2006年1月はこの8公演

 


COLLOL「性能のよい〜シェイクスピア作『オセロー』より」

王子小劇場 1/6〜1/9
1/7(土)マチネ観劇。座席 自由(対面になっている客席の入口左手中央前列:招待)

作・演出 田口アヤコ

 シェイクスピア作『オセロー』に登場する、オセロー、デスデモーナ、イアーゴー、ロダリーゴー、エミーリアの関係をベースに、現代の様々な男女関係の断片をコラージュした作品。全体を通しての一貫したストーリーは見当たらず、その断片で男女間の微妙な心の動きを見せる。HP上に公演のためのmovie「結婚」「出会い」「戦争」「裏切り」の4篇があるみたいだが、それで補完しているのだろうか。でも、見ていないので真相は定かではない。

 当初“ダンス”公演という情報があり、そのつもりで観たのだが、全然違った。まぁコラージュの手法はダンス的ではあったのだけど・・・。そんな間違った情報で観た所為か、前半のセリフのやり取りが、前説的なモノだろうと勘違いしてしまい、いつダンスが始まるんだろう、みたいな中途半端な気持ちで観てしまった。おかげで、作品に入り込めず、睡魔に襲われてしまう始末。後半(と言うか終盤)のオセローが疑心の果てに妻を殺すシーンあたりからは、ぐいぐい引き込まれ、面白く観れたのだが・・・。
 そのシーンは、3組の男女がオセローと妻を演じているのだが、ちょっとだけ違うセリフで同じシーンを一つのシーンとして見せる。各々に若干の時間差を生じさせる事によって、まるで輪唱のごとくセリフにリズムが生まれる。それに続く2組の不倫カップルの別れのシーンも素晴らしく、まったく同じ風に演じていると思って観ていると、時には、一方にはセリフがあり、一方にはセリフがないまま同じシーンを同時に演じたりと、変化する。その微妙に違うセリフ、演出で一つのシーンを表現する面白さは、格別であった。視覚的な変化も面白いが、感情の流れがよく見えたのには、感動にも似た驚きを感じた。本当に面白い表現方法であった。ただ、それが作品全体を面白くしていたかと言うと、そこまでのものではなかったのが残念でならない。

 全体を通して、男女関係(不倫とか疑惑とか)を表現していると思うのだが、コラージュされた断片は、部分部分では起承転結を生んで面白いものの、全体を通しては「?」が浮かんでしまった。田口アヤコの経歴を見ると“劇団山の手事情社”とか“劇団指輪ホテル”に所属していたみたいだが、両劇団ともあまり観た事ないので、似ても否なるものなのか、類似しているのか、まったく影響を受けずに別ものなのか、比較する手立てはない。

 最後にダメだしをさせて頂くと、『オセロー』の知識がない観客に、関係性が掴めたのか疑問が残る。『死の棘』の件もそうだが、作品を知らないと一切解らないのではないだろうか。知識がなくても関係性が理解できる表現方法を取ってもらえれば、更に男女関係の深みを覗けたに違いないと感じた。親切過ぎるのも作品を壊す要因となってしまうが、今回の作品では、そう感じてしまったのである。私は幸いサワリだけは知っていたので事なきを得たのだが・・・。誰もが知っているほど『オセロー』は、知名度が高くないと思うのだが、そう思うのは自分だけなのだろうか・・・。

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親族代表「THE LIVE『3』」

THEATER/TOPS 1/6〜1/9
1/7(土)ソワレ観劇。座席 I-5(招待)

