フランス共産党、未来のない90周年

30年間で40万人→公式に現在10万人に激減

 

(81年公表71万人→現在公表10万人なら、61万人・86%が離党)

 

フランス日刊紙『ル・モンド』−2010年12月28日記事

 〔目次〕

   1、はじめに

   2、ル・モンド記事「フランス共産党、未来のない90周年」

   3、宮地コメント−フランス共産党の消長と衰弱死テンポ

      1、フランス共産党の経緯

      2、フランス共産党の消長と衰弱死テンポ

         党員数−『ル・モンド』記事の間違いか?

         (81年公表71万人→現在公表10万人なら、61万人・86%が離党)

 

 〔関連ファイル〕        健一MENUに戻る

     フランス共産党、議席減で「改革必要」党名変更を検討 - 大紀元時報 党員5万人

     『フランス共産党の党改革状況と党勢力』

     アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』

     福田玲三『民主集中制の放棄とフランス共産党』 『党史上初めて対案提出』2003年

     『イタリアで共産主義諸政党が国会議席全滅』

       共産党・共産主義諸政党のすべてがいなくなった!

       2008年総選挙141議席→0議席の衝撃的結果と原因

     『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約

 

 1、はじめに

 

 これは、労働運動研所「復刊第28号、2011年4月」に掲載された記事全文である。その冒頭は次のように紹介をしている。<資料>フランス共産党の消長−フランス日刊紙『ル・モンド』は昨年末、つぎの厳しい社説(1228日付け)をかかげた。フランス共産党の現状を理解する資料として紹介する。(編集部)

 このHPに転載することについては、労働運動研所柴山健太郎理事長の了解を得ている。各色太字は、私の判断で付けた。

 

 

 2、ル・モンド記事「フランス共産党、未来のない90周年」

 

 19201229日から30日にかけての夜、フランス共産党は誕生した。熱気をおびた討論ののち、ツール大会の決定的な投票はあまりにも明白なものだった。3208人の代議員が、モスクワで1年まえにレーニンがつくった共産主義インターナショナルへの加盟を容認し、わずか1022人の代議員が、レオン・ブルムとともに、社会主義の「古い家」を守ることを選択した。

 

 フランス共産党の90周年に敬意をはらうのは当然としても、これまで同党は、もっと輝かしい創立記念日をむかえている。それもそのはず。1930年代から1970年代まで半世紀近くフランス左翼に君臨してきたのち、また国内政治活動の主要な一極を形成したのち、フランス共産党は以後、免れがたく衰退してゆく。機関紙『ユマニテ』が先頃、121112日に開く控え目な祝賀会を予告したとき、「フランス共産党は労働運動の自称前衛を体現しているとは、久しい以前から主張していない」と飾りけなく述べている通りだ。

 

 対比は驚くほどだ。大戦直後にはフランス最大の党(194611総選挙で投票総数の286)であり、1970年代までは5人に1人の有権者に支持されたものの、以後は選挙のたびごとに長期の低落をつづけた2007の大統領選挙で底をつき、ときの書記長マリー=ジョルジュ・ビュッフェが得たのは70万票、得票率1.9%で、トロツキストの候補者オリヴィエ・ブザンスンにさえ大きく水をあけられた。

 

 この30年間に、党は、また党員の4分の3をうしない(公式には現10万人)、また国会議員の大部分もきえた(現下院議員172007選出)。

 

 フランス社会の大きな変化の重要性認識できず、フランス共産党は社会的基盤もせばめ、長くその力になっていた主要な中継をうしなった。もう「労働者階級の党」ではない。2007にビュッフェ候補を支持した労働者はわずかに4だ。昔日の労働組合への「伝導ベルト」労働総同盟は、この10年来距離をとっている。市町村段階における、共産主義の都市や「赤い郊外」は、もはや、ほとんど名残りでしかなくなった住民3万人以上共産党が指導する都市は28だけ(30年まえは72だった)。

