『スパイ査問問題意見書』第5部

 

第二章 相違点の解決内容、方法

第4の誤り  対応政策・方法

 

(連続・7分割ファイル) 第1部(1)  1部(2)  2部  3部  4部  5部  6部

 

第5部目次〕                 健一MENUに戻る

   第4の誤り  対応政策・方法

    1、有権者反応への政治判断

    2対応政策

    3反撃・論争方法

    4総選挙総括(13中総)

 

目次〕

 『スパイ査問問題意見書第1部(1)』

  はじめに 『意見書』の立場

  第一章 袴田・宮本陳述相違点の解決内容、方法

  第二章 相違点の解決内容、方法の4つの誤り

   第1の誤り   事実問題

    1、第1の事実問題=器物の用意・搬入・存在の真相

    分析(1)  袴田陳述

    分析(2)  宮本陳述

    分析(3)  木島到着時刻と「小林論文」のウソ

    分析(4)  器物の用意・搬入・存在の真相

 

 『スパイ査問問題意見書第1部(2)

    2、第2の事実問題=暴行行為の項目・程度・性質の真相

    分析(1)  袴田陳述

    分析(2)  関係者6人の陳述

    分析(3)  宮本陳述

    分析(4)  暴行行為の項目・程度・性質の真相

 

 『スパイ査問問題意見書第2部』

    3、デッチ上げ部分と事実部分との区別

    区別(1)  デッチ上げ部分「解剖検査記録」「古畑鑑定書」の見方考え方

    区別(2)  事実部分

 

 『スパイ査問問題意見書第3部』

   第2の誤り   詭弁的論理使用

    詭弁(1)  袴田陳述の虚偽規定と、「すりかえ三段論法」の虚偽

    詭弁(2)  架空の“新事実”挿入による虚偽

    詭弁(3)  証拠能力の恣意的評価で、暴行『無』にする虚偽

    詭弁(4)  虚偽規定の袴田陳述発生の原因分析の虚偽

 

 『スパイ査問問題意見書第4部』

   第3の誤り   宮本個人崇拝

    現象(1)  宮本陳述内容の事実性の唯一絶対化

    現象(2)  宮本闘争方法の正当性の唯一絶対化

    現象(3)  闘争での役割・成果の不公平な過大評価

    現象(4)  闘争記録の不公平・一方的な出版・宣伝

 

 『スパイ査問問題意見書第6部』

  第三章 4つの誤りの性質

  第四章 私の意見・提案

 〔資料〕 2つの事実問題関連抜粋資料

    資料(1)  第1の事実問題 袴田陳述 宮本陳述 3論文

    資料(2)  第2の事実問題 袴田陳述 宮本陳述 3論文

 

〔関連ファイル〕

  (1)、『スパイ査問事件と袴田除名事件  袴田政治的殺人事件の推理劇的考察』

  (2)、『スパイ査問事件の個人的体験』(宮地個人通信第十号)

  (3)、『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』(添付)森村氏手紙、下里正樹氏手紙

  (4)、袴田自己批判・批判の共産党側資料、「3論文」と「党史」

  (5)、立花隆『日本共産党の研究』関係  「『年表』一部」、「加藤哲郎『書評』他」

  (6)、浩二 『袴田里美予審尋問調書、公判調書全文

  (7)、れんだいこ 宮本顕治論・スパイ査問事件

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『スパイ査問問題意見書』第5部

第4の誤り  対応政策・方法

〔目次〕

   1、有権者反応への政治判断

   2対応政策

   3反撃・論争方法

   4総選挙総括(13中総)

1、有権者反応への政治判断

 反共謀略の目的、政策内容、政策効果

 42年も前の歴史的事件をもち出した目的は、総選挙めざし、国会解散の動きが表面化していた中で、党のイメージダウンをはかり、総選挙での党の前進を阻止することにあった。゙完全な総選挙の反共目玉・政策゙であった。鬼頭事件でその背景が一部出ているように、スパイ査問事件・釈放復権問題についての真相究明という意図はなく、総選挙にむけての「心理作戦」的効果をねらったものである。くわしくは、榊論文「反共謀略とのたたかい上・下」(1976.12.2122日付赤旗)の通りである。政策内容は、日本共産党戦前史とスパイ査問問題の位置づけ、「リンチ」行為有無と関係者陳述証拠評価問題、小畑死因と鑑定書・確定判決事実認定の評価問題、釈放・復権問題などを提起した。宣伝方法として、マスコミ、国会、右翼などを使って、国民、有権者にむけて大々的な宣伝を展開した。 スパイ査問の事実問題を使って、国民の中に党のイメージダウンをさせるやり方は政策効果をあげた。

 〔反共謀略と第1効果〕

 単純なデッチ上げでなく、明確な事実部分として「古畑鑑定書」そのものを゙政策゙として使用し、「事実問題+デッチ上げ部分」という一定の説得力をもつ構成で攻撃をしかけた。袴田陳述、著書『党とともに歩んで』と宮本陳述、著書との矛盾点・相違点を最大限に利用し、『非転向・現副委員長の陳述・著書内容だから事実である』と宣伝を行った。たんなる反共作文としてでなく、関係者陳述証拠、鑑定書、確定判決などを゙証拠能力の高い゙文書として提出した。それは、゙法医学の最高権威゙としての古畑氏の鑑定内容の事実性や、確定判決の事実認定の事実性への国民の一般的な評価などを利用し、゙その真相を示すもの゙という政策として利用された。それらを、新聞、週刊誌、出版、テレビ等のマスコミ、国会質問、鬼頭判事補をはじめとする司法関係などの動員で行った。この合法的な世論操作によって、国民世論の形成、誘導を行い、中間層、党支持者、党員という3つの層への心理的効果を上げることを狙って行なはれた。スパイ査問問題には、上記全体でのべた2つの事実問題について宮本陳述や現在の党側説明にウソ・虚偽がふくまれているため、一定の効果を上げた。

 〔反共謀略と第2効果〕

 彼らは、同時に、スパイ査問事件で党と宮本個人攻撃をすれば、共産党は事実部分もふくめて、すべてを『事実無根のデッチ上げである』として、全面否認する対応政策パターンをとるであろうという予測を立てて行った。共産党にどういう攻撃、挑発をしかければ、共産党はどういう対応政策・対応パターンをとるかについての政党心理学に基づく作戦であった。この反共謀略側の予測には根拠があった。(1)、1944年、宮本第一審再開公判での、2つの事実問題についての全面否認陳述の存在、(2)、1946年、宮本同志の「スパイ挑発との闘争」内容(「月刊読売、3月号」)、(3)、1972年、「日本共産党の50年」の記述内容という3つの内容を根拠としての予測をたてた。共産党は、(1)1944年→(2)1946年→(3)1972年の同一延長線上の立場で対応するパターンを採用、選択するか(?) それとも、共産党は、(1)(2)(3)とは異って、2つの事実問題について事実として認めるという対応パターンに転換するか(?) この2つの対応パターンで、共産党は後者への転換を決して行なはないであろうという予測を立てた。予測通りに、宮本が前者のパターンを採用した場合、彼らは2つの鑑定書、宮本、袴田確定判決を用いて、゙その事実認定内容はすべて真実である゙という政策を対比させる。2つの論理的説得力の優劣、政策的優劣は国民、有権者が充分判断できる。その結果、共産党の゙全面否認゙政策の政策的劣性が国民の中で明確になるという予測を立てた。

 それだけでなく、党の対応パターンにおいて論争方法上の問題点を必然的に発生させるであろうという予測をもって行った。論争方法が感情的・不変容で、゙報復的゙な側面をももつであろう、そこでは宮本式詭弁的論理を使用する、さらには独善的対応、独善的態度が現れるであろう、などの予測をした。これも、宮本がどういう論争方法で対応してくるかについての過去の論争方法対応パターンデータを分析すれば容易に察知できた。後で、〔第3の政治的誤り〕で具体的にのべる。国民の不支持項目の点でも過去にデータは何回も出ている。国民・有権者の中にある『一番嫌いな政党は共産党』の不支持項目を刺激し、不支持率を高めるためにはどうすればよいかという作戦であった。中間層、党支持者、党員の3つの層に、共産党の対応政策パターン、論争方法パターンが、党への支持、または党員に疑問、不満、批判などどのような否定的影響をもたらすかという効果についても研究された。こうして、宮本の対応パターンの論理的説得力不足と政策的劣性、宮本の論争方法の問題点への世論操作的集中攻撃と、それによって共産党不支持世論を形成、誘導しようとした。

 党のそれへの政治判断の誤りと反共謀略側予測通りの対応パターン採

 問題は、〔転換対応策〕と〔全面否定対応策〕の有権者への政策効果についての党の政治判断適否にあった。但し、゙党の政治判断゙という場合、2つの事実問題について袴田陳述内容の基本的事実性(部分的問題点をふくむ)と宮本陳述内容の基本的非事実性について、宮本・袴田同志は、査問当事者として当然承知していたことを前提としている。

 〔転換対応策〕をとった場合の有権者への政策効果を全体としてどう判断するか(?)

 この対応策の内容は以下である。〔第1の事実問題〕5品目器物の袴田・木島による用意・搬入・存在確認・並べ直しは袴田陳述内容の通り事実であった。〔第2の事実問題〕(1)4項目・3つの性質・3つの「程度」の暴行・脅迫行為は事実であった。(2)事実程度誇張歪曲デッチ上げへの、誇張歪曲部分を否認し、事実部分のみを是認する。(3)事実無根のデッチ上げ部分は全面否認する。小畑死因では、一次性ショック死あるいは急性心臓死の論証方法として、4人の関係者陳述証拠の総合的・批判的検討にもとづいて、上記暴行行為は存在したが、「解剖検査記録」のいう45個以上出血など発生させる「程度」でないことを証明するという方法に転換する。それにもとづく、特高のデマ、「解剖検査記録」出血部分のデッチ上げ性、「古畑鑑定書」批判、確定判決批判を全面的に行う。

 この場合の政策効果についての政治判断がある。(1)、否定的効果として、党が1944年、1947年、1972年にウソをついてきたことによる党の政治的権威への打撃、党内での動揺が起きる。宮本同志への打撃では、ウソをついてきたことへの政治的権威への打撃、とくに委員長であることによる個人攻撃のいいそうの激化、党内での動揺が発生し、表面化する。この政策転換によって総選挙での党支持の低下、または激減の危険性が高まる。(2)、肯定的効果として、この政策転換によって、゙逆に゙党の政治的権威の向上、総選挙での党への支持向上の可能性が生まれる。宮本・袴田同志の政治的道義的権威をかえって高める。42年前のスパイ査問事件を゙反共総選挙の目玉゙にしようとする反共謀略の意図の根本的粉砕し、スパイ査問事件の反共謀略の武器としての゙生命力゙を根本的に粉砕する可能性が高まる。(3)、この+−効果は、差引で+になるか、−になるか(?)

