FURIKO de SHIKOKU
第4走者 : スーパーくにびき1号 〜 187系 (JR西日本) 〜
鳥取 7:00 -(1001D)- 8:14 米子
8月5日朝。晴れて早くも日差しがきつい。
高架の鳥取駅にキハ187が滑り込んできた。黄色い頬をした前頭部は平べったく、特急車としての風格は残念ながら全くない。編成も2両という軽快なもの。まあ、これまでの181系は3両でもつごう1両分は機械室だったわけだが。行先・愛称表示器はLED、個人的にLEDのトレインマークや明朝体の行先表示は好きでない。
客室はJR西日本の標準的な新特急車のそれだ。車内客室は全禁煙で、デッキに喫煙コーナーを兼ねたフリースペースが設置されているのも世相を反映している。
米子までは高速化対応がされておらず、振子も停止中。駅には高速化最大の障害といってもいいY字両開き分岐器、50km/h制限がかかり、ぐっと車体を揺らして通過する。しかしパワーがあるため、構内を出た後の加速は素晴らしい。
倉吉に停車。〔スーパーはくと〕はここまでで、米子 (伯耆大山(ほうきだいせん)) までは7月になって初めて振子車が走りだした区間である。
地形は比較的平坦でカーブもそれほど多くなく、右手少し遠くに日本海を眺めての快走が続く。左に伯耆富士、大山が見えてくると、伯備(はくび)線が合流。1時間余のミニトリップが終わった。ここからが同車の本領発揮なのだが、それを体感できないのは少し残念だ。米子駅の構内からキハ181系の姿は消えてしまったが、「タラコ色」首都圏色のキハ47・40や急行色のキハ58・28などが行き来して、国鉄時代を髣髴(ほうふつ)とさせる。
ガスタービン車 - もう一つの試作振子
591系電車の時をほぼ同じくして、非電化区間の高速化に向けて高出力ガスタービン機関を使用した車両の開発も進められており、キハ391系ガスタービン車が3車体連接で登場した。フランス国鉄のTGVも集電系の限界から当初計画ではガスタービンを動力としていた。
中央の短尺な車両に大型ガスタービンエンジンを搭載し (客室なし)、両端先頭部の台車に自然振子が採用されていた。山陽線、伯備線で試験を行い、次世代の高速列車「ターボトレイン」として期待がかかったが、トラブルが続いたうえ折しも勃発したオイルショックの影響をかぶり、実用化は見送られた。車籍はなくなったが解体を免れた同車は現在大宮工場に静態保存され、同工場の公開時には見る機会がある。
第5走者 : スーパーやくも14号 〜 381系 (JR西日本) 〜
米子 8:39-(641D)-9:18 境港 -(バス)- 米子 12:03 -(1024M)- 14:03 岡山
車体内外にペイントをほどこした「鬼太郎列車」に乗り込んで小1時間、「鬼太郎の町」境(さかい)(水木しげるの生誕地)へ足を延ばし、路線バスで帰ってきた米子では、ちょうど「米子がいな祭」の最中だった。
正午過ぎ、パープルの濃淡を身にまとう「スーパーやくも」編成が米子駅に滑り込んできた。「やくも」編成はグリーンの濃淡。紀勢線の〔スーパーくろしお〕、〔くろしお〕もすでに塗装を変えられ、国鉄塗装車は中央西線の臨時〔しなの〕用車両だけになった。
伯耆大山から伯備線に入り、左に大山を眺めて山へ分け入ると、カーブも自然に多く、きつくなる。傾斜制御を行わない完全自然振子式なので、やはりカーブに入るときの振り遅れ、揺り戻しを感じた。
車内はシートピッチが若干広がり、指定された席は壁の前にもかかわらず足元がやけに空いている。ただ、壁際のダクトが斜めに立ち上がっていて、改良前だったらきつすぎるところだった。幸い隣の席は空いているので、斜めに座って外を眺めることにする。二重窓に内蔵されていたブラインドは撤去され、普通の横引きカーテンに取り替えられていた。
思ったよりゆったりした走りが2時間つづき、岡山に到着。乗客の多くは新幹線ホームへと向かって行った。
振子車の停滞
「振子電車」381系は〔しなの〕につづいて紀勢本線の〔くろしお〕、伯備線の〔やくも〕へと投入された。いずれも各路線の電化 (直流) に伴っている。
しかし他路線への展開はなく、381系の増備は1982年に打ち止めとなった。独特の振れ方から当初は車酔いになる乗客が続出、「酔いやすい」という評判が立ったのは大きなマイナスだった。
それに車両が高価であったこと、車体振れによるパンタグラフの変動を考慮した架線の張りかたが必要なこと、そして結局は軌道強化が必要だったこともあり、既存の路線に追加投資するほどの価値が見いだせなかったと見られる。
1985年、紀勢本線で急行〔きのくに〕を特急に格上げする際に投入されたのは、なんと非振子の交直流電車であった。東北・上越新幹線の開業などで余剰となった485系の有効活用という名目だった。それでなくても巨額の赤字で解体論議が盛んだった国鉄には、高速化どころではなかったという見方もできる。
このとき投入された485系は国鉄の分割民営化を前に福知山・山陰線、九州などへ転属した。全国に標準的な車両を持っていた国鉄ならではの「広域運用・広域転配」も昔語りとなった。これで生じる車両数の不足は先頭車化改造を含む短編成化で補っている。
余談になるが、伯備線への特急電車投入は当初上越線の183系を転属させる予定でいたが、上越新幹線開業の遅れで間に合わず、381系の新製となったという。