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2001.7.1(日) 『警察官よ汝を知れ』
・土曜日は、滝川で元同僚の結婚式。美男美女のカップルでよろしございました。往復送迎バスつきだったのだが、帰りのバスは、懐かしい顔ぶれが揃って、さながら職場の旅行会。酒類を買い込み、札幌ついた頃はへろへろ。到着後は、なぜかボーリング。首のヘルニアかばい投法で、結構いいスコアが出る。飲み屋を2軒。金富士大リニュアルというのは、内装を張り替えただけのような気が。
・二日酔いで倒れている間に、日曜日は過ぎていくのであった。ううう、女相撲が。
『警察官よ汝を守れ』 ヘンリー・ウエイド (01.5('34)/国書刊行会)☆☆☆★ 
 ブロードシャー警察本部長スコール大尉は、復讐を誓う元服役囚に脅かされていた。厳戒態勢の中、警察本部内で、本部長は射殺。犯人の姿は、消え去っていた。完全に手詰まりに陥った事件の解決のために、スコットランドヤードからプール警部が派遣される。
 一見単純に見えた事件の構図は、プール警部のねばり強い捜査により、その様相を次々と変えていく。事件解明の光明が見えてきたようで、再び否定されていく、もどかしいようなトライアル&エラーが、本書の大きな読みどころ。『推定無罪』でも、見られた際立った人物描写は、主人公のプール警部をはじめ、点景人物まで及んでいて、作者の腕の確かさを感じさせる。警察署内での殺人という派手な設定を扱っているが、特徴的なのは警察自体を行政上の組織として見る視点で、警察本部が警察委員会の管轄に置かれ、州政府に財政面をチェックされ、本部長や職員の任免はそれぞれ独自の手続によっているという、ほとんど同時代のミステリで言及されることのない部分である。警察委員会の捜査への容喙があり、汚職の疑惑があり、出世の野心を持つものがありという、機構としての警察は、筋立てにも大きく関わり、本書の感触を独特のものにしている。最後の謎解き部分は、結末を急ぎすぎた感があり、さらに幾つかのパーツが欲しかったところ。全体の構図が見えてしまうと、なぜこのような形での犯行に犯人がこだわったのかについて説得力に欠けているきらいがある。
 主要人物たちは、第1次大戦の経験者で、プールの捜査は、登場人物が語る大戦の激戦の記憶に何度も遭遇する。大戦間ミステリとしての読み方もあるだろうか。滋味豊かな大人のミステリとして、もっと読んでみたい作家である。



2001.6.27(水) 「映画スキャンダル50年史」
・松本真人さんから、山田風太郎「墓堀人」が再録された「100万人の小説読切」送っていただく。ありがとうこざいます。巻頭の短編が風太郎で、あとは今官一、和泉譲治、西岡志摩子、梁取三義などほとんど聞いたことのない作家が多い。墓堀人に付けられた四文字キャッチは、「人間苦悩」でした。これ、自殺を図った医者を前にして同僚の医者が推理をめぐらし、次々と真相の扉が開いていく非情に凝ったミステリなのだが。
・扶桑社文庫昭和ミステリ秘宝の新刊2冊。香山滋『魔婦の足跡』、泡坂妻夫『斜光』。「魔婦の足音」は、読む前に文庫になってしまったよおお。前者併載の長編「ペット・ショップ・R」は、これまでに全集のみに収録されたものという。後者は、長編「黒き舞楽」、「秘文字」に収録された「かげろう飛車」を併載。どちらも、巻末に著作リストが付された充実編だ。
『映画スキャンダル50年史』 栗田信・小野好唯(文芸評論社/'56.7) 図書館
 もういっちょ、栗田信。といっても、これはエッセイ。著者略歴くらい付いているかと思ったら、特にない。相変わらず、どんな人だかわからない。カバーの表示、後書きでは、クリタ・信となっている。石井さんから映画関係の著書もあると聞いていたので、これはあの栗田信でしょう。「この本を執筆出版するに当たり、過半の労を小野好唯君に災せました」とあるが、栗田信は、実労を担当する共著者がつくくらいのそこそこの著名人だったのだろうか。
 タイトルは、かの「ハリウッド・バビロン」を思わせるような物々しさだが、主として日本映画に関するゴシップを軽いタッチで読物にした、といったところ。それでも、川上音二郎と日本最初の女優貞奴から説き興して、島村抱月と松井須磨子、杉本良吉と岡田嘉子のソ連への逃避行、映画会社の盛衰など戦前の活動写真・演劇のあれこれを書いた第1部はなかなかタメになる。第2部は、美空ひばり(執筆当時19歳)、雪村いづみ、トニー谷、高田浩吉、鶴田浩二などな当代の人気者の週刊誌的なゴシップ集、第3部は、外国スター編。消えていったスターの今など、筆の端々に事情通ぶりが窺われ、映画関係にかかわっていた人ではないかと推測される。巻末の広告で「河童の源四郎」(十代読むべからず、とある)、「艶筆雨月物語」の著書があることがわかる。



