『スパイ査問問題意見書』第4部

 

第二章 相違点の解決内容、方法

第3の誤り  宮本個人崇拝

 

(連続・7分割ファイル) 第1部(1)  1部(2)  2部  3部  4部  5部  6部

 

第4部目次〕                 健一MENUに戻る

   第3の誤り   宮本個人崇拝

    現象(1)  宮本陳述内容の事実性の唯一絶対化

    現象(2)  宮本闘争方法の正当性の唯一絶対化

    現象(3)  闘争での役割・成果の不公平な過大評価

    現象(4)  闘争記録の不公平・一方的な出版・宣伝

 

目次〕

 『スパイ査問問題意見書第1部(1)』

  はじめに 『意見書』の立場

  第一章 袴田・宮本陳述相違点の解決内容、方法

  第二章 相違点の解決内容、方法の4つの誤り

   第1の誤り   事実問題

    1、第1の事実問題=器物の用意・搬入・存在の真相

    分析(1)  袴田陳述

    分析(2)  宮本陳述

    分析(3)  木島到着時刻と「小林論文」のウソ

    分析(4)  器物の用意・搬入・存在の真相

 

 『スパイ査問問題意見書第1部(2)』

    2、第2の事実問題=暴行行為の項目・程度・性質の真相

    分析(1)  袴田陳述

    分析(2)  関係者6人の陳述

    分析(3)  宮本陳述

    分析(4)  暴行行為の項目・程度・性質の真相

 

 『スパイ査問問題意見書第2部』

    3、デッチ上げ部分と事実部分との区別

    区別(1)  デッチ上げ部分「解剖検査記録」「古畑鑑定書」の見方考え方

    区別(2)  事実部分

 

 『スパイ査問問題意見書第3部』

   第2の誤り   詭弁的論理使用

    詭弁(1)  袴田陳述の虚偽規定と、「すりかえ三段論法」の虚偽

    詭弁(2)  架空の“新事実”挿入による虚偽

    詭弁(3)  証拠能力の恣意的評価で、暴行『無』にする虚偽

    詭弁(4)  虚偽規定の袴田陳述発生の原因分析の虚偽

 

 『スパイ査問問題意見書第5部』

   第4の誤り  対応政策・方法

    1、有権者反応への政治判断

    2、対応政策

    3、反撃・論争方法

    4、総選挙統括(13中総)

 

 『スパイ査問問題意見書第6部』

  第三章 4つの誤りの性質

  第四章 私の意見・提案

  〔資料〕 2つの事実問題関連抜粋資料

    資料(1)  第1の事実問題 袴田陳述 宮本陳述 3論文

    資料(2)  第2の事実問題 袴田陳述 宮本陳述 3論文

 

〔関連ファイル〕

  (1)、『スパイ査問事件と袴田除名事件  袴田政治的殺人事件の推理劇的考察』

  (2)、『スパイ査問事件の個人的体験』(宮地個人通信第十号)

  (3)、『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』(添付)森村氏手紙、下里正樹氏手紙

  (4)、袴田自己批判・批判の共産党側資料、「3論文」と「党史」

  (5)、立花隆『日本共産党の研究』関係  「『年表』一部」、「加藤哲郎『書評』他」

  (6)、浩二 『袴田里美予審尋問調書、公判調書全文

  (7)、れんだいこ 宮本顕治論・スパイ査問事件

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『スパイ査問問題意見書』第4部

 

第二章 相違点の解決内容、方法

第3の誤り  宮本個人崇拝

〔目次〕

   現象(1)  宮本陳述内容の事実性の唯一絶対化

   現象(2)  宮本闘争方法の正当性の唯一絶対化

   現象(3)  闘争での役割・成果の不公平な過大評価

   現象(4)  闘争記録の不公平・一方的な出版・宣伝

 

宮本同志への個人崇拝形成

 これは、袴田・宮本陳述相違点の解決内容・方法の誤りの一つである。スパイ査問問題での、特高のデッチ上げ、権力犯罪との闘争において果した歴史的役割・成果をどのように現時点で評価するかという問題がある。その思想的立場と合わせて、警察・予審・公判陳述有無は以下である。

〔表55

宮本中央委員

19331226検挙

秋笹中央委員

1934、4、2検挙

袴田中央委員

1935、3、4検挙

警察

×(黙秘)

×(黙秘)

(非転向)

予審

×(〃)

(非転向)

(〃)

1

○(3人併合審理)

(再開公判)

(3人併合審理中非転向)

(分離公判途中で転向)

(〃)

控訴審

(分離公判途中で転向)

(〃)

×印−黙秘、印−非転向陳述、印−転向時での陳述)

 この3人について、次の4つの内容がある。(1)、陳述内容の事実性をどう評価するか(?) (2)、特高、反動裁判(予審、公判とも)との闘争方法の正当性をどう評価するか(?) (3)、特高、反動裁判との闘争で果たした歴史的役割・成果をどう評価するか(?) (4)、現時点での党としての(1)、(2)、(3)の評価をどう宣伝し、資料をどう出版するか(?) 袴田・宮本陳述相違点の解決内容、方法の誤りは、この4つの内容をふくんでいる。これは袴田陳述の事実性を全面否定し、宮本陳述のみを真実・真相とすることから、必然的に生ずる結果ではある。

現象(1) 宮本陳述内容の事実性の唯一絶対化

1、現象

 「小林論文」『これらの点では、密室の審理を拒否し、現行の憲法と刑事訴訟法を先取りしたといってよい公判闘争をした宮本同志の陳述こそ、真相究明の基礎となるものである』(P.55)。「解説論文」『宮本氏は、袴田氏の陳述の事実に反する点についても具体的に指摘しています。検事も裁判長も、そういう宮本氏の陳述にたいして、反論はおろか、質問一つできませんでした。宮本氏は袴田氏の陳述をただす意味もあって、袴田氏を四人の証人の一人として、喚問するよう公判で要求しましたが、裁判所は四人全部を却下して、真相究明をはばみました。この経過を見ても、宮本氏の陳述こそスパイ調査事件の真実を知る出発点となるものなのです』。「宮本顕治公判記録」の宣伝文『治安維持法等被告事件の真相を全面的に解明…(中略)…拷問に屈せず、密室審理を拒否し、法廷で堂々と事実と論理にもとづいて特高警察のデマをうちくだいた歴史的な陳述』(197611月頃、それ以後の赤旗、その他での宣伝文)。その他、赤旗日刊紙、赤旗日曜版、前衛、「文化評論」…そこでの論文、解説記事、宣伝文でも、袴田陳述内容の非事実性を前提として、宮本陳述内容の事実性を強調・宣伝している。

2、宮本陳述内容の事実性の唯一絶対化内容

≪第1の唯一絶対化内容≫ 他の関係者陳述内容の事実性との比較における唯一絶対化

 宮本陳述と比較すべき、他の陳述が存在しなければ、゙唯一絶対化゙ということなどは発生しない。しかし、袴田陳述がある中で、宮本中央委員が公判で、全訴訟関係記録を検討した上で袴田陳述内容の事実性を批判したからといって、そのこと自体は、陳述内容の事実性の証明にはなんらならない。袴田陳述と宮本陳述とで重なる17項目中15項目、また現党側説明『査問状況』8項目中6項目では、2人の陳述内容は「密室審理」陳述と「密室審理を一切拒否した公判」陳述という相違にも拘らず、完全または基本的に一致し、事実である。それにも拘わらず、袴田陳述の15/17項目もの事実性部分、または6/8項目の事実性については意図的に黙殺し、その宣伝をまったく行っていない。そして、宮本陳述内容が真実・真相であることのみを、一方的に宣伝している。

