ドイツ連邦議会選挙における左翼党躍進の政治的背景

 

−躍進の勢いは今後も持続するか?−

 

柴山健太郎

 

 ()、これは、『労働運動研究』(2005年12月、復刊第12号・通巻396号)に載った柴山健太郎労働運動研究所常任理事の論考の全文である。1989年東欧革命・1991年ソ連崩壊で、10カ国の社会主義国家とレーニン型前衛党がいっせい崩壊した。前衛党のすべてが、社会民主主義政党に転換した。しかし、その転換過程、前衛党体質の自己批判内容、資本主義国の他政党との関係については、報道されたことがなかった。この柴山論文は、ドイツの事例によって、その具体的ケースを始めて解明した。この事例は、21世紀日本の政治状況・政党間関係にたいする貴重な示唆にも富んでいる。この全文を、私(宮地)のHPに転載することについては、柴山氏の了解をいただいてある。

 

 〔目次〕

   第1表 2005年ドイツ連邦議会選挙結果(前回との比較)

   第1図 左翼党結成までの歩み

   1、PDSとSPD左派との連合が可能になった条件

   2、西欧社会民主主義路線への転換

   3、不徹底なスターリン主義の清算

   4、社会主義理念の転換と「非暴力」主義

   5、欧州連合に対するPDSの評価

   6、左翼党結成をめぐる今後の不安要因

   7、柴山健太郎略歴

 

 〔関連ファイル〕        健一MENUに戻る

     柴山健太郎『勝ったのは民主主義だ!』

           政権を奪還したイタリア中道左派連合の苦闘の奇跡

     HP『労働運動研究所』  『労働運動研究』復刊の内容紹介

     『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

     『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約

     福田玲三『民主集中制の放棄とフランス共産党』

     福田玲三『史上初めて対案提出』フランス共産党32回大会

     アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』

           (宮地添付文)フランス共産党の党改革状況

 

第1表 2005年ドイツ連邦議会選挙結果(前回との比較)

政党

議席数

得票率 %

得票総数

 

2005

2002

2005

2002

2005

2002

社会民主党

キリスト教社会民主同盟

同盟90緑の党

自由民主党

左翼党

222

226

51

61

54

251

248

55

47

2

34.2

35.2

8.1

9.8

8.7

38.5

38.5

8.6

7.4

4.0

16、194、665

16、631、049

3、838、326

4、648、144

4、118、194

18、484、560

18、474、560

4、108、314

3、080、955

2、515、454

1 Die Linke 2002年の数字は、PDS(民主的社会主義党)の数字。

資料:2005年の数字は、http://de.wikipedia.org/wiki/Budestagwahl 2005による。

 

 第1図 左翼党結成までの歩み

 SED(社会主義統一党) 1989年11月↓「ベルリンの壁」崩壊

 SED・PDS(民主的社会主義党) 1989年12月↓

 PDS(民主的社会義党) 1990年 ↓

 

 左翼党(Linkspartei).PDS 2005年6月 

 SPD ↓ ↓離党 ↓

 WASG ↓(労働と公正のための ↓

 選挙代案) ↓ Die Linkeの統一名簿で総選挙に参加 

 2007年6月30日までに組織統一を合意

 

 

 1、PDSとSPD左派との連合が可能になった条件

 

 今回の総選挙直前の7月に誕生した左翼党は、初戦でいきなり412万票を獲得し、2002年のPDSが獲得した得票数を160万票も伸ばし、得票率を倍化し、議席を2議席から54議席へと躍進させるめざましい成果を挙げた(第1表)。以下、この原因と左翼党の今後の発展の展望について考えてみよう。

 

 まずこの左翼党(Die Linke Partei)について若干説明を加えると、左翼党の主体は「左翼党・民主的社会主義党(Die LinksparteiPDS、党員6万人)」である。この党に、本年SPDの路線に反対して離党したラフオンテーヌ元SPD党首らが結成した「労働と社会的公正のための選挙代案(WASG、党員5000)が参加し、本年7月に結成された政党連合が左翼党である(第1図参照)。この両組織は2007年までに合併を目指すことで合意している。(1)

 

