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12月31日(水) 大晦日
・永田負けたー。年末の休みに入れば、暇もできるかと思ったが、そうもいかなかった。用事をいいつけるサイ君の操り人形になりながら、その眼を盗んで、なんとかここまで漕ぎ着けた−などと書いたら「何にもやってないくせに」と怒られるな。9月以来、リアルタイムから遅れれば遅れるほど、追いつかなくてはという妄執にとらわれ、小ネタ祭り三回、感想の分割、誤字脱字乱発と悪逆非道の限りを尽くして、リアルに追いついた。来年は、もとに戻さなくては。
 今年は、個人的には、父の死が大きかった。相変わらず、首の調子は、いまいちだし。一方。関つぁんのとこでは、お子さん誕生の朗報もあった。サイト関連では、少年物掲スレの隆盛等、眼を瞠ることもありました。一方で各方面へ不義理も多数。年末に免じてお許し下さい。
 今年、おつきあいいただいた方は、ほんとにありがとうこざいました。2003密室系、これにて閉幕。来年もよろしくお願いします。
 では、皆さま、良いお年をお迎え下さい。


12月30日(火) 南へ
・パラサイト・関更新。いよいよ、今年も大詰め。年末の関は、センチメンタルですなあ。
・掲示板でおなじみマーヴ・湊さんから、メールをいただいたが、くまかかか、なんと大阪から南アフリカ共和国に転勤になったとのこと。南アのミステリ作家というと、ジェイムズ・マクルーアが有名だが、パズラーの名手といわれるピーター・ゴドフリーもいる。果たして、ジャンルとしてミステリは成立しているのか。湊さんの2004レポートを刮目して待ちたい。
・さあ、格闘祭りだ。(12/31記)

12月29日(月) ベスト10
 今年の新刊ベスト10など。過去の感想も当たらず、思い出すまま上位から10本順に並べたもの。ヴィンテージに限っても、これはと思うので、まだ読んでいないものも多いが…。
デヴイッド・イーリイ『ヨット・クラブ』
ジム・トンプスン『取るに足りない殺人』
マイケル・ギルバート『捕虜収容所の死』
マイケル・ギルバート『スモールボーン氏は不在』
ヘレン・マクロイ『歌うダイアモンド』
ハリントン・へクスト『テンプラー家の惨劇』
リイ・ブラケット『非情の裁き』
デイヴィット・グーディス『狼は天使の匂い』
マックス・アフォード『魔法人形』
パトリック・ハミルトン『二つの脳を持つ男』 
 貧弱な読書量、ほぼヴィンテージに限られた偏向ぶりで、これだけの作品が並ぶのだから、豊饒の時代は依然続いている。

12月28日(日) 『ブラッディ・マーダー』(続)
 一方で、物足りない、つまらない点。
・黄金時代作家に関しては限られたビッグネームしか評価されていないし、その評価する内容は偏狭にすぎる(中期以降のクイーン等)
・「文学的」を標榜しながら、トンプスンやボルヘス等の低評価−シモンズの理解を超えていたのかもしれない(ボルヘスに関しては、改版後に少し評価修正を行っているが)
・シモンズ自身の記述にキーティングにも提灯をもたせ(「イギリス犯罪小説界における高僧的存在」と書かれている)3Pも記述しているのはいかがなものか
・高僧的存在になりすぎたせいか、その批評軸は明確でありすぎ、不寛容の幅が広い・その結果、言及すべきと思われる作家への記述がかなりの程度抜け落ちていて、痩せたミステリ史になっている印象を否めない
・現代的な批評理論を無視している もちろん膨大なミステリ作品を読み込み、明確な批評基準で評価しつつ、ジャンル文学史と史的展望を書くなどという技は、シモンズにしか出来ない作業だったかもしれない。しかし、いずれ乗り越えられるミステリ史という感が強いのだ。 


