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●【子どものアトピーから始まった自分探しの旅】 |
私はナナ、33歳です。旦那、37歳。長女あいこ、14歳(中3)。次女はなこ、
6 歳(小1)。 長男太郎、3歳。5人家族です。 私の妹はケイ、31歳です。また、更にその下の妹もいましたが1歳で亡くなりました。 ・・・私の33年間の流れ・・・
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●【男の子を望んだ母】
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私の母は、3人姉妹の長女で男の子を望んだ両親に、育てられました。 そして、その母は長男の父と結婚し、どうしても男の子が欲しかったそうです。 私
のアルバムには現に「男の子でなくてがっかり」とあります。その母の思い、
「がっかり」に私は応えたかったのか、私はとっても中性的な女の子でした。 でも本来は女の子なので、更に母親の「女」を協調した生き方は嫌悪感があるから、
それは隠すようにして生きてきました。でも、男の子に好かれる、少しの色気は残し て育ちました。 |
●【妹への憎しみ】 |
年子の妹が憎くて、私は完全支配しました。母親からの愛情が更に来なくなる事に 恐怖する妹に対する嫉妬からだと思います。 私は、いつも母にベッタリくっ付いて、甘えている妹が気持ち悪かった。姉妹喧嘩
をしても、いつも長女の私が悪く、母の後ろに隠れ守ってもらえる妹が、憎かった。 すでに甘える事を忘れたようにして生きていた私にとって、甘える妹の様子はむし
ずが 走るように腹が立った。
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●【下の妹の死-私が・・】 |
私が5歳の頃、また妹が産まれて、1歳の頃、トイレに落ちて亡くなった。私は妹 が落ちてる事に気付かず、その上から、おしっこをしたという事に、発見されてから
気付き「あの時、私が気付いてれば、生きたかも。」と「妹の上におしっこをした 私」を責めた。そして、子どもが亡くなると親 は焼き場にはついていかないという
地元のしきたりがあり、親戚一同、子どもなら分からないだろうとの思いなのか、長 女だからなのか、私が妹を焼くスイッチを押しました。「私が焼いた」そんな感じを
残したままに大きくなりました。
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●【父親に潜む狂気】 |
私は小学生の頃から「自分の家庭が早く欲しい」と思っていました。だんだん 仲が悪くなっていった両親もその頃は離婚の話もでていなくて、外見は普通の家庭
でした。 父親の強烈なキャラでいつも私は緊張状態でした。私を溺愛するかのように、可愛 がりました。いつも私達を膝に抱き晩酌をしていました。それは6年生の頃くらいま
で続きました。私はもう大きいのでそれが嫌なのに断ることができませんでした。 怒った時は人間の恐さでないほどの怒りをもつ人でした。何をするか分らない、いつか人を殺すのではないかと思うほどの狂気な部分を持っていました。そして影で何をしているのか分らないような、本心も決して見せない、そんな人でした。
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●【父親を大好きな振りをする】 |
私は幼い頃からそれを雰囲気で感じ、父親の存在は恐怖でした。今思うと大好きな 振りをしていました。いつも父は「お父さんは子どもの気持ちが分かる。お母さんは子どもの気持ちは分らない。」と私達に話し、自分の味方につけるような事を言って
ました。私も、気がつくと、父を素晴らしい子育てをする親と思い込んでいました。 父は、よく晩酌しながら、泣いていました。私は子どもながらに、淋しさで泣いてい
る、そう感じていました。
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●【そうしなければ私の存在は許されない】 |
私は、思い出せれる頃、3歳の頃には、父に自分の感情を出すという事もなかっ た。怒られても反論などできず、反省した振りをして謝るので、「ナナちゃんは、素
直な所がいい」と言われてました。姉妹喧嘩の仲直りも自分の気持ちと裏腹に握手を させられました。そうしなければ、私の存在は許されませんでした。いつも「元気で
明るく素直で前向きな、ナナちゃん」を演じていました。
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●【生きるために、自分のない母の真似をする】 |
父親に母は、どんな時でも頭が上がらない、自分のない人でした。 父は家庭では絶対的な存在でした。そして母は商売と家の仕事に明け暮れて、私に とっては存在感が薄かった。あまり関わりが無かったともいえます。私はこの家庭で生きていくには母親の真似をするしかなかった。自分があってはいけなかった。
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●【父の願う「こうあるべきだ」の生き方を演じる】 |
父親の圧力に皆、自分を押し殺していた。そんな家庭でした。恐い父の顔色をいつ も伺っていました。私はそんな家庭に居る父の言う理想の女になる事で、自分の居場
所を作りました。「どんなに苦しい時も幸せを感じる人であってほしい」そんな父の
強い願望を聞き入れました。それを最高の生き方だと思っていました。そんな自分し か許されない家庭の中で育った私が、早く自分の家庭を持ちたいと願うのは、自然で
した。
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●【自分を見失う】 |
理想を沢山掲げる親に私は本当の自分をどんどん見失っていきました。「ああでな いといけない。こうあるべきだ。」という規制の中で、がんじがらめの人
生になっ てい きました。 思春期にはそんな父でも、後に離婚し、私を捨てた母親よりはましなので、若くて かっこいい父は、私の自慢でもあり、大好きになりました。その頃両親が別居しまし
た。でも、父の前ではマイナス感情を 表す事ができず、落ち込んだ私は見せる事が できず、 生き生きとして元気な時しか会う事ができなかった。元気のない落ち込ん
だ私は駄目人間なので、会う事ができなかった。
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●【母のセックス(裏切り)を目撃】 |
母は後に再婚する事になる義父と出来上がっていました。 私が中2の夏の蒸し暑い日、私は母の寝ている部屋に扇風機を取りに行きました。 そこで見た物は、全身の血がサアーっと引くのが分る程の場面でした。私にとって、
