親父と行く韓国南海岸の旅(4/6) 【韓国南海岸旅行記】1996年5月 1日(水) 木浦編 第4話
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01木浦での1日が始まる朝目覚めて、窓から外を眺めてみる。天気はいいとはいえないが、雨は大丈夫だろう。このトリムヨグアンは、僕たち親子が泊まっている部屋の反対側にベランダがあって、そこからモッポ(木浦)のランドマークであるユダルサン(儒達山)がよく見える。ユダルサン(儒達山)は霧にかすんでいた。もしかしたらよく見えないかも知れないけど、登らないわけにはいかない。 とりあえず朝飯が食いたいということになって、店を探すことにする。親父の要望で、「辛くないもの」になった。ソルロンタンかプンシク(粉食:うどんなど)にしよう。店は程なく見つかり、ソルロンタンを腹におさめた。僕は朝食にこのソルロンタンを食べるのがとても好きだ。元々朝食用なのかどうか分からないけど、辛くないし、お粥感覚で食べられるのがうれしい。食べたことがある人は分かると思うけど、出てくるときは基本的に味が付いていない。お好みにあわせて塩や唐辛子やネギなどを入れるのだ。日本人の場合は塩をちょっと入れるぐらいがちょうどいいだろう。しかし、以前読んだ本(ディープコリアなど)によれば、油断すると店の人に必要以上に入れられてしまうこともあるらしい。親切心からくる過剰サービスだ。しかし残念ながら僕はそういう場面にはまだあっていない。でも韓国人は一般的に日本人より「はっきりした」味を好むようである。甘いものは甘いし、塩辛いものは塩辛いのだ。これについてはいろいろエピソードがあるけど、余談ばかりになるので今回は見送ることにする。 |
旅館から見たユダルサン(儒達山) 儒達山(ユダルサン유달산)とは? |
02ユダルサン(儒達山)の登山口 ユダルサン(儒達山)への登り口はいくつかあるらしい。親父は子供の頃(小学生低学年)、それこそ数え切れないほど登ったことがあるので、道が変わっていなければ地図なしでも全く問題ないようだ。また山の登り道が変わっているとは考えにくい。親父の案内で山に向かって歩いていく。 入口で入場料を払う。700ウォンだった。イスンシンの像をバックに写真を撮り、山を登っていくことにする。因みにこの入場券の半券の裏にはユダルサン(儒達山)公園の地図が書いてある。しかし残念なことに山を下りてから気が付いたのだった。公園内には「木浦の涙歌碑」があったようなのだが、結局確認できなかった。 山を登っていくに連れ、モッポ(木浦)市内が目の前に広がって、俯瞰できるようになってきた。所々に展望台があって市内を一望できる。展望台では小学生の団体が、写生しに来ていた。課外授業か何かなのだろう。下の方の展望台はすでに小学生に占領されていた。とにかく頂上を目指して登っていくことにする。 登っていく途中で売店に「絵はがき」を売っているのを発見。おお、貴重だ! タイトルは「観光 木浦」だった。なんとモッポ(木浦)の絵はがきがあったのだ。しかし一種類しかなくて、変色しているものもある。売れていないんだろう。 「日本の方ですか?」 登っていく途中で、初老の韓国人男性に声をかけられた。日本語だ。40歳代と思われる女性を連れている。話を聞いてみるとクァンジュ(光州)から観光に来られているとのことだ。何かの会社の社長をしているらしい。やはり日帝時代(日本の植民地時代)に学校で習ったので今でも日本語が分かるらしい。 「長い間使っていなかったですから、忘れましたねぇ」 などとおっしゃるが、なかなか流暢だ。しかし韓国語が時々混ざるのがご愛敬だ。しかしこの程度の混ざり方なら問題ない。モッポ(木浦)の歴史などをいろいろ聞くことが出来た。お礼に2人でいるところを写真にとってあげた。 しかし、彼らと別れた後で「あの2人ちょっと変やったね」と親父が言い出した。 「一緒に写真を撮ったのは、実はまずかったのではないか?」 奥さんにバレないことを祈らずにはいられないのだ。