2001.6.25(月) 「ダイヤル110」
・昨日、借りた本の返却・借出しで道立図書館へ。閉館時刻ぎりぎりの滑り込み。当然のように、そこにいるおげまるさんと、札幌駅の地下で飲む。また、とりとめもなく話ながら長っ尻になってしまう。リスト完成の後は、どうします?「普通の男の子に戻ります」って、ほんと?。
・多岐川恭「落ちる」、オコンネル「アマンダの影」(創元推理文庫)購入。
「ダイヤル110」 栗田信(昭31.12) 東方社 ☆ 図書館
 なんだか面白くなってきた栗田信。本書は、表題作ほか3編を収録。
「ダイヤル110」 波止場のカスバ酎太郎横丁に、なぜか童謡「赤い靴」のメロディーが響く。口笛を吹く男は、殺人の罪で服役し出所したばかりの無宿(ヤサグレ)の辰。辰は、会社を首になったばかりの初老の男と湊のチンピラを巻き込み、タクシー運転手の強盗殺人を決行。さらに、現在は、麻薬密輸の元締めの外国人の妻におさまっている元情婦への復讐に着手する。辰を追うのは片腕の名刑事。辰の経歴がなかなか凄い。千葉県の近親婚が繰り返される漁師町で生まれ、北海道のヤン衆に流れ、さらには北海道奥地の監獄部屋で労働し、アイヌ娘の助けにより決死の脱走をしたというのだから。非情な殺人を重ねる男にふさわしい結末が待っているノワールな一編。
「脱獄囚49号」 厳重な警備を誇る小菅刑務所からの脱獄。殺人請負師の異名をとる蒔田辰次。脱獄に至るまでの過程がなかなか面白いが、逃げ込む先は、綾瀬川を漂う糞尿船。隠れるのが、なんと糞尿層。「船底が深くて足が届かなかったら、それこそフン(糞)死だ」などというセリフが入ってしまう体質は、相変わらず。蒔田を救い出す男は、麻雀牌の東南西北を肌身離さずもっていて、その牌によって殺人司令を出すという無理矢理キャラ。一体どうやって司令を出すのだ。この辰次は、過酷なシベリア抑留から脱走により帰還、恋女房を探し歩き、彼女が安酒場の女給に身を落としているのを知るという過去をもつ。そこで、辰次がとった行動がまた凄い。突然ロシア土民の殺人踊りを踊り出してしまうのだ。栗田イズム爆発である。「赤いシリーズ」の宇津井健である。真面目な話でもこういうシーンをいれてしまうのは、もはや性癖としかいえまい。
「復讐は俺がやる」 対馬諸島、巌原収容所。ヘリコプターを使った派手な脱獄劇を演ずるのは、海賊行為で「夜の黒豹」の異名をとる男。男を刑務所に追い込んだ元相棒への復讐が始まる。それを追う老看守。なんだか似たような話だ。出だしは派手なのに、あれよという間に終わってしまう一編。「泥んこ波止場」 波止場に現れた青年紳士は、出所してきたばかりの「海蛇(ウツボ)」と呼ばれる男。その殺人行為ゆえに「葬儀屋の喜ぶ男」と異名をとる(このセンスは、「顔に絵を描く男」を彷彿させる)男を刑務所に追い込んだ元相棒への復讐を始めるが・・。またか。最後は「瞼の母」みたいな母物に。
 皆、刑務所から出てきた男が復讐を遂げていくという話という、ヴァリエーションのなさはいかんともしがたい。全体としては、任侠物、ミーツ、ミッキー・スビレインといった感じか。下級船員や風太郎、チンピラ、街娼、男妾、最下層で蠢く人々は、なかなかリアルである。


2001.6.23(土) 少年探偵小説作家別リスト更新
・おげまるさん編「少年探偵小説作家別リスト」更新。高木彬光、SF作家を除き、これにて完了とのこと。今回の追加、修正内容は、「少年探偵小説の部屋」what's new?を参照してください。横溝正史の修正には、浜田知明氏、奥木幹夫氏という凄い方々の御教示を受けた由。
・西の古本女王、橋詰久子さんのサイト「月世界通信」がオープンしたのを、福井健太氏のサイトの掲示板で知る。(正式オープンは22日の模様)。処分本コーナーは、なかなかの品ぞろい。島久平などは、もうお手つきだったけど、4冊ほど放出をお願いし、オーダーが通った模様。ほっほっほ。「志は高く敷居は低く」をモットーに、橋詰さんと「赤い右手」他の翻訳家である夏来健次氏のツープラトン日記をメインとしていくようなので、古本に限らず、わくわくするような展開がありそうなサイトだ。
・「ジャーロ」購入。忘れた頃に出るけど、最近買うだけに陥ってしまってるなあ。
・サスペンス劇場の名脇役というか、山村美紗の娘、山村紅葉の新刊エッセイを立ち読みしていたら、ワセミス時代のエピソードが出てきた。1年間親が作家だということを黙っていたけど、ひょんなことからバレて居づらくなって退部したとか。そうでしたか。この本、帯に片平なぎささん推薦とか書いてあるけど、これが少しでも売り上げに貢献するのだろうか。



2001.6.21(木) 『アトリエ殺人事件』
・20日深夜、8万アクセスを超えたみたいです。いわゆる「キリ番」は、単なる数字とはいえ、ホームページ制作者としては、うれしいできごと。また、よろしくお願いします。
・おげまるさんに教えてもらった、中野翠『あやしい本棚(文藝春秋)購入。「作家・山田風太郎さんとの対談」。死生観の話から始まって、映画の話、明治物、戦後という時代と話は流れて、原節子クローン人間10万人話で落ちるなかなか面白い対談。さすが中野翠、山風ワールドがよくわかっているのが頼もしい。
中野 風太郎さんの作品で映画化されたものもありますね。
山田 ええ、たくさんあるんですよ。ともかくろくな映画は、一本もない。 
 とか抜き書きしたいところが結構ある。
 対談中に出てくる「風太郎さんの作品を集めて売ってる品川の古書店」って、気になるな。
・『アトリエ殺人事件』 高原弘吉('79.5/集英社文庫コバルトシリーズ) ☆☆
 ネット古書店から裸本をただで戴いた後に、「古本市場」でカバー付きで拾うという、なんとも古本マーフィーの法則どおりの一冊。
「アトリエ殺人事件」 中学生敏夫の姉の恋人である美術の先生がパレットナイフで殺された。死んでいたはずの先生が、直後に来客と話していたことがわかり謎は深まる。アリバイトリックはよくあるものだが、ワイシャツや万年筆など小道具との絡め方がうまい。 
「双眼鏡は知っていた」 双眼鏡での観察という秘密の楽しみを覚えた中学生が、極彩色の世界の中の殺人を目撃するが、現場には影すらない。発端が幻想的な謎だけに、解決はあっさりしてるけれど、「押絵と旅する男」(「男」が「人」とずっと誤記されっぱなしではあるが)、「点と線」などの内容が生かした、ファニッシュな一編。
「かくしマイクのわな」 後半2編は、私立探偵千里悠介もの。秘密開発されたダイオードの設計図盗難事件。看板がウィンクする謎から、やりこめられたと思われた探偵の仕組んだ仕掛けまで、アイデアを凝らした一編。
「古屋敷ののろい」 老人は、なぜ雨の中で古屋敷の木を切っているのか。宝探し譚。
 発端の意外性で引っ張り、中段アイデアも工夫された、よくできたジュブナイル短編集。

