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踊れトスカーナ!
イタリアのトスカーナ地方。
町の外れの農場で、平凡な会計士のレバンテ(レオナルド・ビエラッチョーニ)は、
革命派闘志だった父親、死に魅せられた素人画家の弟・リーベロ(マッシモ・チュッケリーニ)と、
レズビアンの妹・セルバジャ(バルバラ・エンリーキ)と一緒に暮らしていた。
ある日、レバンテの家の農場に、スペインのフラメンコ・ダンサーの一団のバスが迷いこんで来たのだ。
マネージャーのナルドーネに頼まれて一夜の宿を提供することになった一家は、
驚くほどセクシーでキュートな5人のダンサーたちに釘付け。
中でもレバンテは、黒い瞳が情熱的なカテリーナ(ロレーナ・フォルテーザ)に一瞬にして心を奪われてしまう。
しかし、カテリーナにはアレアンドロという恋人が居た。
この作品は、イタリア映画独特のノスタルジックな部分が一切無い、とことん陽気なラブ・コメディ。
一面のひまわり畑とフラメンコのダンス、楽しい音楽が印象的で、
それだけでも充分に楽しい気持ちになることが出来る上、ここで繰り広げられる物語が何とも面白いのです。
主人公の会計士レバンテが絵に描いたような平凡な男であるのに対し、周りの人物たちがみな極端に個性的で、
色っぽいダンサーたちが一晩泊まることになって大騒動のリバンテの家では、
父親や弟だけでなく、レズビアンの妹までもが色目を使う始末。
カテリーナに魅せられたレバンテが、他の誰より妹を一番危険な人物として
警戒しているのが、たまらなく可笑しかったりします。
また、レバンテに絡む幼なじみのカルリーナと、カテリーナの彼氏アレアンドロのキャラも強烈。
このふたりのレストランでの絡みのシーンは可笑しくて、涙が出るほど笑いました。
一度惚れたらまっしぐらに突き進む男性は『ライフ・イズ・ビューティフル』でも
描かれていましたが、リバンテの思い入れもかなりのものです。
これはイタリア人男性の“血”なのでしょうか?
途中、イタリア語とスペイン語でのちぐはぐな会話のシーンなどもありますが、
言葉の聞き分けが出来ないため、そのニュアンスがリアルに伝わってこないのだけが残念でした。
レベル4
フラミンゴの季節
フラミンゴが渡ってくる夏、南米、パタゴニア砂漠の人里離れたサン=ロレソンの村。
誰もこの村を愛する者はおらず、ただ惰性で生活するだけの日々。
やがて世界の果てかと思えるようなこの地に、若き技師が橋の建設調査のためにやってくる。
だが、彼の訪問は運命から見放されたかのような村に住む人々にとって、
経済の向上を求める男たちの陰謀と殺人を巻き起こして行く…。
体調が悪い時に観たのがいけなかったのか、
私はこの作品に入り込むことが出来ませんでした。
人里離れた小さな村で、その村を愛していないにも関わらず、出ていくことが出来ない住人たちと、
そこに外部から仕事でやってくる測量技師。
いずれの登場人物にも魅力を感じなかったために、そこで繰り広げられるドラマを、
ただぼんやりと眺めているだけで終わってしまったのです。
観ていても、主役が誰なのかさっぱり分からなかった作品でした。
最後まで観て、ようやくこれは13歳のメイド・ファニータの物語なのだと分かりました。
最初から彼女の視点でストーリーを追っていれば、もう少し違った見方が出来たかもしれません。
レベル2
メイド・イン・ホンコン
1997年香港。
下町の老朽化した低所得者用公団に母親と二人で住む少年チャウ(サム・リー)は、
中学卒業後、借金の取り立ての手伝いをしている。
彼は、仕事は貰うが組織には属さず、一匹狼の身分に誇りを持っていた。
ある日、弟分である智恵遅れの少年ロン(ネイキー・イム)を伴って借金の取り立てに行った先で、
チャウは16歳の少女ペン(ネイキー・イム)と出会った。
ペンの父は借金を残したまま行方知れず、彼女もまた母と二人暮らしだったのだ。
その日、取り立ては失敗に終わるが、次にチャウが彼女と出会った場所は、病院のロビーだった。
重い腎臓病に冒され、腎臓移植をしないと自分は長く生きられないと知っていたペンは、
その後チャウの家を訪れ、友達になって欲しいと頼む。