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ユダルサンの登山口へ上がってくる道 イ・スンシン将軍像 |
03ユダルサン(儒達山)の山頂へさて、このユダルサン(儒達山)だが、山の高さははっきり言ってたいしたことはない。小1時間もあれば登ってしまう、丘といってもいいくらいの山である。関西で言えば甲山(かぶとやま)レベルの山で、二上山や葛城山や金剛山や六甲山レベルではない。小学生が写生のために登ることからも、その雰囲気をつかむことが出来ると思う。 山頂に向かってずんずん登っていく。しかし親父は昨日登ったこともあって、結構ばててきたようだ。途中からは休憩しながらゆっくり登ることにした。しかしそれにしても景色がいい。本当にモッポ(木浦)市内が手に取るように分かる。僕は元々高いところが好きなピークハンターなのだが、ここの景色は格別だ。やはり海が見えるのがいい。途中で親父の家のあったあたりとか、通っていた学校とかそういうものの説明を受ける。しかし親父自体もあまりの変わりように、「多分あの辺だったと思うけどなぁ」といった感じなのだ。親父は駅の北側や奥の方を指さして、「昔はあの辺には何もなくて、うちの家のあったあたりと、駅周辺しか家がなかったんだけど」とも言っていた。実はそれもそのはずで、つい先日、相模原在住の土門郁子さんのご協力で「昭和10年頃の木浦市街図」というのを手に入れたんだけど、それと今の地図とを比較してみたら、駅の奥の方一帯は、すべて埋め立て地であることが分かったのだ。その「昭和10年頃の木浦市街図」では「海」になっている。どうりで分からないわけだ。家があったとか無かったとか以前に、土地の形自体が大きく変わっていたのだ。以前は海(湾?)が広がっていて島があった。しかし今は湾ごと埋め立ててしまったので、昔の島が平地の中の小山のようになっていたのだ。方向感覚が狂うのも無理はない。50年という歳月の重みを感じてしまう。(写真のかなりの部分が埋め立て地なのだ。) ゆっくり上がっていくと、程なくして山頂に着いた。360度のパノラマが広がる。方やモッポ(木浦)市街、方や海である。この山はモッポ(木浦)市街の西の端にあって、海に面しているのだ。親父の話だと、ユダルサン(儒達山)の裏、つまり今眼下に見えている海のどこかに海水浴場があるらしい。子供の頃、ユダルサン(儒達山)の低くなっているところに峠道があって、そこを越えてよく泳ぎに行ったとのことだ。よく見てみると一筋の道が見つかった。多分あれなんだろう。それを見て親父は「昔はもっと凄い峠に思えたんだがなぁ」と笑っていた。今見ると、たいした坂には見えなかった。そしてその道沿いに朝鮮人集落があったとのことだ。いい場所は日本人が占領していたのだろう。しかし今見てもそれと分かる痕跡はなかった。 さて山の尾根をよく見てみると、今いる山頂の北側にもピークがいくつかあって、人影が見えた。どうも尾根沿いに縦走できるらしい。多少アップダウンがあるようだが、せっかく来たのだから端まで行ってみることにした。 しばらく歩いて次のピークに着く。さっきの山頂より心持ち高いような気がする。親父はビデオを取り出して撮影にいそしんでいた。 そこから下って行くと東屋のようなものがあって、食べ物やフィルムなどを売っていた。そこからさらに尾根沿いに登って行けそうだったのだが、親父がかなり疲れた顔をしていたので、山を下ることにする。下りる途中、なぜだか分からないが小さい動物園があった。しかもさらに輪をかけて分からないことに「ニホンザル」が飼われていた。それにしてもなぜ「ニホンザル」? ぱっと見た感じ、大きめの檻に3匹しかいなくて(うち1匹は子供)、とても寂しい感じだった。どうせニホンザルを飼うのなら、「群れ」で飼って欲しいと思った。なんとかして欲しい。このニホンザルの他にはクジャクなどの鳥関係ぐらいだった。 さらに山を下りると駐車場が見えてきた。大型のバスが十数台停まっている。そしてその横では、おばちゃん、おじさん達が車座になってわいわい宴会をやっていた。う~ん、実に韓国的。どうやら山登りはここで終了のようだ。