・朝飯の声がかかってしまったので、掲示板とパラサイト・関への反応は、また別途ということですみません。今日は、いい天気だ。



2001.6.20(水) 『真実の問題』
・『真実の問題』 C.W.クラフトン(01.1('50/国書刊行会) ☆☆★
 人気作家スー・グラフトンの(と必ず引き合いに出されるのがつらい)パパ異色法廷ミステリ。
 姉にかけられた夫殺しの嫌疑をはらすため自らの殺人を自白した青年弁護士ジェス・ロンドンは、被告として法廷へ。被告自ら弁護するという奇手に打ってでたジェスは無実をかちとれるのか。
 バーザン&テイラー50選にも選ばれている古典だが、どうも相性が合わなかった。へらず口の青二才弁護士に感情移入できないのが最大のネックになってしまったらしい。姉の夫は、卑劣漢だとはいえ、ジェスの犯罪の事実は明らかなのだから、主人公が虚偽を重ねつつ無実を主張する物語の枠組み自体にノレないのである。と思って読んでいくと、良くない印象は重なるもので、ワイズクラックの切れは良くないし、比喩もボケ気味、登場人物も面白いのがいない。絶体絶命のピンチを巧妙な事実のパッチワークと無手勝流の法廷戦術で、クロをシロといいくるめていくところが、本書の最大の読ませどころであり、かなりのスリルが味わえる。ただ、ジェスの立論には、検察側も陪審員もすぐ気づいていい穴があちこちにあり、素直に拍手喝采とは行きかねるのである。証人を順番に再登場させるという法廷戦術はアイデアだと思うし、それなりの効果を挙げているが、もっとうまい生かし方があったように思う。どうにも、辛口になってしまったが、探偵小説全集に期待している本格ミステリとやや毛色が違ってたというところが、しっくりこないところなのかも。



2001.6.19(火) 空飛ぶプロレタリアート
・東京日帰り出張。飛行機に乗っている時間は1時間半なのだが、11時からの会議だと、接続の余裕をみて、6時に家を出なきゃならんのだ。東京は、じっとり汗がにじむ。おまけに司会をさせられた会議が紛糾して、終わったのが5時すぎ。今後が思いやられて暗澹とする。八重洲ブックセンターにも寄ることができないではないか。ぶつぶつ。浜松町の「ブックストア談」に寄るが、あえて東京で買ってくる新刊は見あたらず。この本屋、ミステリの棚が「新本格派」、「新社会派」と銘打たれていて、寄るたびに可笑しい。「新社会派」は、茶木則夫の冗談ではなかったのか。どうせなら、「新変格派」の棚がほしい。
・ここで、荒俣宏「プロレタリア文学はものすごい」(平凡新書)を買って、機中で読む。「パルプマガジン」と同じく、仏のグラン・ギニョ−ル劇の話が出て来るではないか。
 グラン・ギニョール劇 → バルブ・マガジン
 グラン・ギニョール劇 → カリガリ博士(ドイツ表現主義)
と、別な話なので、二度売りではないのか。しかし、双方で紹介されるグラン・ギニョール劇「グドロン博士とブリュム教授の療法」って、「ドグラ・マグラ」の原型っぽいなあ。 



2001.6.17(日) 『パルプマガジン』
・何をしたというわけでもないのに、休日は過ぎ去っていく。( リレー小説手つかずの言い訳)
・金光さんから、風太郎「人間華」初出の「モダン小説」の写しその他の資料を送っていただく。ありがとうこざいました。同作品の冒頭には、「江戸川乱歩推薦 新人特撰小説」と記されているのが、往時を彷彿させる。
・同作品の初出誌が「モダン小説」であることが判明したので、拙サイトのリスト修正。(詳しくは、掲示板参照))その他、更新を怠っていた光文社文庫、山田風太郎ミステリー傑作集1〜3の情報、抜けていたリブリオ出版の大活字本の情報を追加。
・『パルプマガジン』 荒俣宏 (01.4/平凡社)
 副題は、「娯楽小説の殿堂」。
 米国における最初のパルプマガジンは、1896年、「ジ・アーゴシー」だとういう。新聞などと一緒にマガジンスタンドで売られた俗っぽい安ピカ雑誌群は、20世紀にはいると、オールジャンルの広がりをみせ、アメリカの娯楽文化の一翼を担っていく。本書は、パルプマガジンの歴史と魅力を論じた、日本で最初のガイドブックとなることを目指して書かれたもの。
 バルブマガジンの誕生の経緯、ターザンやニック・カーター、ドック・サヴェ−ジ、バッファロー・ビルといったヒーローたちの系譜、ジャンルの裾野の広がり(「航空戦争小説」、「ジャングル小説」といった特殊ジャンルすらあったらしい)、ミステリなら「ブラック・マスク」、SFなら「アメージング・ストーリーズ」、ホラーなら「ウィアード・テイルズ」といった鍵となる雑誌の概観など、膨大なパルプ雑誌群を鳥瞰しつつ、なされる各論は、色々な発見があって楽しい。
 編集者スティーガーが禁酒法後の時代の風潮に合わせて盛り込んだ残虐と猟奇趣味、雑誌創刊当時に産み分けられたホラーとテラーの相違、当時から悪書と指摘され今はマニアの間で高値を呼んでいる「スパイシー系」といわれる過激パルプの消長、パルプの中の人種差別などといった興味深い話題が尽きない。例えば、太平洋戦争以前に、性欲と物欲に狂う日本軍がハリウッドを占拠し、女優たちを次々と物にしていくという小説があったというのだから恐れ入る。
 パルプ界偉人列伝の中でも、「パルプ界のシェイクスピア」と呼ばれたというロバート・L・ペレム(「バカミスの世界」でも短編が紹介されていた)のハードボイルドの過激さなど、もっと読みたい部分も多い。
 パルプマガジンは、20世紀に入るとまもなくカラー化され、掲載される分野が一分野に限定されていくようになる。この専門分化こそが、ミステリ、SF、ホラー、ウェスタン、アドベンチャー、ラヴロマンスなどの多様なジャンル小説誕生の温床となっていったという著者の指摘は、説得力十分。冒頭には、日本の先駆的な作家たち、江戸川乱歩、海野十三、横溝正史、国枝史郎らは、アメリカ産バルブマガジンの恩恵に浴していたという指摘があるが、この辺はもう少し突っ込んだ考察が欲しかったところ。
 著者は、7、8年前、本格的にパルプマガジンのコレクションを再開したらしいが、ネット上の専門店が出現したほか、ネットオークション(「イーベイ」)の立上げで、ここ2年くらいの間で、米国コレクターにもひけをとらないコレクションが出来上がったという。収集スタイルの劇的な変化で、今後、日本でも、収集家が増えていくジャンルだと思われるかが、そんな収集欲のない人間にも、カラーで紹介されるパルプマガジンの表紙は眼に毒である。



