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2月28日(土) 『都会の牙』
・リーブル・なにわで偶然、安達さんと会う。ちょっと立ち話。いろいろ大変そう。
・来たぞ、アントニイ・バークリー『絹靴下殺人事件』(晶文社)。
・お買い物。年末、白梅軒氏の掲示板で紹介されていた、フィルム・ノワールの予告編集DVD、『PULPCINEMA』(輸入盤)。オールリージョンなので、再生には問題なし。
収録は、45本の予告編。
 『十字砲火』『三つ数えろ』『湖中の女』『The Brasher in Dobloon』『マルタの鷹』『市民ケーン』『大時計』『情婦』『或る殺人』『女の顔』『Girl in 313』『美しき被告』『愛憎の曲』『Strange Triangle』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『地獄の掟』『悪徳』『サンセット大通り』『深夜の告白』『賄賂』『復讐は俺に任せろ』『激怒』『恐怖省』『ベルリン特急』『ガス燈』『戦慄の調べ』『Fingers at the Window』『The Cobla Strikes』『Grand Central Murder』『探偵物語』『仮面の米国』『ガラスの鍵』『Sealed Lips』『Circumstancial Evidence』『暴れ者』 『暴力行為』『拳銃貸します』『ピンクの馬に乗れ』『City of Chance』『現金に体を張れ』『狩人の夜』『追求』『Blackmail』『キー・ラーゴ』『キッスで殺せ!』

 タイトルを並べるのに、疲れた。邦題には誤りあるかもしれず。クラシカルな予告編をただ、ぼーっと観てるだけでも楽しい。キャストやスタッフに宣誓させるという形式を採った『情婦』の予告編は出色。前に少し触れたパトリック・ハミルトン原作の『戦慄の調べ』も入っていたりする。(粗筋で観たように確かに炎の中でピアノを弾いているシーンがある。)アメリカの巨大映画データベースサイト、Internet Movie Databaseでも、『Strange Triangle』なんて作品はたった 7人しか評価の投票をしていないから(ちなみに『マルタの鷹』は、1万5000人以上が評価の投票をしている)、相当なレア物も入っているということなんだろう。
・ノワール第12夜。行きつけの貸しビデオ屋で未見のやつは厳しくなってきて、これは中古で買った「幻の洋画劇場」というシリーズ(日立インターメディクス)の一本。
・『都会の牙』('50・米)
 監督/ルドルフ・マテ 出演/エドモンド・オブライエン バメラ・ブリットン 
 原題はD.O.A(到着時死亡)。冒頭、警察署の殺人課に飛び込んできた男が殺人事件の発生を知らせ、殺されたのは自分だと告げる。男の回想が始まる。遅効性の毒を飲まされて処置なしになった男が自らの「殺人事件」を捜査するというアイデアはこの映画が原型で、2度リメイクされているという。以前、88年のD.O.Aを観たが、これはなかなか面白かった。そういえば、山田風太郎が「墓堀人」で、目の前の毒を飲んだ男が死ぬまでの間に謎解きを終えねばならないという、秀逸なアイデアを案出していた。結婚を目前に控えた会計士フランク(オブライエン)が今のうちに遊んでおきたいとサンフランシスコに休暇旅行に出かける。バーゲン週間で賑わう都会の喧噪の中、一夜を過ごし、体に異変を感じ医者に行くとルミナス中毒に冒されており、解毒剤はなく、余命は1日から1週間と告げられる。医者は、殺人事件として警察に電話しようとするのだから、ひどい。身に覚えのないフランクは、恋人の秘書との電話の会話から、昨日、連絡をとろうとしていた男が急死していることを知り、ロスに飛んで、事件の謎を探る。芋蔓式に怪しげな人物群が登場して、飽きさせずにみせ、世評は悪くないよ うだが、凡人会計士が拳銃を打ちまくり、敵方キャラクターも大仰にすぎるなど、演出はやや漫画的。オブライエンの動きはどたどたしすぎで、優雅さに欠けるようにみえる。冒頭の警察署を歩く男の背中を追っていく場面を含め、移動撮影、ロケーション撮影は印象的。『ギルダ』で流麗なカメラワークを見せていたルドルフ・マテの初監督作。


