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仏暦 西暦 変換 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏暦 西暦 どちらの窓でも半角数字を入力、または右端の上下ボタンを操作してください。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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仏暦 西暦 変換と言っても、西暦に543を足すだけです。 東南アジアの仏暦は、共通の系譜にあるがマイナーなバリエーションがあります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここでは、タイ太陽暦を扱います。仏滅紀元にしているので仏暦と呼ばれているけれどタイ・バージョンのグレゴリオ暦です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏教関係の祭日は、タイ太陰暦で計算され、この公式暦に組み込まれます。王室関連の祝日も多いけれど、ここでは扱いません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧正月(ソンクラーン)は、移動祝日でしたが、現在は西暦4月13日に固定されています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
年度の切り替えは、1月1日ですが、干支の切り替えは、旧正月(4月13日)からです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選択した日付 : 日– 月– 年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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タイ太陰暦(旧暦)で挿入される仏教関係の休日は4つ。 全てアルコール販売禁止の日になっています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦3月満月の日。マカブーチャ(万仏節)Magha Bucha Day / 1851年、ラーマ 4 世が祝日として制定。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦6月満月の日。 ヴィサカブーチャ(仏誕節)Visakha Bucha Day / 東南アジア仏教では仏陀の降誕、成道、涅槃は、同じ日付。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦8月満月の日。アサラハブーチャ(三宝節)Asalha Bucha Day / 初転法輪の日、仏・法・僧(三宝)が揃った日ということで、三宝節。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦8月十六夜の日。カオパンサー(入安居)Vassa / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦注と節切の暦 日刊☆こよみのページ / 節切の暦 日刊☆こよみのページ / 年・月・日の干支日刊☆こよみのページ / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Thai calendar - Google 検索 / Myanmar calendar - Google 検索 / cambodiaa calendar - Google 検索 / laos calendar - Google 検索 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
sri lankah calendar - Google 検索 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏暦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏暦は、主にカンボジア、ラオス、ミャンマー、スリランカ、タイで宗教的行事のために使用する暦です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
各国のカレンダーにはマイナーな相違点があります。 東南アジアの太陰太陽暦は、主にヒンドゥー暦の古いバージョンに基づいており、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
恒星年を使用しています。東南アジアのシステムは、インドとは異なり、メトン周期を採用しています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この恒星年とメトン周期の組み合わせという構成もあり、638年に3月22日(春分点)にあった元日は、2013年には4月17日になりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この問題の解決のため、タイの公式暦はグレゴリオ暦の採用に踏み切りました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏暦の紀元元年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上座部仏教の伝統において、紀元元年は、仏陀が涅槃に達した (亡くなった) 日です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しかし、それがいつであるかについて、各国仏教界で共通理解が成立しているわけではありません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマの仏教では、紀元前544年5月13日(火曜日、カソン148アンジャナサカラジの満月)です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイでは、紀元前545年3月11日であり、この日付をタイの太陰太陽暦と太陽暦は採用しています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ仏暦の表記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイには、インド数字の流れをくむタイ数字があります。 / タイの仏暦と日付の書き方(バンコクLABタイ語学校) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイの公文書は仏暦&タイ数字表記| タイビジネス最新情報と世界に広がる「内田クレペリン検査」 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ語における賞味期限、消費期限の確認方法 | 地球の歩き方 / 暦の表現:1つ上を目指す人の為のタイ語3000語 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上掲カレンダーでは数字までタイ数字にすると全く読めなくなるのでアラビア数字にしました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考までに、タイ数字の1から31までを掲載します | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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仏暦での今日の年月日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
BEはBuddha Eraの略。 仏暦は、 พุทธศักราช:プッ(ト)タサッ(ク)カラー(ト)で略して พ.ศ.。西暦は、 คริสต์ศักราช:クリッ(ト)サッ(ク)カラー(ト)で略して ค.ศ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
年度は、西暦に543を足したもの。月、日、曜日は、西暦をタイ語表記しただけのものです。タイ国独自のものなのでタイ仏暦とも言います。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在仏暦と言われているものは、タイ暦、あるいは上座部仏暦とよぶべきもので、汎仏教的なものではありません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また上座部仏教圏でも紀元元年の設定に違いがあります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ王国のタイムゾーンは、ICT インドシナ時間(Indochina Time) GMT+7。夏時間はありません。1920年以前のバンコクはGMT+6:42:04でした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ仏暦 / 東南アジアの仏暦 / テーラワーダ仏暦 / 上座部仏暦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Buddhist calendar | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東南アジア各国の仏暦は、ヒンドゥー暦 ( 3世紀の「スーリヤ・シッダーンタ」) に基づいています。 / Surya Siddhanta - Wiki | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏暦は太陰太陽暦で、日数は平年354、閏年384、大閏年385。月数は、平年12、閏年13 です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
閏月は、紀元元年が543、 544、545 BCEのいずれを採用しているかによって異なります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏暦は平年が12か月で、29日と30日が交互になっています。カレンダーの平均月の長さは29.5日と設定されていますが、1朔望月は約29.5306日です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このため19年周期の内7年を閏年とし、30日の月を追加。さらに、57年周期内の11年を大閏年として31日を追加しています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この基本構造は仏暦のすべてのバージョンに共通ですが、月の名前は言語ごとに異なります。一部では名前の代わりに数字が使用されています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏暦はヒンドゥー暦と同じく、太陽が牡羊座に入る時、新年が始まります。仏暦は朔望月を使用しながら、メトン周期に閏月と日を挿入することにより、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太陽年に付合させようとします。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古代インドの天文学はメトン周期を知っていましたが、太陽年を使用するメトン周期は、サイドリアル方式(占星術)のヒンドゥー暦と互換性がないため、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヒンドゥー暦では現在も使用されていません。西洋占星術のほとんどは、トロピカル方式(占星術)ですが、インド占星術はサイドリアル方式を使用しています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このため、東南アジアの仏暦は、およそ60年4か月ごとに1日ずれていきます。西暦638年に3月22日に春分点の近くにあった元日が、2013年には4月17日に | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