2001.6.15(金) 『人魚とビスケット』
『人魚とビスケット』 J・M・スコット(01.2/創元推理文庫)☆☆☆★
HMM連載の山口雅也「プレイバック」連載当時、本書か紹介されていて煽られたクチ。先行するレヴュー(パラサイト関含む)でミステリ的仕掛けは、大したことがないらしいと判っていたので、かえって安心して楽しめた。 イギリスの大新聞に連続して掲載された奇妙な個人広告は、第二次大戦中にインド洋を漂流した男女の壮絶な体験が浮かび上がってくる。 現実にあったという奇妙な広告に始まって、作家志望で鬱々と暮らす主人公がその謎にのめり込み、ついには、謎の広告主の一人からスコットランドの古城に招かれて・・という導入が抜群にうまい。物語の中核を占める回想−男三人と女一人のインド洋上での漂流譚−がまた圧巻で、この種の漂流話にありそうな苦難が次々と襲ってくる。大海原の猛威の中のリアルなサバイバルは、アタック&カウンターアタックという冒険小説の作法にも似て、主要人物が生き残っているのがわかっているのに、展開への興味を持続させる。この組み合わせで話が西村寿行にならないのも、英国流の品の良さというものだろう。途中で、ロビンソン・クルーソー的な孤島譚になってしまう展開も、また意外。結末は、ミステリ的にはあっさりとしているも のの、英国お家芸の海洋冒険小説を凝った枠組みの中でやってのけた秀作と思う。 

2001.6.13(水) 
・招興酒を飲み過ぎ酔っ払って帰ってくると、おお、K文庫から荷物。海外は全滅。松木修平「盗みの手口教えます」(双葉社)、新青年復刻版2冊、「大英帝国の三文作家たち」、「新青年読本」、叢書新青年(渡辺温、聞書抄、小酒井不木、谷譲次)、中村嘉人「古い日々」といったところが当たり。また、滑り止めに合格というところ。不可能物も入っているらしい、松木修平が嬉しい。
・前回なにも買わなかった文生堂から「探偵科学冒険作品資料目録6」。西村文生堂に名称変更になったらしい。「少年少女譚海」が2.5〜3万、「探偵王」が4万円、「おもしろブック」2〜2.5万円だよ、おげまるさん。



2001.6.12(火) 「ネタバレ」という言葉
・ミステリ系ネットにはまって以来、気になっているのが、「ネタバレ」という言葉。「ネタバレ注意」、「ネタバレあり」とか「ネタバレ専用BBS」とか。この言葉自体は、ネット入門以前には聞いたことがなかった。意味は、無論すぐわかる。文字通り「ネタがバレる」ことなのだが、必ずしもそれだけの意味で使われているわけでもないようだ。かの「新明解」によれば、
 ばれる  (俗) (隠していた事や、悪い事が)人に気づかれてしまう
という意味の自動詞で、他動詞は「ばらす」。
 「そこまで言ったら、ネタバレだよ」
というのは、発言から類推して真相に気づかれてしまう、という意味でなら字義どおり。
 しかし、
 「ネタバレになってしまいますけど、この場合犯人は警官ですから云々」
というのは、自然に「ばれる」のではなく、積極的に「ばらし」ているのだから、正しくは、「ネタばらしですが」とか、「ネタを割ってしまいますが」とか、「ネタを明かしてしまいますが」とかいうことになるのではないか。
 「ネタバレOK」「ネタバレなので注意」といった使い方の「ネタバレ」も、「ネタがバレてもOK」「ネタを明かしていますので注意」の意味で使われているケースが多いように思う。自動詞「ばれる」の他動詞「ばらす」が強烈なので、自然に回避されて、「ばれる」になったのか。それとも、よく、お役所の表現などで、自分のところでつくったにもかかわらず、「この度策定された○○計画は」というように能動を受動に置き換えてしまうように、この「ばれる」という自動詞の他動詞化も、次第に主体が曖昧化していく、実に日本語的現象なのか。って、お前は国語教師か。
 しかし、このネタバレという言葉、いつ頃始まったんだろう。検索をかけると、ゲーム関係のサイトが多く出てくるので、もともとは、ゲーム関係の仲間内言葉だったのだろうか。