2月27日(金) 『外套と短剣』
・仕事からの逃避モードで、ネットで買ったフィルム・ノワール関係のブツが続々届いたので、埋め草に何回かに分けて書いておこう。
・突発性のフィルム・ノワール熱に呼応するかのように出たDVDボックス『フィルム・ノワール・コレクション』(コロンビア・トライスター)。観たタイトルが多いボガートのVOL1は、パスして、悩んだ末、vol.2を購入。『ギルダ』『上海から来た女』『復讐は俺に任せろ』『仕組まれた罠』『消された証人』5本を収録。リタ・ヘイワースが売りのボックスだが、リタ・ヘイワース出演作は最初の2本だけで、次の2本は『ギルダ』で共演したグレン・フォードの主演作、最後のはどちらにも関係なしという、ちょっと苦しいようなセレクション。フリッツ・ラング監督作が2本入っているというところが価値ありか。ブックレット、特製カード、特典映像、最初の2本は吹き替えモードありなどのオマケに喜んでしまって、これではメーカーの思うつぼだな、と。
・『外套と短剣』('46・米)
監督フリッツ・ラング 主演/ゲーリー・クーパー リリ・パルマー
 OSSの依頼で、米国の核物理学者が、ナチス側で核開発に携わっている核物理学者を救援するため、ヨーロッパにスパイとして潜入するという筋立て。スイスでの任務に失敗したクーパーは、イタリアに飛ぶ。顔を知られている博士は、救援任務は、イタリアの地下組織の男たちに委ね、同じく地下組織の若い女ジーナ(リリー・パルマー)と二人での待機となる。部屋に残され、二人となって、クーパーに反発する勝ち気なパルマーが、次第に彼に打ち解けていくシークエンスが素晴らしい。部屋の鏡を巧みに使った構図によって二人の感情の流れを繊細に映し出していく。おとぎ話めいた設定ではあるが、ジーナの役は、二次大戦下に生きる非情さを反映したものになっている。部屋の外で泣く猫にどうしてエサをやらないと問うクーパーに、ヨーロッパでは今、猫は肉屋で売っていると答えるジーナ。諜報活動のために、ナチスの軍人にも抱かれる境遇を呪い、私たちは英雄なんかではない、クズと戦えばクズになる、とジーナ。戦火を逃れてアメリカに渡った監督らしい冷徹な人物造型である。緊張と緩和、あるいはその逆の、サスペンスの手練も随所にみられ、強く印象に残る一作。


2月26日(木) 『成功の甘き香り』
・23日付けの「詐欺師カームジン」の疑問に、本棚の中の頭蓋骨の藤原さんの業務日誌で答えていただいた。そもそも、カラムジン(Karamzin)とカームジン(Karmesin)では綴りが違うし、その可能性は残念ながら低そうだ、とのこと。また、カラムジンという姓は、ロシアではとくに珍しいものではないらしい。
 そもそも、綴りが違いましたか。あやー。愚なる疑問に答えていただきありがとうございました。
・ノワール第11夜
・『成功の甘き香り』 ('57・米)
監督/アリグザンダー・マッケンドリンク 主演/バート・ランカスター トニー・カーティス スーザン・ハリスン 
 原題は、Sweet Smell of Success。Sの連打が艶めかしい。一種の内幕物だが、舞台になっているのがコラム業界?というのが面白い。プレス・エージェントのシドニー(トニー・カーティス)は、大物コラムニストのJ・J・ハンセッカー(バート・ランカスター/JJと呼ばれる)に命じられ、JJの妹スーザンと恋人の新進演奏家の仲を裂くよう画策する…。プレス・エージェントというのは、よくわからないが、ここでのトニー・カーティスは、JJのコラムのネタ用に有名人のスキャンダルを提供したり、JJにネタの提供を望む連中の中継をやっている小判鮫のような男。JJに最近冷淡に扱われはじめているシドニーは、別なコラムニストに希望の記事を書かせるために関係のある女を差し出したり、スキャンダルをタネに別なコラムニストを強請ったり手段を選ばない。業界でのし上がる野望に満ちた若い小悪党をトニー・カーティスが好演。一方、JJは、決して内面をみせない男。登場シーンではほとんどの場合、顔面に影が差しているように演出される。この非情冷徹、自らの妹に関しては異常なまでの執念を燃やすJJの存在感にとてもインパクトがある。ほとんどが夜のニューヨー クの街頭撮影は、艶やかで、そこにエルマー・バーンスタインのジャズがかぶる。室内シーンは遠近を生かした構図が強調されている。スタイリッシュな映画だ。
 × × ×
このJJのキャラクターは知名度が高いらしく、米国映画協会(AFI)が選ぶ悪役ベスト50の35位に選ばれたりしている。植草甚一の愛称がJJなのはこのコラムニストから来ているのかと思ったが、どうも違うようだ。
   

2月25日(水) 『探偵物語』
・参考にしている『フィルム・ノワールの光と影』で、『ガス燈』『探偵物語』はフィメム・ノワール作品として紹介されているが、フィルム・ノワールの範疇に入れていない文献もある。同書で紹介されている『ボディ・スナッチャー』『キャット・ピープル』などもそうで、この辺が境界線か。@超自然的要素のない、A40・50年代のアメリカ映画で、B主として犯罪を主軸とする暗いトーンの現代劇というのが最大公約数だろうか。
・ノワール第10夜
・『探偵物語』('51・米)
監督 ウィリアム・ワイラー 出演/カーク・ダグラス クレイグ・ヒル エレノア・バーカー 
 舞台は、ニューヨークの21分署の刑事部屋。今日も様々な犯罪にまつわる人間模様が繰り広げられる。舞台劇の映画化らしく、ほとんどキャメラは、刑事部屋を出ることはない。幾つものドラマを同時並行的に進行させ、画面に釘付けにする技量はさすがだが、カーク・ダグラス演じる妥協を知らない熱血刑事のキャラクターや、刑事部屋を舞台とする群像劇は、この映画以降、使い尽くされた感がなくもない。後半、話は、捜査中の事件に絡んで過去が明らかになったその妻(エレノア・パーカー/good!)との夫婦の確執の物語となる。救いのない結末だが、人間ドラマの側面が強く、フィルム・ノワール的要素は薄い。『夜の人々』のキャシー・オドンネルが横領犯の恋人役で出ている。