12月27日(土) 『ブラッディ・マーダー』
・ジュリアン・シモンズ『ブラッディ・マーダー』(03.5/新潮社)について−。読んで時間が経っているし余裕もないので、思いつくままに。キングスリー・エイミスの『地獄の新地図』というSF評論が訳されたときに、翻訳が遅すぎて指針にならない、というような書評をみかけたが、その表現は本書にもある程度当てはまるかもしれない。シモンズの文学観は、今となっては古めかしい。70年代に翻訳されていれば、大きなインパクトをもたらしていたかもしれないが、(その主張は、もちろん断片的には、日本の評論家によって色々な形で伝えられていたことは事実)、「最良の犯罪小説が、たんに娯楽読みものであるのみならず立派な文学作品であることを、若い世代に確信してもらうために」書かれた評論が、今や、「立派な」「文学作品」概念が破綻している現状で力をもち得ないのは、やむを得ないかもしれない。また、草創期から黄金期までの記述をみるにつけ、ヘイクラフト『探偵小説 成長とその時代』の焼き直しにしか見えず、逆説的に同書がいかに優れた評論であったかを証明しているような気すらする。とはいえ、あちこちに示唆に富んだ指摘があるのは事実。思いつくままに 列挙していくと、
・「ケイレブ・ウィリアムス」以降ドイルまで、当然のことだが、英国ミステリに関する記述が充実している
・読者論的観点からミステリの興隆を捕らえたアプローチ
・シムノンとメグレ警視の評価
・「異色作家と孤立作家」等における埋もれた作家の再評価 等


12月17日(水)〜26日(火) 小ネタ祭りレボリューション
・小ネタなき荒野を往く、年末小ネタ祭り。小ネタにされてしまった皆さま、すみません。(10日分)

・チャンドラーの密室物 #28
 面白いのは、チャンドラーが、鍵のかかった家での殺人を扱った密室物「ビンゴ教授の嗅ぎ薬」('52)を書いていることで、ロバート・エイディの本にもちゃんと載っている。「チャンドラー語る」に載っている書簡('49)の中でも、「私はいま、密室の謎の行きすぎのようなかたちのものをいじくっています」とあるから、本人が密室物を意識していたことは明らかだ。そこで、問題となるのは、同編の中身だが−「チャンドラー短編全集3」が出てきませんでした。

・排撃二巨匠 #27
 エドマンド・ウィルスンの「誰が…」で、唯一褒めているといっていいのがチャンドラーだが(「巧みな筋運びができるのは・・せいぜい一人くらいしか見当たらない」)、チャンドラーは「誰が…」の直前に、古典的な形式の探偵小説を否定するエッセイ「単純な殺人芸術」を書いている。「誰が…」では、チャンドラーのこのエッセイを読んでいる節が窺えるから、ウィルスン−チャンドラーのエッセイは互いに影響関係があったものと思われる。
 「人はなぜ探偵小説を読むのか」 ニューヨーカー'44.10/14
 「簡単な殺人芸術」 アトランティック・マンスリー'44.12
 「誰がロジャー・アクロイドを殺そうとかまうものか」ニューヨーカー '45.1/20
 と並べてみれば、時間的近接関係は明らか。ウィルスンは、ミステリ界の中に、適当な援軍をみつけたのかもしれない。

・7対32 #26 
 『世界ミステリ作家事典 ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇】の予約特典がメール配信されるという話だったのだけど、本と一緒に印刷物の形で来た。ハメットの超短編+エドマンド・ウィルスンの「誰がロジャー・アクロイドを殺そうとかまうものか」(『推理小説の美学』)の前奏曲ともいえる、探偵小説排撃の第一エッセイ「人はなせ探偵小説を読むのか?」。ウィルスンは、本エッセイで、スタウト、クリスティ、ハメットというところを、くさしている。このエッセイに対しては、読者からの囂々たる反響があって、それに応えて書かれた第二の激烈な矢が「誰が・・」。併せて読むと、流れがよく判る。今、「誰が・・」を読み返してみると、ウィルスンは一種のスキャンダリズムを目指していた感がなくもない。読者から寄せられた手紙39通のうち文章の趣旨に賛同する探偵小説批判が7通、批判が32通来たとある。同じことが日本で起きたら、この割合はどうなるだろうか。「誰が…」に付けられたヘイクラフトの前書きは「悲しみに満ちた別世界からの訪問客」とウィルスンを呼んでいて、これはなかなか痛快。

・ハリウッド・ライター #25
 『三つ数えろ』について、チャンドラー側の証言があるのではないかと思って、『レイモンド・チャンドラー語る』(早川書房)に当たってみる。ざっとみただけなので、断言できないが、監督の手腕やボガートの演技を褒めているだけ(46.5書簡)、「事件」について触れた項は見つからなかった。替わりに眼についたのは、「ハリウッドのライターたち」と題する、かなり強い調子のハリウッドとライター批判('45)。3年間のハリウッド暮らしでほとほと疲れたのだろうか。しかし、この後に、『見知らぬ乗客』の脚本に手を染めているのだから、彼の作家の心の機微は、なかなか理解できない。