2001.6.11(月) 正史
・日曜日の午後は、久しぶりに道立図書館へ。おげまるさんは、本当に変身してしまったのか、見あたりませんでした。
『怪奇探偵小説傑作選2 横溝正史集』  日下三蔵編(01.3/ちくま文庫) 
 巨匠の戦前短編の代表作15編とエッセイ3編を収録。
「面影双紙」 美男の役者と母の情事に胸を痛める男の子がつきあたった真相。当然とはいえ見事な関西弁が作品世界を広げている。
「鬼火」 幼い頃からのライバル同士の間で、ある女を巡って繰り広げられる地獄絵巻。作者の絶望の中で書かれた渾身の名文。
「蔵の中」 雑誌編集長のところへ自らを主人公にした小説が届けられて。入れ子構造の中でフーガのように繰り返されるセリフの官能性にも注目。
「貝殻館綺譚」奇妙な館の女客が殺人を目撃されて。他の作品にも出てくる酷薄な女の一典型。
「蝋人」 旦那に囲われた元芸者は美しい男の騎手と恋に落ちるが、旦那の復讐は苛烈すぎた。哀憐華麗な人形幻想。
「山名耕作の不思議な生活」 既出。
「双生児」 夫は、本物の夫なのか。乱歩「双生児」への挑戦。
「丹夫人の化粧台」 男達を惹きつける貴婦人の化粧台に潜んでいたものとは。結末は大概の予想を上回る。
「妖説血屋敷」 心変わりで養女が家元を嗣ぐのを認めなかった養母が血まみれに。血屋敷の祟りなのか。探偵小説の部分にも工夫が。
「舌」 露天で売られていた「舌」には、妙な曰くがあって。怪奇掌編。
「面(マスク)」 医師の妻と情を通じだ美少年の受ける報復。
「誘蛾燈」 夜毎に部屋のランプの色が変わるのは、夫人の一種の合図だったのだが。
「湖畔」 健康を害して療養している男が湖畔で遭遇した奇怪な事件。
「孔雀屏風」 出征者から送られてきた手紙には、雑誌で見かけた美人写真が家の孔雀屏風と同じ顔だという、奇妙な指摘があった。江戸時代の悲恋が現代を巻き込む事件に。
「かいやぐら物語」 月光の砂丘で出逢った女が語る死体綺譚。余韻嫋々。

 関西の裕福な商家を舞台に独自の意外性を案出した「面影双紙」、燦爛たる色の千代紙を散り敷いたような鏤骨の力作「鬼火」、入れ子構造自体の境界を曖昧化する今もって新しい「蔵の中」、優美とグロテスクの結合した類い稀なファンタジー「かいやぐら物語」といった有名どころが、やはり群を抜いている。妖しい美の世界を描いて流麗ながら、独特の質感に欠けるきらいもある作品世界は、草双紙趣味が後景に退き謎解きの骨格を中心に備えた戦後の作品世界を自ら欲していたのではないかと思わせる。「蔵の中」はもちろん、「面影草紙」「妖説血屋敷」など、語りの中でゆらいでいく{私」(=話者)にも、注目してみたい。


2001.6.9(土) ヒグマからジンギスカン
・早くも、ちくま文庫『怪奇探偵小説傑作選5』。これまた楽しみだった巻。帆村荘六探偵物を中心に15編の短編。単行本未収録のエッセイと脚本が各1。オムニバス掌編集「顔」は、三一版の全集にも入っていないとのことで、入門者からマニアまで堪能できるであろう一冊。
・どういう風の吹き回しか、好天につられて、北大祭に、サイ君といってみる。学園祭なんて行くのは、何年ぶりだろう。ヒグマ研究会が主宰している模擬店で、同研OGの猫美女のグループに混じって、ジンギスカン。初夏の風に吹かれて飲むビールは、また格別。ヒグマ研は、伝統的に、ジンギスカン屋をやっているらしい。炭火で焦げ付いたジンギスカン鍋を7〜8名できれいにしているが、客の回転に全然追いついていない。聞けば、1年生だと、1日1枚しか、きれいら汚れを落とせないという。
模擬店とはいえ商売にはならないのではないかと思うが、これも、野外サバイバルの基本なのか。
・パンフで、推理研も企画を出していることを知り、教養のS棟へ向かうが、看板もなく、部屋も鍵がかかっている。中から出てきた学生の話では、上映予定のビデオが借りられなくなってしまい、企画が流れてしまったとか。すごすごと引き下がる。昔は、焼きそば屋とかやってたんだよな、と遠い眼。来年は頑張れよ−。



2001.6.7(木) メタモル・フィクション
・ミステリ文学資料館から、「ミステリ文学資料館ニュース3号」が送られてくる。有栖側有栖インタヴューなどが載ったオールカラー4p。利用するときに、会員になったからなのだが、律儀ですな。
・山田正紀「ミステリ・オペラ」購入。
・暇ネタで。
・P.K.ディックの『ライズ民間警察機構』に、読む度に内容が変わっている本というのが出てきたけれど、ウェッブサイトなどは、まさしくそれではないかと思う。毎日更新されていれば、表紙は同じでも、日々内容が違っている。
 もっとも、文章が加わったり、変わったりしていくのは、背後にキーボードを打っている人間が存在しているからなのはいうまでもない。本に例えるなら、本の活字を紙魚が動かしているようなもので、更新が人力に依存する限り、およそ21世紀的とは言い難い。
 やはり、真にエレガントな変容する本とは、内容が自動的に変化していく本のことだろう。
 そこで、内容が自動的にメタモルフォーズしていく小説というのを考えてみる。古い小説が読まれなくなる一端は、作中の風俗が古びてしまうことにある。風俗が常にア新しければ、作者の死後も、小説の内容は、常にリアルを呼吸し、瑞々しさを失わない。その小説は、半永久的な生を生きるだろう。
 例えば、登場人物の一人が女子高生とする(またか)。戦後60年の間には、ファッションも、もんぺ姿から、ダッコちゃんを抱いたり、膝上○センチだったり、ガングロだったり、次々と変化する。2つ年上のほんとは気の弱いお兄ちゃんも、時代に合わせて、与太公だったり、愚連隊だったり、暴走族だったり、ひきこもり系だったりする。こういう時代の流れに応じた書き換えをシステムが自動的に行ってくれればいいのだ。
 仕組みは、意外に簡単だ。その小説を構成する風俗の要素をおよそ500項目ほど抽出する。職業、ファッション(60代男、中年マダム、女子高生・・)、趣味、料理、流行語、デートスポットなどなど。それらの項目を毎日、自動的に検索サイトで検索し、最も頻出する言葉を抽出するシステムをつくる。例えば、「女子高生のファッション」で検索したファッションのうち、その時点で、最も頻出する言葉が同時代的に支持されているはずであり、その言葉は、自動的に小説中の言葉に置き換わるようにシステムを組んでおく。システムは、毎日検索を続けるから、作中の「ガングロ」女子高生は、ある臨界点を超えた日に、「美白」女子高生に自動的に置き換えられるという寸法だ。現代の最新流行を知るという意味でも小説は読み続けられるだろう。
 しかし、これだけでは、風俗の着せ替えにすぎず、物足りないという向きには、ストーリー変更機能も用意する。「ベストセラーのあらすじ」で毎日検索をかけ、最も流行っている小説のストーリーを解析し、その意匠を取り込むことができるようにするのだ。さらに、プロットを構成する要素を500項目ほど抽出し、ネット上の最新フィクションのプロット分析の結果をとりこめるシステムを組めばより複雑なヴァージョンアップも可能になる。
 きっと、最新版のみならず、日々変化するそれぞれの版ごとに、熱心のファンがつくことだろう。
 「やはり、僕は2072年1月21日版が最高だね。あの版で見せる茜の踊りといったら、それはもう」
 「なんといっても、私は、その翌年の3日後の版よ。衝撃だったわ。あのオーゲ様が急に腹話術師になってしまうのよ」 
 そうして、人々は、その小説だけで事足りてしまうかもしれない。