2月24日(火) 詐欺師カームジン/『ガス燈』
・本屋で、KAWADE夢ムックフェアをやっていて、面白そうだったので、そのうちの一冊『淀川長治』を購入。パラパラやってみる。淀川長治,蓮實重彦,山田宏一の3人の鼎談本『映画千夜一夜』発刊後にされた3人の対談が載っており、、『映画千夜一夜』を思い出しながら、にやにやしながら読む。蓮實重彦、この高名な批評家も、同書では、遥か年長の淀川長治のいじめられ役。この対談でも「ニセ紳士」呼ばわりされている。流れで、蓮實重彦『映画狂人日記』所収の淀川長治追悼文を読んでいると、同人に「偽伯爵」という渾名をつけられたとある。これはこれで愉快な話だが、その出典は、『愚なる妻』で監督のフォン・シュトロハイム自身が演じたペテン師カラムジン伯爵から、とある。goo映画のあらすじをみると、確かに、カラムジンなる偽伯爵が登場している。
 詐欺師カラムジン−カームジンといえば、先頃『廃墟の歌声』で4編がまとめて紹介されたジェラルド・カーシュのシリーズキャラクターの名前ではないか。『愚なる妻』は1922年の作品。『廃墟の歌声』の解説によれば、カーシュのカ−ムジンの初登場作は、1936年とあるから、それより随分前になる。カーシュは、『愚なる妻』からキャラクターを戴いたのだろうか。同書の解説によれば、TVシリーズのパイロット版で、カームジンを演じたのは、フォン・シュトロハイムとある。フォン・シュトロハイムの演じた役がカーシュの小説のキャラクターになり、そのキャラクターを、またフォン・シュトロハイムが演じたという循環になるのだろうか。
・ノワール第9夜。
・『ガス燈』('44・米)
監督 ジョージ・キューカー 主演/シャルル・ボワイエ イングリッド・バーグマン ジョゼフ・コットン  原作は、先頃『二つの脳を持つ男』が紹介されたパトリック・ハミルトン。余談だが、『二つの脳を持つ男』は、映画化され、『戦慄の調べ』(監督ジョン・ブラーム)というタイトルで、日本公開もされているようだ。粗筋を読むと、主人公二人の名前が小説と同じほかは、音楽界を舞台にするなど相当の脚色が加えられているようだが。『ガス燈』『ロープ』、『二つの頭脳を持つ男』と並べてみると、小説の方の解説で紹介された作者の性格破綻者ぶりとも相まって、4、50年代にニューロティック物を流行させた源流のようにも思えてくる。閑話休題。物語は、19世紀末ロンドンを舞台にした青髭物。話の運びは、かなり不自然だし(路上で一度見かけただけの警部(コットン)がなぜバーグマンの境遇をここまで案じるのか)、時代設定を抜きにしても話自体の古めかしさを拭えない。結局この映画はバーグマンに尽きるとしかいいようがないのだが、それは、最高の素材を十分にいたぶり、観るものの共感を呼び起こす演出の勝利なのだろう。


2月23日(月) 『影を追う男』
・連続登場、匿名希望氏から「鬼」掲載の風太郎エッセイを教えてもらいました。既に掲載分を除いて
 双頭人の言葉 25年7月(1号) 
 合作第一報   25年11月(2号)
 情婦・探偵小説 27年7月(7号)
 となる模様。6号は、山田風太郎が編集当番だったため原稿は書いおらず、無記名の文章も特にないので、この号は欠席で良いと思うとのこと。ありがとうございました。リスト要修正。
・ノワール第8夜
・『影を追う男』('45・米)
監督/エドワード・ドミトリク 主演/ディック・パウエル ウォルター・スレザック
 『十字砲火』のドミトリク監督作品は、ここでも戦争の落とした暗い影を描いている。戦場から帰還して、フランスの若妻のもとに駆けつけた米軍パイロットの主人公(ディック・パウエル)は、彼女がレジスタンス協力者として、虐殺されていたことを知る。復讐を誓ったパウエルは、顔も知られていないナチの黒幕を追って、ブエノスアイレスへ飛ぶ−。ナチ残党は、南米に逃げると相場が決まっているのはなぜだ。ブエノスアイレスを舞台にしたエキゾティズムは、ほとんど感じられないが、味方も敵も判然としない異郷での孤独な探索は、物語の陰影を濃いものにしている。この作でも、地下鉄のホームで主人公が恐慌する場面で、主人公が戦争神経症であることが暗示される。筋は、かなり複雑で、パウエルに協力を申し出る怪しげな男、ナチ協力者や反ナチ組織、曰くありげな女たちが次々と登場し、パウエルは殺人事件にも巻き込まれつつ、ラストで、ちょっとした演説を繰り広げる黒幕登場となる。見終わってても、釈然としない部分も多いのだが、ネットで調べると日本版ビデオは、TV放映の短縮版をそのまま商品化したもので、かなりカットされているらしい。これでは筋がよくわから ないのも、いかんともし難い。黒幕が語る一種のナチ哲学など、興味深い部分も多いし、ディック・パウエルねもいい雰囲気を出しているだけに、残念。後で気づいたのだが、『明日に別れの接吻を』のキャグニーの相棒役ルーサー・アドラーが重要な役割を演じている。