移動しています。タイとカンボジアは、仏暦の元日を決定するために従来の太陰太陽暦を使用しなくなりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カンボジア、ラオス、タイの太陰太陽暦は、閏日を配置するために異なる方法を採用しています。これに関する国際的協調の取り組みは、なされていません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在、伝統的仏暦は主に上座部仏教の祭りに使用され、寺院が管理し、各国とも公式の暦ではなくなりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
グレゴリオ暦に543年を加えるタイ太陽暦が、タイの公式カレンダーです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ仏暦は、狭義にはベンガル暦、ビルマ暦の流れを汲むタイ太陰太陽暦を指しますが、公式暦のタイ太陽暦に伝統的仏暦の主な行事は、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
移動節日として、組み込まれています。この仏滅紀元のタイ太陽暦(タイ式グレゴリオ暦)が広義のタイ仏暦と呼ばれています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考:Buddhist Calendar -timeanddate.com / The Buddhist Leap Year timeanddate.com / Buddhist calendar -wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
( 注 ) 西暦638年3月22日。 ビルマ暦は、スリ クセトラ王国(Sri Ksetra Kingdom / 現ミャンマー)で、638年3月22日を0年元日として開始された。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
過去6000年間の黄道に沿った春分点の経路 / File:Equinox_path.png
-commons.wikimedia | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トロピカル方式とサイドリアル方式 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
占星術の基準点、牡羊座の始まりをどこにするかについて、2つの方式がある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
紀元前146年から127年頃に、天文学者ヒッパルコスが歳差運動による春分点移動を発見した。 / 歳差 - Wiki / 春分点 -wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それまでは、サイドリアル方式だけであったが、 春分点が移動するなら、それを固定しようと考え、トロピカル方式ができた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
21世紀の現在、この2つの方式では約30度のズレがある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サイドリアル(siderial)方式 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
このような方式をインドでは「ニル・アヤナ」( Nirayaṇa )という。 黄道十二宮は恒星の位置で決定する。黄道十二宮と黄道十二星座はほぼ一致している。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古代オリエントの占星術、現在インド占星術はサイドリアル方式である。古代中国の十二次も、15度ずれているが原理的にはサイドリアル方式である | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サイドリアル方式では、どの恒星を基準にするかで様々な説があり、統一された座標系がない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トロピカル(tropical)方式 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インドではこの方式を「サ・アヤナ」( sāyana )と言う。 十二宮は星座とは関係なく、黄道上の区分である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
座標原点を春分点にとり、30度ずつ十二分割する。 現在、春分点はうお座にあり、黄道十二宮と黄道十二星座はひとつずれている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
十二次 - Wikipedia / 暦Wiki/インド暦/Nirayana - 国立天文台暦計算室 / 暦Wiki/インド暦/Naksatra - 国立天文台暦計算室 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏教の根本、四諦 八正道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
四諦 八正道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
四法印 ( Four Dharma Seals ) / 四法印 - Wikipedia / 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
四諦 ( Four Noble Truths ) / 四諦 - Wikipedia / 苦諦、集諦、滅諦、道諦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
八正道 ( Noble Eightfold Path ) / 八正道- Wiki / 正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
The Noble Eightfold Path of Buddhism
commons.wikimedia
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成道して如来となったブッダが五人の比丘に最初に説いたのが、四諦、八正道であった。そこから仏教が始まった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大乗仏教の根本、衆生済度 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
四弘誓願 / 四弘誓願 - Google 検索 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏教教団の分裂 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏教教団において、釈迦の死後100年頃、第二回結集の後、仏弟子の集団が、上座部と大衆部の二つに分裂した。(根本分裂) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その後、AD100年頃に、北伝所説では20の部派に分裂した。(枝末分裂)。経と律は部派ごとに伝承され論が作成された。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大乗側から見て、南伝仏教を小乗と呼んできたが、蔑称であるとして近年、彼らの自称する上座部と呼ぶようになった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インドに於いては、インド仏教最後の形態である インド後期密教は、ほとんどヒンドゥーと混交したものになり、5世紀までに | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヒンドゥー教に埋没し、12世紀までに消滅した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏像 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古代インドでは、バラモン教も祭祀が中心で、神像、尊像を礼拝する習慣はなかった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最初期の仏教は、偶像崇拝をせず、仏教徒は、仏陀の存在を暗示するものとして、 ストゥーパ、法輪、仏足石、菩提樹などを礼拝していた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
紀元後1世紀後半~2世紀頃、インド、クシャーナ朝期のガンダーラ地方とマトゥーラ地方(現パキスタン)に仏教が伝わり、仏像が | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
盛んに造られるようになった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Swastika - Wiki / 卍 - Wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
経典 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所与の経典として上座部仏教はパーリ語大蔵経、チベット仏教はチベット訳大蔵経、 大乗仏教は漢訳大蔵経を用いている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
