「犬は吠えても歴史は進む」再取上げ=異様さと謎2つ

 

宮本顕治における二重の恐怖有無と2つの恐怖相互増幅作用

 

()スパイ査問シーン全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖

 

()検挙後の特高と秘密取引=「偽・非転向者」+百合子疑惑発覚恐怖

 

(宮地作成)

 〔目次〕

   1「犬は吠えても歴史は進む」再取上げ・再検証理由4つ―2013年

      〔理由1〕、スパイ査問シーンに関する「犬−歴史」内容の偽造歪曲・ウソ疑惑

      〔理由2〕、山田正行『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連』公開

      〔理由3〕、イーブック『立花隆「日本共産党の研究」の電子出版』13年2月

      〔理由4〕、宮本顕治著作集出版とその狙い−宮本陳述真っ赤なウソの正当化

   2、「犬−歴史」大キャンペーン=異様さ・狂気度数々の再検証

      〔異様さ1〕、キャンペーンの規模・体制「党本部内秘密チーム」

      〔異様さ2〕、袴田里見陳述調書発掘・公表と袴田除名事件

      〔異様さ3〕逸見教授政治的殺人事件の同時発生

      〔異様さ4〕作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」赤旗連載突然中断の謎

      〔異様さ5〕、スパイ査問事件と私の個人的体験=党本部における私への詰問

      〔異様さ6〕、岡宏輔・最後の宮本議長秘書室長登場=宮本100%擁護

   3、異様さ・狂気度の謎の原因=宮本顕治における二重の恐怖

      〔恐怖1〕、スパイ査問事件の全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖

      〔恐怖2〕、検挙後の特高と秘密取引=「偽・非転向者」・百合子疑惑の発覚恐怖

       『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第1部目次1〜4

        獄中での厚遇、中川成夫「聴取書作成不能」報告、他の疑惑

        山田仮説−宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった

       『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部目次5〜7

       『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第3部、目次8・9

        〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人と一人だけ非転向党員の謎・原因

        〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇とその謎

   4、「犬−歴史」対応の異様さ原因=宮本二重恐怖有無と2つの恐怖増幅性

      1、宮本顕治検挙後経緯の発掘・公表データ

        1、1945年、敗戦後、宮本顕治の自己主張・宣伝内容

        2、1976年、立花隆『日本共産党の研究』「文芸春秋」連載開始

        3、1988年、『宮本顕治の半世紀譜』出版−88年間の行動記録・メモのみ

        4、2007年、山田正行『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治』公開

        5、2012年、私による山田正行説の追実験−3部作

      2、対応の異様さ・狂気度の原因=宮本二重恐怖有無と2つの恐怖増幅性

      3、二重恐怖の基本データ(表)の再確認 ()多数

 

 〔関連ファイル〕        健一MENUに戻る

    (スパイ査問事件)

    『スパイ査問問題意見書』 『第1部2』暴行行為の存在、程度、性質の真相

    『スパイ査問事件と袴田除名事件』

    『スパイ査問事件の個人的体験』

    『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』

    高橋彦博『逸見重雄教授と「沈黙」』逸見教授政治的殺人事件の同時発生

    れんだいこ『宮本顕治論・スパイ査問事件』

    共産党『袴田自己批判・批判』「3論文」と「党史」

    岡宏輔『闇から出てきた亡霊−立花隆氏の“日共”批判をきる』最後の秘書室長

 

    wikipedia『日本共産党の研究』立花隆

    イーブック『立花隆「日本共産党の研究」「予審調書」の電子出版』2012年

    立花隆『日本共産党の研究』関係『年表』一部、加藤哲郎『書評』

    加藤哲郎『立花隆「日本共産党の研究」書評』

 

    (宮本顕治=「偽・非転向者」+妻・百合子疑惑)

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第1部目次1〜4

       獄中での厚遇、中川成夫「聴取書作成不能」報告、他の疑惑

       山田仮説−宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部目次5〜7

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第3部、目次8・9

       〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人とただ一人だけ非転向党員の謎・原因

       〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇とその謎

 

 1「犬は吠えても歴史は進む」再取上げ・再検証理由4つ―2013年

 

 2013年になって、「犬は吠えても歴史は進む」大キャンペーン改めて取上げ、再検証する理由は4つある。

 

 〔小目次〕

   〔理由1〕、スパイ査問シーンに関する「犬−歴史」キャンペーン内容の偽造歪曲・ウソ・隠蔽

   〔理由2〕、山田正行『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させ』公開→私の追実験

   〔理由3〕、イーブック『立花隆「日本共産党の研究」「予審調書」の電子出版』2013年2月

   〔理由4〕、宮本顕治著作集出版とその狙い−宮本陳述真っ赤なウソの正当化

 

 〔理由1〕、スパイ査問シーンに関する「犬−歴史」大キャンペーン内容の偽造歪曲・ウソ・隠蔽の疑惑

 

 日本共産党史は、戦前・戦後を含め、歴史の偽造歪曲・ウソ・隠蔽に満ちていることがますます明らかになってきた。それら党史は、宮本・不破・志位らがねつ造歪曲してきた。

 

    4、逆説の90周年党史 5、逆説の戦後党史 6、逆説の戦前党史ファイル多数

 

 スパイ査問事件に関する公表内容も、偽造歪曲・ウソ・隠蔽に満ちている。とくに、小畑中央委員の死因=宮本顕治中央委員による圧殺という査問シーンについて、()袴田里見・逸見重雄による陳述と、()宮本顕治の公判陳述との180度異なる内容にたいし、重大な疑惑が出た。

 

 ()袴田・逸見・秋笹・木島ら4人による陳述内容の方が真実で、()宮本陳述内容は真っ赤なウソだったのではないかという疑惑である。そして、小畑中央委員は、査問中の逃亡時、宮本中央委員・柔道3段者により、柔道技で背中からの圧殺・殺害されたのが真相とする再検証である。

 

    4、スパイ査問事件における中央委員小畑の死亡シーンと中央委員宮本がしたこと

      1、立花隆『日本共産党の研究』における小畑死亡シーンと宮本顕治がしたこと

      2、袴田里見『昨日の同志宮本顕治へ』より、小畑中央委員死亡シーン

      3、1976年、立花隆『日本共産党の研究』→「犬が吠えても歴史は進む」

 

 例えば、「白鳥事件」は、中国逃亡者10人を合わせ、謎に満ちていた。それが、2012年から、その研究や資料の発掘・公表が一挙に進みだした。白鳥事件の真相への関心が急速に高まり、広がってきた。中国逃亡手口は、1955年六全協後である。その時期は、宮本顕治書記長が党内権力の全実権を握っていた。

 

 宮本顕治書記長こそが、村上国治による白鳥警部射殺事件の隠蔽=人民艦隊による中国逃亡犯罪の張本人だった真相が判明してきた。宮本顕治は、白鳥事件を含め、3大騒擾事件などの武装闘争についても、「当時、党は分裂していた。武装闘争は分裂の一方がやった。現在の党は、武装闘争になんの責任もない」と真っ赤なウソをつき続けた。不破・志位も、同じウソ・党史の偽造歪曲を続けている。日本共産党とは、その面で、歴史の偽造歪曲・ウソ・隠蔽政党と見なされるようになった。その疑惑をどう解明するか。再検証が必要になったのではないか。

 

     白鳥事件 ファイル多数 朝鮮戦争と武装闘争路線

 

 〔理由2〕、山田正行教授『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』公開→私の追実験

 

 そして、2007年、山田正行教授が、『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』PDFを公開した。私は、その宮本顕治=「偽・非転向者」疑惑を追実験し、かつ、宮本顕治・百合子の党員夫婦疑惑を研究し、公表した。そのテーマは2つの重大な問題を提起した。

