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4月30日(水) 『塩沢地の霧』
・『塩沢地の霧』 ヘンリー・ウエイド(国書刊行会/03.2('33))
 渋い、渋い。探偵小説全集での紹介が3冊目となるウエイドの本作は、やはり半倒叙形式を用いており、その前半部で、閉鎖的なイギリス寒村で起きた事件に関わる登場人物の心理の襞をみっちり書き込んでいる。将来を嘱望されながら貧乏絵描きの地位に甘んじている夫、貞淑で美しくも平々凡々たる生活に飽きたらぬ思いをしているその妻。そこへ誘惑者たるプレイボーイの小説家が絡んできて、平穏な生活は音を立てて崩れ落ちる。中心人物3人の心理にやすやすと入り込みながら、決定的事件は伏せておくというテクニックが巧みで読者は、画家に(あるいはその妻に?)肩入れしながら、事件の展開をめぐって、やきもきさせられることになる。塩沢地の風景描写や土地に暮らす人々の描写は堂に入ったもので、この作家の風格を窺わせるに十分だ。 小説家の死以降、一転、捜査小説の趣となり、前半部で書き込まれた塩沢地の複雑な地形や脇役をめぐるエピソードが事件の解明に絡んでくるものの、謎解きを期待する者には、結末はややあっけない。後半の捜査小説よりも、平穏な生活に巻き起こった葛藤を描いた前半の方がより魅力的にすぎる作といえようか。結末に至っても解かれぬままの 謎が一つ残っており、その真相については読者の判断に委ねているように思われるのは、読み間違いだろうか。☆☆☆★


4月29日(火・祝) 蒼井雄の密室短編
・この日は、いわゆる三美女と、「ル・フェスタン・デュ・ノール」なるフランス料理の店で食事。メインは、ウサギ料理。「ウサギ料理は殺しの味」ってね。二次会のカラオケは、中山千夏で終わる。なんなんだ。
・猫美女は、最近、北村薫を読み返しているそうなのだが、『六の宮の姫君』に菊地寛『真珠夫人』の話が出てくるのに気づいたそうな。主人公の女子大生がTVドラマにしたらいいっているらしい。番組制作者は、絶対それ読んでるね、とか。山美女は、「真珠夫人」自体知らなかったり。この話、有名なのかと思って、「六の宮の姫君」・「真珠夫人」で検索をかけたら、幾つかのサイトで触れられてました

・おなじみ、ようっぴさんから、密室物にかすっているかもしれないということで、蒼井雄の短編をテキスト化!したものを頂いたので、ちょっと御紹介してみる次第。毎度ありがとうございます。
 初出は『宝石』昭和22年11月号、蒼井雄「犯罪者の心理」。いささか変型ながら、密室物といっていいと思う。
 関係者を前にして、私立探偵・竹崎が語り始めるところから話は幕を開ける。事件というのは、自宅の押入れで発見された資産家殺し。容疑者としてその弟が既に逮捕されている。資産家の妻は、夫の弟の無実を信じて、竹崎に事件の調査を依頼してきたのだ。弟が逮捕された理由というのは、その一、被害者の死亡推定時刻に関係者は全員アリバイがあり、唯一弟だけ資産家の自宅にいてアリバイがないこと、その二、資産家の自宅には、一端、外からドアを閉めると鍵がかかってしまう「空巣錠」という鍵が付いており、社用で出張していたはずの資産家が鍵を持っていないのに家に入り込めたのは、弟が自宅に一人でいたとき以外には考えられないこと、だった。実は、この弟と資産家の妻は、現在の結婚前から将来を誓った仲だったが、弟の出兵中に資産家が横取りしたもの。機会も動機も十分で、弟の容疑は揺るがないようにみえる。弟以外の人間が犯人だとしたら、外部から一見出入りが不可能な家に、被害者と真犯人が入ってきたことになる。
 作中では必ずしもこのように「不可能」にスポットを当てて説明されるわけではないが、なかなか面白い状況設定であり、一種の逆密室物とみることもできると思う。トリック自体は大したものではないけれど、困難は分割せよ、を地で行く如く、こうした一種の不可能状況が成立した事情を心理面も含めうまく説明しており、戦前本格の雄の謎解きセンスを垣間見れる一編だった。麻雀が「犯罪者の心理」のヒントとなるのは、『カナリア〜』譲りなのかな。