パーリ仏典 /wiki / チベット大蔵経 /wiki/ 漢訳大蔵経 /wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在の上座部仏教の源流、分別説部は第三結集において、部派仏教の上座部に造反した反主流派の集団であった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南方上座部のパーリ大蔵経の経と律とは、仏滅後300~400年後に、作成されたと考えられる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏典結集 世界史用語解説 / 分別説部 -wiki / 結集 -wiki / 根本分裂 -wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット仏教は、インド後期密教と後期大乗がチベットの土俗宗教、ボン教と混交してチベットの民族宗教となったものである。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原始仏教(2) 12縁起 / 大乗仏教(1) 部派仏教から大乗仏教へ / 密教(1) 12章 密教:後期大乗仏教 / 密教(4)チベット仏教の歴史 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インド思想史略説 沼津高専 / 釈迦 - Wiki / マガダ国 - Wikii / インドにおける仏教の衰退 - Wiki / ヒンドゥー教における釈迦- Wiki | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏教遺跡を見る / Magadha - Wiki / 十六大国 - Wiki | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マガダ国の版図 public domain
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マガダ国は、現在のビハール州と北ベンガルに位置した国。 ラージャグリハ(王舎城)。竹林精舎。霊鷲山(りょうじゅせん)がある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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祇園精舎 - Wiki コーサラ国の首都シュラーヴァスティー(舎衛城)、現ウッタル・プラデーシュ州シュラーヴァスティー県にあった寺院。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
王舎城 - Wiki マガダ国の首都であった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
霊鷲山 - Wiki 大乗経典において、釈迦が『観無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山。長阿含経にも登場する。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
竹林精舎 - Wiki 王舎城(ラージャグリハ )現在のビハール州ラージギルにあった仏教最初の寺院。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Kapilavastu - Wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カピラヴァストゥの候補地 。 ティラウラコットと ピプラーワーTilaurakot - Wiki / Piprahwa - Wiki | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウッタル・プラデーシュ州シッダールトナガル県ピプラーワーSiddharthnagar District- google maps | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ太陽暦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ソンクラーン (水かけ祭り)以外のタイの休日は、王室関連のものと、仏教関連のものの2種に分類される。王室関連のものは西暦が | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
適用されている。仏教関連のものはタイ旧暦(チャントラカティ)が採用されている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マカブーチャ(万仏節)は、タイ暦3月の満月の日。ヴィサカブーチャ(仏誕節)は、タイ暦6月の満月の日。ウエサク祭。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南伝仏教では、釈迦の降誕、成道、涅槃は同じ日付であったとし、ウエサク祭をその日としている。したがって仏誕節と言うよりは | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三仏節と言うのが正しい。カオパンサー(入安居)は、タイ暦8月の十六夜の日。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
祝日ではないが、オークパンサー(出安居)タイ暦11月の満月の日がある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また、ロイクラトン(タイ暦12月の満月の日。収穫に感謝し、水の女神コンカーに祈る日。)も灯籠流しで近年、観光資源として、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注目されている。 / タイ暦のサイト ปฏิทิน พ.ศ.2564/2021 จันทรคติไทย - myhora.com / タイにおける占星術【pdf】タイ学会/ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大乗仏教ではウェーサーカ祭の代わりに灌仏会が行われる。日本の仏教では宗派を問わず、三仏会は、涅槃会(ねはんえ)、灌仏会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(かんぶつえ)、成道会(じょうどうえ)でそれぞれ別の日に法要を行う。明治の改暦以来、西暦で行うようになった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
涅槃会は(2月15日):釈迦が入滅した日。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
灌仏会(4月8日)または降誕会(ごうたんえ)は:釈迦の誕生日。花祭り。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
成道会は(12月8日):釈迦が悟りを開いた日。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
禅宗では12月(臘月)1日から8日の朝まで7日間不眠不休の座禅(臘八接心)を行う。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ旧暦(チャントラカティ)の日付の表示 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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チャントラカティ(ปฏิทินจันทรคติ、Patithin Chantharakhati)は、タイの旧暦で太陰太陽暦である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5 raem 5 kam deuan 8 とある場合、 最初の「5」は、週の5日目、木曜日。「raem 5 / レム5」は満月が欠け始めて5日目。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「deuan 8」は第8月 / 獅子宮。第1月は磨羯宮 / 山羊座 (12月22日-1月19日)。「kam / カム」とは、日、ただし日没から始まる期間を指す。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「Keun / クン」は、新月が満ち始めて満月までの期間。 クンは15日、レムが15日(奇数月は小の月で14日になる)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これはヒンドゥー暦(インド占星術)に由来している。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
keun は白分(śukra pakṣa、シュクラパクシャ)と言い、日没時に月が出ている。吉の期間である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
raem は黒分(kṛṣṇa pakṣa、クリシュナパクシャ)と言い、日没時に月が出ていない。凶の期間である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ太陽暦#月 -wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ暦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラタナ・コーシン暦以前は、ビルマ暦が使われていた。現在は公式暦(タイ式グレゴリオ暦)が使われているが、旧暦(チャントラカティ)も広く使われている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧暦では十二支が使われている。Chuad(鼠)、Chalu(牛)、Khal(虎)、Toa(兎)、Maroang(大蛇)、Maseng(蛇)、Mamia(馬)、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Mamaae(山羊)、Wog(猿)、Raga(雄鶏)、Jau(犬)、Goon(豚)。タイ北部では豚が象に置き換えられることがある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
十二支は12年周期をカバーするが、干支の後に数詞を追加することにより、120年周期をカバーする。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ek(1)、to(2)、tri(3)、jatawa(4)、benja(5)、cho(6)、satawa(7)、attha(8)、noppa(9)、samriti(10)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そして、Sok(年)を付ける。干支年の切り替えは正式には4月の旧正月からになる。華人社会では春節からになる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
