■本の評価は、☆☆☆☆☆満点
☆☆が水準作
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11月28日(水) 『エジソン的回帰』
・『エジソン的回帰』 山田宏一 (青土社/'97.2)
1995年が映画生誕百年の年に当たり、様々な企画や出版があったことは、まだ記憶に新しいが、本書も映画百年をの歴史を意識した内容になっている。映画の発生には、二系統あって、一つは、フランスのリュミエール兄弟が1895年、スクリーンに動く映画を投射した「シネマトグラフ」。こちらが、公式な映画の誕生ということになっているのだが、「シネマトグラフ」よりも少し前、「メンロパークの魔法使い」と呼ばれていた発明王エジソンの開発した「キネトスコープ」なるものが世界の目を瞠らせていた、と本書はいう。「キネトスコープ」とは、硬貨を料金口に入れると動くようになっている、のぞきからくりで、1894年、ニューヨークのプロードウェイで、「魔法使いの最新の発明」として大々的に喧伝され、売り出される。キネトスコープパーラーという特設会場には、一日中群衆が立ち並び、夜になっても長い列をつくって5台のキネトスコープの小さなのぞき窓から「90秒の生きた動く写真」を見るために待ち続けた。キネトスコープは、世界的な大ヒットを記録するが、一年後には、人気が落ち、蓄音機と一体化した「キネトフォン」でエジソンは巻き返しを図るが、1
895年12月にパリで公開されたリュミエールの「シネマトグラフ」に取って替わられる。
エジソンは、映像をスクリーンに投射して多数の観客に見せる方法を思いつかなかったのか。実はエジソンは、1889年には既にスクリーンに映像を投射する実験を行っており、この方式を採用しなかったのは、「キネトスコープ」の機械が売れなくなることを恐れていたからというのが真相らしい。エジソンは、スクリーン投射方式の「映画」の未来など信じられず、一人ひとりでのぞき見をするキネトスコープを改良して、蓄音機と同じように大量に販売し、普及させることを考えていたという。「としたら、いま、やっと、あるいは、むしろ、ついに、それはビデオの形で実現されたと言えないだろうか」と著者は、書く。「シネマトグラフの勝利から百年、リュミエールの世紀を終えたいま、映画のエジソン的回帰ともいえる現象が起こっているのである」
映画誕生時のエピソードが興味深く、とんでもなく長い前置きになってしまったが、本書は、映画の達人がビデオならではの、もはやビデオでしか見られない「映画」について語った本である。映画について「映画語」で語りたいという姿勢が一貫している著者の言葉からは、映画そのものより映画的かもしれない映画的感動が伝わってくる。エジソン、リュミエール、メリエスなどの草創期の映画から、キートン、ホークス、戦前の日本映画、スクリューボールや西部劇、ツイ・ハークに至るまで、映画百年のハースペクティヴで語られるそれぞれの映画がなんとも魅力的だ。2つの節で語られる戦前の巨匠、清水宏の子供映画など無性に観たくなってしまって困る。
11月27日(火) 『四人の申し分なき重罪人』
・「猟奇の鉄人」20万アクセスおめでとうこざいます。中断があったのにもかわらず、1年で10万アクセスだもんなあ。1000冊レヴューともども凄い。
・おげまるさんから提供のあった『週刊読書人』は、「特集われらの山田風太郎」と題して、四人のエッセイ及び現在入手可能な著作のリストを載せている。
○川村湊「ただいいようのない憂鬱」
「こうした「魔群(小天狗にしか過ぎないが)の通過」を余所目にしながら、偉大なる憂鬱者は、非国民のまま立往生したのである」
○松本謙一「山田さんとのニアミス」
「明治の「まぎれもない」歴史的事実は、わたしと山田風太郎さんとを、ときにニアミス(異常接近)させたりもした。」
○井家上隆幸「無数の「荊木歓喜」見る」
「パンパンやヤクザ、底辺で蠢く人間たちの猥雑な小悪党ぶりと純情を、堕ちる道を堕ちぬくには弱すぎる人間たちを、無限にやさしいまなざしでみつめる荊木歓喜がいまも脳裏にしみついているのは、」
○原田裕「「オレは普通の人だよ」」
「多摩の葬祭場で『風さん』の白い骨を拾っていると、涙がポタポタと流れ落ちて止まらなかった」
『四人の申し分なき重罪人』 G・K・チェスタトン(国書刊行会/01.8('30)) ☆☆☆☆
現代の苦行僧は、放逸な暮らしを送る貴族だという逆説まじりのプロローグから、四人の「重罪人」に関する四つの物語が届けられる。
「穏和な殺人者」
中東のイギリス植民地で起きた総督の狙撃事件の真相。逆説のネタにされるのは、「植民地」そのものである。
「頼もしい藪医者」
芸術家の家の庭の奇怪な樹木に秘められた謎とは。「呪われた」と思われる樹木が真の庭をつくるエピローグが華麗。
「不注意な泥棒」 大実業家の放逐された息子は、なぜ不手際な盗みを続けるのか。宗教的な悟りともいうべき主人公の体験とアクロバティックな逆説の配合の妙。
「忠義な反逆者」 王国パヴォニアを転覆させる「真の言葉」の脅威の下、当局は、革命を目論む学者、詩人、質屋に将軍の4人の集会を襲撃するが。謎とされる「真の言葉」の正体も、「重罪人」のヴィジョンもまた、見事の一言。このままミュージカルに仕立てたいような結構をもつ。「抜け穴のある」消失物の傑作でもある。
どの短編も一言で言い表せるような主題をもつが、ウィットに富んだ文体、性格批評、当時の思潮の冷静な観察などが入り混じり複雑なニュアンスをもたらしている。いずれの作品も若い男女のロマンスが絡むが、女性たちは導き手となり、男たちの逆説を引き出す。男たちの簡素で無垢な逆説は、物語の中で、世界性ともいうべき、広大な認識の地平を浮上させていく。それはまるで、奇怪な樹木が、みるみる枝を繁らせ、世界樹になっていくかのような魔術である。ボルヘスはチェスタトンに似ているが、チェスタトンはチェスタトンにしか似ていない。
11月26日(月) 犯人としての読者
・土曜日、久しぶりに、おげまるさんと会う。物々交換などして(素天堂さん提供の武田『黒バラの怪人』も借りる)、「金富士」、「寄合い」と移動。7時間近く飲み続けていたことになりますか。掲示板書込みの「山風ミーツ荊木歓喜in焼跡」話は、荊木歓喜+応伯爵の子孫+八坂刑事(「夜よりほかに聴くものもなし」)が明智+金田一+神津の推理を一人一殺で屠って、最後にタイムマシンでやってきた素広平太博士がすべての謎を解決するというプロットが完成。まだ女学生の戸川昌子が松本清張とすれ違ったりとか、お楽しみもあり。
・そのおげまるさんに教えてもらったのだが、当掲示板「テルミンスレ」に次ぐ伝説の「こそこそスレ」(白梅軒店主さま、10万おめでとうこざいます)が再起動している模様。驚きました。
・『風々院風々風々居士 山田風太郎に聞く』(筑摩書房)購入。「彷書月刊」「東京人」「明治小説全集」の森まゆみインタヴューを一冊にまとめたもの。えらく地味なつくりですな。
・『アクロイドを殺したのはだれか』 ピエール・バイヤール(01.9('98)/筑摩書房)
フランスの気鋭の文学理論家が「アクロイド殺し」の真犯人は別にいる、という視点から事件の真相に挑戦し、欧米で話題を読んだというのが本書。この手の文学探偵の手法は、結構好きで、イギリスだと、多数の英国小説の謎に挑んだジョン・サザーランドの三部作(みすず書房)などの楽しい仕事を思い出すが、本書の場合、一般的に誰も謎を見つけない、解決のあるミステリに、問題を見つけ、一冊かけて、謎解きを試みているところが特異である。もっとも、全体を通して読むと、センセーショナルな『アクロイド殺し』の謎を演習問題として、自身の「応用文学」理論を語るところに力点があることが判明してくるのだが。
