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●【はっきりいえない、引っ込み思案、人の目が気になる】
思ったことをはっきりいえないし、引っ込み思案だし、人の目が気になります。子供をみていると、自分をみているようで、辛かったのです。そいうことを、ある人に話をしているうちに、親との関係とかとかいろいろ話しをしていて、ブレスのことを知りました。親にはっきりとなんでも言えない自分があり、親との関係や、本当の自分の気持ちや両親のこと子供との関係をもっと知りたいと思いはじめ、ブレスをしたいと思うようになりました。
●【明るくやさしい母】
〔生育歴〕
昭和48年大阪に次女として生まれる。4歳違いの姉がいます。父は現在59歳。父は一人っ子です。父方の祖父は父が25歳の頃にガンで亡くなり、祖母は健在。私から見た父は人見知りするし、わりと物静かな方で、感情を表に出さない人ですがお酒を飲むと陽気に饒舌になる為、休みの日も昼間からお酒を飲むのでずっと陽気な父のイメ-ジがありました。
母は57歳母。5人兄弟の末っ子の三女です。母方の祖父は母が私を妊娠中にガンで亡くなりました。かなり辛かったそうです。祖母はその1、2年後に痴呆の為、亡くなりました。長男の叔父が面倒をみていたのですが、徘徊型痴呆のため、いなくなることがよくあり、部屋に閉じこめたため、痴呆が進み、寝たきりになり、やがてなくなったそうです。
母はきさくで明るくやさしく、イライラしたり、子供にやつあたりしたり、したことがない人でした。自分の意見をはっきりという所もあります。
●【赤ちゃんの頃から手のかからない私】

私は赤ちゃんの頃から手のかからない子だったようです。2歳の頃、姉が盲腸で入院した時に1週間母は病院に泊ったので、私は従兄弟の家に預けられたのですが、一回も泣くこともなく、でもすごく寂しそうにじっと待ってたそうです。 姉とは毎日のようにケンカをしましたが、姉のことは大好きで姉のマネばかりしてました。姉はおとうさんっ子っていうのもあったからか、お父さんはお姉ちゃん、お母さんはは自分の物って思ってました。

●【絶対に泣かない】
小学生の頃の私は人見知りはするけど、すごくしっかりした子で、家以外でいやな事があっても絶対に泣かないし、泣くようなそぶりもなく、強気で、つっぱってました。人と違っても平気でマイペ-スでした。外で遊ぶよりもどちらかといえば家で遊ぶのが好きで、絵を書いたり、本を読んだり、ビ-ズなどをよくしていました。家ではすぐ泣いてとても泣き虫でしたが、聞き分けのよいおりこうな子供でした。
●【駄目っていわれるかも-言い出せない】
してくれるだろうというようなことは素直に自分の気持ちを言えるのですが、もしかしたら駄目っていわれるかもというような事は心ではものすごく欲求してるのに、言えない。言い出せないということが多かった。小学校の5.6年生から反抗期になり、はっきり言うことは多くなりました。はっきりと言えたのは反抗期の間の8年間だけなのですが。
●【靴が隠される、悪口がかかれる】
中学生になりすぐに友達3人で仲良くなりました。入学一ヶ月ほどすると、上靴を隠されるということがありました。同じ事が何回か続き、学校に物を置いて帰るとすべて隠されるので学校に置いておくもの全部持って帰りました。最初は上級生がしているのだと思っていました。机に悪口を消しゴムでかかれたりもしました。
●【ショック-親切にする友人二人が実は】
途中でその友達二人がしていると分かってショックでしたが、向こうは私が知ったと気がついていないので、普通の態度でやたら親切にしてくることがショックでした。
●【食事も喉を通らない】
しかし問い詰めて聞く気持ちももう持ち合わせてはいませんでした。半年ほどそういうことがあり、ある日上靴が靴箱に戻されたのを境にピタリとなくなりました。でもその半年の間は食事も喉を通らないというのはこういうことか、というほど、食欲もないし、元気もなく、学校にも行きたくありませんでした。辛かった。
母親には靴を隠されたことはいいましたが、私が止めたのか、記憶がありませんが学校にはいいませんでした。あまり詳しくは話さなかったとは思うのですが、そんな私の辛い様子には気がつかなかったようにおもいます。すごく辛いということは、いえませんでした。
●【以来、人に嫌われることがすごく怖い】
その後は他の子と仲良くなりましたが、それ以来人に嫌われることがすごく怖くなり、人に合わせ、人と違ったことをしない嫌と言えなくなったようなきがしていました。
●【門限が5時や6時】
小学生の頃からずっとですが、父と一緒に平日晩ご飯を食べることがないため、晩ご飯を食べる時間が早く、5時や6時だったので、その頃には帰ってないとだめ。という感じだったので、中学生になるとそれがだんだん苦痛になってきました。
●【さみしい母-うっとうしい母】
今から考えると母はさみしかったんだろうと思う。高校生になると時間に口うるさい母がうっとうしくなり、ますます反抗して、必要なことしか話さないような感じになっていきました。反抗するので、だんだん門限ものびていったのですが、何も話さない私に対していろいろ聞いてくる母がますますうっとうしいというかんじでした。