 前者の左翼党・PDSの前身は、統一前の東ドイツ民主共和国(DDR)の政権政党である社会主義統一党(SED)である。SEDは民主化運動の盛んになった198912月に社会主義統一党・民主的社会主義党(SED・PDS)と改称すると同時に綱領を改正してスターリン主義を清算する努力を開始した。さらにその後、党名からSEDを削除してPDSと改称し、200310月の第8回大会で採択されたPDS綱領(2)と、その後行われた規約改正によりスターリン主義を徹底的に克服し、西欧社会民主主義政党への転換の道を歩み始め今日に至っている。

 

 スターリン主義の影響が絶大だった第二次大戦後の国際共産主義運動の潮流の中でも、特にその傾向が強く、悪名高い国家保安省(Das Ministerium für StaatsicherheitStasi(3)の下で比類のない警察国家を築き上げた独裁的なSEDの流れを汲むPDSが、西欧民主主義潮流の中心的存在であり、80年代以降、ゴーデスベルク綱領からイルゼ−草案を経てベルリン綱領に至る新たな社会民主主義の路線の創出に先駆的役割を果たしたSPDで、その中心的人物の一人だったラフオンテーヌらと政党連合を組むことがいかにして可能になったのか。これは今後、詳しい資料や証言に基づいて研究する以外にないが、このPDSの綱領の検討から言えることは、PDSがスターリン主義を克服し、西欧社会民主主義の政党へと転換する道を歩み始めたことで、両者の共通の政治的基盤が形成されたのではないかということである。

 

 

 2、西欧社会民主主義路線への転換

 

 以下、その判断材料としてPDSの新綱領について検討してみたい。だがこの綱領の全体を紹介するのは紙幅の関係で不可能なので、PDSの政治的性格と現状認識の理解に役立つと思われる箇所を抜粋して紹介する。まずPDS綱領の全体の構成を見てみよう。

 

 [PDS綱領]

 前文

 ().社会主義−目標、路線および価値

   1.われわれの目標および価値:自由、平等、連帯。2.われわれの路線:社会の民主化

 ().現在の世界

   1.新自由主義の攻撃。2.情報化および通信テクノロジーの時代における資本主義。3.グローバルな社会的諸問題。4.欧州連合。5.ドイツ連邦共和国

 ().改革の代案:民主的、社会的、文化的

   1.民主主義。2.自由と非暴力。3.経済。4.環境。5.労働。6.社会保障と保健。7.教育、科学、文化、メデイア。8.東ドイツ。

 ().PDSの変化−PDSの自己変革

 

 3、不徹底なスターリン主義の清算

 

 まずPDSは、自らの組織の前身であるSEDが「社会主義」と「共産主義」の名において行った数々の犯罪について、いかなる自己批判を展開しているのか。この点に触れているのは「前文」と第4章「PDSの変化−PDSの自己変革」の節である。「前文」では『社会主義・共産主義』の名で行われた犯罪との対決」する姿勢を明らかにして次のように述べている。

 

 「われわれは、資本主義的搾取、環境破壊、政治的抑圧および犯罪的戦争に対する闘いの伝統のなかでこの綱領を自らに与える。だがわれわれはこの闘いを行うにあたり、社会主義と共産主義の名において行われた犯罪と断固として対決し、独裁の手段によって進歩を達成しようとするいかなる試みも拒否する。」

 

 「われわれを結びつけているものは、政治的権利の剥奪、社会的解体、人間的尊厳の無視に対する抵抗である。われわれを結びつけているものは、資本主義的グローバル化の政治、戦争と軍国主義化、社会的国家や民主主義の弱体化に対する闘いである。闘い取った文明的成果は守るだけでなく、完成されなければならない。われわれは家父長的支配、性差別、および『他者』に対するいかなる差別、いかなるナショナリズム、人種差別、反ユダヤ主義に対して断固として闘う。」

 