作 吉増裕士+親族代表(脚本提供は各作品の後に記載)
演出 吉増裕士

  1. 『説明』 作:佐藤二朗(ちからわざ)
    裸でタオルを巻いて登場の三人。“サウナ”という場面設定が客に伝わるかどうか協議が始まる。これだけでコントにする訳じゃないだろう、とは言うものの・・・。
  2. 『NHK』 作:ブルースカイ
    NHKの一室。放送作家(竹井亮介)が、NHK放送倫理委員会の委員(嶋村太一、野間口徹)に呼び出される。中学生日記の後番組としてNHK教育TV初のお色気番組の脚本を、その作家が書くことになり、その第1回目と2回目の脚本を読んだ委員会からの呼び出しである。原稿の直しを要請する委員。だけど、どうも直しのピントがズレズレ・・・。
  3. 『3分クッキング』 作:丸二祐亮(ニセ劇団)
    特番で“4分クッキング”となり、右往左往する料理人(野間口徹)。長年3分で料理を作っているために1分が調整できない。その様子を副音声で。
  4. 『俳優修行』 作:湯澤幸一郎(天然ロボット)
    「史実にして私設秘書」というセリフを噛んでしまう役者(嶋村太一)。それを見兼ねて、過去から本人(竹井亮介)がやって来る。
  5. 『巴マン1』 作:嶋村太一
    トラブルを3つ巴で解決するヒーロー(嶋村太一)の話。
  6. 『犯人達の夕べ〜巴マン2』 作:丸二祐亮
    火曜サスペンスの犯人役の三人が喫茶店に集合。三人で犯人役を回している事が視聴者にバレないようにしよう、と。そんな中、タジマ(竹井亮介)がシュークリームを食べ、食中毒で他界。お通夜に向かった二人(嶋村太一、野間口徹)は、タジマそっくりの奥さんに出会う・・・。
  7. 『三輪車及びその周辺』 作:吉増裕士
    三輪車に乗る男(竹井亮介)に職務質問をする警官らしき男(野間口徹)。警官らしき男の母親(嶋村太一)がやって来て、その男の正体が判るのだが・・・。
  8. 『三人で死ぬ』 作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ(ナイロン100℃)
    集団自殺を図ろうとする三人。インターネットで呼びかけ集まったらしい。なかなか実行に移せず話しだす。第一発見者が女子高生なら、自殺→発見→恋の可能性がある。それなら順番を換えて発見→恋→自殺にしたらどうかと・・・。でも、それなら自殺しなくてもいいのではないか・・・という話になり、三人でコントを・・・。作り話だけど、親族代表結成秘話的作品。
 新生“親族代表”の第一回公演である。故林広志脚本を離れての公演(それも三人だけの公演)という事で、正直どうなるか心配していたのだが、そんな心配を他所に“親族代表”としての個性を生かした作品群であった。脚本が違っても“親族代表”としての個性を失わないのは素晴らしい事である。それは三人に力が付いてきた証であろう。

 ただ、後半数本(どこからか指摘するとマズイのかなぁ〜と思い、濁らしたりして・・・)が練習不足なのか、笑いに繋がらず、若干失速してしまったかなっ、と思わざるを得ない。最後の『三人で死ぬ』などは、作り込んで行けば面白くなる作品だと思うが、どうも三人のタイミングが悪いというか、温度差があるというか、なんかユルイ作品になってしまったのは残念でならない。“笑い”はそのタイミングや微妙な間が大きく影響してしまうのだなぁ〜と改めて難しさを感じてしまった。
 今回の作品の中で一番面白かったのが、『NHK』。内容といい、間といい、三人の演技といい、全ての要素が見事に融合していた。親族代表の過去の作品のビデオを見てから、あてがきで書いたらしいブルースカイの脚本も素晴らしい。最近は破綻し過ぎて訳が解らない作品が多かったが、今回は“天才”と言われる所以を見事に発揮していた。

 そんなこんなで、全体としては満足である。過去の親族代表と比較して・・・と比較するのは、“新生”親族代表としては無意味なのでしないでおこうと思う。次回公演を夏頃に・・・とは言っていたが、実は何にも決まってないらしい。まぁ焦らず前進して欲しいと願う。って偉そうに言ってみたが、実は、単に次回公演も観たいと強く願っているだけなんだけど。

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劇団チャリT企画「ハンニチでコンニチハ!(仮題)」

王子小劇場 1/13〜1/17
1/14(土)ソワレ観劇。座席 自由(5列目中央:招待)

作・演出 楢原拓(chari-T)