4月28日(月)
・ほんとは、5/6。山風リスト山風少年物リスト山風ニュース更新。


4月27日(日) 『嘲笑う闇夜』
・連休は暦通り。見舞いの帰り、ラルズでやっていることに気づいた古本市に。めぼしいものには気づかなかったなあ。マイケル・ブレット『デス・トリップ』(河出書房新社)、フィルポッツ『狼男卿の秘密』など数冊買う。
・『嘲笑う闇夜』 ビル・プロンジーニ&バリー・N・マルツバーグ(文春文庫/'02.5('76))
 同じ作者の合作では、随分以前に訳された『裁くのは誰か?』('77)が個人的には、「こりゃないぜ」というアンフェア作だったのに対して、この作品は上手く塀のこちら側に落ちた作品。一部のマニアで伝説とされていただけのことはある。田舎町で、凶行を続ける切り裂き魔。犯人には自らの行為の記憶がないのではないかと精神分析医が推測するのが、この話のミソで、事件に関わる男達は、次々と起こる事件の中、五里霧中の中を彷徨うことになる。若い新聞記者の卵が、この事件を題材にした小説を書いているという設定も、事件を錯綜させて効果を挙げる。一癖も二癖もある男女を操って、意外な結末まで一気になだれ込む不敵なサイコ・サスペンス。


4月26日(土) 『ディフェンス』
・1月くらいは、更新を継続しようと思って、挑戦中なのだが、リアルの時間からは、緩やかに離脱中。これを書いているのは、5月3日。超低速タイムスリップをしているようだ。これから小樽に行って来ます。、
・かなり前に読んだ本なので、細部は多少いい加減だが。
『ディフェンス』 ウラジミール・ナボコフ(河出書房新社/'99.11(30))
 『ロリータ』の作者によるチェス小説。無機質な盤上ゲームが文学の主題となならんでるか。この小説を読めば、是と答えざるを得ない。それも、音楽や美術と並べてもなんの違和感もなく。考えてみれば、至高の美を追求する芸術家の生と苦悩が文学の主要なテーマの一つだった時代があるのだから、盤上の真実を追求する棋士が小説の主題とならないはずはない。解説によれば、初期のナボコフの小説は、芸術家小説の文脈で理解されており、一般的には無益とされている対象への没入する主人公像がなにより新しかったという。確かに、主人公ルージーンは、芸術家というにはあまりにも異貌である。
 小説家の長男として生まれた主人公ルージーンは、幼い頃、ふとしたきっかけから文字通りチェスの虜となる。このチェスに目覚めていく数ヶ月の描写は素晴らしい。同じ魔法にかかった一時期を過ごした人間だけが書けるみずみずしさだ。瞬く間にヨーロッパ有数のチェスの指し手となった主人公だが、10数年の時を経て、ドイツの保養場で再登場する彼は、既に疲れ切っている。社会常識も欠落し、女性と話したこともない究極型のおたく。かつての天才少年も、今は慎重で負けにくい手を指す凡庸な選手とみなされている。不思議なことに良家の娘(これまた不思議なことに名前出てこない)が惹かれていく。(その思いの本質については、彼女の母親が見抜いてしまい、この小説の悲劇性をさらに高めるのだが)彼女と婚約したルージーンは、己の全存在をかけて宿敵トゥラチとの戦いに挑んでいく…。
 黒と白の大海原にのめり込み圧しつぶされていく青年、それを見守らざるを得ないルージ−ン夫人とその家族。ルージーンの孤独な魂と家族の生の営みに、痛々しいような胸塞がれるような思いが押し寄せてくる。ルージーン夫人の家族が属するベルリンの亡命ロシア人コミュニティという特異な場も、この小説に独特のニュアンスを与える。
 冒頭の作者自身の前書きや若島正の解説によれば、この小説は、チェスの技法を用いて細部に至るまで計算し尽くして書かれているのがわかる。(レトロ回帰分析なるチェス・プロブレムの手法も用いられているらしいが、その手法を用いた詰将棋の創作もある訳者・解説氏(若島正)は、本書に本当にうってつけだった)ナボコフ本人によれば、終わりの数章で、「チェスの猛攻に似て、哀れな主人公の正気を支える最奧の部分をずたずたにした」ところを「楽しんだ」。
 ここに至って、小説は、作者と主人公が黒白に分かれてせめぎ合う盤上のゲームになる。ミステリとの類似関係についてはいわずもがな。他にナボコフの小説は「セバスチァン・ナイト〜」を読んだだけだが、小説のつくりは、極めて構造的というか建築的。細部設計を揺るがせにせず、伏線を張り、登場人物をつなぎ、現実とシンボルを同期させていく。人智を尽くして小説の神の降臨を渇仰するタイプか。そして、この小説には、確かに小説の神が降臨していると思える。