2月22日(日) 『浜辺の女』
・ノワール第7夜。
・『浜辺の女』('46・米)
監督/ジャン・ルノワール 出演/ジョーン・ベネット ロバート・ライアン
 『大いなる幻影』『ゲームの規則』の巨匠が二次大戦の戦火を逃れてハリウッドで撮った5本のうちの掉尾を飾る作品−というから身構えてしまうが、71分という上映時間は短すぎ、結末にもあっけにとられる。沿岸警備兵ロバート・ライアンは、浜辺で薪を拾う美貌の人妻(『飾り窓の女』のジョーン・ベネット)と出逢う。ベネットの夫は、元高名な画家だが、彼女の起こした事故で、現在は盲目になっている。ベネットと恋に落ちたライアンは、画家は、実は妻を縛りつけておくために盲目を装っているのではないかと疑い、ある事件を起こし、画家を試すが…。サディスティックな傾向を持つ高齢な夫が、若い妻を試すかのように−あるいは破局に憧れるかのように−若い男を身近に呼び寄せるというプロットは『ギルダ』もそうだったが、ダークで興味深いのたが、御都合主義的な結末ですべて゛台無しになってしまっている。誘惑者ジョーン・ベネットの性格も曖昧すぎる。戦争恐怖症のライアンの悪夢の描写や二人の密会場所である難破船の構図といった辺りには、名匠の片鱗が窺えるような気もするのだが…。


2月21日(土) ポケミス名画座/『明日に別れの接吻を』
・ホケミス名画座、フランシス・ビーディング『白い恐怖』購入。
・最近、ちょこっと映画の本などを囓っているが、知るほどにポケミス映画座のセレクションは、燻し銀の輝きを増す。『ハイ・シエラ』は、ラオール・ウォルシュのプレ・フィルムノワールの傑作と評価が高い作で、脚本は『マルタの鷹』のジョン・ヒューストン、原作は小説と映画脚本の両方で活躍したW・R・バーネット。『バニー・レイクは行方不明』は、『ローラ殺人事件』等の名手オットー・プレミンジャー監督の知る人ぞ知るという作品。『孤独な場所で』は、ニコラス・レイの評価の高いフィルム・ノワール。『映画ジャンル論』の著者は、奇跡の一作とまで持ち上げている(自分そこまでとは思えなかったが−その論考で改めて知るところも多かった)。『狼は天使の匂い』は、フランスのルネ・クレマン監督の秀作で、デヴィッド・グーディス作品という点も重要。『らせん階段』は、『都会の叫び』『殺人者』のフィルム・ノワールを撮ったドイツ系監督ロバート・シオドマクの最高傑作の呼び声もある一作。『刑事マディチガン』は、ドン・シーゲル監督作品だが、50年代の赤狩りで、潜行を余儀なくされた脚本家エイブラハム・ポロンスキーが返り咲いたという点で映画史的にも興 味深い一作。『男の争い』は、同じく赤狩りでハリウッドからパリに逃れた『裸の町』の監督ジュールズ・ダッシンが撮り上げたフレンチ・フィルムノワール。
 ミステリ映画ベスト等という企画にはちょっと入ってこないが、ヌーヴェルバーグの作家たちが愛したアメリカの職人監督の作品が多く並んでいるのだ。今後のラインナップでも、『ピアニストを撃て』はトリュフォ−、『ドクトル・マブセ』は、ヒッチコックと並ぶと云われるサスペンスの名匠フリッツ・ラングのサイレント作品だし、『殺しの接吻』は『動く標的』のジャックスマイト監督、『セメントの女』は『マカオ』『明日に別れの接吻を』といったフィルム・ノワールも撮っているゴードン・ダグラス監督作品という具合。
 『刑事マディガン』が厚いのでちょっと止まっているが、これまで読んだ5作は、小説として、いずれも面白かった。簡単には、観られないタイトルもあるのには扼腕させられるが、渋いセレクションで今後も続いて欲しい企画だ。
・ノワール第6夜。
・『明日に別れの接吻を』('50・米)
 監督 ゴードン・ダグラス /主演ジォームズ・キャグニー バーバラ・ベイトン ヘレナ・カーター
 原作は昔読んだが、ほとんど内容を覚えていない。次々と犯罪に手を染める青年を描いてもどこか切ない青春小説の匂いがあったと思うが、映画の方はもっとタフな仕上がり。冒頭、事件に関わった男女をずらりと法廷の被告席に並べて、一人一人紹介していき、過去の事件に遡るという構成が面白い。入獄中のコッター(キャグニー)は、一緒に脱獄した仲間を射殺、それと知らぬ仲間の妹ホリディ(バーバラ・ペイトン)にかくまわれ、自分の女にする。高飛び資金のための強盗を行い、警察の手が迫るが、強奪金を警部に手渡し逃れる。さらに、悪徳弁護士や警部を巻き込み、闇馬券屋の襲撃計画を立てるが…。コッターの悪が次々と周囲を巻き込んでいく過程が容赦なく描かれる。ここで登場する悪徳警部は、自ら闇金融の会社までもっているのだから凄い。一方で、コッターは、街の富裕家の娘、ヘレナ・カーターを惹きつけ、結婚までしてしまう(富裕家の父の知るところになり、結婚は一夜で撤回される)。娘がウスベンスキーに影響を受けた神秘学の教会を手伝っているというのが面白い。ベイトンがバーバラ・ベイトンに殴る描写や、ヘレナ・カーターとの初デートでアクセルを限りなく踏 み込む描写など、コッターの邪悪さを際立てるキャグニーの演技はさすがだが、若者には到底見えないのが惜しまれる。悪徳警部や、『汚れた顔の天使』のボガート然とした悪徳弁護士など脇役陣の演技もいい。