 

 1、「犬は吠えても歴史は進む」大キャンペーンの異様さの数々を再度さらけ出した。

 2、異様さの謎として、宮本顕治における二重の恐怖があったのではないかという疑問も出てきた。

    〔恐怖1〕、スパイ査問事件の全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖

    〔恐怖2〕、逮捕後の特高との秘密取引=「偽・非転向者」+百合子疑惑の発覚恐怖

 

 〔理由3〕イーブック『立花隆「日本共産党の研究」「予審調書」の電子出版』2013年2月

 

 イーブックが、2013年2月、『立花隆「日本共産党の研究」「予審調書」』の電子出版をした。「予審調書」出版を含め関心が高まる可能性が出た。

 

    イーブック『立花隆「日本共産党の研究」「予審調書」の電子出版』

 

 〔理由4〕、宮本顕治著作集出版とその狙い−宮本陳述真っ赤なウソの正当化

 

 不破哲三は、自分の著書すべて102冊を出版している。一方、宮本顕治著書ほとんどを絶版にし、15冊に減らした。

 

 ところが、突然2012年7月から『宮本顕治著作集・全10巻』を出版し始めた。その第2巻は、宮本顕治公判速記録(1940年)宮本顕治公判調書(1944年)にした。その狙いは何か。絶版にした宮本著書を、新日本出版社=党中央出版部の墓場から甦らせるのには、なんらかの意図・目的がある。

 

    新日本出版社『第2 公判闘争の記録』宮本顕治公判速記録(1940年)、宮本顕治公判調書(1944年)、スパイ挑発との闘争―1933年の一記録。3465円

 

 スパイ査問事件の小畑査問→死亡シーンに関する宮本陳述内容は、このファイル最後に載せた()多数や、私の下記ファイル『第1部2』を見ても、真っ赤なウソだらけである。

 

    『スパイ査問問題意見書』 『第1部2』暴行行為の存在、程度、性質の真相

 

 ほとぼりが冷めたと思っていたら、平野謙が「袴田里見陳述調書」全文を公表した。立花隆が『日本共産党の研究』を連載・出版した。それらにより、小畑査問→死亡シーンに関する袴田里見・逸見重雄・秋笹・木島らの陳述内容の方が真相に近いと認識された。そして、小畑査問→死亡シーンに関する宮本陳述内容は、真っ赤なウソではないかとなった。

 

 宮本顕治陳述内容は、真相を述べていない。真っ赤なウソだらけ陳述内容をした理由には、2つの解釈がある。

 

 〔解釈1〕、特高犯罪・治安維持法公判にたいし、ウソをついたのは、当時の情勢において、特高・国家権力にたいする抵抗として正当化される。

 〔解釈2〕、宮本顕治・小林栄三は、「犬は吠えても歴史は進む」反撃キャンペーンを直ちに開始したその時点、2人は、宮本顕治無実証明・特高史観批判目的で「党本部内秘密チーム」を結成した。青柳共産党員弁護士は、そこに参加していた。兵本達吉参議院議員秘書も、京大法学部出身ということで参加させられていた。

 

 青柳弁護士は、兵本達吉にたいし、「宮本顕治25歳が、他被告4人正反対の真っ赤なウソをついたのは、小畑殺害主犯容疑者として死刑になるのを怖れたではないか」と漏らした。私は、この2人の会話内容を兵本達吉から直接聞いた。

 

 当然、その真っ赤なウソ疑惑は広く残存していた。今後とも、宮本顕治のウソは、日本共産党の最大のウィークポイント・アキレス腱になり続ける宮本顕治公判速記録(1940年)、宮本顕治公判調書(1944年)を、党中央出版部の墓場から甦らせたのは、()スパイ査問事件被告他4人の陳述内容の方がウソであり、()宮本顕治陳述内容の方が真相であるとし、彼の真っ赤なウソを正当化するという歴史の偽造歪曲犯罪である。

 

    『宮本・上田著作集刊行と2つの狙い・思惑』

       ()破綻財政救済資金源()不破著作集刊行の布石?

       2013年現在、不破102冊・志位16冊−宮本15冊・上田10冊

       2012年7月から『宮本顕治著作集』、12月から『上田耕一郎著作集』

 

 

 2、「犬−歴史」大キャンペーン=異様さ・狂気度数々の再検証

 

 〔小目次〕

   〔異様さ1〕、キャンペーンの規模・体制「党本部内秘密チーム」

   〔異様さ2〕、袴田里見陳述調書発掘・公表と袴田除名事件

   〔異様さ3〕逸見教授政治的殺人事件の同時発生

   〔異様さ4〕作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」赤旗連載突然中断

   〔異様さ5〕、スパイ査問事件と私の個人的体験

   〔異様さ6〕、岡宏輔・最後の宮本議長秘書室長登場=宮本100%擁護

 

 そこで、大キャンペーンの異様さ・狂気度の数々を再検証する。長くなるので、かなりの内容をHPファイルリンクで説明する。

 

 〔異様さ1〕、キャンペーンの規模・体制「党本部内秘密チーム」

 

 1、キャンペーンの規模−パンフ・書籍75万部販売→「クリーンパンフ」560万部販売

 

    wikipedia『日本共産党の研究』上記はここからの抜粋・転載

 

 「クリーンパンフ」560万部販売

 1978年1月3日袴田除名から、『反共毒素一掃キャンペーン』と、そのなかでの「クリーンパンフ」560万部販売を集約した1979年7月までの1年7カ月間の期間である。

 

    第五幕 批判キャンペーンによる社会的抹殺殺人の大展開−『反共毒素一掃キャンペーン』と「クリーンパンフ」560万部販売

 

 2、体制「党本部内秘密チーム」結成

 

 これは、「党本部内特別秘密チーム」に加えられた当時参議院秘書兵本達吉との直接会話情報に基づく。

 

 それによれば、宮本顕治と元秘書・中央委員小林栄三は、()立花隆批判・「特高史観」攻撃、()スパイ査問事件における宮本顕治100%擁護という2目的に基づき、党本部内に「特別チーム」を秘密に作った。そこには、弁護団・代々木病院長や医師・他分野の専門家を多数集めた。兵本達吉は、京大法学部出ということで選ばれた。村上国治は、白鳥・冤罪事件の当事者として加えられたか。

 

 判明したメンバーは、次である。

 ()、弁護団多数−青柳盛雄弁護士もその一人。兵本と彼とが一緒になったときがあった。青柳弁護士は「宮本顕治がスパイ査問事件の小畑死亡問題について、他被告と比べ、全面否認したのは、小畑中央委員殺害主犯として死刑判決になるのが怖かったからではないか」と推測を漏らした。

 

 ()、医師多数代々木病院長・共産党員。宮本顕治は、病院長に指令し、別鑑定を書かせ、公表した。その内容は、当時の古畑鑑定の全面否定→外傷性ショック死判定も否定した。そして、医学的に見て、小畑は特異体質で死んだとした。代々木病院長・共産党員は、スパイ査問事件の小畑死因に関する宮本顕治100%擁護の別鑑定を公表した。

 

 ()、立花隆批判・「特高史観」攻撃の面で、調査・反撃させるスタッフ―兵本達吉や村上国治、赤旗記者など多数。犬丸義一ら学者党員も多数

 

 〔異様さ2〕、袴田里見陳述調書発掘・公表と袴田除名事件

 

 立花隆『日本共産党の研究』が、1976年1月から1977年12月まで21回にわたり「文芸春秋」に連載された。1976年6月、平野謙著『「リンチ共産党事件」の思い出(袴田調書全文添付)(三一書房)が出版された。袴田調書全文は、初めて公表された。

 

