書名:梅棹忠夫語る
著者:小山 修三(聞き手)
発行所:日本経済新聞社
発行年月日:2010/11/5
ページ:222頁
定価:850円+ 税
昨年90歳で永眠されて梅棹忠夫と小山修三の対談集です。梅棹忠夫を知ったのはもう40年ほど前、「文明の生態史観」「情報産業論」「知的生産の技術」との出会いだった。KJ法の川喜田二郎、棲み分け理論の今西錦司、第一次南極越冬隊隊長の西堀栄三郎(石橋を叩いていたら、決断ができない、まずはじめること)桑原武夫など。実践派の学者さんたちの行動力に驚愕しながらいろいろな著書を読んだ頃です。
「足で学問をする」というのは当時のアカデミックな大学では異端者集団。京大の古き良き時代のことかも。その後梅棹忠夫の著作(膨大な著作がある)を読んでいたが、梅棹忠夫の教えによると、引用などしてさも自分の考えだと言ってはいけない。進歩的文化人の代表?丸山真男なんか「マルクスの二番煎じ」と切り捨てている。でも丸山真男とは非常に親しい尊敬し会うなかだとか。和辻哲郎の「風土」は有名ですが、梅棹に掛かると科学的眼で少しも見ていない。切り口が足りない。スケッチ力がない。芥川龍之介の上高地カッパ橋の紀行文も何も見ていないと。見るというのはなかなか奥行きが深い。
「宮本武蔵になるな」・・「剣の道は人殺しの技、そんなことに熱中して、他を顧みないというのは、人間としていささか淋しいのはないか」
世界の四大文明というけれど、何故そこに縄文をいれないのか?三内丸山遺跡は四大文明にまけていないよ。
京都の西陣に生まれて、府立一中、三高、京大とエリートコースを順調に歩んだように見えるけれど、三高では落第(山登りばかりに熱中して)、放校。ある引き(桑原武夫の)があって復帰、京大へ、戦後は肺結核で明日への命も危ういところ。66歳である日突然目が見えなくなってしまった。と波乱万丈の人生。この人生を追うだけでもドラマチックな人生。こんな人はこれから出現しないのでと思われる魅力的な梅棹忠夫です。
人生に目的なんかあるわけがない。
目的があると信じて遮二無二がんばるのはバカげている。
いまの閉塞感漂う若い人たちに是非知って欲しいメッセージではないかと思います。
たった200ページ程度の本ですが、梅棹忠夫のエッセンスがこの一書に詰め込まれている。
本書より(下記は目次です。目次で全てがわかる)
---------------------------
☆君、それを自分で確かめたか?
自分で見たもの以外は信用出来ない
私は全部、自分の足で歩いている
「文明の生態史観」も足で発想した
歴史を知らずにものを語るな
現象のあるところに真実がある
ITは信用しない。自分がやっていないから
☆文章は誰が読んでもわかるように書く
みんなむつかしい文章を書くなよ。単文の連続で書かんと
一番いかんのは、美的にかざること。それで、何かいいものができたみたいに思う
私の文章は一種の設計図みたいなもの。
文学とか文章道とか言ったことは関係のない話
日本語でも科学論文は書ける
☆メモ/スケッチと写真を使い分ける
メモは自分があとで見てもわかるように書かなあかん
写真では細部の構造がわからない。目で確かめて図に描く
わたしのはやっぱり科学者の絵。
-スケッチして、それにどんどん注釈をいれていく
絵でわかるように示す
-理解するにも説明するにも図示は非常に大事
写真の秘訣は一歩踏み込め
役に立つものはどんどん使え
急ぐときはおおまかな印象をつかむのは写真。細部を見るのはスケッチ
☆情報は分類せずに配列せよ
写真は撮ってきた順番に並べる、記録だから分類はしない
自分の記憶ノートと同じ
日本の図書館は形式主義で、ハードカバーしか本と認めなかった。
おどろくべき話、わたしが始めるまで自分の書いたものを残すべしという習慣がなかった
分類するな、配列せよ。そして検索が大事
知的生産というのは、情報の技術なんやな。一連のものや
「情報産業論」は情報論ではない
植物採集で世界の見取り図が形成された
情報といのは、つくるもんやと思っとらへん。勝手にあるもんやと思ってる
☆空想こそ学問の原点
空想はわたしの生涯の大きな特徴。想像力というかイマジネーションや
梅棹の言うことは単なる思いつきにすぎないと言われる。
わたしに言わせたら、思いつきこそ独創や
思いつきとはひらめきや。本から引いている知識は他人のまねということやないか
☆学問とは最高の道楽である
学問は経営である。「研究経営論」や
学問は、学ぶ、なねぶやで、まねして、まねして
やっぱり基本的にわたしの人生を決定しているのは、遊びや。プレイや
学問から思想は出てこない。思想から学問はあるな
あらゆる理論は自己合理性や
☆知識人のマナー
なぜ自分のオリジナルの観察を大事にしないか
学問といえば、ひとが書いたものを読むことだと思っている
自分の経験を客観的に記述するという習慣がなかった
若い人こそ本質論をやれ
わたしには「べき」がない。梅棹忠夫は「梅阿弥」や
根底にはインテリ道に対する反発がある。
博士号は運転免許だ
(「博士号は足の裏についたご飯粒や」取らな気持ちが悪いし、取っても食えん)
やんちゃがないのやね、みな、こぢんまりと、できあがってしまってる
テレビに出演したら、花形になったような気になる
一緒にテレビに出演した子どもが非常に悪くなっていく
テレビは思想の媒体ではない
☆できない人間ほど権威をかざす
日本における悪しき伝統としてインテリ道というのがある
インテリというのはまさに武士道
サムライの後継者や、それで町民をバカにしとる
権威でのぞんでくるのが一番嫌いや
考古学者は文明を全然わかっとらん
日本史の学者はおおまかな筋が見えてへん
包囲殲滅戦やったらいかん、必ず逃げ場をつくっておけ
日本の先生は権威主義、権威を守ろうとして居直ることがある
わたしらの学生時代、教授はどんなにいばってたか
☆生きることは挫折の連続である
困難は克服されるためにある。
わたしは腕力でいろんなものを乗り越えてきた
わたしには人間としての自信がある
決断ということはひじょうに大事や。決断して実行する
人生に目的なんかあるわけがない。
目的があると信じて遮二無二がんばるのはバカげている
わたしは明るいペシミストや
☆つねに未知なるものにあこがれてきた
フォロワーシップを経験して、はじめて良いリーダーになれる
請われれば一差し舞える人物になれ