4月25日(金) 『魔性の馬』
・ラーメン丼の文様がなんというのか、気になってサイ君に聞いたら「唐草模様だっけ」そうじゃないだろう。「中野美代子先生の中国文学の講義で聞いたような記憶が…」おお、中野先生といえば、『雷鳴の夜』の訳者あとがきで、教示を請った人として登場している。シンクロニシティ。ネットで検索すると、ラーメン丼の文様は、「雷文」というらしい。雷の図案化といわれとのこと。『雷鳴の夜』に端を発した疑問の回答としては、できすぎ。シンクロニシティ。太極図との関係に言及したものは、みつからなかったが、今度は「ユービック」の世界が太極図に見えてきた。易経SF『高い城の男』を書き、『ユービック』の映画化に易経の要素を取り入れようとしたディックだけに、あながち的外れではないと思うのだが。トンプスンに似た作家の項でOKさんが「正解」を出していた。安達さんもだけれど。ありがとうございます。
『魔性の馬』 ジョゼフィン・テイ (小学館/03.3('49)) 
 広大な牧場をもつアシュビー家に、8年前行方不明になった長男パトリックと偽って入り込もうとする孤児院育ちのブラット。かなり無理のある天一坊計画なのだが、そっくりさんでひと儲けを企む男の薫陶よろしく、ブラットは、意外にも、たやすくアシュビー家に受け入れられて…。全米ミステリ専門書店主宰の「20世紀ミステリ100選」で作者のものとしては最高の支持を受けたという。アメリカ探偵作家クラブが選んだベスト100にも「時の娘」「フランチャイズ事件」に次いで90位に入っているからテイの代表作といってもいいのだろう。正体を悟られまいとするブラットが家族を始め、村の人々の一言一句、一挙手一投足に気を配らざる得ないところが緊張感を盛り上げていく。ブラットは生来の悪党ではなく、繊細な感情をもつ青年として描かれ、アシュビー家の人たちとの交情を深めていく。この後、物語は意想外にも本格ミステリとして構造を顕にしていくのだが、作者は真相にはさほど重点を置いていないようだ。プラットが家族にとけ込めるように心を砕く伯母ビーをはじめアシュビー家の人々や村の人々の生彩に富んだ描写、農業見本市での障害レースなど馬達にまつわるシ ーンの鮮やかさ、南イングランドの風光の方がずっと印象に残る。
 作中、野心家の新聞記者がなんの屈託もなく買い物にいそしむ村の人々をみてその自足ぶりに嫌悪を示すシーンがあるが、ブラットは「そのどこがいけない」と答える。この英国の中流生活に関する揺るぎない自信が、ミステリ読みの人たちも惹きつける作者の安定感の源だろうか。☆☆☆★



4月24日(木) 『雷鳴の夜』
『雷鳴の夜』 ロバート・ファン・ヒューリック(ポケミス/03.4('61))
 ラーメン丼の淵に書かれている文様は、太極図の変形なのか。さすれば、我々は、ラーメン丼の中に「道教」の思想を観ていることになる。などと、埒もないことを考えたのは、それ自体素朴な味わいのあるヒューリック自身による猫の挿し絵にこのラーメン丼文様が描かれているから。
 中国唐代を舞台にしたディー判事物の第8作目。旅の帰途、嵐に見舞われたディー判事一行は、山中の寺院−寺といっても仏教ではなく道教の寺だが−に一夜の宿を求める。無人のはずの物置に鎧を着た大男と片腕の娘が目撃されるという怪現象に続き、無人の廊下で囁きが聞こえる等不可思議な現象が相次ぐ。しかも、最近、この寺で3人の娘が立て続けに変死を遂げているらしい…。お膳立ては、まるでカーで、冒頭から引き込まれる。寺院の平面図が二度にわたって掲げられているが、一種の迷宮の様相を呈する寺院が魅力的で、欲望と陰謀渦巻く事件の絶好の舞台となっている。ディー判事は、長い夜を明かし、乱麻を経つ如く事件を落着させる。
 事件の背景には、あまりなじみのない道教の習俗や思想が取り入れられており、謎解き部分にも森羅万象の働きを示す太極図がうまく取り入れている点は、本書の特異な魅力となっている。光と影の対決を思わせる真犯人とディー判事の対決も迫力に富む。☆☆☆