香港のダウンタウンの現実をリアルに描き、数々の映画賞を受賞したという作品。
しかし“香港のダウンタウンの現実”を知らない私には、それを作品の評価の対象にすることは出来ず、
これをひとつのフィクションとして受け取るほかはありませんでした。
世間からはみ出した若者たちの、暗く、悲壮感が漂う青春を描いた作品という点では、
この作品に特に目新しいものは感じません。
父親殺しのの過去を持つ青年と、心臓にペースメーカーを埋め込んだ少女が
麻薬売買でヤクザと絡んで行くという95年の邦画『日本製少年』の世界に
タイトルも含めて非常によく似ている気もしましたし、
岩井俊二の『スワロウテイル』や『PiCNiC』の世界観にも似ている気がしました。
これらの作品に共通するキーワードは、“若者”“はみ出し者”“ピストル”・・・。
映像はものすごくカッコいいのですが、そこから漂ってくる“死のニオイ”で、
単純に“カッコいい”“面白い”という言葉だけでは済ますことが出来ない感想を持つのです。
日本で作られた『日本製少年』や『スワロウテイル』や『PiCNiC』が現実離れしていることに対し、
この『メイド・イン・ホンコン』の世界が、とても現実的だとすれば、
それはとても悲しいことのような気がします。
観終わった時には、ドーンと気分が落ち込んでいました。
レベル3.5
輝きの海
イギリスの海辺の町に住むエイミー(レイチェル・ワイズ)は、
こよなく海を愛し、海から流れつくものを“海からの贈り物”として拾い集めていた。
そんな彼女は、町の人々から変わった娘だと思われるばかりでなく、
笑わず、ろくに口もきかない娘として、両親からも毛嫌いされていた。
ある日、ロシアから新天地アメリカを目指す人々を乗せて旅立った船が嵐で転覆、
数多くの遺体が、エイミーの町の浜辺に打ち上げられた。
そんな中、ウクライナ人のヤンコ(ヴァンサン・ペレーズ)だけが奇跡的に助かる。
傷だらけのヤンコだったが、偶然出会ったエイミーの救護により回復することが出来、
彼女に感謝の気持ちと、恋心を抱くようになる。
やがて、エイミーも彼の気持ちを受け、言葉の壁を超えてふたりは愛し合うが、
封建的な町の人々は、よそ者のヤンコには冷たかった。
町の中でも異端児扱いされている女性と、よそ者の男性の恋愛ものと言えば、
『奇跡の海』を思い出しました。
しかし、素晴らしく完成度が高い『奇跡の海』に比べると、この『輝きの海』の薄っぺらなこと・・・・。
素材は悪くないですし、主役のレイチェル・ワイズとヴァンサン・ペレーズから、
脇役のイアン・マッケラン、キャシー・ベイツまで、キャスティングも申し分なしです。
映像は美しく、撮影にも力が入っているのも分かります。
しかし、核となる脚本が弱過ぎて、作品を台無しにしているのです。
ドラマの元になる、登場人物たちのバックグラウンドがあまりにも曖昧で、
その心境が理解出来ないことが多過ぎるのです。
町の人々がなぜエイミーを特別視するのか、なぜよそ者であるヤンコを毛嫌いするのか、
なぜエイミーはヤンコに惹かれたのか、なぜケネディ医師はヤンコに執着するのか・・・・。
その辺の説明がきちんとされていないためか、ラストへと続く彼らの気持ちの変化にも、
いまひとつピンとくるものがありませんでした。
物語がケネディの語りで進められて行くのにも関わらず、
彼が知らないエイミーとヤンコのエピソードが盛り込まれているのにも違和感を感じます。
1つ1つのカットはとてもいいのに、つなげてみれば面白くないという、非常に残念な作品でした。
レベル2
スモーク・シグナルズ
ネイティブ・アメリカンの青年ビクター(アダム・ビーチ)は、
10年前に母と自分を捨てて出て行ったきり戻ってこない父を憎んでいた。
ある日、彼はそんな父が遠くの地アリゾナで死んだという知らせをを受ける。
遺灰と遺品を引き取りに来て欲しいという依頼を拒んでいたビクターだったが、
幼なじみのトーマス(エバン・アダムス)に説得され、彼とふたりでアリゾナに向かう決心をした。
初めてアイダホのインディアン居留地を出て旅に出たビクターとトーマスは、
道中で数々の差別的行為を受けながら、アリゾナの父の住んでいた場所へと到着する。
父の遺灰を友人だった若いインディアン女性から渡されたビクターは、