≪第2の唯一絶対化内容≫ 宮本陳述内容の非事実性部分をも『真実・真相』とし、゙当時でのウソ・虚偽部分をも真実・真相といいくるめる゙という唯一絶対化

 2つの事実問題での宮本陳述の非事実性部分は、次である。〔第1の事実問題〕について、5品目器物の袴田・木島による用意・搬入・存在確認・並べ直しの事実のうちで、細引をのぞく、他4品目会場「存在」全面否認部分は、ウソ・虚偽の陳述である。〔第2の事実問題〕について、4項目・3つの性質・3つの「程度」の暴行・脅迫行為の存在事実のうちで、4項目行為すべての全面否認と、その宮本目撃全面否認部分は、ウソ・虚偽の陳述である。

〔第2の事実問題〕2人の陳述内容の3つの分類

〔表56

特高の(3)「リンチ」構成内容

袴田陳述内容

宮本陳述内容

1)、第2の事実無根のデッチ上げ部分

×(全面否認)

×(全面否認)

2)、第3の事実の「程度」の誇張歪曲のデッチ上げ部分

×(否認をし、事実部分のみ是認)

×(〃)

3)、事実部分

(是認)

×(〃)

 〔第1の誤り〕でのべたように、(3)「リンチ」について特高は、大泉の出鱈目な陳述を入れた第1波デマ宣伝、それに逸見・木島の迎合的陳述部分でつじつま合わせした第2波デマ宣伝(521日以後)を行った。そこでは、上記の1)、2)、3)を混ぜ合わせて、『リンチ』『リンチ殺人』が構成されていた。

 袴田中央委員は、1)全面否認、2)事実の「程度」の誇張歪曲部分のデッチ上げ部分の否認と事実部分・側面の是認、3)是認をした。是認・否認方法を混ぜたきわめて複雑な闘争を展開しなければならなかったし、実際にも行っている。その中で部分的な反論不充分さや部分的な不正確さなどの問題点の発生をまぬがれていないにしても、基本的には、1)、2)、3)について正確な反論による闘争を行った。それにも拘らず、予審終結決定(第1審公判判決も(?))は被告袴田側に有利な部分をほとんどとり入れなかった。

 宮本中央委員は、当初宮本、袴田、秋笹3人の併合審理で陳述していたが、腸結核による公判中断により一人だけの分離公判となった。1942年、他関係被告すべてに判決が確定した。さらにその二年後1944年にようやく第1審公判が再開された。袴田中央委員のように〔第2の事実問題〕について1)、2)、3)の複雑な是認・否認方法で真相を明らかにしても、そういう事実認定を裁判所が絶対にしないという結論が他5人の確定判決という形で出てしまっていた。そこでは、1)、2)、3)ともすべて第2の事実無根のデッチ上げとして全面否認するしかなかったのである。それしか抵抗の道は残されていなかった。〔第2の事実問題〕での宮本陳述は、1)、事実無根のデッチ上げ部分への全面否認部分は、事実性をもつ。2)、事実「程度」誇張歪曲デッチ上ゲ部分への全面否認部分について、イ、誇張歪曲デッチ上げ部分への全面否認部分は、事実性をもつ。ロ、その部分をのぞく事実部分への全面否認部分は、非事実性である。3)、4項目・3つの性質・「程度」行為という事実への全面否認部分は、非事実性である。2)−ロと3)の部分は非事実性(ウソ)であり、その陳述内容は、真実・真相をのべていない。上記現象はこのような非事実性部分をも『真実・真相である』といいくるめるという唯一絶対化を行っている。

3、宮本陳述内容の事実性の唯一絶対化の性質

 宮本中央委員は(1)「指導権争い」(2)「殺害共謀」(3)「リンチ」にたいして、完全かつ充分に反論し、袴田中央委員は、(1)(2)には反論の意図があり、反論したが、(3)「リンチ」への反論は不充分で、『結局、系統的な暴行なるものを自認したかのような陳述』になったという「3論文」の論理は、上記にのべた(1)(2)(3)への反論の性質の相違を゙反論の充分・不充分゙という性質の相違にすりかえた詭弁的論理であった。この詭弁を根拠として、さらに≪第2の唯一絶対化≫を行って、ウソ・非事実性部分をも『真実・真相である』とし、宮本陳述全体を袴田陳述と対比させて、その陳述内容の事実性の唯一絶対化をおこない、その宣伝・強調をおこなうことは、個人崇拝の第1現象である。

現象(2) 宮本闘争方法の正当性の唯一絶対化

1、現象

 「袴田論文」『宮本同志は警察の取調べや予審におけるいっさいの陳述を拒否してたたかった。私は、転向に反対し、スパイや転向者の供述をもとに特高警察が作りあげた「指導権争い」「殺人」といった主張に反論する意図から警察の取調べや予審に応じたのだったが、不正確な陳述を必然的にともなう密室の審理に応じたことは誤りであり、私はその教訓を明確かつ厳正にうけとめている』(四)。「小林論文」『もっとも重要なことは、そういう袴田陳述が警察の取調べや予審という密室の審理でなされたことである』(P.53)。『これらの点では、密室の審理を拒否し、現行の憲法と刑事訴訟法を先取りしたといってよい公判闘争をした宮本同志の陳述こそ、真相究明の基礎となるものである』(P.55)。「解説論文」『当時は多くの人びとが警察や予審の取調べに応じており、袴田氏が特高のデマに反論してたたかったことはもちろんですが、袴田氏は、それで自分のとった態度をすべて当然視するようなことはせず、警察や予審の取調べに応じたことが正しくなかったことを、みずから率直に明らかにしています』。『…この経過を見ても、宮本氏の陳述こそ、スパイ調査事件の真実を知る出発点となるものなのです』。赤旗、前衛、「文化評論」、その他…「密室審理」問題については、他でも色々書かれている。

2、宮本闘争方法(=密室審理拒否)の正当性の唯一絶対化内容

 「密室審理」問題についての「3論文」の論理

 「3論文」は、次の論理で構成されている。「密室審理」の一般的性質・条件として、「袴田論文」(四)で、4つの条件をあげている。(1)、弁護人がつかない(事実である)。(2)、「共犯者」なるものや証人への反対尋問もやられない(事実である)。(3)、取り調べ側の構成にあわせた質問、問答がなされ、それによって調書がつくられる(事実である)。(4)、取り調べ側の主張の矛盾の追求とか被告人に有利な事実の解明とかはほとんど不可能である(事実である)。この「密室審理」4条件は、予審陳述に゙基本的゙不正確さを必然的に発生させる。袴田「密室審理」陳述内容という個別のケースにたいしても、その関係をストレートに適用できる。袴田同志が、予審陳述において、2/17項目部分で『事実に合致せず』『到底ありもしない』『暴行脅迫』を是認したことは、4条件の「密室審理」に応じたからであり、故に「密室審理」に応じたことは誤りである。宮本同志がそのような『必然的に゙基本的゙不正確さをともなう』「密室審理」を一切拒否してたたかったことは完全に正しい。故に、宮本同志の「密室審理」を拒否した「公判」陳述内容は、袴田同志の「密室審理」陳述とくらべて、すべて事実であり、真実・真相である。

