白鳥事件の弁護人岡林辰雄弁護士をめぐって
−大石進氏の『講演記録』から―
高橋彦博
〔目次〕
1、宮地コメント
2、高橋彦博コメント
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
(白鳥事件ファイル)
宮地幸子『白鳥事件とわたし』
河野民雄『歴史の再審のために真実の解明を』−「白鳥事件」60周年を迎えて札幌集会−
今西一・河野民雄『白鳥事件と北大−高安知彦氏に聞く』小樽商科大学PDF
渡部富哉『白鳥事件は冤罪でなかった(1)−新資料・新証言による真実』 (2) (3)
wikipedia『白鳥事件』
Maro『10月27日、白鳥事件を考える集い』新聞記事ダブルクリック→拡大
高橋彦博『白鳥事件の消去と再生』『白鳥事件』(新風文庫)刊行の機会に
中野徹三『現代史への一証言』白鳥事件、(添付)川口孝夫「流されて蜀の国へ」
川口孝夫著(添付資料)『流されて蜀の国へ』の「終章・私と白鳥事件」抜粋
(高橋彦博論文の掲載ファイル5編リンク)
『逸見重雄教授と「沈黙」』(宮地添付文)逸見教授政治的殺人事件の同時発生
『左翼知識人とマルクス主義』左翼無答責・民衆無答責という結果責任認識
『論争無用の「科学的社会主義」』高橋除籍問題
1、宮地コメント
これは、高橋彦博法政大学名誉教授から、私に送られた上記題名「メモ7」の全文である。『盛況であった札幌の「白鳥事件を考える集い」2012年11月1日、高橋彦博メモ』の内容として、上記題名があった。このHPに転載することについては、高橋氏の了解をいただいてある。他に高橋論文5編をHPに転載してある。「白鳥事件」については、まだ謎が多い。それを解明する研究が最近かなり発掘・公表されてきた。
Maro『10月27日、白鳥事件を考える集い』末尾の「管理者へのメール」
末尾の「管理者へのメール」で、「集い」資料セット送付依頼をすれば、大石進さんの講演全文などを入手できる。
2、高橋彦博コメント
先日来、『大原社研雑誌』の特集号に発表する「早稲田1950年における大衆的学生大運動の記録」(富田・高橋)に関して「補記」を試み、「メモ書」として皆様に届けてきました。この発言シ
リーズにおける一点として以下の【メモ7】にお目通しいただければ幸いです。
「メモ1」、早稲田の学生運動における「社民」的要素−「第二次早大事件60周年を記念する会」における発言
「メモ2」、イールズ闘争とレッドパージ反対闘争の分断
「メモ3」、北大の「白鳥事件」と早稲田の「5・30事件」
「メモ4」、労働農民党の書記であった杉本文雄さん
「メモ5」、「社・共」両党の提携を津金氏と岩垂氏が協議
「メモ6」、自治会周辺における「自死者」の記憶
【メモ7】 白鳥事件の弁護人岡林辰雄弁護士をめぐって−大石進氏の『講演記録』から一
大原社研機関誌における特集「1950年前後の学生運動」の編集が契機となって、去る4月に東京で「白鳥事件60周年を記念する会」が開かれました。この東京の「記念する会」に続く形で、10月27日、札幌で「白鳥事件を考える集い」が開催されたとのことです。
降雪が予想され、すでに初冬の気配が充分の札幌で、小樽商大札幌サテライト教室講義室に設定された60人規模の会場には100人を超える出席者があり、椅子の調達や資料の増刷でテンヤワンヤであったと伝えられています。札幌における「集い」の充実ぶりは、当日の「配布資料」数点から充分に想像できるものとなっていました。それらの「資料」を一読、あらためて、手島繁一氏その他関係者のご尽力に思いをいたした次第です。