・フィルム・ノワールの作家たち #24
 ここに、何度も登場している『フィルム・ノワールの光と影』のフィルモグラフィーを眺めていると、チャンドラーの『深夜の告白』という有名な例のほかにも、ミステリ作家が随分映画の脚本を担当していることが判って面白い。ちょっと書き抜いてみると−
【W・R・バーネット】『拳銃貸します』(原作:グレアム・グリーン)
『脅迫者』(原作:パートレット・コーマック)
0『ハイ・シエラ』(原作:本人)
【レイモンド・チャンドラー】
『深夜の告白』原作:ジェイムズ・M・ケイン)
『見知らぬ乗客』(原作:パトリシア・ハイスミス)
『青い戦慄』(−)
【ジェイムズ・M・ケイン】
『過去を逃れて』(原作:ジェフリー・ホームズ)
【ジョナサン・ラティマー】
『暗黒街のライセンス』(原作:ダシール・ハメット)
『大時計』(原作:ケネス・フィアリング)
『夜は千の眼を持つ』(原作;コーネル・ウールリッチ)
【フランク・グルーバー】
『仮面の男』(エリック・アンブラー)
【フィリッブ・マクドナルド】
『暗い過去』(ジェエイムズ・ワーウィック)
【ウィリアム・P・マッギヴァーン】
『地獄の埠頭』(−)
【コーネル・ウールリッチ】
『豹男』(−) 
 もちろん、ラティマー、グルーバー、マクドナルド等脚本家としても著名なた作家は、フィルムノワールなに限らず、たくさん仕事をしているのだろうけれど。

・転々とする物語 #23
 『海軍拳銃』の中でシナリオを書いているサムのアイデアに、呪いのかかった拳銃が持ち主を転々として、持ち主が変わる度に事件を起こすというのがあった。森村誠一の長編や、ウールリッチの長編(拳銃ではなかったか)に同じようなアイデアが使われていたが、このお話の原型映画があるらしい。らしい、というのは、その元ネタが確認できないからで、一体何処に書いてあったやら。時代劇映画の中にも、名刀が転々として−というのを観たことがあり、これも、アメリカ映画のいただきかもしれない。小ネタにもならない小ネタくずれ。

・『あなたは魔術師』 #22
 クレイトン・ロースンといえば、『あなたは魔術師−目でみる手品100選』(63.12/白揚社)という大人が子供に実演してみせる手品解説本の邦訳がある。著者名は、グレート・マーリニ。中に「探偵小説」という手品が出てくるが、観客の選んだカードがトランプの山の中に逃げ込み、4枚のキングが探偵役となって「犯人」を捕まえるというもの。それ以外、ミステリへの言及がないのは、ちと寂しいが…。著者紹介には、四人の子供のうち一人は、クレイトン2世として奇術師師にっなているとある。、

・トッド・ブラウニングの密室映画 #21
 「興行師たちの映画史」からの戴き。'呪われた映画'『フリークス』の監督のトッド・ブラウニンク最後の作品に、『奇跡売ります』('39)という映画があって、引退した魔術師グレート・モーガン(ロバート・ヤング)が心霊研究家の連続殺人に巻き込まれるという筋立てらしい。しかも、悪魔主義者セバス博士は鍵のかかった密室で殺されるという密室物というのが著しく興味をそそる。容疑者の手品師タウロ教授は消失し、東欧から来たマダム・ラポートの予言通り、セバス博士の幽霊が出現…。と、ここまで書いて、どこかで読んだ筋書きと思い当たる。セバス博士=サバット博士、グレート・モーガン=グレート・マーリニで、この原作はおそらくクレイトン・ロースンの『帽子から飛び出した死』('38)。「奇跡売ります」は、マーリニ奇術ショップの売り文句だから、これも符合する。ロースン作品がトッド・ブラウニングによって映画化されていたとは−。

・風太郎 春陽堂文庫 #20
 渡辺啓助関連で素晴らしいサイトをつくられており、最近掲示板少年物スレにも登場された奥木幹男さんから、情報提供がありましたので、リンクを貼らさせていただきます。ここ。帯付き。時価いくらくらいなんでしょう。ここに限らず、大衆文学資料、素晴らしいです。

