2001年コクテツの旅
20世紀鈍行の郷愁 - 鹿児島本線・門司港 -
若戸大橋を望む。行く列車は「かもめ型」を使った〔ソニック〕 (戸畑-枝光) |
戸畑〜枝光間の牧山にも行ってみた。ゆるくカーブを切って牧山トンネルに入る鹿児島本線、そのバックに若戸大橋が見える場所である。でもあちこちに高い建物ができすぎて、もう「好適地」ではなくなってしまった。
手許にある古いカラー・ブックス「新しい日本の鉄道」には、海岸を回る旧線を走るブルートレインの写真があった。旧線は現在貨物専用になっており、戸畑にわずかにホームの遺構が残っている。
そこから国道に降りる途中に線路の跡があった。鹿児島本線がトンネルに入るところで上をまたいでいる。よく見ると、複線だったようだ。しかし、この部分を国鉄線が通ったことはないような……しばらくのち、廃止された西鉄北九州線のうちの枝光線ではないかと気づいた。地図を眺めていると、それなりに辻褄が合う。Sその北九州線も先ごろ実質的に全廃、折尾〜熊西間は赤錆びた線路が放置されていた。
東へ移動する。門司駅、乗降客には不釣合いなほどに広い構内と関門トンネルの入口、「交直セクション」を通る415系をしばし眺めて、門司港へ。構内ではDD51率いる50系客車が整備を受けている。
門司の港に出ると、雲間から西日が差し込んだ。今日は12月31日、20世紀最後の夕日が沈むところだった。たまたま通りがかった猫たちと、しばし夕焼け空を眺めた。今日も門司港駅前では、カウントダウンのイベントが行われるのだろうか。
[左]1番線に停車する客車の先に鹿児島本線の0キロポスト。有名な「0哩標識」は2・3番線の間にある [右]DD51の牽く旅客列車も稀少になった (門司港) |
駅に戻ると、客車列車はすでに1番線に据え付けられていた。
現在 筑豊・篠栗線ではスピードアップを目指し電化工事が進められている。その完成時には間違いなく、最後の客車鈍行は廃止される。先ごろその時期が2001年10月6日と決まった。ファンの視線も自然と集まろうというもの。十数人がカメラ・ビデオをディーゼル機関車と客車に向けていた。年末なので、本来の乗客となるはずの通勤客はほとんどいない。
門司港からスペースワールドまで乗ってみた。電気機関車と違い、ゆるやかに加速をはじめるディーゼル機関車に牽かれる客車は起動も静かだ。
暮れなずむ街を急がず走る客車列車。本当に、すべての流れがゆったりとしている。普通電車もディーゼルカーもやっきに飛ばす大動脈・鹿児島本線にあって、異色中の異色である。
小倉に着くと、左に日豊本線からローズ色の415系が滑り込んできた。乗り合わせたファンたちがどよめく。