 秋葉原のメイドコンビニで働くめぐみ(米田弥央)は、突如現れたコンビニ強盗(清水康栄、三枝貴志)に拉致される。拉致を命じたのは、メイドの独占を目指すホリイエモン伯爵(伊藤伸太朗)であった・・・。そこで、コンビニ店長(楢原拓)は声高に宣言する。めぐみを半日(12時間)で連れ戻した者には、60分めぐみを独占できる特権を与えると・・・そして、「ハンニチでコンニチハ!」のタイトルの(仮題)を(本題)とし、本編のスタート。
 田中カズオ(熊野善啓)は、三流大学を卒業後、ニート生活に浸っていた。たまたま行った秋葉原でメイドコンビニに入り、たまたま行われたジャンケン大会で勝ってしまい、メイドのめぐみのポスターをもらってきてしまう。ラッキーなのかアンラッキーなのか・・・。捨てる訳にもいかず、部屋に貼ることに。そのポスターを見て長女のヨシコ(下中裕子)は、ほくそ笑むが、剥がしたら余計にそう思われそうなので、そのままにしていた。そして、カズオはポスターだけでなく、インフルエンザ菌までももらってきてしまっていた。めったに外出しなく、抵抗力の弱いカズオは即座に寝込んでしまう。そこで特効薬のタミフルを飲むが、副作用により幻覚を見る羽目に・・・。その幻覚は、メイドのめぐみが助けを求めるものであった。カズオは、何度も見る幻覚にメッセージ性を感じ、六本の木の生い茂る丘へと向かうのであった・・・。

 チャリT企画を観るのは初めてである。全体的には好きな芝居である。ラストの舞台崩しから隠された本音の部分(“拉致”とか“めぐみ”の名前から想像してください)は、とても面白かった。ただ、中盤が若干ダレ気味なところがあり、眠気に誘われてしまった。なんか勿体無い。
 それと、毒っ気が思った程なかったのも不満の一つ。早稲田の劇研で上演していた頃は凄かったという噂を聞いた事があるが、毒っ気も薄まってしまったのか・・・。

 でもまぁ過去の事をぐだぐだ言っても仕方がないので、これからに期待しようと思う。もっともっと毒を盛り込んで、「そこまで言っていいのか!」と罵声を浴びたり、「月夜の晩ばかりじゃねえぞ」って脅迫状が送られて来るくらいの、危険を孕んだものを見せて欲しいと願う。

 役者では、熊野善啓、伊藤伸太朗、アキバ系のマツを演じた松本大卒が良かった。あと、内山奈々の役どころが微妙なのが残念な気がした。

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カリフォルニアバカンス「甲虫とゴシップ」

シアターグリーン小劇場 1/19〜1/24
1/21(土)マチネ観劇。座席G-8(招待)

作・演出 佑里沢満人(池里ユースケ改め)

 鹿島慶介(室野尚武)は、会社で飲み物を買いに行った時、たまたま噂の流布を訓練する男達の姿を目撃してしまう。彼らは都市伝説や噂を作る秘密組織“カメムシ商事”の一員らしく、目撃された場合は、組織に引き込むという掟になっているらしい。しかし、まっとうなサラリーマン生活を送る鹿島は、当然拒絶する。しかし、それで事が済む訳はなく、組織は鹿島を痴漢に仕立て上げ、逃げ道を塞いでしまう・・・。仕方なく鹿島は、カメムシ商事に入社する事に。実は、ツチノコの噂、アニメの最終回の噂など、人々が知るさまざまな噂は、この会社が流した都市伝説であった。夜遅くまで遊んでいる子供を早く帰すために都市伝説を作り出すことや、根も葉もない噂の数々を広めることに、鹿島は次第に満足していく。しかし、その才能を嫉妬する北大路陰矢(宮健一)は、敵意を持ち始めていた・・・。
 ある日、鹿島が一人でいる事務所にバイク便の荷物が届く。“獰猛な動物注意”みたいなテープで封印された箱の中から女性の声がするので、鹿島は箱を開けてしまう。その箱の中から、会長の娘である綾瀬ゆきの(田中美穂)が現れる・・・。ゆきのは、人を思いのままに動かせる超能力を持っていた。カメムシ商事には最高の能力であるが、ゆきのは、その能力を消し去りたいと考えていた・・・。
 一方、実質会社の実権を握っている専務の佐島イクオ(小松良和)は、自分の思い通りに、噂で世界を操りたいという陰謀を胸に、ゆきのと同じ力を得られる新薬の開発に努めていた。そして、開発されたその薬を北大路に使い、世界を動かす第一歩を踏み出していた・・・。
 ゆきのを助けたことで鹿島は、社の、そして都市の裏側に隠された闇の全貌を知る。そんな陰謀を阻止する為に、鹿島達は、佐島の元へ乗り込む。そして、薬で変貌した佐島と技術力の沢村ジンゾウ(大口達也)の最後の“噂対決”が始まる・・・。