・ようっぴさんの密告 #19 
 ようっぴさんからまたしても、密告いただきましたので、関係部分を引用させていただきます。
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新庄節美『夏休みだけ探偵団B 桃太郎の赤い足あと事件』(講談社)には、消防車(正確にいうと消防車を装った車)の消失というテーマが取り扱われています。
泡坂妻夫は『奇術探偵曾我佳城全集』から2つ。「浮気な鍵」は、ちょっと密室として成立するかどうか分かりませんが、私は密室物と思って読みました。「魔術城落成」は、シリーズ最後の作品で、必ず最後に読まなければ、という作品ですが、大きな劇場を密室に見立てた趣向で、色々な密室破りの可能性が指摘されますが、ことごとくが否定されていくパターンです。
以上3作品、どれも楽しめた作品でした。

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 新庄節美って、チピーだけじゃないんですね。『奇術探偵〜』は一応全部読んでいるはずだが、当たり直してみます。今年も、多数の密告ありがとうこざいました。


12月16日(火) HMMウェスタン特集
・HMM2月号は、「ミステリアス・ウェスタン」と題された西部小説特集。うろ覚えだが、HMMの西部小説特集は、大昔に一回あるだけではないだろうか。ウェスタンパルプに関するプロンジーニの概説、石上三登志インタヴュー、どれも観たくなるミステリテイストのウェスタン映画を集めたガイド(小山正・松坂健)、豪華な布陣の短編ラインナップ。編集全面協力と思しい尾之上浩司入魂の特集である。ホックの小粋、レナードの正統、スタージョンの繊細、リチャード・マシスンの感傷、ランズデールのオフビートとそれぞれ個性が出ていて面白いが、伏線充実サービス満点のF・プラウン、殺しても殺しても追いかけてくる謎のガンマンを扱ったマキャモンの幻想ウェスタンの2つが特に面白かった。(12/30記)

12月15日(月) 『名探偵登場』
・『名探偵登場4』早川書房編集部編('56/ポケミス) 記念復刊。既読6編を飛ばした4編。「逃げる弾丸」(プリーストーリー博士) ジョン・ロード  一等車で頭を一撃された男。博士が名探偵然とした典型的な本格短編。「スザン・デア紹介」(スザン・デア) ミニヨン・エバハート 愛憎劇のさなかで勃発した殺人。語りはロマンス小説風だが、トリックにも配慮している。「チン・リーの復活」(ポジオリ教授)T・S・ストリブリング 中国人の顔の見分けがつかないという先入観に基づく謎。作者の思考方法が良く出ている短編で、結末で明らかになる抜け抜けとした犯罪に、奇妙な味あり。「青い帽子」(アボット夫妻) フランシス・クレイン 青の色を嫌っている中年婦人が青い帽子をかぶっている謎。サプライズを提供しつつ、ほど良い品の良さ。

12月14日(日) 「鞆絵と麟之介の物語」最終決着
・3日分更新。(12/30記)
掲示板で匿名希望氏から情報が寄せられ、山田風太郎「呪恋の女」(「鞆絵と麟之介の物語」)の初出について、最終決着となった模様だ。山風リストのリストの謎にもあるように、99年に、杉浦さんから、山本明「カストリ雑誌研究」(中公文庫)に『「鞆絵と麟之介の物語」山田風太郎』という記述があると教えられことがきっかけで、「呪恋の女」の原型又は同一作品かと推定。その後、宝石座談会に、同題の作品が出てくるというmorioさんからの情報提供、「くいーん」(Vol.1 No.5 昭和22.12)に、「鞆繪と麟之介の物語」(第1回分)が掲載されているという、やよいさんの情報提供、さらに風太郎の日記に言及されていることが判り、ついに、匿名希望氏の確認で、結末までの書誌が揃ったことになる。4年がかりのリレーに、ひたすら感謝。

12月13日 『突撃』
・『突撃』 ('57・米)
監督/スタンリー・キューブリック 主演/カーク・ダグラス ラルフ・ミーカー 
 脚本の1人がジム・トンプスン。第一次大戦下のフランス歩兵連隊で自殺行為的な突撃を命じられ敗退。部隊で選ばれた代表三名が軍事法廷にかけられ、作戦に反対したダックス大佐は弁護側として、三人を救出しようと試みるが…。短く核心をつくような会話の応酬と、組織に抗って叩きつぶされる主人公像(結末で理想主義的なアプローチが断罪される)に、トンプスン流が窺えるような気がするが、思いこみか。兵隊の前で、少女歌手が歌い、一同が粛然としてまうラストシーンは、感動的だが、全体のトーンからいって計算違いがあるような気もする。突撃シーンの移動撮影や、刑場にひかれるキリストに見立てたような処刑シーンの迫力は圧巻。

