書名:私説杉山神社考 都筑の歴史を語る
著者:飯田 俊郎
発行所:不二出版企画
発行年月日:2009/8/12
ページ:243頁
定価:880円税込み
港北ニュータウンの開発によって、この地域の遺跡の全貌が見えてきた。そんな考古学的資料も駆使して、「杉山神社考」戸倉英太郎著を見直し、著者独自の視点で杉山神社の歴史を鳥瞰した本です。鶴見川流域、特に早渕川流域に点々と残る杉山神社の謎に迫っています。杉山神社の神は誰か?式内社は何処か?日本武尊は何故相模原から旧都筑郡を通らず、走水(横須賀)から上総の国渡ったのか?杉山神社を祀った一族の支配する地域が旧都筑にあった。今の東海道側(加瀨古墳・川崎市)などは屯倉が置かれ大和の支配が進んでいた。ところが旧都筑地区は屯倉が置かれていない地域で別の勢力があった。
その勢力を考えるとき、縄文晩期の華蔵台(けしょうだい)遺跡(荏田南)、古墳時代の矢崎山遺跡(荏田東)などの存在が見えてくる。また茅ヶ崎杉山神社の忌部氏の系図の存在などが参考になると。
阿波の忌部氏が紀州から麻を求めて上総に海からやって来た。その後船で鶴見川流域にやって来た。その地が早渕川流域だったのではないか?そして麻をもとめて麻生(川崎市)まで一族の勢力圏になったのではと。
著者は式内社を茅ヶ崎杉山神社と比定しています。それも考古学的資料なども駆使して、茅ヶ崎杉山神社の忌部氏の系図はその時代のことを語っている。茅ヶ崎杉山神社は忌部氏の系図とともに天武天皇白鳳3年に安房神社神主の忌部勝麿呂が御神託によって、武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命・天日鷲命の孫・忌部氏の祖)の三柱を祀ったとあり、その後忌部氏が衰微して杉山神社も荒れてしまった。
その後鎌倉時代後期佐江戸の猿渡氏がいずれかの杉山神社から勧請して佐江戸杉山神社を創建した。その後西八朔杉山神社なども江戸時代朱印状を幕府から給わっているが、その時代の領主の実力を繁栄している。大棚杉山神社も江戸時代にここが本詞という石碑を建てている。そして神は誰かということになると時代と共に神が変わってきた。それはそこの支配者の力により五十猛命、日本武尊などになってきた。明治の廃仏毀釈で社殿の位置も神も判らなくなってしまったところが多くなってしまった。そして明治40年頃の神社の合祀によって今の神社に再現された事により過去の記憶が失われてしまった。
「杉山神社考」戸倉英太郎著にも匹敵する書で、杉山神社、都筑の歴史を考える上では非常に貴重な一冊です。