「アクロイド〜」の犯人は知っていても、粗筋も登場人物も忘れてしまってるよ、という向きも大丈夫。最初に登場人物表が載っており、かなり細かな筋の紹介が冒頭で行われる。犯人の意外性はもちろんのこと、おぼろに覚えているより、レッドへリングによる誤導や謎解きにも十分意を用いられたクリスティらしい傑作であることをまず思い知らされる。確かに、作中で真犯人とポアロに指摘される人物は、自らの犯行のようにほのめかす部分はあるものの犯行自体は告白していない。疑いの目でみると、ポアロの推理にも随分無理な部分がある。ここに新たなる探偵が参入する余地はありそうだ。続いて、クリスティの他の長編の分析に基づき(主立った長編の犯人等が軒並みバラされているので、要注意)、クリスティの隠蔽のテクニック「偽装」「転嫁」「露出」が抽出・分析される。
このあと、著者の筆は、「オイディブス王」の物語がフロイト理論に採用されたことの意味、妄想と理論の境界線、妄想と批評の問題を巡って転回し、著者の提唱する「応用文学」(精神分析を文学に応用するのではなく、文学を応用して精神分析をより豊饒なものにしていくという立場)の一端を見せつけるのだが、ここで問題とされる「世界解釈の多様性」「推理と秩序立った妄想の区分は極めて困難」「小説は構造的欠如による不完全な世界」といった事柄は、本格ミステリ好きなら既に「体で」知っている話なので恐れるに足りない(と思う)。
こうした横滑りの果てに、著者の推理による「真犯人」が開示される。その人物は、物語の粗筋を読んだときに自分の頭にぼんやりと思い浮かんだ人間と同じだったのだが、著者の推理には幾つかの重要な欠陥があるし、メタレベルの問題と作中レベルの問題をごっちゃにしている探偵法には余り高い点数を挙げることはできない。むしろ、凄みをもって迫ってくるのは、その後に加えられる「精神分析的」解釈の部分だ。著者は、「アクロイド殺し」を表層レベルの物語とはまったく別な二人の主要人物の闘争の物語、緩慢な殺人の物語と創造的に読み替えてしまうのだ。
「犯人は創造的な芸術家だが、探偵は批評家にすぎない」というチェスタトンの言葉を踏み台に「いや、探偵もまた芸術家たりうる」ことを示した真田啓介の真似をしていえば、ここでは、また、「読者も芸術家たりうる」道筋が示されているともいえる。バイヤールの「犯行」は、なかなか華麗かつ巧妙だ。
11月23日(金・祝) リアル・アナザー・ワールド
・「猟奇の鉄人」(11.19)とおげまるさん(掲示板)から、10万アクセス祝歌を戴いてしまったぞ。ありがとうございます。kashibaさんのは、前にメールで戴いた「♪密室であれば、バカだろが♪ゲテミスだろが、まっしぐら〜」のところが改良されている。最近、密室業務、全然やっていないのがつらいところ。
・久しぶりの3連休前の余裕で、木曜日サイ君とコーエン兄弟「オー!ブラザー」観にいく。30年代大不況下、埋めてある大金を取り戻すために脱走した囚人3人組のコメディー・ロードムービーといったお話。かなり面白いけど、コーエン兄弟というブランド名から期待されるほどではない。同じようなシチュエーションで、もっとギャグも冴えている古い映画がたくさんあったぞ、といった感じ。一度こういうのをつくってみたかったというところか。カントリー、ブルースなどの音楽が彩りを添えている。
・『刑務所の中』 花輪和一(00.8/青林工藝社)
去年発売されて、話題となったコミック。札幌在住の漫画家が、拳銃不法所持の罪で3年間体験した獄中体験を記憶をたよりに綿密に復元した実録漫画。現在、崔洋一監督で映画化進行中で、主演は山崎努とか。先日、網走在住の人と飲んでいるときに、囚人役ではないが、この映画のエキストラで出たといっていた。実際の刑務所を撮影に使わせてもらえず(そりゃそうか)、博物館になっている網走監獄を使用したとか。
実は、私、この漫画の舞台にもなる札幌東区にある刑務所に入ったことがある。といっても、臭い飯を食べたということではなくて(無論)、学生時代の刑法のゼミで見学という形で入ったのだ。刑務官に引率されて、勤労中の服役者をみるのは、結構強烈な体験だった。妙に穏和な服役者の表情もそうだが、中でも印象が強かったのは、刑務所の殺風景な内壁に服役者の描いた絵が様々に描いてあったことで、その中には、「扉」の絵があったりして、これではジャック・フィニイの「独房ファンタジア」ではないかなどと思った。子供の色使いのような原色が多用されていたのも印象深い。
漫画は、驚異的な記憶力でもって、自らの体験した刑務所暮らしの細部を再現していくのだが、そこにあるのは、不思議と安らかな時間である。起床から就寝までの厳密な日課、栄養を管理された食事、外部情報の遮断あるいは外部への無関心。塀の外のように雑事に煩わされることもなく、淡々と頁をめくるように過ぎていく日々には、一種の憧れさえ抱かせる。著者の最大の関心事は食事で、圧倒的な執着をもって描かれるそれらは、飽食になれた我々には、妙にうまそうにみえる。「子供の頃の夏休みのような朝」のようなさわやかさは、時間の経過とともに、管理される豚たちを漫画家に想起させるのだが、それ以上思考がどこかに求心していくこともない。服役者たちの飽きもせず続けられる会話は、子供の会話のように他愛がない。この管理されることの居心地のよさは、修道院のような宗教施設か、ある種の学校のようでもある。悔恨も改悛なくまったり流れる時間は、ガンマニアがこうじて実際の拳銃を購ったという漫画家の「犯罪」の質に見合っているということも大きいのだろうが、リアル・アナザー・ワールドの、一面の実相を伝える希有のレポートだと思う。
11月19日(月) 『評伝・SFの先駆者 今日泊亜蘭』
・10万アクセスで、掲示板に書き込んでくださった方、メールをくださった方ありがとうこざいます。
・先日、本買いに出かけたとき、丸善でやっていた自費出版展示を覗いてみた。なにか面白そうな本はないかと思ったのだが、展示冊数は少なくミステリ関係はなにもなし。そこに新風舎の図書総目録というのが置いてあったので、貰ってくる。ここは門前典之の『死の命題』の版元で、最新のカタログらしく冒頭の紹介では、著者に鮎川哲也賞受賞作家の肩書きがついている。ネットで話題になった『鹿の子昭和殺人事件』のほか、『卑弥呼の鏡の謎殺人事件』『「さまよえるオランダ人」殺人事件』『殺人スプレー』『順々回番の殺人』『トーランドット殺人事件』など、ちょっと惹かれるタイトルもある。『密室事件2002』という本のタイトルが載っている。これまた、ちょっとだけ気を惹かれる。インフォメーションによると共同出版で「29.8万円からの出版を可能にした」とある。これは、安いのか高いのか。
・ おげまるさんに教えて貰った本。掲示板でも話題になりました。実は、この作家の作品は読んだことがないのだが。
・『評伝・SFの先駆者 今日泊亜蘭』 峯島正行(青蛙房)
帯から。「独立、自尊の道を生きた’自由人’文学者」。著者は、漫画週刊誌の編集長として、長らく漫画界と関わり続けた75歳。今日泊亜蘭に関する関心も、交遊のある漫画家、杉浦幸雄の精神上の師匠といったところから発生したらしい。漫画家だった父の周囲に集まる武林無想庵や辻潤、長谷川如是閑といった一癖も二癖もある人物の影響を受けた幼少時代。圧倒的博識と弁舌、語学の才能でアナーキズムに傾倒する若者の精神的師匠になった五中時代。戦時下の高踏遊民時代。疎開先で生活のための暮らしを余儀なくされて、デヴューが遅れた純文学・探偵小説時代。やがて「おめがクラブ」に参加した日本SF黎明時代。「韜晦して現さず」という今日泊の生き方は一貫している。渡辺啓助が「おめかクラブ」の会長に担がれた理由、SF黎明期の群像、福島正実と「宇宙塵」の確執や大坪砂男、日影丈吉のエピソードなどSF・ミステリ史的にも興味深い話が多い。作品論は最後の章にまとめられているが、ストーリーの要約になっているばかりで、鋭いところが見られないのは残念。 印象深かったは、冒頭のエピソード。五中の学生だった今日泊は、アナーキストが亡命する国をつくろうと
