葉宗満(ようそうまん)
嘉靖期の海商の一人。「五龍」「碧川」とも号した。出身は福建のショウ州。この土地は彼を初めとする多くの海商・海賊を生んだことでも分かるように、密貿易の基地として長い歴史を持っている。彼の前歴は全く不明であるが、後の王直との関係を考えると以前から密貿易と関わっていてかなり裕福な人物であった可能性もある。資料的には嘉靖19年に王直徐銓と出会って意気投合し、共に海外雄飛を志したことが分かっている。この時に同じショウ州出身の謝和方廷助らも行動を共にしていた。

その後の活動はほぼ王直と同様であるが、時折自ら船を仕立てて密貿易を行っていることから王直の「配下」というわけではなく独立した海商であった事がうかがえる。しかし彼は嘉靖25,6年頃に失態を犯してしまう。

当時の密貿易の拠点は双嶼港で、その主は許棟を初めとする許四兄弟であった。この兄弟のうち許楠(あるいは許棟)と許梓は経営が苦しくなりポルトガル人からの負債を背負ってしまったため、一計を案じ、双嶼に中国商人達を交易に誘っておいて密かに金を借りていたポルトガル人等をそそのかしてこの商品を奪わせた。この被害にあった中国商人の中に葉宗満がいたようである。結局葉宗満は許兄弟にだまされたまま損失を取り返すために日本へと流れていく。その日本で王直に拾われたようで、以後はもっぱら日明間の密貿易に従事する。

王直が海上を制覇した後も葉宗満は彼らとの深い関係を続けていたことは疑いない。王直の号「五峰」に対応する「五龍」、徐銓の号「碧渓」に対応する「碧川」という彼の二つの号がそれを示している。しかし葉宗満は相変わらず王直からある程度独立した活動を行っていたようで、嘉靖32年には自らの船団を率いて日本から浙江海上に交易にやってきている。ちょうどこの時、官軍が王直に対する攻撃の準備を進めており、葉宗満は大量の兵船を目撃して驚き、上陸先を広東の南澳に変更したという。

以後しばらく平戸と南澳のルートを往復していたようであるが、嘉靖35年に総督胡宗憲から王直に帰国の誘いが来ると、葉宗満は毛烈とともに様子をうかがうための先発組として帰国した。毛烈がしぶっていたのに対し葉宗満は「ついでに交易も出来るし一挙両得だ」と喜んで出かけたという。毛烈と葉宗満は明に戻ると胡宗憲の軍門に入り、王直の希望を伝えた。そして胡宗憲のために舟山の海賊の討伐も行い、その報酬として貿易活動を行っている。

その後、葉宗満は毛烈とともに日本へ戻って王直に状況を報告し、これを受けて王直は帰国を決意する。そして結局王直の逮捕に至るのであるが、その間葉宗満が何をしていたのかよく分からない。王直逮捕後も葉宗満は独自の密貿易を続けていたようで、嘉靖37年(1558)に密貿易にやって来たところを官軍に捕らえられた。しかし以前戦功があったことを認められ、死罪を免じられ流刑(辺境の兵役に就く)に処せられた。その後の消息は不明である。

主な資料
鄭若曽「籌海図編」
鄭舜功「日本一鑑」
采九徳「倭変事略」

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