4月23日(水) 『ユービック:スクリーンプレイ』
・かなり快方に向かって、口が聞けるようになった父親、病院にかつぎ込まれた当初、3回、死んだ夢を見たという。3回とも、同じ掃除婦のおばさんが出てきた、というのが、ディック的。
・というわけで、正解は、PKDでした。正解といっても、私が勝手にそう思っているというだけですが、
『ユービック:スクリーンプレイ』 フィリッブ・K・ディック(03.4('85))
 ユビキタス・コンピューティングなんて言葉が平然とお茶の間にも流れ込んでくる時代となった。小説『ユービック』の中では、「ユービック」という言葉の意味を登場人物は誰も聞いたことがなく、図書館へ問い合わせたりするのにもかかわらず。デイックの造り上げた世界が、今日、確実に一部実体化しつつあるような気がする。
 本書は、『ユービック』のシナリオ版。原作が書かれたのは、69年。74年に、ゴダールとも仕事をしたことがあるフランスの映画監督ジャン=ピエール・ゴランによって『ユービック』映画化の話が持ち上がった際、ディック自身によって書き下ろされたものという。残念ながら、プロジェクトが始動する前に、映画化の話は、頓挫してしまったが、シナリオの方は、こうして生き残った。
 『ユービック』は、ディックの話としては珍しく、直線的に進行する話で、−訳者浅倉久志の後書きで風太郎忍法帖を引き合いに出されていたのも懐かしい−崩壊していく現実が強烈なサスペンスを伴って描かれていた。主要な登場人物は一人ずつ死んでいき、誰がこのような事態を引き起こしているのか、というミステリの要素も少なからず持っている。レッド・へリングを泳がせているせいで、「真犯人」も相当に意外で、主人公ジョー・チップらが立てた仮説も何度も裏切られることになる。作品がアンソニー・バウチャーに捧げられているのは、邪推かもしれないがミステリとしての結構にも自信があったのではないか(まあ、バウチャーはSFの世界でも著名な編集者だったわけだが)
 この機会に、20年以上も前に読んだ原作の方もパラパラとめくってみたが、「スクリーン・プレイ」は、原作にほぼ忠実なシナリオ化である。改めて「ユービック」の世界に浸ると、冒頭の半生者の眠る「愛しい同胞の安息所」、火星に集まった不活性者たちへのヒューマノイド爆弾攻撃、様々な小道具に侵入してくるランシターの顔と声の迫力、1939年の世界への退行などなど、映像的な興趣に溢れており、作者自身、原作のストーリーを改変する必要性を感じなかったものと思われる。各節の冒頭に掲げられていた「ユービック」広告が、アンディ・ウォホール風の技法で描かれたスプレー管としてスーパーインポーズされるなど、映画ならではの工夫も凝らされている。小説のショッキングな結末は、一種のハッピーエンドに書き替えられているが、原作の方にも、こちらの結末を暗示するようなシーンがきちんと用意されていることに気づく。このシナリオで『ユービック』は、本来のありうべき姿に落ち着いたともいえそうだ。シナリオ版を読めば、ユービックとは、商品であり、広告であり、硬貨と紙幣であり、言葉であり、神であることがより明確に伝わってくる。ディックによって、書 き直され、生き直された「ユービック」の世界が、21世紀に、よりリアルに迫ってくる。



4月22日(火) トンプスンに似た作家
・久しぶりに近所の半額店に行くと、かすかな血の匂い。ポケミスが並んでいるその棚の前に行くと−。来た−ッ!!。血風じゃ。
 ニコラス・ブレイク『くもの巣』(ポケミス) 
 値段はむろん、180円。山田君、座布団10枚。サイ君、赤飯を炊けい。
 やはり、馬には乗ってみろ、古本屋へは行ってみよ、だなあ。しかし、これに近いポケミスが他にあるでなし。一冊だけ浮き上がっているのは不思議だった。
・ジャンルは違えど、ジム・トンプスンと随分似たアメリカ作家がいるなあと常々思っていた。両作家の共通点を思いつくままに挙げてみると、
○多産なペーパーバックライターだった
○作品によって出来不出来が激しい(と、いわれている)
○生前にアメリカ国内では正当な評価を受けることはなかったが、少数の熱狂的ファンがいた
○生前からフランスでは人気作家だった(「実存」の国ゆえ?)
○死後に、評価や人気が高まり、作品の映画化が相次いだ
○作家にタイプがあるとしたら、間違いなく破滅型である
○作品は実験性に富み、ときおり破綻する(が、破綻もまたチャーミングである)
○主要な登場人物は神経症的不安を抱えており、その感覚は作品内に充満している
○安ピカのアメリカ的消費社会の現実を作品の前提としている・ジャンル内ガジェット(タイムスリップ・超能力・多重世界etc、小悪人・犯罪・脱走と追跡etc)を用いながら、ジャンルを越えた衝撃的ヴィジョンを提示した

