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黒猫・白猫 /
アムス→シベリア /
リトル・ヴォイス
マイ・ネーム・イズ・ジョー /
アナザー・デイ・イン・パラダイス
運動靴と赤い金魚 /
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
エリザベス /
バッファロー'66 /
ラン・ローラ・ラン
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黒猫・白猫
ドナウ川のほとりで、ジプシーの父子、マトゥコとザーレは暮らしていた。
ロシアの密輸船にダマされて金に困ったマトゥコは、中東から来る石油列車を強奪する計画を立てるが、
新興ヤクザのダダンにまたもやダマされ、強奪計画は失敗した上、彼に多額の借金を作ってしまう。
ダダンはマトゥコに、借金を帳消しにする代わりに、
彼の息子のザーレを自分の妹アフロディタと結婚させるように迫る。
しかし、ザーレは酒場の娘・イダに恋をし、アフロディタもまた、この結婚を嫌がっていた。
それでも、ザーレとアフロディタの結婚式の日はやって来る。
ザーレの祖父ザーリェは、愛する孫が結婚を嫌がっていることを知り、
この結婚式を阻止することを目論むが、それもダダンには通用しなかった。
ザーレとアフロディタの想いとは裏腹に式はどんどんと進み、音楽と踊りで最高潮に達して行く。
そんな時、突然アフロディタが式場から脱走した。
超個性的な登場人物たちが繰り広げる、なんでもありのドタバタ喜劇。
冒頭からいきなり、ひとりきりで架空の相手とポーカーに興じるおじさんが登場。
それから次々と出てくる変な人たち。
『ストリート・オブ・ファイヤー』のライヴシーンを観ながら踊り狂う娘、
呪文を唱えて死んでしまうおじいちゃん、お尻で釘を引き抜く女、
『カサブランカ』のラストシーンを巻き戻しては何度も繰り返し観ているゴッドファーザー…
しかし、こんな変な人たちがただ無意味にドタバタやっているだけではなく、
この作品には“愛”をテーマにしたストーリーが一本、きちんと通っています。
政略結婚させられそうになっても負けずに、真実の愛を掴み取ろうとする若者たちの姿が
好感度たっぷりに描かれているのが、この作品の魅力なのです。
理解し難い変な人たちばかりが登場する中、唯一普通の人として登場するのが、
おバカなオヤジの借金の肩代わりに政略結婚させられるはめになったザーレ。
好きな人がいるにも関わらず、政略結婚というしがらみから抜けきれないザーレがあまりにもかわいそうで、
何とかこの結婚を阻止出来ないかという気持ちで観てしまうのです。
だから、ザーレと同じく結婚を嫌がっていた花嫁が、結婚式の会場から脱走するシーンは実に痛快で、
ラストに向けての展開は予想出来たものの、観終わった時に幸せな気持ちになることが出来ました。
ナンセンスなギャグが満載で、何だかよく分からないけどとにかく可笑しい、
超芸術的な一級品のエンターテイメント、という印象の作品でした。
レベル4.5
アムス→シベリア
ヒューホ(ヒューホ・メッツェルス)とゴーフ(ルーラント・フェルンハウト)は親友同士。
彼らはアムステルダムの真ん中で、外国から来る観光客の女の子たちをナンパしては、
ベッドインまで持ちこんで、お金を盗むという生活をしていた。
ある日、ふたりは中央駅の列車到着ホームで、
クリスティ(ニコール・エガード)とララ(ヴラトカ・シーマック)という女の子をナンパする。
しかし、したたかなララは、彼らのアパートに居候して、
一文無しでアムスの生活をできる限り楽しもうとしていた。
そんなララを、いつの間にか心から愛するようになってしまったゴーフ。
しかしララはそんなゴーフの気持ちを知りながら、このコンビを手玉に取って楽しむかのように、
ヒューホと関係を結ぶのだった。