TRADITIONAL THAI CALENDAR SYSTEM - Bangkok Tourism hub / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この西暦に、移動祝日として、仏教関連の行事(タイ旧暦)を組み込んだものが、タイ太陽暦(タイ仏暦)である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在のタイ仏暦は、1941年(昭和16年)1月1日を仏滅紀元2483年元旦として 改編布告したタイ王国独自のグレゴリオ暦(太陽暦)である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏暦というが、他の南伝仏教国とは、紀元元年の設定で異なっており、統一の兆しもない。また、大乗仏教や学問上での仏滅の年代とは開きがある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
釈迦入滅の年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上座部仏教の暦は仏滅紀元になっている | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
釈迦の入滅の年は、宗教的伝来にもとづくもので、学術的に推定される年とは異なっている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
降誕(紀元前624年) -入滅(紀元前544年) : 南伝仏教説 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
降誕(紀元前565年) -入滅(紀元前485年) : 『衆聖点記』説 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
降誕(紀元前463年) -入滅(紀元前383年) : 中村元 説 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャカの入滅年代について 『岩波仏教辞典』では、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南伝の紀元前544‐543年頃説、ギリシア資料にもとづく紀元前486-477頃説、北伝の紀元前400-368頃の説の3説があり、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
学術的には紀元前400年前後とする説が有力であるとしている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ仏暦は、1912年(明治45年)にラタナコーシン紀元のグレゴリオ暦を仏滅紀元に改め、4月1日を仏滅紀元2455年元旦とした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在の形のタイ仏暦は、1941年(昭和16年)、タイ政府が、グレゴリオ暦1941年1月1日を仏滅紀元2483年の元旦として | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
布告した時から始まる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏滅紀元は上座部仏教圏に広まりはしたが、紀元元年の設定で統一されていない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマ暦の東南アジアへの普及 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東南アジアの仏暦の現在の計算方法は、主にビルマ暦の計算方法に基づいている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマ暦は、太陰太陽暦で19世紀まで広範な東南アジアの王国でChulaSakaratとJolakSakarajの名前で使用されていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマ暦は、古代インドのスーリヤ・シッダーンタシステムに基づいていた。 インドのシステムとの重要な違いの1つは、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマのシステムがメトン周期を採用していることで、メトンシステムがどこから、いつ、どのように導入されたのかは不明。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマ暦は、スリ クセトラ王国で、638年3月22日を元年元日として開始され、19世紀後半まで大陸東南アジアで広く使われていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマ暦は、ヨーロッパの植民地主義の侵略とともに、19世紀の後半にインドシナ全体で使用されなくなった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
残っていた唯一の独立国家シャムも、1889年4月にラーマ5世によってラタナコーシン紀元のグレゴリオ暦に移行した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ミャンマーでは現在、西暦、ビルマ仏暦、ビルマ暦(ビルマ旧暦)の三つが併用されている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Chula Sakarat - Wiki / Myanmar calendar - Google 検索 / Burmese calendar - Wiki | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイの公式な暦であるタイ太陽暦は、グレゴリオ暦であるが年は西暦よりも543年大きい仏滅紀元で数えられる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラーマ5世は、チャクリー王朝を創設したラーマ1世が即位した1782年4月6日を紀元と定め、西暦1888年をラタナコーシン紀元106年とした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1912年にラーマ6世はラタナコーシン紀元を廃止、仏滅紀元に改め、グレゴリオ暦4月1日を仏滅紀元2455年元旦とした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西暦1941年、ピブンソンクラム首相は、1941年1月1日を仏滅紀元2483年の元旦として布告、仏滅紀元2483年は9カ月しかなかった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ仏暦(1912年以降~)は、太陰太陽暦とグレゴリオ暦を折中した暦となったが、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ旧暦(チャントラカティ)は、宗教行事の日程作成に使われている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二つの仏滅紀元 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在の大陸東南アジアの仏暦は、グレゴリオ暦を使用し、宗教行事の日程を 旧暦(ビルマ暦)から移動節日として組み込んでおり、紀元元年を | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏滅年に置いているが、仏滅年を紀元前544年とするところまでは同じだが、元期を第0年とするか、第1年とするかで2方式に分かれている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ミャンマー・スリランカでは、釈迦が入滅したとする紀元前544年を仏滅紀元元年(元期を第1年とする)とする。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ、カンボジア、ラオスでは、釈迦が入滅したとする翌年の紀元前543年を仏滅紀元元年(元期を第0年とする)としている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これを調整、統一しようとする動きはない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Sidereal and tropical astrology - Wikipedia / Sidereal year - Wikipedia / 東南アジア伝統天文学の重層構造 - 国立天文台【 pdf 】 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマの星座(西山峰雄 著) / ビルマの星座絵 - 天文教育普及研究会【pdf】 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インドシナへの仏教伝来 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スリランカへの仏教伝来 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏教がインドからスリランカへ、紀元前3世紀に伝来した。 紀元前247年の6月の満月の日であった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
紀元前1世紀から4世紀にかけて、スリランカ仏教は 三派分立の時代になった。4世紀にそれは、宗派間の抗争に発展した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大寺派以外の二つの派は、大乗仏教や密教を受容していった。 12世紀に入り、当時の王によって、大寺派が正統とされ、他の二派は弾圧された。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その後、スリランカでは大乗仏教は途絶えた。スリランカでは、16世紀以降の西欧による植民地化によって仏教が衰退、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
18世紀からタイ、ビルマの仏教を招来して上座部仏教を復興した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