 その作家は?というと、賢明な読者には既におわかりのことと思う。答えは次回。



4月21日(月) 『深夜のベルボーイ』 
・掲示板常連の後藤さんがサイトを開設。やっほー、おめでとうこざいます。現在工事中だが、蒐集書籍500冊以上を擁しての「山風秘宝館」のコーナーが、まず楽しみ。中国からも更新されるのでしょうか。リンクもありがとうこざいました。
・『深夜のベルボーイ』 ジム・トンプスン(扶桑社/03.3('54)) 
 翻訳が進むに連れて、単に筆力まかせではなく、相当のプロット巧者であることが明らかになってきたトンプスンの中期作。『死ぬほどいい女』と同年の作ながら、同書に見られた実験的要素は希薄で、十分に伏線を張り予想外の展開を演出する筆さばきは、やや意外なくらいである。主人公の青年は、大学をやめ、ホテルのベルボーイとして働く青年ダスティ。医者になる夢を断念しつつある彼は、「すべての女を一身に集めたような女」の客に出逢い、自らの運命が大きく変わっていくのを自覚する…。裏カバーに「暗黒の青春小説」とあるが、この小説が青春小説だとしたら、これくらい光の欠片もない小説も珍しいだろう。それは青年が犯罪に手を染めていくからではなく、仮借なく青年の内面を露にされていくからだ。人体の絵を一枚めくって、赤や青の神経が剥き出しになった解剖図をひねり出すように、惜しみなくトンプスンは奪う。ダスティの目の前に現れる登場人物もプロットの齣でありながら、ダスティの内面の暗黒を暴く役割を担っているかのようだ。素晴らしい登場の仕方をするファム・ファタル、マーシャ・ヒリスは、すぐ物語の後景に退き、文字通り運命の女神のように、物語の 転回点で、姿を現す。およそ感情移入ができないような人間にもかかわらず、変転する事件におののき、絶望し、歓喜する青年の感情の震えが、読者と共有されてしまうのは、いつもながらのトンプスンの魔法。冒頭のスティーヴン・キングによるトンプスン賛はお見事。☆☆☆★



4月20日(日) 『新・本格猛虎会の冒険』
・見舞いの帰り、母親とサイ君で、JRタワー38階の展望室に昇ってみる。15分待ちで、割合スムーズにエレベーターに乗れる。それにしても、一人900円は高すぎないか。
『新・本格猛虎会の冒険』 (東京創元社/03.3)
 阪神タイガースをテーマとした前代未聞のアンソロジー。某書店では、スポーツコーナーに置かれていた。
「五人の王と昇天する男達の謎」北村薫/有栖川有栖が主人公。煉獄から昇天する野球ファンが残したダイイング・メッセージの意味は?
「一九八五年の言霊」小森健太郎/奇蹟の阪神優勝の秘密。仮説は面白いが、話の枕を短編に仕立てた感。
「黄昏の阪神タイガース」エドワード・D・ホック/ホックの参加は、驚き。プロだねえ。阪神のピッチャ−が誘拐され、兄は殺害。きちんと取材した生真面目な本格。
「虎に捧げる密室」 白峰良介/視線で構成される密室で殺されたトラキチの男。動機は面白い。
「犯人タイガース・共犯事件」いしいひさいち/快調快調「甲子園騒動」黒崎緑/甲子園球場の保住と和戸。話が無理やり。
「猛虎館の惨劇」有栖川有栖/トラキチの館の主の首無し死体。この辺が 今の作者の水準?
 全体として、花相撲の感は拭えず。もう少し、阪神ファンという種族に対する洞察があってもいいのでは。お話のできに余り拘らない、タイガースファンにはお薦め。☆★