 くだらない内容に拍手を贈りたい。カリバカはこれじゃなきゃ、と思う(まだ三作しか観てないけど)。本当に面白かった。マジ、マジ、マジ。って連呼するとマジじゃなく聞こえる(本編より)らしいが、マジ面白かった。都市伝説を作る組織だとか、噂を信じると打撃を受ける“噂対決”だとか、小学生レベルのくだらなさが炸裂していた。あっ、これも褒め言葉として受け止めて欲しい。妙に作ったくだらなさより、時にはストレートにバカさを曝け出す凄さ、ありえないくだらなさを表現できるのは、才能以外の何物でもない。
 と言っても、それだけで全編を通す訳ではなく、中産階級(生活レベルが中の上だと思っている中流意識)だと思っている子供に、実は中の下だという事を判らせるトイレの○○さん(忘れた)の噂などは、見事。大人にも効果あるんじゃないかって思うが、大人が受けたら自殺しかねん。日本人の意識を崩壊させるダークな面も絶賛したい。そして、作り話の中にも真実を入れる巧みさも忘れていない。コーラにメントスを入れた時の“真実”は笑えた(実践しないように)。

 ただ、全てを絶賛できる訳ではない。脚本は面白いのだが、いらぬオーバーリアクションが冷めた空気を運ぶ。これだけはイタダケナイ。面白いと思っているであろうリアクションで、私は急激に冷めてしまったのである。そんなオーバーリアクションで笑わそうとするのは、あまりにも時代遅れではないだろうか。わからない所で、こそっとやるならいい。そこを見ている人だけが味わえる、そんなムダな面白さは大好きだ。でも、それを中心でやられるのは駄目。それに対する突っ込みも余計。
 まぁ、そんな不満がないわけではないが、ともかく佑里沢満人(池里ユースケ改め)は面白い。これは真実。

 余談だが、阿部純三が出演していないのも不満のひとつ。『もしも島田が願うなら』での素晴らしさが忘れられない私としては、次回公演には出演してもらいたいと願う。そうそう、次回は下北沢進出らしい。前作みたいに、力を籠め過ぎて肩透かしを食らわさないように、“くっだらねぇ〜”と大絶賛を受ける作品を楽しみに待ちたい。


“カリフォルニアバカンス”自分が観た公演ベスト
1.もしも島田が願うなら
2.甲虫とゴシップ
3.Dalix〜ダリの経験〜

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庭劇団ペニノ「ダークマスター」

こまばアゴラ劇場 1/12〜1/22
1/21(土)ソワレ観劇。座席自由(4列目中央:招待)

原作 狩撫麻礼/泉晴紀
脚本・演出 タニノクロウ

※注意:結末まで内容を書いちゃってます。疑問をぶつけるにはネタバレは仕方がないかと・・・何かで観る機会がある人は絶対読まないほうがいいです。----------------------

 舞台は、洋食屋『キッチン長嶋』。店には、足腰の悪い店員の老婆(瀬口タエコ)が、佇んでいる。味だけは天下一品だが、ここ半年で客は14人(10年で15,500円とか言ってたような)と悲惨なもの。何故そんな収入で死なずに暮らしているのか、やくざの兄弟(白鳥義明、山崎秀樹)は疑問を抱いていた。味の秘密や暮らしぶりを隠しカメラを設置して盗撮するが、一向に解明できない。店のマスター(マメ山田)は、料理を作れば一流だが、接客に関しては三流以下。それを自負はしているものの、まったくやる気がない。そんな店に、リストラされたサラリーマン(久保井研)が食事をしに訪れる。その男に対しマスターは、「自分の代わりに店に寝泊りし、月給50万円で料理を作れ」と半ば強制的に話しをまとめる。そして、マスターは、「モニターで様子を窺いラジオから指示を出すから、言われるままに料理を作ればいい」と告げたまま、男の意思などまるで関係なく、2階に籠もってしまう。男は、マスターの指示により、料理を作り続ける。瞬く間に店は月600万円も稼ぐほどに繁盛する。しかし、食事が終わった客はトイレに行ったまま戻って来ない・・・。マスターは、食事もとらず籠もり続ける・・・マスターが酒が飲みたいと思えば、男が代わって飲む。以心伝心するマスターと男。彼らは融合して一体となってしまったのか・・・。いや、そもそもマスターは存在しているのか・・・。やがて、男はマスターからの指示がなくても料理ができるようになっていく。そしてある日、男は、店を辞める決心をし、ラジオをやくざの弟に渡す。しかし、まるでラジオを拒絶するかのように、耳の怪我が疼きだす・・・。そして、ラジオを渡した男は、正面から店を出て行く。それが『キッチン長嶋』の意志なのか・・・。男が去った後、排出されるようにトイレから現われるやくざの兄。マスターの声が響き渡る。しかし、2階にはマスターの姿はなく、1階とそっくりそのままの『キッチン長嶋』が存在しているのであった・・・。