 「密室審理」の一般的4条件による一般的な不正確陳述発生原因論を、そのまま個別ケースとしての一貫して非転向中央委員の袴田陳述にもストレートに適用するという詭弁であり、゙大前提すりかえ三段論法の虚偽゙となる。「密室審理」陳述内容のうち、1517項目が正確・妥当であるのに、党のいう2/17項目だけの『不正確さ』を「密室審理」原因論で説明しようというのは強弁・詭弁である。結局は、袴田「密室審理」陳述内容の基本的非事実性を証明するための虚偽の「密室審理」原因論をつくりあげるという因果関係論の詭弁を作り上げた。

 「密室審理」予審に応ずることはいかなる条件下でも誤りか

 「密室審理」に応じた袴田中央委員の闘争方法の正当性を基本的に否定すること、宮本中央委員の「密室審理」拒否の闘争方法の正当性のみを唯一絶対化することは正しいか。

3つの闘争方法の存在

〔表57

検挙時

警察

予審

1審公判

(1)第1の闘争方法=宮本中央委員

1933.12.26

×

×

(2)第2の闘争方法=秋笹中央委員

1934.4.2

×

(3)第3の闘争方法=袴田中央委員

1935.3.4

×印−黙秘、印−非転向(時)陳述、印−転向時陳述(3人の併合審理中

は非転向。転向は宮本腸結核による分離公判後。但し転向時期不明)

 この3人の中央委員による、闘争方法の相違は、スパイ査問事件をめぐって、3人の検挙時期の相違、特高のデッチ上げにたいする認識条件の相違、そこからくる権力犯罪との闘争目的の相違などによって、条件づけられている。「密室審理」に応ずるか・拒否するかの問題はたんに思想性の問題だけではない別の諸条件によっても規制されており、それらの諸条件の相違を無視して、「密室審理」に応じたことの正否を評価することは正しくない。以下3つの闘争方法の条件の相違について検討する。

 〔闘争方法(1)〕 宮本中央委員のおかれた条件、目的と闘争方法の選択 

 宮本中央委員の「密室審理」拒否(=警察・予審での完全黙秘)の理由、根拠の資料

 検挙前に書いた「赤旗」原稿がある。検挙後の193427日付掲載「鉄の規律によって武装せよ!−党ボリシェビキ化のために」『検事廷はもとより、予審、公判のいずれにあっても党の機密、党活動の組織的事実については一言ものべるな!…法廷にたったわれわれは、組織を追求することを目的とする敵の訊問にたいしては答えてはならぬ。われわれは、敵の訊問の機会をとらえ、労働者・農民大衆にたいして、わが党の政府の正当性を明示するとともに、階級裁判にたいする闘争を精力的に展開するのだ。入獄したら、敵の機嫌とって、保釈、仮出獄などになろうと思うな!』(「小林論文」P.64、新日本新書P.98)。

 検挙後の「密室審理」拒否理由が、「宮本顕治公判記録−第1回(1940.4.18)公判記録(P.28)」にある。『大体、私が麹町警察署に、検挙された時に、私を調べんとした山縣警部は鈴木警部等とテーブルを囲んで曰く、「これは共産党をデマる為に絶好の材料である。今度は我々はこの材料を充分利用して大々的に党から大衆を切り離すためにやる」といって、非常に満足した様な調子で我々に冷笑を浴びせて居た。然し、自分はテロによる訊問の為、警察に於ては陳述を拒否してきた。勿論これは、警視庁が斯かる明白な意図をもってこの事件を利用しようとしていることが看取された以上、それにたいする防衛上止むなき手段であった。予審の拘留期間に廻わされて予審判事が所謂「公訴事実」を訊ねても自分は斯かる確信があった為に毅然たる態度をとって沈黙を守ってきた』。宮本顕治第5回公判調書(1944914日)(P.186)『中川警部ハ報告書テ宮本ハ更ニ訊問ニ答ヘヌト報告シテ居ルカ大体私ノ取調ニハ、鈴木、山縣警部等カ十数人ノ部下ヲ指揮シ当リ報告ハ私ヲ椅子ニ縛リツケ棍棒テ大腿部等ヲ強圧シ帰リニハ歩ケナイ状況テアツタカ私ハ答ヘナカツタ。(中略)然シソレテモ私ハ云ハナカツタ。云フ事カナカツタ訳テハナイ。大体当局カ此ノ事件ヲトウ処理シヨウトシテ居ルカト云フ事カ想像出来タノテ公判テ云フ外ナイト考ヘタノテアル』。「スパイ挑発との闘争」(P.1516)『警察においては定式どおりにかれらに都合のよい不当陳述強要の拷問が加えられた。私はそれにたいして一切応じなかった。(中略)私は予審の秘密暗黒訊問にたいしても一切応じなかった。この問題を警視庁がスパイ挑発政策を暴露されたことへの報復として、徹底的な虚偽宣伝をやっており、かかる企図にもとづく「公訴事実」なるものを基礎として、予審をすすめようとしていることはあきらかであったからである』。

 宮本中央委員のおかれた条件、目的と闘争方法の選択

 宮本中央委員は、警察・予審・公判の闘争で、原則的態度を検挙以前に確立していた。検挙時期は、大泉逃亡時(1934.1.15)より前の1933.12.26で、事件発覚時点では唯一の査問委員検挙者であった。特高・予審のデマ宣伝意図については、『共産党をデマる絶好の材料として利用する』意図を山縣警部発言、拷問等を通じて明確に認識した。しかし、マスコミの第一波デマ宣伝を直接見聞きしていない。闘争目的は、警察・予審ともに、この事件の利用意図は明白なので、自分の陳述をそのデッチ上げに絶対利用されないようにすることであった。闘争方法選択として、警視庁の利用意図にたいする党防衛手段として、警察・予審での陳述を一切拒否した。予審も、警視庁と同じ企図にもとづく「公訴事実」を基礎としてすすめようとしていたため、予審陳述も拒否した。

〔闘争方法(2)〕 秋笹中央委員のおかれた条件、目的と闘争方法の選択

 秋笹中央委員の検挙時期(1934.4.2)は、第2次デマ宣伝(5/21〜)以前であった。特高・大泉陳述による第1波デマ宣伝(11517)を直接見聞きしていた。闘争目的は、特高・大泉のデッチ上げに利用されないようにすることであった。彼は、〔闘争方法(2)〕を選択した。警察では非転向・黙秘した。大泉の出鱈目陳述での宣伝を直接見聞きしていたので、それにたいして、自己の主張をのべるべく予審での取調べには応じて反論・批判した。そして、タドン、斧(=有リ合セタル物)使用自己行為は事実として自認した。

