吉太郎 1908年 (明治41年) 2月8日生, 東京市 豊島區, 2007年没
- 母(故人) 永島 (旧姓 北島) ヱミ 1906年 (明治39年) 7月4日生, 東京市 牛込區, 2001年没
- 妻の父(故人) 伊大知 良太郎 1908年 (明治41年) 生, 1985年没
- 妻の母(故人) 伊大知 (旧姓 鈴木) 淑子 1912年 (明治45年) 生, 2001年没
- 本人 永島 (旧姓 永島) 孝 1935年 (昭和10年) 生, 東京市 神田區
- 妻 永島 (旧姓 伊大知) 紀子 1938年 (昭和13年) 生, 台湾省 台北市
(注. 台湾は当時は日本領でした.)
- 妹 1938年 (昭和13年) 生, 兵庫県
- 妹 1943年 (昭和18年) 生, 長野県, 1943年没
- 妹 1947年 (昭和22年) 生, 長野県
- 妻の弟 1942年 (昭和17年) 生
- 1935年, 東京市 神田區 (現 東京都 千代田区) 三崎町で,
永島吉太郎・ヱミ夫妻の長子として生まれる.
- 兵庫県 武庫郡 甲東村 (現 西宮市),
長野県上水内 (かみみのち) 郡 信濃尻村 (のちに柏原村・古間村・富士里村と合併して信濃町) の野尻湖のほとりに居住. 大学に入学して親元を離れ神奈川県 中郡 二宮町の伯母の家に1959年まで同居, その後は東京都のあちこちに居住.
- 本籍 長野県.
- 1967年3月30日結婚. 子 なし.
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学歴
- 1942年4月, 長野県上水内郡信濃尻村立野尻国民学校初等科 入学.
(注. 国民学校初等科というのはいまの
小学校にあたる六年間の義務教育です.
初等科の上に二年間の高等科というのがありました).
- 1943年4月, 同初等科二年に進級.
- 1944年4月, 同初等科三年に進級.
- 1945年4月, 同初等科四年に進級できず,
登校せずに現在に至る.
(注. 出席日数が足りなくて落第しました. 欠席が多かったのは,
上級生たちからのいじめが絶えず続き, 激しく暴行されて翌日は寝込み,
翌々日に登校するとまたいじめられることの繰り返しが原因です.
ついには二階の窓の外に逆さづりにされて
左股関節亜脱臼になりました.
落第のきまった春, 学校に行かないと決意し, それきり登校してません.
なお, 退学手続きをとったことも, 除籍するという通知を受け取ったことも,
ありません.
いまの義務教育では不登校が一定期間続くと除籍し, そのことを本人や保護者に
連絡するとは限らない, と聞いています. しかし, 国民学校にはそういう制度は
なかったらしいので, いまも
三年に籍がある
と思います. 国民学校初等科は敗戦後に六三制の小学校に変わりましたが,
1950年代はじめころは野尻小学校にたしかに籍がありました).
- 1953年4月, 長野県上水内北部高等学校定時制信濃尻分校 入学.
(注. 四年制の課程ですが夜学ではありません).
- 1953年5月, 長野県長野西高等学校通信教育部(通信制) 入学.
(注. 定時制高校と通信制高校との二重在籍は認められていました).
- 1954年8月, 大学入学資格検定試験 合格.
(注. いわゆる大検).
- 1956年3月, 上水内北部高等学校 中退.
- 1956年3月, 長野西高等学校 中退.
- 1956年4月, 東京教育大学 理学部 数学科 数学専攻 入学.
- 1959年3月--, 岩村聯先生のゼミナールに所属し,
島内剛一先生の指導で数理論理学を学ぶ. ゲンツェンの論文などを読む.
- 1960年3月, 東京教育大学理学部 卒業.
(注. 学校を卒業するはじめての経験).
- 1960年4月, 東京教育大学大学院理学研究科修士課程数学専攻 入学.
- 1960年4月--, 竹内外史先生のゼミナールに所属し,
紀晃子先生の指導で数理論理学を学ぶ.
ゲーデル, クリーネ, 竹内, レヴィの論文などを読む.
ゲーデルのモデルΔをレヴィが一般化したモデルΔkを,
超限順序数の竹内による公理的理論の中で構成し,
修士論文
On the Levy's model Δk and the theory of ordinal numbers
として提出.
- 1962年3月, 同 修了. 理学修士.
- 1962年4月, 東京教育大学大学院理学研究科博士課程数学専攻 入学.
- 1962年4月--, 引きつづき竹内外史先生のゼミナールに所属し, 数理論理学を学ぶ.
- 1963年3月, 同 中退.
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職歴 (常勤)
- 1963年 4月, 東京教育大学理学部 助手.
- 1967年 4月, 一橋大学経済学部 専任講師.
- 1970年 5月, 一橋大学経済学部 助教授.
- 1978年12月, 一橋大学経済学部 教授.
- 1997年 4月, 一橋大学大学院経済学研究科 教授.
- 1998年 3月, 一橋大学を定年退職.
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職歴 (非常勤講師)
- 中央大学,
1967年10月--1972年3月, 1973年4月--1977年3月.
- 東京女子大学, 1997年4月--2005年3月.
- 一橋大学大学院経済学研究科 (自主ゼミ), 1998年4月--1999年3月, 2000年4月--2001年3月.
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学会
- 日本数学会 会員. 1964年11月18日入会.
「数学」常任編集委員 (1984--1986),
評議員 (1992--1994), 受賞候補推薦委員 (1992--1994) を歴任.
- 科学基礎論学会 会員. 1964年入会.
- 情報処理学会 元会員. (1964年11月1日入会, 1999年11月退会).
- 日本ソフトウェア科学会
元会員. (創立時入会, 2001年3月退会).
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委員など (勤務していた大学の学内のものを除く)
1983年 4月--1984年 3月 | 文部省 教科用図書検定調査審議会 調査員 |
1984年 7月--1986年 6月 | 日本数学会「数学」常任編集委員 |
1992年 4月--1994年 3月 | 日本数学会 評議員 |
1992年 4月--1994年 3月 | 日本数学会 受賞候補推薦委員 |
1995年 1月--1996年 1月 | 学術審議会 専門委員 |