母の決定的な裏切り行為です。それは、母と後に再婚する事になる従業員の、セック スシーンでし た。私は産まれて初めて頭が真っ白になる感覚を経験しました。慌てたじろぐ2人。
私は無言でふすまを閉め自分の部屋へと戻りました。
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●【怒り】 |
全身が突き上げられるような怒りを感じました。「まだ離婚もしてない状態なの に、何故そんな事をするのか。頭がおかしい。私はそんな生き方は絶対しない。」そ
んな事を書き連ねた手紙を書きました。そして翌朝仏壇の前に置きました。その日 も、また次の日もその事に全く触れない母により一層怒りがこみ上げました。「何故
知らない振りをする。逃げるな。答えろ。」でもそれを口で問いただすほどの勇気が なかった。
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●【誰にも話せない】 |
そして、それを父に言う事はとんでもなかった。家に火をつけるほど、怒り狂う事 が想像され、それが恐くて誰にも打ち明けれなかった。妹に話すと自殺すると思っ
た。それを 1人で抱える事が一番つらかった。誰かに話したい、でもそれはかなり大 きくなるまで叶いませんでした。
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●【怒り爆発-逃げる母】 |
それを切っ掛けに私のツッパリに火がつき、燃え広がりました。とうとう、その出 来事から半年後に些細な事で私は母親に対する憎しみが爆発し、殴りかかりました。
母親は「そうされても仕方ない。」そんな感じで無抵抗でした。私は精神的に私から 逃げる母親を蔑みました。。 その後もそんな母親なので「力でも負けてない」自分に自信を持ち暴れました。弟
の泣き叫ぶ声は忘れられません。でも受け止めて貰えない淋しさは、つっぱる事でし か、表現できなかった。 既に別居が始まり、恐い父の存在が家にない事により、私の反発はエスカレートしました。
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●【離婚-母に捨てられる】 |
そして私が14歳の時、正式に離婚が決まりました。私は母にどうするかを聞かれ、 母と子ども3人で住みたいと言いました。ところが母は「それはできない」と子ども
より男を取ったのです。年子の妹は「お姉ちゃんについて行く」と言い、私達2人は 母に捨てられました。でも反抗期が始まったばかりの私は親を失い、その時期を心の
闇に葬る事になったのは言うまでもありません。これからという時に逃げられたのです。
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●【すがりついた祖父母に捨てらる】 |
父方の祖父母に引き取られましたが、一年ほどでその生活は、終りました。祖父が癌になり、祖母もその付き添いで大変だからと言うのです。私は「もっといい子にす
るから。家の手伝いも全てするから」とお願いしましたが、聞き入れて貰えず、納得 しないまま、その家を出ました。両親に捨てられ、すがりついた祖父母にまで捨てら
れたあの感覚は今でも残っています。
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●【父親とも別-姉妹だけの生活】 |
そして、一度は父親と暮らしましたが、その後は妹と2人暮らしになりました。父は若く結婚し、離婚した事で、子持ちだと自由に遊べないので、家に帰って来ることはほとんどなく、町にアパートを借りて住み始めました。
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●【妹への愛憎】 |
中卒で働いていた私は、嫌いな妹でしたが、捨てられた事で姉妹の絆は深まり、妹 のお母さん役となりました。その頃から妹を大切な存在と認識するようになりまし
た。仕事と家庭の仕事を全てやり、妹に小遣いをあげたり、遠足にはお弁当作ったり ・・ まさに、愛憎ニ極の両価性をを持つ自分です。私のゆがんだ母性はこの頃から
発揮されはじめました。
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●【淋しさを紛らわして恋愛と酒】 |
私は親に愛情を求める事を諦め、恋愛と酒、夜遊びに走りました。でも淋しさを紛ら わす為の、親に貰えない物を求める恋愛が続くはずはありません。
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●【懇願-走り去る母】 |
そんな淋しい毎日の中、母が訪れました。私は酒で淋しさを紛らわしていました。 その姿を母が見て「こんな事になっているとは・・」と私の生活を嘆きました。私は
怒り狂い、「だれのせいでこんなになった。私は家族さえ一緒に暮らせれば何もいら ない。男も、友達も、全て切ることができる。頼むから、元にもどしてくれ」などと
母を責め、懇願しました。それは悲痛な叫びでもありました。逃げ帰る母親を車ま で、下着のまま追いかけましたが、それを振り払うように「もう船は出た。もう遅い
んじゃ。」と言い残し、車に乗り込み、走り出しました。私は酔っているけど、自分の惨めな姿に、「又、捨てられた」そんな地獄のような心境で、なんとか家にたどり
着きました。 後に全部を見ていた妹が、「あの時の姉ちゃんは可愛そうだった。」といいました。 妹だけが分ってくれる、そう思い、それが嬉しかった。小さい頃は大嫌いだった妹だ
けが、悲 しみを分かち合える同志でした。
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●【恋愛-捨てられる前に捨てる】 |
捨てられた淋しさはどんどん広がり、母に対して憎み、恨み、あんな生き方だけはしたくないと生きてきた。 今の旦那と結婚するまで、彼氏のいない時がないように、愛情を男の子に求め続けました。私の恋愛も求める事ばかりで、それが与えられないと直感で分ると、自分の
傷つく前に、自分から別れを告げてました。負け勝負と分ると、自分からさっさと逃 げます。そうやって自分を守っていました。捨てられる自分は惨めで2度と味わいた
くありませんでした。
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●【私を捨てない-結婚】 |
そんな恋愛を繰り返す中で今の旦那と出会いました。私が思うだけ、それ以上強烈に 思ってくれる。この人は、私を捨てない。そう思うほど熱い男でした。
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