 袴田調書内容は、従来、共産党・宮本顕治が主張してきたスパイ査問事件の査問シーンと根本的に違っていた。その内容は、宮本公判陳述内容を全面的に否定するものだった。この発掘・公表は、宮本顕治を恐怖に陥れた

 

 この違いにたいし、宮本顕治には、3つの選択肢があった。彼は、袴田里見陳述を全面否定する道を選択した。その経緯は、別ファイルに載せた。長いので、その〔目次〕をリンクで載せる。それは、袴田里見査問10カ月間→除名→袴田社会的抹殺殺人キャンペーンにまでエスカレートした。

 

    三章 袴田調書全文公表への3つの選択肢

    四章 袴田政治的殺人事件  1976年1月〜1979年7月推理劇的考察

     第一幕 宮本、不破、小林らによる袴田への“政治的自殺”強要

     第二幕 党本部内での袴田政治的殺人急迫と第1回正当防衛発言

     第三幕 袴田“口封じ”査問10ヶ月間と密室完全犯罪の成功

     第四幕 党大会後も袴田査問継続と第2回正当防衛反撃のマスコミ公表

     第五幕 批判キャンペーンによる社会的抹殺殺人の大展開』

 

    『スパイ査問事件と袴田除名事件』

    共産党『袴田自己批判・批判』「3論文」と「党史」

 

 〔異様さ3〕、逸見教授政治的殺人事件の同時発生

 

 袴田調書全文が、初めて公表されたのに伴って、スパイ査問事件の査問委員だった中央委員逸見重雄調書も発掘・公表された。彼の陳述内容は、査問シーンに関し、袴田調書内容と基本的に同じだった。宮本顕治はさらなる恐怖に襲われた。逸見重雄陳述内容にたいし、どう対応するか。

 

 宮本顕治は、戦後、法政大学社会学部教授・社会学部長になっていた逸見教授にたいしても、政治的社会的抹殺キャンペーンを開始した。逸見教授は、宮本顕治による政治的殺人宣伝にたいし、一切反論もしないで、「沈黙」した。その経緯も、リンクに載せた。

 

    高橋彦博 『逸見重雄教授と「沈黙」』逸見教授政治的殺人事件の同時発生

    (宮地・添付文)

      1、袴田政治的殺人事件と逸見教授政治的殺人事件

      2、スパイ査問事件前後の逸見中央委員

      3、逸見陳述内容の真実性と転向との区別

 

 〔異様さ4〕、作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」赤旗連載突然中断の謎

 

 「何をいまさらスパイ査問事件か」「それはすべて決着ずみ」』という考えの方が多いと思われる。今までは、外部の、主として反共勢力が、共産党、宮本攻撃のために「スパイリンチ殺人事件」として使い、共産党側がそれに受動的に対応するという構図だった。しかし今回は、党外作家の森村氏が、それを党の側から取り上げることを提案し、党中央との合意により「スパイ査問事件」の真相に赤旗連載という形で、党自らが積極的に解明するという構図となった。

 

 ただそれが好評連載中に、突如、理由不明のまま、連載中断、担当赤旗記者下里正樹の査問、処分→除名という党の内部論争、意見対立として浮上することになった。従来の受動的姿勢からの根本的な転換があり、かつ、森村氏との絶縁問題にも発展した以上、事件はすべて解明ずみということでは見過ごせない性質を持つに至った。ここには3つの問題が存在し、それぞれの真相はどうなのかを考える。

 

 詳細は、以下のリンクで説明する。

 

    『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』

     1、『赤旗』連載開始と中断の真相

     2、「スパイ査問事件」の真相

     3、連載突然中断における民主主義、党内民主主義の真相

       (添付資料)、(1)、森村誠一氏の手紙、(2)、下里正樹氏の手紙

 

 〔異様さ5〕、スパイ査問事件と私の個人的体験=党本部における私への詰問

 

 私の「スパイ査問問題意見書」提出は、まさに袴田査問継続中の1977年4月だった。私はそんなことはまるで知らずに、宮本・小林・袴田の3人への批判を書いた。

 

 当時、私は名古屋中北地区委員会専従→愛知県党専従だった。私は、愛知県における一面的な党勢拡大の誤り・党組織破壊実態にたいし、党中央准中央委員・党中央に「意見書」を出していた。それにたいする報復として、専従解任の口頭通告を受けた。報復解任は誤りとの「意見書」を多数書いたが、返事がなく、自宅待機を命じられていた。時間があるので、自宅でスパイ査問事件資料をすべて集め、党中央に「スパイ査問問題意見書」を出した。

 

 私のこの「スパイ査問事件意見書」の取扱は、それ以前の22通の私の警告処分・専従解任についての「意見書」、「質問書」、「回答督促書」、「第14回大会上訴書」、および、妻の宮本委員長宛の6通の「質問書」の計28通と同様握り潰しだった。

 

    『スパイ査問問題意見書』 『第1部2』暴行行為の存在、程度、性質の真相

 

 一回だけ反応があった。私の中央との面会は、1977年8月8日で、()「犬は吠えても歴史は進む」の立花隆批判の大キャンペーン中であるとともに、()第十四回党大会での袴田全役職剥奪報復措置の2ヶ月前、()袴田除名の4カ月前だった。

 

 第14回大会への「専従報復解任問題」上訴中、何度要請しても何の事情聴取もないため、中央統制委員会、中央委員会書記局直接電話して面会を求めた。するとやっとその許可が出て、代々木の党本部の受付のすぐ横の小部屋に通され、鈴木善蔵中央統制委員、原誠次郎中央組織局次長の2人鈴木愛知県常任委員が現れた。

 

 私は早速私の22通の「意見書」、「上訴書」の処理経過を問いただした。中央は「最初は訴願委員会で検討したが、そこでは処理できないので、今書記局へ回って検討している」の一点張りの回答だった。こちらが何を聞いても具体的な回答を一切言わなかった。中央の側からは私の「上訴書」等の内容について何の質問もしない。

 

    『宮本・上田の党内犯罪、「党大会上訴」無審査・無採決・30秒却下』

     1、「中央委員会上訴権」の行使 無審査・却下

     2、『スパイ査問問題意見書』提出 無回答

     3、「党大会上訴権」の行使 無審査・無採決・30秒却下

     4、妻の『質問書』6通提出とその処理 無回答・握りつぶし

 

 質問するのは、私が「専従報復解任問題」を誰かに話すなどの規律違反をしていないかどうかという査問めいたことだけである。それなら面会許可を出さなくてもいいと思うぐらい中身がなかった。わざわざ東京まで行って一時間半近くもいたのに、何の成果もなく終わった。

 

 ところが、私が席を立って帰ろうとすると、中央の2人は突然「党の委員長(当時の宮本顕治のこと)を批判する意見書を出すのは問題だ。いったいどういうつもりだ」と声を荒らげて詰問した

 

 私は「委員長でも誤りがあると思えば、それに対して批判を出すのは当然です。あのスパイ査問問題での対応のやり方には重大な誤りがあります」と答えた。すると、中央は反論もしないで黙ってしまった

 

 私はそこで、面会許可したのは、私の専従解任問題よりも、「スパイ査問問題意見書」での私の態度、反応を見るためだったのかと考えたなぜならこの面会は、1977年8月8日で、「犬は吠えても歴史は進む」の立花隆批判の大キャンペーン中であるとともに、袴田除名の4カ月前で、スパイ査問事件での袴田切り捨てによる宮本擁護政策に基づいて袴田排除が党中央内で着々と進行していたという微妙な時点だったからである。

 

 その「意見書」を書記局の一部とともに、宮本顕治・小林栄三も直接見たと思う。そのひと言以外は一切反応はなかった。

 

 詳細は、以下ファイルのリンクにある。

 

    『スパイ査問事件の個人的体験』

 