 さらに最終章の4.PDSの変化−PDSの自己改革」では、SEDの犯した路線や犯罪的な人権侵害に対して次のように述べている。「SEDは、具体的な歴史的諸条件に基づく政権政党として、初めからソ連の社会主義モデルとソ連の政治路線への忠誠を固守した。SEDは、社会主義を民主主義や自由に結びつける能力もなかったし、その意志もなかった。したがってSEDの路線は、苦痛に満ちた誤り、文明化に対する怠慢および犯罪によって特徴づけられた。SED機構の少なからぬメンバーが抑圧に加担し、意見の異なる人間の迫害を容認し、あるいは支持さえしたことは、われわれにとっていまだに苦痛に満ちた認識である。それに対して、われわれは他の人々と共に道徳的責任を負っている。したがってドイツ連邦共和国の基本法に保障された基本的諸権利を擁護することはわれわれにとっても当然の義務である。」

 

 SEDが犯した犯罪に対するPDSの認識と自己批判は、これでは極めておざなりである。やはり、カール・リープクネヒトやローザ・ルクセンブルク、ウイルヘルム・ピークなど優れたマルクス主義者を生んだドイツ共産党がいかにして戦後の東独のスターリン主義的SEDに転換し、しかも悪名高い国家保安局(Stasi)の下でグロテスクな警察国家を築き上げるに至ったのか、その実態と犠牲者の名誉回復を含めて理論と実践の両面でその全面的な分析と徹底した自己批判を行わなければ、東西ドイツ市民の不信感はなくならないし、左翼党が今回のような躍進の勢いを持続することは困難だろう。

 

 だがこのPDS綱領で注目されるのは、社会主義を自由、平等、連帯などの価値の実現過程ととらえ、それを非暴力と民主的手段によって実現するとしていることである。こうした観点から見ると、PDSは社会主義をプロレタリアート独裁、重要生産手段の国有化、計画経済の三位一体の体系ととらえ、革命的暴力を主張していたかつての「マルクス・レーニン主義」体系を完全に放棄し、社会民主主義路線に転換へ大きく進んだものと判断することができる。

 

 

 4、社会主義理念の転換と「非暴力」主義

 

 それをテーゼ化したのが、第1章の「社会主義−目標、路線および価値」であり、そこでは社会主義について「われわれにとって、社会主義とは自由、平等および連帯、解放、公正、自然の保存および平和と相互に不可分に結びついた価値体系である。」と述べている。さらに第1章の「われわれの路線」では、それを達成する手段として「非暴力」を主張し、次のように述べている。

 

 「より人間的な社会は、支配者との平和によってではなく、抑圧された者や差別された者および彼らと全力を挙げて連帯するすべての者の抵抗から生まれる。このような対決手段は、非暴力と民主主義の諸目的に適合しなければならない。さもなければその対決手段が新たな支配と抑圧の出発点になるからである。だが人間、集団、国家が人間の尊厳を無視し、彼らの側から暴力を使用した場合には、適法的な抵抗権があることはいうまでもない。」

 

 PDS綱領の現代資本主義に対する認識も、従来と大きく変わっている。第2章の「情報化および通信テクノロジ−の時代における資本主義」は、現代資本主義について次のように認識を述べている。

 「現在の資本主義は、人類の諸問題の解決に不可欠な可能性をもたらしたが、同時に束縛され、歪められ、それらの可能性を破壊している。だがそれは社会主義的政治や力関係を変えるために利用されているし、また利用しなければならない。社会的富の増大は、環境破壊をもたらさないように責任を持って行われ、かつその富が公正に分配される限りにおいて、創造的役割を演ずることができる。生産性向上は、それが労働世界の民主化とすべての人々に対して労働時間短縮をもたらす限りにおいて、自己決定的な生活方法を営むのに従来よりも多い時間のゆとりをもたらすことができる。知識と情報の増大は、自覚的な社会改革の諸条件を改善する。国際化は他の文化の受容を可能にし、地域化やインターネットによる地球を変革するネットワーク化も新たな行為主体(アクター)であり、グローバルな行動は『下からの』の民主化のチャンスを高める。」

 

 

 5、欧州連合に対するPDSの評価

 

 さらに重視されるのは、この章で「欧州統合」および「欧州連合」の拡大、EUの安全保障政策、通貨統合、欧州連合憲法の成立などについて条件付きで支持し、次のように述べていることである。