12月12日(金) 『海軍拳銃』
・『海軍拳銃』フランク・グルーバ('41/ポケミス) ☆☆★ 
 ボディビル本のセールスマン、サム&ジョニー物。西部の伝説的強盗ジェシー・ジェイムズの使った拳銃絡みの殺人に巻き込まれた二人の前には、富豪、悪漢美女が次々と現れ、事件は大混戦…。場面展開が恐ろしく早く、読者の注意逸らさない。サイドストーリーとして、もっぱら力の方を担当しています、のジョニーが映画のシナリオの書き方を通信販売の本で勉強中というのがあって、シナリオそのものが作中で披露されたりする。ハリウッドの脚本家らしく、映画に関する楽屋落ち的な言及も随所にみられ、楽しめる。サムがプロレス会場で、プロレスラー相手に圧勝するシーンもあり。


12月11日(木) 『カヴァルケード』
・『カヴァルケード』(米・'33)
監督/フランク・ロイド 主演/ダイアナ・ウィンヤード クライヴ・ブルック ノエル・カワード舞台劇の映画。20世紀の変わり目から1933年まで、イギリスの上流階級の一家と、その使用人だった一家の運命を大河風に描いたドラマ。ボーア戦争から第1次大戦とその後の混乱まで、二つの家族は戦乱の時代に翻弄されていく。オペラ、レヴュー、タップダンスなど、舞台と音楽がふんだんに使用にされ、大量のエキストラが動員されたシーンが、華麗で迫力に富んでいる。第1次大戦の行軍と死にゆく兵士をオーヴァラップさせた長いシークエンスは、バックの破調の音楽と相まって、斬新な印象を与える。恋人をなくした娘が20世紀の憂鬱という歌を歌うシーンで、映画のテーマが壮大に立ち上がってくるところは、圧巻。1912年、一家の長男とその娘は、新婚旅行の洋上で、甘い会話を交わす。二人が立ち去った舷側の浮き輪には「TITANIC」の文字−。この映画がご本尊でありましたか。


12月10日(水) 『キング・コング』
・『キング・コング』(米・'33)
監督 メリアン・C・クーパー アーネスト・B・シュードサック
主演 フェイ・レイ/ロバート・アームストロング
 19世紀、アジアで捕獲された猿でミステリが始まり、20世紀南海で捕獲された猿で怪獣映画が始まった−。というわけで、古典は色んな楽しみ方があって面白い。「興行師たちの映画史」によれば、猛獣映画を撮っているヤマ師的体質の主人公デナムはこの映画の監督そのものであり、一種の自己パロデイになっているところが面白い。観客には女が必要ということで南洋まで連れていかれるフェイ・レイは、最初期のスクリーミング・クイーンだろうが、既に船上で叫びの演技の訓練を受けている、という点も、パロディっぽい。コングの島は、一種のロスト・ワールドで、コング以外にもティラノザウルス、巨大蛇等の怪獣が楽しめる。ニューヨークに上陸してからのシーンは、意外なことに長くない。摩天楼に昇ったコングに、「飛行機だ」と叫び、続けて四機の複葉機が飛び立つシーンはセンス抜群。コングの顔に一種の愛らしさを与えた点といい、観客の心を掴む老獪なテクニックが随所に窺える。 


12月9日(火) 『興行師たちの映画史』 
・5日分更新(12/29記)
・『興行師たちの映画史』 柳下毅一郎(03.12/青土社)
 帯は、「映画は芸術でも産業でもない。見世物なのだ。」映画の興隆とともに、映画の制作側は必然的に分業化していくが、それでも映画の総てを一手に握った興業師たちによって、直接観客の財布に向けてつくられ映画(エクスプロイテーション=映画」の歴史。考えるまでもなく、どのような映画であっても搾取の構造をもっていることは明らかなのだが、エキゾチズム=偽ドキュメンタリー、ヌーディスト映画、人種映画、ラス・メイヤーらのセックス・プロイテーション映画・・等歴史に埋もれがちな映画とその成立の事情を丹念に拾い上げ、映画の見世物性を例証していく叙述は、凄みをもっている。そこここに、いわゆる普通の映画史との間で、人やコンセプトの往還がみられるのも、とても眼を開かされる。当然のことながら、本書は際物映画史にもなるが、際物映画を並べるために、歴史を語るという側面も仄みえ、ヌードを見せるために性教育を徳目として掲げた興行師たちの身振りが模倣されているようでもある。ミステリ好きには、フーディニ映画やトッド・ブラウニング、ウィリアム・キャッスルの項がとても面白かった。