 〔異様さ6〕、岡宏輔・最後の宮本議長秘書室長登場=宮本100%擁護

 

 立花隆が、雑誌『文芸春秋』07年9月号に「“日共のドン”宮本顕治の闇」と題する一文を書いた。そこにおいて、彼は、自己の見解と合わせ、兵本達吉・筆坂秀世の文と私のHPファイルという3人を紹介・引用している。それにたいし、幹部会員岡宏輔が「闇から出てきた亡霊−立花隆氏の新版“日共”批判をきる」を、2007年8月23日「しんぶん赤旗」で載せた。彼は、立花批判とともに、3人の批判をした。私は、このファイルで、岡宏輔記事における最後の箇所−私がHPで分析した宮本秘書団私的分派解体問題に関する彼の証言その真偽だけを検証する。

 

 第一、岡宏輔は、次の引用をした。立花氏がこうしてその実在を保証する「事実関係」とは、次のようなものです。不破は実際に九四年から九七年にかけて秘密グループを作り、宮本側近グループを解体していった。一人一人査問にかけては、内部規律違反(分派行動)に問い、宮本周辺から全員引きはがした上で、宮本に名誉ある引退(名誉議長。一生の保障)を迫った。この手法は、政敵抹殺の手法と同じで、長らく宮本の右腕として働いてきた不破が自然に身につけたものだった。

 

 第二、岡は、それにたいし次のように反論・証言をした。これは、まったくのつくり話です。私は、九四年から九七年まで、議長事務室の責任者をつとめていましたが、宮本議長(当時)の近くで仕事をしていた党員たちのなかで、「分派行動」で「査問にかけ」られたり、「周辺から引きはが」されたりした人が一人もいないことは、責任をもって断言できます。

 

 立花と岡の根本的な食い違いは、私の別ファイル『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕のデータと直接の関わりがある。ただ、立花隆は、論文で宮地健一と私の名前を書いた上で引用・紹介しているが、岡宏輔は、なぜか「元党員」としか書いていない。名前を抹殺した理由は、私がまったく無名だからなのか。それとも、もし私の名前を、兵本・筆坂のように明記すればまずいのか。岡論文を読んだ党員・読者が、どういう内容なのかと興味を抱き、宮地健一HPをインターネットで検索し、そのファイルを見て、なるほどこれが真相だったのかと動揺したり、立花隆のように「面白い」と思うことを防ぐ意図があったのか。

 

    『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件

 

 「しんぶん赤旗」自らが、憎むべき反党・反革命分子宮地HPファイルを宣伝してやる結果になってはまずいという崇高な党防衛心から、「元党員」とぼかしたとも考えられる。

 

 このファイル全文は、下記リンクに載せた。

 

    『宮本最晩年の議長室室長・現幹部会員岡宏輔登場』不破に密告した第二の男発覚

     3、現幹部会員・岡宏輔の宮本秘書団経歴と昇進経緯

     4、満月の歌謳歌をストップさせた小林栄三と岡宏輔の裏切り・密告の功績

     5、密告者は昇進するという前衛党テーゼ=密告こそトップへの忠誠心の証

 

 

 3、異様さ・狂気度の謎の原因=宮本顕治における二重の恐怖

   〔小目次〕

    〔恐怖1〕、スパイ査問事件の全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖

    〔恐怖2〕、検挙後の特高との秘密取引=「偽・非転向者」疑惑の発覚恐怖

 

 〔恐怖1〕、スパイ査問事件の全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖

 

 これは、『スパイ査問事件』意見書に書いた。また、別ファイル『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第1部目次1〜4、および、第2部目次5でも、再検証した。

 

 宮本顕治・小林栄三による「犬は吠えても歴史は進む」キャンペーンは、異様さを超えた狂気レベルになっていた。狂気・異様さをもたらした原因は、どこにあったのか。スパイ査問事件=小畑中央委員の死因の真相は、従来から疑惑が出ていた。そこに、査問委員だった袴田里見・逸見重雄・秋笹・木島の査問シーンの陳述が発掘・公表されてしまった。

 

 それらの陳述内容は、従来から共産党・宮本顕治が主張していた査問シーンと180度異なっていた。そこから、宮本顕治公判陳述におけるスパイ査問事件リンチ査問シーン全面否認の正当性疑惑と、小畑中央委員殺害実態にたいする発覚恐怖が高まった。

 

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第1部目次1〜4

       獄中での厚遇、中川成夫「聴取書作成不能」報告、他の疑惑

       山田仮説−宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部目次5

     5、分離公判における宮本顕治の査問シーン真っ赤なウソ陳述データ

      1、宮本・袴田・秋笹の合同公判→宮本だけを分離・単独公判とその経緯の謎

      2、分離・単独公判における宮本顕治の査問シーン真っ赤なウソ陳述〔表15〜25〕

 

 〔恐怖2〕、検挙後の特高との秘密取引=「偽・非転向者」+百合子疑惑の発覚恐怖

 

 宮本顕治検挙後の状況はまったく知られていなかった。特高も公表しなかった。宮本顕治自身も沈黙していた。ところが、彼は、1988年『宮本顕治の半世紀譜』を出版し、その中で、検挙後の行動記録・メモの詳細を初めて公表した。

 

 山田正行教授は、2007年、『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』を大阪教育大学の雑誌に公表し、インターネットにもPDFで載せた。山田正行は、()宮本検挙後に特高との秘密取引があったとの説を主張した。さらに、()「偽・非転向者」説も主張した。

 

 2007年7月18日、宮本顕治元議長が98歳で死去した。しかし、立花隆『日本共産党の研究』が連載→出版されたとき、宮本自身の秘密体験として、「偽・非転向者」+百合子疑惑を隠していた。その疑惑発覚恐怖は強烈だった。その〔恐怖2〕が、「犬は吠えても歴史は進む」の異様さ・狂気度の要因になったと考えられる。

 

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部目次5〜7

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第3部、目次8・9

       〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人とただ一人だけ非転向党員の謎・原因

       〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇とその謎

 

 

 4、「犬−歴史」対応の異様さ原因=宮本二重恐怖有無と2つの恐怖増幅性

 

 〔小目次〕

   1、宮本顕治検挙後経緯の発掘・公表データ

   2、対応の異様さ・狂気度の原因=宮本二重恐怖有無と2つの恐怖増幅性

   3、二重恐怖の基本データ(表)の再確認 ()多数

 

 1、宮本顕治検挙後経緯の発掘・公表データの推移

 

 スパイ査問事件による1933年12月16日宮本顕治検挙後経緯について、発掘・公表されたデータはほとんどなかった。そのデータ公表推移を確認する。

 

 〔小目次〕

   1、1945年、敗戦後、宮本顕治の自己主張・宣伝内容

   2、1976年、立花隆『日本共産党の研究』「文芸春秋」連載→出版

   3、1988年、『宮本顕治の半世紀譜』出版

   4、2007年、山田正行『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治』公開

   5、2012年、私による山田正行説の追実験−3部作

 

 1、1945年敗戦後、宮本顕治の自己主張・宣伝内容

 

 1945年敗戦後、釈放されてから、宮本顕治は「警察・予審において、完全黙秘を貫いた。調書も作らせなかった。陳述したのは、公判だけである」。「警察・予審での完全黙秘、かつ、本当の非転向は私一人しかいない」と、自己主張し、宣伝してきた。

 

 彼の自己主張・宣伝にたいし、反論できるデータがまったくなかった。転向党員・シンパ・ジャーナリストも「警察・予審での完全黙秘、かつ、本当の非転向は私一人しかいない」発言を信じた私も含め、信じるしかなかった

 

 2、1976年1月〜、立花隆『日本共産党の研究』が、1977年12月まで21回にわたり「文芸春秋」に連載→出版

 