2001.6.6(水) 映画の反天才
・本日から、Yosakoiソーラン祭り開幕。一学生のアイデアで始まって、またたく間に、雪祭りの動員数を超えるまでにのし上がったイベントだが、密室系としては、どうにも胸はずまないんだよなあ。
黒猫荘にて、おお、遂に小林文庫オーナーの小説登場。あちらでは、白梅軒店主が殺害される。しかも、密室で。ますます、目が離せなくなってまいりました。こっちは、どうなるんだろう。最後は、リレー小説の天才をうたわれたあの男を召喚するしか。 
『エド・ウッド 史上最低の映画監督』 ルドルフ・グレイ(95.7('92))  
 誰よりも映画を情熱的に愛し続け、誰よりも映画のことを知っていた彼に欠けていたのは、映画をつくる才能だけだった。史上最低の映画監督の異名をとるエド・ウッドの生涯を追ったノンフィクション。 95年のティム・パートン監督による伝記映画は、記憶に新しいところ(未見)。エド・ウッドの生涯に沿って、序文を除く全編が関係者のインタヴューの断片をパッチワーク的につなぎ合わせただけ構成されている異色の伝記でもある。その監督作品「プラン9・フロム・アウタースペース」が、「史上最低の映画」に認定されて以来、その映画のつまらなさ加減において、かえって独自の位置を占めてしまったというアイロニカルな反天才は、幼時から晩年まで、服装倒錯者であり続けたという変わり者である。俳優のような美形で周囲から詐欺的に金を巻き上げ映画づくりに励む、ある種溌剌とした青年時代から、ハリウッドの嘲笑を受け、落魄しアル中のポルノ作家となっていく、時の流れの速さとやるせなさ。伝記は成功者のものと相場は決まっているが、これは、巧まずして普遍的な落伍者の伝記ともなっている。晩年のベラ・ルゴシとの交遊など、ハリウッドの裏事情(というより反神話 学か)も。読ませる内容となっている。著者は、「プラン9〜」をTVで観て、その奇妙な魅力に取りつかれてしまい、完璧なフィルモグラフィーのついたこの労作をものした。駄作としかいいようのないものが、なぜ時に人の心を掴むのか。エド・ウッド、あるいはエド・ウッド的なるものは、ただ、沈黙してそこにある。
 巻末にの著作リストによると、彼は、服装倒錯者を登場人物とするハードボイルドやエスピオナージュも書いているようだ。いや、読みたい気は起こらないけど。


2001.6.5(火) 綺堂

・掲示板おげまる様スレッドで、「少年探偵小説の部屋」改訂の補遺というか、こぼれた作家のリストが載っている。ほとんど、聞いたことのない作家だけど、ここまで、追い込んでいるんですね。
・『怪奇探偵小説傑作選1 岡本綺堂集』 日下三蔵編(01.2/ちくま文庫)

 第1部12話は、連作怪談「青蛙堂鬼談」全編、第2部13話はある趣向の下に編まれた傑作集。
「青蛙神」 青蛙堂主人が怪談の会を催すまでの経緯と中国の蛙綺譚。三本足のがまを拝んでいる妻を斬った武人は、蛙につきまとわれて。
「利根の渡し」享保の頃、自らを盲目にした仇を探して利根川の渡しに現れる座頭の復讐。
「兄妹の魂」 郷里の町で兄妹相姦の噂を立てられ死亡した男の生霊。
「猿の眼」 吉原の引手茶屋の主人がうらふれた士族から猿の面を購ったが、猿の眼が光り出して。「蛇精」 江戸末期、うわばみ退治の名人が隣村の巨大うわばみ退治に出るが、その死闘の後に。
「清水の井」 豪農の家の二人の娘が、井戸の底に浮かぶ美しい男の顔に惚れ込み、次第にやせ衰えていくが。
「窯変」 日露戦争当時の満州で、出逢った病人の娘にまつわる秘密。
「蟹」 もてなし用の膳に出した蟹が、もたらす凶事とは。
「一本足の女」 一本足の美しい乞食娘に惚れ込んだ武士の辿る末路。
「黄色い紙」 コレラになりたがるご新造の秘めたる理由。「笛塚」 名笛に取りつかれて落魄した武士の話を聞いた武士は。
「竜馬の池」 名工に造らせた馬の像には、魂が吹き込まれたのか。
「木曽の旅人」 山中の親子の家を訪れた旅人の正体とは。
「水鬼」 夏休みに九州に帰省中の学生が関わった愛憎の果ての殺人。
「鰻に呪われた男」 置き去りにされた妻が語る鰻に憑かれた夫。
「蛔虫」 妻ある男と出奔した芸姑に男殺しの容疑がかかるが、実は、類稀な事故に遭遇していた。
「河鹿」 旅館の隣りの部屋から聞こえてくる深夜の囁き。
「麻畑の一夜」 南洋が舞台の異色編。土人も日本人も次々と行方不明になる怪事の原因は何か。作中同一のシチュエーションのドイルの小説に言及されるが、これは「樽工場の怪」のことではないかと思われる。しかし、同作品に出てくるのは、サルではないのだが・・。ポオとごっちゃになったのか。
「経帷子の秘密」 横浜見物の帰り出逢った老婆が置き忘れていった経帷子の曰くとは。運命と闘う強い女人像。
「慈悲心鳥」 珍鳥を手に入れれなかった口惜しさに、挽地物屋の娘を犯した男が受けた報復。
「鴛鴦鏡」 一人の男を巡って争う女二人は、同時に鴛鴦鏡の夢を見て。探偵綺譚。
「月の夜がたり」 二十六夜、十五夜、十三夜、それぞれの月にまつわる怪談。
「西瓜」 古に記された怪事。中間が進物用に持参した風呂敷包みがいつの間にか、生首に変わっていて。
「影を踏まれた女」 子供たちの影踏み遊びで、影を踏まれた女は、次第に気を病んでいって。
「白髪鬼」 弁護士試験を受ける度に現れる不気味な幽霊。 