小樽商科大学の今西一郎氏ほか3氏による講演と質疑がなされた札幌における「10/27白鳥事件を考える集い」には、事件の関係者である元北大生・高安知彦氏が出席し、「白鳥事件を顧みて」と題して語ったとのことでした。事件の直接の関係者である高安氏の発言は「公の場では始めて」であり、「会場およびマスコミ関係者の注目を引いた」とされています。『道新』(10/28、朝刊)、『朝日』(10/29、朝刊)、いずれも「北海道版」の記事参照が求められています。
なお、手島氏から送付された会場配布資料である『白鳥事件資料抄録(1)』には、日本共産党札幌委員会の名による1952年1月22日付「見よ天誅遂に降る!」「(同)…遂に下る」のほか、裁判資料の一点としてですが「対警宣言」全文が掲載されていて参考になりました。白鳥事件の直前に発生した函館本線における貨物列車妨害事件、いわゆる「赤ランプ振り」事件の目的は「朝鮮戦争のための石炭輸送阻止」にあったとする警察情報も報道記事として明らかにされていました。
白鳥事件の実態については、今後も、さらに明らかにされていくことになるのではないでしょうか。北海道戦後史研究会代表である今西一郎が今回の「集い」で発表した一文、「白鳥事件と今後の研究課題」があり、それによれば、白鳥事件研究者の一人である渡部富哉氏によって『白鳥事件裁判資料・重要証言摘録』と『追平供述調書』が刊行されただけでなく、さらに裁判記録の刊行計画があるとのことです。加えて、複数の研究書や回想記の刊行が伝えられているともありました。白鳥事件の解明は今後とも深められていく過程にあるのでした。
* * * * *
今回、手島氏のご厚意で、「10.27、札幌の集い」当日の講演記録である大石進「戦後政治裁判のなかの白鳥事件一個人的経験を中心として−」(A4版11ページ)を一読できました。大石氏については、元・『法律時報』編集長、現・「三鷹事件再審請求」代表世話人と紹介されています。その大石氏による次のような発言が注目されました。
○大石氏の従兄に布施鉄治氏がおられ、布施氏は北大の教官でした。その布施氏は、1955年頃、大石氏に、「学友であり親友であった其」は「白鳥事件にかかわったとされ」て行方不明であるが「おそらくは中国へ脱出した」のであろうと思われる。白鳥事件を「冤罪と思っている人は北大にはいない」、と語っていたとのことです。また、布施氏は、「白鳥事件を三鷹事件や松川事件と同列に論ずるわけにはいかない。これが現地北海道の常識だ」とも語っていたとのことです(p.3)。
○大石氏は、自由法曹団の弁護士として著名な岡林辰雄弁護士とは「親類同然の感情」を抱き続ける関係にありました。大石氏によれば、岡林辰雄弁護士は、白鳥事件について次のような見解を明らかにしていました。「村上の無罪は主張できるかもしれないが、彼の部下の誰かが白鳥を射殺したという事実は消えない。村上には組織の責任者として重い政治的責任がある」(p.4)。『朝日人物事典』によれば、岡林辰雄氏は白鳥事件の担当弁護士であり、日本共産党中央委員会の顧問でありました。
○大石氏は、廣津和郎の白鳥事件への対応について次のようなエピソ一ドを紹介しています。「岡林辰雄弁護士が廣津和郎に向かって、松川事件終了後は白鳥事件に取り組むよう要請し、廣津がそれを峻拒するという一幕があった。」それは、廣津における「白鳥だけにはかかわらないという意志表示だった」。その後、廣津は、青梅事件の救援に立ち八海事件を支援しているのでした。(p.3)
○自由法曹団の活動を良く知る大石氏でしたが、その大石氏は、「組織のために弁護活動を続けた弁護士」と見える人たちの中にも、「党への忠誠」を超えた良識の人がいたことを指摘しています。さらに、「被告人のためではなく、組織のために弁護活動を続けた弁護士たちの不幸」を洞察する理解ある言葉を述べています。それら弁護士にとって「党への忠誠は弁護士倫理などよりはるかに優先順位の高いモラルであった。本当に村上国冶氏の冤罪を信じていた弁護人も皆無ではないだろうが、多くの弁護人はそれほど愚かではない」と述べています。大石氏によれば、「彼らの偽りの弁論」は「彼ら自身を傷つけ」ていたのでした(p.11)。