再考仏教伝来24 スリランカの仏教 / スリランカ のイスラム教- Google 検索 / スリランカの町で暴動、イスラム教徒の店舗など襲撃 : CNN.co.jp / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東洋の真珠・スリランカでいま起きている事(上) |論座 / データで徹底解説!スリランカの民族・宗教構成とその分布 | スリランカ観光情報サイト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「神はこの世をイスラム教徒のために創造した」信仰のあり方が激変するスリランカとテロの関係 -FNN / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ガラゴダ・アッテ・グナナサラ Galagoda Aththe Gnanasara - Wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビルマへの仏教伝来 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11世紀頃、ビルマ族が、イラワジ川流域地域を平定した。それまでは、Ariと呼ばれるインド密教的な左道仏教が行われていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
パガン王朝期の12世紀に、これらを廃棄。上座部仏教を導入したが、ヒンドゥー教や精霊信仰などと混交したものであった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
18世紀のコンバウン王朝で、スリランカ仏教が正式に受容された。 ビルマ仏教は、東南アジア、インドシナ半島における上座部仏教の基礎を築いた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
再考仏教伝来26 ミャンマーの仏教 / ビルマの仏教について 【 pdf 】/ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
危機にある少数民族ロヒンギャ: アムネスティ日本 / 今も続く国軍の残虐行動 : アムネスティ日本/ ミャンマーの民族一覧 - Wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アシン・ウィラトゥ - Wiki / 969運動 - Wiki / ロヒンギャを迫害する仏教徒側の論理 | ニューズウィーク日本版 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
強硬派仏教徒集団の台頭、覆される「平和的哲学」のイメージ 写真7枚 :AFPBB News / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイへの仏教伝来 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11世紀ごろの民族移動の時代に、タイ族が中国の雲南地方から南下、現在のタイへ下って来た。 タイ族は精霊信仰をしていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13世紀ごろに、スリランカから高僧を招来。 上座部仏教が最大勢力を持つ宗教となっていった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
14世紀ごろのリタイ王は、衰退するスコータイ王朝を仏教で立て直そうとして出家 、タイ全土でスリランカ仏教が信奉されるようになり、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アユタヤ王朝、ラーンナータイ王朝などの周辺諸国に伝播していった。その後、王朝が代っても上座部仏教の信仰は続けられた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仏教振興による、国家統合 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラーマ4世、(在位:1851年 -明治元年/1868年10月1日) は、 ラー マ3世の治世下から宗教改革を起こし、後のタマユッ ト派サンガの基礎をすえた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラーマ4世王即位後は、各種のサンガ法を発し、仏教近代化を推進した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラーマ 5世、(在位:明治元年/1868年 - 明治43年/1910年) は、仏教振興活動による、国家形成および国民意識の形成を図った。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
学校教育の普及と同時に、仏教の普及と質の向上を計り、 1902年「ラタナコーシン暦121サンガ統治法」を発布。サンガの官僚制化が進んだ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラーマ5世 - Wiki / タイ仏教社会の変動と宗教実践の再編 【pdf】 / 20 世紀初頭におけるラオの終末-救済観念とピー信仰 【pdf】 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
再考仏教伝来25 タイの仏教 / 海外安全ホームページ: テロ・誘拐情勢(タイ)-外務省 / タイ人の信仰 仏教93.5%、イスラム教5.4% | newsclip / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
~タイ南部で絶えぬ暴力の連鎖~ :メールマガジン「オルタ広場」 / 泥沼化―タイ深南部問題- アジア経済研究所 / タイのイスラム教 - Wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイ深南部紛争の概要と背景 笹川平和財団 / タイ深南部紛争の概要と背景 【pdf】Asia Peacebuilding Initiatives / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1976年10月6日タンマサート大学虐殺事件 血の水曜日事件 - Wiki / 血の日曜日事件(1973年) -wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット暦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット仏教は、大乗仏教、上座部仏教とは、異質で、暦も法王庁の占星術僧が年末直前までかけて、吉凶を占い決定するため | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
布告されるまで予測がつかない。閏月は、12ヶ月の間のどこにでも割り込むことができる。占星術僧は削除する日(除日)、2度重ねる日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(重日)を決定し、閏月を挿入する年であればどこに入れるかも定める。チベット暦の新年は西暦の2月の新月の月の出から始まる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ただし、前年に閏月が挿入されていた場合には3月に始まる。 このため他の暦との換算ができない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット暦と占星術 | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット仏教は、以前はラマ教と呼んできたが、近年チベット仏教と呼ぶようになった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベットへの仏教伝来 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
635年 (吐蕃) ネパールの赤尊(尺尊)公主 降嫁。 仏教を伝える。640年 唐の文成公主 降嫁。642年ラサに小昭寺を建立。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
670年 (吐蕃) 唐の安西四鎮を攻略。シルクロードを支配 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
755年 (吐蕃) 仏教を禁じる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
761年 (吐蕃) 仏教禁令を解く。再び仏教伝来。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
763年 (吐蕃) 唐の長安を占領 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
779年 (吐蕃) 仏教を国教化 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
782年 (吐蕃) サムエー宗論 で禅宗を禁止 / サムイェー寺の宗論 - Wiki | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
843年 (吐蕃) 廃仏令 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
877年 吐蕃王朝滅亡 / 吐蕃 - Wiki | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
150年の空白 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11世紀初、インドから後期密教が伝来(カギュ派) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1240年 元朝が保護。サキャ派政権の時代。左道化が進む。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1283年 活仏転世が始まる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1368年 元朝崩壊後カギュ派系パクモドゥ派政権の時代。 カルマ・カギュ派、転生ラマ制度導入。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1409年 ツォンカパがゲルク派創立。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1642年 グシ・ハン王朝樹立。仏教再興。ダライラマをチベット仏教の正統とする。ポタラ宮建設 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲルク派の国教化に伴い、弾圧を逃れて、他宗派は国外へ脱出。周辺に建国した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大寺は広大な荘園と多くの僧兵を抱え農奴を支配する荘園領主であった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラサ市内、青蔵鉄道ラサ駅、ラサ空港を見る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時輪タントラ - Wiki / Kalachakra - Wiki / ヤブユム - Wiki / 鳥葬の国 秘境ヒマラヤ探検記(講談社学術文庫) / 河口慧海『西蔵旅行記』(青空文庫) / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