●【黙っている父】
父から直接私に怒ったり注意することはほとんどなく、母に言わせているようでした。ただ黙っているだけでした。
高校を卒業して、就職する気も無かった私はフリ-タ-になりました。別にしたいことも無かった為、それなりにお金がはいればいいと思っていました。
●訳の分からない汗】
幼稚園の年長の頃からなんとなく自分で気がついていたのが手や足や脇の下の汗です。それは常に汗をかくというものではないのですが、ほんとうにリラックスしてる時でないと、手が乾いていなく、学校に行ってるときなどは、ほとんど常に汗をかいています。緊張のひどい時は手からぼたぼたと汗がたれるくらいです。それは同時に足の裏や脇の下もそうです。学校の体育の時間などで手をつないだりすることは私にとってなにより嫌なことでした。相手に驚かれ、手を握ることを嫌がられるからです。小学生の頃はそんなこと言うやつは嫌なやつ。と強気でしたが。
●【手の平の湿疹が真っ白】
その上、それだけ汗をかくと、季節の変わり目に手のひらや足の裏一面に湿疹ができやがてものすごい痒みにおそわれ、手の平の湿疹が真っ白になり皮がむけるのがとても不快です。それは年とともに軽減していったのですが、中学生にあがるまでぐらいはひどく、手のひら一面真っ白の皮いっぱいの時は手のひらを常に隠していました。 だんだん大きくなるにつれ、人と手と手が触れ合うことが多々ある事に、気がついてきました。おつりおもらう。電車のつり革を持つ。など、日常の些細なことが、気になり始め、とにかくハンカチがないと、汗がたれるので、常に拭いたり、服でふいたり。もうハンカチはぐっしょりです。
●【嫌悪感をもたれることが一番辛い】
不快というのもありますが、人に嫌悪感をもたれる。ということが一番辛い。きにしない人には、悪いな。と言う気持ちがありました。何をしていても汗のことが頭から離れることはありません。
●【さとられまいとすると疲れる】
大人になるにつれて、手の汗の事を話せなくなっていき、さとられまいとする行動が疲れるし、辛かった。私がブレスを受けたいと思った一番の理由はこの辛い気持ちをどうにかしたかったし、手の汗を直したかったからです。
●【ブレスに行く事はこわかった】
ブレスに行く事はやはり、こわかったし、その日がまだこなければいいな。と思っていました。ブレスに行く何日か前には、鼻かぜをひき、ひどい鼻の状態です。体も怖がっていたのでしょう。
●【涙がとまらない】
私は集団で、ブレスを受けたのですが、行ったときには、もう何人かの人が話をしており、涙と静けさににつつまれた状態でした。私もすぐその雰囲気にとけこめました。人の話を聞くということはとても為になるし、自分にも響くところがあるので、涙がとまりませんでした。
●【本当に本心から話した】
自分の番がきてもすんなり話し始めることができ、手の汗のことや、家族のことを話しました。今まで手の汗のことを人に話した事はあっても、本当に心からそのことが辛いなんて事を人に話したことなんてありませんでした。
●【親は深く考えなかった】
親はもちろん小さい時からのことなので、知ってるし、私がそれが嫌だということも知っていますが、親は私の手の汗はもちろん気にならないし、自分のことではないからか、そこまで私が気にしてるとは私も話してないからか、あまり深くは親は考えてなかったようです。
●【お酒を飲んで、帰るのが遅い父】
(*聞いたところによると)父は結婚して一週間もしないうちから、仕事がある日は毎晩のようにお酒を飲んで、帰るのが夜中の2時3時なんてことが当たり前でした。母は帰るのを待っていることが多く、でもきちんと朝は、5時や5時半におきていました。
●【やさしい完璧な母】
母は朝から、きちんとしたご飯を作り、おやつは手作りなんてことは多く、イライラして、おこられたこともないしので、とてもやさしい完璧な母だと思い込んでいました。
●【父とのコミュニケーションは朝だけ】
私たち姉妹は父と平日に晩ご飯を食べることもほとんどなく、寝てから帰ってくるというかんじで、朝起きたら父がいるので、平日に父とコミュニケ-ションをとるのは、朝だけでした。
●【自分がしたいことはつきとおす父】
母はいつ帰ってくるか分からない父の分の晩御飯を毎晩用意して。。。時折父と母が違う部屋でケンカというか話し合いというか母が父に説教のような感じのことをしていることはありましたが、子供にあまり聞こえないようにか、小さめの声で話をしていて、父は反論することもなく、ただ黙って聞いていただけでした。今もそうですが、父は何度いっても自分がしたいことはつきとおす感じで、反論はしませんが、言うことは全く聞きません。
●【自分を隠した母】
母はつらいことや、悲しいことをまったくみせず、いつもやさしい完璧な母だった。でもそれは本当の母ではなく、自分を隠した母だったのです。そんな母だったから、私も隠した子供になってしまったのです。だから、わがままもいわないおりこうな我慢する子供だったのです。
●【いよいよベビーブレス】