 〔全面否定対応策〕をとった場合の有権者への政策効果をどう判断するか(?)

 この対応策の内容は、現在の党の説明通り、『「リンチ」は事実無根のデッチ上げ』として、「リンチ」性行為のみでなっく、いっさいの暴行・脅迫行為の全面否定主張である。上記全体でのべた袴田・宮本陳述相違点の解決内容、方法をとる。この場合の政策効果についての政治判断がある。(1)、否定的効果では、反共作文ならともかく、゙スパイ査問事件の関係者陳述証拠、鑑定書、確定判決3資料そのものが政策である゙というような特殊攻撃にたいして、党の対応政策が有権者に、その3資料の優位に立つ論理的説得力をもちえない場合は、否定的効果が大きくなる。党の論争方法上問題点に有権者が反撥的嫌悪感を持つという否定的効果も現れる。さらに、中間層、党支持者、党員の党支持、党活動力への否定的効果として、党の説明への疑問、疑惑、不満、批判と、その潜在化が発生する。それは、スパイ査問事件に反共攻撃の武器としての゙生命力゙を一層もたせ、持続させるという結果となる。(2)肯定的効果で、党は正しい、宮本同志は正しいという確信を党員・党支持者に与えることができるか(?) 宮本同志の『英雄的闘争』『知性と良心と勇気』への信頼というだけでなく、その「密室審理」拒否闘争の正当性の唯一絶対化、宮本陳述内容の事実性の唯一絶対化を通じて、宮本委員長への信頼を一層高め、反共謀略を前にした党の団結を一層つよめることができるか(?) 戦前の党の闘争の基本的正当性、『光栄ある歴史』についての全党員に確信をもたせる効果を上げられるのか() (3)、この+−効果を全体としてどう判断するか(?)

 〔対応策への私の政治判断〕

 197512月、文芸春秋新年号出版時点において、党は42年前事件事実問題での、上記2つの対応政策が国民、有権者にそれぞれどのような政策効果をもたらすかについての政治判断において、基本的誤りを犯した。私の政治判断としては次の通りである。〔転換対応策〕をとることによって、42年前事件における2つの事実問題で、4項目・3つの性質・3つの「程度」の暴行・脅迫行為是認という政策転換は+−効果を総合的すれば、全体としてけっしてマイナスにならない。むしろ、それを通じて、宮本陳述が自らその証拠能力を否定した4人の関係者陳述の暴行・脅迫行為是認部分を重要な証拠・根拠として採用し、暴行行為の3つの「程度」証明によって、「解剖検査記録」の41個以上外傷・皮下出血、4個以上頭蓋腔内出血のデッチ上げ性を説得力をもって基本的に証明できる。その結果、「古畑鑑定書」「確定判決」の小畑死因゙鑑定゙゙事実認定゙の非事実性を基本的に証明できる。スパイ査問事件の真実・真相を自ら積極的に解明することを通じて、国民の信頼をかちとり、その結果として、スパイ査問事件の武器としての゙生命力゙を根本的に打ち破り、今回の反共謀略の政治的意図を根本的に粉砕できる。〔全面否定対応策〕をとることによって、上記否定的効果の方が、+−の差引としてはるかに大きかった。 〔全面否定対応策〕による政治的判断の誤りの発展とその段階として、4つの時期を経て、誤りが発展、増幅した。

≪第1≫1975年12月〜1976年5月(文芸春秋新年号〜春日質問〜)

 最初から、〔全面否定対応策〕がとられたが、この時点での攻撃は、戦前史、スパイ査問問題、釈放・復権問題の3つを中心内容として、総合的に行なはれた。スパイ査問事件では、古畑鑑定書、宮本確定判決、袴田確定判決引証部分の関係者予審陳述証拠を基本として、袴田著書「党とともに歩んで」、関係者予審陳述証拠と宮本同志の「スパイ挑発との闘争」、その他との相違点・矛盾点をついた宮本個人攻撃を行うという方法をとった。この時点でのスパイ査問問題についての党の対応は、〔第1の誤り〕が中心的なもので、〔第2・第3の誤り〕をふくんでいたが、それは部分的なものであった。

≪第2期≫1976年6月〜9月(平野謙著書の資料としての袴田予審調書・第1審公判調書の発表とそれへの党の対応としての「三論文」発表)

 1976615日に平野著書「『リンチ共産党事件』の思い出」の付属資料として上記2つの資料が出版され、また、朝日ジャーナル、雑誌「現代」を通じて、袴田警察聴取書の一部が出版された。党はすでに、≪第1期≫において、袴田予審陳述中の2つの事実問題是認部分の事実性を否定はしていたが、これら3つの警察・予審・第1審公判資料は袴田著書「党とともに歩んで」とは異り、当時の資料そのものであるだけに、党が〔全面否定対応策〕をとりつづける以上、その袴田陳述内容の2つの事実問題是認部分全面否定とその論拠を明確にすることを迫られた。62月「週刊朝日」でも資料の一部が発表されていた。そして、「三論文」が発表された。1)、1976611日、「袴田論文」『スパイ挑発との闘争と私の態度』(赤旗日刊紙)。2)、9月「小林論文」『スパイの問題をめぐる平野謙の「政治と文学」』(「文化評論」9月号)。3)、924日「解説論文」『正義の闘争の光は消せない−袴田調書を悪用する策謀にたいして−』(赤旗日刊紙)。こうして≪第1期≫の〔第1の誤り〕のみでなく、≪第2期≫では、上記に検討した内容で〔第2・第3の誤り〕が全面的に現れた。

≪第3期≫1976年10月〜総選挙

 総選挙が切迫し、国会違憲質問が再開された中で、〔第1・第2の誤り〕は従来通りだが、〔第3の誤り〕として、「3論文」以外に、赤旗日刊紙、日曜版、雑誌、講演、演説会などで、袴田同志の果たした歴史的役割・成果の完全黙殺、一方での宮本同志への個人崇拝の第1〜第4現象が一層発展した。〔第4の誤り〕として、政策上、論争方法上の誤りは当初から存在したが、とくに論争方法上の誤りが≪第2期・第3期≫で発展した。1976121日亀山著書の付属資料として、袴田確定判決文とその引証部分としての逸見・木島・秋笹・大泉の予審陳述調書の一部が出版された。

≪第4期≫1976年12月末〜(第13回中央委員会総会以後〜)

 総選挙で党は39議席から19議席へと大きく後退し、とくに大都市で惨敗した。第13回中央委員会総会での総括において、党は『路線・政策には誤りはない』として、それによってスパイ査問問題をめぐる党の政策・論争方法の適否についても『全面的に正しかった』とした。むしろ、その総括を欠落または回避し、後退の原因について一面的・表面的総括にとどまるという誤りをくり返した。これについては、〔第4の政治的誤り〕でくわしくのべる。

2、対応政策

〔小目次〕

   1、政策的争点

   2、有権者への政策効果と原因

     2)−イ.「リンチ」行為有無と関係者陳述証拠での劣位性

     2)−ロ.小畑死因と鑑定書問題での位劣性

     2)−ハ.確定判決事実認定での劣位性

     5)、宮本個人攻撃問題での劣位性

1、政策的争点

 争点の内容では、1)日本共産党の戦前史とその観点、その中でのスパイ査問事件の位置づけ。2)スパイ査問問題の2つの事実問題。3)釈権・復権問題。4)国会違憲質問問題。5)それらに共通する宮本個人攻撃の問題の5つがあった。政策の優劣において、反共謀略の目的・対象が広汎な国民、党支持者、党員にある以上、党の対応相手もまたたんに反共謀略側だけでなく、国民・有権者全体であり、上記の争点について道理のある説明、政策が必要であった。とくに2つの事実問題については、42年前事件事実問題での攻撃が中心になっているため、党説明では、相手政策にたいする論理的説得力の優位性、政策的優位性があるかどうかがとりわけ重要であった。スパイ査問問題および、釈放・復権問題の反共政策の武器としての“生命力”を事実の道理ある積極的説明を通じて、国民世論から彼らを孤立させることを通じて、根本的に喪失させなければならなかった。

2、有権者への政策効果と原因

世論動向および、総選挙結果を根拠とした評価

〔表62

<党の対応政策>

<政策効果>

1)日本共産党の戦前史とその観点

2)スパイ査問問題の2つの事実問題

イ.「リンチ」行為の有無と関係者陳述証拠の評価問題

×

ロ.小畑の死因と2つの鑑定書の評価問題

ハ.その他の事実問題と確定判決の事実認定の評価問題

3)釈放・復権問題

4)国会違憲質問問題

5)それらに共通する宮本個人攻撃問題

 (◎印…国民・有権者に政策的に支持されたもの。○印…基本的に支持はされたが、一部に疑問、批判、反感を発生させたもの。△、×印…国民の疑問、疑惑を評価できていないもの、政策としては基本的に政策効果を上げていないもの)

 反共謀略側、党批判者政策内容と党対応政策内容とを対比したとき、政策的優位性、政策としての論理的説得力での優劣度合はどちらが高いのか。党の対応・闘争の中で、国民の中に反共謀略の政治的意図には基本的反対の立場に立ちつつも、それへの党の対応政策・論争方法の一部問題点にたいして批判的立場・態度を表明する論者もあらわれてきた。