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登山しながらふと振り返ると木浦港が見える 落ちないのだろうか? 日本の植民地時代に山の斜面に彫られた仏像 |
04「トンドンチュ」と「パジョン」に舌鼓おばちゃんやおじさんたちが大宴会を開いている駐車場の、道路を挟んだ向かい側には食堂がたくさん並んでいた。店はどれも同じような造りで、山の斜面に張り出すように建てられており、山の風景を楽しめるようになっている。展望食堂になっているのだ。ちょうどお昼時でもあるし、何か食って行ってもいいなと思う。特に僕の目を引いたのが、店のガラス戸に大きく書かれた「トンドンチュ」(どぶろくの一種)と「パジョン」(お好み焼きのようなネギ焼き)のハングル文字だ。 道路を渡り、店の方に近づいていくとおばちゃん達の強烈な勧誘合戦が始まった。それをいなしながら、その中の一つに入る。客はほとんど誰もいなかった。平日のこんな時間に来る人は少ないのだろう。 それからこの店から眺めるモッポ(木浦)市街は、山頂からの眺めに比べれば見劣りするものの、トンドンチュがあるからか、とてもよく思えた。ぼけーっと眺めるには最適だ。
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05下界へ・・・さて気分も良くなったことだし、さらに下って市街地まで出ることにする。自動車の走る道は山道のせいか、くねくねしているので、人しか通れない細い裏路地を真っ直ぐ下りていく。人の家の軒先を歩いて下りる感じだ。実に韓国っぽいたたずまいだ。それでいて香港の調景嶺にも何か共通するものを感じるアジアな雰囲気。 路地を下っていくと、市場にぶつかった。市場の中をしばらく歩いていたのだけど、道が斜めになっていたりしてやたらと入り組んでいることもあって、歩き回っている内に自分のいる位置が分からなくなってしまった。バス停に立っているおじさんに聞いてみると、実は駅まで歩いていける距離まで進んでいたことが判明。う~む、この辺がいわゆる市場になっている訳ね。これは面白そうだ。 もっといろいろ歩き回ってみようかと思ったけど、親父が体の調子が悪いと言い出したので、とりあえず宿に戻ることにした。途中の薬局でパップ剤(湿布)を購入する。薬屋のオヤジといろいろ話をしていたら、後から入ってきた女子中学生に、 「はっ、イルボンサラム!」(はっ、日本人!) と息をのまれてしまった。もしかしたら生きている(?)日本人を見たのは初めてなのかもね。
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裏路地をあてどもなく降りていく |
06国立海洋遺物展示館 市場から駅前の方に戻ってきた。まだ昼過ぎなので、もうひとつくらい、どこかへ行ける時間がある。さてどうしようか。 「このバスが行くよ!」 と、目の前のバスを指さすではないか。あわててバスに乗り込む。親切なおじさんだったんだけど、お礼を言う暇がなかった。申し訳ないなーと思いながらも、バスは激走し始めていた。 バスは駅前の旧市街を抜け、昔は海だった埋め立て地を横切って湾(河)の上流の方向を目指していた。しばらく走っていくとパンフレットに載っていたのと同じ建物が見えてきたのでバスを降りる。 因みにワンド(莞島)とは、モッポ(木浦)やチンド(珍島)よりもさらに南に位置する島である。方向的にはチェジュド(済州島)と韓半島の間にある・・・といっても半島からそれ程離れていない。近年沈没船が引き上げられたので知られているらしい。もちろんその船がこの「国立海洋遺物展示館」に展示されているわけである。