 綺堂の怪談は、怖い。座談の名手の茶飲み話に聞き入っているうちに、いつの間にか、真剣でスパッと斬られるような怖さがある。切れ味が鋭すぎて、後になって斬られたことがわかるものすらある。
 綺堂の怪談が今なお新しいのは、時代を経ても古びない真水の如き文章とともに、おおかたの作品で、怪事にまつわる因果を放擲している点にもある。
 「何者の仕業だかわかりません。いかがなものでしょう。」/「まったく判りませんな。」/青蛙堂主人も溜息まじりに答えた。(「蛇精」)
 解釈が固定されない作品群は、読む度に新しい発見がありそうだ。
 作品に登場する市井の人びとは、昔の日本人らしく奥床しい。感情を露にすることはめったにないが、秘められた感情は、どの時代の人間とも変わらない。深い孤独が、悲愁が、妄執が、愛情が魔を呼び寄せる。秘めた感情が深ければ深いほど、立ち現れる「魔」も、また深い。綺堂の怪談を読むことは、影絵のような人々の感情の営みに耳を澄ますことでもある。
 無理矢理3つ選ぶと、「兄妹の魂」「一本足の女」「影を踏んだ女」か。



2001.6.4(月) とびらをあけるな
・黒猫荘で、小林文庫オーナーが、リレー・オフレポート探偵小説を書かざるを得ない事態に至っているとは。楽しみ。
・TACさんからの密告がありましたので、該当部分をそのまま、引用させていただきます。
 辻 真先 『超特急燕号誘拐事件』   (光文社文庫) (機関車消失+密室)
 斉藤 栄 『花嫁川柳殺人事件』     (光文社文庫)
       『雪の魔法陣』 (集英社文庫)(雪の密室パターン)
       『花の魔法陣』         (集英社文庫)
            (雪の密室ならぬ花の密室シチュエーション)
 黒崎 緑 『柩の花嫁』(講談社文庫)    
 有爲エンジェル   『赤と青の殺意』   (カッパノベルス)
 新世紀「謎」倶楽部 『新世紀犯罪博覧会』(カッパノベルス)
 二階堂黎人    「寝台特急《あさかぜ》の神秘」
               「ガラスの家の秘密」 (ともに、講談社ノベルス「悪魔のラビリンス」に所収)
                       
 多数ありがとうこざいます。仮収蔵庫にいれておきます。花の密室というのは、面白いですね。トリックは、花びらを蒔きながら去る、だったりして。有為エンジェルの『赤と青の殺意』は、不可能犯罪物だったのか、と驚きました。
・次は、おげまるさんをして、なかったことにした方が良かったかも、といわしめた山風ジュブナイル。
そういえば、ちょうど、おげまるさんが発掘した日に、その場に居たのであった。
「とびらをあけるな」 「なかよし」昭和33年1月号〜12月号
 唯一の少女向けジュブナイル?これは、絵物語ならぬ写真物語とでもいうのか、冒険に挑む子供たちには、現実の子役たちが扮しており、物語の進展に応じて、挿し絵のように写真が挟まれている。といって、挿し絵がないわけではなく、子役達以外は、絵なので、写真の少年が引っ張っているリヤカーや、少年達とにらみ合う悪人は、絵だったりする。主演は、当時有名な子役だったと思われる小鳩くるみ(ミカ役)と渡辺典子(雪江役)(後者は、角川三人娘の一人とは別人)。少年たちは、そのほか・・・東宝児童劇団、と十把一絡げで可哀想である。
 東京中の少女達を怯えさせている少女誘拐団「黒ゆり党」。どんなに厳重な戸締まりをしても、蛇を用いて、家中の人を眠り込ませ、少女をさらっていく恐ろしい集団だ。しかも、その頭は、「黒ゆりの王女」と呼ばれる蛇使いの少女だという。大友家の小太郎少年は、妹の雪江を守るために、マングースを飼うなど努力を重ねていたが、その甲斐もなく、ある夜、雪江はさらわれてしまう。小太郎は、友達のくず屋の少年勇吉と、力を合わせて、黒ゆり党と戦おうと決心する。そんな中、勇吉は、ぼろ車の中で気を失っている少女ミカを見つけ、家に連れて帰って妹分にするが、このミカも蛇の大群に襲われて・・・。
 また、これも主人公が「小太郎」少年である。筒井康隆のジュブナイルで宇宙人は、皆「オリオン星人」になっているようなものなのか。
 事件の背後には、戦時中、信州松代で発明された科学兵器の強奪を企む悪人・黒寺大佐の陰謀があった。この科学兵器というのが、人間を先祖帰りさせる兵器、人間を蛇に変える兵器だというのだから凄い。一方、黒寺大佐は、同じ兵器をもっているのだが、こちらは放射能が弱まっているせいで、浴びた人間は、蛇にならずにサルになってしまう!という。実は、この研究所のある「蛇谷」で蛇を友として育てられたミカは、雪江と実の母を救い出すため、小太郎らと、蛇谷に向かう。しかし、ミカたちの前には、七つの門が立ちふさがっていた…。
 ここから先は、インディー・ジョーンズばりの展開。結末は、あっけにとられる。
 しかし、少女雑誌に、蛇づくしの冒険小説とは、やはり山風恐るべし。読者の反響がどうだったか知りたいところだ。