言いだし、その国民は、同級生など男女五人とした。国名をヘレス国と名付け、ヘレス国語をつくる。複雑な文法も構成し、動詞変化や語尾変化も考案したという。五人は、その国での呼び名をつけ、普段はヘレス国語で、ニーチェや東洋思想を話したという。いかにもSF作家らしいというより、戦前の東京にかげろうのようなユートピアが存在したかのような気にさせられる話である。
11月18日(日) 10万アクセス/『ミステリ美術館』
・昨日の夜中に10万アクセス達成したようです。1万アクセス達したときから、1つの目標ではあったのだけど、いつものそれ行け、やれ行け感が、あんまりなかったなあ。数えてみると、9万アクセスに達した9/2から、70数日、更新したのは、20回。10月に至っては、3回しか更新できなかった。さる人には、死んだのかと思ったといわれてしまうくらいで。今日も、昼から仕事に出かけ終電でとぼとぼと帰ってきた。首の調子も今一つだし。ま、これからも、とぼとぼ行きます。不束なサイトをここまで育てていただいた皆さま、本当にありがとう。
・それにしても、沈黙の御大、関つぁんには、そろそろ出てきて欲しいぞ。
・「密室系バラエティブック」の公約もあるしなあ。刊行予定、来年の春。
・昨日、買った本。アリンガム『霧の中の虎』(ポケミス)、カルヴィーノ『パロマー』(岩波文庫)と、話題の本、『ミステリ美術館』 森英俊編(国書刊行会)。4000円で悩んではいけない。オールカラー、アートには疎くても、美しすぎる造りに、つい顔がほころんでしまうような本である。「ハートの4」「五つの箱の死」「四人の女」「キドリントンから消えた娘」・・。目にも彩な海外ミステリジャケットアートの世界。深夜、疲れた親父がウィスキーでも飲みながら、ウヒウヒめくるのにも、最適の本である。
11月16日(金) 『聖女淫楽』
・更新ペースが落ちているが、10万アクセス目前のとこまでやってきた。
・「ミステリ文学資料館ニュース」第4号が送られてくる。4Pオールカラー。山田風太郎特集で、原田裕氏のインタヴュー、高橋克彦の「警視庁草紙」賛、。10月29日からスタートしている展示企画「追悼 山田風太郎」の紹介等が載っている。初期の単行本のほか、『忍法創世紀』『幻燈辻馬車』の生原稿、短編の創作メモ、『人間臨終図鑑』の下書きなどが展示されているらしい。
・結構以前になるが、文雅@神月堂から教えて貰った細野不二彦のマンガ「ギャラリーフェイク23巻」入手。以前、猟鉄掲示板で話題になっていたかな。第6話で古本ネタで山田風太郎がフィーチャーされているという。
お話は、第6話「古書の狩人」。神田の東京古書会館から出てくる初老の男・鳥山。探求本、山田休太郎『聖女淫楽』は今日も見つからない。『聖女淫楽』は、本を集め始めた頃、ガラスケースに飾ってあった本で、特別の思い入れのある一冊。以来、30年一度も巡りあえないでいる。神田を彷徨う鳥山に近づいてくるセドリ師の瀬古。鳥山を誘って、ワゴン車に積んである古本を見せる。 『芦屋家の悪霊』『極楽荘奇譚』『十角殺人事件』、どれも美本、帯付き。だが、『聖女淫楽』はなし。絶叛の『芦屋家の悪霊』帯付きを「20万円特別サービス」で売りつけようとしたところに主人公のフジタが通りかかる。最近亡くなった探偵小説の蒐集家が帯のみを外してスクラップブックに保存したものを入手していたフジタは、『芦屋家の悪霊』がその蒐集家の蔵書であり、帯は偽造したものと見抜く。フジタと喫茶店に入った鳥山は、北海道に帰る予定を告げ、神田の古本屋巡りは、これが最後と告げる。が、偶々、そこの店主がミステリの蒐集家で、『聖女淫楽』は、同店にあったのだった・・。
店内で無料で閲覧可能といわれて、鳥山はしみじみと『聖女淫楽』に見入る。だが、蒐集家の魂としては、これでは、決して満足できないと思うのだけどなあ。
11月13日(火) 『最上階の殺人』
・風太郎作品リスト及びカウントダウンに『男性週期律』(光文社文庫/傑作選7)、『別冊文芸 山田風太郎』、『妖異金瓶梅』(扶桑社文庫)のデータを追加。単行本未収録は、もう底が見えてきた。あと少し、あと少し。
・日曜日の「知ってるつもり!?」視聴。晩年の死生観の紹介が大部分を占めていたけど、一般視聴者向けではそうなってしまうか。でも、故・山田風太郎邸からの中継という荒技をはじめ、庭や書斎、生家や、晩年の風太郎翁のフィルムも流れたし、全般的に丁寧なつくりだったと思う。ビデオをとっておかなかったのが、残念。内容的には、生前にやって欲しかったような。
・O舎から目録。目をひくのもあれど、とても手が出せない。『笑う肉仮面』は、ついに20万円に届いてしまった。復刊されたら、下がるのだろうか。
・『最上階の殺人』 アントニー・バークリー(新樹社/01.8) ☆☆☆☆
バークリーの長編全訳企画が進んでいるようで、諸手を挙げて歓迎したい。本書は、『第二の銃声』と『地下室の殺人』の間に挟まる脂の乗りきった時期の秀作。高級ともいえないマンションに住む守銭奴のオールドミスの殺人という、あまり食指をそそらない題材を扱いながら、どうしてこう面白く仕上がるのだろう。同じ年に書かれた『殺意』という陰画が作者のダークサイドを吸い取ってしまったように(いや『殺意』自体もユーモアに富んだ本だが)、軽妙洒脱なタッチと的確な人物造型でもって読者を十分に楽しませる。ごく些細な事実の発見と推理癖が、局面の大転回をもたらすという本格物の費用対効果を弁えたバークリーの手並みは、今さらながら見事である。特筆すべきは、ひょんな成行きから秘書となってロジャー・シェリンガムを翻弄するるステラ嬢。完璧な美女でありながらセックス・アピールゼロ、というこの秘書とのやりとりは、後のエラリー×ポーラ・パリス(「ハートの4」)、エラリー×リーマ(「ダブル・ダブル」)といった本格ラブコメ路線?を彷彿させる。ということで、今年のヴィンテージ主演女優賞は、ステラ嬢に決定。犯人=芸術家、探偵=批評家というブラ
ウン神父の公式を踏み台にロジャー・シェリンガムという名探偵の特質に迫る解説の真田解説も相変わらず秀逸。
11月10日(土) 『ファントマ幻想』
・本日(11日)、午後9時から、「知ってるつもり!?」で、「奇想天外作家の偏屈大往生・山田風太郎」放映。木曜日の道新のTVウィクーリー欄では、「戦中派偏屈老人・山田風太郎」と予告されていたが、予告タイトルは、ずっといいか。さて、どんな番組でありますか。
・『ファントマ幻想』 千葉文夫('98.12/青土社)
ファントマ。1910年にスーヴェルト&フランの筆により誕生するや、全フランスを恐怖と熱狂の渦にたたき込んだ「ファントマ」をご存じか。「犯罪を隠蔽するに、関係者をすべて殺害する。死人に口なしだ。さすがにこれほど、徹底した犯罪者はそれまで書かれていない」(松村喜雄『怪盗対名探偵』)といわれるほどの悪魔の化身、犯罪界のナポレオン。久生十蘭が'37年に「新青年」の付録として、翻訳しているのも、'29-33年のフランス留学中に直接その作品に触れたことがあったからかもしれない。かつて早川NVで最初期3作が翻訳されていたから、現代の日本の読者がその作品に触れるのもさして困難ではないだろう。