再考仏教伝来13 チベット仏教の形成 / 秘密集会タントラ - Wiki / 歓喜仏・忿怒尊 - Google 検索 / ボン教の神々 | mysite / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット仏教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット仏教は、インドの後期大乗仏教の教学と後期密教とを継承した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8世紀以降に成立したインド後期密教経典群を総称して無上稔伽密教(タントラ仏教)という。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インド後期密教はチベット、ブータン、モンゴルで発展し、ラマ教(ラマイズム)と呼ばれた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Tibetan Lamaism - Google 検索 / Lamaism black magic- Google検索 / Category:Tibetan Buddhism - Chinese Buddhist Encyclopedia / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Charnel Ground Ornaments and Implements / Is Tibetan Lamaism Buddhism? (1) / 河口慧海コレクション / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後期密教の成立(チベット仏教) | 宗教を語る / 仏教タントリズムの修法論の構造【pdf】/ チベット仏教 (世界史用語解説) / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット仏教 -北京週報 / ラマ教 / チベット仏教 -wiki / 67 Pieces Of Human Body Parts / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
元 代 に お け る 皇 帝 の 仏 教 信 仰 に つ い て - J-Stage / 明代チベット仏教の中国における流行を中心として(第六回研究会・沈衛栄報告) / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラマ教と十七世紀の東アジア政局【pdf】 / 日本人のチベット像に関する社会学的考察【pdf】 / 清・チベット戦争 - Jinkawiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット問題/チベット独立運動-世界史用語解説 / Category:チベット独立運動- Wiki / チベット独立運動 - Wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
河口慧海のチベット旅行を中心として - 京都大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
インド後期密教 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バラモン教から再生したヒンドゥー教の隆盛に劣勢に立った仏教は、加持祈祷による現世利益に転じた。初期密教(雑密)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そこから高度な理論構築を行い、即身成仏を説いた。中期密教(純密)。これが中国(唐)を経由して日本にも伝わった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しかしなお劣勢から回復できず、ヒンドゥータントラを導入、左道化が進行、 淫祠邪教となっていった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そして5世紀までには、ヒンドゥー教に埋没し、12世紀までに消滅した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
降三世明王 - Wiki / ヒンドゥー教の成り立ち ★インド神話なら!天竺奇譚:インド神様図鑑 / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット占星術 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット占星術は、カラチャクラタントラの密教占星術、 シヴァタントラのヒンドゥー占星術、古代中国の占星術を組み合わせたものである。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット占星術では、太陽日、太陰月、干支年を組み合わせているため、除日、重日ということが発生する。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一年中毎日が修行のための重要な日だが、 第8月、満月、新月、日食の日は、さらに重要な日である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Tibetan Buddhist Calendar / Tibetan Lunar Calendar / Interconverting Tibetan and Western Years / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット暦は仏滅紀元ではない | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット暦は西暦に127年を足したもの。紀元前127年に何があったかを調べると、伝説上の古代チベットの王が即位したとされる年を元年としている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ニャティ・ ツェンポ google検索/ チベットの歴史 -wiki / | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チベット暦の新年は西暦の2月の新月の月の出が多いが、3月のこともある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
歴史上確認できるチベット初の統一王朝は、7~9世紀の吐蕃王朝で唐をも圧迫した強大な国家であった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吐蕃の攻勢による唐の半島経営放棄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新羅の朝鮮半島統一は、唐が、吐蕃に備える為、半島撤退をした結果実現した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
唐は新羅と連合して 663年に白村江で倭と百済の連合軍を破ると、 百済に熊津都督府、新羅に鶏林大都督府を置いた。 668年には高句麗を滅ぼし、 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
安東都護府を置いた。唐の六都護府は、朝鮮半島に安東都護府、ベトナムに安南都護府、タリム盆地に安西大都護府、外モンゴルに安北大都護府 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
内モンゴルに単于都護府、現 新疆ウイグル自治区昌吉回族自治州に北庭大都護府が置かれていた。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
670年、唐は吐蕃に攻め込まれ、大敗を喫した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
676年、唐は、吐蕃との戦争に集中するため、朝鮮半島から全面撤退した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新羅の文武王は、五度も謝罪使を送って謝罪し、唐の冊封体制に留まることを誓約した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これで新羅は朝鮮半島初の半島統一を果たした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Theravada (上座部仏教) の年間行事 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この表はBuddhist calendar - Wikipedia を参考にした。仏教行事ではないソンクランも含まれている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東南アジアの旧暦は インド占星術の系統に属する。(華人社会は中国暦を使用している) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Buddha Day (Vesak)に限りインド。ネパールを追加した。日本では灌仏会(花まつり)である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
各月の満月の日 | 祝日にしている国 | 行事 | |
スリランカ | Duruthu Poya | ||
カンボジア、ラオス、タイ スリランカ |
万仏節 スリランカ(NavamPoya) カンボジア、ラオス、タイ(Magha Puja) | ||
Boun Pha Vet (Laos) Tabaung Festival (Myanmar)、 Medin Poya(Sri Lanka) | |||
3月- 4月 | Caitra 月の満月 | スリランカ | Bak Poya |
4月 | 4月13日〜17日 | カンボジア、ラオス、ミャンマー スリランカ 、タイ |
ソンクラン(東南アジアの正月) 現在ミャンマー以外の国では西暦で固定。 |
4月- 5月 | Visakha
(ヴァイサカ) Full moon of Visakha |
カンボジア、ラオス、スリランカ タイ、ミャンマー、マレーシア、 シンガポール |
三仏会 (灌仏会,成道会,涅槃会が同日) Full moon of Visakha Buddha Day (Vesak) ブッダ・プルニマ(インド) ブッダ・ジャヤンティー(ネパール) |
5月- 6月 | Jyaistha 月の満月 | スリランカ | Poson Poya |
6月- 7月 | Ashadha 月の満月 | カンボジア、ラオス、タイ、 スリランカ、ミャンマー |
初転法輪
(三宝節)仏法僧の3つ(三宝)が揃った日 Esala Poya (Sri Lanka) 、Asalha Puja (Thailand) |
7月- 8月 | Sravana 月の満月 | スリランカ | Nikini Poya 雨安居(Vassa )入り |
