書名:茶道太閤記
著者:海音寺 潮五郎
発行所:文藝春秋
発行年月日:2012/8/10
ページ:347頁
定価:629円+税
この作品は昭和15年に東京日日新聞(毎日新聞)に連載小説として書かれた作品の新装版です。千利休といえば知らない人がいるくらいに有名になっていますが、この作品以前は一介の茶坊主としてしか評価されていなかった千利休。この作品で海音寺潮五郎が千利休に「今の太閤、大名と言っても100年もすれば滅びてしまう、でも拙者は芸道に生きる者、いつの世までも名の残る者でござる」と言わせている。権勢並びない太閤秀吉に対しても高い誇りを持ち続けた男。この利休と秀吉の確執は大徳寺山門の立像設置、安物の茶碗や茶器に法外な値をつけて私利を得ていた、明への出兵批判、利休の娘お吟をめぐる争闘、佐々成政処分に関する利休の批判に対する不興などが言われていますが、天下人秀吉を相手に一歩も引かなかった誇り高き千利休の心理的な面に踏み込んで描かれている。
この本が書かれた当時太平洋戦争前の軍部の力が強かった時代。軍部から横やりが入り、作者がもっとも描きたかった部分、千利休が秀吉に明征伐を止めさせる忠告を詳細に理由を述べて描こうとしたところ、連載は中止されてしまう。また識者、作家からも一介の茶坊主を人気者秀吉と同等に扱うとはとんでもない。という批判が多く新聞社に寄せられたとのこと。この時代背景を考慮して読むと作家海音寺潮五郎の反骨精神がよく分かる。天正期の大坂城を舞台に、秀吉と利休の確執を初めとして、淀殿と北政所、秀吉の側室たち、利休の娘のお吟、石田三成や小西行長ら武将たちの繰り広げる苛烈な人間模様を描いている。
野上弥生子「秀吉と利休」今東光「お吟さま」井上靖「本覺坊遺文」などに見られるその後の千利休像に海音寺潮五郎の視点が色濃く影響していえるといえる。それまでは千利休は殆ど評価されていなかった。とのこと。