2月20日(金) 「袈裟ぎり写真」
・MYSCON5、〆切。仕事の見通しが立たず、今回は、申込みに踏ん切れなかった。4回連続参戦だったのだが。常連の方たちとお会いできないのが残念。また、別の機会(MYSCON6?)にでもお会いいたしたく−。
・以前、morioさんから、「袈裟ぎり写真」(「カメラ」昭和25..4)という山田風太郎作品が古書店の目録に「小説」として掲載されていた旨の情報提供があり、「リストの謎」にも掲載してそのままになっていたのだが、この度、匿名希望氏の国会図書館の調査で、同作品が掲載されていることが判明した。調査は、マイクロフィルムによったそうだが、掲載号は、25.4ではなく次のとおりだった由。
・「袈裟ぎり写真」 『カメラ』 昭和26年4月号 
 例によって、かたじけなくも、テキストを送っていただく。見開き2ページの長さで、表紙には“コント”とあったとそうで、内容もコントと呼ぶしかない小品だが、単行本未収録作品であることは、間違いない。匿名希望氏さんには、再三貴重な情報を戴き感謝に堪えない。
 内容は、次のようなもの。
 選挙戦たけなわ、戦場のようになっている夫・三田の選挙事務所を訪れた若い夫人は、夫か反対党の立候補者・土屋と密談のために自宅に帰っていることを知らされる。家に帰ると口論している二人の前に置かれていたのは、彼女の全裸写真だった。学費稼ぎに写真のモデルをやっていた彼女の過去の写真をタネに、土屋は三田の立候補の辞退を迫る。三田は、どんなことがあっても、土屋さんに納得していただくようにと妻に言い捨て、選挙事務所に戻る。夫の言葉の意味を知った由美子は、隣りの部屋に眠る土屋の動きに戦慄しながら、夜を明かすことになるが・・。
 専門誌に掲載されたゆえ、写真が素材として扱われ、サスペンスもそれになりにあるが、オチが安直すぎて埋もれてしまっても仕方ない作品かもしれない。とはいえ、リストに新たに加わる貴重な一編。
 