 「PDSは、欧州統合および、民主的、社会的、エコロジー的および文明的基礎に基づく欧州連合の拡大を支持する。PDSは、欧州統合の中に欧州連合および全世界の女性と男性の市民の平和、自由および平等の促進に寄与する超国家機関になりうるチャンスを見いだす。欧州連合の諸国民と諸国家の平和的な相互関係は文明的財産であり、PDSはそれを擁護し発展させるために持続的に努力している。

 

 したがってPDSは、欧州連合を軍事大国に転換させ、社会的国家を破壊し、民主主義を解体させようとするあらゆる傾向と闘う。欧州連合はこれまでにもまして、資本主義に批判的な運動、労働組合運動やその他の社会運動および左翼政党に対して、社会的国家の防衛と再生と発展のための、さらに今日の反資本主義的闘争のための政治的な場になりつつある。

 

 対外・安全保障政策では、欧州連合は岐路にたっている。欧州連合は、世界的な国際法秩序、文民による紛争予防、紛争の平和的解決および連帯的・民主的解決のために尽力している。だが欧州連合は、米国の指導の下で帝国主義的世界秩序の一層の完成のために貢献したり、自らの大国的利害を持つジュニア・パートナーとして利益を得る可能性もある。現在の欧州連合は後者に傾きつつある。」

 

 「マーストリヒト条約とアムステルダム条約は、欧州連合を銀行とコンツェルンの利害の際立った競争地域に変える努力を推進している。各国政府と欧州委員会は、新自由主義的な規制緩和や民営化政策を継続し加速している。PDSは共通通貨の導入を支持したが、この共通通貨もやはりPDSや労働組合その他の社会的諸勢力が、欧州の社会国家の伝統に対する攻撃として行った異議申し立てを拒否し、経済・社会・雇用政策の必要性を無視して行われた。

 

 大量失業と貧困は、昔も今も欧州の社会的な主要問題である。われわれは、欧州の域内市場と経済・通貨同盟の潜在力を、グローバル化過程の社会的・エコロジー的形成のために利用することに全力を挙げる。」

 「欧州連合は、いま女性および男性市民に対して、官僚的、非社会的、非民主的な現実として対立している。国家の重大な主権は、EUにおける政治的決定の過程を民主化し、とりわけ欧州議会の諸権利を拡大することなしに、EUに委譲され、国家からの民主的統制は取り上げられている。PDSにとって、現在も将来も、欧州連合の広範な民主化とその社会的完成は、女性および男性たちの欧州の再生の鍵である。

 

 PDSは、欧州連合憲法の成立の過程を支持する。欧州市民権の強化の努力にもかかわらず、これまで達成された進歩はEUの『社会的・民主的分野における赤字決算(das Sozial-und Demokratiedefizit der EU)』を埋めるには不十分だった。」

 

 さらにPDS綱領は、この章で現在の「ドイツ連邦共和国」の現状と、シュレーダー政権の評価、ドイツ統一の成果と欠陥などについて次のように述べている。

 「1998年の政権交代はなるほど最初は新自由主義の支配的なプロジェクトに一定の修正をもたらしたが、その後はそのプロジェクトの広範な遂行の新しい局面に入っている。社会的・エコロジー的政策への転換の望みは、満たされていない。労働組合との断絶が始まった。SPD左翼と緑の党は、瀬戸際にまで追いつめられた。欺瞞的な改革の看板の下で、保守的勢力とドイツの支配的な資本家勢力との大連立によって、新自由主義的な構造改革が推進され、経済的・社会的危機は深化し、大量失業が激化し、賃金労働者やその他多くの階層の生活水準が低下させられようとしている。国内需要の停滞は不況と公的負債の一層の増大の危険をはらみ、国家の行為能力を制限している。EUや国際経済機関への重大な決定権の委譲や世界経済の自由化も、これに大きく影響している。これまで左翼は、これに対する対抗戦略を持ってこなかった。

 

 新自由主義の支配に対する回答としての、さまざまな社会民主主義の『第三の道』はただ単にあいまいなばかりでなく、人間の社会的・政治的・文化的権利の遂行と両立しないし、また21世紀の決定的な諸問題を解決する能力も持っていない。」

 