* * * * *
なお、大石氏個人が「戦後政治裁判のなかの白鳥事件」について発言する立場は次のようなものであるとされています。
「白鳥警部の殺害に、日本共産党中核自衛隊がかかわっていた、というのが確定判決の立場である。それに対して、日本共産党とは無関係な事件を、権力が日本共産党を貶めるために利用した策略だとする見方が、長らく存在した。」(p.1)
「現在のこの国において、私が枇判めいたことを述べてきた組織には、もっと頑張ってもらわなければならないと思っている。ヒューマニズムを標榜するこの組織が、白鳥事件がもたらした無数の不幸について黙したままで素通りすることは、許されるべきではない。」(p.11)
以上
【メモ7一追記】
発送が遅れた【メモ7】を【補記】を含め、お届けします。「またまた白鳥事件か」と思われるかもしれませんが、ご紹介する大石進氏の「講演記録」は、いま、ようやく明らかにされた白鳥事件の弁護人の発言記録として重視されて然るべきではないかと思われます。「白鳥事件」の救援活動のその後について「追記」させていただきました。(2012/11/24 高橋)
白鳥事件救援活動のその後
1955年8月、白鳥事件の共同正犯として起訴された日本共産党札幌市委員会の村上国冶委員長は無罪を主張、「無罪の国治を返せ」とする活発な救援活動が展開されたと記録されています。その救援活動に参加を求められた廣津和郎が、白鳥事件の救援活動への参加には峻拒する姿勢を示していたという大石発言には重い意味が込められていたように思えます。
10月27日の札幌における「白鳥事件を考える集い」については当日の司会者であった手島繁一氏からメール便でお知らせいただいたのでしたが、そこには、次のような会場風景の紹介がありました。
「圧巻は大石進さんのお話でした。目玉であった高安講演がおわった直後の登壇だったので、当初は会場全体がやや弛緩状態に支配され雑談なども多かったのですが、大石さんの話
が進むにつれて、会場が緊張に包まれていくのが、司会者のわたしにもはっきりと見て取れました。お一人、集会の初めからブツブツ抗議らしき言葉を発していた方がいらっしゃったのですが、(後で、その方は白鳥事件対策協議会の創設メンバーの一員だとわかりました)、その方も含めて会場がシーンと静まり、最後は皆、息をのんで大石さんの話に聞き入っていました。大石さんが講演を終えて降壇された時、期せずして大きな柏手が沸き起りました。」(2012/10/30、手島一高橋)
以上 健一MENUに戻る
〔関連ファイル〕
(白鳥事件ファイル)
宮地幸子『白鳥事件とわたし』
河野民雄『歴史の再審のために真実の解明を』−「白鳥事件」60周年を迎えて札幌集会−
今西一・河野民雄『白鳥事件と北大−高安知彦氏に聞く』小樽商科大学PDF
渡部富哉『白鳥事件は冤罪でなかった(1)−新資料・新証言による真実』 (2) (3)
wikipedia『白鳥事件』
Maro『10月27日、白鳥事件を考える集い』新聞記事ダブルクリック→拡大
高橋彦博『白鳥事件の消去と再生』『白鳥事件』(新風文庫)刊行の機会に
中野徹三『現代史への一証言』白鳥事件、(添付)川口孝夫「流されて蜀の国へ」
川口孝夫著(添付資料)『流されて蜀の国へ』の「終章・私と白鳥事件」抜粋
(高橋彦博論文の掲載ファイル5編リンク)
『逸見重雄教授と「沈黙」』(宮地添付文)逸見教授政治的殺人事件の同時発生
『左翼知識人とマルクス主義』左翼無答責・民衆無答責という結果責任認識
『論争無用の「科学的社会主義」』高橋除籍問題