といいつつ、一冊も読んではいないのだが。 このファントマ、大衆の熱狂を読んだだけではなく、フランス同時代の芸術家、詩人たちのアイドルでもあった。アポリネールやサランドールなどのキュビズム時代の詩人やシュルレアリスト詩人たちは、ファントマ熱に浮かされ、マグリットなどの画家もファントマ関連のコラージュを創り上げた。33年、『ファントマ哀歌』なるラジオ放送をつくるために集まったのが、シュルレアリスム運動にかかわった詩人デスノス、作曲担当がナチスから逃れバリ滞在中のクルト・ワイル(『三文オペラ』の作曲家)、ファントマを演じたのがアンナトン・アルトー、音響担当が当時20代の(後にラテンアメリカ文学の巨匠となる)カルペンチエールという豪華メンバーだったという。本書は、このような思いがけない人々のつながりが当時、表現の最先端をいっていたラジオ番組を媒介にしてあったことに対する著者自身の驚きを起点に、「30年代パリのメディアと芸術家たち」(副題)の直面した問題を20世紀固有の問題として、検証していこうという意欲作。
「ファントマ」は、ダシにすぎず、同時代の文学・思想・映像・音楽に疎い自分のような読者には難渋にすぎる部分もあるが、上記の4人の移動と変身の軌跡を「ワイヤレスの詩学」「複製芸術」「映画とラジオ」「フォノグラフ幻想」といった切り口で辿る著者の問題意識は、様々な示唆に富んでいる。
併せて読んだ『畸人・怪人伝』(安原顕/双葉社 00.7)によれば、アルトーは、ネオアカブームのときに流行語にもなった「器官なき身体」の語の生みの親で、そのオイディブス的彷徨ともいえる一生は凄まじいの一言。四歳のときに脳膜炎にかかり、遺伝性梅毒と診断され激しい頭痛を紛らわせるため、麻薬を常用。パリに出て精神科医の進めで詩や批評を書き、舞台にも立つ。『裁かるるジャンヌ』『ナポレオン』などに出演する一方、バリ島のダンスに衝撃を受け「残酷劇」を志す。メキシコ旅行中に麻薬ペヨトルを用いるインディオの儀式に触れた後、奇怪な宗教的衝動に駆られてアイルランドに渡り、聖パトリックの杖をもってダブリン街を彷徨しているたころを逮捕され、国外退去。フランスの精神病院を転々として電気ショック療法を強要され、一種のグノーシス的カトリシズムと黙示録的憤怒の間を揺れ動く。最後の数年は憑かれたように長短さまざまな文をノートに綴り、51歳でベッドの下でスリッパを掴んで事切れる。
その死と破壊に貫かれた思想も一種のファントマ的身振りなのか。20世紀の神話的人物の資格
十分の怪人だ。
11月7日(水) 『真夜中に唄う島』
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・『真夜中に唄う島』 朝山蜻一(扶桑社文庫同タイトルに所収/01.8('62))☆☆☆
昔、中島河太郎のアンソロジーで読んだ、朝山蜻一の短編「掌にのる女」は、心がざわついた。ありふれた工員の夫と妻。夜ごとの快楽の追及がエスカレートして、ゴムの袋の中に妻がこもるという奇怪な演出を施しているうちに、妻のサイズはどんどん小さくなっていき(妻はそれを強く望む)、やがて破局が訪れる。あまりにもの悲しさ、出口なしの雰囲気に戦慄し、それ以来この作家の作品は、敬して遠ざけてきた。今回、復刊された幻の長編は、当時の中学生が受けた作品の印象とは大分違う。
ホステス殺害殺しの容疑をかけられた5人の男と1人の女は、快速船に乗って、太平洋に浮かぶ島に向かう。その島、太陽島は、住人が皆全裸で暮らし、あらゆる自由、とりわけ性的自由を満喫できるユートピアとして建設されたというのだが。
思弁ポルノとでも呼べばいいのか。島のすべての男は、すべての女のものであり、その逆もまた真。島に上陸した男女は、群姦、輪姦、フェティシズム、ボンデージ、SM、同性愛等様々な性的逸脱を経験する。島の建設者、富士一郎は、莫大な富を背景に、実験を試みるのだが、それは朝山自身の実験でもあるようだ。裸体に嫌悪を、自由に拘束を感じて始めている住人たちは一対一の関係に向かっており、島の「自由」には既に亀裂が入っているのだが、ある事件を契機にユートピア物語の定石どおり、島は一挙に崩壊に向かっていく。この辺の崩壊のダイナミズムが淡泊にすぎ、本書のもつある種の思想性に拮抗しうる肉厚さがもっと欲しかったところという気もするが、新たなアダムとイヴが誕生ともいえる終章は、それはそれで、ほど良い決着の付け方かもしれない。本書で最も精彩を放っているような感じられたのは、コルセットの挿話であり、「掌にのる女」を思わせるような人の物化への欲望は、作者自身のオブセッションでもあるのだろう。
書かれた当時の日本のポルノグラフィの水準というのは、よくわからないが、「ヤプー」並みとはいかずとも、実験性・思想性で抜きんでた、再評価を待ち続けた本だと思う。
11月6日(火) 真夜中をダウンロード
・どうも、最近掲示板に書き込んでも、うまく表示されないことがあるようなので(7日朝もそうでした)、ご迷惑をかけています。原因究明しますので、しばらくお待ちください。
・注目作か続々出ているけれど、大阪圭吉『とむらい機関車』『銀座幽霊』(創元推理文庫)が出たのは、近来の大快事。小林文庫で、初めて大阪圭吉の著作リストを観たときは、衝撃だったものなあ。こんなに作品があるのかって。そんなサイトウォッチャーの一人一人の驚きが出版に結びついたと、勝手に思ってる。無論、最大の功労者は、サイト設立者のオーナーであります。
・『20世紀SF6 1990年代』 中村融・山岸真編(河出文庫/01.9)
☆☆☆★
90年代SFって全然読んでいないなあ、と思って手にとる。しかし、考えてみると80年代SFというのも読んでいないか。いや、ひょっとして70年代SFというのも・・。そんな、「及びでない」読者が触れた90年代SF。中の一編「真夜中をダウンロード」というタイトルが、いい。SFは、常に新しくあってほしい、と思っている自分にとっては、新しい詩情を感じさせる絶妙のタイトルである。
米ソの宇宙開発競争に携わった宇宙飛行士のもう一つの歴史スティーヴン・バクスター「軍用機」、古代の恐竜に転移したシリアルキラーを描いて軽快なロバート・J・ソウヤー「爬虫類のごとく・・」、日本製のアニメ風巨大ロボットを使った見せ物興業を扱ったとぼけたホラ話アレン・スティール「マジンラ世紀末最終大決戦」、究極の耐性菌の出現をドメスティックな視点から描いて清新なナンシー・クレス「進化」、月面で1か月サバイバルした女性宇宙飛行士を扱って初期のSFのように初々しいジェフリー・A・ランディス「日の下を歩いて」、脳内腫瘍の治療により分裂・拡散する自己の探究譚グレッグ・イーガン「しあわせの理由」、電脳空間内のトラブルシューターを扱ったウィリアム・ブラウニング・スペンサー「真夜中をダウンロード」、カントリー風味でアメリカ南部に出現した巨大な山を超えるトラック野郎を描いたテリー・ピッスン「平ら山を超えて」、新米小学校教師と彼の生徒に語るファンタジーが二重写しになっていくベタ甘な感傷小説ダン・シモンズ「ケンタウルスの死」、アフリカに出現した外宇宙植物の侵略を描いて達者すぎるほど達者なイアン・マクドナルド「キ
リマンジェロへ」、短いエピソードをつないで背後にある壮大なもう一つの世界を浮かび上がらせるポール・J・マコーリイ「遺伝子戦争」の全11編。
冒頭のバクスターと掉尾を飾るマコーリイは、名作だと思うが、名作風につくってみましたというか、どうもかつてどこかで読んだはず、という既視感を拭えない。新しいという意味では、自分的には、グレッグ・イーガン「しあわせの理由」が圧勝。4000人の仮装ドナーによってもたらされた義神経を馴致して、ありうべき自分をつくっていくとアイデアがまだ観たことがない領域に読み手を引きずり込んでいく。後は、ナンシー・クレスの作品が現代女流に相通じるようなポスト・現代の感性をにじませていて、良いと思った。どれも、読んで面白いという意味では粒が揃ったアンソロジー。
11月4日(日) 国会図書館の底
