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真夜中の脳みそ

詩集「半熟卵」(Update:2001. 9.16.)

コラム「午前3時の天気予報」(Update:2004. 8.21.)

AIBO日記(Update:2003.11. 3.)

アルバム(Update:2003.1.31.)

「紺野」とは?(Update:2004. 8.21.)

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更新ログ(Update:2004. 8.21.)

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半熟卵U



 それは1993年のこと。そろそろ大学時代の詩作をまとめてもいいんじゃないかと思い、作業に入る。1990年よりPC-VAN(現Biglobe)に入会しパソコン通信をはじめ、詩と童話を発表しあうSIG(フォーラム)「きまぐれ遊歩道」に入り、ほぼ月1回、なんらかの詩を発表する、というあまりアクティブではないが、定常的な活動をしていた(現在休止中)。また、大学時代詩を持ちよる「つくば詩人会」なるサークルの創設に加担するが、尻切れ蜻蛉で終わってしまった(多分サークルも自然消滅してしまったと思う)。モラトリアムのかたまりだった自分自身を封印する、そんな目的がこの「半熟卵U」にはあった。まだ「完熟」に至っていないため、やはり「半熟」をタイトルに掲げた。構成もほぼ前作「半熟卵」を踏襲している。

 第1章は「掌」。「てのひら」と読んでも「たなごころ」と読んでも差し支えない。掌をじっと見ると自分自身を省みたくなるように、そんな内容のものをまとめた。第2章「説」。何か不特定多数の自分自身を含む人たちに伝えたいこと、それを言葉にしてみた。第3章は「犬」。モラトリアムに生きているという自分を犬という対象に映してみた。第4章は「樹」。(他の章と比べて)樹が包み込むような口調の柔らかいものを集めた。

 今読み返してみると自分の「型」を作る、何かしらの「型」に自分をはめてみる、ということに挑戦したり、究極の型である「漢詩」(特にその究極とも言える「絶句」)への憧れも入っている。高校時代の青さ、瑞々しさも段々薄れ、自分自身の持つ相反する面、多様な面を言葉にしている。「型」といえばこの頃4-4-4-2という自分自身の14行スタイルをだんだん確立しつつある。起承転結が書きやすく、結果的にこの「型」に落ち着いたわけであるが、(1998年)現在もこの「型」を使用している。だんだんこの頃から、解釈を読み手に任せる、イメージを読み手に任せる、というスタイルを取り始める。技巧的なもの、隠してあるものを表に出さず、読み手に任せる、というある意味ずるさを持ち込んでいる。「言葉」という記号列が「イメージ」に比べて貧しい、という現実に直面してしまった結果からなのだが、「きまぐれ遊歩道」に詩作を発表している数々の方々からの影響が強い。

 この「半熟卵U」オリジナルは前作「半熟卵」に比べるとはるかに保存状態も良く、比較的復刻もたやすかった。やっぱり、コンビニのコピー機で複写し、「きまぐれ遊歩道」で欲しいと希望された方、高校の文芸部時代の知り合いに配った。前作「半熟卵」の巻尾言の(自分では)できがよすぎたために、この時はかなり苦労した。結局インパクトのある言葉が思い付かず、無難に落ち着いてしまったことが悔しい。

(1998.7.26.)