ベッテルハイム of Historical Sight of Christianity

 日本におけるプロテスタント宣教の歴史は1859年の宣教師来日から記されることが多いが、琉球王国下の沖縄においてはそれに先立って英国国教会の宣教が開始されていた。往事を偲ぶものはないが、その歴史を垣間見よう。

幕末の琉球王朝において、宣教師の居住地となった場所

 1846年に英国国教会の宣教師として琉球に訪れたベッテルハイムは、波之上(現在の那覇市若狭)にある護国寺に住まい、1854年まで伝道と医療(仲地紀仁に牛痘法を伝授)、そして通訳者の役人の協力を得て新約聖書を琉球語、さらに和訳聖書へと翻訳していった。
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 ベッテルハイムは聖書翻訳に情熱をそそいだ。琉球語による「ルカ伝」、「ヨハネ伝」、「使徒の働き」、「ローマ書」に続き、本土での宣教に備え漢和対訳の「マタイ伝」「マルコ伝」「ルカ伝」が製作された。これらは英国聖書協会によって海外でではあったが出版されている。

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ベッテルハイム顕彰碑

 ベッテルハイム(ベツレヘムの意)は1811年、ハンガリーのユダヤ系の家庭に生まれ(彼を顕彰する碑に「ダビデの星」が見られるのはそのためである)、ラビとなる教育を受けたが、トルコのスミルナで英国国教会の洗礼を受けクリスチャンとなった。その後、イギリスに帰化。「琉球海軍伝道会」の宣教師として琉球に派遣されることとなった。
 彼の住まいのあった護国寺は琉球最古の寺院としても知られる。その敷地内には「ベッテルハイム博士居住之趾」と記された顕彰碑が立つ。日本におけるプロテスタント宣教を語る際には忘れることのできない人物であり、また聖書琉球語訳、聖書和訳の歴史においても意味のある場所となっている。

ハジマリニ カシコイ モノ ヲテ、コノ カシコイ モノヤ シヤウテイト トモニ ヲタン、カノカシコイ モノヤ シヤウテイド。コノカシコイモノ ハジマリニ シヤウテイト トモニ ヲタンバンモツ カレニ ツクラツタン、スベテ ツクタイル ウチ ナカヱ カレガ ツクラン モノヤ ヒトツン ナイン。
(琉球語訳「約翰傳福音書」冒頭)

所在地
沖縄県那覇市若狭1-25-5
交通
J那覇空港からバス・那覇市内線西武門下車
(レンタカー使用が便利)
備考
波の上ビーチ、波之上自動車学校などが目印になります。

_IGP3741.jpg護国寺のベッテルハイム顕彰碑


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