4月19日(土) 素晴らしきアメリカ野球
『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』 リング・ラードナー(03.4('16))  
 持ち前の速球の威力を認められ、メジャー・リーグに引き抜かれた投手ジャックを主人公にした1910年代のユーモア野球小説。米国市民の喋り言葉を自在に描いたラードナーの処女作でもある。
 実力的にはピカ一なのに、うぬぼれ屋のジャックは、海千山千の監督やチームメイトに四苦八苦し、女の問題で一喜一憂しながら、メジャーリーガーになっていく姿がユーモラスに描かれる。田舎の友人アルにジャックから送られる手紙文だけで構成されるいわゆる「木綿のハンカチーフ」形式(マルシー 霞流一)で綴られる物語は、先に訳されたワイルド『探偵術教えます』も、そうだったけれど、主人公の直情家ながら楽天的で、憎めない性格を浮き彫りにし、アメリカン・ユーモアの伝統によく似合う。手紙の中で表明されるジャックの予想や目論見は大方外れっぱなしで、次の手紙で何事もなかったように前言翻し技を炸裂させていくのだが、その流れが一種のお約束となり、自然に笑いを誘う。 手紙体の文章は、後から心の動きや事件の因果関係が整序された普通の小説の文体と異なり、大事な事件は、手紙と手紙の間に起こっている。いわば、一種の「感情の実況中継」であり、翻訳では十分味わえないラードナーの口語の魅力というのも、こうした発語のリアルさを引き出すお膳立てによるところも多いのかもしれない。
 時は、1910年代、電話以前ラジオ以前の時代においても、野球は、アメリカの国技である。メジャー・リーグを頂点とするプロ野球の体制は整い、ウェーバーは制度化され、転戦する各地で熱狂的に迎えられるメジャー・リーガーたちはヒーローの代名詞である。ジャックの一行が日本の王様から招待状を貰って日本に渡航する直前でお話は終わるのだが、アメリカ文化の一つの骨格をなすキング・オブ・スポーツ・野球の伝統に思いを馳せることのできる楽しき古典。


4月18日(金) 『ハイ・シエラ』
・バークリー『ロジャー・シェリンガムとヴェィンの謎』(晶文社)、ヒューリック『雷鳴の夜』(ポケミス)、山田正紀『風水火那子の冒険』(カッパ・ノベルス)、鯨統一郎『みなとみらいで捕まえて』(ジョイ・ノベルス)、『「少年」傑作選 小説・絵物語篇』(光文社文庫)、とみ新蔵『魔界転生』(リイド文庫)購入。
『ハイ・シエラ』 W・R・バーネット(ポケミス/03.2('40)) 
 ハンフリー・ボガートの出世作となったフィルム・ノワールの原作が60年を経て翻訳される。刑務所から出所したロイ・アールは、犯罪界の大物ビッグ・マックの指令の下、カルフォルニアの高級ホテルを襲撃する計画に着手。そこには様々な人間模様が絡んで…。犯罪が実行に移されるのは、後半に入ってから。それまで、作者の筆は、ロイの孤独な肖像、手下たちとの確執、二人の女をめぐる心の動きなどに費やされる。足の悪い娘ヴェルマとの交情のエピソードなど、今となっては少々甘すぎるようにも思うが、これも往年の名画らしい品の良さとみなすべきか。本質は無骨な田舎者である主人公を次第に惹きつけていくマリイと、宿命の犬?バードがいい。菊池光訳の会話「・・のだ」文は、やっぱり気になるなあ。☆☆☆