 立花隆『日本共産党の研究』が、1976年1月から1977年12月まで21回にわたり「文芸春秋」に連載された。1976年6月、平野謙著『「リンチ共産党事件」の思い出(袴田調書全文添付)(三一書房)が出版された。袴田調書全文は、初めて公表された。

 

 その単行本『日本共産党の研究3』が、1983年1月に出版された。最終章は「第十七章・査問現場の三日間、第十八章・党壊滅と運動の終焉」である。しかし、立花隆は、『3、付録・資料』を含め、宮本顕治検挙後の経緯、特高との関係について何も触れていない

 

 宮本顕治『宮本顕治の半世紀譜』出版は、1988年10月だった。『日本共産党の研究3』出版は、その5年前だった。立花隆は、出版時点、『半世紀譜』をまだ読むことができなかった。

 

 3、1988年、『宮本顕治の半世紀譜』出版−88年間の行動記録・メモのみの奇妙な本

 

 「犬は吠えても歴史は進む」という異様で、狂気じみた大キャンペーンは、1976年1月から『日本共産党の研究』「文芸春秋」連載→単行本『日本共産党の研究3』が、1983年1月に出版されて以来、5年後でほぼ収まっていた。

 

 1988年、宮本顕治は、『宮本顕治の半世紀譜』を新日本出版社から出版させた。それは、前代未聞の奇妙な本だった。()日記でなく、1日1・2行の行動記録・メモである。()1908年誕生から、1988年88歳までの、686頁に及ぶ88年間記録を網羅した宮本個人データ集である。()こんな種類の『半世紀譜』を出版させたのは、他に誰もいない。スターリンでも、こんな珍妙な記録・メモだけの本を出していない。日本の政治家でもいない。()値段は2800円もした。

 

 この88年時点、宮本顕治は、宮本秘書団私的分派を秘密に結成し、党権力を完璧に独占していた。「満月の歌」を謳歌した絶頂期だった。しかも、立花隆『日本共産党の研究』内容は、スパイ査問事件について、袴田里見と「多数派」のテーマで終わっていた。宮本顕治検挙後の特高との関係について、何も書いていない。そもそも、書く資料がなかった。

 

    『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件

    『不破哲三の第2回・宮本顕治批判』〔秘密報告〕宮本秘書団を中核とする私的分派

 

 宮本顕治のうぬぼれ・傲慢さも頂点に達していた。立花隆と同じく、もはや、宮本検挙後の特高との関係=特高による異常な優遇措置に目を向ける者は出ない。特高との関係で発掘・公表されるデータはないと慢心した。

 

 そこで、『半世紀譜』の21頁・1933年25歳検挙から、60頁・1945年37歳敗戦による釈放までの獄中12年間に及ぶ詳細な1日1・2行の行動記録・メモを載せた。そこには、()特高との関係、()百合子との面会・手紙・百合子検挙月日記録、()公判記録を載せた。それらデータ・記録・メモは、1988年まで、宮本顕治・百合子『十二年の手紙』内容を除いて、非公表で誰にも知られていなかった。

 

 宮本顕治は、その12年間獄中記録・メモを根拠として、彼と特高中川・毛利との特殊関係・特別待遇疑惑を持ち、推理し、発掘・公表する者・学者が出現するとは、まったくの想定外だったと思われる。

 

 4、2007年、山田正行大阪教育大学教授・教育学が『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』PDFを公開

 

 ところが、『半世紀譜』の記録・メモに基づき、宮本顕治と特高との極秘関係について、「警察・予審での完全黙秘、かつ、本当の非転向は私一人しかいない」発言にたいし、一人だけ根本的な疑惑を持つ学者が現れた。

 

 山田正行は、2007年『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』PDFで、宮本顕治=非転向説にたいする全面的な疑惑を提起した。もともと、宮本顕治の警察・予審完全黙秘=調書取らせず・非転向宣伝にたいし、従来から多くの人が疑問を持っていた。

 

 宮本顕治とは、何者か。()スパイ査問事件検挙時25歳・()小畑中央委員殺害主犯容疑者・()中央委員歴8カ月間だけ・()『敗北の文学』で有名になったばかり・()労働運動体験皆無・()中条百合子の9歳年下夫という()文学青年だった。

 

 彼は、()小林多喜二を即日虐殺し、()野呂栄太郎を病死させた特高中川・毛利の監獄において、そんなことが許されたのか。しかも、特高が小畑中央委員殺害主犯の未決容疑者にそれを許したのかという疑惑である。

 

 しかし、2007年まで、立花隆を含め、誰も根本的な疑惑を提起しなかった。疑惑の根拠となる特高側データもなかった。山田正行だけが、袴田里見『昨日の同志宮本顕治へ』証言や宮本顕治『宮本顕治の半世紀譜』などから、疑惑データを発掘・公表した。()殺人主犯未決容疑者なのに、独房を2つも与えられていた。しかも、()未決容疑者で病監に5回以上も入れられていた。

 

 ()小林多喜二を1933年2月20日即日虐殺し、野呂栄太郎を検挙から2カ月22日間後の1934年2月19日に病死させた特高中川成夫が、宮本顕治にたいしてだけ「聴聴書作成不能」報告を出したのはおかしい、などである。その報告時期は、1934年9月10日と宮本顕治は『半世紀譜』(P.25)に明記した。それは、宮本検挙から9カ月16日間後だった。特高中川が「聴聴書作成不能」報告を出したのは、宮本顕治一人だけだった。その疑問をどう解くのか。

 

    山田正行『一抵抗と転向の転倒一』PDF全文

    山田正行『ブログ』

    『山田正行−研究者プロフィール』

    アマゾン『山田正行著書一覧』ほとんどが同時代社からの出版

 

 戦争責任問題なら、PDF全文を最初から見る。ただし、PDFジャンプの機能は付いていない。日本共産党・宮本顕治と「非転向」の神話化から読む場合は、右側カーソルを(P.45)まで一気に動かした方が早く到達する。印刷する場合は、(P.45〜52)を指定する。すべて公表されたデータに基づいている。

 

 (3)「非転向」の神話化の問題一宮本顕治に関連させて− (P.45)

  a.神話化と精神主義のコンプレクス (P.45)

  b.獄中での厚遇 (P.47)

  c.中川成夫の「聴聴書作成不能」の報告 (P.49)

  d.宮本顧治と特高警察の関係性 (P.50)

  e.宮本顕治と機動隊の関係性 (P.51)

  f.小括 (P.51〜52)

 

 しかし、このPDF論文は、2007年4月『大阪教育大学教育学部第12号』中に、『記憶の風化と歴史認識に関する心理歴史的研究−抵抗と転向の転倒』において、「(3)「非転向」の神話化の問題一宮本顕治に関連させて−(P.45〜52)」に掲載されただけだった。07年当時も、また2012年まで、誰も、どのマスコミも話題にしなかった。

 

 5、2012年、私による山田正行説の追実験−3部作

 

 2012年、私はあるメールによって、このPDF論文の存在を知った。読んで驚いた。私も、スパイ査問事件・袴田里見除名事件その他を含め、党中央に詳細な「意見書」を出し、他に関連するHPファイルを載せていたからである。該当個所を印刷し、繰り返し読み直した。

 

    スパイ査問事件ファイル多数

 

 私は、その宮本顕治=「偽・非転向者」疑惑を追実験し、宮本顕治・百合子の党員夫婦疑惑を研究し、公表した。そのテーマは2つの重大な問題を提起した。ただ、山田正行は、宮本百合子疑惑=宮本顕治・百合子という共産党員夫婦と特高との関係に関する疑惑を提起していない。

 