〔闘争方法(3)〕 袴田中央委員のおかれた条件、目的と闘争方法の選択

 袴田中央委員の「密室審理」の応じた理由、根拠「袴田論文」

 『私が検挙された一九三五年三月四日までには、スパイ調査問題の関係者はすべて検挙され、警察での取調べの手続きも終わり、起訴されて予審が開始されていた。特高警察はスパイ大泉の報告をもとに「党内派閥の指導権争いによるリンチ殺人事件」というデマをねつ造して、大々的に宣伝し、検事もその線で起訴していた。小畑の死因についても、警察べったりの裁判所医務嘱託の宮永学而らによって頭部に斧などで強力な打撃をくわえたための脳震盪死による即死だという「殺害」なるものを裏づけるかのような、でたらめな鑑定が出されていた。さらに宮本同志は完全黙秘でたたかっていたが、関係被告の多くは転向して、特高警察の創作した筋書きに迎合的陳述をおこなっていた。転向者の陳述は大泉や小畑へのスパイ容疑の根拠が薄弱だったかのようにのべたり、宮本や袴田には殺意があったかもしれぬというようなまったく荒唐無稽のことをのべるなど、自分らは非転向の宮本同志や私の意見に追随しただけであるかのように印象づけようとする傾向を多分にもつものだった。こうした状況だったので、私は自己の主張をのべるべく取調べに応じた』。

 袴田中央委員のおかれた条件・目的と闘争方法の選択

 袴田中央委員のおかれた条件として、検挙時期(1935.3.4)は「袴田論文」のような状況にあり、また第1波、第2波デマ宣伝が徹底的にやられていた。特高・予審のデマ宣伝意図についての認識は、1年2ヶ月間の直接見聞で3人のうちでもっとも深かった。宮本・秋笹中央委員は、第2波デマ宣伝開始以前に検挙されており、特高によるデッチ上げの上記再構築の内容とその意図を直接見聞していない。それにたいし、袴田中央委員は第1波、第2波デマ宣伝とも全面的に見聞していた。意図のみでなく、デマ宣伝そのものを、「袴田論文」がのべる状況内容で、1年間以上(1934.1.151935.3.4)直接的に経験していた。闘争目的は、特高のデッチ上げと第1波・第2波デマ宣伝に反論し、自己の主張をのべ、スパイ査問問題の真相を積極的に明らかにすることであった。闘争方法として〔闘争方法(3)〕を選択した。その状況のもとで、自己の主張をのべるべく、警察の取調べや予審に応じた。この強い意図は、警察・予審での簡単で短い問にたいして、自ら詳細に答えを行っているという問答スタイルを見ればよくわかる。公判での゙こまぎれ゙の一問一答形式ではない。予審では、1つの短い問にたいして、詳細に、全面的に、自主的に自己の主張をのべ、反論・否認もきちんと行い、真相解明を行っている。

 中央委員3人の特高権力犯罪との闘争における、これら3つの闘争方法という相違は、その中央委員検挙以前の理論的思想的水準の相違、検挙時期相違による条件の相違、特高・予審のデマ宣伝利用意図への認識・実際経験の相違、闘争目的相違などによって発生したものである。「密室審理」にたいする態度では、いずれも非転向・中央委員という立場での闘争方法である。このような場合、いずれの闘争方法が誤りで、いずれの闘争方法が正しいかという評価を上記の諸条件・闘争目的の相違を黙殺して、抽象的に評価を下すことは党の歴史的事実問題、闘争方法の評価を行うやり方として正しいか(?)それらは、3人の諸条件の相違から考えて、いずれも相対的な正当性をもつと評価すべきものであって、宮本中央委員の〔闘争方法(1)〕の正当性のみを唯一絶対化し、スパイ査問事件の43年後に袴田同志にそれが誤りであったとして、自己批判させる必要があるのか(?) その必要はない。

 闘争方法正当性問題と「密室審理」陳述内容事実性との関係

 宮本中央委員の〔闘争方法(1)〕(=「密室審理」拒否)の正当性の゙唯一絶対化の誤り゙が発生する原因は、袴田「密室審理」陳述内容の基本的非事実性(=基本的不正確性)を証明するための「密室審理」原因論という詭弁にある。(1)、『査問状況』についての袴田「密室審理」陳述内容ば基本的゙に不正確であり、『事実に合致しない』。(2)、それは、『不正確な陳述を必然的にともなう密室審理』に応じたことが原因である。(3)、したがって、袴田同志の〔闘争方法(3)〕『密室審理に応じたこと』は闘争方法として、誤りである。宮本同志の闘争方法のみが正しい。袴田〔闘争方法(3)〕の正当性を否定し、誤りであるとする根拠は、(1)にあるが、この評価は事実でなく、むしろ逆であり、宮本「公判」陳述のその部分のほうが、ウソ・虚偽であることについて上記全体で分析してきた。この根拠(1)が虚偽である以上、゙この袴田闘争方法の正当性の否定゙ということがなり立たない。それとも、袴田「密室審理」陳述内容が基本的に正確(勿論、部分的不正確さ、部分的問題点をふくむ)であっても、なおかつ、「密室審理」に応ずることは誤りであるのか。また、小畑殺人事件併合審理の治安維持法裁判で、袴田中央委員の検挙時状況という個別ケースの場合でも、予審という「密室審理」に応ずることは、結果としてその袴田「密室審理」陳述内容が基本的に正確であったとしても尚、闘争方法としては誤りとして評価すべきなのか(?) 宮本中央委員の「密室審理」拒否の闘争方法の正当性についてはいうまでもないことであるが、袴田中央委員の〔闘争方法(3)〕も、1935年当時の上記状況のもとでは正当であったと評価すべきである。

3、宮本闘争方法の正当性の唯一絶対化の性質

 中央委員3人による3つの闘争方法の歴史的正当性を評価する場合、「密室審理」が基本原因で、その予審調書内容が゙基本的゙不正確になっているというケースでない以上は、それぞれの上記諸条件の相違から見て、その相対的正当性を3つとも評価すべきである。他の2つの闘争方法を『「密室審理」に応じた』ということだけで、その正当性をなんら評価せず、宮本中央委員の闘争方法のみを正当化し、唯一絶対化するということをすべきではない。3つの闘争方法の中で、゙比較゙すれば、宮本中央委員の闘争方法のほうがはるかにすぐれて正当であり、英雄的な闘争方法であることはいうまでもない。『予審』制度をもつ治安維持法裁判事件で、警察・予審とも完全白紙・完全黙秘を貫いたのは、約3万人の検挙者、裁判被告中、宮本中央委員゙ただ1人゙ということである。その点では3万分の1の例として、特殊的に英雄的である。赤旗号外(全戸配布、1976.2.1日付)で、『五年間も完全黙秘を通したのは日本の近代史上宮本委員長ただ1人である』と宣伝している。しかし、3つの闘争方法ともが相対的正当性をもつ中で、宮本〔闘争方法(1)〕3万分の1の特殊例の正当性のみを唯一絶対化し、他の2つの闘争方法の正当性をなんら評価せず、それどころか、逆に、誤りとして、自己批判させ、批判することは、個人崇拝の第2現象となる。