・「彷書月刊11月号」末永さんの「昭和出版街」に、「小林文庫ゲストブック」の桜さん登場。おお、という感じです。
・同じ号で「第一回古本小説大賞」という企画をやっている。選考座談会を読む限りでは、候補作として残ったのは昔ながらの古本イメージの小説が多いような気がして。ネットで繰り広げられているようなニューウエィブ古本界?を舞台にしたようなものがあってもいいのではないかという気がする。以前触れた、永井荷風「来訪者」のモデルについて書いた「来訪者の足あと」という小説が特別奨励作として次号に掲載になるようなので、これは結構楽しみ。
・9月27日、国会図書館に行った話もついでに書いておく。
結局、翌日も休めることになっていたので、神田の古本街でも廻ってこようかと思っていたのだが、前日の佐野洋氏の挨拶にあった「カルモジン君」?の話で、心の針は永田町へ大きく振れる。朝飯を喰って、いざ、国会図書館へ。
国会図書館は、2回目だけど、制約が色々あって、利用しづらいことこの上ない。雑誌の場合、1度に出せる請求評は2枚まで(8:30−10:30に限り3枚)。1枚で請求できるのは、編纂単位ごとに2冊まで。複写するときは、1階の複写カウンターに行くことになるが、1人1日5回まで。それぞれの待ち時間があるから、やたらに時間を浪費することになる。これに比べれば、請求した雑誌がワゴンて出てきて、複写申請の上、本人コピー取り放題という道立図書館はパラダイスである。まあ、郵送等による後日渡し複写というのもあることはあるのだが。
早速、風太郎の学生小説目当てで、戦前の「受験旬報」−「蛍雪時代」にとりかかるが、これがまた欠号が多い。旬刊あり、旬刊を月刊にまとめた号ありで、号数がどの号を指しているのかもよくわからない。時間を有効に使おうと、待ち時間に、取り寄せた雑誌をチェックしつつ、複写コーナーにもっていって、などと画策しているうちに、次に何をすればいいのか、頭が混乱してくる。入館時に交付される自分のカード番号が電光掲示板に出るのを待つのは病院みたいなのだが、待っている間、国立国会図書館の広大な地下スペースに数千人の職員が蠢いていて、本の受け払いをしている姿を妄想すると、なかなか愉快。
結局確認できたのは、
昭和16.1、2、4、6、7、11、12(3、5、8−10欠)
(*11月号から「蛍雪時代」に誌名変更)
昭和17.1−6
昭和18.4、5、7−11(6、12欠)
昭和19.4−12
昭和20.1−3
「カルモジン君」?という小説はチェックした範囲では見あたらず。でも、中島河太郎リストに載っている学生小説のうち、○付きのを確認でき、コピーも取ってきたので、自分的には大収穫。
昭和15(1940)18歳 「石の下」(受験旬報2月上旬号)
○昭和15(1940) 「鬼面」(受験旬報4月号)
○昭和16(1941)19歳 「陀經寺の雪」(受験旬報1月号)
○昭和16(1941) 「白い舟」(受験旬報4月号)
昭和16(1941) 「鳶」(受験旬報/?)
○昭和18(1943)21歳 「国民徴用令」(蛍雪時代5月号)
○昭和18(1943) 「勘右衛門老人の死」(蛍雪時代7月号)
○昭和18(1943) 「蒼穹」(蛍雪時代10月号)
(「陀經寺の雪」は、小林文庫オーナーから既にテキスト提供あり)
後は、「鳶」のみ。併せて「信濃の宿」(2−3回)、「開化の忍者」のコピーもとってくる。「忍法相伝64」は、コピー回数オーバーで、後日送りになってしまった。4時、帰りの飛行機の時間が迫っているので、退館して羽田へ。号数さえ判っていれば、取り寄せも可能なのだが、「カルモジン君」は難しそうである。
学生小説の話はまた改めて。
11月2日(金) 山田風太郎さん お別れの会4
・今日(3日)は、テルミン博士の命日だそうで。だから、というわけでもなく、テルミン演奏+映画上映の小イベントに行って来ました。(「テルミン雑談スレ参照)
・9月の話を延々とやってますが、お別れの会、ようやく最終回です。
× × × × ×
スピーチは続く。
途中、オレンジのポケットチーフに葉巻をくわえた北方謙三氏と、異貌の花村萬月氏が相並んで、正面の方を見ている姿は、なかなか壮観だった。
●縄田一男
山田先生が亡くなって二月。本屋で新刊『忍法創世記』を見かけると、まだ生きて活躍しておられるのでないかという錯覚にとらわれる。
7月29日、新聞社から電話で訃報を知らされたが、その時、これは悲しんではいけないことではないかという気がした。糖尿病、パーキンソン病を患っておられたが、「死は、最大の滑稽事」とばかり確信犯的に、自らの状況を滑稽・ユーモアとみなしておられた。これは、自分が見舞われている不条理をユーモアに変える、最後に放った大忍法だったと思う。
菊池寛賞受賞のときに「今は元気にしているが来年あたりは死んでいるかも知れない」というお言葉があり、会場はシーンとなってしまった。そこで笑える勇気があれば、その場の雰囲気は変わっていたかもしれない。そのことが慚愧に堪えない。ご冥福をお祈りします。
●安藤満(前文芸春秋社社長)
随分お世話になった。お願いしたかったことが一つ残っている。頭の中を一度観てみたかった。案内状に「奇想で世を驚倒せしめ」とあるが、初めてお会いしたときから、驚きっぱなしだった。30年前になるか、オール読物編集部にいたころ、三軒茶屋のお宅に初めてお邪魔した。通りではなく、木戸を通っていた3軒目か、4軒目だった。散歩しているとかで、留守番していた可愛らしい少女がいて、その方が実は奥さんと聞いて、とんでもない、たぶらかしたなと思った。家の中は本でいっぱいで、座るところがなく、根多が抜けそうだった。
しかし、先生の作品は、本から出たもののではなく、頭の中から出たものだった。そのとき、貰った作品が「虫臣蔵」。仇討ちから脱落していった浪人の苦悩を描いたもので、こういう小説ってあるんだなと最初のときから驚かせられた。作品を持ち帰ると、デスクは「これはいい作品だね、素晴らしいね」といって褒めてくれたのをよく覚えている。
先生は、引っ越しの度に、家が立派になってくる。聖蹟桜ケ丘に家を建てられたときも、「講談社は、素晴らしい。植木屋などを紹介してくれるのだが、全部コンツェルンになっていて、稼いだ分を回収していく」と言っていた。
「警視庁草紙」「地の果ての獄」といった小説は、一言で言い表せないような素晴らしい作品だった。一度頭の中を観てみたいというのは果たせなかった。
●白石久男 氏(光文社OB)
編集者から見た先生の肖像。原稿の〆切が近づくと真夜中にタクシーを飛ばして桜ヶ丘に行く。食事をして寝て待ってろといわれ、風呂などに入れさせてもらって寝る。次の日目覚めると、原稿が出来上がっており、奥さんの運転する車で駅まで送って貰う。それで、凸版印刷に持ち込んで8時までに間に合うという具合。編集者に原稿で苦しんでいる姿を見せたくなかったのだと思う。
●こじまかおる 氏(講談社)
最近まで、先生を担当していた。家内と会ったときより古い30数年前からのおつきあい。よく、先生は出不精といわれるが、決して出不精ではなかったと思う。奥さま、編集者や友人ら9人で随分あちこちに出かけた。その中では私が一番年下だった。
大山、吉野、奈良、ソウル、桂林などに出かけた。9人の中には、尺八の名手がいるなど、多士済々だった。私は食べるだけ。旅行中も、自分では実行されないで、他人か楽しんでいる反応をみて、楽しむというような屈折したところがあった。大山に出かけたとき、関の五本松があって、「関の五本松」をリラックスして口ずさんでいたときに、初めて素顔を見たような気がした。他人をまず楽しませ、自分が楽しむというようなところがあった。
●鈴木 氏(文芸春秋)
先生を担当しているというと若い編集者から羨ましがられることが多い。昭和49年、『警視庁草紙』の途中から『地の果ての獄』『明治断頭台』までをずっと担当した。毎月2〜3回お宅にお邪魔した。