 観客も、途中からは男同様に、マスターの声をラジオで聞きながらの観劇となる。男と同じ状況(支配下)に置かれるわけである。この公演方式は初演と変わっていない。まぁこれがなかったら“絶対的権力”という本質が揺らいでしまうかもしれない。今回はラジオの台数が少ない為か、二人に一つのラジオ(片耳しか使わないからそれでいいんだけど)。私は偶然にも、猫のホテルの森田ガンツさんと共有。まぁこっちが一方的に知っているだけなので、だから何?って話しなんだけど。

 初演時は、駅前劇場に空きが出たという事で、急遽公演を決定した、云わば勢い先行の公演であったと思う。PRする時間も限られていて、素晴らしい公演だったにも関わらず、観た人は少なかったのではないだろうか。しかし、今回は、公演期間も長かったこともあって、評判が上がるにつれ動員も伸びたと聞く。良い事だ。素晴らしい作品は、より多くの人に観てもらいたい。作品自体も、じっくりと練り込んだ足跡が見える。だからと言って「全て今回の方がいい」とは一概には言い切れないところもある。それは、設定は同じだが、まったく別の作品に仕上がっているからである。比較しようがないと言うか・・・そんな感じ。絶対的権力に屈してしまったと思える(いや、絶対的権力を手に入れたのか?)初演時のラストも好きであるが、不条理に満ちた今回のラストも素晴らしい。あえてどちらかと聞かれれば、再演の方が好きかなっ。

 初演時も、目一杯イメージを膨らませて観ないと理解できない作品であったが、今回も様々な疑問が残った。何故やくざは正面から出て行けるのか?何故やくざの弟は耳に怪我をしているのか?男の妻(“女”としか書かれていないので現実なのか想像の産物なのかは不明)が持ってきた遺骨の意味するものは?客の“兵士”がタバスコにこだわる理由は?(赤=血にこだわっているのかも)2階にもある『キッチン長嶋』の意味は?(これは無限に同様な世界が広がっている可能性がある)と様々な疑問が未解決である。ただ、それらを未解決のまま心に秘めておく気持ち悪さ(いいようもない“不安”に包まれるんだよねぇ〜)も、作品を面白くしている要因でもある。本当は“戦争”とか“対米”とかの意味合いが隠されていそうだが、今回はそれは追及しないでおこうと思う。って言うか、自分の頭では、結論が出そうにないのでね・・・。

 終演後、男が正面から出て行った意味を、タニノ氏に聞いてみた。どう理解してもいいとしながらも、「あれは、より不自由な世界への旅立ち(記憶力が希薄で、言葉は正確ではないです。そんなような意味合いってことで・・・すみません)」と教えてくれた。「あの店にいた3ヶ月こそが自由であって、外の世界こそが不自由なのだ」とも付け加えていた。そう観ると又違った世界が開けるから不思議である。自由への歩みと思ったものが、扉の外には、より不自由な世界がある。絶対的権力に支配される是非が隠れていると思うが、それを肯定するのか否定するのかは、個人に委ねられるということなのか・・・。いや、不自由な世界かもしれないが、絶対的権力から脱出したのだから、権力(アメリカ)を否定したと受け止めてもいいのかもしれない。付け加えるが、「全てを疑え」も今回のキーワードになっていると言っていた。