3者の政策の優劣比較

〔表63

反共謀略側の政策

党批判者の政策

党の対応政策

1)

×=劣位性

=基本的優位性

2)

=相対的劣位性

(関係者陳述証拠)

(関係者陳述証拠)

×

(2つの鑑定書)

(古畑鑑定書)

(確定判決)

3)

×=劣位性

=基本的優位性

4)

×=劣位性

=基本的優位性

5)

=相対的優位性、部分的に劣位性

 

 党批判者とは平野氏などを指し、反共謀略側と区別すべきという私の判断に基づいている。この1)、3)、4)については、反共謀略側の政策にたいして、党の対応政策の政策的優位性は明確であり、この点での彼らの意図は失敗した。2)のイ、ロ、ハについては、彼らが関係者陳述証拠、2つの鑑定書、確定判決の内容を“すべて絶対的な事実、真相を示すもの”として宣伝してきた。それにたいして、党の対応政策が、それらの中でのデッチ上げ部分への全面否認・反論で政策的優位にたったのは当然である。しかし、2つの事実問題真相部分や道義的政治的問題点については、反共謀略側の政策が国民・有権者に党への疑問、疑惑をもたせた。上記にのべた党側の誤りによって、それを充分解消することができず、反撃は成功していない。また3)の釈放・復権問題での個人攻撃への反撃は当然優位に立っており、5)についても、鬼頭事件で一層優位に立った。しかし、2)のスパイ査問問題での個人攻撃にたいしては、上記にのべた誤りによってその反撃に成功していないそして、全体として1)〜5)での攻撃にたいして、そのすべてに党が対応・反撃するのは当然のことであるが、2)−イ、ロ、ハ全体の相対的劣位性と、5)のスパイ査問問題での個人攻撃への反撃の相対的劣位性とによって充分な政策効果を上げることはできなかった。以下、この相対的劣位性の4つの政策(2)−イ、ロ、ハ、5))の個々について検討する。

2)−イ.「リンチ」行為有無と関係者陳述証拠での劣位性

 反共謀略側や党批判者の政策

 「リンチ」行為は存在した。なぐるける位の行為は存在した。その根拠として、袴田確定判決引証部分の袴田・逸見・木島・秋笹・大泉の予審陳述調書一部、古畑鑑定書、村上・宮本鑑定書・解剖検査記録、確定判決(宮本、袴田)の事実認定など、これらの内容は“いずれも真相をのべている”として提起した。この過程において、袴田予審調書、袴田第1次公判調書、袴田警察聴収書、袴田確定判決と5人の予審調書の一部などが出版された。

 党の対応政策とその劣位性

 「リンチ」行為は存在しない。暴行行為は存在しない。斧、出刃包丁、硫酸瓶、針金の「搬入」「存在」もない。すべて事実無根の第2のデッチ上げであるという“全面否定”政策をとった。その根拠として、一つ一つに評価を発表した。関係者陳述証拠の評価として、(1)逸見、木島の陳述内容は、迎合的陳述→事実ではない。(2)袴田「密室審理」陳述内容は“基本的”不正確→「事実に合致しない」。(3)宮本「公判」陳述内容のみが、唯一の「密室審理」拒否者、唯一の全訴訟関係記録の検討者であることによって→全面的に真実・真相をのべている。2つの鑑定書の評価では、外傷性ショック死を否定した。一次性ショック死あるいは急性心臓死で、頭部内の出血は根本的に疑わしい。他の外傷出血は2つの他の原因によるものである。確定判決の事実認定は、全面的に事実無根のデッチ上げである。

 暴行行為の真相は、4項目・3つの性質・3つの「程度」として存在した。しかしそれはスパイへの私的な制裁行為としての「リンチ」ではなく、あくまで査問途中での付随的な手段・方法としての非系統的非計画的な3つの「程度」の暴行・脅迫行為にすぎない。それを『「リンチ」は事実無根のデッチ上げ、しかも暴行行為も一切ない』として、すべてを第2の事実無根のデッチ上げとする党対応政策は、上記3つの資料が国民・有権者の前に提起されている中では〔第1の誤り〕で具体的に検討したようになんら説得力をもたず、対応政策として失敗した。

 問題は「リンチ」行為と非系統的非計画的暴行行為との区別と、それにもとづく区別的対応政策を提起するかどうかであった。反共謀略側は「リンチ」行為の存在は事実という政策を提起した。国民、有権者の一部は、3つの資料や袴田予審調書・第1審公判調書などを直接または週刊紙などを通じて間接に読んで、具体的な4項目のうちの個々の暴行行為はあったのではないかという疑問、または、「リンチ」はあったという認識をもった。そして『暴行行為もリンチも一切ない』という“全面否認”政策には疑問・疑惑をもった。党の対応政策としては、本来は、(1)4項目・3つの性質・3つの「程度」の暴行脅迫行為の存在を是認する。(2)とくにその行為の「リンチ」性(私的科刑性)の全面否認、「暴行の系統性・計画性」の全面否認する。(3)その暴行行為の「程度」として、とくに、45個以上外傷・出血発生「程度」の基本的否認(90%以上)をする。(4)但し、その行為の存在についての道義的政治的責任の是認と刑法上の有罪性の全面否認という立場に立って、「リンチ」の3つの構成部分の中でのデッチ上げ部分の側面を全面的に暴露し真相を国民に積極的に解明すべきであった。これが反共謀略側の攻撃・宣伝によって国民の一部に発生したスパイ査問事件での党への疑問・疑惑を解消し、反共謀略の意図を孤立化させ、失敗させる対応政策であった。しかし、党は『「リンチ」も、暴行も事実無根のデッチ上げ』でおし通した。

 ここで日本語「リンチ」の厳密な意味と、一般的に使用されている意味との相違の問題を検討する。日本語「リンチ」の意味に相違がある。厳密な意味は、私的科刑、私的制裁である。広辞苑では『アメリカで白人が黒人に加える私的制裁。私的制裁、私刑)』としている。一般的な使用の意味では、上記の意味とともに、実際にはもっと広義の“肉体的暴力”としても使用されている。『「リンチ」は事実無根のデッチ上げ』という党政策の意味と国民のうけとめとに相違がある。厳密な意味として、4項目の暴行行為が「リンチ」性=私刑科刑性のものでない以上これは正しい。一般的な有権者のうけとめでは、党はすべての暴行行為の全面否認している意味としてうけとめる。また実際に、党は、その意味もふくめた二重の意味内容をもたせて使用している。“暴行行為は存在したが、その行為の「リンチ」性はなくそれを「リンチ」(私的科刑)とするのは事実無根のデッチ上げ”というのあれば全然別の意味となる。しかし、前者にふれず、後者のみ主張する場合は、『「リンチ」は事実無根』という政策は、暴行行為全面否定という意味となる。また実際、すべての党側記事、論文も両者を明白に主張している。

 上記資料を直接または間接に読んだ有権者のかなりの部分が、なんらかの暴行行為があったのではないかという疑問・疑惑が発生している時、党の上記対応策は、それらの疑問をもった部分に異様な感じを与えざるをえない。42年前の事件をもちだす反共謀略の政治的意図・やり方には基本的に反対するとともに、その一方で党の対応政策にも一部の問題点を感じ、批判・不満・反感をもつ層が発生した。この党の“全面否定”政策は「リンチ」行為の有無問題をめぐって、上記の内容で相対的劣位性となり、厳密な意味での『私的科刑(リンチ)は事実無根』という点では正しいが、上記の内容で政策効果をあげることができず、3者政策の対決で、論理的説得力での優位性をかちとれず、国民・有権者の支持を得られなかった。

2)−ロ.小畑死因と鑑定書問題での劣位性

 反共謀略側や党批判者の政策

 〔第1政策〕小畑死因は外傷性ショック死であり、「古畑鑑定書」は全面的に事実をのべている。今までの党説明『特異体質によるショック死』というのはウソである。〔第2政策〕小畑には暴行による多くの外傷・出血が存在した。「解剖検査記録」の45個以上の出血はないものをあるとした訳ではない。それを記載している「古畑鑑定書」も事実をのべている。その根拠として、「古畑鑑定書」の死因鑑定、「確定判決」の小畑死因事実認定、「解剖検査記録」「村上・宮永鑑定書」の出血解剖所見を提起した。但し、「解剖検査記録」「村上・宮永鑑定書」は前衛9月号で党が発表した。

 党の対応政策とその劣位性

 〔第1政策〕小畑死因問題政策…小畑死因は一次性ショック死あるいは急性心臓死である。小畑死因が外傷性ショック死(二次性ショック死)というのは誤りであり、「古畑鑑定書」は、再鑑定ということでのいくつかの制約をもっているため死因鑑定を誤っている。そして、「中田医師論文」で小畑死因を一定論証した。これは小畑の死因が外傷性ショック死(二次性ショック死)でははないことの論証としてはきわめて有効であった。但し、前衛9月号と赤旗日刊紙要約一回掲載のみで、この宣伝はきわめて弱かった。この論証は45個以上外傷・出血の事実性・デッチ上げ性の検討を一切行っていないので、〔第2政策〕としての内容をもっていない。第1・第2政策が密接な関連をもって『外傷性ショック死・傷害致死』という死因鑑定・認定になっている以上、上記だけでは説得力ある論証としては不十分である。しかし「古畑鑑定書」の死因鑑定の事実性への国民の中の幻想を打ち破る上では、この論文をもっと大々的に宣伝・普及する必要がある。

 〔第2政策〕外傷・出血発生時期・発生原因問題政策…頭部内の出血という解剖所見は根本的に疑わしい。他の外傷・出血は、仮にあったとしても、小畑の壁に穴をあける自傷行為か小畑を押入から出し入れすることが原因である。「暴行」による外傷・出血発生死因説の全面否認をした。第1段階発生説の全面否認として、「リンチ」も暴行行為も一切ない以上、外傷・出血など発生しない。暴行行為を是認している袴田・秋笹・逸見・木島・大泉の陳述のいずれもが、『不正確』『迎合的陳述』『スパイの陳述』であって、事実をのべていない。第2段階発生説の全面否認では、小畑逃亡取り押え時は誰も手にしていない。「格闘」でもない以上、外傷・出血など一切発生しない。その根拠として、「宮本顕治公判記録」で『スパイ査問問題の真相を全面的に解明』(宣伝文)し、「中田医師論文」『小畑は外傷性ショック死ではない』(前衛9月号)を発表した。