『地の果ての獄』のとき、珍しく風景を見たいとおっしゃって、2月の末、北海道空知の月形、樺戸を2泊3日の取材旅行に出かけた。帰り、新宿の駅でお別れしたとき、自分で帰れるからと切符をもって行かれた、改札口を入っていく様子を見ていたら、各駅停車の方に行っていたので、特急の方にお連れした。ちゃんと、送れば良かったと思った。
麻雀10回くらいおつきあいしたが、点数表の横罫が26回分もある。半荘26回、夕方から飲みだし、夜食を食べて朝までやった。
単純計算をすると100回はお会いしているのではないかと思う。「オール読物」から離れても、年に3〜4回は伺っていた。
訪れると、「ご飯食べていきなさい」と言った後で「君、誰かね」といわれてしまった。
今、ここで話をしてても「君、誰かね」と、また言われると思います。でも、もう一回、先生のその言葉を聞いてみたいです。
スピーチの終了とともに、ほぼ閉会の時間となる。閉会のアナウンスが流れ、参加者は外へ流れ出す。風太郎氏の写真に一瞥をくれて、会場の外へ。出口では、新刊『忍法創世記』が全参加者に配られていた。
日下三蔵氏に挨拶をしていこうと、外で待っていると、お茶に誘っていただき、途中、図々しくも、新保博久氏ともうお一方と合流して、一階の喫茶コーナーへ。
新保氏には、20年ほど前、ミステリ大会という大学ミステリ研連合の会合で2〜3度、お会いしたことがあるのだが、その旨伝えると、「あの頃と細胞が全部入れ替わってますから」。無論、こちらのことを覚えているわけない。それでも、あの頃とほとんどおかわりない印象だった。
若々しい、もうお一方(日下三蔵氏に会場でリストを見せられていた方)は、名刺をいただき、「本の雑誌」でおなじみの北原尚彦氏と判明。この方が、「貼雑年譜」を2冊買った方ですか。
小一時間、扶桑社の今後のラインナップやら、最近活躍の評論家、光文社の選集に重版がかかった話、本の雑誌、「帰去来」問題等様々に伺っているうちに、閉店の時間になり、お開き。
JR有楽町駅に向うお三方と別れ、有楽町線で、明石町のビジネスホテルへ。
事前に日下氏から一夜の宿提供という、涙こぼるるお申し出があったのだが、翌日の予定が立っていなかったので、泣く泣く御辞退申し上げていた。日下コレクションを一度、見たかった。
腹が空いていたので、ホテルの近くの焼鳥屋で、ホッピーと日本酒で、小一時間過ごす。この日は、偶々、自分がバカボンのパパと同い年になってしまった日でもある。今日の出来事や様々な思いが去来する中、明石町の夜は深沈と更けていく。それにしても、あの店の焼き鳥は随分と、旨かった。
10月29日(月) 山田風太郎さん お別れの会3
・またまた、すっかり御無沙汰です。このまま、フェイドアウトしてしまいそう。
・注目新刊も、続々出てるが、とりあえず、これだけ。
『KAWADE夢ムック 追悼特集山田風太郎』(河出書房新社) 単行本未収録の「開化の忍者」のほか、「しゃべる男」「一刀斎と歩く」、文庫未収録「忍法しだれ桜」、入手困難作「近衛忍法暦」が読めるのが最大の売りでしょう。後は、種村季弘インタヴューが一番面白かった。「研究」の部分は、古くは「別冊新評」の頃から、それぞれ深度は増しているいるのだろうが、物足りない感は否めず。ブレイクスルー的な風太郎論がそろそろ出てもいいはずだと思う。
・というわけで、「アストロ球団」並みの展開の「お別れの会3」。後一回続きます。
× × × ×
スピーチは続く。
●松岡?氏(女性) (徳間書店/『人間臨終図鑑』を担当)
87年3月に上下巻で出た『人間臨終図鑑』を担当していた。連載が終わった後も、先生は、昭和天皇、岸信介、石原裕次郎の3人は是非書きたかったとおっしゃっていた。会う度に、何人か違う名前が出てきた。資料が整わないということと、死んでから時間が経っていない人の評価はなかなか定まらないとことがあって、体調を悪くされて続編が書かれることはなかった。
打ち合わせに夕方お邪魔すると、お相撲を観ながら、奥様の手料理でウイスキーのロックをやっておられる。お話などしているうちに、気が付くと夜になっていて「僕は先に寝るよ」と先生は寝てしまわれる、というようなことがよくあった。
『警視庁草紙』が好きです、といったことがあるが、「あれは売れないんだよ」と先生はおっしゃっていた。あんな素晴らしい作品が受けないなんて世の中おかしいです、と先生に言ったこともある。
蓼科の別荘では、夕方よく一緒に散歩をした。ビールを飲みながら、おかしな夢を見たといって、誰かに腕を噛みつかれた夢などの話ををされていたのを覚えている。その後、あまり歩かれなくなったが、今思えばパーキンソン病のせいだったのか、と思う。
先生のアルバムには、学生の頃描かれた風景画や自画像が貼ってあり、これが実にお上手だった。先生は、作品では美しい女性しか描かないとおっしゃっていた。原稿を督促したこともない。
思い通りの人生を歩まれたと思う。先生とお会いでき、本当に私は幸せでした。
●高木彬光夫人(おみ足が悪いのか何人かに介助されて壇上へ)
今話していたことを30秒後には忘れてしまうので、書いてきたものを読みます。いつも、そう呼んでいたように「風さん」と呼ばせてもらいます。三
軒茶屋の頃のエピソードとしては、渋谷方面からドテラを裏返しにして歩いていて、警官に呼び止められ、反対側に歩いていったようなこともあった。
夫と出かけた海外旅行のエピソードとしては、風さんは、自分の部屋の鍵をかけられない。「箸とペンしかもったことかない」というようなことをいっていたが、旅行に行ってみると本当にそうだった。高木が鍵をかける役をやった。
才能のある人だった。高木は、私に「天才とは何ぞや」という天才論をしたことがある。その際には、星新一、三島由紀夫などの名前を挙げ、これらの人なら自分はいくらかは真似ができるかもしれないが、風さんの作品だけは逆立ちしても真似できないといっていた。あいつは天才だ、と言っていた。それだけ評価していた。
最近は若い人にも読まれているようで、風さんの作品は、今後とも後世まで読み継がれていくだろう。 天国で会った二人は、もう鍵を持ち歩かなくてすむのでないかと思っています。
●山田啓子 氏(山田風太郎夫人)
出版社のご好意により盛大な会を開いていただき、また、たくさんの人にお集まりいただきありがとうございます。出不精で外に出なかった本人が一番喜んでいると思います。
七年の闘病生活でしたが、次第に歩行が困難になり、ペンももてなくなって、半年前は口も聞くことができなくなった。苦しみもせず逝ったので大往生だったと思います。作品のことはわかりませんが、これからも皆さんにはお世話になると思います。今日は、ありがとうございました。
闘病の部分では、言葉が詰まり、涙ぐまれておられるようだった。
●花村萬月 氏
文庫の解説を書かせていただきました。生活が荒れていたので、作中の「忍法筒枯らし」が身にこたえた。先生はつかみの天才だった。対談の話をいただいていたが、叶わなかった。それだけが、残念。以上。
●藤田宜永 氏
一面識もない。2年前、文庫解説を書かせてもらった。高校時代夢中になって作品を読んだ。30代になってから「戦中派不戦日記」を読んだ。飄々として生きられている姿に憧れていた。解説の中で、かつての人気ドラマ「ベン・ケーシー」の冒頭に入るセリフ、「男、女、誕生、死」というセリフを勝手にもじって、「男、女、誕生、死、無限」が風太郎忍法小説のキーワードと書かせてもらった。亡くなったというより、小説の世界、「無限」の世界の方に行ったという気がする。
●南伸坊 氏