 「ドイツ統一は、東ドイツの国民に代表制議会民主主義、個人の国民的自由、法治制、インフラの近代化と西欧的消費スタイルをもたらしが、公正はもたらさなかった。統一ドイツの支配的エリートたちは、自分たちの全権を主張し、DDR(ドイツ民主共和国)と1989/90 年の平和的国民運動の遺産を拒否し、統一ドイツの社会的・民主的改革を妨げている。彼らの政治は、統一条約の基本原則の侵害して行われた。その結果が東ドイツ人の社会的不平等の増大と、政治的・法的冷遇である。」

 

 以上、このPDS綱領の社会主義の概念と路線とそれを達成する手段、現代資本主義の現状認識、欧州統合やドイツ連邦共和国の改革の路線などについて要点を紹介した。ここから判断されることは、PDSは現代社会民主主義政党への転換を進めつつあり、少なくともスターリン主義の徹底的な清算という道徳的な問題以外は、SPD左派との連合を妨げるような政治的・理論的障害はすでに存在しないといえよう。

 

 

 6、左翼党結成をめぐる今後の不安要因

 

 今回の総選挙で躍進した左翼党だが、今後の発展の展望に関してはドイツのマスコミの評価は厳しい。

 『シュピーゲル』誌は、総選挙中に左翼党の選挙戦を取材し、次のような記事を掲げている(注4)。少し長くなるが紹介しよう。

 「選挙キャンペーン中に、左翼のハート(心臓)を持っこの2人(ラフオンテーヌとギジ)のドリーム・チームが演説を始めると、ドイツの東でも西でも、会場は満員になる。この二人はお互いを必要としている。ザールランド人(ラフオンテーヌ)はSPDで奪権を果たすためにPDSを必要とし、ベルリンの弁護士(ギジ)は自分の年来の夢−PDSの西ドイツへの拡大−のために、この寝返った社会民主主義者が必要なのである。」

 

 「だが結局のところギジにとってラフオンテーヌはいまだに不可解な人間なのである。彼はベルリンのインターシテイ・ホテルで行われた夜の会合で、しばしばラフオンテーヌに一種の忠誠誓約を求めた。ギジは、このザールランド人がPDSをSPDでの奪権の踏み台としてだけに利用することを望んでいない。ラフオンテーヌはすでに『自分はこの新しい党のために全力を尽くすつもりだ』と宣言している。」

 

 「だがギジは依然として懐疑的だ。オスカーが夢見ているのは、結局SPDと左翼党の合併ではないだろうか?彼が選挙後のある日、自分の古巣の党へ提案し、協力のシグナルを送るのではないか? ラフンテーヌは常々『自分はいまでも社会民主主義者だ』といっている。すべてのPDS古参党員が必ずしもこの発言に好感を抱いているわけではない。」 「ギジは、公式的にはラフオンテーヌと対等な立場で連邦議会内の新しい左翼党議員団を率いることになってはいるが、実際には慣れない副官の役割を我慢して演じているのである。この新しいパートナー(ギジ)が、ラフオンテーヌの世界に現れることはほとんどない。ラフオンテーヌは、これまで左翼党やWASGまたはPDSに関してさえ演説で触れたことは皆無に等しい。」

 

 「SPDの元党首(ラフオンテーヌ)が語るのはむしろ自分に関することや、自分が1999年に財務相当時に『致命的な失敗を犯したこと』、さらに『私が銀行や保険会社に金を出すことを要求したら、それらの企業の役員はただちに首相府に猛攻撃をかけ」、それは結果は恐るべき結果がもたらされたこと、『その後は政治を行うのはもはや政党ではなくて、経済団体だった』というようなことである。』

 

 「それに対して何も抵抗もせず、ただ一切を投げ出してしまった理由について、ラフオンテーヌは何も語らなかった。彼は、いまなお『自分がウイリ・ブラントの伝統を守り』、かつそのことによって自分が離党したSPDや、さらに後から自分を候補者にする好意を示してくれたPDSの人々の上に立つ存在なのである。」

 さらにこの『シュピーゲル』誌は、PDSの支持者たちの間では、ラフオンテーヌによって自分たちの党が平和的に乗っ取られてしまうのではないかと恐れているような心情もあると示述べている。