4月10日(金) 『バニー・レイクは行方不明』 
・パラサイト・関更新。
・掲示板でマーヴ湊さんも絶賛のこの本。噂に違わぬ秀作でした。
『バニー・レイクは行方不明』 イヴリン・パイパー(ポケミス/03.3('57))☆☆☆☆ 
 腰巻きに、「ミステリ・マガジン」アンケート ミステリ映画ベスト10未訳長編部門第9位。そんな肩書きに関係なく、この小説、滅法面白い。ニューヨークへ引っ越してきたばかりのブランチは、3歳の娘バニーを保育所に預けるが、夕方迎えに来ると、娘は行方不明に。保育所の職員には、娘の心当たりがなく、急を告げたはずの警察の対応も納得がいかない。事故か誘拐か変質者の仕業か。プランチは、頼るものもない大都会で、必死に娘を探すのだが…。このさきの展開を書くのは野暮というもの。比較的単純な話が、次第にニューロティックな様相を呈し、物語自体の方向性さえ見失うような深い霧の中に読者はさそいこまれる。主人公を未婚の母に設定したところも秀逸で、内面の葛藤や孤独感を副主人公の精神医が際だたせていくことで、一見直情的すぎる母親の行動にも不自然さを感じさせない。緊迫感をいやますカットバックの使い方も、極めて高いレベルだ。ラストに至っても、遊び心と驚きが同居するような最後の一行まで息を抜けない。未紹介がまだ多い50年代サスペンスの中でも、抜きんでた秀作といっていいものだと思われる。
 以下は、まったくの付けたり。主人公の母親はただ事件に翻弄されるのではなく、推測をし、行動をする一種の名探偵としての役割を担わされている。しかし、それは失敗に終わり、かすかに開いたようにみえる扉は次々と閉じられていくことで、主人公と読者の焦燥感はつのる。いってみれば、フレンチ警部が扱うような事件のトライアル&エラーと同じ構造をもっているのだ。作者が意図したかどうかは別として、本格の技法がニューロティック・サスペンスの技法として仕立て直されている点に注目したい。また、主人公を名探偵と考えると、その一種の狂える名探偵ともいえる肖像は斬新だし、彼女に最大のレッドへリングを掴ませる登場人物の一人は、後期クイーンの犯人像にも通じるようにも思えてくる。ここでも、主人公像や誤導の技法をめぐり、サスペンスと本格は、微妙にクロスしてくる。
 なお、この作品も例のパリ万博の話が下敷きになっているのだが、その話は改めて。 



4月9日(水)
・久しぶり!パラサイト・関から「戦時下の暮し」レポート。
・ようっぴさんから、密告。
勉誠出版の<勉誠ライブラリー・ミステリーセレクション>のうちの1冊、『水の怪』収録の倉田映郎「流氷」(昭和31年1月『宝石増刊号』)。同じく、『人間心理の怪』収録の猪股聖吾「狐憑き」(「宝石」昭和32年2月)。二階堂黎人編『新・本格推理03』収録の、宇田俊吾・春永保『悪夢まがいのイリュージョン』(車のトランクからの鞄の消失)。園田修一郎「作者よ欺かるるなかれ」、青木知己「Y駅発深夜バス」、青山蘭堂「ポポロ島変死事件」、小貫風樹「夢の国の悪夢」も、留保つきながら、教えてもらいました。勉誠の2冊は、入荷していたはずの旭屋を当たると、早くもない。ほんと、新刊の逃げ足は早い。
・こしぬまさん(K美術館/アドレス変わりました)からの密告。
東直己「「くるみと猛犬」、「くるみと大スター」(以上『探偵くるみ嬢の事件簿』光文社文庫)2002年より。
 ありがとうございました。


4月8日(火) 雑誌あれこれ
・「彷書月刊4月号」、末永さんのエッセイ「昭和出版街」を読んで、初めて、紙型流用という言葉の意味がきちんと判った。昔は、紙型市なんてのもあったらしい。
・HMM5月号は、ポケミス50周年にちなんで、ミニ特集。原寮「ポケミス街で拾ったもの」は、見開き2Pにポケミスのタイトル100以上を散りばめたミニ・ハードボイルド。これできちんとしたお話になっていれば喝采だったのだが。本特集は、「英国ミステリ最前線」だが、次号予告「特集/本格ミステリの秘宝」に目が向いてしまう。翻訳家の平岡氏によると、アルテ6月頃刊行を目指して準備中とのこと、
・「KAWADAE夢ムック 江戸川乱歩」は、新発見小説「悪魔が岩」が売り。まだ、よく読んでいないけど、乱歩漫画の喜国コレクションが楽しい。
・2Chの山風スレで知った「時代劇マガジンVOL3」は、山風ニュースのとおり。「魔界転生コンプリートコレクション」によると、同書は、映画化1、舞台化1、コミック化3、Vシネマ化1、OVA化1がなされているということで、その広がりにちよっと驚く。それにしても、こういうコンセプトの雑誌も成立するんだなあ。内容は、新作時代映画・時代劇の紹介等に加えて、名匠の追悼、名作時代劇の回顧、「氷川きよし納涼特別公演」などの舞台物の紹介、時代劇画、時代劇アニメ、時代劇TVゲーム、時代劇サントラの紹介まである。こういう「時代」がつけばなんでもいい、全領域時代劇ファンもいるのかな。
・「魔界転生」のコミック化が載っている「ミステリーDX」。「悪魔の寵児」183P一挙掲載や、白峰良介が漫画原作に参加してたり、びっくりすること多し。この雑誌も、いわゆるレディースコミックの一つに該当するのだろうか。漫画雑誌のコーナーに行くと、ロマンス、ミステリ、ホラー、実話ホラー、ハートゥォーミング、バカ夫婦実話?等々ジャンル・コミック雑誌が色々あって、パルプマガジン全盛時もかくや、と思われる。そのほとんどが女性向けらしいのは、どうしてなんだろう。