 

 結局、1990年代当初ソ連邦が消失して以来、参照モデルをうしない、フランス共産党は明らかに戦略に欠けた2012の大統領選挙を控えた今のためらいは、その証拠だ。社会党の補助勢力になって、さいごの根城を救うにとどめるか、それとも最後の部隊をねらう左翼党のジャン=ルュック・メランション(注・元社会党左派で、200811月の社会党ランス大会で離党して左翼党を結成、共産党と連合して左翼戦線を形成、2012年の大統領選挙に立候補を表明)を受け入れて、社会党出の雄弁家の手に党の運命をあずけるか、だ。

 

 いずれの場合も、フランス共産党は党の新書記長ピエール・ローラン(注・元『ユマニテ』編集長)の呼びかけに応じて、「新たな解放の世紀に挑戦する」のは、むずかしいだろう。完全な袋小路とは言わないまでも、暗い二者択一だ。

 

 

 3、宮地コメント−フランス共産党の消長と衰弱死テンポ

 

 〔小目次〕

   1、フランス共産党の経緯

   2、フランス共産党の消長と衰弱死テンポ

       党員数−『ル・モンド』記事の間違いか?

       (81年公表71万人→現在公表10万人なら、61万人・86%が離党)

 

 1、フランス共産党の経緯

 

 1976年、第22回大会で「プロレタリア独裁」理論を放棄した。

 1985年、第25回大会頃より、党外マスコミでの批判的意見発表も規制しなくなる。

 1994年、第28回大会で、民主主義的中央集権制・分派禁止規定を放棄した。賛成1530人、反対512人、棄権414人という採決結果だった。この大会を機にマルシェ書記長は引退した。代わったユー全国書記は、民主主義的中央集権制・分派禁止規定は、統一と画一性を混同し、誠実な共産主義者でも意見が異なれば、これを打倒し、隔離すべき敵であるかのように扱った」自己批判した。

 

 ソ連崩壊の数年後「ソ連の失敗は、マルクス主義の失敗だった」とし、マルクス主義の立場を取らないと宣言した。

 

 1996年、第29回大会で、「ミュタシオン」(変化)を提唱し、党改革を図る。

 2000年3月、第30回大会で、一層の改革を進めるため、7つテキストを決定し、それへの党員の意見表明は3万人以上に上った。

 2003年4月、第32回大会で、党史上初めて対案が提出され、45%の支持を得た。党改革派が主流だが、反対は2派で、党改革への異議提出派である。

 

 2、フランス共産党の消長と衰弱死テンポ

 

 1、選挙

 

 2002年6月、総選挙第1回得票率は、4.91%だった。それは、1981年総選挙得票率16.13%の3分の1以下であり、1997年総選挙得票率9.88%の半分に激減した。フランス下院議席は、35議席から、21議席に減った。これらの結果は、「ルペン問題」の影響があったとはいえ、フランス共産党史上最大の敗北だった。07年6月、下院議席は21→18議席へとさらに減った

 

 2007年春、大統領選挙でビュフェ議長は、70万7268票、得票率1.93%で党史上最低だった。それは、1981年大統領選挙得票率16.13%の8分の1以下への激減だった。

 

 2、党員数

     党員数−『ル・モンド』記事の間違いか?

     (81年公表71万人→現在公表10万人なら、61万人・86%が離党)

 

 フランス共産党の公表党員数は、1979年76万864人、81年71万人、96年27万4000人、98年21万人、99年18万3878人、2001年13万8756人、03年13万3200人、04年12万5000人へと、一貫した党員減退を続けている。06年は13万4000人へと微増した。党費納入党員数=党員証交付数でほぼ毎年公表するので、1979年と比べ、06年までに党員62万6864人・81.6がフランス共産党から離党した。18.4%党員しか残っていない。

 

