林碧川(りんへきせん)
嘉靖大倭寇期の海商・海賊の一人。王直と同じく徽州出身で、『籌海図編』寇踪分合始末図譜によればトウ文俊沈南山らと共に行動する「海上の巨寇」であり、「日本の楊哥(呼子?)」に拠点を置いていたという。彼らのグループは陳思盻との関係も深かった可能性が高い。

嘉靖31年(1552)、浙江の黄厳など各地が海寇の襲撃を受けたが、これの首謀者が林碧川であったと『籌海図編』は記している。彼らの活動がきっかけとなって蕭顕の活動が続き、さらに徐海らの活動を招く事になったという。

嘉靖34年、林碧川と沈南山は江南地方に入寇し、柘林を拠点にして各地を荒らした。その秋8月に海へ出て日本へ戻ろうとしたが嵐にあって浙江の台州に流され、ここで盧ドウら率いる官軍に攻撃されて9月に沖合の島・大陳山で捕らえられた。このとき共に捕らえられた真倭(日本人)の賊首に烏魯美他郎がおり、林碧川らの集団の幹部クラスに日本人がいたことがわかる。

主な資料
鄭若曽「籌海図編」
「嘉靖東南平倭通録」
謝杰「虔台倭纂」

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