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小田急バス車両図鑑

〜宮下橋さんのアルバムから〜

 このページの全画像は、宮下橋さんの撮影です。ご好意によりウェブへの転載許可をいただいたもので、カラープリントから管理人・新浅川鉄道がデジタル処理しました。写真の著作権はすべて宮下橋さんに、説明文の文責は管理人にあります。

C801(いすゞBU05D、46年式)

  D770号車 と同じ型式ですが、45年〜46年に導入された車は、前面傾斜スタイルのまま2段サッシ窓になったのが最大の特徴です。写真は既に除籍された昭和60年ごろの撮影で、どういう経緯からか、国鉄(当時)品川駅近くに置かれていました。奥にちょっとだけ写っている新幹線0系電車も東海道区間からは姿を消してしまいました。

B574(三菱MR470、51年式)

 若林営業所に少数在籍した富士重工−三菱車が、渋谷駅付近を走行中のところです。この型式では、屋根上の細長いベンチレーターは48年式ぐらいまで右側でしたが、50年代以降は左側へ移っています。(カラープリントの原板をデジタルカメラで接写して加工しました)

D321(BA20N)

D321(いすゞBA20N、53年式)

 いすゞの大型車がBUシリーズに完全移行した後も、狭隘路線を抱える狛江営業所には、狭幅に対応できるBAシリーズが1978年まで新車で入り続けました。写真の321号と、322号がラストグループで、BAでは非常に珍しい富士重工4Eボディーを架装しています。その後の増備はK-ECM430Nとなり、素人目にはほとんど同じですが、両者は最後部の三角窓の大きさで見分けられます。

D351(ECM430)

D351(いすゞECM430、54年式)

 小田急初のECMシリーズ車。ナロー車と同じ300番台を名乗ってはいますが、大型車と同じ車体幅(248cm)のため狭隘路線に入れず、運用は限定されていました。この車は引退後、小金井市内の自動車教習所に譲渡され、最後は静岡県富士市の自動車学校の教習車になりました。

B631(MP117M、54年式)

 かつて三菱王国だった若林営業所で、最も一般的に見られたのが、このブルドッグボディーでした。現役時代に全く撮影していなかった管理人としては、これだけ完ぺきな形式写真に出会うと居ても立ってもいられず、「掲載させてください!」と頭を下げるのみ…。(カラープリントの原板をデジタルカメラで接写して加工しました)

2225(MS513RA)

2225(三菱MS513RA、55年式)

 バブル景気に陰りが見え始めた1989年、残業や宴会で終電を逃した客の需要にこたえ、路線バス各社が競って深夜中距離バスを新設。小田急バスも元観光車を転用して、新宿から蔵敷団地・生田駅・柿生駅を経由して町田バスセンターまで1時間8分で走る深夜急行バスを運行しました。しかし筆者が新宿で見た限りでは大苦戦の日々が続き、数年で運休、ひっそりと廃止されてしまいました。深夜急行バスには写真の2225号車のほか、2219、2220号車が使用されました。

F746(BU10K)

F746(いすゞBU10K、55年式)

 数多い小田急のいすゞ車の中で、川崎車体が架装したのは、後にも先にも2台しかない珍車中の珍車です。都内のバス会社の注文流れ品を購入したもので、新製配置は生田営業所、のちに町田営業所開設に伴い異動しました。引退後は小田急グループの東海自動車に2台とも売却されています。

BV1(MS725S)

BV1(三菱P-MS725SA、59年式)

 小田急バスは1984年12月、新しいコンセプトに基づく40人乗りサロンカー「ビッグビュー」4台を導入しました。塗装も従来のイメージを残しつつ新しい色となって、これはその後エレガンス50やスーパークルーザーに引き継がれました。写真は小田急グループ統一カラーを制定する際、小田急バス案による塗装を施し、検討材料となったものです。


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