 国民・有権者の中に『暴行行為は多少はあったのではないか』『なぐるける位の行為はあったのではないか』という疑問が発生・存在し、そこから小畑の死因についても『外傷性ショック死というのは「古畑鑑定書」にも多くの外傷・出血の存在が書かれており事実ではないか』といううけとめが発生、存在している。そこでは、どういう論証方法がその疑問、疑惑を解消する上で説得力をもちうるか。どういう論証方法が、反共謀略側の“政策”としての「古畑鑑定書、確定判決にたいして論理的説得力での優位性、政策的優位性をもちうるかという問題である。しかも、2つの事実問題として、私の事実認識・判断としては、4項目・3つの性質・3つの「程度」の暴行・脅迫行為は存在した。国民・有権者の疑問と、党政策とはまったく噛み合わず、説得力をもたなかった。『仮定論としての壁に穴をあける自傷行為、押し入れからの出し入れ行為による発生原因説』は、45個以上外傷・出血という解剖所見にたいする“仮定論”として説得力にまったく欠けた。『第1段階「暴行」原因の外傷・出血発生の全面否定』政策と論証方法は、なんの政策効果もあげえず、むしろ、政治的に逆効果を発生させた。国民の意識水準・スパイ査問事件の事実問題についての認識水準・動向からかけはなれた“ひとりよがり”の論証方法である。

 論破すべき相手の政策内容とそれに必要な論証方法

 問題は〔第1政策〕と〔第2政策〕とは密接に関連しており、その両者とも論証する必要があるとともに、〔第2政策〕は、相互に矛盾した発生時期・発生死因説をふくんでおり、そのいずれの説にたいしても説得力をもった論証が必要とされた。〔第1の誤り〕でのべたように「外傷性ショック死」という小畑死因についての「古畑鑑定書」の死因鑑定、確定判決の事実認定は『45個以上外傷・出血の存在は事実』ということを根拠としている。そして、反共謀略側が『すべて事実をのべている』として提起した資料“政策”自体が決定的に矛盾点をもっている。

相互に矛盾した出血発生時期説・死因説

〔表64

反共謀略側政策

<発生時期>

<発生原因>

(1)特高、「村上・宮永鑑定書」

第1・第2段階混同説(区別していない)

『強力な鈍体の作用』『斧の強打・乱打』原因説

(2)予審終結決定

第2段階発生説

『腕力ヲ以テ強圧』原因説

(3)「古畑鑑定書」

第2段階発生否定・第1段階発生説

『強大ナ鈍力作用否定・第1段階「暴行」』原因説

(4)確定判決

第2段階発生説

『格闘』原因説

 「古畑鑑定書」自体上記で検討したように決定的に矛盾点をもっているが、外傷・出血第2段階発生否定の鑑定によって、予審終結決定(第1審判決も(?))の、急性死とのつじつま合わせ第2段階発生説のデッチ上げは根本的にくずれたにも拘らず、反動裁判所は、「古畑鑑定書」の都合のいい部分だけとって確定判決とした。

「古畑鑑定書」と確定判決との矛盾点

〔表65

「古畑鑑定書」

「確定判決」

外傷・出血発生時期

(1)第2段階発生説

 

否定

 

肯定(予審終結決定と同一)

(2)第2段階『斧』使用で発生説

否定

『格闘』にすりかえるというデッチ上げ

(3)第1段階発生説

肯定(特高説明)

(書いていない)

小畑死因

外傷性ショック死

外傷性ショック死したがって外傷性虚脱死

小畑死亡の性質

(上記は二次性ショック死で,急性死という事実と決定的矛盾)

『急死』(非急性の傷害致死によって『急死』という決定的矛盾

 したがって、文芸春秋新年号立花論文で、『いずれも真実をのべている』として、確定判決と「古畑鑑定書」が出された以上、外傷・出血については、第2段階発生説、第1発生説をともに説得力をもって論証するとともに、「古畑鑑定書」と確定判決の矛盾点を徹底的に追求することにより、45個以上外傷・出血自体が基本的に(=90%以上)は事実無根のデッチ上げであること、即ち「解剖検査記録」の45個以上外傷・出血という解剖所見部分自体が完全な特高のデッチ上げであることを論述し、バクロすることが必要であった。

 

 私が提案する対応政策と論証方法

 4項目暴行行為は事実として存在したが、その「程度」問題として外傷・出血など発生させるものではない。4項目個々について外傷・出血発生可能「程度」を具体的に検討したが、「解剖検査記録」の45個以上外傷・出血は基本的に(=90%以上)事実無根のデッチ上げである。「中田医師論文」内容とあわせて、この側面からも「外傷性ショック死」という「古畑鑑定書」の死因鑑定、確定判決の事実認定は明白な誤りである。

 その論証方法として、暴行行為の外傷・出血発生可能「程度」問題を提起する。暴行行為『有』とした上での、「程度」問題の論証なら、すべての証拠を、“大泉陳述をのぞいて”全面的・有効的に使用することができる。(1)関係者陳述証拠のうちで、暴行行為の「程度」問題としては、それを是認している袴田・秋笹・逸見・木島の4人全員のいずれも「程度」問題の有効な証拠として使用できる。(2)タドン・硫酸使用痕跡がないという法医学的証拠は、その行為「程度」の補助的証拠となりうる。(3)異様な物音が聞こえていないという隣家証言証拠は、隣家へ聞こえない「程度」の暴行・脅迫行為の補助的証拠となる。決定的なものは、(1)の関係者陳述証拠である。なぜなら、転向者の逸見・木島陳述と、予審非転向の袴田・秋笹陳述とが、暴行行為の外傷・出血可能「程度」問題では完全一致があるからである。宮本中央委員をのぞく、暴行行為是認査問者側4人全員が“転向・非転向にかかわらず”、小畑に45個以上外傷・出血を発生させるような「程度」の是認陳述をだれ1人としてしていない。

 

2)−ハ 確定判決事実認定での劣位性

 反共謀略側や党批判者の政策

 確定判決の事実認定項目はすべて事実である。“一定の道義上、政治上の問題が存在する7項目事実”のうちのいくつかを認めたらどうか。(1)細引のみでなく、針金も使用した身柄拘束のやり方。(2)1223日昼食、夕食、24日朝食、昼食の4食分食事を与えず。(3)5品目器物の用意・搬入・存在・並べ直し=〔第1の事実問題〕。()4項目・3つの性質・3つの「程度」の暴行行為=〔第2の事実問題〕。(5)死因としての第1次性ショック死あるいは急性心臓死における基本原因と誘因・素因・条件。(6)それらの宮本目撃。(7)自殺申出者大泉、熊沢2人への逸見・袴田・秋笹・木島の中央委員会4人の正式承認、などについては道義的責任がある。その根拠として、確定判決の事実認定内容、「古畑鑑定書」の死因鑑定および説明部分を提起した。

 党の対応政策とその劣位性

 上記第7項目のみ認めている。『なお、当人たちから自殺の申し出があったから、それを認めるなどというのが正しくないことも、念のため一言しておこう』(「文化評論」9月「小林論文」P.62)。その他の項目については“全面否定もしくは、一切触れない”という政策をとっている。

一定の道義上、政治上問題が存在する事実

〔表66

宮本陳述

現在の党の対応政策

(1)

否認

一切触れない

(2)

一切触れない

(同左のように一切触れない)

(3)

細引以外の4品目存在全面否認

(同左のように全面否定)

()

暴行行為全面否認

(同左のように全面否定)

(5)

誘因・素因の全面否認

(同左のように全面否定)

(6)

目撃の全面否認

(同左のように全面否定)

(7)

(検挙後で宮本同志は関係ない)

上記「小林論文内容」で認めた

 “事実でない”項目として、「不法監禁」否認、スパイ容疑での査問のため当時の条件での身柄拘束の正当防衛性を主張し、「小畑の死体遺棄」否認をし、当時条件下での仮埋葬とした。「赤旗号外での断罪即死刑」否認をし、死刑方針を意味していないとした。 これらの否定は正しい。その項目での党の政策の優位性は明瞭である。しかし、(1)、(2)、(3)、()、(5)、(6)の対応政策は、事実をのべていず、ウソである。一連の資料が出ている中で現時点においても、“全面否定”政策、または“一切ふれない”政策をとることは反共謀略側の“政策”にたいしてその側面・部分もまた政策的劣位性となっている。(7)の対応政策は、2人の自殺申出の中央委員会正式承認を認め、その正当性を否定したことは当然である。しかし、熊沢光子ハウスキーパー問題での党批判のいくつかの論調への政策としては、それだけでは尚、政策的劣位性をまぬがれていない。

 国民・有権者がその中で党に求めたものと、反共謀略側の政治的意図の区別とそれへの区別的対応について検討する。国民・有権者が党に求めたものは、政治問題化した以上、スパイ査問問題の真実・真相はどうなのかについての関心をもち善意で党の側からの積極的真相解明を期待した。暴行・脅迫行為が査問中にあり、上記7項目が事実であったならば、それらについて刑法上の有罪・無罪のむしかえしなどではなく、党としての一定の道義的政治的責任の存在を認めるべきではないのかという意見をもった。そして、なんらかの暴行行為があったのではないかという疑問・疑惑の上での政党への態度表明を求めた。それへの党の区別的対応はあったのか。党の対応は、国民・有権者が党に求めたものへの回答拒否の態度を示すものであった。“2つの事実問題での全面否定をし、暴行行為は一切ない。小畑死因が一次性ショック死であるので、それは不幸なことであったが、党の側にはなんら道義的政治的問題点・責任は存在しない。スパイ査問問題は完全に正義の闘争であり、党には道義的に反省すべきことはなに一つない、とした。党は、区別的対応をせず、国民が党にたいして求めた政策・態度表明要求についての政治判断で誤りを犯した。国民・有権者への“総選挙政策”という点で、国民の要求・期待とすれちがった回答拒否・拒絶の態度表明を逆に行ったのである。