筑摩の『明治小説全集』の装幀をやらせてもらった。エッセイで、庭に雀が来たんで、パンくずだか米だかを「バカ」という形に大きく置いて、その上に群がる雀を観たという話を読んでいたが、いいな、歳とってこういうことをやりたいなと思った。(以下、メモ読めず)
10月15日(月) 山田風太郎さん お別れの会2
・すっかり日記戦線は、脱落気味。
・土曜日、北村薫ファンのサイ君にせっつかれて、公開初日の映画『ターン』を観に行く。この作品、まだ読んでいないのだが。映画は、ワーナーマイカルというシネマ・コンプレックスでしか、公開していないようで、札幌での公開はなし。近郊となると、江別か小樽のワーナーマイカルに行かなきゃならぬ。JRで行くとなると、往復720円をかけて、江別の「高砂」という駅で降りるらしい。そんな駅、昔からあったか。夜は無人駅になるという高砂駅に降り立ち、右手の鬱蒼とした森の脇を通って、マイカル資本の「サティ」へ。なぜ、映画を観に行くのに、森の脇を通って行かねばならんのだ。「北海道の「サティ」は、大丈夫です」、とかなんとか貼り紙がしてある店内を抜け、屋上の劇場へ。
シネマ・コンプレックスというのは、恥ずかしながら初めて入ったが、8館ある劇場の入り口が、一つになっていて、モギリ嬢も一カ所に立っているだけ。別な映画を観ることもできそうなのだが、その辺どうなっているのだろう。
映画は、全体に小品といった印象だが、ストーリーを知らないで観たので、かなり引き込まれた。北村薫的、郊外の平穏な生活+ジャック・フィニイみたいな話で。主演の牧瀬里穂というのは、ちょっと北村作品とイメージが違う。母親役の倍賞美津子は、老けすぎだ。
・誤字、脱字はいつものことだが、前回の記述には、見逃せないミスがあるという、サイ君の指摘。何かと思ったら、東京に着ていったスーツは、紺ではなくグレーだという。うーむ、もはや、老人力の付き方も、半端ではなくなった。ということで、お別れの会続きです。(メモしてきたスピーチも、なんだか読めなくなってきた。
× × × ×
献杯の後、会場を見回しているうちに、やっと日下三蔵氏をみつけ、テーブルへ。横にいらしたのは、川出正樹氏で、森さんのパーティのときに、一度ちょこっとだけ顔を合わせているが、そんなの覚えてられないよなあ。名乗ると、毎日読んでますと言われ、恐悦。日下三蔵氏に、おげまるさんの発見に係る「ふしぎな異邦人」のコピーを差し上げようとしたら、既にコピー入手済みとのこと。さすがです。で、コピーは川出さんに差し上げる。日下さんは、横におられるナイスガイな方に光文社の山田風太郎傑作選の補遺編のラインナップを見せている。拝見させてもらったが、凄い。これらが全部入りますか。補遺編は、山風アディクト、目を剥くラインナップですぞ。日下さんが、たまたま無名のカストリ誌から見つけたという、山風の新発見作(「補遺編」の楽しみのために、タイトルは伏せておきます)のコピーをいただく。あ、ありがとうございます。途中、これも森さんのパーティで初めてお会いした山前譲氏にほんの少し御挨拶。北海道から来たといったら驚いておられた。
献杯の後、少し時間を置いて来賓のスピーチが始まる。
●北方謙三氏
蓼科の先生の別荘にお伺いした際に、今、南北朝の時代に興味があるんですという話をした。先生は、南北朝ってのは鎌倉時代から後か先かと、リンゴをかじりながら聞いておられたのだが、再会したときに、君の話が面白かったので、これ書いたといって、『婆裟羅』を出された。「先生、ずるいですよ」といったら、「先に書いた方が勝ち」だと、おっしゃる。編集者に頼まれて書いたものではないので「お前、出版社見つけてこい」といわれ、それで、講談社の土屋さんに電話をしてとりにきてもらった。先に先生の『婆裟羅』が出てしまったので、(自分が)『道誉なり』を書くのが5年遅れてしまった。 山田先生のお宅は、ご飯がおいしい。たまにしか外に出られないが、外に出るときは、マグロの赤身を食べる。赤身しか喰わない。先生は、黒マグロには赤身とトロがあるのを理解していない。今頃、天国でお好きな赤身を召し上がっているのでないかと思います。
●永井豪氏
お目にかかったことはない。お別れの会があるということを知り参加させてもらった。忍法帖との出会いは、小学校6年生のとき。非常に夢中になった。世の中にこんな面白い小説があるのか、小説って面白いと初めてわからせてもらった。男ばかりの5人兄弟だったが、『忍法忠臣蔵』を読もうとしたとき、「お前には早い」とストップをかけられてしまった。なぜ、『甲賀』は良くて『忠臣蔵』はダメなのかいまだに理解できない。性教育受けていない状況なので、頭の中は妄想の塊になる。「忍法やどかり」、これはどうなっているのか、とか、その世界に浸りこんで、頭の中が妄想だらけになる。エロティシズムは妄想の中にありということを気付かせてもらった。
『ハレンチ学園』は、手塚先生の影響もあるが、忍法帖シリーズのエキスが入っている。主人公の小学生の女忍者が「十兵衛」となったのも、山田作品の影響を受けている。
晩年は、アル中ハイマーと自称され、酒好きでもいらっしゃった。こういう形でしかお会いできなかったのが残念。今夜は、一緒に飲んでるつもりになって、帰りたい。御冥福をお祈りします。
●関川夏央氏
山田先生の作品との出会いは、中学生のときにクラスで、『くの一忍法帖』が回覧されたときだった。性的に興奮はしなかったというより、ひどく程度の高いものであり、普通の人ではわからない作品であるという感じをもって、それ以来、しばらく距離を置いていた。1972年に「警視庁草紙」を読んだ。失業に近い状態で鬱屈していた時代のこと。その小説はユーモアに富み、自分を力づけてくれた。作品を読んで、文学は男子一生の仕事であるかも知れない、ということを初めて知らされた。
晩年の一時期、のどかで、とぼけた対話をする機会をもったが、至福のときだった。戦後最大の小説家であると思う。
桜ケ丘の上で、先生が飄々と過ごしておられる、というのが支えだった。先生は、今でも、桜ケ丘の上で、飄々としておられるのではないか、と自分には思える。それを支えにしていきたい。
まだ、続きます。
2001.10.7(日) 山田風太郎さん お別れの会1
・すっかり遅くなってしまいましたが、お別れの会について書いておきます。
・「 山田風太郎さんお別れの会」のご案内
残暑の厳しい昨今ですが、ご清栄のことと存じます。
さて、「魔界転生」「警視庁草紙」「戦中派不戦日記」など、多くの著作で世を驚倒せしめ、鬼才、異才、天才の名をほしいままにした山田風太郎さんが亡くなられてから、間もなく四十九日となります。 生前、戒名を自らつけて「風々院風々風々居士」となられた山田さんを偲び、かつは、酒をこよなく愛された山田さんにお別を述べる会を催したく、ここにご案内申し上げます。」
・9月26日は、山田風太郎さんお別れの会。そもそも、作家や編集者など風太郎氏ゆかりの人たちが集まって、追悼するという趣旨の会らしく、単なる一ファンの私如きに、案内がくるような筋合いのものではないのだが、日下三蔵氏の御配慮で、案内状リストに当方の名前を潜り込ませていただいたらしい。
・遅い夏休みをとり、昼すぎに千歳発、羽田へ。平服にてお来しください、とあるがどういう恰好でいけばよいのか。この種の会に出たことがないので、サイ君と相談し、紺の背広に黒っぽいネクタイをしていく。往路「警視庁草紙」を読み返す。
有楽町周辺で、資料の手渡し用のコピー屋を探すのに一苦労。香典も包むのか、9割方ないとは思うが、皆出していたらどうしようと急に気になり、一応香典袋を用意しておく。
・東京会館は、皇居のお堀に面したクラシカルな建物。エレベータを降りると、出版社の手伝いらしき人たちが、整然と受付を行っている。会費を払い(香典というのは無論なかった)、記帳。記帳は、筆。筆で名前など書いたことなど中学校以来なので、緊張しまくり、名前が揺れる。