 

 左翼党の成立は、ラフオンテーヌのSPDでの奪権とPDSの西独への拡大という両者の思惑が一致した結果だが、大連立政権の今後の動向や、ラフオンテーヌという政治家の性格と政治的思惑から見て、左翼党・PDSとWASGの統一までには、まだかなりの波乱が予想される。

 

 すでにPDSは旧東独5州の得票率では、ブランデンブルク(26.6%)、メクレンブルク・フオアポンメルン(23.7%)、ザクセン・アンハルト(26.6%)、チューリンゲン(26.1% )、ザクセン(23.0%)と軒並み25%前後の高い支持を受けている。西独でもラフオンテーヌの地元のザールランド(18.5%)を始め、ベルリン(16.4%)、ヘッセン(5.3%)、ラインラント・フアルツ(5.5%)、ハンブルク(6.3%) などでいずれも5%以上の高い得票率を獲得している(注5)。

 

 したがってもし大連立政権内部の対立が激化し、SPDが下野してCDU/CSU政権と対決するような情勢が生まれた場合、いやおうなしにSPDと緑の党と左翼党との共闘の条件は強まるだろうし、現在の左翼党の綱領や活動から見るかぎり、共闘の最大の障害は、IT化の下での国際経済のグロ−バル化の急激な進行とEU拡大に対して、ドイツが「社会的国家」の根幹を維持しつつ、対応するために誰の負担で、いかなる手段で対抗するか、その構造的改革の路線としてシュレーダーの「アジェンダ"2010」や「ハルツ改革」を真剣に再検討し、もし不十分ならそれこそ左翼党の「対抗戦略」を打ち出す必要があろう。

 

 現在、何よりも重要なのはSPDの左右両派、左翼党、緑の党を含めたドイツ左翼のドイツ経済の現状認識の一致である。シュレーダーの「アジェンダ"2010」や「ハルツ改革」を新自由主義路線と決めつけるのは簡単だが、PDS綱領が言うように左翼の「対抗戦略」なしに既得権を主張するばかりでは、ドイツ資本の国外流出を促進し、失業は増大し、労働組合の権利はますます形骸化するだけである。そこで今回のドイツ総選挙分析の最後にグローバル化やEUの東欧拡大がドイツ経済や労使関係に及ぼしている影響について見てみよう。

 

 注:

 1."Die Linkspartei-Fragen und Antworten " 28.Juni 2005

 2.Der Programme der PDS

 3.Stasiに関しては中野徹三「『シュタージ』とは何であったか?−『現実社会主義』の遺産の評価のために−」(上、下)『労働運動研究』199678月号を見よ。

 4."Es geht nur um ihm " Der Spiegel 12.September 2005

 5."Süddeutsche Zeitung " Wahl 200520.September 2005

 

 

 7、柴山健太郎(しばやま・けんたろう)略歴

 

 1927年、東京生まれ。1952年、東京大学文学部独文科中退。1969年、労働運動研究所創立に参加。現在、同常任理事。

 著書『お菓子の経済学』(三一書房、1959年)、『鹿島大開発』〔御茶の水書房、1976年〕、『欧州統合と新生ドイツの政治再編』(社会評論社)。

 編著『グローバル経済とIT革命』(同、2000年)、共著『農民運動の基本問題』(三一書房、1960年)、『日本農民運動史』(東洋経済新報社、1961年)、『牛乳の経済学』(法政大学出版局、1962年)、『90年代の社会民主主義』(日本評論社、1960年)、『20世紀社会主義の意味を問う』(御茶の水書房、1998年)ほか。

 

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 〔関連ファイル〕

     柴山健太郎『勝ったのは民主主義だ!』

           政権を奪還したイタリア中道左派連合の苦闘の奇跡

     HP『労働運動研究所』  『労働運動研究』復刊の内容紹介

     『コミンテルン型共産主義運動の現状』ヨーロッパでの終焉とアジアでの生き残り

     『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約

     福田玲三『民主集中制の放棄とフランス共産党』

     福田玲三『史上初めて対案提出』フランス共産党32回大会

     アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』

           (宮地添付文)フランス共産党の党改革状況