タイトルを聞いた限りではアムステルダムからシベリアに向けてのロードムービーかと思いましたが、
実は全く違うお話で、それがかえって快く期待を裏切られた形となりました。
いかにも女のコにモテそうなヒューゴと、お人好しのゴーフというコンビが憎めず、
彼らが行っている悪事は、考えてみれば最低のことなのですが、
騙された側の湿っぽさが伝わってこないために、ただのゲームを観ているような感覚にとらわれます。
テンポの良さは『ラン・ローラ・ラン』に似ていますし、
騙し騙されで、どんどんと状況が変わっていくストーリーは
『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』に似たものを感じました。
親友であった二人の男性の間にひとりの女性が入ることで、微妙に関係がこじれていく様も
上手く見せていたと思います。
ラストまで全く展開が読めないストーリーと、エンディングの上手いまとめ方に大満足。
“騙し”はあっても、“殺し”がない分、『ロック、ストック…』より好きな作品でした。
映像はかなり凝っていて、この監督もまた、新感覚の映像作家と呼べるのでしょうが、
所々にモノクロ映像を取り入れていることだけには、あまり意味を感じらなかったのが残念でした。
レベル4.5
リトル・ヴォイス
大好きだった父親の死後、心を閉ざしてしまったローラ(ジェイン・ホロックス)。
彼女の楽しみは、レコード店を経営していた父が残していった数々のレコードを聞くことだけだった。
母親のマリー(ブレンダ・ブレッシン)は、無口なローラをバカにし、
彼女のことを“LV=リトル・ヴォイス)”と呼んでいた。
そんなLVの家に、無口な青年ビリー(ユアン・マクレガー)が電話回線工事の仕事で訪れる。
ビリーはマリーにはバカにされるが、LVとは惹かれ合うものを感じていた。
ある日、マリーは酒場で知り合った怪しいタレント・エージェント、
レイ・セイ(マイケル・ケイン)を家に連れ込み、情事にしけこもうとするが、
2階のLVの部屋から歌声が聞こえると、レイ・セイはマリーそっちのけで聞き込んでしまった。
ジュディ・ガーランドそっくりの歌声は他ならぬLVのものだったのだ。
成功には縁のなかったレイ・セイは、LVを成功への金づるだと考え、
彼女を強引にステージに上げようとする。
『ブラス!』のマーク・ハーマン監督最新作。
悪くはないが、それほど面白くもなかったという印象。
これは自分の殻に閉じこもってしまい、誰とも口をきかなかった少女が、
ひとりの青年との出会いや、数々の経験を通して心を開いていく…という物語。
そのため、少女LVの気持ちの変化が一番重要だと思うのですが、
彼女自身の人物像が、いまひとつ掴みにくく感じました。
視点を、母親・マリーから見たLV、ユアン演じるビリーから見たLVという描き方をしているので、
肝心のLV自身の気持ちに入りにくくなってしまっているのです。
もともとLV役のジェイン・ホロックスが、マリリン・モンローなどの物まねに長けている人で、
それをなんとか生かした作品を撮れないかと考えた結果生まれた作品…という印象も否めません。
彼女の“芸”を見せることに重きを置きすぎている気がしました。
ブレンダ・ブレッシンがアクの強い母親役を演じ、
アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされましたが、少々目立ち過ぎで疎ましくも感じました。
脇役であるはずの彼女が、完全に主役LVを食ってしまっている感がありました。
レベル3
マイ・ネーム・イズ・ジョー
元アルコール中毒患者で、現在は失業保険をもらって生計を立てている、
37歳のジョー(ピーター・ミュラン)。
彼は、甥のリーアム(デヴィッド・マッケイ)の家を訪ねてきた
保険管理センター職員のセーラ(ルイーズ・グッドール)と知り合う。
ある日、町でセーラと再会したジョーは、彼女の部屋の壁紙を貼るアルバイトを引き受け、