12月8日(月) 『エジソン的回帰』
・『エジソン的回帰』 山田宏一('97.2/青土社)
 「エドソン的回帰」とは何か。仏のリュミエール兄弟のシネマトグラフに先立つこと10年以上も前、トーマス・エジソンは、キネトスコープといわれる覗き式の「動く写真」を発明した。エジソンの発明は、一度に大勢の観客にみせることができるシネマトグラフに太刀打ちできなかったが、歴史は巡ってビデオ時代。映画は個室で楽しまれるものになったエジソン的回帰が始まったのである、というわけで−本書は。ヒデオ時代ならではのビデオでしかみられない「映画」を書評のように紹介していくコンセプトの本。リュミエールからメリエス、忠臣蔵映画からスクリューボールコメディまで幅広く語られるが、やはりその映画的記憶の総量には圧倒される。「夢の女」のジーン・ティアニーの美しさ、清水宏の児童映画やバスター・キートンの気高き笑い…の魅惑を語って、映画そのもののような山田宏一の語りは続いていく。

12月7日(日) 『新青年の頃』
・関つぁんに引き続き。私も初読の印象。
・『新青年の頃』 乾信一郎 ('91.11/早川書房) 
HMM連載のエッセイ。事故で亡くなった渡辺温の後釜して、新青年編集部に入った著者の回顧は、縁側で翁の昔話を聞くようで楽しめる。三人でつくっていた「新青年」と院外団といわれる知恵袋集団の役割、多彩な人物や雑誌づくりの実際等が気楽な調子で語られる。雑誌や記録の類を戦災で消失しているおり、横溝正史との長期に及んだ文通といった資料に当たることなく書かれているので、資料性にやや欠ける点は、残念だが。のんしゃらんと語られる本書で耳をそばだたせざる得ないのは、昭和12年、水谷準の後任として編集長をまかされるくだり。時流に迎合して戦争協力を説く社長とそれを拒否する著者の丸一日の話合いの結果、著者は、博文社を辞め、町工場の経営で糊口をしのぐこととなる。そんな硬骨漢の一面を最後にもってきたのは、著者の矜持がさなせる技だろう。

12月6日(土) 『英国ミステリ道中ひざくりげ』
・『英国ミステリ道中ひざくりげ』 若竹七海(02.7/光文社) 
 旅と英国ミステリを愛する夫婦の旅行記。もっともおかしかったのは、「プリズナーNo.6」の松阪夫妻の項。各地の案内に最適なミステリを選び出す著者の記憶も抜群だが、やはり圧倒的なのは、執事(小山正氏)の古書店ガイドと紹介される珍作・奇作の数々。いつかいきたい英国本屋めぐりへの最良のコンパニオン。

12月5日(金) 『殴られる男』
・『殴られる男』(米・55)
監督マーク・ロブソン  出演/ハンフリー・ボガート ロッド・スタイガー
 原作は、バッド・シュールバーグ(『巨人は激しく倒れる』としても邦訳もある模様)。ボガートの遺作だそうだが、お話の赤裸々さに、思わずひきこまれる。 失業中のスポーツコラムニスト、エディ(ボガート)は、トロという南米出身のボクサーの売り出しを頼まれる。トロは、ロープ最上段をまたいで入場する7フィートもある巨人で、アンドレ・ザ・ジャイアント彷彿させるが、実力はからきし。心ならずも、エディは八百長試合に荷担、トロは各地で連戦連勝し、一躍名を挙げ、ヘビ−級チャンピオンと対決するまでに至るが・・。八百長試合の横行、ギャングとの癒着、パンチドランカーのボクサーの末路等ボクシング界の裏面が生々しく、苦み走ったエディの苦悩も深い。八百長で大巨人の栄光をつくりあげていく本作のテーマは、一種のフランケンシュタインテーマともいえようか。トロのモデルとされるプリモ・カルネラは後年プロレスラーに転向し、来日経験もあるらしい。


