2001年コクテツの旅
北近畿珍車観光 - 湖西線・小浜線・舞鶴線・福知山線 -
〔はるか〕の脇に〔雷鳥〕が並んで入線 (京都) |
関西と北陸方面は何度か行き来したが、いつも東海道線 米原経由の〔きたぐに〕利用だったので、湖西線はごく一部を除いて通っていなかった。近畿地区の未乗線区も残り少ないが、効率良い走破を考えると自然と湖西線が組み込まれた。
山崎で捻出した時間を取り戻すため、移動は〔雷鳥9号〕で一気に行く。〔はるか〕の脇をすり抜けて入線する電車はJR西日本の国鉄色、ボンネット車を両頭にすえた9両編成だった。実はさっき京都総合車両所から回送されるのを見ていたので、予想はついていた。1時間後の〔白鳥〕もボンネット型のようである。
細かいことを言えば、気動車併結のためスカート下部が切り取られている、愛称表示器周りに手が入れられている、頭頂部のヘッドライトカバーが無いなどの違いはあるが、国鉄の香りを残している。そういう意味では、金沢所の編成のほうがオリジナルに近いが、こちらは雨樋が赤でなくクリーム色になっているという微妙な違いが……。車内はリニューアルで座席も取り替えられており、まずまず。
山科から湖西線に入る。踏切のない湖西線では、485系も130km/hで運転することができる。輝く湖面を眺めての驀進が続く。
鉛色だが、日本海側にしては穏やかな空。ここは 入り江で波も静かだ (若狭和田付近) |
晴れてはいるが、周囲の山に白い物が見えだすと、地面にも雪が積もってきた。日本海側の影響が次第に色濃くなってきた。琵琶湖から離れ山中に入ると銀世界である。車内灯が消え、電源が交流に切り替わるとほどなく近江塩津、ここで北陸本線と合流、続いて新疋田を通過。一時間後の〔白鳥〕を待っているのだろう、カメラを据えたファンの姿がちらほらと見えた。
もうちょっとゆっくり乗っていたいと思う敦賀で下車。続いてやってきた名古屋からの〔しらさぎ〕も、また国鉄色のボンネット車編成であった。
敦賀から小浜線で京都の北辺をたどる。「小浜線色」ブルーに白ラインをまとったキハ58・28形2両編成のワンマン快速列車。「快速」といっても、停車駅が少なめなくらいで、別段速いというわけでもない。思ったほどに海は見えず、雪も少ないほうだった。
485系の交流機器を降ろした183系800番代車も珍車の一種。 この編成はモハ485・484をはさみ込むさらに「珍」編成 (福知山) |
高架駅になった東舞鶴に到着。ホーム前方に福知山ゆきが停まっている。ここから福知山線経由で大阪に戻る。万一遅れていれば綾部から山陰本線に向かうところだが、大丈夫なようだ。
このあたりは昨今相次いで電化された路線だが、ローカル線だからなのか、手持ちの113系や115系をやりくりしている様子が見て取れる。電化区間が増えるとちょこまか改造工事をして、その都度珍車が登場する。後になるほど「工費節減」などの名目で手の入れようが簡素になってくるため、両数の割りにその種類も多い。この日は2〜3時間のうちに次々と遭遇した。
いずれも車内は普通以上であることは付け加えておく。クモハ114-6100は更新改造を受けており、車内はクロスシートながらリニューアルされている。ちょっと暖房が効きすぎて暑い。
小浜線も電化が決まった。通った限りではあまり工事をしているようにも見えなかったが、とにかく敦賀まで全線直流電化することになっている。また新車……でなくて珍車が投入されるのだろうか?
篠山口でのりかえる「丹波路快速」は221系4連。113系よりは新しいが、新快速のスピードアップのためJR京都・神戸線を追いやられた、いわば「お古」でもある。居住性が良いので文句はないけれど。
新三田からは「JR宝塚線」、ブルーの201系が加わり、次の三田から快速運転に入る。西宮名塩付近は1987年の電化時に渓谷を一直線に貫く線路に切り替えられ、長いトンネルを疾走する。
三田、宝塚と乗客がしだいに増え、大阪。各駅停車に乗り換えて、新大阪には〔のぞみ17号〕の12分前に到着、やれやれと一息。最高速度300km/hの力でわずか2時間、着いた小倉の風は心持ち暖かかった。