2001.6.2(土) 黄金明王のひみつ
・やはり、あのお方が帰ってきた。しかも、幸せ光線出しまくりのお休み中も、日記、探書、一日一冊。恐るべし。
茗荷丸さんの日記の「十人の古本マニア」の一人が女相撲で消えることになっている。定着してしまうかも。
・まだ、触れていなかった山田風太郎ジュブナイル「黄金明王のひみつ」。おげまるレポート#13で紹介されているが、一応、山風少年物まとめ用らに書いておく。
・山田風太郎「黄金明王のひみつ」 中学時代一年生 昭和32年1月号〜3月号
 旅館の息子啓作は、夜更けの浴室で片腕のない客、有賀と出会う。有賀は材木商で、旅館の隣の山城家にある大きな樟の木を買いに来たという。山城家は、この地方きっての名家だったが、啓作の幼い頃、この地方一帯を悩ませた怪盗「くも小僧」の手で秘宝「黄金明王」を盗まれて以来、傾きはじめ、先祖代々伝わる樟の木も切り倒して売られる予定だった。有賀は、実は探偵であり、木曽山中で殺された男から手に入れたという暗号文が書かれた紙片を啓作に見せる。殺された男は、どうやら、くも小僧の一味で、暗号は黄金明王の隠し場所を示しているらしい。有我の推理に基づき、村中に宝捜し騒動が起きるなか、くも小僧らしき不気味な男が現れる。そして、暗号が指し示す十五日の夜、見張りをしていた山城家の娘真弓が姿が消失し、足跡のない状況で男の死体が発見される。
 宝探し、暗号、謎の怪盗、不可能犯罪と少年少女の冒険が盛り込まれ、少年物としては、過不足ない仕上がり。不可能状況を演出した小道具の処理や暗号を用いる必然性にも工夫が凝らされており、謎解き物としてよくまとまっている。



2001.5.31 (木) 『傷だらけの映画史』
・今日で5月も終わり。らぶらぶはっぴーなお方は、明日帰ってくるのか。
・世界禁煙デーだとかで職場の視線が怖い一日。喫煙者がいつそんなに悪者になったのだ。子供の頃は、なにも疑問を感じず、煙草の煙の中を走り回っていたではないか。列車の中は、煙でモクモクしていたではないか。にもかかわらず、日本は世界最高の長寿国になったではないか。統計学的には、喫煙が日本人の寿命を伸ばしたとはいえないか。山田風太郎先生だって、まだ喫っている。(もっとも、入れ歯から煙草の煙が漏れるので、喫った気がしないらしい)みんなそんなに健康になりたいかのか。このままでは年金は破綻するぞ。これまで、非喫煙者の何倍も国の財政にも協力してきたのに。そんな言葉を煙とともに呑み込み、まだ、喫っているの?という言葉をアルカイックスマイルでやり過ごす。筒井康隆の「最後の喫煙者」という小説を思い出す。
・『傷だらけの映画史』 蓮實重彦 山田宏一(01.3) 中公文庫
 「リュミエール・シネマテーク」というという十巻のビデオ・コレクションのおまけとして付けられていたシリーズ対談であり、単行本となるのは、これがはじめてという。この本の対談者二人が、生前の淀川長治の映画的記憶をすべて吸い取ろうとして企画されたかのような『映画千夜一夜』も、無類に面白い対談集だったが、本書もまた、愉しさに満ちている。
 今となっては埋もれてしまった感のある名プロデューサー、ウォルター・ウェンジャーを軸として、30〜40年代ハリウッドの黄金時代を独自の視座で振り返り、今まで見えなかったハリウッド史がを浮上させる。フィルム・ノワールの画面が暗いのは、戦争に向かう緊縮財政により、映画の総制作費を抑える必要があり、電気代をケチったからとか、スクリューボール・コメディに、結婚式の前日に花嫁が逃げたり婚約者たちの間に別な女が介入してくる話が多いのは、当時の映画倫理規程がダブルベッドで寝てる夫婦を見せるのを禁止していたからとか、まさに目からウロコの指摘が相次ぐ。見巧者は、また記憶にかけても天才的で、お互いの言葉が刺激となって次々と飛び出す映画の内容やシーンの多彩さ、豊かさは、まるで、帽子から無尽蔵にロープを取り出す手品を見ているようである。実際に映画を観るよりも快楽的かもしれない出色の対談集。


2001.5.29 せんぶ余録
『ぜんぶ余録』 山田風太郎 (01.6) 角川春樹事務所
 山田風太郎ロングインタヴュー三部作。99年10月から2001年10月までの17回にわたるインタヴューで構成。前2作も、そうだったけど、エッセイや先行インタヴューで、既に書かれたり、発言されたりしていることの重複が多くなり、インタヴュアーは、新たな話を引き出すのに必死の様子が行間から伝わってくる。風太郎氏の体調も、その日によっては、思わしくなく、口を聞くのもつらそうな回もある。記憶違いや物忘れ、連想の飛躍も多くなり、正直いってそれらをここまで露に記録する必要があるのか疑問もあるが、飄々とした語りに救われている。このシリーズは、独特の死生観をもつ戦中派天才老人からの聞き書きというところに重点があるのだろうが、それにしても、もう少し山風の小説を読み込んで、作品世界に迫る質問もして欲しかったところ。
 例えば、「先生は小説の中でサド・マゾを使ったことがございますか。」という質問はかなり不勉強。初期の代表作「虚像淫楽」がまさにそれではないか。他にも「山屋敷秘図」とか「雪女」とか。
 もっとも、山風自身「使ったことはないね、乱歩さんと違ってね。」と答えていたりするので、この勝負引き分けかもしれない。他にも、『地の果ての獄』の話とか、中島河太郎の話とかつっこんでほしいところは、あるのだけれど。
 大作家の晩年の語りに接することができる本書はそれなりに意味があるとは思うのだが、ファン以外の人が読んで果たして面白いのかな。

 本書でも度々言及される、山風の最もお気に入りの女優、轟夕紀子の写真があるサイトを見つけたので、貼っておきます。なるほど、そうですか。