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国立海洋遺物展示館とは? |
07木浦郷土文化館 この「国立海洋遺物展示館」のバス道を隔てた向かい側には「木浦郷土文化館」がある。郷土(郷士ではない)の博物館と言うことなので、のぞいてみることにした。 再び「国立海洋遺物展示館」前からバスに乗って市内に戻る。宿に帰ると親父は「今日は夕食はいいから、もう休む」と言い出した。かなりくたびれたらしい。僕だけ外で何か食料を調達することにした。一人で飯食うのも何だし、ユダルサン(儒達山)から下りてきたとき迷い込んださっきの市場にでも行って何か買ってこよう。 |
木浦郷土文化館とは? 総面積2,440平方メートル、総所蔵品は1万 6,595点の郷土展示館。1983年7月1日に開館し、6つの展示室を持っている。第一展示室は水石(観賞用の自然石)室、第二展示室は小品水石室、雲林山房の三代作品室、木製家具と陶磁器室、第三展示室は世界の貨幤室、第五展示室は世界の花石・花貝室、第六展示室は世界の珍しい珊瑚室となっていた。 ただし、2007年現在、地図上から存在が消えており、海洋遺物展示館の前には「南農記念館」と「木浦自然史博物館」が建っているので、なくなってしまったと思われる。収蔵品は分かれて展示しているのだろうか?ちなみに、南農とは、雲林山房の三代目の主人である南農(ナムノン)許楗(ホ・ゴン)のことなので、絵画関係については、こっちに移された可能性もあるかと思われる。 ところで、花石(꽃돌 コットル)とはなにか? 観賞用の石で、花のような模様が現れているものを指すらしい。韓国には愛好家もいるようだ。 また、「雲林山房」とは、朝鮮時代の南画の大家である「小痴(ソチ)許維(ホ・ユ)」が晩年に使った画廊というか山荘のことを指す。木浦の先にある「珍島」の中にある。 それから、「コッチョゲ」を「花貝」と便宜的に訳しておいたのだが、日本語でなんと言う貝なのか、私には分からない。「モシ貝類の一種」という、きれいな貝らしいが、はてさて・・・。 |
第1話
1996.4.28 |
下関から釜山へ |
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第2話
1996.4.29 |
釜山上陸、釜山の旅行会社、 ナンポドン(南浦洞)・チャガルチ市場からキメ空港(金海空港)へ、キメ空港(金海空港) 、クァンジュ(光州)へ・・・、バスターミナル周辺で宿探し、クァンジュ(光州)市内へ、宿の電気が!!! |
第3話
1996.4.30 |
さあ、モッポ(木浦)へ、モッポ(木浦)駅、ヨグアン(旅館)探し、モッポ(木浦)駅周辺へ、旅客船ターミナルから繁華街へ、カン・スジ(姜修智)、市場へ |
第4話
1996.5.1 |
朝食をとって、ユダルサン(儒達山)に登る、ユダルサン(儒達山)の山頂へ、山を下りて「トンドンチュ」と「パジョン」に舌鼓、下界へ・・・、国立海洋遺物展示館、木浦市郷土文化館 |
>>第5話
1996.5.2 |
モッポ(木浦)からヨス(麗水)へ、コソッポス(高速バス)、ヨス(麗水)市内へ、またまた宿探し、ヨス(麗水)市内観光へ、実物大のコブクソン(亀甲船)、恐怖のポンチャック船!!!?、市場へ・・・、「マンドゥクッ」と「パン屋」 |
第6話
1996.5.3~4 |
チンナムグァン(鎮南館)、釜山へ・・・、釜山到着、チュングアンドン(中央洞)でまたまた安宿さがし、夜の釜タワーへ、日本へ戻らなきゃ、またまた「フォシンチョン」(虚心庁)へ・・・、帰国 |