彼女から父がずっと心に病んでいた、彼の秘密を聞くこととなる。
ひとつの旅を通して、ふたりの青年の心の成長を描いた、良い作品なのだと思います。
しかし、私にはこの作品の深い部分が理解出来ませんでした。
これは、私が最も苦手としている分野なのかもしれません。
ネイティブ・アメリカンの彼らが、同じアメリカ人の白人たちから
どんな差別を受けているのかがよく分かっていないため、
彼らが居留地を出て旅に出るということの重大さすら、理解しきれないのです。
差別を受ける者の、心の痛みが分からないのです。
また、インディアン・スピリッツも、この作品の重要なテーマとなっているため、
それがよく分かっていないと、ますます理解出来なくなってしまいます。
ネイティブ・アメリカンの内面を描いた作品であり、
“気持ちの変化”“心の成長”がテーマとなっているだけに、
彼らに馴染みの薄い私は、作品を充分に楽しむことは出来ませんでした。
レベル2
インディアンの気持ちになりきるのは難しい・・・・・
イフ・オンリー
売れない役者ヴィクター(ダグラス・ヘンシャル)は、8ヶ月前のことを後悔していた。
同じ劇団に所属している女優と浮気したことで自責の念に駆られた彼は、
そのことを、同棲中の恋人シルヴィア(リナ・ヒーディ)に告白してしまったのだ。
彼の告白を聞いたシルヴィアは部屋を飛び出し、そのままヴィクターの元へは帰らなかった。
それからずっとヴィクターはシルヴィアを忘れられないでいるのに、
彼女は明日、デイヴ(マーク・ストロング)という、別の男性と結婚してしまうのだ。
「あの時、浮気を告白しなければ・・・・」
悔やんでも悔やみ切れない気持ちで、夜の町を徘徊していたヴィクターは、
ひょんなことで8ヶ月前のあの日にタイムスリップしてしまう。
浮気の告白をする前の時間まで戻ったことを確信したヴィクターは、
今度はその事実を黙ったまま、彼女に精一杯の愛情を与えようとするが・・・・。
あの時、あの一言さえ言わなければ、今ごろはもっと違う結果が得られただろう・・・・。
そんなこと、きっと誰もが一度は考えたことがあるでしょう。
自分の浮気を恋人に告白してしまったことを悔いてやまないヴィクターは、
望み通りに、告白する直前までタイムスリップします。
そして、彼女ともう一度やり直そうとするのです。
それが、果たして上手くいくのか・・・・というのがこの作品。
グゥイネス・パルトロウの『スライディング・ドア』や、
岩井俊二の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』など、
“もしもあの時・・・・”で、2つの異なった結果を見せる作品は今までにもありましたが、
この『IF ONLY』は、あと出しにも関わらず、ことのほか面白かったのです。
主人公がもうひとつの結果を知ったままタイムスリップし、
過去をやり直そうとするといった点が、前2作とは違う新鮮さがありました。
ヴィクターは、それまでシルヴィアを大切にしなかったことを後悔し、
人が変わったように彼女に尽くし始めます。
今度こそ、シルヴィアを失わないために、必死に頑張るのです。
でも、今度は彼女の方がそれに物足らなさを感じ始めてしまいます。
そこから先の展開が非常に上手く、また、それに伴うヴィクターとシルヴィアの
それぞれが抱える気持ちもとても良く分かり、切なくなってしまいました。
そして、時と場所が変わっても、出会うべく人にはちゃんと出会える、という考え方に、
非常に共感出来ました。
この作品は、“もしもあの時地下鉄に乗っていなかったら、出会うべく人には出会えなかった”という
『スライディング・ドア』の考え方とは、ある意味全く反対側にある作品とも言えます。
レベル4
ハイ・アート
写真雑誌「フレーム」の女性編集アシスタント、シド(ラダ・ミッチェル)は、
バスルームの水漏れをきっかけに、アパートの階上に住むルーシー(アリー・シーディ)の部屋を訪れ、
そこに飾ってあるスナップ写真の数々に魅了される。
ルーシーがかつて写真集も出したことがあるフォトグラファーだと知ったシドは、
「フレーム」で彼女の作品を取り上げるようにボスに持ちかける。
やがてシドの計らいにより、ルーシーの撮りおろしで「フレーム」のカヴァーを飾るという企画が動き出した。
