楽天旅日記
http://princeyokoham.sakura.ne.jp/smf/index.php?topic=37063.0
書名:楽天旅日記
著者:山本 周五郎
発行所:新潮社
頁数:297ページ
発売日:
定価:128円 Kindle版
最近は電子本に大分慣れてきて、便利に使っている。タブレットにKindleをインストールしているが、文字の読み、意味などは文字を選択(青くする)すると、辞書が出てくる。直ぐに読み方、意味などが判る。検索窓に入れる必要もない。また読書時間予想が出てきて、後何時間位で読み終わるかというのも判る。ちょっと気になる文章などはコピーしてエディタに貼り付けることが出来る。また画面を引き延ばすと文字が大きくなるし、画面も明るいので読みやすい。めがね無しで読める。大活字版のような感じで読める。電子本のメリットも多い。またタブレットの中の音楽を聞きながら読んでいる。なかなか良い。電子本は頭に入らないという論文があると、或る人が声高に書いていたけれど、自分で使った事があるのかな?紙もタブレットも慣れの問題だと思う。
昔、パソコンで文章を考えるときは紙に書いて、推敲してそして清書にパソコンを使うということをやっていたが、慣れれば、パソコンで入力しながら文章も考えることが出来るようになった。それは慣れだけの問題でしょうね。多分これからは紙の本を読むだけじゃ無くて電子本が占める割合は増えてくると思う。大体100ページ読めば、作家の文章の特徴とか、リズムなどがなじむ、そうなるとどんどん頭に入ってくる。それは紙の本も電子本でも同じ、そんな気がします。一杯の本棚に整理を考えながら本を買わなくても良い。タブレットに多分1万冊以上入れておけるのでしょうね。(容量はどんどん増大しているけれど、作家の書ける量は知れてるよね)
大吉田藩七十万石の正嫡順二郎は、四歳の時、側室一派の陰謀によって廃嫡され、国許で幽閉同然の生活を送る。ところが、二十四歳になった時、世継ぎとされていた側室の子が突然死亡し、順二郎は隠密裡に江戸表へ迎えられる事になるが……。お家騒動の渦中に投げ込まれた世間知らずの若殿の眼を通して、現実政治に振り回される人間たちの愚かさとはかなさを諷刺した長編小説。
順二郎のような人の生涯はいろいろあると思うけれど、臣下、お付きがつきっきりで小便、大便の後始末、着物の着付け、箸の上げ下ろしまで何から何まで、いちいちお付きのものが行う。そんな育て方をされた順二郎は何も出来ない。若殿になっても白痴の幼児と同じ、自分では何も出来ない。人から指示されたことだけを行う人間になってしまった。昔から徳川家の将軍の誰々はおつむが悪い。悪将軍などと馬鹿にされていたりするが、子は育て方でいかようにもなる。そんな順二郎が若殿になってから目覚めて、自分の行くべき道を探っていくそんなストーリーの作品です。
まったく自覚も危機感もないのだから、いろいろな騒動に巻き込まれていく、そんなときでもそれなりに対応していく。でも読者からみるとヒヤヒヤものです。暗に幕府、政府のやり方に痛烈な皮肉を込めた風刺を盛り込みながら話は進む。ここに山本周五郎のらしさが出てくる。斜めに読むとなかなか面白い。
本書より
--------------------------
「年寄りは昔のほうがよかったと云う、おらが若いじぶんにも年寄りはそう云ったっけだ、そのじぶんおらたちはせせら笑った、世の中は進んでゆくが、年寄りはそれについてゆけねえだ、それで昔がいいと思うだってよ、……だがおらいま自分が年寄りになってみて、年寄りの云ったことがわかるだ、……世の中は進んでゆくし人間は利巧になってゆくだ、
それにまちげえはねえ、五十年まえと今とじゃたまげるくれえなにもかにも便利になっただ、これからもそのとおり人間はきりもなく利巧になってゆくだろうし、世の中の事も際限なしに進むこんだんべさ、……けれどもその反対に、なんもかもだんだんとせちがらくなる、だんだんと、……なにもかもよ」
「狡猾な人間は、そう云っていられるだろう、人をおとしいれ、人を騙し、人から掠め奪う知恵のある者は、それを面白いと云うことができる、……だがそれは
間違いだ、それは悪いことだ、力のある者、知恵のある者は、無力で愚直な者を助けなければならない筈だ」
「冗談じゃない、そんなことをしていたら、人間はなんにも出来やしませんよ、世の中は一日も休んでやしない、一刻も停らず進んでいるんです、力のある者、知恵のある者は、それを最大限にはたらかして、絶えず人を凌ぐ仕事をしてゆくのが本当です、そのために無力な者や愚直な者たちが利用され、掠められ、奪われるのは自然です。草木虫魚鳥獣、生きとし生けるものがそうでしょう、強くて賢い者が勝ち、弱くて愚かな者が負ける、これが天地自然の大原則ですよ」 「おまえが、人間と鳥獣を同列にして考えるなら、云うことはない」 「唯ひとつ、人間には進歩というものがあります」
人間の歴史は徒労の歴史だ、生れて来て、なにかをして、死んでゆく、……なにかこのことに意味があるか、……ありそうだ、なければならない、われわれは感ずることができるし思考することができる、象のないもの現実には見えないものの存在をも識ることができる、……天地自然を支配するおごそかな意志があって、それが人間に植物や動物には無い大きな能力を与えているようだ、……なんのためだろう、おごそかなその至高の意志は、なんのために人間にそういう能力を与えたのか、……幾千年も昔から、われわれは絶えずその意味を知ろうと努めて来た、至高の意志は人間になにを求めているか、人間はなにを為すべきなのか、……いろいろな方法でそれを知ろうとし、そのためにあらゆる努力をして来た、それがわかれば、人間が生きることの意義もわかる、
わかる、わかりたい、わからなければならぬ筈だ、われわれには眼に見えないものの存在をも感ずることができるのだから、……こうして努力に努力を積み重ねて来た、苦しみ、悩み、多くの血も流して来た、だがわからない、なにもわからない」
「――はっきりわかることは、曾て在ったもの、現に在るもの、すべてがいつかは消滅してしまうということだ、なにもかも、いつかは灰になり塵になってしまう。
――悲惨なほどの苦しみ悩みから生み出したもの、肝脳を砕いて創りあげたもの、多くの労力と血を流して築き建てたもの、……なに一つとして永久に遺ることはない、あらゆるものがいつかは亡びてしまう、必ず亡びてしまうのだ、しかもなお人間は苦しみ、悩み、争奪し、血を流し、殺しあっている、これからも、いつまでも、徒労とわかっていることのために、同じ悲惨を繰り返してゆくだろう、……人間そのものが滅亡してしまうまでは、いつまでも……」
政府というものは、いつの世でも似たりよったりで、事が租税とか禁令に関するとき以外は、決してじたばたしたり、まじめに対策を講じたりはしない。そこが政府の政府たる所以である。