そしていよいよブレスに入る時になり、、呼吸法を教えてもらいました。なかなか上手にできたようです。ものすごく緊張しているものの、いったいどういうものがブレスなのか、どういうところいいってしまうのか、など、全く分からない状態なので、早くしてみたいと言う気持ちになっていました。 あお向けになりみなで間を空けてねそべりました。誰かが怒りをぶつけるダンボ-ルも用意されていましたが、私はつかうのか?使わないだろう。とおもっていました。
●【全身しびれ】
音楽が流れ、目をつぶり、先生」の声と音楽に耳を傾けました。しばらくすると、頭の先から足の先まで、全身しびれて身動きできない状態です。先生の声も聞こえるし、意識ももちろんあります。
●【なんだかすごく悲しく】
しばらくその状態が続きましたが、やがて、しびれがとれてきました。それとともに、なんだかすごく悲しくなり思いきり泣きたい気分になりました。思いきり、わんわんと大きい声を出して泣きました。まわりに他の人がいるのもわかるのですが、気になりません。
今までで一番思いきり泣けた。という感じでした。そして今度はわがままをいいたい、だだをこねたい気持ちになりおもいきりだだをこねて、あばれて、ないて、ぐずぐずいいました。
●【とても気持ちがよい】
とても腹がたって、ぐずぐずいいたいのですが、それがとても気持ちがよく、長い間そうしていました。
●【母に対してものすごい怒り-ぼこぼこにやっつける】
その後は今まで私の気持ちをわかってくれなかった母に対してものすごい怒りの感情がでてきました。私の気持ちをわからない、いつも私をおりこうな子にさせていた母に対して。そんな私を変だと思わない母に対して。
この時も、そんな(*すごい怒りの)気持ちがあるのもわかっているのですが、冷静なもう一人の自分もいて、自分は今こんなことしてるんだな-。っていう意識もあります。だから母に対して怒りの感情をおもいきりぶつけたくて、ダンボ-ルをひきよせ、ダンボ-ルがぼこぼこになるくらい、母をやっつけました。 【生きてきて最高の感情吐き出し】
29年間生きててあんなに怒りをだしたこともなければ、まして、叩くなんてこと、一度もありません。これでもか、これでもか、というほど殴り、けりました。私にとって、最高の感情の吐き出しです。すごく気持ちよかったです。
その後音楽に合わせて体を動かしました。それもとても気持ちがよかった。そのあとまた横になり、ゆっくり音楽と林先生の声をききながら目がさめていくというか、元の状態にもどるというようなかんじになりました。
●【爽快感と疲労】
爽快感と疲労がいりまじった感じでした。感想文を書く手もブルブルと震えたし、考えが文章にならないくらい興奮状態というか、疲労というか、そんな感じでした。
●【母はいつも我慢-私もそうなった】
それによってわかったことは、母はいつもやさしいし、大好きだけど母に対する怒りの感情を出せれてなかった。母はいつも我慢をしてて、辛かったのに、それを我慢して、出さなかったので、私もそうなった。 
●【自分でも気がつかなかった】
そんな母に腹が立った。私の辛さに全く気がつかない母に対して腹が立った。そういう気持ちをもっているということは、今まで気がつかなかったし、そんなことはないと思っていた。でも手の汗のことで辛い気持ちが限界にきてたし、そんな自分がすごく嫌だった。
●【自分の本音や母の本当をみること】
でも自分の本音や、母の本当をみることができてほんとうによかったとおもう。ブレスを終えて、ものすごい疲労感がありました。微熱がでたりもしました。でも爽快感がありました。自分の感情をだすことが出来たことがすごくきもちよかった。
●【ベビーブレス後-はっきりと意見が言える-何と心地よいことか】
ブレスをして、4ヶ月ほどたちます。手の汗はあいかわらずなのですが、今まで手の汗のことを人に隠しけて続けてきたのに、ブレスで初めて会った人や、みんなの前で話したことがすっきりしたし、人に隠さないでいることが前より辛くなくなったということと、親もそうですが、特に旦那にはっきりと怒りや感情を表せるようになった。はっきり言い返すようになったと思います。以前は何も言わないというか、言えなかったし、嫌われるのが怖かった。それでいいと思っていたけど、今ははっきりと意見が言えます。というよりももうそうしかできません。それの何と心地よいことか。そうできなかったいままでがもったいないくらい、前より今の自分がいいと思えます。
●【子供のそのままの性格を受け入れ】

子供のことも、自分が変われば、子供も変わっていくのだとおもえるようになったし、今までは子供の性格を受け入れてあげれなくて、変えさせようとしていましたが今はその気持ちはなくなり、今の子供のそのままの性格を受け入れてあげれるようになりました。
子供がグズグズいったときに泣きやまそうと今まではしていましたが、怒りが私に出せることはいいことだし、出したい気持ちになっているのだから、そうさせてあげようと思えるようになりました。毎回は自分ができないのですが、自分に余裕のあるときはおもいきりそうさせてあげたいです。
自分の感情を出すことで、いろんな波風が立つこともあるけれど、自分を改めて見つめることは、辛いことでもあるのだけれど、新たな自分に出会えて、自分を深く知れるので、私にとってとてもいい経験ができたと思います。

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