それをきっかけにふたりの関係は親密になる。
しかし、リーアムの妻サビーナ(アン・マリー・ケネディ)は麻薬を買うために組織から借金をし、
リーアムもトラブルに巻き込まれていた。
甥のトラブルを解決するために、ジョーはセーラには内緒で組織の手伝いをすることになるが…
37歳で無職、失業保険をもらってようやく日々の生活をしている男性が、
ケースワーカーという立派な職を持ち、マンションも車もある暮らしをしている女性と恋に落ちる物語。
ある意味『ノッティングヒルの恋人』と同じテーマを扱っているのですが、
出来過ぎた話の『ノッティングヒルの恋人』よりも、ずっとリアルなストーリーのような気がします。
37歳という年齢でなお、純粋にかつ真摯に恋をしていくジョーが愛しく思え、
彼の生活状況を知りながらも、人間的に彼に惹かれていくセーラの気持ちがよく分かりました。
しかし、心の中では惹かれていながらも、自分とは違う暮らしをしている相手に戸惑ったり、
生活の違いから来るモラルの違いや考え方の違いで衝突しする姿が
ジョーとセーラ、どちらの立場からも理解出来るように描かれていて、
やるせない気持ちでいっぱいになりました。
あと、印象的だったのは、ジョーがセーラに指輪をプレゼントするシーン。
あの時のセーラの気持ちは、恐らく女性にしか分からないでしょうね。
ジョー役のピーター・ミュランは、実に自然でいい演技をしています。
カンヌ映画祭で、この役で主演男優賞を受賞したそうです。
私は“大切なものを犠牲にして幸せを手に入れる”という“精神的ハッピーエンド”の作品が好きですが、
この作品のラストシーンでは、ジョーが失ったものがあまりにも大きく、
“精神的ハッピーエンド”を感じられなかったため、かなり重い気持ちになりましたが…
レベル4
アナザー・デイ・イン・パラダイス
ドラッグ中毒の16歳のボビー(ヴィンセント・カーシーザー)は、コソ泥で食いつないでいる。
ある日、盗みに入った大学のキャンパスで、警備員に殴られボロボロの身体で
恋人ロジー(ナターシャ・グレッグソン・ワグナー)の部屋へとたどり着いた。
たまたまその場に居合わせた友人のダンは、軍隊で医者の真似事を覚えたという
叔父のメル(ジェームズ・ウッズ)に傷の手当てを頼んでくれた。
傷の手当てをしながら、タフなボビーに一目置いたメルは、
彼を病院からドラッグを盗んで売りさばくという計画に誘う。
かくして、ボビーとメル、そしてメルの情婦シド(メラニー・グリフィス)とロージーの
4人の犯罪の旅が始まった。
写真家ラリー・クラークが『KIDS』に続いて監督を手がけた作品。
さすが写真家が撮った作品だけあり、独特な感性の映像は美しさを感じます。
しかし、この作品に出てくる人たちを、私は決してカッコいいとは思いませんでした。
ドラッグに溺れ、自分を守るために人を傷つけることも何とも思わない少年・ボビー。
父親から受けた暴力が心の傷になっているのです。
そして、彼を認め、彼に盗みの手ほどきをするメルに父親のようなものを感じ始め、
自分とロージーも、メルとシドのようなカップルになりたいと願い始めるのです。
“麻薬”を肯定的に扱った作品は、どうしても好きになれませんが、
この作品は麻薬を打ったり、盗みを繰り返したりしなければ生きていけない、
“悲しみ”の部分が前面に出ていたように感じました。
ボビーは、メルらと一緒に数々の経験を積み、失敗し、裏切られ、
一番大切だったものを失って、初めて気づくことが出来たと思うのです。
ラストシーンが私に想像させてくれたのは、
それまでの暮らしを捨て、新しい自分へと生まれ変わるボビーの姿でした。
レベル4
ボビー役の美少年ヴィンセント・カーシーザーは、これから人気が出るんじゃないかな。
運動靴と赤い金魚
9歳の少年アリ(ミル=ファロク・ハシェミアン)は、修理してもらったばかりの
妹ザーラ(バハレ・セッデキ)の靴を、買い物の途中で失ってしまう。