現象(3) 宮本同志の果した役割・成果の不公平な過大評価

1、現象

 「小林論文」『袴田同志には、このような問題点はあるが、袴田同志は周知のように非転向をつらぬき、スパイ調査問題についても「指導権争い」とか「殺意を共謀」とかの筋書きにたいしてスパイ挑発にたいする党の方針を主張してたたかった。「殺人」を裏付けるかのような当初のでたらめな鑑定を暴露し、再鑑定を実現させるにいたったのも、そうしたたたかいの重要な1つであった』(P.54)。「解説論文」『(問い)そうすると、袴田氏の闘争の意味はどういう点にありますか。(答え)(中略=非転向について)…スパイ調査事件をめぐる闘争においても「指導権争い」だの「殺害を共謀」だのという特高警察のデマを粉砕するためにたたかいました。宮本氏や袴田氏らのたたかいによって、「指導権争い」だの「殺害を共謀」だのというデマはくずれ、さすがの反動裁判も「殺人」「殺人未遂」を認定することはできませんでした。』『宮本氏は全関係被告の陳述記録や一審・二審の判決はもとより、各種の鑑定書や証言など、訴訟に関係ある全記録を丹念に調べ、具体的に検討・批判を加え、反動権力のでっちあげを科学的に暴露しました。(中略)宮本氏は袴田氏の陳述の事実に反する点についても具体的に指摘しています。検事も裁判長もそういう宮本氏の陳述にたいして反論はおろか、質問一つできませんでした。宮本氏は袴田氏の陳述をただす意味もあって、袴田氏を四人の証人の一人として喚問するよう公判で要求しましたが、裁判所は四人全部を却下して、真相究明をはばみました。この経過を見ても、宮本氏の陳述こそ、スパイ調査事件の真実を知る出発点となるものなのです』。赤旗「小林記事」『宮本氏らの法廷闘争によって戦前の反動裁判所さえ「殺人」「殺人未遂」という特高警察の主張をしりぞけざるをえなかった。』(1976.9.27日赤旗「小林栄三記事」)。「榊利夫講演」『当時の治安維持法裁判のもとで、証人喚問はけられ、控訴審も奪われました。それにも拘らず、暗黒裁判といえども、「殺人罪」をおしつけることはできませんでした。それは、真実の柱をかかげた宮本委員長の公判闘争の成果でありました』(1976.10.9日付赤旗「姫路での党演説会」)。宮本同志の文章「治安維持法時代とスパイ査問事件」(1976.1.31日付朝日新聞)『私は一九四〇年四月の公判闘争いらい、はじめて日本共産党の活動の正当性、治安維持法の不当性、査問事件での真相を明らかにし、公判事実なるものを全面的に反論し、完全無罪を主張した。他の被告の迎合的或は不正確な陳述についても全面的に批判した。裁判はさすがに、「殺人」「殺人未遂」などのデッチ上げはつづけることはできなかったが、もちろん不当きわまるものであった』(1976.2.18日付赤旗日刊紙に再録。赤旗全戸配布号外再録)。赤旗号外全戸配布、1976.2.1日付)『暗黒裁判に屈しなかった宮本委員長のたたかい−宮本委員長は警察のひどい拷問、裁判所の秘密審理に完全黙秘をつらぬきました。腸結核で死とたたかいながら、五年間も完全黙秘を通したのは日本の近代史上宮本委員長ただ1人である。そして約二十回にわたる公判では日本共産党の正義の立場を数十時間も堂々と主張し、特高のデッチ上げを徹底的にばくろしました。非転向の政治的にもかかわらず、これほどながい弁論をしたのは宮本委員長がはじめてです。しかもこの弁論のなかで宮本委員長は科学的見通しに立って、日本の敗戦を予言しました。宮本委員長の十二年間にわたる獄中のたたかいはまさに不屈の闘争といえるものです』。小林中央委員の文章「赤旗「学習・教育版」講師のページ、1976.2.27日付」『三。第三に、特高は「査問即殺害」として宮本氏らに「殺人罪」をきせようとしましたが、反動裁判ですら、それはできなかったのです。五。同時に残忍な反動権力の拷問や脅迫、長期投獄、各種の誘惑にたいする共産主義者の正義と知性と良心の勝利を示す宮本委員長の不屈の闘争をはじめ、治安維持法下の困難な条件のなかでの共産党員の革命的気概に深く学ぶことが重要です』。赤旗日刊紙、日曜版、学習・教育版、赤旗号外(全戸配布)、前衛、「文化評論」、その他の雑誌…色々書かれている。

 これら197512月以後の文書、論文での特徴として2つがある。1)、袴田中央委員の果たした歴史的な役割、成果について触れているものは、「袴田論文」「小林論文」「解説論文」の3つのみ。これは袴田予審陳述調書についての論文である以上、当然である。但し、「3論文」のその役割・成果についての評価内容には問題がある。後でのべる。2)、他の論文、赤旗、雑誌の内容の特徴は、袴田中央委員の果たした歴史的役割・成果について黙殺している。触れている場合は、袴田陳述内容の『不正確』、「3論文」でいう『問題点』の側面のみである。袴田同志の果たした歴史的役割・成果は、すべて『宮本同志゙個人゙、宮本委員長゙個人゙』か、または『宮本同志ら』の役割・成果にすりかえられている。

2、闘争で3人が果たした役割・成果

 宮本、秋笹、袴田3人の中央委員が果たした役割・成果を権力犯罪との第1期〜第3期の闘争経過に分けて分析する。

第1期 検挙から、予審終結決定までの期間(=「密室審理」段階)

〔表58

年月日

宮本、秋笹、袴田中央委員

1933.12.2324

(スパイ査問、24日午後2時頃小畑死亡)

12.26

〔宮本検挙〕(黙秘)

1934.1.15

(大泉逃亡)―→第1波デマ宣伝(1/15〜1/17

宮本に山縣警部らの上記発言

(大泉、木島、逸見の3人の陳述によるデッチ上げの再構築)

4.2

〔秋笹検挙〕(黙秘)

5.21

―→第2波デマ宣伝(≪本日記事解禁≫5/21〜)

12.1

〔宮本予審〕(黙秘)

1935.3.4

〔秋笹予審=非転向〕―〔袴田検挙〕(警察取調べに応ず)

10.14

〔袴田第1回予審〕(予審取調べに応ず)

1938.2.27.12

〔袴田第2回〜第19回予審〕

1938.10.10

<宮本予審終結決定><秋笹予審終結決定><袴田予審終結決定>(3人とも非転向のまま)

1では、3人の中央委員とも非転向であった。

但し、ここで、取調べに応ずることの有無は3つの闘争方法として相違している。

  

2期 公判開始から、宮本被告をのぞく関係者の判決確定まで

〔表59

年月日

宮本、秋笹、袴田中央委員

1939.7.2529

〔袴田第1審公判(3回〜(?))〕

1940.4.187.20

〔宮本第1審公判(6回)〕(秋笹、袴田も参加した併合審理)

1942.4月上旬

(以後腸結核の病気で中断、分離公判)<袴田第1審判決>

〔袴田控訴審公判〕袴田反駁文提出し、再鑑定要求の闘争

4.30

(秋笹は公判途中で転向)。控訴審で古畑氏への再鑑定命令

6.3

「古畑鑑定書」提出

7.18

<秋笹控訴審判決><袴田控訴審判決>

12

大審院への上告棄却による<秋笹判決確定><袴田判決確定>

(秋笹の転向時期は不明)

  

3期 宮本第1審公判再開から、宮本判決確定まで

〔表60

1943

(秋笹獄死)