2月17日(火) 『サンセット大通り』
・匿名希望氏からまた、お宝を戴く。近日、ご報告。
・ノワール第5夜。こんな有名作も観ていなかったのである。
・『サンセット大通り』('50/米)
監督 ビリー・ワイルダー /主演 グロリア・スワンソン ウィリアム・ホールデン 
 主人公が自らの運命を回想する、というのは、フィルム・ノワールの話法の典型らしいのだが、この映画では、プールに浮かんだ男の死体が自らの陥った物語を物語るという、奇抜な構成が採られている。それにしても、本編の脚本の酷薄さは、どうだ。サイレント時代の大物女優スワンソンに、本人としてか思われない女優ノーラ・デズモンドの老醜ぶりを演じさせるのはまだしも、サイレント時代の名匠でありながらその完璧主義ぶりに監督の座を放逐された初代・呪われた作家エリッヒ・フォン・シュトロハイムに、朽屋敷の亡霊のような、女優にかしづく執事を演じさせる。(ファンレターを代筆して女優のエゴを満足させているこの忠実な女優の守護神は、実はノーラの最初の夫であることが明らかにされる)バスター・キートンらサイレント期の名優が、女優のトランプ仲間としてのみ出演させられる。本人の役で登場する監督セシル・B・デミルは、スタジオに訪ねてきたスワンソンをもて余す。後で知ったことだが、デミルもシュトロハイムも、実際にスワンソン主演の映画を撮ったことがあり、彼女が、かつての栄光の日々を回想するために映画の中で上映される映画は、スワンソンがシュ トロハイム監督を雇ってつくった(未完に終わった)映画であるという。ハリウッド映画史を収奪するような、ハリウッド地獄のはらわた、とでもいうような作品なのである。(もっとも、『ハリウッド帝国の興亡』という本によれば、シュトロハイムは、ワイルダーに、ノーラの下着を洗っているシーンを追加しようかと提案したということで、演じている本人はノリノリだったのかもしれない)。ノーラに寵愛された若い脚本家が巻き込まれた運命は、前半のゴシック風の重苦しい調子から一転、ハリウッド育ちの閲読係の若い娘との恋愛が絡められて、鬼気迫るラストに至る。ラストの主役は、実はシュトロハイムかもしれない。明と暗、虚と実が入り乱れたグラマラスな映画だ。


2月13日(金) 山風の「犯人あて」
・また、匿名希望氏から、掘り出し物をいただいた。ありがとうございます。
 山田風太郎原案の犯人あて(謎解きクイズ)「誰が犯人か 第六回 窓の紅(べに)文字」。掲載は、同年の2月号「平凡」。すでに山風の犯人当てでは同年8月号に掲載された「殺人病院」が、安達さんによって発掘されている。(詳細は、掲示板の「「平凡」の懸賞推理小説」参照)「ひょっとして風太郎が二、三回書いてるかもしれない」という安達さんの推測が当たっていたことになる。
 本作は、見開きで2頁、400字詰め原稿用紙5枚足らずのもので、俳優が作中人物に扮して演技している写真が添えられおり、フォト・ミステリーという体裁が売りらしい。作中人物に扮しているのは、当時の俳優、根上淳や伏見和子ら。
 話はこんな内容。
 降誕祭の夜、アパート蓮華荘に住む女性流行歌手が殺された。奔放な交際を続けていた彼女を、当日訪ねた4人の男が容疑者になるが、この事件には奇妙な目撃者がいた。それは、私(作者)である。アパートの隣家の二階に間借りしていた私は、被害者の毒蜘蛛ぶりを双眼鏡で盗みみるという癖がついていたのだ。彼女は死の間際、窓ガラスに口紅で二字の文字を書き表すが、窓ガラスはすぐに砕け散ってしまっており、作者は酔っ払っていて、どうしても、書かれた文字を思い出せない。おまけに、容疑者は、すべて二文字の姓。一体犯人はだれた。
 解答は、鏡文字をネタにしたものだが、若干無理があるような気がする。翌月の号によれば、97,783通の応募があり、49,436通の正解があったとある。多分、相当水増しした数字だとは思われるが。山風展では、鏡文字を幾つも書き連ねたネタ帖のようなものが公開されていたが、作者は一時期、このネタに凝っていたのかもしれない。 
 さて、「原案」というのは、本人の筆ではないことを意味するのかどうか。
 安達さんは、「殺人病院」を「たぶん風太郎本人の筆によるもの」だとしているし、匿名希望氏も、「「「殺人病院」「窓の紅文字」の両作を本人のものとみて間違いないと考えておられる。
 匿名希望氏の推測では、原案としているのは、写真の構成等で、他の人の手が入っているからか、解決編を作家本人が書いていないからのいずれかの理由ではないか、としている。
 この作は、文体や作者自身が登場するという意外性からいって、やはり風太郎の筆によるものと思われ、とすると、「殺人病院」ともども、作品リストに加えておくべきものかもしれない。
 他にも、山風原案があるのか気になるところだが、26年から29年にかけての一連のシリーズについて、調査された匿名希望氏によれば、他に風太郎原案のものはなく、2編で確定とのこと。
 この作が、ファンにとって、嬉しいのは、窓の紅文字を思い出せなくて悶々とする私の横で、黙々と焼酎を呑みながら話を聞いているのが、ほう髪の肥満漢であること。そう、荊木歓喜なのだ。初対面の山田風太郎自身の事件を「よし、わしがその犯人の名を呼び起こしてやろう」と荊木歓喜が手がけるのである−。


2月9日(月)
・購入本。山田風太郎妖異小説コレクション『妖説忠臣蔵・女人国伝奇』(徳間文庫)、これはお徳用。M・ディブディン『シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック』(河出文庫)。久しぶりのディブディン翻訳に感涙。