8月- 9月 | Bhadrapada 月の満月 | ラオス、スリランカ | Binara Poya (Sri Lanka) |
Asvina 月の満月 | カンボジア、ラオス、スリランカ ミャンマー |
雨安居(vassa)の明け Boun Suang Huea (Laos);Thadingyut (Myanmar); Vap Poya (Sri Lanka); Wan Ok Phansa (Thailand) | |
10月- 11月 | Karttika 月の満月 | カンボジア、ラオス、スリランカ タイ、ミャンマー |
That Luang Festival (Laos); Tazaungdaing Festival (Myanmar) Il Poya (Sri Lanka); Loi Krathong (Thailand); Bon Om Touk (Cambodia) |
Margasirsa 月の満月 | スリランカ | Undhuvap Poya |
Guru Purnima(グルプルニマ) | ||||||||
南伝仏教では、Ashadha (アサダ)月の満月の日は、初転法輪(三宝節)だが、 ブータン、インド、ネパールの仏教徒およびジャイナ教徒、 | ||||||||
ヒンドゥー教徒には、このアサダ月の満月(プルニマ)の日(Ashadha Purnima)は、 グルのための祝福のエネルギーが降り注ぐ日で、自分の師匠や | ||||||||
開祖に敬意と感謝を表す日である。この夏至(6月21日乃至22日)のあとの最初の満月の日をGuru Purnima(グルプルニマ)と呼ぶ。 | ||||||||
ヴェーダ占星術では、アサダは太陽がふたご座に入るところから始まる。つまり太陽暦である。太陽太陰暦では、アサダは新月から始まる。 | ||||||||
2か月のモンスーンシーズンのうちの最初の月であり、三宝節の翌月、雨安居(vassa)に入る。 | ||||||||
Poya Day(ポヤデー)というのは毎月、満月の日がスリランカ独特の仏教祭日で、この日にはスリランカ全土で酒、肉、魚の販売がが禁止になる。 | ||||||||
祝祭日 | スリランカ - アジア - 国・地域別に見る - ジェトロ / | ||||||||
仏典結集 - Google 検索 / 根本分裂 - Google 検索 / Mahayana -wiki / 大乗仏教 -wiki / Theravada -wiki / 上座部仏教 -wiki / | ||||||||
カルト問題知っておきたい基礎知識 【 pdf 】 / | ||||||||
スリランカ の タミール暦 | ||||||||
スリランカには300万人のタミール人がいる。 スリランカは、人口の約74%がシンハラ人、約13%が古くから住んでいる「スリランカ・タミール人」、 | ||||||||
約5%がイギリス植民地時代にプランテーションへの労働力として移住させられてきた「インド・タミール人」である。少数派のタミール人はイギリス | ||||||||
植民地下の民族分断政策により、優遇されたが、 1948年の独立後、多数派のシンハラ人による1956年以降のシンハラ・オンリー政策により冷遇され、 | ||||||||
1976年、分離独立運動の開始。1983年、民族対立の激化と内戦への突入があり、2009年まで激しい内戦が続いた。 | ||||||||
タミール暦 | ||||||||
タミール暦は、インドのアッサム、ベンガル、ケララ、マニプール、オリッサ、パンジャブで使用されているヒンドゥー太陽暦に基づいている。 | ||||||||
タミール暦の新年は、春分点の牡羊座への移行で、ビルマの仏暦新年とも一致する。 | ||||||||
これらの暦は、今日、文化的、宗教的、農業的イベントに使用されており、グレゴリオ暦が公式な暦となっている。 | ||||||||
ヒンドゥー暦、ヴィクラマ暦、サカサムバット。 タミール暦。 | ||||||||
こちらのヴェーダ占星術のサイト(英語)に、今日の、ヒンドゥー暦の日付、ヴィクラマ暦、サカサムバット、国定暦の日付があり、1ヶ月分のカレンダーも | ||||||||
表示されている。 / Hindu Calendar - Hindu Festivals & Panchang(ヒンドゥー暦 - ヒンドゥーの祭とパンチャン) | ||||||||
このサイトには、ティティ計算 Tithi Calendar & Calculator / タミール暦 Tamil Calendar - Festivals, Holidays & Panchangam のページもある。 | ||||||||
ティティ Tithi - Wiki ( ヴェーダ占星術で、物事を行うのに縁起の良い時間帯。) | ||||||||
パンチャン Panchangam - Wiki / パンチャン(パンチャンガ)はヒンドゥー暦と年鑑、ヒンドゥーの重要な日付とその計算を表形式で表示する。 | ||||||||
仏暦と仏旗 | ||||||||
1950年5月、世界仏教徒連盟の第1回世界仏教徒会議において、「国際仏旗」が採択された。 | ||||||||
日本でも1954年に、第2回日本仏教徒会議で採択された。しかし現在(2020年)でもほとんどの寺院で旧来の五色 | ||||||||
緑、黄、 赤、白、黒(or 紫) の旗を用いている。買い替えるにはそれなりに費用が要る。他人事ながら | ||||||||
見慣れたという以上に、色彩センスが・・・・・。これなら黄地に赤の法輪を描いたタイの仏教旗の方が | ||||||||
まだ良かった。ゴンパ(寺院)やチョルテン(仏塔)に掛けられたタルチョ(旗)の色彩の方が良かった。 | ||||||||
仏暦は、全日本仏教会の機関誌が1994年から、釈尊の没年を西暦紀元前544年とするタイ方式を、採用しているのだが・・、 | ||||||||
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なぜタイ方式の暦か? | ||||||||
以上のような訳で、仏暦は普及していない。しかし、なぜタイ方式の暦が、世界標準に採用されたのかというと、 | ||||||||
これを採択した世界仏教徒連盟の事情にある。(財)全日本仏教会は、日本国内の仏教諸教派の連合体である。 | ||||||||
全日本仏教会が加盟している世界仏教徒連盟(World Fellowship of Buddhists)は、 タイに本部がある。 | ||||||||
大乗仏教国である中国、ベトナムは社会主義国家であり、 日本は完全な政教分離をしている。 | ||||||||
このため、 上座部仏教国中で最も経済力があり、 男性国民に僧役義務まであるタイの発言力が大きく、 | ||||||||
世界仏教徒連盟のヘゲモニーを握っている。タイ方式の暦が採択されたのはこのような事情がある。 | ||||||||
このようなタイの寺院が決定し、タイ国の正規のカレンダーに、 記載される節日が、たまに計算間違いを起こし、 | ||||||||
あとで発覚することもある。仏暦が普及しないのは当然とも言える。 | ||||||||
仏暦、日本での使用例 | ||||||||
1956年、全日本仏教会は、 全国で講演会など仏紀二千五百年(西暦 +544)記念行事を実施した。 | ||||||||
全日本仏教会の機関誌、「全仏」は1994年8月号から、 表紙に仏暦 (西暦 +543)を併記するようになった。 | ||||||||
西暦1978年に日本で開催された世界仏教徒会議では、 仏暦( 西暦 +544)が使われていた、西暦2008年に日本で開催された | ||||||||
世界仏教徒会議では、 仏暦 ( 西暦 +543)が使われた。それ以外での使用例は確認されていない。全日本仏教会としては、 | ||||||||
加盟する寺院宗派に仏暦使用の要請はしていない。 | ||||||||
世界仏教徒連盟 | ||||||||
世界仏教徒連盟はスリランカ で発足した。 1950年、第1回会議(スリランカ)仏旗制定。 | ||||||||
1956年、第4回会議(ネパール)で、1958年から1960年のビルマに本部移転が決定、1963年までビルマにあった。 | ||||||||
またこの時。仏暦( 西暦 +543)を採用することと西暦を併記することを採択した。 | ||||||||
1958年、第5回会議(タイ)でタイに本部移転が記載された。 第7回、第8回と決議文中に仏暦は使用されなかった。 | ||||||||
1969年、第9回会議(マレーシア) の決議文では西暦年が使われた 。この回で、 タイの中央本部の恒久化が決議された。 | ||||||||
仏旗制定はすんなり可決されているが、仏暦は議題には上るものの歓迎されていないことがわかる。 | ||||||||
またタイが主導権を握るために、積極的に動いたことも見てとれる。 | ||||||||
第一回世界仏教徒会議の開かれた、1950年は、 朝鮮戦争(1950年〜1953年)が始まり、中国のチベット侵攻(1950年〜 | ||||||||
1951年)があり、サンフランシスコ平和条約(1951年9月8日)の批准があった。日本はこれで国際社会に復帰した。 | ||||||||
この時代は、南伝仏教および西欧仏教学からの大乗非仏説論に萎縮していた。 | ||||||||
タイは英仏の緩衝地帯として独立を守った経験から来る外交能力で、二次大戦の敗戦国にならずに済んだ。 | ||||||||
タイは幕末期のラーマ4世以来、英明君主が続き、国内対立や軍部のクーデターも国王の裁定で収まってきた。 | ||||||||
東南アジアの国際情勢にも大きく関わる現在のタイ情勢が懸念される。2020/11 | ||||||||
大乗非仏説をこえて|国書刊行会 大乗非仏説 -wiki 普通教育と日本仏教の近代化- Google 検索 | ||||||||
異例の王室批判 タイ反政府デモの行方-日テレNEWS24 ( 2021/01/02 ) | ||||||||
梵暦運動 | ||||||||
19世紀日本で「梵暦運動」というものがあった。 | ||||||||
【梵暦運動】 | ||||||||
文化7年(1810年)に普門円通は『仏国暦象編』を刊行し、「仏教天文学」を体系化した。その成果は「梵暦」ないし「仏暦」と呼ばれ、 | ||||||||
円通没後(1834年)も、その門弟たちは「梵暦社」という組織をつくり、 仏教各宗派を超えた思想運動を展開した。明治末期には | ||||||||
ほとんど省みられることもなくなった。 | ||||||||
幕末が黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)なので、江戸末期からの運動ということになる。 | ||||||||
地動説が日本に伝来したのは寛政の改暦(寛政十年1798年)前後であった。 / 暦Wiki/地動説 - 国立天文台暦計算室 | ||||||||
梵暦運動 - Google 検索 / 忘れられた 「仏教天文学」 一 梵暦運動と「近代」一 【pdf】 jstage/ | ||||||||
仏教天文学と『佛國暦象編』【pdf】大阪市立科学館/ 「近代仏教」と「仏教天文学」再考 :中外日報 / | ||||||||
連続研究会「明治期における人間観と世界観」 第3回「梵歴運動史の研究」| 東洋大学 / | ||||||||
