洞窟礼拝堂 of Historical Sight of Christianity

「宣教師フランシスコ・ブルドリノが伝道に従事した地方(竹田・直入地方)即ちシンガ(志賀?)の殿の一人が、神父の居所を知りながら眼を閉じていた」『日本切支丹宗門史』

 幅3m、奥行3m、高さ3.5mで正面奥の壁を掘り込み祭壇として使用していたと考えられるこの洞窟は、岡藩におけるキリスト教の広まりと、その後に訪れる禁教の時代を物語る史跡である。岡藩では藩主中川氏のもとで1919(元和五)年より宗門改めが開始され、翌年より厳しい切支丹狩りが行われたという。



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凝灰岩をくりぬいたこの洞窟は、十四世紀頃のローマの洞窟礼拝堂によくにている。こうした点で洞窟礼拝堂としては全国でも例を見ない。・・・竹田市教委設置の解説看板より

IMGP5032.jpg住宅地より奥まった所に入った山腹に洞窟礼拝堂、隣接した宣教師住居の洞窟がある。手前は井戸跡。洗礼などにも使われたのであろうか。周囲の草木が下からの視界を遮り、目立たない場所になっている。一方、この洞窟側からは城下町がかすかに見える。宣教師たちはこの地を見て何を思い、また祈ったことだろう。

IMGP5001.jpg洞窟礼拝堂の入り口部分。侵入できないよう格子がはめられている。意外に大きく、170cm以上の身長でもようやく中央の窓から覗き込めるほどの高さである。
IMGP5007.jpg洞窟内部には十字架のついた祭壇がある。
IMGP5010.jpg吹きさらしの洞窟が神父の住居という。標柱には「岡藩主中川久盛公(二代)の家老古田重治はこの洞窟に秘かに神父ペトロ パウロ ナバロ 及びフランシスコ ブルドリの二人を保護していた。1617年(元和三年)より1620年(元和六年)まで。」とある。

所在地
大分県竹田市竹田2044
交通
JR豊肥本線・豊後竹田駅から徒歩15分ほど
備考
山林のため付帯設備は皆無。
竹田「歴史の道」が整備され、見所は多い。

大分県 観光情報公式サイト


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IMGP4990.JPG殿町武家屋敷通を行くと赤い鳥居があり、その根元に「切支丹礼拝堂」の小さな看板。これを目印にして、しばらく路地を進み、やがて左手の山中に入ったところに史跡がある。駅前の観光案内所で竹田の地図はもらえるが、この場所は奥まってわかりづらいので、事前にしっかり場所を把握していくことをお勧めする。

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