FURIKO de SHIKOKU

第6走者 : しおかぜ15号 〜 8000系 (JR四国) 〜


岡山 14:19 -(15M)- 17:11 松山
JPEG 13KB

四国内の国鉄線ははやくから無煙化がすすみ、しかし末期まで電化区間がなく「気動車王国」と呼ばれていた。いまは「振子王国」と呼んでもよいくらい、ほとんどの特急列車が振子式になって、表定速度も概して高い。それは、島内は高速道路を走るバス・自動車と、対関西では加えて航空機との厳しい競争にさらされていることの証でもある。

予讃(よさん)線松山への特急は8000系電車。5両編成、松山方の貫通型先頭車は中間運転台のような簡素な顔面で、2000系のそれとはずいぶん違う。多度津(たどつ)で前方に高松始発の〔いしづち〕3両を併結するのが基本のためだ。両端の非貫通型先頭車は新幹線なみにきつく顔を絞った流線型である。

JPEG 6KB

指定席は満員で岡山を発車。茶屋町(ちゃやまち)までの宇野線は依然として単線だが、大元(おおもと)駅付近では高架複線化工事を行っている。本四備讃線に入るとがぜんスピードが上がり、久しぶりの瀬戸大橋を渡って四国入り。

〔いしづち〕と併結して多度津を出ると海岸線に出る。右手の海に神社が見え、参拝客で賑わう小さな駅を一瞬で通過した。1年に2日間、津島神社の祭日にあわせて臨時開設される津島ノ宮(つしまのみや)駅、きょうはその1日だった。

列車は左に険峻な四国山地、右には瀬戸内海を眺め、最高130km/hで突っ走る。山沿いには松山自動車道が見え隠れする。

駅ごとにすこしずつ乗客を降ろしていく。今治(いまばり)でどっと乗ってきたが、みな自由席車へ流れて行った。終点松山では〔宇和海〕に接続しており、2000系気動車がホーム前方に停まっている。乗継げば宇和島へ一直線だが、きょうはここまで。


TSEの開発 - 制御つき自然振子

国鉄の分割民営化後、次世代の車体制御の実用化が再開された。鉄道総合技術研究所で研究が進められていた「制御つき自然振子」の登場。

従来の振子方式では、車体にかかる遠心力を利用するため動作は確実である。しかし車体が回転しだすのはカーブに入ってからであり、また振子梁と車体における摩擦の存在が問題でもあった。「振り遅れ」と呼ばれる現象で、乗り心地を損なう大きな要因として挙げられた。

この解決策が、カーブに入る前に車体をあらかじめ傾けはじめるという方法である。振子梁と車体の間にシリンダーを内蔵し、カーブに合わせて車体を傾ける。これは静止状態で車体を自由に傾けることは可能だが、遠心力に打ち勝って車体を反対側に傾けてしまうような力までは持たない。

国鉄時代に381系を改造した制御振子を湖西線で試験した結果を受け、JR四国ではこの技術を利用した振子式気動車の開発を開始。ディーゼル車では電車と違いエンジンのトルクによる振子力の不均衡、エンジンと台車のねじれ角に対応するドライブシャフトの開発などが課題であったが、1989年に先行製作車3両が完成。名称は "Trans Shikoku Experimental (TSE)"、形式名は国鉄の慣習を捨てて2000系とした。縦方向に大きく円弧を描くブラックフェイスの非貫通型先頭車と、幌を内蔵したプラグドアを持つ貫通型先頭車との対比が際立っていた。車体は軽量ステンレス製。

姿勢制御の開始点検知には、ATSの地上子を利用する方法が取られた。曲線入口付近に制御用の地上子を置き、車両がそこを通過した時点で傾斜制御を始める。この方法だとカーブごとに多数の地上子を設置せねばならずコストがかかるため、以降は車軸の回転数から距離を計算し、あらかじめ車上のコンピュータに入力した曲線情報から制御を行う方式に改められた。

土讃(どさん)線での試験を経てJR四国では1990年より2000系の量産を開始。非貫通型はデザインはほぼそのままだがグリーン車との合造車になり、貫通型は一般的な形になった。一方TSEは車内外の小改造を受け、現在〔うずしお〕向けの改良車N2000系とともに徳島に在籍する。