エアロミディMKシリーズは1996年、若林(当時)と吉祥寺に合計10台配置され、600番台の最初の社番が与えられました。乗降の際に車体全体を下げるニーリング機構、アイドリングストップを装備しています。世田谷所属車は2006年秋から、行先表示器を順次LED式に換装しています。(世田谷区代田で、2009年5月12日)
601号車と同じ時期に若林へ配置された車両ですが、2001年8月から2004年6月まで吉祥寺にいたため、品川ナンバー再登録で数字が大きくなっています。シティバス世田谷営業所は鉄道・バス共通カード「PASMO」に小田急バスのトップを切って対応、カードのスタート初日から全車両で使えるようになりました。(北沢タウンホールで、2007年3月18日)
602号車などと同時に、当初吉祥寺に配備された車です。2004年7月に狛江へ転出、成04系統などで運用されていましたが、2006年9月には609号車とともに町田へ再転属。稲城市の分譲マンション「アルボの丘」居住者専用シャトルバスに使用されました。2009年3月に除籍された後、秋田中央交通で活躍中です。(町田営業所で、2006年10月14日=許可を得て撮影)
元々は吉祥寺に配属されていた車。2004年12月、D8185号車が吉祥寺に転出し、交換で狛江入りしました。同所管内では最後まで残ったツーステップ車でした。(狛江駅前で、2009年3月26日)
三菱ふそうエアロスターが、それまで12年間続いたボディースタイルを一新して登場。エアロミディの流れをくむ前面に、側面は下段が固定窓という、個性的ないでたちとなっています。ただ、デビューがノンステップ車に移行する直前で、小田急バスでの導入は3台だけにとどまりました。(万助橋付近で、2010年1月2日)
5128号車と同時に吉祥寺入りした車を非公式側から撮りました。運転席の下に三角窓が付き、車体の赤帯がそこで下に折れて前面に流れるスタイルは、現在まで引き継がれています。(三鷹市下連雀の南浦交差点で、2004年3月7日)
ツーステップ一般路線車の新製が1997年で終わった後、99年初め、前扉と中扉の間に段差がない「ノンステップバス」が初登場。6001号車は運用初日、渋24系統の運用で渋谷駅に現れ、事前に情報をゲットした筆者は通勤経路を変えて渋谷に駆けつけました。(狛江営業所、2008年7月6日=公道から撮影)
【おわびと訂正】上記D6001号車に「除籍」との記述がありましたが、誤りです。同車は2010年10月現在、現役で稼働しています。おわびして訂正します。(2010.10.26)
小田急バスのノンステップ元年となった1999年は、都内各営業所に新型ノンステ車の配備が強力に推し進められました。中でも三菱エアロスターは数次にわたって13台が新造され、武蔵境・町田両営業所にも初めて三菱製の一般路線バスが配属されました。写真は境91系統の狛江車と境93系統の武蔵境車がすれ違った瞬間です。(武蔵野市境南町2丁目、2008年11月12日)
吉祥寺営業所には、このグループは2台配置。時々ラッピングバスになることがありました。(公園入口、2009年12月23日)
大型ノンステップバスの1999年最終新造グループ。柿生駅などで在来のツーステップ車と並ぶと、非常に車高が低く感じます。(真福寺付近、2010年3月26日)
夜行高速線用で、旧堀ノ内営業所に新製配備された最後のグループ。秋田から高知まで全国の夜を駆け巡っていました。(世田谷営業所で、2002年11月3日)
このグループ以後の観光車は、当初から小田急グループカラーで登場しています。2572号車は武蔵境に配置され、のちに若林へ移動、小田急シティバスに移籍。さらに2006年夏、新たに開設された若葉台営業所に転属し、川崎ナンバーを付けました。「ODAKYU」のロゴはシティバス移籍後(時期は不明)、夜行高速バスと同様のものに書き換えられました。(若葉台営業所で、2006年9月9日=公道から撮影)
※追記=読者の方からいただいた連絡では、上記2572号車と同時に移籍した2571号車は、少なくとも2カ月以上前にODAKYUロゴが紺色化されていました。よって、ロゴの変更は若葉台営業所開設の前に実施されていたことになります。(この項9/10記)
2004年4月、 E117号車(エアロミディ) などとともに専修大学から移管された車で、小田急バス初のローザとなりました。生田キャンパス〜向ケ丘遊園駅の特定輸送に使われていました。(向ケ丘遊園駅付近で、2004年4月1日)