ルーシーは過去に優れた作品を残しながら、突然に姿を消した有名なフォトグラファーだったのだ。
ルーシー自身はその企画に気乗りしない様子だったが、シドの情熱と彼女への愛情から、
彼女を担当編集者にすることを条件に仕事を引き受ける。
シドは初めての大仕事に興奮し、ルーシーへの崇拝の気持ちを一層強くする。
そして、共に過ごす時間が増えた二人の関係は、仕事と愛情の境界線を曖昧にしていく。
『ブエノスアイレス』と同じく、恋愛に性の隔たりは関係ないのだな、と感じられた作品です。
女性が女性を好きになってしまう気持ちを、すんなりと受けとめられました。
多くの写真を扱う女性編集者が、階上に住むフォトグラファーとふとしたことで出会い、
その才能に惹かれる・・・という設定には無理が無く、シドのルーシーへの気持ちが理解出来るのです。
もう長い間同棲を続けているボーイフレンドが居ながら、
彼よりも、才能ある同性のフォトグラファー、ルーシーに惹かれてしまったシドが、
涙を流しながら愛を告白するシーンには、罪悪感と、戸惑いと、
それでも押さえきれない感情が複雑に入り混じったものが痛いくらいに感じられました。
その上、ルーシーに対するプライベートな恋愛感情と、
ビジネスのために打算的にならざるを得ない気持ちとの葛藤にも悩まされる悲しさ。
ルーシーもまた、シドに惹かれながらも、自分を心のよりどころとして離れない恋人と、
ドラッグ漬けの現在の生活から逃れることの出来ない悲しみを抱えています。
シドを想うからこそ、純粋な彼女を荒んだ自分の生活に引きずりこみたくないと思うのです。
お互いに惹かれ合っているのに、周りの様々なしがらみから苦しむ二人の切ない気持ちが
ルーシーが撮ったシドの写真に集約されている気がしました。
そんな二人の大切な気持ちを切り取った写真を、
最後にはビジネスに使用しなければならない気持ちもまた切なく、
上司の「いい仕事をした」の一言が悲しくて仕方ありませんでした。
レベル4
54/フィフティ★フォー
1979年、ニューヨークのディスコ・スタジオ54は、
ニュージャージーの郊外で暮らすシェーン(ライアン・フィリップ)にとっての憧れの場所だった。
数々の有名人が集まり、アート、ファッション、音楽すべての情報発信源となるスタジオ54は、
厳しいチェックを行い、入場する人物を選ぶのだ。
ある夜、友人たちと一緒にスタジオ54を訪れたシェーンは、
オーナーのスティーヴ・ルベル(マイク・マイヤーズ)の目に留まり、ひとりだけ入場を許される。
初めて“自分が選ばれた”喜びに震え、狂乱の一夜を体験したシェーンは、
スタジオ54でウェイターとして働き始める。
やがて業界の実力者である女性に気に入られ、先輩を差し置いてバーテンダーに昇格したシェーンは、
瞬く間にアイドル的存在に昇りつめていくのだが・・・・。
1977年にニューヨークに誕生し、世界中の注目を集めた伝説のディスコ<スタジオ54>を舞台に、
そこで働く1人の少年の目を通して、その表と裏の世界を描いた作品。
オーナーのスティーヴ・ルベルも、実在の人物だそうです。
普通の少年が華やかな世界でスターダムにのし上がっていくストーリーと言えば、
『ブギーナイツ』にも似たところがありますが、
内容的には『ブギーナイツ』に比べると全く面白みがありません。
主人公シェーンの栄光と挫折というよりは、
<スタジオ54>そのものを描くことに重点を置いているためでしょうか。
シェーンがスターダムにのし上がり、周りからちやほやされながらも、
純朴な気持ちを失わないというのも、リアリティに欠けているように感じました。
二番煎じ的な作品は、前作を上回らないと意味が無いでしょう。
でも、劇中に流れる70年代の音楽はとても良かったと思います。
面白みのないストーリーを、音楽が助けていた感があります。
レベル3
ライアン・フィリップはほとんど上半身脱ぎっぱなし、
他にもいい身体の男の人たちが、いっぱい見れます♪
レッド・バイオリン
1681年、イタリア。
バイオリン職人ニコロ・ブソッティ(カルロ・セッチ)の妻アンナ(イレーネ・グラツィオーリ)は、
臨月を迎え、ニコロは生まれ来る子供に贈るために、生涯で最高のバイオリンを製作していた。