2月5日(木) 『新撰組の道化師』
掲示板でアーネストさんに教えてもらった、風太郎原作コミック『新選組の道化師』(田中憲/講談社)を求めてみる。副題「新選組初代局長芹沢鴨物語」。書店には、NHK大河ドラマ『新撰組!』のあやかりコミックコーナーが出来ていた。
 同題の短編は、昔1度読んだきりで、『南無殺生三万人』に収められていた他の短編が強烈だったせいか、あまり印象に残っていない。読み返してみて、水戸の攘夷思想に裏切られて、心理的転倒を起こし幕府守護に走る人物像が鮮烈で、マキャベリストとして描かれる新見錦との関係も面白いと思った。小説の方の妙味は、途中まで、誰が「新選組の道化師」か明かさないところにもあるので、「芹沢鴨の劇的生涯を土方歳三の目線で描く」というコミックの売りは、いたしかたないかもしれないが、やや残念。
 コミックは、前半部分は、原作にかなり忠実(それでも、小説と違い、桜田門外、坂下門外の変に主人公が参加していないことが先に明かされてしまう点はいただけない)、京都に渡ってからの後半は、原作があっさり書かれているせいか、かなり内容を膨らませている。風太郎としては、新撰組の行状を普通に書くのは興味がなかっただろうと思われるが、新撰組コミックという以上はそうもいかない、というところか。絵も普通で、全体に可もなく不可もなくという感じ。あまたある新撰組フィクションから、風太郎の短編を原作としたという試みは嬉しいが。
 『新撰組!』、時代劇に興味のない、うちの母親までガイドブックみたいのを買い込んでいたくらいで、一般の関心も高いものがあるのだろうが、まだ観たことがない。ネットで調べると、芹沢鴨を佐藤浩一が演じているそうで、父親の三国連太郎も演じたことがあるらしい。三谷幸喜は、芹沢鴨を大河史上最大の悪役にするといっているとかで、ちょっと観てみたくなった。


2月4日(水) 『生きている人形』
・『生きている人形』 ゲイビー・ウッド(04.1/青土社)
 71年生まれの英国の気鋭女性ライターによるアンドロイド(自動人形)に関する精神史。マージナルな領域に属する対象を反映するかのように、著者の思考は、哲学−科学−発明−小説−からくり−奇術−チェス−見せ物−映画−フリークス…といった辺りを彷徨うことになる。
 「第1章 アンドロイドの血」は、デカルトの組み立てた幼い人形の逸話から始まり、ラ・メトリーの人間機械論を経由して、18世紀の驚異の発明家ヴォカソンの自動人形について詳述される。フルートを演奏する人形、食べ物を消化するアヒルといった自動人形の数奇な運命。一方で、実用的な織機を発明したヴォカンソンに対してリヨンの絹織物産業労働者が投石し、機械に抗議した事実も示される。機械が人間にとって変わるという恐怖は既にこの頃から生まれているのだ。ヴォカンソンは完璧な自動人形をつくるプロジェクトに参画するも、いまだに謎に包まれた理由によりプロジェクトは消滅する。
 「第2章 不思議なゲーム」は、ケンペレンが1769年に発明したチェス指し人形について。後に、メトロノームの発明者メルツェルに売却され、メルツェルの将棋指しとして有名になる。そのからくりを推測したポオのエッセイが著名だが、からくりに関する推測ゲームは人形誕生のときから世間を熱中させていて、ポオの推測もそれらの焼き直しにすぎないことが示される。驚いたことに、世間が、このほとんど負け知らずのからくり人形についての謎解きに熱中する一方で、世界中に分布しているチェス愛好家のグループで話題になっていたのは、一体(仲間内の)だれが人形の中に入っているか、だったという。いつの世もオタクのネットワークというのは恐るべし。実際のところ人形の中には当時のトップクラスの指し手が複数交代で入っていたのだが、著者は、貴重な一次資料を駆使して、人間が人形に命を与えただけではなく、その逆、人間自体が機械の寄生体にもなってしまうという不思議な関係性をあぶり出す。というように書いていたら、キリがない。
 「第3章 完璧な女を求めて」は、エジソンが熱中して造り上げ、商業的に大失敗した、喋る人形について。マッド・サイエンティストとしてのエジソンの一面が窺える。「第4章 魔術のミステリー、機械の夢」アンドロイド職人の跡継ぎを著者は、魔術師でトリック映画の創始者たるメリエスに見出す。「第5章 お人形の家族たち」は、アメリカのサーカスの人気者だったシュナイダー家の4人の小人兄妹について。文字通り生きている人形だった彼等は「フリークス」や「オズの魔法使い」等で映画史をも彩ることになる。第4章、第5章は、先日読んだ『興行師たちの映画史』ともシンクロする内容。
 随所に刺激的内容を含んだ論考だが、フィクションとの関係においても面白い指摘が多い。ヴォカンソンの発明がホフマン「砂男」に与えた影響、シェリーの『フランケンシュタイン』の副題「現代のプロメテウス」がヴォカンソンの異名だったり、現実のエジソンとリラダン『未来のイヴ』との関係、エジソンがナサニエル・ホーソンの娘婿とSFのアイデア提供の契約を結んでいたとか…。各章の主人公をはじめ、魔術師ウーダンや興業主バーナムらといった曲者の名前がのよりあわせた糸のように各所で登場してくるのも、興味深い。
 第4章、第5章は、アンドロイドに関する精神史といったテーマから若干離れて、考察の対象に対する興味が優っているようにように見え、特に第5章は、小人兄妹の生き残り、タイニーへのインタヴューで締めくくられていて、博捜した資料に基づくそれまでのトーンと肌触りが異なっているけれど、ほろ苦くもあるインタヴューを終えて著者が行き暮れてしまうところは、もっともらしい結論が提示されるのとは、また別種の感動もある。あわいの領域を誠実に探る著者の書斎の旅、現実の旅は、まだまだ続くのだ。
 蛇足ながら、「不思議なゲーム」で言及されるナボコフの「防衛」は、『ディフェンス』として邦訳があるの付言。