5)、宮本個人攻撃問題での劣位性

 反共謀略側や党批判者の政策

 全体を通して宮本個人攻撃をした。2人の相違点・矛盾点をついての『袴田資料の内容の方が全面的真実・真相』とした宮本個人攻撃を行った。その根拠として≪第1期≫袴田確定判決とその引証部分の袴田調書の一部、および他の4人の調書の一部、≪第2期≫袴田予審調書、第1審公判調書、袴田警察聴取書の一部を出版、引用した。

 党の対応政策

 スパイ査問問題事実問題での宮本個人攻撃への対応政策として、(1)2つの事実問題での陳述内容の相違点・矛盾点については、すべて宮本陳述内容が真実・真相である。袴田陳述内容は“基本的に”『不正確』であり、『事実に合致しない』とした。(2)「密室審理」に応じたか・拒否したかを唯一の基準として、「密室審理」を全面的に拒否した宮本同志の闘争方法は英雄的であり、完全に正当性をもっている。「密室審理」に応じた袴田同志の闘争方法は誤りであるとして、「袴田論文」で自己批判をさせた。(3)袴田同志の果たした役割・成果については「3論文」以外では一切黙殺し、「3論文」でも歪曲した。≪第3期≫宮本再開公判闘争で、宮本同志は〔第1の役割・成果〕をなんら上げていないにもかかわらず、すべての役割・成果を『宮本同志の、宮本委員長の…』『宮本同志らは…』と表現した。秋笹中央委員の果たした役割・成果も“分離公判途中での”転向者として一切黙殺した。(4)あげくに、宮本個人攻撃対応は、宮本個人崇拝的政策に変質した。122324日スパイ査問において、宮本同志は一切暴行・脅迫行為も行はず、他被告の自認行為も目撃していない。宮本同志は完全に正義の闘争・査問を行い、宮本同志のそこでの行動にはなんの道義的政治的問題点も存在しない。宮本陳述内容は2つの事実問題をふくめてすべて事実・真相である。唯一人の全訴証関係記録検討者である。闘争方法は「密室審理」を拒絶してまったく正しく、唯一の「密室審理」拒否者である。戦後の論文「スパイ挑発との闘争」内容も全面的に真実・真相をのべている。その根拠として、『宮本顕公判記録』を「文化評論」4月号、前衛8月号、単行本で出版、宮本同志のスパイ査問問題についてのパンフ、本の出版した。袴田資料は、『党とともに歩んで』を店頭から回収し、「袴田論文」をふくむ「3論文」を発表し、袴田批判を行った。

 党のこの対応政策の劣位性、論理的説得力での劣位性

 問題は2つの事実問題についての2人の陳述内容の事実性についての論理的説得力優劣である。2つの事実問題の説明としてどちらの資料が国民にたいして政策的優位、説得力での優位をもっているかである。

出版された袴田資料と宮本資料

〔表67

<袴田資料>

<宮本資料>

袴田警察聴取書(8〜10

袴田予審調書(1〜19

袴田第1審公判調書(1〜3)

袴田確定判決文

上記引証の他4人の予審調書一部

宮本第1審公判調書(1〜6)

宮本第1審再開公判調書(1〜15

宮本確定判決

宮本「スパイ挑発との闘争」

上記内容を『真実・真相』とした党の全文書、全論文

 この資料の分析・比較にもとづく私の事実認識・判断は上記全体で全面的にのべた。これらの袴田資料と宮本資料とを読み比べてみた者にとっては、警察―→予審―→第1審公判と基本的に首尾一貫した袴田陳述内容は、宮本資料内容にたいし論理的説得力での優位に立つ。〔第3の誤り〕でのべたように、宮本中央委員の対応政策は、当時の治安維持法裁判闘争では正当性をもったが、現情勢では歴史の偽造・歪曲という性質をもつ。その結果として個人崇拝の第1〜第4現象を形成した。党の説明内容に疑問・疑惑・批判をもった国民・有権者にたいしてたんに論理的説得力での劣位性というのにとどまらず、その“政策的逆効果”はきわめて大きいものとなった。党への疑問・疑惑だけではなく、党への不信・反感に発展させた。

3、反撃・論争方法

〔小目次〕

   1、感情的・不寛容で、“報復的”対応

   2、詭弁的論理使用

   3、独善的対応・態度

 すべての反撃方法・論争方法に誤り、問題点がある訳ではない。政治問題化し、明確にマイナス効果をもたらしたケースに次の4つがある。論争方法上の誤り、問題点をもつ4つのケースとして、(1)立花論文批判の反論方法、題名。(2)平野謙氏批判とその反論方法、題名。(3)民社党批判とその論争方法。(4)共産党紺野議員不規則発言問題めぐる公明党批判とその反論論理があった。これらは、その対応政策内容の適否のみでなく、その反撃方法・論争方法の適否・正否が政治的・社会的に問題になったケースである。この論争方法自体が政治的にプラス・マイナス効果をもったケースである。以下検討するが、その個々のケースもその論争方法がすべて誤り・問題点であるという訳では当然ない。4つのケースに共通する論争方法上の誤り・問題点として、感情的・不寛容で、報復的対応。詭弁的論理使用。独善的対応・態度がある。以下、この3つの誤り、問題点についてのべる。

1、感情的・不寛容で、報復的対応

1、題名問題

 立花論文への批判論文題名『犬は吠えても歴史は進む』

 内容について、戦前史の部分は正しい。しかし、スパイ査問事件についての(付録)部分の内容は上記全体でのべた誤りをもっている。この題名で、「犬は吠えてもキャラバンは進む」ということわざをそのまま使用したとすれば、それは“雑音があっても、歴史は進む”の比喩として文学的香気ももつ。しかしことわざをそのまま使用するのではなく、ことわざをもじったものにかえ、“犬と歴史”として並べれば、『犬』=立花氏または立花氏の特高史観、『歴史』=党、その前進との同義語的意味での使用となる。日本語“犬と歴史”、“犬と党”という対比用語は、たんに上記ことわざの“雑音があっても、歴史は進む”という意味内容ではなくなり、“官犬、特高の手先、スパイ、密偵、挑発者と党”という相手をもっとも侮辱した政治用語としての意味内容に転換している。そこには『文学的香気』(10月3日付赤旗主張)などはなく、政治的感情むき出しの最大の侮辱的レッテルとなる。それは戦前、戦後の党の日本語『犬』使用からいって明確である。197610月3日付赤旗主張「犬を論ず─反共の走狗と文化的素養─」の中で『よく知られているように「犬は吠えても歴史は進む」という文学的香りのある表現は』とのべている。しかし、これは党の強弁であって、党内にも党外にも、それを強烈な政治スローガン、政治的題名として受け止めても、文学的香りをもつものとしては受け止められてはいない。それはたんに文学的香りをもたないというだけでなく、きわめて感情的報復的な題名である。そのうえ『批判者を犬よばわりする共産党体質』という党への攻撃がそのまま国民・有権者にうけ入れられるような、現在の国民感情、感覚から浮き上がった感情的・時代錯誤的題名である。

 平野謙氏批判の「小林論文」題名『スパイの問題をめぐる平野謙の「政治と文学」』(「文化評論」9月号)

 「小林論文」の「三、肉体的暴力という問題」部分において、上記に検討したような誤りをふくんでいる。題名についても、“すりかえ的報復的題名”である。平野謙著書の題名は『「リンチ共産党事件」の思い出』となっており、また内容も『「リンチ共産党事件」の思い出』『小林多喜二と宮本顕治』『文学作品に反映したスパイリンチ事件』であり、“スパイ査問問題”についての題名、文章であり、“スパイ”そのものについての題名でも、文章内容でもない。『スパイ査問問題をめぐる平野謙の「政治と文学」』という題名にするか、『スパイの問題をめぐる平野謙の「政治と文学」』という題名にするか、という点では、2つではその題名のもつ意味内容はまったく異ってくる。「小林論文」内容自体も、“スパイの問題”全体についてではなく、あくまで“スパイ査問問題”に限定された内容である。論争・批判相手への反論論文題名において、平野謙氏が“スパイ査問問題”ではなく、“スパイの問題”での「政治と文学」論を展開しているという印象を与えようとする“すりかえ的”題名など党は使用すべきではない。平野謙氏が『スパイリンチ事件』『リンチ共産党事件』という題名を使用しており、その題名の誤りへの「小林論文」の批判内容は正しい。しかし、それを使用しているからといって、“すりかえ的”題名を使用することは誤りである。

2、論争相手への敬称『氏』使用有無問題

 立花氏にも、平野氏にも私は2つの事実問題の基本点において批判的である。党も当初は立花氏、平野氏に敬称『氏』を使用していたが、立花氏が宮本同志を「宮本顕治」と呼びすてにしているから、相手がそういう個人攻撃をする以上、党も敬称『氏』をつけないという説明が、赤旗のコラム、その他の記事でに数回のった。この2人以外についてもそうである。相手が、宮本同志に敬称を使用せず批判すれば、党も相手に敬称をつけない。政党と個人との論争において、個人の側が政党指導者を呼び捨てにして批判論文を書けば、政党の側も、相手個人を呼び捨てにすることは、現在の社会的道義として当然視されているのか(?) これも党攻撃、党批判への党側の感情的報復的対応であり、国民感情、感覚から遊離している。