アリの家庭は貧しく、家賃も滞納しているような状態。
両親に靴のことを言い出せないアリは、
ザーラに自分の運動靴を交代で履こうと提案する。
両親にも先生にも内緒で、一足の靴を交代して履いて学校に行くアリとザーラ。
そんなある時、アリは学校で小学生のマラソン大会の選手を募集していることと、
3等の商品が運動靴であることを知る。
アリはザーラに新しい靴をあげるため、マラソン大会に出場する決意をした。
『ライフ・イズ・ビューティフル』『セントラル・ステーション』などと並び、
99年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたイラン映画。
この作品は、もともと海外に出すことを意識して作られたかのように
とても分かりやすく、ユニークにイランの文化を紹介し、
なおかつ、子供の心を上手く表現した素晴らしい仕上がりになっていました。
幼い頃から家の仕事を手伝うことを当たり前とされ、封建的な家庭に育ったアリとザーラ。
子供たちにとって、父親はとても威厳のあり、恐怖の対象でもあります。
それゆえ、買い物の途中で靴を失ったなどとは、アリは口が裂けても言えません。
言えば、厳しく叱られることが分かりきっているからです。
親に言えない、子供だけの秘密を持った時のドキドキ感は、
自分の子供時代にも共通するものがあり、懐かしい気持ちになりました。
自分が履いている靴が気に入らないために、
校庭で他人の靴ばかりが気になってしまうザーラの気持ちもとても良く分かります。
そんな子供のほんの些細な心の動きを、見事に表現した作品でした。
スネたり、文句を言ったりしながらも妹を想う兄の姿と、兄を信頼する妹の姿がとても微笑ましく、
“子供だけの世界”を覗き見ている楽しさがあります。
絶対的な威厳を誇っていたはずの父親が、アリを連れて街の高級住宅地に出掛け、
そこでアリに情けない姿さらすことになる、という展開も
ストーリーにちょうどいいスパイスを与えているだけではなく、
ラストへの伏線として、上手く生かされていました。
毎日毎日学校への道のりを全速力で走っているからこそ、
アリが足が速く持久力も付いて、マラソンに強くなる…というところも、実に説得力があります。
色んな伏線がラストに向かって集約されている、実に上手い脚本ですが、それだけではなく、
この作品の一番の見所は、やはり、心優しい兄妹の一足の靴に対する純粋な想いでしょう。
ラストの金魚のシーンは、“癒し”という言葉がぴったりです。
心が温かくなるような作品でした。
レベル5
ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
ロンドンの下町に住むエディ(ニック・モーラン)には、3人の仲間が居る。
カードの腕前には自信があるエディは、彼らにある計画をもちかけた。
ひとり2万5千ポンドずつ掛け金を出し合って、ポルノ界の帝王として知られる
ギャングのハチェット・ハリー(P・H・モリアーティ)と勝負し、ひと儲けしようというのだ。
エディの腕前を信じた仲間たちは、金を彼に託す。
エディは10万ポンドを持ってカード・ゲームの会場に乗り込むが、
ハリーのイカサマにまんまと騙され、彼に50万ポンドの借金を作ってしまう。
返済の猶予は1週間。
エディたちは何とか金を作ろうと、隣に住む麻薬の売人ドッグ(フランク・ハーパー)たちが、
マリファナ工場を襲撃して手に入れた現金を奪い取ることを計画する。
この作品には、とても多くの主要人物が登場します。
‘エディたち4人組み’‘ギャングの元締め’‘何でも売買する男’‘隣人のギャングたち’
‘麻薬を栽培する若者たち’‘麻薬王の黒人’‘借金取り立て人の親子’‘間抜けな泥棒2人組み’
…と、ザッと数えただけで8組。
これらの人間が複雑に絡み合って50万ポンドの現金と麻薬、
そして2丁の骨董拳銃を奪い合っていくうち、
何の接点もなかったはずの者同士が、なぜか殺し合いを始めています。