「山田風太郎年譜」と「山田風太郎主要著書」が掲載されている、「山田風太郎さん お別れの会」の4枚もののパンフをいただく。
会場は、屏風で仕切られ、こちら側が開場のでのたまりになっている。知った顔もあるはずはないと思っていたので、一人端の方に陣取り、煙草をふかす。森さんのパーティ以来の、社交界に潜入したアイダホの農民状態である。でも、あのときは、関がいたからなあ。会場観察。山前譲氏が見える。少し遅れて北方謙三氏が入ってくる。この方は、一目でそれとわかる。いしかわじゅんの絵そっくりだ。ネッカチーフをポケットから出し、出版社らしき人に取り囲まれる。さらに少し遅れて、長身の藤田宣永氏。新直木賞作家らしくオーラが漂ってくる印象。こちらもすぐ編集者らしき人に囲まれる。幾つかに固まっているご年輩のグループからは、同窓会みたいだねという声も聞こえてる。北村薫氏、折原一氏らしき人もみかけるが、こちらは勘違いか。黙然と煙草をふかすうちに、開場。
正面左側に遺族が3人立たれている。参加者は、列をなし、白いカーネーションを手渡されてから、遺族の方にご挨拶。この方が、「戦中派不戦日記」にも登場し、風太郎氏を支え続けた奥さま、啓子さんかと思うと、緊張の塊となる。想像していたとおりの品のいい優しそうなお方でありました。もごもごと頭を下げる。(あとのお二方は、あとで聞いたところ、ご令息とご息女の由)
正面には、白い華で囲まれた山田風太郎氏の遺影。愛煙家らしく、煙草をくゆらせている。遺影の前には、一杯の水割りが置かれている。
参加者は総勢百人超といったところだろうか。会場の端の方に身を寄せていると、隣りにはいたのは、岩井志麻子氏だったらしい。
開会の辞に続いて、呼びかけ人佐野洋氏と原田裕氏の挨拶。
(以下、要旨。勘違い、聞き間違いも多々あるかと思いますが御海容のほどを)
●佐野洋氏
作家や編集者などで山田さんのお別れの会を開くことになり、呼びかけ人になってくれということなので喜んで引き受けた。山田さんとは、探偵作家クラブ時代・推理作家協会時代を通じて数回しかお会いしていない。作家の麻雀大会と年賀状を通じたつきあいくらい。
風太郎さんの名前は、デヴュー前から知っていた。学生時代、受験勉強のため、受験雑誌の古本を神田で買った。学生の投稿小説が載っていたが、その中に「カルモジン君」(*)という小説があり、それが山田風太郎さんの小説だった。他の受験小説がみな真面目な小説だったのに対し、「カルモジン君」は、ユーモアに富んだ大人の小説で非常に印象に残っている。
山田さんは、けしかけ屋的な性格があり、朝日新聞社が「戦後の人物100人」というような企画を立てたときに、推理作家協会の理事長の名が載っていないおかしい、抗議するといっているという電話を山村正夫さんからもらったことがある。
風太郎さんは、けしかけるのが名人だった。松本・高木論争(注:邪馬台国をめぐる論争と思われる。)のときも、高木彬光さんに「反駁しなかったら負け」と、高木彬光さんをけしかけていた。
自分は、山田風太郎全集の月報を綴じた形にしてもっており、これをもっている人は何人かしかいないと思うが、これに奈良本辰也氏のエッセイが載っている。教師時代に学生時代の山田さんと出会い、当時大変な秀才だったが、学校でなにか問題事がおきると背後には、軍師のような役回りで必ず山田さんが絡んでいる、というようなことが書いてある。けしかけるのがうまいというのは子供のときからの性格だったと思う。亡くなった結城昌治氏もそういうところがあった。
一度、こちらから、けしかけてやろうと思い、風太郎さんが女優の轟夕起子が好きなのを知っていたので、年賀状で、あの林真須美は少し痩せると轟夕起子に似ているんではないかと書いて送ったら、その頃は、もう体力もなかったか、ごく普通の年賀状がきただけだった。
山田風太郎全集には、ゴルフの練習をしている風太郎さんの写真が載っているが、自分が始めたのは、それから5〜6年後であり、もう少し遅く始めておられれば、家が近くということもあり、一緒にゴルフ場をまわれていたかもしれない。角川の麻雀大会では何度も顔を会わせたが、麻雀は弱く、いつも、ブービーは、風太郎さんか山村正夫さんだった。
風というのはを視ることはできないが、なにかの折りに吹いているということがわかるものである。風太郎さんが亡くなったが、私にとって今までと同じ視ることができないということでは、同じ。ゴルフの時に、風の動いていることを感じれば、ああ、風太郎さんが見守っていてくれるんだなと感じることができる。
(成田注:この「カルモジン君」?という小説は、既存の山風懸賞小説のリストにもない作品。その通りであれば、新発見と思われるのだが・・。佐野氏の勘違いではないかという気も捨てきれない)
●原田裕氏(出版芸術社社長)
昭和21年講談社に入って以来50数年間、いまも出版業に携わっているが、一番親しい作家だった。
宝石で「達磨峠の事件」でデビューされた頃、「キング」という雑誌にいたが、当初、64pくらいしかない雑誌だった。その雑誌を9人でつくっていたので、暇だけは随分あって、他の雑誌にもほとんど目を通していた。誰がどこで書いているということはみんな知っていた。電話もほとんどない時代で、作家のうちに実際に行ってみるしかい。行ってみると、家が焼けていて、どこにいったかわからない、そういう時代だった。当時の作家は、皆40年輩、編集者は20代。皆、「先生」と呼ぶべき存在。自分と同じように若い作家が出てこないかと思っていたときに、風太郎さんが出てきた。初めて同じように話ができる作家が出てきたと思った。自分が、一番最初にプロの編集者として執筆を頼みにいったはずだ。
風太郎さんは、当時は、1間しかない家に住んでいた。おばさんがお茶を出してくれたが、家がかしいでいるため、お茶が水平にならない。どこで集めたのか、部屋の中は、三方すべて本に囲まれていた。東京の空襲によって、本を持ち続けていることが困難な時代によく持ち続けたものと頼もしく思った。
同時期に高木彬光がでてきて、風太郎さんと仲良くなった。高木さんは「フーサン、フーサン」と呼ぶ。ご当人は、いかにも「フーサン」という感じなんですよ。そのうちに偉くなっていくにつれて、「先生」と呼ぶ編集者も出てきた。自分も、人前では「先生」と読んだこともあるが、二人のときは、「フーサン」と呼び続けた。
風太郎さんが、結婚したとき、お祝いに何をあげようという話になった。当時は、乱歩さんはじめ推理作家の間で将棋が非常はやっていた。フーさんは、なにもやらないので麻雀でもやらせようとうことになって、お祝いは、古道具やで買った麻雀の牌に。
麻雀は、強くないという話があったが、強かった。点数の数え方もウロ覚えだったが、大物ばかり狙い続けて、和了ってよく周囲をびっくりさせた。当時、作家の稿料は、1枚700円〜1000円、編集者の月給は、3800円くらいだから、30枚書くと、編集者の何ヶ月分の給料にも相当した、だから、負けたって平気だった。色川武大は、当時編集者だったが、この人は、いつも負け。なぜ、いつも負けるのかと皆不思議がっていたが、いつもニコニコして人柄のいい人だった。そういう時代だった。
風太郎さんは、戦中派らしい戦中派。負けん気が強い。権力の強い人、金持ちの人、いばっている人には、敵愾心をもっていた。戦中派は大体そう。そういうのが、いろいろなところで現れた。間違ったことはやらない、気にくわないことはやらない、葬式なんかはやらない、何もかも、自由に自分の思うままにやった。そういう生き方を通していった。奇人だと思われていたかもしれないが、戦友、最後の友が逝ってしまって悲しい。
この後、献杯の音頭が、推理作家協会理事長の逢坂剛氏から。(逢坂氏も風太郎氏にお会いしたことはなかった由)
(続く)