 疑問のひとつ「何故客はトイレに消えてしまうのか?」を、初演時に聞いたことがある。その答えは、「絶対的権力を持つマスターを表現する為」という答えであったが、今回も変わりはないと思われる。でも、私は、絶対的権力を持っているのは、マスターというよりは『キッチン長嶋』であると感じる。で、肉食獣である『キッチン長嶋』が、トイレで“客”を消化する度に、老婆が詰まらないように道具を持ってトイレに入ったり、胃液が壁を伝うのは、とっても滑稽で、なんか微妙な可笑しさを醸し出していた。・・・「くすっ」と言うか「にたっ」って言うかそんな笑い。

 余談であるが、雪が降ったり、台風が上陸してたりで、苦労して行った公演は絶対に面白い、というジンクスがある。って言うのはちょっとウソだが、台風で行くのを諦めた公演の評判が良くて苦汁を味わった経験があるので、どんな事をしてでも行くようにしている。で、これが面白い公演に当たる確立が高いってのは真実である。今回も例に漏れず素晴らしい公演であった。外の雪景色も作品に華を添えていた。終演後の豚汁のサービスも嬉しかった。


“庭劇団ペニノ”自分が観た公演ベスト
1.ダークマスター(再演)
2.ダークマスター(初演)
3.ミセス・ピー・ピー・オーフレイム
4.黒いOL
5.小さなリンボのレストラン

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七里ガ浜オールスターズ番外公演
「TOTEMPOLES vol.1(大久保バージョン)」

渋谷ギャラリールデコ 1/24〜1/29
1/28(土)16:30観劇。座席自由(3列目:招待)

原作 『二人の高利貸しの21世紀』岡田利規(チェルフィッチュ)
演出・脚色 大久保亜美(mon)

 この企画は、一本の原作を複数の演出家がそれぞれの脚色、演出(すり合わせはまったくなく、通し稽古で初めて他の作品を観たらしい)、キャスティングで作品を仕上げ、同時に発表するというもの。物語のあらすじをチラシより抜粋すると、「二人の高利貸しが歩いている。一人はトランクを持っている。もう一人は地面に倒れている。二人は21世紀について話し合う中で、それぞれが迎える21世紀を想像する。二人が見たトランクの中につまっている未来は、果たして絶望なのか、希望なのか・・・。」というもの。時間を空けて同じ作品を複数の演出家が演出した『ニセS高原から』は去年企画されたが、同時に“見比べる”事はできなかった。なので、1時間前に観た作品を“見比べる”事が出来る企画は、今回が初の試みではないだろうか(私が知らない所でやってたら別だけど)。「個々の演出家が持つ特色を色濃く反映させ、旬な俳優を用いる事で、一つの原作に色んな側面を見出す」というのが企画意図だが、どんぴしゃり的中。本当に“見比べる楽しさ”が堪能できた公演であった。男と男、男と女と、組み合わせが違うだけでも物語は一変する。ただし、観る順番によっては、全然イメージが違うかもしれない。
 と前置きして、大久保バージョン。

 「僕は救われねばならない」
 二人の高利貸し。男(瀧川英次:七里ガ浜オールスターズ)が、柱を背に地面に座り込んでいる。そこへトラ(若狭勝也:KAKUTA)が、回収した一千万円の入ったトランクを持ってやってくる。21世紀は目の前である。金をトランクに詰める時にゲジゲジが入ったかもしれないから取ってくれと、トラは男に頼む。トラはゲジゲジが大の苦手らしい。トランクを開ける男。しかし、中にはゲジゲジはいない。代わりにニセ札が一枚入っている事に気づく・・・。