小さな犯罪が雪だるま式にふくれ上がっていく…というのは、
先に観た『シンプル・プラン』と同じですが、
この作品では、金の強奪を目論むエディたちの知らないところで、
勝手に殺し合いが始まっているというのが面白いところ。
この作品には『シンプルプラン』のような重いものは全くなく、
全編ノリの良い軽いテンポで犯罪劇が繰り広げられます。
ともすれば、頭の中でごちゃごちゃになってしまうような大勢の人物が登場しますが、
彼らが皆、極端に個性的な連中ばかりというのも、この作品の面白さを引き立てています。
脚本は上手い、音楽・映像ともカッコいい、登場人物はユニーク…という、
とても痛快なギャングアクションコメディでした。
レベル4.5
エリザベス
16世紀のイギリス。
ヘンリー8世が愛人に産ませた娘、エリザベス(ケイト・ブランシェット)は、
3歳で母親を処刑され、私生児の烙印を押されながらも美しい女性に成長していった。
彼女は21歳の時、反逆罪に問われてロンドン塔に幽閉されてしまうが、
女王メアリー(キャシー・バーク)には世継ぎはなく、メアリー女王が病気で他界した後、
25歳の若さでイギリス女王として即位する。
しかし、男性が主導権を握っていた時代、英国史上二番目の女王の存在は、
王室内では臣下たちでさえ中傷、性的な興昧本意の的でしかなかった。
国家の財政は苦しく戦力も弱まる中で、女王の失脚を企てる者たちが、未熟な彼女を邪魔する。
側近たちは国家を立て直すために、彼女にフランス王の弟やスペイン王との結婚を勧めるが、
彼女は幼なじみで主馬頭のロバート(ジョセフ・ファインズ)を愛していた。
彼女は、女王はフランスやスペインの使者をじらし、王室中のスキャンダルの的となりながらも、
ロバートと毎晩逢引を重ねるのだった。
このページ上で何度も何度も言っている通り、私は“歴史もの”が苦手です。
だから、ある程度の歴史的知識がないと楽しめない映画というのは、
全くもって苦手な分野になってしまいます。
この『エリザベス』も、それに近かった作品でした。
当時のイギリスと、他の国々との関係がよく分からない私は、
それを知っているのが当たり前のように進んで行くストーリーに、かなり戸惑いを覚えました。
また、いつも映画を観る上で理解しきれずに壁となってしまう、
カトリックとプロテスタントの対立問題がこの映画でも重要なポイントとなっていることも、
作品にのめり込むことが出来なかった理由のひとつです。
どこの国とどこの国が味方で、どこの国が敵なのかもよく把握出来ていないところに
異宗教の人間を殺してしまおうとするまで憎むという、理解し難い宗教の問題が立ちはだかり、
その上、エリザベスの周りの人間の裏切りなどを描いたミステリー仕立てにもなっているため、
頭の中は大混乱して、ストーリー的には消化不良の感を残した作品となってしまいました。
ただ、ある日突然“女王”の座を与えられた、国王の血を引く普通の娘が、
慣れない執務に戸惑い、“女に何が出来る”と馬鹿にされ、失敗を重ね、裏切りを経験し、
それを糧にだんだん一人前の女王になっていく様はとても見ごたえがありました。
冒頭で、とても柔らかな笑顔を振りまいている普通の娘・エリザベスが、
ラストでは、とても険しく凛々しい表情のイギリス女王へと変身しているのです。
どこまでがフィクションかは分かりませんが、
歴史上の人物の知られざる過去を知る醍醐味はあります。
歴史のお勉強にもなった作品でした。
レベル3.5
バッファロー'66
5年ぶりに刑務所から出所したビリー(ヴィンセント・ギャロ)。
しかし、バッファローに住む両親には、自分は結婚して政府の仕事で海外に行っていた、
と嘘をついていた。
電話で両親に「妻を連れて帰る」と思わず見栄を張ってしまい、
困ったビリーは、いきなり見ず知らずの女性・レイラ(クリスティーナ・リッチ)を拉致し、
彼女に自分の妻のフリをするように強要する。