3、党批判者への党側からの人身攻撃問題

 反共謀略側がスパイ査問問題で宮本個人攻撃、人身攻撃を行った。党がそれにたいして全力をあげて反撃したのは当然であり、正しい。しかし、その相手側による党指導者への人身攻撃・イメージダウン作戦への対応として、党の側もその攻撃者・批判者の政策・批判内容への反論のみでなく、その攻撃者・批判者への人身攻撃でやり返すという論争方法の採用は正しいか(?)相手について論文内容のみでなく、その思想的経歴への批判は当然正しい。しかし、立花氏への批判、民社党春日委員長への批判においては、ここで具体的に例を上げるまでもなく、1976年の1年間を見ても、その人身攻撃的なやり方の側面・部分が目立っている。それは今回の反共謀略への反撃方法として政治的プラス効果をもちうるか(?) 私は春日氏の立場、意図、やり方には文字通り全面的に反対している、しかし春日氏の経歴を洗いざらい調査し、バクロし、その宣伝を“春日氏による宮本個人攻撃への報復として”大々的に行い、相手への人身攻撃を通じて、相手の人格的資質への国民の評価を低下させ、それによって、その批判者のスパイ査問問題での宮本個人攻撃内容の信用度を低下させようとするやり方は、科学的社会主義の党として採用すべき論争方法ではない。また、国民感情・感覚からも遊離している。立花氏にたいしても同様のやり方を行っている。

 “目には目を、歯には歯を”という論争方法はその論争の当事者間、およびその“強固な”支持者層には支持されても、広汎な国民・有権者の支持をえることはできない。スパイ査問問題めぐる党の論争方法において、ここでいちいち根拠はあげないが、一定の側面・部分として相手への“逆の、低劣な”人身攻撃がふくまれている。そういう評価を、党中央は一切認めないであろう。しかし、国民、有権者のかなりの部分は、“低劣な人身攻撃”を共産党が行っていると一般的常識にもとづいて判断し、共産党は誤っていると考えている。人身攻撃でやり返すという共産党式論争方法は、“嫌いな政党第一ランク共産党の嫌いなやり方第一ランク項目”にいつも上げられている。

2、共産党紺野議員不規則発言問題での詭弁使用

  経過は、以下である。第1段階、公明党矢野書記長のスパイ査問問題での国会質問。第2段階、紺野議員のそれへの不規則発言(=ヤジ)について、公明党側の紺野議員発言内容説明『犬、犬』『犬が吠えている』であった。共産党の発言内容弁明は、『反共宣伝はやめろ』『反共宣伝の犬が吠えるようなことはやめろ』であった。第3段階、公明党正木議員の暴力行為。第4段階、公明党の紺野議員への懲罰動議提出。第5段階、党は対応政策として、“党として一切、誤り、問題点はない。紺野議員の発言内容も正当。したがってなんの陳謝の必要もない。問題は正木議員の暴力行為こそ懲罰されるべき”とした。その中で1976103付赤旗主張で『「犬」を論ず─反共の走狗と文化的素養─』を発表した。10.3 NHK、テレビ討論会での正森議員の発言における上記「赤旗主張」部分を発言した。10.4 同上の赤旗掲載。10.15 衆議院本会議での紺野議員の発言における上記「赤旗主張」部分を発言した。10.16 同上の赤旗掲載があった。

 この問題での党の公明党批判と、10月3日付赤旗主張内容の詭弁

 問題は上記経過の中で、10月3日「赤旗主張」、それと同一趣旨の10月3日テレビ討論会、1015日紺野議員衆議院本会議発言において使用されている論理が正しいかどうかである。赤旗、テレビ、国会という公開された3場面で以下の論理が強調して使用されている。『(小見出し)=公明党の教養の水準=(上記第1〜第4段階をのべて)よく知られているように「犬は吠えても歴史は進む」という文学的香りのある表現は、中央アジア地方に伝わる「犬は吠えても、キャラバンは進む」ということばからとったもので、いかなる雑音や中傷があっても進むものは進んでいく、歴史も進むべき方向に進んでいく、ということです。「反共の犬みたい」とか「反共の走狗」といわれて自分が人間ではなくて動物そのものにされたと思うとしたら、よほど人間らしい教養が不足しているというほかないでしょう。もともと犬は人類が古くから親しんできた動物であり、犬にちなんだことわざやことばは数えきれないほどあります。(このあと、「犬」についての7つのことわざとその意味内容をのべている)。そういう点で紺野議員の発言にいいがかりをつける公明・民社両党は日本語に定着している犬についてのことわざやことばをどうするつもりでしょうか。もし、国会が公明党の反文化的ないいがかりを容認するようなことがあれば、それは国会が日本語についての文化的教養のないことの不名誉をみずからになうことになるといわなければなりません。(小見出し)=反共第一主義がみちびくもの=このように文化的教養のなさをみずから暴露する、まったく根拠のないいいがかりをつけつつ、国会の議場での言論にたいして暴力をふるった自己の粗暴な行為についてはまったく無反省というのはなにから起こるのでしょうか。それはまさに反共第一主義と日本共産党にくしのために大局がみえず、日本語の比喩も正当に解しえないところにおちいっているからです。創立以来の公明党の路線の基本特徴はまさしく反共主義です。(中略)公明党自体のこうした行為とやり方こそ、まさに公明党が反共の走狗であることをみずから天下に示すものであることはあきらかです』。

 赤旗主張の三段論法とその詭弁

 ≪第1前提≫犬にちなんだことわざやことばは数えきれないほどある。「犬は吠えても歴史は進む」という文学的香りのある表現の『犬』は“雑音、中傷”という意味内容である。≪第2前提≫「反共の犬みたい」といわれて、公明党は自分が人間ではなく動物そのものにされたと思っている。1015日紺野国会発言『動物そのものの犬としてあつかったと非難している』。≪結論≫故に公明党は日本語の比喩も正当に解せず、人間らしい教養に不足し、文化的教養にかけている。

 ≪第1前提≫ ことわざをもじった題名のもつ意味内容についての“強弁の虚偽”

 ことわざをもじった題名にした場合、その表現の意味内容の転換または付加が発生する。「犬─→キャラバン」の意味内容は“雑音、中傷─→歴史は進む”である。しかし、党は、上記を変更した日本語「犬─→歴史」をスパイ査問問題で限定使用した。その限定的意味内容としての『犬』は、たんに“雑音、中傷”という意味だけでなく、それよりむしろ“官犬、特高の手先、スパイ、密偵、挑発者─→日本共産党”という意味をもつものに転換する。あるいはその意味を付加する。党は、主観的にも、後者の意味内容として使用している。中央アジアのことわざを、上記の日本語に変更し、もじった以上、客観的にも、主観的にもその表現は、本来のことわざのもつ意味内容から転換しており、これを受け止める国民の側も、後者の意味内容として受け止めている。また、実際に論文内容を読めば、後者の意味内容になっている。

 比喩としての文学性から、政治スローガン、政治用語に転換した。「犬─キャラバン」はことわざとして、“雑音─歴史は進む”への比喩としての文学性、文学的香りはある。しかし、限定使用日本語、および論文内容としての「犬─歴史」の表現は政治スローガンに転換し、“官犬、特高の犬─日本共産党”そのものを表現した。それは文学的比喩をもつどころではなく、共産党批判者をもっとも強烈に『犬』として表現した侮辱的政治用語に転換した。それにたいして、赤旗主張はその転換を一切認めず、原文の「犬─キャラバン」の意味内容と比喩としての文学性、文化性を主張しつづけることは、“強弁”であり、詭弁的論理である。

《第2前提》 批判者公明党側の“批判内容・批判趣旨のすりかえの虚偽”と“そのすりかえた趣旨に反論をするという二重の虚偽”

 公明党の上記全経過での態度、矢野質問の不当性について私は全面的に反対している。不規則発言など懲罰に値しない。正木議員の暴力問題などでの党の主張に私は賛成している。その上に立ってのべる。公明党の共産党への批判内容・趣旨は、“矢野書記長を犬扱いした”“『犬』は後者の性質の意味内容である以上、書記長を侮辱した”ということであった。「犬─歴史」とは、“官犬、特高の犬─日本共産党”という党の使用意味内容から“侮辱された”という趣旨として党を批判・非難した。そもそも、「日本共産党─犬」という対比用語を、日本共産党が使用する場合、戦前、戦後を通じて、『犬』=“官犬、特高の手先、スパイ・挑発者”という相手をもっとも侮辱するレッテルであった。赤旗主張『自分が人間ではなくて、動物そのものにされたと思うとしたら』および紺野発言『私が矢野君を動物そのものの犬としてあつかったなどという批難がなりたたないことはまったく明瞭であります』とは、党側による“公明党の批判趣旨すりかえの虚偽”である。公明党の『犬扱いした』という批判内容・趣旨が、“動物そのものにされた”“動物そのものの犬としてあつかった”ということなら、上記党の反論は正しい。しかし、公明党は党のいうような内容・趣旨で党を批判・批難しているのではない。“官犬、特高の犬、スパイ、挑発者”というもっとも相手を侮辱する意味内容・目的としての使用”という趣旨で党を批判している。したがって、上記の赤旗主張、紺野議員の反論内容は、“公明党の党への批判趣旨をすりかえるという虚偽”を行っている。相手のいっていない批判趣旨を捏造し、そのすりかえた虚偽の趣旨に反論を加えるという虚偽を行い、『犬』についてのことわざ論をもち出し、『「犬」を論ずる』ことは論争方法として“卑劣”である。この≪第2前提≫は詭弁である。

≪結論≫ 虚偽の≪第1前提≫、虚偽の≪第2前提≫からの結論としての公明党の人間的教養不足論、文化的教養欠落論を展開する虚偽

 私は公明党の人間的文化的教養問題については勿論批判をもっている。しかし、この不規則発言をめぐる問題に限定していえば、この「犬─歴史」という意味内容の説明において、党がこのような≪結論≫をみちびき出すことは不当であり、論理的にこの≪結論≫は成立していない。これは“2つの虚偽論を≪前提≫として、不当な≪結論≫をみちびき出す詭弁三段論法”である。