しかし、アンナは子供を死産し、自らも命を落してしまう。
悲しみに浸りながら、ニコロはその夜、妻への想いを込めて
バイオリンに最後の仕上げのニス塗りを施した。
家政婦チェスカが、呪われた影がその虜となった人々を不幸に陥れると予言した通り、
そのバイオリンは様々な国を旅しながら、人々の運命を狂わせて行く。
そして、現代のモントリオール。
オークションの会場では“レッド・バイオリン”が競りにかけられようとしていた。
ニコロ・ブソッティの最高傑作と言われたその名器に思いを馳せる人々が固唾を飲んで見守る中、
“レッド・バイオリン”の驚くべき事実を知った、鑑定人モリッツ(サミュエル・L.ジャクソン)は、
静かにその場を立ち去る。
イタリア、オーストリア、イギリス、中国、そしてカナダと、
4世紀に渡って5つの国を旅してきた赤い色のバイオリンと、それに魅了された人々の物語。
タロットカードが占ったバイオリンの数奇な運命を、時間軸を巧みに交錯させて見せる構成が見事。
各国の歴史や文化を背景にした壮大なストーリーと、
その中で色々な人たちの手を渡りながら、バイオリンが奏でる数々の素晴らしい音楽が相乗し、
とても芸術性の高い作品となっています。
また、5つの国でのエピソードは、それぞれ母国語で語られているという点も、
とてもリアリティがあり、作品の質を高めています。
なぜ1台のバイオリンが、人々の運命を狂わせるほどの威力を持ってしまったのか、
そのミステリアスな魔力の理由も、誕生の秘話を聞かされれば納得せざるを得ません。
この作品は、歴史と文化を背景にしたドラマと、素晴らしい音楽が盛りこまれたミステリーなのです。
ラストシーンの解釈は色々あると思いますが、
私はタロットカードの最後の言葉をどうしても信じられません。
バイオリンに宿った魂と呪いは、永遠に消えることは無いと思うのです。
レベル4
君を見つけた25時
ワイ(トニー・レオン)は、売れっ子CMディレクター。
女の子をスターに育てる腕は一流なのに、仕事をしているうちに恋してしまい、
いつも最後には捨てられる。
そんなある日、ワイの目の前に美少女アーユー(ヴィヴィアン・スー)が現れ、
彼女を日本企業向けのCMガールに起用して、見事に成功する。
明るく前向きなアーユーに、またもや心惹かれ始めるワイ。
しかし、過去の恋愛のトラウマから、素直に彼女への気持ちを認めることが出来ない。
そんな時、美人の上司ヴィヴィアン(エイダ・チョイ)からも誘惑され、
ワイはタイプの違う二人の女性への気持ちで思い悩む。
一方、ワイの同僚パトリックは、同棲している彼女がいるにも関わらず、
一夜限りの相手と浮気を繰り返すことがやめられない。
そして、そんな彼を理解しながら見つめ続けている幼なじみの女性がいた。
脚本・監督が、『君さえいれば/金枝玉葉』の脚本家ジェームズ・ユェン、ということを後で知り、
複雑に登場人物たちが絡んでいくストーリー構成の上手さに納得しました。
宣伝の様子から、ネームバリューのあるトニー・レオンとヴィヴィアン・スーの
恋物語がメインのお話だと思って観ていましたが、
私は、これはひとりの女性を真っ直ぐに愛することが出来ないワイとパトリックという
二人の男性のお話と受け取りました。
ワイは、気になる二人の女性からモーションをかけられて、
どちらかひとりを選ぶことが出来ないまま悩む男。
パトリックは同棲している相手を口八丁手八丁で騙しながら、浮気を続ける男。
そして、こんなどうしようもない二人の男に惑わされたり、
時には彼らを惑わせたりして四人の女性が絡んでいく様がコミカルに描かれた作品です。
ラブコメディとしては、なかなかの出来で、特に男性の心理表現が上手いのか、
場内では男性の観客にウケが良かったようでした。
しかし、女性の立場から見ると、悠長に笑っていられるような作品でもありません。
男の人の心理ってこんなもんなのかな、としみじみ感じながら見入ってしまいました。
男も女も生活の中心は異性への感情であり、
それに囚われると愚かな生き物と化してしまうのだな・・・と。
複雑な男性心理を内側から描いた作品として、とても勉強になりました。
ラブコメディというより、別の意味で楽しめた作品とも言えます。
レベル3.5