強引なビリーに、レイラは妻のフリをすることを承諾し、二人はビリーの実家へと向かうが、
そこでレイラが見たものは、ビリーに全く興味を示さない両親の姿だった。
冒頭で、ビリーが一生懸命にトイレを探すシーンがあります。
それを観ていて私は「そんなにしたいなら、外ですればいいのに。何で出来ないんだろう」
と、じれったく感じていました。
しかし、それがビリーだったのです。
初対面のレイラに息巻いた上、彼女を誘拐するところまでは、
彼がただの刑務所あがりの乱暴者にしか見えませんでしたが、
次第に彼が本当はただものではないくらいの小心者であることが明らかになってきます。
その見せ方や運び方が実に上手く、少しずつ丁寧に“ビリー”という一人の男が説明されていくのです。
誘拐したレイラに対し、親の前で自分の妻を演じろと命じた上、
「俺の顔をつぶしたら、二度と口をきかないぞ。上手く演じたら親友になってやる」
という無茶苦茶な論理をまくし立てるビリーが、何だか滑稽で可愛らしく思えてきました。
生まれた時から、両親の愛情を充分に受けられず、それでも愛されたいと願い、
色んな手段で両親の気を引こうとする姿もいじらしく、彼らに伝わらない想いがもどかしくも感じます。
予告編を観た時、レイラ役にクリスティーナ・リッチをキャスティングしたことを、
とても意外に思っていました。
どう見ても、ちょっと太め。それに幼い顔に似合わない、ケバすぎる化粧。
なぜ、このコがヒロインなのか・・・・・。
でも、その理由も映画を観れば納得出来ました。
レイラは、決して男性にチヤホヤされるタイプであってはいけないのです。
むしろ、普段は男性から構われることもないような女性。
だからこそ、ビリーが悪い人間ではないと悟った時、
彼の望みを聞いてあげようという気持ちになったのではないでしょうか。
気の弱い男性でも小馬鹿にしたりせず、彼の本質に触れて惹かれていったのではないでしょうか。
人はこんな風にして誰かを好きになっていくんだという、
とても素敵な恋の始まりを観た気持ちになりました。
レベル5
ラン・ローラ・ラン
ベルリンに住むローラの元に、恋人のマニから一本の電話が入る。
裏金の運び屋をしているマニは、10万マルクをボスの所に届けるべく 地下鉄に乗りこんだのだが、
そのバッグを車内に置き忘れたまま、地下鉄を降りてしまった。
ボスがやってくる前に、その金を取り戻さなければ殺されるというのだ。
残された時間は20分。
その20分で、マニはローラに金を作って欲しいと言う。
パニック状態になりながら、ローラはマニのために、銀行の頭取をしているパパのところに向かって
一心不乱に走り出す。
“ドイツ映画”と言えば、刑務所内でバンドを結成した女囚が脱走して人気バンドになるという作品
『バンディッツ』に続いて二本目の鑑賞となったのですが、
『バンディッツ』同様、この作品も音楽的・視覚的に、とても斬新で楽しめた作品でした。
時間を逆行して、主人公が同じシーンをやり直す、というストーリーは、
『イフ・オンリー』 や『リバース』とよく似ています。
しかし、この『ラン・ローラ・ラン』では、主人公ローラが「はい、やり直し」とでも言われたように、
何の迷いもなく、今までのことは全て忘れ去ったように再びゴール目指して駆け出す、というところに、
他の作品とは違う新鮮さを感じました。
また、家の扉を出るタイミングが少し前後にずれてしまったことで、
全ての時間軸が少しずつずれていき、ローラとマニの結末だけではなく、
道中でローラに関わった人たちの運命までも、大きく変えてしまうという解釈が、非常に面白かったです。
このストーリーには3通りの結末が用意されていますが、それを3度目まで飽きさせることなく、
次はどうなるんだろうという期待と緊張感を持続させてくれた作品でした。
ただ、道端でほんの少しローラとすれ違うタイミングをずらした人たちの運命までもが
大きく変わってしまうのは、少々大袈裟過ぎるきらいもありましたが。
レベル4