1944.6.1311.30

〔宮本第1審再開公判(15回)〕

12.5

<宮本第1審判決>

1945.5

上告棄却で<判決確定>

 権力犯罪との闘争で、3人が果した役割、成果には次の2つの内容がある。第一に、特高・反動裁判所のデッチ上げ事実認定の粉砕、変更をかちとる上での役割・成果。第二に、上記第一の成果には直接つながらないものもふくめて、スパイ査問事件の真相究明で果した役割・成果である。

〔第1の役割と成果〕 デッチ上げ事実認定の変更、粉砕

〔表61

1

2

3

特高

《デマ》

予審

予審終結決定

《事実認定》

控訴審

袴田再鑑定要求

古畑鑑定書

(鑑定)

秋笹・袴田確定判決

《事実認定》

宮本確定判決

《事実認定》

秋笹

袴田

(1)「指導権争い」

×

×

×

×

×

(2)「殺害共謀、殺意」

×

×

×

×

(3)「リンチ」

イ、器物準備を共謀

×

ロ、小畑への斧

×

×

×

×

×

ハ、大泉への斧乱打

1回小突ク

1回小突ク

×

×

ニ、硫酸あびせる

硫酸瓶

ホ、錐で突き刺す

×

×

×

ヘ、出刃包丁使用

×

×

×

ト、小畑逃亡時の出血

×

×

(4)「脳震盪死」

×

×

×

×

×

「外傷性ショック死」

(5)「死体処分協議」

×

×

(6)「不法監禁」

×

(7)「殺人未遂」

×

×

(8)「赤旗号外問題」

×

×

≪第1期≫

 非転向として秋笹、袴田中央委員は特高のデッチ上げにたいして表のように反論・否認を行った。

 秋笹 (4)「脳震盪死」を否認し、絞殺とのべている(宮本第9回、P.224)。(3)−ハ、「有リ合セタル物ニテ大泉ヲ小突イタ」という自己行為自認(秋笹予審第14回、P.306)。(3)−ニ、第3段階行為を陳述していないが、第2段階行為を是認(同上、〃)。それ以外は特高のデッチ上げにたいして、×印部分は全面否認してたたかっている。但し、資料は、宮本陳述での「秋笹陳述部分」および袴田確定判決の秋笹予審陳述部分からである。

 袴田 (3)−イ、予審では是認をしていない。第1審では明確に否認している(上記「小林論文」の第1例)。(3)−ハ、大泉への斧使用の秋笹行為1回のみ是認した。(3)−ニ、「硫酸あびせる」のデッチ上げにたいして、上記にのべた第1段階・第3段階行為を是認した。(3)−ホ、大泉を錐で1回小突く行為是認した。それ以外は表のように特高のデッチ上げにたいして全面否認にたたかっている。また(3)「リンチ」についても、大泉陳述への反論・否認と事実部分のみ是認することを通じて否認している。

 宮本 警察・予審とも完全黙秘でのたたかい。

 秋笹、袴田中央委員の闘争にも拘らず、予審終結決定は表のように特高のデッチ上げをほとんどそのままうけつぐ事実認定を行った。この点では、宮本中央委員の予審意図見通しは正しい。

≪第2期≫

 宮本 腸結核の病気で第1審6回までで中断になった。中断前の第1審公判では、予審終結決定の基本点をすべて全面否認した。病気中断のため、6回までの陳述内容は、情勢、党の方針部分が中心で、(3)から(7)は具体的にふれていない。

 袴田 第1審では、予審と同じく、特高のデッチ上げにたいして、全面否認してたたかい、2つの事実問題については、事実部分のみ是認した。〔第2の事実問題〕については3項目・3つの性質・3つの「程度」の暴行・脅迫行為の事実部分のみ是認した。予審と比較して、(3)−イの否認、(3)−ホの否認を新たに行った。控訴審の冒頭で、村上宮永鑑定書にたいする反駁文を提出し、再鑑定を要求してたたかった。その主張の基本点は「古畑鑑定書」の(参考)部分(前期9月、P.156)に書かれている。再鑑定をかちとり、上記表の通り、その主張の基本点の3項目を認めさせることをかちとった。控訴審判決(=確定判決)では上記表のように、8項目にわたって、特高・予審終結決定のデッチ上げを粉砕し、事実認定上での変更をかちとるという成果をあげた。但し、(1)(2)の事実認定の変更は、宮本、袴田、秋笹中央委員3人の共同闘争による成果である。

 秋笹 宮本第1審公判第1回、2回では、宮本、袴田、秋笹の中央委員3人で、併合審理を要求し、逸見・木島の迎合的陳述内容を批判した。秋笹陳述内容(P.214、P.220、P.223224、P.244、)を見る限りでは、部分的性質問題細部において相違はあるが、分離公判途中での転向によって、スパイ査問事件の事実問題で、特高のデッチ上げに加担し、迎合的陳述をしたとは記載されていない。むしろ、上記『秋笹陳述の証拠能力』で検討したように基本的一致点が多い。゙分離公判途中で転向゙していても、スパイ査問問題の事実問題について予審陳述内容での反論内容の立場をくずしておらず、第1審、控訴審公判で迎合的陳述をしていないのであれば、袴田確定判決と同じく、8項目にわたる事実認定の変更をかちとるという成果の上での秋笹中央委員の果した一定の役割は評価すべきである。この点で、゙転向即迎合的陳述部分゙という逸見・木島役割の評価と、゙転向しても迎合的陳述をしていない゙秋笹の役割の評価とは区別し、上記の点での秋笹中央委員の果した積極的役割の側面は評価するという評価方法をとるべきである。

 こうして、宮本中央委員をのぞく、他の全ての関係被告の確定判決が出た。そこでは、特高・予審終結決定の主なデッチ上げ15項目中8項目において、事実認定の撤回または変更をかちとる成果を上げた。(1)(2)のデッチ上げの変更・撤回をかちとる上では宮本・袴田・秋笹の中央委員3人が決定的な役割を果たしている。しかし、なかでも、(3)「リンチ」(4)「脳震盪死」問題での5項目の事実認定の変更・撤回をさせることについては袴田中央委員の果たした役割はきわめて大きいし、また、秋笹中央委員も一定の役割を果たしている。

≪第3期≫

 秋笹 判決確定後の1943年獄死した。死因は不明である。

 宮本 1944年第1審再開公判で、全訴訟記録を分析して、全面的な反論を行った。2つの事実問題での非事実性部分については上記にのべた通りだが、それ以外のスパイ査問問題全体については、全面的・詳細な反論を行った。その点での真相究明で果した役割は大きい。袴田確定判決のスパイ査問事件部分は秋笹、逸見も同一内容である。袴田確定判決(1942年)にたいして、宮本確定判決(1945年)で、事実認定の変更をかちとったかどうかは、表のように、゙なんの成果もなかっだ。それらと宮本確定判決の内容とを比較して見ればよくわかる。

 ≪第3期≫宮本中央委員の第1審再開公判闘争の成果ははたしてあるのか。≪第2期≫他被告確定判決事実認定と宮本確定判決事実認定とは、小畑死亡時刻(午後2時頃)の相違、その他若干の字句上の相違をのぞけば、全く同文である。その点から、宮本中央委員は、゙事実認定の変更をかちとるという点での成果をなんらかちとることができなかった。これは勿論、宮本中央委員のせいでは全然なく、反動裁判所側が、宮本再開公判を真相究明の場にしようという意図はさらさらなく、形式的に全関係者の公判を終了させる意図で再開したということが原因である。その判断の根拠は次のとおりである。