 追実験は、2つのテーマを改めて浮き彫りにした。

 1、「犬は吠えても歴史は進む」大キャンペーンの異様さ・狂気度の数々を再度さらけ出した。

 2、異様さ・狂気度の謎として、宮本顕治における二重の恐怖があったのではないかという疑問も出てきた。

    〔恐怖1〕、スパイ査問事件の全面否認正当性疑惑と小畑殺害実態の発覚恐怖

    〔恐怖2〕、逮捕後の特高との秘密取引=「偽・非転向者」+百合子疑惑の発覚恐怖

 

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第1部目次1〜4

        獄中での厚遇、中川成夫「聴取書作成不能」報告、他の疑惑

        山田仮説−宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部目次5〜7

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第3部、目次8・9

       〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人とただ一人だけ非転向党員の謎・原因

       〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇とその謎

 

 2、対応の異様さ・狂気度の原因=宮本二重恐怖有無と2つの恐怖増幅性

 

 「犬−歴史」大キャンペーン対応は、異様さを乗り越え、狂気じみていた。それは、宮本顕治が、立花隆『日本共産党の研究』連載→単行本出版に激怒したからとされた。しかし、その狂気度は、怒りだけでは、説明がつかないようなレベルだった。

 

 その原因として、もう一つ別の隠された恐怖があったのではないか。宮本顕治・小林栄三は、特高史観と攻撃した。しかし、共産党側の戦前における原資料はまったくなかった。また、共産党は戦前資料を隠蔽し、何一つ公表しなかった。立花隆らは、特高資料に基づいて、『研究』するしかなかった。宮本検挙後の資料も、()特高側データがなく、()宮本側も完全に隠蔽・沈黙していた。

 

 ところが、()1988年、宮本顕治が自ら『宮本顕治の半世紀譜』を出版した。そこには、党史上初めて、宮本検挙から敗戦による釈放までの行動記録・メモが公表されていた。()それから9年後の2007年、山田正行教授が『半世紀譜』データに疑惑を抱いた。それを大阪教育大学雑誌だけでなく、インターネットPDFに載せた。()2012年、私が『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』からさらなる疑惑を高め、追実験をした。

 

 山田正行が抱いた疑惑を持った人は、2007年まで、一人も出なかった。その後、その疑惑を追実験しようとした人も、私以外一人も現れなかった。宮本顕治と特高との関係=「偽・非転向者」疑惑とは、あまりにも、強烈すぎる疑惑だったからと思われる。

 

 宮本顕治は、()スパイ査問事件の査問シーンの真相とともに、()検挙後の特高との関係真相について、一度も忘れることはなかった。それにたいする二重恐怖を抱え、隠蔽しつくしてきた。立花隆『日本共産党の研究』連載→出版は、宮本顕治を、それら2つの真相が暴かれるという二重恐怖陥れた。恐怖が2つによって異常増幅した。

 

 3、二重恐怖の基本データ()の再確認

 

 それらの基本データを再度確認する。()だけを載せる。その根拠となる陳述詳細は、それぞれのファイルに載せた。()番号は、そのファイルに載せた番号のままにした。

 

 1、スパイ査問事件の査問シーン真相データ=宮本顕治陳述の真っ赤なウソ

 

   5、分離公判における宮本顕治の査問シーン真っ赤なウソ陳述データ

      1、宮本・袴田・秋笹の合同公判→宮本だけを分離・単独公判とその経緯の謎

      2、分離・単独公判における宮本顕治の査問シーン真っ赤なウソ陳述 〔表15〜25〕

 

    『第1部2』スパイ査問事件暴行行為の存在、程度、性質の真相

 

〔表15〕 〔第2の事実問題〕と6人の他人行為目撃陳述

 

大泉

木島

逸見

秋笹

袴田

宮本

1、なぐるける

 

×

2、斧使用

 

×

3、硫酸使用

 

(自己行為自認)

×

4、タドン使用

 

(自己行為自認)

×

5、斧使用

 

 

(自己行為自認)

 

×

6、出刃包丁使用

 

 

 

 

×

イ、是認

 

4項目

5項目

なし

ロ、否認

 

1項目

1項目

1項目

全面否認

 

 自己行為自認陳述の事実性をどう評価するか。上記表のように自認行為がある。事実無根でまったく存在もしていない行為を自認することはこの査問関係者でありうるか(?) 木島、逸見、秋笹は特高の拷問をうけている。とくに、予審非転向の秋笹、袴田が、その非転向時点で、事実無根の行為を自己行為として自認することがありうるか(?) 袴田は一貫して非転向で、小林多喜二が受けたレベルのような拷問は受けていない。

 

 袴田里見は、検挙前、最後の中央委員だった。彼は、マスコミによるスパイ査問事件のでたらめ報道に連日接していた。検挙後、それらマスコミ報道にたいし、スパイ査問リンチ事件の正確な情報で反論しようとしたと思われる。袴田、秋笹とも検事の聴取書もなく(宮本第13回公判.P.270)、したがって非転向予審陳述における自己行為の自認内容は事実である。

 

〔表19〕 秋笹・袴田・逸見の2)、3)、4)行為陳述の一致点と相違点

2)斧使用

3)硫酸使用

4)タドン使用

秋笹予審(非転向)

秋笹→大泉(自認)

小突イタ

宮本か誰か→(?)

「付ケルゾ付ケルゾ」ト

硫酸瓶振廻シ脅カシ

秋笹→小畑(自認)

足ノ脛ノ辺ニ押シツケルト

慌テテ足ヲ引込メ

袴田予審(非転向)

秋笹→大泉

頭ヲゴツント殴ルト

コラ本当ノコトヲ云ワヌカト

袴田→小畑(第1段階自認)

木島→小畑(第2段階)

之ハ硫酸タト云ツテ脅シ乍ラ

秋笹→小畑

足ノ甲アタリニクツツケタ

熱イ熱イト云ツテ足ヲ跳上ゲ

逸見予審(転向)

秋笹→小畑

頭ヲコツント叩キ

何故嘘ヲ云フノカト

木島→小畑(第1、第3段階)

ソラ硫酸ヲツケタゾ流レルゾト云ヒテ

秋笹→小畑

両足ノ甲ニ載セタルトコロ

熱イト叫ンテ足ヲ跳ネルト

 

〔表20〕 硫酸の4つの問題

袴田

秋笹

逸見

木島

大泉

宮本

自己行為自認・否認

イ.硫酸瓶「存在」

×

袴田存在確認・並べ直し行為自認

ロ.第1段階脅迫

○自認

袴田−自己行為自認

ハ.第2段階脅迫

×

ニ.第3段階暴行

×

×木島否認

(○印−是認陳述、×印−否認陳述、印−実質的な是認)

 

〔表21〕 秋笹・袴田・逸見3人のタドン使用行為細部までの完全一致

秋笹(非転向時)

袴田(非転向)

逸見(転向)

イ.行為者

秋笹(自認)

秋笹

秋笹

ロ.対象者

小畑

小畑

小畑

ハ.個所

踵ノ辺

足ノ甲アタリニ

両足ノ甲ニ

ニ.行為

押シツケルト

クツツケマシタ

載セタルトコロ

ホ.小畑の反応

慌テテ足ヲ引込メ

足ヲ跳上ケマシタ

足ヲハネルト

ヘ.小畑の声

熱イ熱イト云ツテ

熱イト叫ンテ

ト.畳の焼跡

タドンカ畳ノ上ニ散ツテ処々ニ焼跡

火ハ付近ニ散乱シテ畳ヲ焦シタリ

チ.日時

23日午後2時頃

24日午前中

24日午後1時頃より

 