12月4日(木) 『割れたひづめ』 
・『割れたひづめ』 ヘレン・マクロイ('02.11/国書刊行会)☆☆☆☆
 視線の強度という言葉がある。この作には、若い時の視線の力強さはないが、変わりに、もっと繊細な豊さに富んだ作者のまなざしを感じ取ることができる。例えば、小説家の妻の装いを形容する場面で、作者は、トルコ風、朝鮮産、ヴィクトリア時代の女奴隷、画家達が描いた近東の白昼夢に次々と言及していく。この放浪するような視線。何をみても何かを思い出すような視線。早熟な子供たちを慈しむかのような描きぶりも見事で、その子供たちのいたずらが、塗り込めたはずの真実を暴き出す役割を果たす構成も効果的だが、それ以上に、日本家屋とも、中国式とも、ノアの方舟とも形容される孤立した山岳地帯での事件全体を支配する作者の回想のまなざし、静謐さが、この不可能犯罪小説を一読忘れがたいものにしている。最も印象に残るのは、謎解きが行われる、1920年代の未来派の映画のようとも、宇宙ステーションとも形容されるスキーロッジ。ウィリング博士は、マクロイのSF短編に通じるような、一種の諦観に近い世界観を吐露する。力強さのかわりに真の成熟を持ち得た視線で綴られる極めて印象的な物語。知性ある年とった女性には、誰も叶わない、と思わせる。(12/28記)


12月3日(水) 『ウィッチフォード毒殺事件』 
・『ウィッチフォード毒殺事件』 アントニー・バークリー(02.9/晶文社) ☆☆☆★ 
 「ジャーロ」でかなり手厳しい小山正氏の書評が出ていたが、今年MYSCONの海外ミステリの部屋に御本人がいらしたので、そのことに触れた。御本人は「個人的には大変嬉しいのだが…」と弁明されていた。同席の若竹七海氏が「あんなこと書くから・・(マニアを怒らせる)」といった調子で、フォローしていたが。(この辺、記憶曖昧)。「ミステリーズ02」の杉江松恋「路地裏の迷宮捜査2」で、この作が褒められていて、溜飲が下がった思い。個人的には『レイントン・コートの謎』より、筆がより闊達になっているし、シーラらと、19世紀の実在の事件を模した事件の渦中に飛び込んでいくつくりは、絵の中に飛び込んでいく冒険譚のような愉しさに溢れていると思う。関節脱臼系の結末も、実在事件の別解を示している以上、十分「あり」なのでは。


12月2日(火)  『バルカン超特急』
・感想を書きはぐれたのを何冊か。
・『バルカン超特急』エセル・リナ・ホワイト(03.1('36)/小学館) ☆☆☆ 
 列車に乗るまでが結構長い。自立志向の独身女性が巻き込まれる時間、場所限定のサスペンスの古典!といいたいところだが、彼女のことを理解してくれる若者がすぐに現れるために、不条理性がそれほど高まらないのが物足りない。失踪した女性の彼女を待つ家族の描写も物語の流れを阻害している感じ。『らせん階段』と同様、ラインハート流の尻尾が残っている感じで、畳みかけるようなサスペンスには、なっていない。


12月1日(月) 『ゲッタウェイ』('94)
・『ゲッタウェイ』(米・'94) 
 監督/ロジャー・ドナルドソン 主演/アレック・ボールドウィン キム・ベイシンガー
 '72のリメイク版。元版との主な変更点は、ドクが収容されていた刑務所がメキシコであるということと襲撃の対象が田舎町の銀行からドッグレース会場になっている点くらいか。脚本が同じウォルター・ヒル(+エミー・ジョーンズ)なので、台詞もほとんど同じ、各シーンも既視感の繰り返し。にもかかわらず、相当見劣りするのは、ひとえに主演二人のせいか。ボールドウィンには、マックイーンの沈着さがなく、40超えのベイシンガーにはマッグローの初々しさを望むべくもない。夫婦喧嘩のシーンでは、ドク(ポールドウィン)が女房に殴り返されて、涙ぐんだりする。演出も、元版は、銀行襲撃のシーン一つとってもねちっこさがなく物足りない。ベイシンガーのお色気サービスが見所か。