 オリジナルを観た事がないので、大久保バージョンで初めて『二人の高利貸しの21世紀』に触れた事になる。なので、そういう物語なのかと思い観劇した。ラストで感じた事は、二人いると思っていた男は、実は一人であったという事。そう描いたのかどうかは知らない。私の勝手な思い込みかもしれない。ただ、トラが消えたところで、一方の男を幻覚として捕らえてしまった。それを多重人格だと言うのは、極端過ぎるので、ここでは考えたくない。ただ、どちらが幻なのかは判断できなかった。男が見た「願望」の具現化かもしれないし「逃避」の為の具現化だったのかもしれない。そして、トランクに入っていたのは、未来でも絶望でもなく『心の葛藤』だったのではないだろうか。
 一人かもが、一人であると確信(勝手な)に変わったのが、次のバージョンを観ている時。「あれっ?このセリフ、この人物が言ってたかぁ?」と、思う事があったからである。二人のセリフがなんか混ぜこぜになっている気がしたのである。単なる記憶違いなのか、本当にそうしているのかは、再度観る機会がなかったので不確かだが、そう思って止まない。どちらが話しても成立する所に、実は一人であったという解釈を持ってきたのではないだろうか(他のバージョンの方が原作に近いと言っていたので)。自分の誤解ではなく、そこまで脚本を解体し再構築していたとしたら、大久保亜美あなどりがたし。

 ただ、暗転時の時間軸が読めないのが勿体無く思えた。二人だと思った人物が、実は一人だとすれば、時間の流れなど無意味に等しいが、どうも時間の流れが気になる。「あれっ、さっきの話と今の話ではどっちが先の話なんだ」みたいな考えが、頭の中でグルグルと回りだす。せっかくのイメージを思考が邪魔をしてしまう、そんな感じなのである。なので、直感的なものを邪魔する要素は、極力廃した方が面白かったように思う。最後に1回だけ、時間軸をぐにゃっとするくらいの方が、インパクトも大きかったように感じる。

 ちょっと余談になるが、瀧川英次が実は二枚目だと言うのが判った。って過去に2本も作品を観ているのに、失礼な話だけど。自分としては“おもしろい男”というイメージが強かったので、そんな目で見ていたが、今回の作品を観てイメージが一変した。今回の役柄とは関係ないが、同姓愛者を演じさせたら、素晴らしいのではないかと、マジに思った。あっ、作品の感想から離れてしまった・・・。でも、役者・瀧川英次の魅力をたっぷり味わえた一編であったのは、間違いなし。

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七里ガ浜オールスターズ番外公演
「TOTEMPOLES vol.1(瀧川バージョン)」

渋谷ギャラリールデコ 1/24〜1/29
1/28(土)18:00観劇。座席自由(1列目:招待)

原作 『二人の高利貸しの21世紀』岡田利規(チェルフィッチュ)
演出・脚色 瀧川英次(七里ガ浜オールスターズ)

 企画意図等は最初に観た大久保バージョンを参照してください。
 1本終演後にティータイムがあり、その後、舞台設置の為に一時退場。その数分間で客席の向きを変更させる。それだけで観る方も気分が一新できる。さすが。舞台に出ない役者や演出家が自ら案内を行っているのも嬉しい。
 と前置きして、瀧川バージョン。

 瀧川英次による『初めてエレベーターを見た父子の話』の前説に続いて本編開始。
 オビカネ(帯金ゆかり:北京蝶々)は、必死にハンカチで手を拭いている。それは、腹を壊しトイレに入ったが、紙もない、おまけに水も出ない。そんな状況で仕方なく・・・という事らしい。そこへオオモリ(大森智治:七里ガ浜オールスターズ)がトランクを持って現れる・・・。

 大久保バージョンとは一転して、ポップでハイテンションなコメディタッチの演出。二人の関係も、より現実的なものとなっていた。大幅に違っていたのは、オビカネの余命はわずか半年であり、トランクに入っている一千万円のほとんどは、オオモリが貯めた金であったという事。
 コメディタッチではあるものの、実は“死”を見つめた重い作品であった。トランクの中には、『死』『愛』『希望』が入っていたのかなっ、と感じた。そうか、21世紀版『愛と死を見つめて』なのかぁ〜、って『愛と死を見つめて』の内容も知らずに題名だけのイメージで書いてます。ごめんなさい。中盤の“神”の話が一番ラストに響いたのも、この作品であった。神の存在に必死になるのも“死”が確実に近づいているからだと伝わってくる。死を目の前に、必死に生きるオビカネと不器用なオオモリ。“死”という重いテーマを、帯金ゆかりと大森智治が、野獣の如くアップテンポで演じる。このギャップが楽しい。エンターテインメントな側面もあり、楽しめる。後で聞いた話なので、書いていいかどうか迷うのだが、オオモリがセロテープを探す場面で、あるモノをポケットから出す事になっていたらしい。ただし、この回では入れ忘れてしまい、ポケットからは何も出てこない。爆笑シーンが普通の展開になってしまったらしい・・・。なんか、大森智治って、登場人物そのままの愛らしい不器用な男だって気がした。