 検事も裁判長も、人定尋問、証拠調べなどをのぞいては、宮本陳述にたいして、なんの質問もせず、反論もせず、宮本被告にしゃべりたいだけしゃべらせるという公判運営指揮を行った。この点で、「解説論文」は、『検事も裁判長も、そういう宮本氏の陳述にたいして、反論はおろか、質問一つできませんでした』という評価をしている。それは、゙反動裁判所側が反論・質問の意図があったのに、、宮本被告が具体的に指摘しているので、反論・質問さえもできなかっだとする個人崇拝解釈で、反動裁判所側・検事の意図・再開公判への意図にたいして、根本的に逆の誤った評価である。

 1130日に第15回公判が終了し、゙その5日後の゙12月5日に第1審判決(=確定判決)が2年前の袴田確定判決文をほとんど同一内容が同文で出されている。

 〔第1の役割と成果〕 全体として見れば、それは袴田、秋笹、宮本の中央委員3人がもっているものである。なかでも袴田中央委員の果した役割と成果は大きい。宮本中央委員についていえば、≪第3期≫のはじめて全訴訟関係記録を検討した15回の第1審再開公判においては、事実認定の撤回、または変更という第1の成果をなんら上げていない。

 〔第2の役割と成果〕 スパイ査問事件の真相究明では、全体として、宮本、袴田、秋笹の中央委員3人の闘争が、成果をあげ、役割を果たしている。しかし、なかでも、宮本中央委員の≪第3期≫の15回の公判闘争での陳述内容によって、2つの事実問題でのウソ・非事実性部分をのぞけば、スパイ査問事件の真相は全面的に明らかにされ、この第2の成果での宮本中央委員の果たした役割は大きい。

3、闘争で宮本中央委員が果した役割・成果の不公平な過大評価の内容

 3人の中央委員の果たした役割・成果を〔第1・第2の役割と成果〕において、総合的・批判的に評価するのでなく、197512月以後現在の党の評価では、次のようになっている。宮本中央委員の果たした役割・成果の不公平・一方的な過大評価をしている。袴田中央委員の果たした役割・成果の不公平・一方的な過小評価をし、または、黙殺している。。逆に、袴田中央委員の陳述内容の『問題点』『不正確さ』の不公平・一方的な過大評価と批判をした。秋笹中央委員の果たした役割・成果の側面・部分を゙分離公判途中で転向しだという理由で完全に黙殺している。

 とりわけ、個人崇拝の〔現象(3)〕の中心点は、袴田中央委員の役割・成果・問題点の評価にある。ここには、三重の誤りがふくまれている。

 第一、袴田中央委員の果たした役割・成果の評価における歪曲、または欠落の誤り

 「3論文」の袴田中央委員の果たした役割・成果の評価内容は、3つある。非転向は貫いた。(1)「指導権争い」、(2)「殺害を共謀、殺意」、(3)「リンチ」という特高のデマにたいして、(1)(2)は反論の意図があり、実際にも反論してたたかった。(3)「リンチ」への反論は不充分だった。再鑑定をかちとった(「袴田論文」「小林論文」のみ)。この評価の誤りとして、(1)(2)との闘争の役割・成果の評価のみで、(3)「リンチ」との闘争での役割・成果を「反論の力点」原因論から一切評価していない。この誤りは〔第4の詭弁的論理〕でのべた。この(3)「リンチ」にたいして、事実無根のデッチ上げへの全面否認、事実の程度の誇張歪曲のデッチ上げへの否認と事実部分の是認、事実についての是認といいう3つの内容による闘争なしに、特高のデマ、予審終結認定の事実認定の撤回、変更を≪第2期≫の確定判決でかちとることはできなかった。これは評価の恣意的歪曲である。再鑑定要求の闘争を行い、再鑑定をかちとり、さらに、その再鑑定書で、主張する3つの基本点を鑑定として認めさせたという点で、袴田中央委員の果たした役割・成果はきわめて大きい。「古畑鑑定書」の矛盾点は上記に検討した通りだが、一方で、古畑鑑定の外傷・出血第2段階発生否定説と確定判決の第2段階発生説固執という矛盾点は、現時点で解剖検査記録の45個以上出血といゔ解剖認定(解剖所見)゙のデッチ上げ性をバクロする上で、1つの重要な証拠となっている。(3論文での欠落部分)特高のデマ、予審終結決定の事実認定を確定判決で15項目中8項目撤回・変更させる役割、成果の上では、中央委員3人が共通に一定の役割・成果を果たしている。なかでも、袴田中央委員の果たした役割・成果はとりわけ大きく、それへの評価を意図的に欠落させている。宮本中央委員の゙全訴訟関係記録の検討゙にもとづく〔第1の役割と成果〕という点では、表のように直接にばなんの成果もあげていない゙のである。

 第二、『査問状況にかんする予審陳述の最大の問題点』『不正確な陳述』ということでの袴田中央委員の果たした役割・成果の黙殺の誤り

 17項目中15項目で宮本「公判」陳述と完全または基本的に一致する「密室審理」陳述を行い、他の2項目の2つの事実問題でも基本的に事実をのべた袴田「密室審理」陳述内容を『最大の問題点』『不正確(゙基本的不正確゙という意味での使用)』という用語で、゙基本問題点をもづ、゙基本的に不正確゙、゙基本的に事実に合致しない゙とした。2つの事実問題について、虚偽・ウソをのべた宮本陳述内容(但し、当時の条件下では正当性をもつ)を現時点でも『真実・真相』とした。袴田「密室審理」陳述内容がもつ部分的性質の問題点、部分的不正確さや記憶ちがい等を『゙基本的゙問題点』『゙基本的゙不正確』にすりかえ、それを査問状況についての袴田「密室審理」陳述内容の基本評価にした。1975年12月以後のすべての論文、記事で、袴田中央委員の果たした役割、成果を恣意的に無視し、すべて『宮本同志の… 宮本委員長の…』または『宮本同志らは…』として黙殺した。3人の中央委員の果たした役割・成果の評価において、袴田陳述内容は『問題点』『不正確』として歪曲・黙殺し、秋笹中央委員ば分離公判途中で転向しだとして、一切触れず、すべての役割・成果を結果的に宮本中央委員1人のものにしてしまうという表現方法を用いた。

 第三、この第一、第二を通じて宮本中央委員の果たした役割・成果のいっそうの不公平・一方的な過大評価の誤りを犯した。それは、上記現象にあらわれている。

4、宮本中央委員の果たした役割・成果の不公平な過大評価の性質

 党として本来とるべき評価のあり方

 袴田、宮本中央委員2人の(または、秋笹中央委員もふくめて3人の)成果・役割、2人の一貫した非転向の正当性を前面に出すべきである。そのうちの1人だけの闘争の正当性、1人の陳述内容だけの事実性を現時点で、゙ウソをついてまで゙国民・有権者に再主張し、他の1人を1944年宮本陳述での袴田陳述内容批判にそって自己批判・反省をさせ、不公平・一方的な評価をすることは正しくない。

