父を皆様にご紹介申し上げます. 準備中のページですが お許し下さい.
父を偲ぶ演奏会への御礼 2010年5月30日, 「永島吉太郎先生を偲ぶ」演奏会が開かれました. 小出隆夫様はじめ関係者皆様に, 父に代わりまして心から御礼申し上げます.
永島吉太郎の描いた絵もご覧下さい.
永島 吉太郎 (ながしま・きちたろう, Kichitaro John Nagashima) 略歴
1908年(明治41年)2月8日東京生まれ,
1934年1月1日北島ヱミと結婚, 子4人 (うち1人死去).
1945年 帝国海軍に召集され敗戦後に生還.
2007年9月14日死去, 享年99歳.
学歴 | |
湘南中学 (現 湘南高等学校) | 1926年卒業 [第一回生] |
富山高等学校 (現 富山大学) 文科乙類 | 1930年卒業 |
京都帝国大学 (現 京都大学) 文学部哲学科 | 1933年卒業 美学美術史専攻 |
職歴 (概略) | |
関西学院大学文学部 | 1933年〜 講師 |
野尻湖開墾合資会社 | 1941年〜 事務長 |
連合国軍最高司令部 (GHQ) 経済科学局 | 1946年〜 顧問 |
国立国会図書館 | 1947年〜 参事 |
新潟大学教育学部 | 1949年〜 助教授, 教授 |
両親 永島吉太郎・ヱミ夫婦は1941年に兵庫県西宮市から 長野県上水内郡信濃町の野尻湖畔に移り住み, 1974年まで住んでいました. 私も1956年まで長野県のこの家に両親と同居していました. 1974年に, 両親は茨城県笠間市下市毛の笠間芸術村に転居し, 老人ホームに入所するまで笠間に住んでおりました.