 詭弁使用の政治的性質

 この詭弁三段論法使用が赤旗の「主張」1回ですむのであれば、それを“小さな誤り・問題点”としてすますこともできないではない。しかし、NHKテレビ討論会、国会本会議での紺野議員発言、それらの赤旗掲載となれば、それは一定の政治的影響力をもつものとなる。私は不規則発言問題をめぐる公明党の行為・態度に全面的に反対であるし、また紺野議員の発言もこの部分をのぞけば感銘して読んだ。しかし相手がいくら不当な攻撃をかけてくるからといって、それとの論争において、このような詭弁的論理の使用、その宣伝は正当化されるものではない。もし、これにたいして、“相手が不当だから、これくらいの誤り・問題点は見過ごすべき”とか“いちいち目くじら立てて問題にすべき誤りではない”ということで、党内からなんの批判も出されないとしたら、何が起きるのか。それは党内外にたいする党中央の詭弁的論理使用を黙認するという論理的退廃を党内に発生させる。その点で、いっそう重大な政治的誤りに発展する。

3、独善的対応、態度

 “共産党はすべてに独善的である”という反共攻撃・批判について、私はそう思っていない。しかし、スパイ査問問題での上記の4つのケースにおいて独善的対応・態度が明確に存在している。

1、2つの事実問題での独善的対応、態度

 2つの事実問題について袴田陳述内容は基本的に事実であり、宮本陳述内容はデッチ上げへの反論・否認部分は事実だが、2つの事実問題における事実性部分の全面否認はウソ・虚偽である。その中で一部マスコミの党批判・論調は“事実部分は事実として認めるべきではないか”という主張もしている。党批判・論調すべてを、党はデッチ上げへの同調者、加担者であり、反共大合唱の一人にきめつけている。反共謀略側と党批判者、一部マスコミ論調との区別にもとづく、区別的対応もしない。現情勢の下では、その中に一定の事実部分があれば、事実は事実として認めるという論争方法こそ正しいと考える。党の対応は、国民・有権者への党の政策提起・回答という側面を同時的にもっている以上、このきめつけは正当化されるものではなく、独善的対応、態度の誤りである。

2、紺野議員不規則発言問題での独善的対応、態度

 紺野議員は上記意味内容として日本語『犬』を使用した。ヤジ内容の性質としては、懲罰に値するものではない。しかし、一定の道義的問題点をもつ。但し、それ以前に矢野質問があり、それへの批判は紺野議員が全面的にのべている。それ以後に正木議員の暴力があり、それへの批判は紺野議員が全面的にのべている。そして、この両者とも党の見解に私は賛成している。一定“政治問題化”したこのケースでは、次の2つの対応、論争方法があった。〔第1の方法〕出発点は相手側の前段階での問題であるが、それへの党議員のヤジ『犬!』における一定の道義的問題点については、その「非」はそれとして認め、その一方で、前・後段階の相手側問題点にたいして徹底して反撃・批判する。〔第2の方法〕出発点で相手側に問題点がある以上、相手がまずその問題点を認めるべきである。そもそも党議員のヤジ内容には、なんの道義的問題点も存在しない。問題はむしろ後段階の相手側にある。党議員の対応はヤジ『犬!』だけなのに、後段階の相手は暴力行使である。むしろ、その暴力行為こそ懲罰にすべきである。党はこの〔第2の方法〕をとり、道義的問題点の存在も一切認めず、当然“遺憾の意”の表明も拒否した。当時の一般新聞は、報道記事、コラムまで不規則発言内容として『犬、犬、犬が吠えている』が裏づけ調査に基づく“実際の発言”として報道した。党の側の『反共宣伝をやめろ』『反共宣伝の犬みたいなことはやめろ』発言だったという説明を“共産党側によるウソの説明”と報道した。

 党議員側の道義的問題点は上記の全経過の中で考えられるべきもので、党のみが道義的問題点を追及され、その前・後段階が追求されないのは正しくない。また党だけがその「非」を認めることもない。しかし、紺野議員の不規則発言内容にはなんの道義的問題点をもなく、悪いのは公明党側の前段階・後段階のみであるという主張になってくるとこんどは“別の政治的性質”をもつ。これは懲罰問題でのやりとりについての赤旗に記事、国会発言、委員会発言として何回ものった。これは、“党は100%正しく、相手は前段階も後段階も100%悪い”とするきわめて“独善的”な主張に転換する。この党の対応方法にたいして、私個人としてはきわめて“独善的”なものを感じたし、また国民・有権者も、たんに、反共「党独善論」の影響ということでなく、この党の態度の中に、きわめて“独善的対応・独善的態度”を感じ、批判をもった。

 4つのケースはいずれも、“政治問題化、社会問題化”した。一部論調では、この党の反撃・論争方法にたいして“そういう方法は正しいか”と批判が出された。国民・有権者は、党の反撃と論争方法にたいし、どう評価し、どう審判を下したか。この論争方法にたいして、“どうも共産党の対応・論争のやり方はよくない、おかしい、ひとりよがり”として、共産党の対応政策・論争方法にたいして疑問・批判をもった。国民の総選挙審判は、ロッキード問題での自民党にたいしてだけでなく、党の対応政策・方法の誤りにたいしてもきびしく下された。

4、総選挙総括(第13回中央委員会総会)

 以下、4つの総括上の誤り・問題点についてのべる。

1、「有権者への政治判断」の誤りにかんする総括欠落・回避

 13中総全体、および「三.反共攻撃との闘争」において、党の政治判断の誤りについてはなんの総括もしていない。選挙結果は、たんに反共攻撃を打ち破る点での『党の活動が不足した』という原因、その他13中総で分析している原因だけでなく、上記の政治判断の誤りを明白に証拠づけている。反共謀略側が、党への反共挑発・ワナを13中総のいう『二重のねらい』(「理論政策」1月号.P.13)をもってしかけたのにたいして、党は有権者反応の政治判断を誤り、それを通じて国民の党への疑問・批判・反感などをもたせ、惨敗結果となったのである。

2、「対応政策」の誤りにかんする総括欠落・回避

 総括資料は次である。12月6日、中央委員会常任幹部会「衆議院選挙の結果について」『戦前の治安維持法時代の暗黒批判をゆがめてのわが党への低劣な中傷宣伝などが、黒い反共謀略のもとに、この一年間、精力的におこなわれてきた。このような反共包囲網を打ち破る点で、わが党の活動が不足していた』(理論政策1月号、P.2512月7日付赤旗)。1212日付、赤旗日曜版、市川正一選挙闘争本部長代理「どう見る総選挙結果と今後の政局」『「そういう“左封じシフト”による反共攻撃があったにせよ、こうまでたくさん議席をへらしたのは共産党の路線、政策に問題があるのでは」という声も出ていますが。市川「それはまったく的はずれな見方です(中略)そのことは共産党の路線・政策そのものの問題ではなく、党の活動力の問題といわなければなりません。」』122813中総での宮本委員長のあいさつ『わが党の今回の後退はけっしてわが党のこのような基本路線に原因があるのではありません。反共勢力側からの系統的な陰湿的な攻撃にたいして、わが党が全体としてこれを効果的に撃破できなかったという点に重要な原因があります。わが党はこの二、三年来、反共攻撃への精力的で機敏な闘争を呼びかけ党中央の刊行物等でこれを展開してきました。しかし選挙戦というような全国民的現状の広がりにおいては、これを効果的に果たすことができませんでした』(理論政策1月号、P.71229日付赤旗)。1229日、13中総決議の中の「三.反共攻撃との闘争」『しかし、戦前の治安維持法裁判問題にしても、「赤旗」や「文化評論」などでの反撃は系統的・精力的におこなわれたものの、テレビ中継や口コミなど多様な形態で全国的にまきちらされる反共攻撃を幾百千万の大衆にわかるような規模とやり方でうちくだく活動は相手側の反共攻撃の規模にくらべて十分なものではなかった』(理論政策1月号、P.131230日付赤旗)。

上記資料、13中総での「対応政策」にかんする党中央自己採点

〔表68

〈検討項目〉

〈評価内容〉

(1)路線

全く正しい

(2)政策(政策全体)

(3)スパイ査問問題での対応政策

〃(特別には、一切ふれていない)

(4)活動、活動力

×…活動不足、活動が不充分

 この総括内容の誤り

 スパイ査問問題での反共謀略との政策論争において、その政策の優劣についてなんの総括も行なわず、その政策内容の適否についても具体的な総括を回避した。一般的に“政策には問題はない”という評価・総括にとどめることは、総選挙総括として正しくない。スパイ査問問題は総選挙において、明白な政策的対決点・争点の1つとなったものであり、その選挙総括において、党の提起した対応政策の優劣の評価、総括、対応政策の適否評価、総括を欠落・回避すべきではない。

3「反撃、論争方法」の誤りにかんする総括欠落・回避

 総括資料内容は次である。1229日、13中総決議の中の「二.客観的な政治動向の問題点」『(路線の選択の問題をのべる)…広汎な国民の反自民の気分を保守補強的な潮流にひきこむ新保守主義や反共「中道」主義の克服は、自民党政治の打破の任務とともに七〇年代の国政革新の事業の根本的任務の一つである。そして党がこの任務にとりくむさい、それがたんに批判のための批判でないこと。自民党政治の打破と革新統一戦線の結成という国民的事業を成功させるために、不可欠の仕事であり、障害をとりのぞく革新の大義にたった活動であることについて、広汎な人びとに理解をえるよう、特別の努力をはらうことが重要である』(理論政策1月号.P.12)。13中総決議の中の「五.その他の共通の重要問題」『また、他党批判にあたっては、すでにのべたように、国民の要求の実現と国政革新の事業のために、なぜこの批判が必要かをつねにあきらかにしながら、事実と道理にもとづく批判や論争をおこなう態度を堅持することが大切である』(理論政策1月号.P.14)。

 この総括部分の誤り

 総括は、批判・論争方法の改善点についてふれているが、このいずれも一般的な路線論争における批判方法、他党批判方法の問題についての総括であり、スパイ査問問題での論争方法上の具体的問題についての総括ではない。13中総全体でも、その他のあいさつ、論文でも、上記にのべた論争方法上の誤りについての総括は一切ない。この論争方法・態度は政治的にも社会的にも問題になり、かつ、総選挙結果にもプラスマイナス効果として影響しているにも拘らず、その論争方法上の総括をどこでもしていない。その論争方法も、政策と同じく、総選挙での争点の1つとなったものであり、その選挙総括において、党の採用した論争方法の適否評価・総括を欠落・回避すべきではない。