2月3日(火) 『罠』
・ミステリーランドの新刊、竹本健治『闇の中の赤い馬』(講談社)購入。恒例のあとがきエッセイ「私が子どもだったころ」の冒頭は、「今でも子供です。/すみません。」どうやら、密室物らしい。
・ノワール第4夜。ボクシングを扱った本編によれば、試合会場は、曜日によって、ボクシングとか、プロレスとか決まっていたらしい。会場のアナウンスで、次回興業のプロレスの予告がされるが、「世界初の魚敷き詰めマッチ」が売り物。生の魚をリングに敷き詰めたデスマッチらしい。うわ。
・ノワール第4夜。
・『罠』('49・米)
監督 ロバート・ワイズ /主演 ロバート・ライアン /オードリー・トッター ジョージ・トビアス
 後に再び拳闘映画『傷だらけの栄光』('56)も撮っているロバート・ワイズ監督のボクシングの八百長を主題にした映画。盛りはとうに過ぎたドサ回りの中年ボクサー、ストーカー(ロバート・ワイズ)と日の出の勢いの若いボクサーの試合。若いボクサーに莫大な賭金を張っているヤクザが、念のため、中年ボクサーのマネージャーに50ドルで八百長を申し入れ、マネージャーは承諾。実力的に負けは間違いないと踏んだマネージャーは、中年ボクサーに告げなかったが、意外なことに、彼は大善戦を繰り広げて…。72分の上映時間を物語の進行する時間に一致させるという試みを成立させるため、ストーカー自身と、ストーカーの身を案じながら街をさまよう妻と交互に描くなど工夫が凝らされているものの、省略、飛躍のないつくりはやや単調にも感じる。街のヤクザ連中に腕を折られる瞬間のシーンは、壁を映しスイング音楽が突如高めるという演出が効果的。『十字砲火』で復員兵を演じたロバート・ライアンはボクシングの学生チャンピオンであった由。


2月2日(月) 『夜の人々』
・週末、録画の消化に追われる。溜まっていくのが結構ストレスになる。
・ノワール第3夜
・『夜の人々』('48・米)
監督 ニコラス・レイ /主演 ファーリー・グレンジャー/キャシー・オドンネル
 ハワード・ダ・シルヴァ
 30年代の不況下、犯罪に手を染め、絶望的な逃避行を続ける男女を描いた、『俺たちに明日はない』の原型作品。23歳で刑務所に8年もくらいこんでいたボウイ(ファーリー・グレンジャー)は、年上の仲間数名と脱走。心ならずも、仲間たちに引き込まれ、銀行強盗に手を染める羽目に。強盗仲間の兄の娘キーチと恋に落ちたボウイは、二人で逃避行を続けるが、居場所を突き止めた仲間は再び犯罪を迫り、警察の包囲網は迫ってくる…。冒頭、田舎の農婦としか見えないキーチ(キャシー・オドンネル)が、ボウイとの恋愛によって、美しく変貌していくのが切ない。逃走中の自動車が事故で乗り換えた長距離バス。真夜中の停留所には、20ドルで結婚式を挙げられると謳う結婚式場の電飾。ボウイは、「インスタント結婚式場」と笑うがバスが再び走り出す瞬間「止めて」と叫ぶ−。青年の鼓動が伝わってくるようなシーンだ。この式場の管理人は、素っ気のない応対と強欲で、冷え冷えとした世間の風を感じさせ、疎外された二人の行く末を暗示させもするのだが、結末近くもう一重要な役割を果たす。警察の包囲網は敷かれ、身重なキーチを抱えた絶望的な状況で、ボウイは、結婚式場の管理 人がメキシコも渡すことができると言っていたことを思い出す。メキシコへ、メキシコへ。しかし、夢は潰える。『ゲッタウェイ』より遥か以前、メキシコは逃亡者の約束の地だったのか。ロバート・アルトマン監督によって、『ボウイ&キーチ』('74)として再映画化。