4月5日(土) 山風ニュース
・携帯で自分のサイトを見ると、ほとんどのコンテンツは、容量が多すぎて表示されない。そこで、発作的に、携帯にも対応できる「山風ニュース」なるページをつくってみた。発刊情報、映像化、コミック化、関連記事、山風作品に触れた評論等の情報を載せていくつもり。すぐに、更新が面倒になるかもしれませんが…。これまでもたくさん教えてもらいましたが、なにか情報のある方、みつけた方、掲示板等でお知らせいただければ、ありがたし。と、それだけだぁ。


4月4日(金) 「山田風太郎記念館」オープン
・年度末の一山を越えてやれやれと思っていたら、退院したばかりの父親が倒れて救急車で運ばれて病院に逆戻り。自分は、酒飲んでて連絡がつかなかったということもあって、ついに携帯を持つ羽目になる。
・松橋さんから教えていただいたのだが、4月1日、兵庫県関宮町に「山田風太郎記念館」がオープンしたそうだ。→記念館サイト→会員も募集中という。是非一度尋ねてみたいもの。
・日曜日は、帰省中の月うさぎさんと、安達さん、私の3人で、道立図書館ミニオフ?JRタワーに移動して、居酒屋風の店で歓談。楽しいひとときを過ごしました。書きたいこともやりたいことも色々あるが、とりあえずの近況報告ということで。



3月20日(木) 「鞆繪と麟之介の物語」発掘
・戦争が始まった。
・前回御紹介した「本とコンピュータ」の末永さんの文章は、連載ではなく単発物で、「1」となっているのは、4人の中の先鋒という意味である旨、御本人から連絡いただきました。あちゃー、相変わらずの粗忽で失礼いたしました。前回記載分を訂正しておきました。
・「月刊少年エース5月号増刊 エース特濃」やっと購入。浅田寅ヲ「甲賀忍法帖改」。ストーリーは原作には、ほぼ忠実ながら、舞台はどことも知れぬ世界に移し替えられており、これが非常に新鮮。こちらも、とてもスタイリッシュな画で、アッパーズの方とのキャラクター勝負も楽しみになってきた。
・また、山風リスト関係で新情報が、やよいさんから飛び込んできた。国会図書館(プランゲ文庫)で閲覧した雑誌「くいーん」(Vol.1 No.5 1947.12)に、「鞆繪と麟之介の物語」という風太郎の小説が掲載されていたとのこと。同じ号に乱歩の「山田風太郎君について」という紹介も併せて掲載されている由。
 実は、「鞆繪と麟之介の物語」は、山風リストの「リストの謎」のところに書いているように、前から謎だった作品。該当部分を引用してみると、

・山本明「カストリ雑誌研究」(中公文庫)341Pに『「鞆絵と麟之介の物語」山田風太郎』という記述があり、初出がカストリ雑誌『くいーん』の1948年5/15刊(昭和23年)とされている。(杉浦さん指摘) タイトルからいって、昭和27年の作品とされている「呪恋の女」の原型又は同一作品ではないかと推測されるのだが。(what's new?99.7.14参照)。
 →「宝石」51年9月号の『座談会「宝石」を俎上にのせる』中に「山田君の「鞆江と麟之介の物語」というのに似たのがあります。」という発言がある由(morioさんからの情報提供)

 というところで、探索は止まっていた。今回のやよいさんの情報で、当該作品が実在することが判明したことになる。送っていただいた冒頭の文章をみると、「呪恋の女」の冒頭とほぼ同一。この号で完結ではなく、次号以下に続いているが、次号の収蔵は、残念ながら国会図書館にはないようだ。 第1回目が、47.12月号で、「カストリ雑誌研究」にあるように48.5月号以降まで連載が継続したものかどうか判然としないが、リストの謎がまた一つ解決になりそうだ。やよいさん、ありがとうこざいました。