4、『活動不足』『活動不充分』論の総括の一面性

 反撃の質的側面と量的側面の相互関係を合わせた総合的検討の回避をしている。

1)、選挙直後から13中総までの総括の誤り

 対応政策の適否・正否の総括を欠落・回避した。一般的に『党のこのような基本路線に原因があるのではありません』(宮本委員長あいさつ)とした。『共産党の路線・政策そのものの問題ではなく…』(市川選挙闘争本部長代理)とした。批判・論争方法の適否・正否の総括も欠落・回避をした。一般的に路線論争での論争方法の改善点のみ総括をした。党の活動について、『活動が不足した』(常任幹部会声明)『活動は十分なものではなかった』(13中総)と総括をした。13中総では『相手の反共攻撃の規模にくらべて』『幾百千万の大衆にわかるような規模とやり方でうちくだく活動は』といっているように、反撃規模、反撃の量的側面での総括として上記内容をのべている。この『活動不足』『活動不充分』という評価は事実であり、一面では正しい。しかし、そこでなぜこの量的側面での不足・不充分がおきたのかについて、上記総括の欠落・回避をふくめて、なんの総括もされていない。その原因分析を欠落させ、回避した。

2)、『活動不足・不充分』になった原因

 『活動不足・不充分』が選挙闘争において発生する3つのケースがある。〈第1のケース〉反共攻撃の質(=政策)、量(=規模)そのものに頭をたれる。〔反共攻撃と第1効果〕として、『党員や支持者の士気をおとし、活動を消極的に封じこめるというねらい』(13中総.P.13)通りになる。〈第2のケース〉反共攻撃側の“資料はすべて真実・真相であるという政策”への党対応政策、論争方法の優位性に確信がもてない。あるいは、〔反共攻撃と第2効果〕として、党の対応政策・論争方法に党員・党支持者として疑問・疑惑をもつ。〈第3のケース〉反共攻撃以外の他の原因で活動不足・不充分になるケースとして、楽観論、悲観論などの選挙情勢判断、民主集中制の運営実態問題、その他がある。これらのケースの中で、〈第1のケース〉も一定の効果を上げているが、以下は大きな位置をしめている〈第2のケース〉について分析をする。

 党員の中(読者、支持者もふくむ)での3つの疑問・意見の発生・存在

 第1の疑問・意見は、『“なぐるけるも一切ない。暴行脅迫は100%デッチ上げ”というのはおかしいのではないか(?)』とする党の“100%デッチ上げ”政策への疑問である。『なぐるけるなど若干の暴行は存在していたのではないか(?)』とする“全面否認”政策を否定した、暴行行為存在論である。第2の疑問・意見は、『若干の暴行の存在・事実を党は認めたっていいのではないか(?)』『42年前の事件において、上記が事実なら党はそれを認めた上で、反共攻撃に反撃すべきではないか(?)』とした暴行行為存在是認要求である。第3の疑問・意見は、『リンチがないということならともかく、暴行行為も一切ない、100%特高のデッチ上げ、宮本同志は一切目撃していないという党の説明はウソではないか(?)』という党政策ウソ疑惑・批判意見である。これら3つの素朴な疑問・意見・批判は党内で、私だけでなく、かなり広汎に発生・存在した。但し、反共謀略側の政治的意図、そのもち出し方に全員が全面的に反対していることはいうまでもない。そして、これらの疑問・意見は、38万党員のかなりにおいてのみでなく、読者、後援会員、党支持者にも発生・存在したし、現在もしている。

 3つの素朴な疑問・意見・批判の発生・存在の根拠

 反共謀略側が出してくる一連の資料と、マスコミを動員しての大々的宣伝により、一定の疑問が党内に“全面否定”政策・反論にも拘らず発生する。1975.12月「文芸春秋新年号」袴田確定判決からの関係者予審陳述の引用、古畑鑑定書、1976.2.20「朝日ジャーナル」袴田警察聴取書一部(8、9回)、1976.6.15「平野謙著書」袴田予審調書(1〜19回)、袴田第1審公判調書(1〜3回)などである。そこで、袴田陳述資料などを直接読めば、その宮本陳述にたいする論理的説得力での優位性から、それはもっとつよい意見・批判に発展する。これらを直接読み、マスコミなどで間接的に読み聞きする中で、『反共謀略の攻撃は正しくないのは当然だが、それへの党説明にもウソがある』という疑問をもった場合、反共攻撃に敢然と立ち迎えないばかりか、有権者に確信をもってスパイ査問問題の事実問題を説得することができなくなる。なぜなら、上記3つの素朴な疑問・意見は国民・有権者の広汎な層にも当然発生していたからである。

 反共攻撃に負けて頭を下げる〈第1のケース〉の側面も当然ある。それだけではなく、党の対応政策、論争方法の誤りへの疑問・意見・批判があるから、反共攻撃に全面的に反撃できず、その活動が不足・不充分になるという側面が存在していた。それを党中央は認めるべきである。党員が、党中央の対応政策、説明に一部ウソがあると思いつつ、その政策宣伝をするということから活動が不足・不充分になった側面が存在する。

 3つの疑問・意見・批判の党内での解決方法の実質的途絶とその沈潜化

 党中央の“全面否定”政策とその連日・雑誌連号の大々的な宣伝の中では、その疑問・意見を上級機関や中央委員会に出すには党員としてよほどの勇気がいる。なぜならその内容は、いずれも党中央の対応政策への基本的否定の性質をもつものであり、その疑問・意見の根拠についてよほどの確信がなければ、そのような性質の意見・批判を出せるものではない。『こんなことをいっても通らない、逆にこちらがやっつけられるだけ、批判されるだけ』という意見提出のあきらめ、一方で『とにかく、反共攻撃の側の方が“はるかに”けしからん。それへの対応での“小さな”誤りやウソは見のがすべき』という考えもあって、意見提出自体を自己抑制する。その疑問・意見は未解決のままで沈潜化する。また実際に、そんな意見・批判を党員が出したとしても、どの中間機関でもうけ入れず、一言のもとに拒絶、感情的反批判をするのは目に見えている。

 その必然的結果として、支持者拡大、選挙票読みにいっても、そこではスパイ査問問題の2つの事実問題での党の対応政策をしゃべらない。しゃべっても、形式的に『事実無根』というだけに終る。その結果として有権者の中に発生・存在している疑問・意見をなんら解消できずに帰ってくるということになる。その疑問・意見の沈潜化は、一方で、反共攻撃への反撃での活動意欲の低下、活動不足を生み出した。

3)、『活動不足・不充分』論の総括の一面性

 反共攻撃への反撃の成功・不成功は、その質的側面(=政策)と量的側面(=活動、宣伝規模)の両面からその相互関係をふくめて総合的に原因分析をするのは当然であり、従来の党の選挙総括はすべてそうなっている。政策的優位性があったかなかったかについての総括を欠落・回避したことはない。とくに反共攻撃への反撃の不成功『全体として効果的にこれを撃破できなかった』(13中総宮本あいさつ)ということは党にとってきわめて重要な問題であり、したがって次の項目でその原因を総合的に検討・総括することは当然の“作業”である。

 質的に問題点があった場合、その政策的劣性の量への影響度の評価、対応政策、論争方法の誤りの反撃量・活動への否定的影響度の評価をする。量的側面原因分析では、宣伝規模、宣伝回数、宣伝物、宣伝物発行などの優劣の評価、それをふくめた反撃の活動の充分・不充分の評価をする。活動不足、結集の悪さ、規律の弱化、乱れなど量的に問題があった場合、『この政策では有権者の支持をえられない、これは政策として劣性であり、論理的説得力でも劣性である』という意見・批判の上級機関・中央委員会への集中・反映がどのようにあったのか(?)。政策効果について+−効果をふくめて“ありのままに”中央へ反映・集中されるという民主集中制の機能は正常に作動していたかどうか(?) それとも、党中央の提起した〔全面否定対応策〕は、プラス政策効果を上げている、有権者はこの政策を全面的に支持しているという報告のみが中央に反映・集中されていたのか(?)などの総括作業がある。

 あらゆるマスコミを動員した反共謀略攻撃にたいし、現在の党の力量では量的劣位性はさけられない面もあった。しかし、その『活動不足・不充分』という指摘・評価にとどまるのではなく、『活動不足・不充分』となった原因の分析として質(=政策)と量(=活動の充分・不充分)との相互作用有無について分析をすすめるのは、選挙総括の“常識”である。それにも拘らず、その総括をしないで『活動不足・不充分』という評価のみにとどめたという13中総の総括部分はきわめて“一面的・表面的”総括である。それだけでなく、このような“一面的・表面的”総括のやり方は“党中央の政策責任の総括欠落・回避”という性質をもつ。なぜなら、総選挙での39議席から19議席への全国的敗北、大都市での惨敗結果において、“どの政策においても一切誤りはなかった”などということは、常識的に見てありえない、また、実際にも上記にのべた誤りをもっている。基本問題での総括を欠落・回避しておいて、『反共勢力側からの系統的な陰謀的な攻撃にたいして、わが党が全体として効果的にこれを撃破できなかったという点に重要な原因』(13中総宮本委員長あいさつ)とした。選挙惨敗ケースにおいて、当然行うべき選挙総括の基本、“常識”を意識的に放棄して、『活動不足・不充分』原因総括のみにとどめることは、選挙総括のやり方として正しくない。

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〔関連ファイル〕

  (1)、『スパイ査問事件と袴田除名事件  袴田政治的殺人事件の推理劇的考察』

  (2)、『スパイ査問事件の個人的体験』(宮地個人通信第十号)

  (3)、『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』(添付)森村氏手紙、下里正樹氏手紙

  (4)、袴田自己批判・批判の共産党側資料、「3論文」と「党史」

  (5)、立花隆『日本共産党の研究』関係  「『年表』一部」、「加藤哲郎『書評』他」

  (6)、浩二 『袴田里美予審尋問調書、公判調書全文

  (7)、れんだいこ 宮本顕治論・スパイ査問事件