トウ文俊(とうぶんしゅん)
嘉靖大倭寇期の海賊・海商の一人。出身地は福建の福清とされる(籌海図編)。早くから密貿易活動に従事していたと思われ、『籌海図編』の寇踪分合始末図譜では林碧川・沈南山らと三人セットで表示され、「日本の楊哥(呼子?)」に拠点を置いていたとされる。さらに陳思盻とも関係があったとうかがわせる線が引かれている。
嘉靖31年(1552)4月から5月にかけ浙江の遊仙寨・瑞安・黄巌などが襲撃され、官軍の軍人が殺されるなど大きな被害が出たが、これがトウ文俊の仕業であったとされる。だがこれが王直の指図によるものと官軍側は誤解し、翌嘉靖32年閏3月の官軍による烈港奇襲につながることになった。
その後のトウ文俊については情報に混乱があり、『籌海図編』は嘉靖31年11月に湯克寛の追撃を受けて下馬洋の戦いで敗れ捕縛されたとするが、『江南経略』ではその翌年の嘉靖32年閏3月に常熟や崇明など長江河口域を襲撃したことが記されている。さらに『同治上海県志』兵防では同じ時期に蕭顕と共に活動していたとしており、活動の実態がつかみにくい。
確かなことは言えないが、嘉靖32年のあと彼の活動は見えないので、それまでに湯克寛に敗れて捕縛されたというあたりが真相なのではないだろうか。
主な資料
鄭若曽「籌海図編」「江南経略」
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