 それにしても、『二人の高利貸しの21世紀』がコメディタッチになるとは、原作者の岡田氏も考えつかなかったのではなかろうか。演出家としての瀧川英次を楽しめる一編であったと思う。

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七里ガ浜オールスターズ番外公演
「TOTEMPOLES vol.1(前川バージョン)」

渋谷ギャラリールデコ 1/24〜1/29
1/28(土)19:30観劇。座席自由(1列目:招待)

原作 『二人の高利貸しの21世紀』岡田利規(チェルフィッチュ)
演出・脚色 前川知大(イキウメ)

 企画意図等は最初に観た大久保バージョンを参照してください。

 トイレに入っていたのがヤグチ(板垣雄亮:殿様ランチ)、金を回収したのがアマノ(岩本幸子:イキウメ)。おまけに3人を殺して一千万円を回収してきたアマノの服は、返り血で真っ赤に染まっていた。そして車の鍵を車中に入れてしまい修理業者待ち、という状況が舞台設定である・・・。これだけで全て一新されてしまった。同じ脚本なのに、ちょっと状況を変える事により、世界が180度ひっくり返るくらいに一変する。その上、ベンチを一つ置く事により、不条理な世界がリアルな世界へと変貌を遂げる。正直鳥肌が立った。脚本家としての前川知大の凄さを最近知ったのだが(去年、イキウメの『散歩する侵略者』を観てからゾッコン)、演出家としてもすごい才能を持った人物であるって事を、今更ながら肌身に感じた。恐いくらいに凄いや。

 基本の物語はもちろん同じであるが、“トランクの重さ”の意味を一番感じさせたのが、この作品。「21世紀は宗教が儲かる」というセリフも、その後に続く一千万円を持ち逃げしようとする展開にドンピシャリ。上手すぎ。そして持ち逃げを決心したところで車がやってくる。その時、ヤグチがトランクを持つが、今まで重くて持ち上げる事ができなかったのに、楽々と持ち上げるのである。お札を「ただの紙だと思えば軽く持てる」しかし、「これだけお金があれば・・・と考えると持てなくなる」という前提のセリフがあった上での行動である。仕事と割り切ったから軽く持てたのか、トランクの中がただの現金から『希望』へと変わったから軽くなったのか・・・芝居上では明確な答えは出ていない。でも自分としては、二人で逃避行を決意したと、思いたい。

 大久保バージョン→瀧川バージョン→前川バージョンと3本を続けて観たが、3本とも甲乙付けがたい傑作であった。全て良いので、良し悪しの比較はできない。ただ、どの作品が一番好きかを挙げるなら、迷わず前川バージョンを挙げてしまう。それはともかく、こうまで違う3作になったのは、素晴らし過ぎる偉業である。その奇跡を成し遂げたプロデューサー瀧川の才覚には、脱帽である。当日パンフに「同じ食材を並べて、専門の違うシェフが好きな料理を作るという感じ」と書かれてあったが、どれもこれも絶品で、大満足であった。超満腹。

 前川バージョンの話に戻るが、役者の素晴らしさも絶賛したい。他の作品の役者だって引けをとらないが、あえて挙げたい。初めて見た板垣雄亮も雰囲気作りがうまくて驚いたが、岩本幸子の素晴らしさには敵わない。七里ガ浜オールスターズ『はばかるな』を観た時は、ちょっと恐さを感じながらも惹かれるものがあった。イキウメ『散歩する侵略者』を観た時に、感情(特に人を愛するという気持ち)を瞳で語れる素晴らしい女優なんだと感じた。そして今回は、同様の感情に危険な臭いまでもプラスしていた。その演技を観て、心底惚れ込んでしまった次第である。演技以上の感情をその瞳に感じてしまい「あの瞳で見つめられたい」とマジに思ったくらい。本音を告白すれば、素晴らしい!というより「大好きだ!」と叫びたいのである。
 あ〜、感情が先行してしまい、感想どころじゃなくなってしまった・・・。

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