 日時のみ相違しているが、これは秋笹の記憶ちがい、逸見の迎合的あるいは記憶ちがいの陳述である。袴田陳述の24日午前中が事実である。確定判決も24日午前中の事実認定をしている。木島は宮本陳述によれば、逸見行為として陳述しているが、3人の細部にいたるまでの一致、秋笹自身の自己行為自認からいって、秋笹行為である。足の甲に火傷がないという法医学的痕跡有無への判断は上記にのべた。

 

 宮本陳述は、「タドン使用」を木島、逸見の転向による迎合的陳述のせいにして全面否認した。しかし、上記(1)〜(4)から見て、宮本中央委員をのぞく査問者4人全員(但し、木島は査問委員でないが、査問参加)が上記内容で是認しており、「タドン使用」は事実であり、それを全面否認する宮本陳述は真実・真相をのべていない。24日午前中査問に宮本中央委員は参加し、その行為を目撃している。「何レモ目撃シテ居ナイカ」(P.245)という陳述内容はこの「タドン使用行為」目撃についても事実をのべていない。

 

〔表22〕 5つの事実問題での宮本陳述の非事実性部分

「存在」全面否認の事実性

行為・「使用」全面否認の事実性

行為目撃全面否認の事実性

1)なぐるける

×(非事実)

×(非事実)

2)斧

×(非事実)

×(非事実)

×(非事実)

3)硫酸瓶・硫酸

×(非事実)

×(非事実)

×(非事実)

4)タドン

×(非事実)

×(非事実)

5)針金

×(非事実)

×(非事実)

×(非事実)

 

 5項目での「存在」、「使用」行為、行為目撃についての宮本全面否認部分については事実をのべていず、その陳述部分は真実・真相ではない。5つの事実問題に関する宮本陳述は、×(非事実)であり、すべて真っ赤なウソである。

 

〔表25〕 硫酸瓶・硫酸使用行為とその段階・程度

大泉

木島

逸見

秋笹

袴田

宮本

第1段階

1人(自認)

第2段階

×

2人

第3段階

×

4人

「存在」

(○)

(○)

(○)

(○)

×

5人

 

 6人の関係者中、宮本完全否認以外は、5人が「なんらかの形での硫酸瓶使用・硫酸使用の是認」陳述をしている。

 

 2、宮本顕治、および、顕治・百合子共産党員夫婦と特高との関係疑惑データ=「偽・非転向者」

 

 (表3〜7)の説明は、下記リンクで詳細にした。

 

   (表3) 山田正行指摘疑惑としての宮本顕治病監収容9回

   (表4−1) 殺人容疑未決囚が百合子と面会した年度と回数183回

   (表4−2) 百合子への大量の書籍差入れ要求データ

        『聴取書作成不能』報告書の3カ月後・34年12月13日

   (表5) 転向作家7人とただ一人非転向百合子と特高との関係

         転向作家と非転向作家データからの百合子疑惑

   (表6) 小林・野呂・宮本顕治ら3人の検挙・死亡月日経過と差別扱い理由

   (表7) 「自壊没落期」中央委員会と殺人容疑未決囚の役割

 

(表3) 山田正行指摘疑惑としての宮本顕治病監収容9回

1933年12月26日検挙1945年5月4日大審院で上告棄却判決→無期懲役囚

宮本年齢

病監収容月日

普通監房に戻る

病名、疑い

病監場所

頁数

1

1934

26

1月下旬

猩紅熱

市ヶ谷刑務所

24

2

1934

 

12

風邪、肺突に影

市ヶ谷刑務所

26

3

1936

28

5

肺結核

市ヶ谷刑務所

28

4

1937

29

7

腸結核

巣鴨の新築拘置所

30

5

1939

31

6

喀血

巣鴨拘置所

37

6

1939

 

12

(病気)

巣鴨拘置所

39

7

1940

32

12月〜

219

(病気)3カ月間

巣鴨拘置所

40

8

1943

35

75

腸チフスの疑い

巣鴨拘置所

47

9

1944

36

6月中旬

巣鴨拘置所

50

データと頁数はすべて『宮本顕治の半世紀譜』686頁中−山田正行PDF(P.48)

11年間で9回も病監収容−延べ入院期間は7回目の3カ月間以外不明?

この11年間、病監収容もなく、獄中病死共産党員は十数人以上〜数十人か?

 

    山田正行『一抵抗と転向の転倒一』PDF全文→(P.48)宮本病監収容データ

 

(表4−1) 殺人容疑未決囚が百合子と面会した年度と回数183回、他疑惑8事項

1933年12月26日検挙1945年5月4日大審院で上告棄却判決→無期懲役囚

回数

回数

回数

回数

1934

1

1937

15

1940

12

1943

9

1935

2

1938

23

1941

9

1944

49

1936

6

1939

52

1942

0

1945

7

データはすべて『宮本顕治の半世紀譜』686頁中(P.23〜58)

12年間の面会回数合計は183回−特高が共産党員・非転向百合子にすべて許可

殺人主犯容疑未決囚にたいし、特高がこんなにも面会回数を許可するものか?

 

(表4−2) 百合子への大量の書籍差入れ要求データ

『聴取書作成不能』報告書3カ月後・34年12月13日

 

 併せて、芸術哲学、歴史伝記等を学び度い。語学は、露・独、今は露から始め度い。未だ新刊目録を入手しないから、くわしくは、後で書くが大体次のものをいれて呉れ。

T

『世界国勢年鑑』(矢野恒太)、世界地図、『満鮮』(山本改造)、『非常時全集』(中公)、『我等若し戦はば』『我等の陸海軍』(平田)、『明治維新研究』(厚い本だ、家の書棚にある)、『蹇々録』(岩波文庫)、スミス『富国論』、リカアド『経済学原理』、『地代論』(岩波文庫)、『近代民主政治』(岩波)この外この間云ったもの。

U

『将来の哲学の根本命題』『史的にみたる科学的宇宙観の変遷』(岩波)、ランゲ『唯物論史』、フィシャー『ヘーゲル哲学解説』『種の起原』、UのB、プランデス『十九世紀文学史』世界文学講座総論篇・英仏独露篇、ジッド『ドストエフスキー論』、テーヌ『文学史の方法』(岩波)、バルザック『従兄ポンス』『従妹ベッ卜』『知られざる傑作』、シェクスピア(新潮社の世界文学全集でよい)。

 

 ディケンス『二都物語』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』、ゴーゴリ『外套』『検察官』等。ハイネ全集、シルレル『ウィルヘルム・テル』、独歩、藤村、漱石(何れも改造社、春陽堂等の全集本でよい)、有三『波』、広津、野上等の近作。子母沢寛『国定忠治』、大仏『由井正雪』、それから最後に、ユリの旧作もいれて呉れ。

V

菊池寛『日本合戦譚』(中公)、『西園寺公望伝』(白柳)、『海舟座談』(岩波)、『野口英世』『新版義士銘々伝』(講談社)、『チャールス・ダーウィン』『科学者と詩人』『ゲーテとの対話抄』『この人を見よ』(以上岩波)、『プルタークの英雄伝』、『ミル自伝』(岩波)。

W

語学は講座本と字引。

 

 それから、昨日『科学の詩人』『二葉亭全集』等を宅下げしておいた。ファーブルは面白かった。この科学上の実証主義者、政治上の共和主義者、宇宙観上の有神論者は、彼が名利を超越し、何よりも自然を師として、忍耐の中に凝結する情熱にみちていた、と云う点で輝いている。そして彼は、自然を唯一の師とした故に、自然弁証法の証左となる多くの実例を提出している。

 

 「進化論」「均斉」「矛盾」「調和」「道徳の幻影」等の章が特に興味深かった。『百鬼園随筆』は折角だから読んでみたが、余り興味がなかった。「二葉亭」は昔、彼について書こうとしたことがあったが、面白かった。作品としては、「其面影」がまとまっている。