須弥山儀 - Google 検索 / 『仏国暦象編』におけるインド天文学について - Bill M. Mak【pdf】 / | ||||||||
Category:江戸時代の天文学- Wiki / 天文図解 - Wiki / 地動説 -wiki / | ||||||||
ローマ教皇庁が正式に天動説を放棄し、地動説を承認したのは、 ガリレオの死から359年の1992年であった。 | ||||||||
寛政暦は西洋天文学を取り入れた暦法であった。 | ||||||||
麻田剛立が1763年(宝暦13年)に、世界で初めてケプラーの楕円軌道の地動説を用いての日食の日時の予測をした。 | ||||||||
本木良永が寛政8年(1796)『和蘭地球図説』と寛政5年(1793)『天地二球用法』の中で日本で最初にコペルニクスの地動説を紹介。 | ||||||||
司馬江漢が寛政8年(1796)『和蘭天説』で西洋天文学を紹介、『和蘭天球図』という星図を作った。 | ||||||||
1797年(寛政9年)に幕府は西洋天文学に基づいた暦法に改暦するように高橋至時や間重富らに命じ、寛政暦を完成させた。 | ||||||||
志筑忠雄が、享和2年(1802)『暦象新書』の中でケプラーの法則やニュートン力学を紹介。 | ||||||||
片山松斎が、文化7年(1810)『天文略名目』で地動説を紹介した。 | ||||||||
渋川景佑らが、天保15年(1844年)西洋天文学の成果を取り入れて天保暦を完成、寛政暦から改暦された。 | ||||||||
麻田剛立 -wiki / 高橋至時 -wiki / 間重富 -wiki / 渋川景佑 -wiki / | ||||||||
地球球体説 - Wiki / 1522年マゼラン艦隊の世界周航の年譜- Wiki / 展 望 地 球 球 体 説 の 系 譜【pdf】 J-Stage / | ||||||||
西暦はキリスト教暦か? | ||||||||
ユリウス暦は、共和政ローマのユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された、 | ||||||||
ローマ帝国は、キリスト教を弾圧した。しかし、コンスタンティヌス1世とリキニウスは、キリスト教を公認に踏み切り、313年に | ||||||||
ミラノ勅令を発してキリスト教を公認した。リキニウスはその後、ローマ帝国の東の正帝を倒し、キリスト教否認に戻り、弾圧を再開。 | ||||||||
コンスタンティヌス帝は、324年のアドリアノープルの戦いでリキニウスを破り、ローマ帝国を統一。ミラノ勅令のキリスト教公認が | ||||||||
全ローマ帝国に及ぶことになったが、キリスト教の教義をめぐって対立があり、 ローマ帝国として、教義の統一を図る必要が出てきた。 | ||||||||
そこで325年にニケーア公会議をコンスタンティヌス帝が開催し、教義の統一を図った。 | ||||||||
392年、キリスト教がローマ帝国の国教となる | ||||||||
キリスト教はその後も、教義をめぐっての対立が続き、ユリアヌス帝のときに再び弾圧されることになったが、392年にテオドシウス帝によって | ||||||||
ローマ帝国の国教とされ、国家宗教となった。キリスト教の多くの宗派がユリウス暦を採用、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用 | ||||||||
された。古代教会は、殉教者の命日を記念していたが、時代と共に、殉教者や聖人が増えていき、中世初期(500年頃から1000年頃)には、1年365日が | ||||||||
聖人の記念日になっているという状態になった。 | ||||||||
グレゴリオ暦への改暦 | ||||||||
キリストの復活は、ユダヤ暦(太陰太陽暦)で記述されており、キリスト教で最も重要な祭日、復活祭を、ユリウス暦では決定できなかったため、 | ||||||||
325年の第一次ニケーア公会議で、「春分日であるユリウス暦3月21日の後の最初の満月の次の日曜日」を復活の主日とすると定めた。 | ||||||||
4世紀にユリウス暦3月21日頃にあった天文学的な春分日は、16世紀後半になると、ユリウス暦3月11日頃に移動していた。 | ||||||||
ユリウス暦は、約1280年で10日のずれが生じていた。ユリウス暦の制定後、約1500年の1582年にグレゴリオ暦への改暦が行われた。 | ||||||||
1582年2月24日、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を以って、グレゴリオ暦同年10月15日 | ||||||||
金曜日とし、ユリウス暦を修正したグレゴリオ暦を制定した。だが、プロテスタント地域などは、グレゴリオ暦を採用せず、普及には百年を要した。 | ||||||||
イギリスが1752年に採用、西ヨーロッパの全ての地域がグレゴリオ暦を使用するようになった。グレゴリオ暦が天文学的に、より正確なものだった | ||||||||
からである。1789年のフランス大革命で、グレゴリオ暦を廃止、革命暦を制定したが、ナポレオンによって、復活した。 | ||||||||
近代の始まりの時期、一国だけの暦法は、普及しなかった。聖日も復活したが、近代国家の成立につれて、教会権力は衰退して行き、聖日は教会暦 | ||||||||
として分離されていった。グレゴリオ暦には、紀元前のユリウス暦からの連続性があり、全世界的に普及している。宗教色はもはやない。 | ||||||||
これを改暦したり、新たな暦法を導入するのは、メリットよりもデメリットのほうが大きい。 | ||||||||
イースター と パスオーバー / フランス革命暦と10進化時間 / アブラハムの宗教の暦 相互変換 / | ||||||||
軸歳差運動 (北極星の移動)
Wikimedia Commons | ||||||||
歳差 - Wiki / Precession - Wiki / | ||||||||
どうしても西暦の紀元元年が気になるなら | ||||||||
ค.ศ.は、西暦(A.D.)。พ.ศ. (พุทธศักราช の略)は、仏暦(B.E.、Buddha Eraの略)。 | ||||||||
紀元前、紀元後の「紀元」が学問的には、イエスの推定生誕年からずれているとはいえ、イエス生誕紀元とされていることから19世紀以降、ユダヤ教などから | ||||||||
AD(anno Domini)の代わりにCommon Era(CE、共通紀元)へ、BC(Before Christ)の代わりにBefore Common Era(BCE、共通紀元前)にする提案がある。 | ||||||||
仏暦を新設するより、このほうが現実的ではないか。 | ||||||||
紀元前#天文学における紀元前-Wiki / 西暦紀元 -Wiki / 西暦#西暦元年とイエス生年のずれ-Wiki / 西暦#中立的な表現 -Wiki / | ||||||||
西暦紀元(BC / AD)は、525年、ローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが、ローマ教皇ヨハネス1世の委託を受けて復活祭暦表を改訂する際に、 | ||||||||
当時用いられていたローマ皇帝ディオクレティアヌスの即位を紀元とするディオクレティアヌス紀元に替えて、イエス・キリスト生誕年の翌年を元年とする | ||||||||
ことを提案、採用された。ディオクレティアヌス帝はキリスト教の迫害者であった。 | ||||||||
ディオニュシウス・エクシグウス -wiki / What is the Common Era? | EarthSky/ | ||||||||
紀元元年がキリストの生誕翌年というのも、近代以前に365日、聖日になっていたのも、 全て後付けで加工されたものであり、中国農暦に道教が、 | ||||||||
日本の旧暦に陰陽道が寄生していたように、西暦にも、キリスト教が寄生していたというだけのことである。 | ||||||||
暦自体は科学であり、宗教とは無関係である。 | ||||||||
日本への仏教伝来 | ||||||||
仏教は中国に紀元1世紀頃に伝えられた。大和朝廷と盟友関係にある百済では、384年に東晋から高僧を招来したが、百済国内に仏教が普及するように | ||||||||
なるのは6世紀初頭である。日本へは、6世紀半ば欽明天皇期に、百済から大和朝廷へ伝えられた。 / 仏教公伝 -wiki | ||||||||
蘇我氏が朝廷内の権力争いで物部氏、中臣氏に勝利し、仏教が受容されることになった。1868年の明治新政府による「神仏分離令」をきっかけに、 | ||||||||
寺院、仏像などの破壊などが行われた。しかし仏教が壊滅に至るようなことはなかった。 / 廃仏毀釈 -wiki | ||||||||
この「神仏分離令」によって、神仏習合が廃止され神社と寺院が分離された | ||||||||
宗教政策面から見た近代日本(1867年-1945年)年表 | ||||||||
ジャイナ教暦の紀元元年 | ||||||||
ジャイナ教の開祖マハーヴィーラは、釈迦と同時代、やや先行の宗教指導者で、 30才で出家、12年半の修行で解脱、30年間説法を続け、BCE527年10月7日、 | ||||||||
涅槃に達した。紀元前527年に言及した最古のテキストは西暦5世紀のものである、 ジャイナ教暦の紀元元年は、このBCE527になっている。 | ||||||||
現在ジャイナ教徒は2001年のインド国勢調査によれば450万人ほどで、全人口の0.5%にも満たないが、裕福な商人層が多く、存在感を維持している。 | ||||||||
ジャイナ教はヒンドゥーに埋もれることなく、イスラムに駆逐されることもなく、現在へ至っている。 | ||||||||
ジャイナ教の暦 (ViraNirvana Samvat) は、Kartikadi Vikramsamvat (Vikramiカレンダー)に470年を追加することによって得られる。 | ||||||||
ジャイナ教 - Wiki / 六師外道 - Wiki Jain calendar Vira Nirvana Samvat - Google 検索 / Indian calendar - Wiki | ||||||||
インド国定暦 | ||||||||
ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の暦は、 ヒンドゥー暦システムの太陰太陽暦に基づいている。カンボジア、ラオス、ミャンマー、スリランカ、タイの仏暦と | ||||||||
伝統的な太陰太陽暦も、古いバージョンのヒンドゥー暦に基づいている。ヒンドゥー暦は、長年月、広大な土地で使われるうち、非常に多くのバリエーションが | ||||||||
存在するようになり、主要な祭日や伝統行事の日にちが、暦によってバラバラの状態になった。 インド政府は独立後、これらのを日にちを統一するため、 | ||||||||
続ける結果となっている。太陽暦なので、季節にも合致し、西暦との互換性も良い。インド国定暦は、サカ紀元(西暦79年3月22日)だが、これを仏滅 (学術的には | ||||||||
紀元前400年前後と推定) 紀元にして仏暦として使用するというのも一興だと思える。今、新たに暦を作る必要があるのかという話は別にして。 | ||||||||
インド国定暦 西暦 変換 | ||||||||
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