富士 - 特別急行第2列車 東へ -

薄暮

スハネフ14・15のサイドビュー 上: スハネフ14 3 (岡崎-幸田 2008-5★) 下: スハネフ15 21 (嘉川-本由良 2008-8★)
2008-10-5発 2レ〔富士〕
123456 
スハネフ
15 2
オロネ
15 3005
オハネ
15 2003
オハネ
15 3
オハネ
15 4
スハネフ
14 6
ED76 69
B▲A1▲B1▲BBB大分-門司

列車内も見て回る。1号車喫煙B寝台はスハネフ15でディーゼル発電機を床下に積んでおり、ヴーンと唸っている。その直上の寝台はできるだけ売らないそうだが、もとより車内に誰も乗っていない。きれいに揃えられたスリッパと寝具が、ひたすら客の訪れを待っていた。4〜6号車の禁煙車は、下段の5〜6割くらいは乗っているようだった。

洗面所には今やなつかしアイテムの一つ、冷水機がある。最近の昼行列車では「衛生上の理由」で撤去または最初から備えられないから、夜行でも見られなくなったと思っていたが、ここにはまだ残っていたのだ(一部車両は使用中止扱いだった)。

水は紙コップに注いで飲む。「紙コップ」といってもオフィスや高速SAの給茶器脇で手にするコップではなく、独自の「〜」カットが目をひく折りたたみ式。ダイヤルを回すとずり出てくるはずが、これがまたなかなか出てこない、というのもまた最近では得がたい体験ではある。

B寝台 おなじみ「二段ハネ」もじつは希少品(☆)誰もいない通路を流れる景色も趣深い(☆)
昔ながらの洗面台最近では貴重な冷水器
中津駅に並ぶ二つのブルー

2号車には公衆電話(携帯電話網)と飲料の自販機があった。ロビーカーの連結中止でこちらに移動したものと思われる。食堂車に続いて車内販売の乗務も廃止されたため、いったん乗ってしまうと翌朝まで食べ物を手に入れることができない。下り列車は長時間停車駅がないから、さらに深刻である。だから出発前や途中駅の駅構内放送ではしきりに車内販売がないことを強調するし、さきほど大分で改札を通る際には食料を持っていないのを気にしたか、「車内販売がついておりませんが……」と言われた。

"WELCOME TO USA"―宇佐(17:35)から豊前の平野を快走した列車は、高架駅の中津(18:04)で側線側に入った。着時刻は17:56、ここで大分を31分あとに発車した電車特急〔ソニック〕を退避する。ここでは特に作業もないので、車掌氏も手持ち無沙汰だ。というわけで待ち時間に「タオル」を塩にすこし立ち話。

〔富士〕はJR九州・大分車掌センターの1名乗務。うっかり「東京までですか?」と聞いてしまったが、乗務は〔はやぶさ〕(こちらも1名・博多車掌区担当)とも下関まで。そこからJR西日本の車掌(2名)に交代して東京までとなる。1999年から〔富士〕に関してはJR西日本が全区間担当になっていたが、併結を機に乗務区間を見直した関係で大分センターの担当が復活した。乗務後は翌日の下り〔富士〕で戻る。

「〔富士〕のA個(シングルDXのこと)はいつも2〜3名くらいでしょうか」。まあ、値段差を考えれば妥当だろう。〔はやぶさ〕はもっと多いそうだし、〔富士〕もB個(ソロのこと)はたいてい満室に近いという。それでも廃止が取りざたされるようになってから多くなる傾向にあるそうだ。「連休なんかだと、個室はすぐに埋まりますし。だいぶ多くなっているようです」

「皆さん私らより(情報が)早いみたいで……」このとき私は新聞報道を知らなかったこともあってそれ以上は聞かなかった。知っていたとしても、そこに話を持っていくのは酷かもしれないから聞かなかっただろうが。

そうこうするうちに遅れた〔ソニック〕が滑り込む。メタリックブルーが暗い駅にも輝いていた。そそくさと出ていき、こちらも続いて5分遅れで発車。窓外はすっかり暗くなった。行橋(18:26)、小倉(18:51)と坦々と走る。


順送り回送が見られたころの東京駅 前着〔富士〕の回送牽引機を横に〔さくら・はやぶさ〕が到着 (東京 2005-1)

JTB/JRの大型時刻表を開くと、下り〔富士・はやぶさ〕の東京駅入線時刻は17:21となっている。2007年改正では入線時刻17:54だったから実に30分も早くなったのだが、これには理由がある。

東京発のブルートレインは品川客車区(現・田町車両センター)から牽引で回送される。尾久からの「推進回送」を行う上野口ともども、現在まで扱いは変わらない。到着した列車は、いったん神田側の引上線で機回しを行ってから入線するか、ホームに客車を据えて機回しを行っていた。このとき使われていた中線が、有名な「東京駅11番線」。

その後、東北・上越新幹線の東京駅乗り入れ工事に伴って東海道線のホームを転用する必要が生じ、中線を使っての機回しができなくなった。このため、品川区を出発する際には次発列車の牽引機が先頭に立ち、東京駅に到着後これを解放。下り側に本務機関車を連結して出発、その後残った機関車(次発の本務機)を有楽町寄りの待機場所「機待線」へ送り込み、次の客車を待ち受ける―という「順送り回送」が取られた。上り到着時はこの逆の手順。

機回しも終盤 連結の瞬間を見ようとカメラやケータイが向く (東京 2008-11)

列車が流れ星のように次々と発車した当時は合理的だったかもしれないが、列車削減がすすむとかえって非効率な方法ともいえた。とくに到着は6時台と9時以降に分散しているため、朝ラッシュの中でEF66・65がマークをつけたままポツンと取り残された光景が見られたが、2008年の〔銀河〕廃止(ただしこの時点で下り〔銀河〕牽引機は品川へ引き上げ、上りは機回しあり)に至ってとうとうこの手順がなくなり、皮肉なことに20年前の「本来の」機回し作業が復活したのだった。

誘導員の手旗を目標に停車したEF66は、客車をいったん切り離して神田方引上線へ、そして9番線を通過し機待線へ、折り返した後に誘導員が添乗し客車下り方へ導かれる。そして大勢のカメラが見守る中、連結。この間20分あまり、客車はドアを閉めた状態で、いってみれば「留置」の状態。乗車できるのは作業が終わった17:45ごろとなる。

秋頃はこの作業の間がちょうど日没の時刻。1列車は暗くなるのを待っていたかのように、夜の中へ踏み出していった。