 ル・モンド記事のように、2010年12月現在、フランス共産党公表で党員数10万人に激減している。その記事によれば、30年間4分の3が離党したとなっている。それなら、数字が明確でないが、1981年には40万人がいたことになる。

 

 81年公表党員数は、71万人である。ル・モンド記事の30年間4分の3が離党というデータは間違っているのかもしれない。

 

 〔『ル・モンド』の間違い1?〕、30年間でなく→20年間の間違い

 

 30年前1981年公表党員数は、71万人である。2010年公表党員数は、10万人である。いずれも、公表数なので、正確である。30年間とすれば、1981年から2010年までに、71万人−10万人≒約61万人が大量離党したのが真相ではなかろうか。その数値なら、4分の3が離党というデータにならない。

 

 もし、4分の3が離党というデータが正しいのなら、40万人→現在10万人で、30万人が離党したという数値になる。40万人時点は、公表党員数がないが、20年前の1991年だったのではなかろうか。

 

 〔『ル・モンド』の間違い2?〕、4分の3が離党でなく→7分の6が離党・85.9%離党の間違い

 

 30年間離党数となると、離党61万人÷1881年71万人≒85.9%が離党になる。7分の6が離党というデータになる。フランス共産党は、離党届・党費納入拒否党員すべてを、自動的に離党処理=党籍抹消をしてきた。20年前の1991年党員数については、フランス共産党HPにアクセスし、直接問い合わせするしかないが。

 

    Wikipedia『フランス共産党』 HP『フランス共産党』

 

 日本共産党のように幽霊党員15万人を含めた在籍党員数公表ではない。フランス共産党のような公表スタイルにすれば、日本共産党党員数は、07年5中総志位の党費納入率約63%報告からの計算では、25万人になる15万人・37%は、党費納入拒否・行方不明と、党機関により離党申請の拒否・握り潰しをされた架空党員数である。志位・市田・不破らは、党大会ごとに、よくぞ、幽霊党員15万人込みの水増し決算報告をするものだと、その厚かましさに感心し、かつ、その臆病な真相隠蔽ぶりに哀れさを抱く。

 

    『離党・組織離脱を許さない犯罪的組織原則政党』

      離党拒絶対応→10年度在籍党員中党費納入拒否党員15万2200人

 

 3、機関紙「ユマニテ」

 

 第二次大戦直後40万部あった。しかし、60年代から80年代まで、15万部1997年では6万部2001年4万5千部減少している。05年5万1639部に増えたが、増収になっていない。週末版(日曜版)8万部がある。

 

 4、財政危機・破綻

 

 これも深刻になっている。ル・モンド記事などによると、2001年ユマニテの累積赤字は5000万フラン・約8億円になった。04年赤字が270万ユーロ・約4億2660万円で、05年赤字300万ユーロ・約4億7400万円だった。2001年5月18日のユマニテ再建計画は、民間企業3社の出資を受けることを決定した。()出版社アシェット社、()放送局TF1、()ケス=デパルニュ銀行の3社から、資本金の20%を出してもらって、発行を存続する。それらは、左翼系の会社ではない。さらに、ユマニテ記者・社員190人中50人をリストラで解雇する。

 

 これら、選挙、党員数、機関紙、財政危機・破綻のデータ全体は何を示しているのか。それは、レーニン型前衛党5原則3つを放棄しても、共産党名=うぬぼれた前衛党体質を維持し続ける限り、フランス共産党のじり貧的瓦解=衰弱死テンポを食い止めることが、もはや出来ないことを証明している。

 

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 〔関連ファイル〕

     『フランス共産党の党改革状況と党勢力』

     アルチュセール『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』

     福田玲三『民主集中制の放棄とフランス共産党』 『党史上初めて対案提出』2003年

     『イタリアで共産主義諸政党が国会議席全滅』

       共産党・共産主義諸政党のすべてがいなくなった!

       2008年総選挙141議席→0議席の衝撃的結果と原因

     『イタリア左翼民主党の規約を読む』添付・左翼民主党規約