 袴田・宮本中央委員2人の2/17項目での基本的相違点については2つの事実問題での事実にもとづいて調整し、2人の獄中闘争の正当性を明らかにするとともに、当時の治安維持法裁判における公判闘争戦術という特殊条件からはなれて、現時点で歴史の真実を明らかにすべきである。それを通じて、反共謀略の政治的意図と全面的にたたかうべきである。袴田聴取書の一部、袴田予審調書の全文、袴田第1審公判調書(3回分)、袴田確定判決文、それの引証部分として逸見・木島・大泉の予審調書の一部、解剖検査記録、村上・宮永鑑定書、古畑鑑定書などが出版されており、最近になって大泉予審調書、多くの証人尋問調書、秋笹確定判決文も出版され、国民、有権者の一定部分が読んでいる。これらの資料が出版されていない段階での党の説明ならともかく、上記が出版されている時点での、現在の党の対応は、スパイ査問問題の゙反動勢力による共産党攻撃の武器としての生命力゙を持続させることになる。国民、有権者の一部、または大都市有権者の党支持者の一部などに党への疑惑を発生させることになる。党内にも疑問・疑惑を発生・潜在化させ、反共攻撃への反撃の政策的自信を喪失させるなどの否定に影響を発生させる。これらについては〔第4の誤り〕でくわしくのべる。

 この不公平・不公正・一方的な過大評価の性質

 上記袴田中央委員への評価にたいして、宮本中央委員への評価内容としては、下記になる。1223日、24日のスパイ査問行為においても、宮本中央委員の行動は全く正しい。宮本中央委員自身は、なぐるけるをはじめ、いっさいの暴行も脅迫行為もしていない。そもそも、そんな暴行脅迫はいっさい存在していない。戦前の諸条件の下での、特高・反動裁判所側のデッチ上げにたいする闘争方法も全く正しいし、陳述内容はすべて真実・真相である。『査問状況』についての袴田陳述内容は不正確であり、宮本陳述で批判している。197512月以後の現時点で見ても、宮本中央委員の「密室審理」拒否の闘争方法が唯一正しく、その「公判」陳述内容はすべて真実・真相であり、袴田中央委員の「密室審理に応じた」闘争方法は重大な誤りであり、袴田同志自身も41年後(1935年検挙〜19769月)にあらためて自己批判をしている。『査問状況』についての袴田陳述こそ『到底ありもしない「暴行脅迫」』を認めたものであり、その『最大の問題点の若干の事例』としては「小林論文」で9項目を上げて基本的に批判している。

 これは、2つの事実問題での歴史的事実を偽造・歪曲するものである。このような゙作為的゙な評価内容・評価方法は党にとってきわめて危険なやり方である。現最高指導者の過去のウソ・虚偽陳述内容部分を現時点で是正することを拒絶する。それによる他の最高指導者1人の対立するが、真実・真相陳述内容部分を『問題点』『不正確』として、その事実性を全面否認する。他の1人の政治的・道義的権威をそれによって犠牲・失墜させてでも、1人の現最高指導者の43年前の一事件での陳述内容の事実性の唯一絶対化、闘争方法の正当性の唯一絶対化を行う。1933年〜1935年当時での最高指導者3人の果たした役割・成果の評価において、他の2人の果たした役割・成果を上記゙理由゙で歪曲または、黙殺し、闘争全体における役割・成果を不当に独り占めして宣伝し、その1人の「公判」闘争記録のみを出版し、他の1人の現最高指導者のものは、その事件に関して一切出版しない。こうして歴史的事件・闘争において果たした役割・成果において、その1人の役割・成果のみをあらゆる宣伝物で不公平・不公正・一方的な過大評価を行う。これらば過去のその事件・闘争で果たした役割・成果゙という限定的問題について、1人の現最高指導者への個人崇拝を形成する。これらは、その゙限定的問題゙での個人崇拝現象にとどまらず、それを無批判に放置すれば、その1人の現最高指導者宮本同志への゙普遍的゙な個人崇拝現象をつくり上げる第一歩となり、党としては断じてこのようなやり方をとるべきではない

現象(4) 闘争記録・資料の不公平・一方的な出版・宣伝

1、現象

 宮本中央委員の闘争記録の出版・宣伝活動として、出版物では、「文化評論」4月号「宮本顕治公判記録から一部」19764月。前衛8月号「宮本顕治一審再開公判の全記録」19768月。『宮本顕治公判記録』197610月。その他、スパイ査問問題にかんする宮本同志の諸パンフレットなど。宣伝活動では、赤旗日刊紙、日曜版、すべての党関係の新聞雑誌にほとんど連日、連号。党方針としての普及活動として、通達、党報、口頭、集会・会議で宣伝をしている。

 袴田中央委員の闘争記録の出版・宣伝活動として、出版物では、直接的な闘争記録を党として、一切出版していない。公判記録も出版しない。著書『党とともに歩んで』について、1976131日付赤旗の「袴田談話」を出し、現在回収して店頭に出ていない。「袴田論文」1976611日付赤旗、それと関連して「小林論文」「解説論文」を載せた。宣伝活動では、出版物がない以上、宣伝活動も当然ない。したがって、党員ば党側の文献゙としての袴田同志の闘争記録を一切読むことができない。

2、闘争記録、資料の出版・宣伝における不公平・一方的なやり方の性質

 この現象は、個人崇拝の〔現象(1)(2)(3)〕から必然的に発生するものであり、これ自体としても個人崇拝の第4現象となっている。歴史的事件、歴史的闘争の記録・資料について上記のような一方的な出版・宣伝活動を行い、党の方針にもとづく一面的な゙情報・資料提供と情報管理は誤りである。 個人崇拝発生の契機はいろいろある。その一つとして、最高指導者のある歴史的時期、事件での役割・成果・問題の評価をめぐって発生する。なんらかの理由で、その評価、再評価が問題になり、政治的問題になった場合、党機関として不正な政治的動機、または個人的動機によって、その評価に下記誤りが発生する。歴史的時期・事件・闘争におけるその最高指導者の果たした役割・成果の過大評価をし、他方で他の1人または複数同志の果たした役割・成果の過小評価をし、または、歪曲・黙殺する。そこでの最高指導者の闘争における誤り・問題点の過小評価、または隠蔽をし、他方で他の同志の誤り・問題点の過大評価をし、その性質のすりかえによって評価を逆転させ、事実とは全く正反対の評価をする。その真実・真相についての偽造・歪曲をし、最高指導者個人にとって都合の悪い部分を隠蔽する。これらの誤りは、その歴史的時期・事件・闘争についてのみの゙限定的゙な個人崇拝現象としてまず萌芽的に形成される。それは党内外で無批判的に放置されれば、党としてその1人の最高指導者にたいする゙普遍的゙な個人崇拝現象、広汎な時期・事件・闘争での゙無限定的゙な個人崇拝現象に発展する。

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〔関連ファイル〕

  (1)、『スパイ査問事件と袴田除名事件  袴田政治的殺人事件の推理劇的考察』

  (2)、『スパイ査問事件の個人的体験』(宮地個人通信第十号)

  (3)、『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』(添付)森村氏手紙、下里正樹氏手紙

  (4)、袴田自己批判・批判の共産党側資料、「3論文」と「党史」

  (5)、立花隆『日本共産党の研究』関係  「『年表』一部」、「加藤哲郎『書評』他」

  (6)、浩二 『袴田里美予審尋問調書、公判調書全文

  (7)、れんだいこ 宮本顕治論・スパイ査問事件