 

 他の手紙においても、書籍の差入要請・返送=宅下げが何度も出てくる。百合子は、その都度、本屋に注文した、届き次第差入すると書いている。差入書籍は、読み終わった書籍の返送=宅下げを別とし、延べ数百冊になったと思われる。

 

 これら大量の書籍差入要請・宅下げをどう考えたらいいのか。『聴取書作成不能』報告書3カ月後である。『作成不能』報告と、大量書籍差入要請・返送=宅下げとの間何らかの極秘裏取引があったと推定するのが普通ではないのか。

 

 大量書籍差入要請・返送=宅下げの最初の時期について、3カ月後でなく、それ以前が疑われる。『聴取書作成不能』報告書は、『半世紀譜』(P.25)によれば、1934年9月10日である。この手紙は、12月13日だった。そして、手紙の最後に、『科学の詩人』『二葉亭全集』等を宅下げしておいた。ファーブル、『百鬼園随筆』の感想と宅下げを書いている。それらの差入時期は、9月末〜10月頃になるはずである。特高は、宮本顕治にたいし、『聴取書作成不能』報告書とほとんど同時に、多数の書籍差入を許したと思われる。そこには、どんな取引=「偽・非転向者」変節があったのか。

 

(表5) 転向作家7人ただ一人非転向百合子特高との関係

転向作家と非転向作家データからの百合子疑惑

区別

作家名−入党→検挙→転向とその期間

備考

 

 

 

転向

 有名作家6人だけを見る。全員が、入党→検挙・拷問→転向声明公表をした。

()、島木健作1927年入党→28年検挙→29年転向。

()、村山義知31年5月入党→32年4月検挙→33年12月転向→34年3月懲役2年・執行猶予3年判決。

()、埴谷雄高31年入党→32年検挙→33年転向上申書→懲役2年・執行猶予4年判決。

()、中野重治31年入党→32年検挙→34年転向。

()、窪川鶴次郎32年1月入党→32年3月検挙→33年転向・保釈。

()、佐多稲子32年入党→35年5月検挙→転向、35年7月釈放→37年5月懲役2年・執行猶予3年判決。

 

 入党していないのに、検挙→転向声明した作家もいる。特高は、共産党への資金カンパ源を絶滅させる手口にも全力を挙げた。

()、林房雄30年共産党への資金提供で検挙→32年転向声明

 これらのデータは、すべて個々の作家のwikipedia記事、または、個人全集解説文に基く。

 入党検挙→転向までの期間は、ほとんどが2年〜3年だった。検挙→転向までは、約1〜2年だった。約1年間での転向が多い。

 検挙後、どのような拷問・脅迫があったのか。それについては、戦後になってからでも、誰も具体的事実を書いていない。抽象的な転向文学は書いている。

中間?

()蔵原惟人29年入党→32年検挙→「政治活動から身をひく」と声明、治安維持法違反で懲役7年判決→満期出獄

転向声明を出していない。

 

 

 

非転向

非転向作家は、宮本百合子一人のみ

 中条百合子31年入党→32年9歳年下の宮本顕治と事実婚→5回検挙でも非転向

〔検挙1〕、32年4月7日、駒込署に検挙→6月25日釈放

〔検挙2〕、32年9月10日、渋谷署に検挙→10月15日釈放

 (33年2月20日、小林多喜二、築地署に検挙→即日拷問虐殺)

 (33年11月28日、野呂栄太郎、検挙→34年2月18日拷問・83日間で病死)

〔検挙3〕、34年1月23日、駒込署に検挙→6月13日執行停止で釈放

〔検挙4〕、35年5月10日、淀橋署に検挙→10月14日治安維持法違反で起訴→10月15日市ヶ谷刑務所に収監→36年3月27日心臓が弱ったため保釈→36年6月22日公判、懲役2年・執行猶予4年判決

〔検挙5〕、42年3月、検事拘留のまま、巣鴨の東京拘置所へ送監→7月20日熱射病で倒れ、執行停止で出獄

 これら検挙5回のデータは、すべて『半世紀譜』の引用。宮本顕治は、この詳細な年月日データをいつ、どこで知ったのか

 〔検挙1〕2カ月半+〔2〕35日間+〔3〕4カ月半+〔4〕10カ月半+〔5〕4カ月=32年4月〜42年7月までの11年間で、5回・約延べ22カ月間=1年10カ月間刑務所。

 5回中、釈放3回、保釈1回、執行停止で出獄1回だった。4回目だけ、懲役2年・執行猶予4年判決→非転向のままの判決

 

 これら(表5)3種類のデータから、宮本百合子が、殺人主犯容疑未決囚のなのに、獄外プロレタリア文学作家・非転向公然党員であり続けられたことにたいし、恐るべき疑惑が浮かぶ。宮本顕治の警察・検察でたった一人だけ完全黙秘貫徹→公判で初めて陳述、非転向疑惑発覚との関連で、妻・百合子疑惑も2つ浮上する。

 

   〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人とただ一人だけ非転向・公然党員との違いとその謎・原因

   〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇実態とその謎

 

(表6) 小林・野呂・宮本らの検挙・死亡月日経過と差別扱い理由

名前

検挙月日

担当特高

死亡月日

死因

獄中待遇

小林多喜二

33220

毛利基・中川成夫

33220日・即日

拷問・虐殺

即日拷問死・虐殺

野呂栄太郎

331128

(毛利基)中川成夫

34219日・83日後

拷問・病死

食事減量・肺結核治療放棄

宮本顕治

331226

(毛利基)中川成夫

生存→敗戦で釈放

 

異例厚遇−独房2、病監9

中川警部・特高係長は3人とも担当→宮本顕治にだけ「聴取書作成不能」報告疑惑

33年2月多喜二虐殺→12月宮本検挙までの10カ月間で、特高大作戦に起きた劇的転換?

 

 中川成夫警部・特高係長は、小林多喜二・野呂委員長と同時に、宮本中央委員=小畑中央委員殺害容疑者・25歳ら3人とも担当した。毛利基特高課長もすべて担当したと思われる。特高山県は、多喜二虐殺に関わった。3人にたいする差別扱いレベルとその理由として転向政策との関連有無を考える。3人検挙は、すべて同一の1933年度だった。

 

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 〔関連ファイル〕

    (スパイ査問事件)

    『スパイ査問問題意見書』 『第1部2』暴行行為の存在、程度、性質の真相

    『スパイ査問事件と袴田除名事件』

    『スパイ査問事件の個人的体験』

    『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』

    高橋彦博『逸見重雄教授と「沈黙」』逸見教授政治的殺人事件の同時発生

    れんだいこ『宮本顕治論・スパイ査問事件』

    共産党『袴田自己批判・批判』「3論文」と「党史」

    岡宏輔『闇から出てきた亡霊−立花隆氏の“日共”批判をきる』最後の秘書室長

 

    wikipedia『日本共産党の研究』立花隆

    イーブック『立花隆「日本共産党の研究」「予審調書」の電子出版』2012年

    立花隆『日本共産党の研究』関係『年表』一部、加藤哲郎『書評』

    加藤哲郎『立花隆「日本共産党の研究」書評』

 

    (宮本顕治=「偽・非転向者」疑惑)

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第1部目次1〜4

       獄中での厚遇、中川成夫「聴取書作成不能」報告、他の疑惑

       山田仮説−宮本顕治は「偽・非転向者」=特高協力者だった

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第2部目次5〜7

    『「非転向」の神話化の問題−宮本顕治に関連させて』=第3部、目次8・9

       〔妻・百合子疑惑1〕、転向文学者7人とただ一人だけ非転向党員の謎・原因

       〔妻・百合子疑惑2〕、妻・百合子へも異なるタイプの極秘異例厚遇とその謎