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●【知りたい自分と、知りたくない自分の葛藤】

~ベビーブレス体験記~

出会い

自分自身のなかに精神的欠乏感、不充足感がもともとあった。精神世界の本、哲学書、宗教書を繁茂に読む。参禅をしたり、もろもろの講話を聞きに行く。
そんな中、「林貞子先生」と出会う。

ワーク

当初は、ライフリーディリングをうける。自分の過去をできるだけ克明に振り返る作業。基本的作業であり、のちのちこれが活きてくる。

拒否の恐怖

自分のテーマのひとつに「拒否の恐怖」がある。私はパートさんを含め100人を超える人に協力をいただいている中小企業の社長。幹部社員の指導が上手くできず悩む。
結婚もしているが現在は別居中。年齢52歳、自身の子は無く単身生活をしている。ある種の「女性恐怖症」か。
80歳を超える両親がいる。現在は二人ともヘルパーの世話になっている。父親とは上手くいくが、母親とはしっくりといかない。弟が一人、彼とも本音がしゃべれない。妹二人も同様。

ベビーブレス

自分を知っていくワーク、ベビーブレスに出会う。拒否感と嫌悪感が当初生まれ上手くいかない。知りたい自分と、知りたくない自分の葛藤。頭が痛くなったり、吐き気さえもよおす。ワーク前日の体調、精神状態は最悪。 当初のワークは辛かった。激しい呼吸を続けていくうち、腹部からどす黒いヘドロのような塊を吐き出した。(意識の中だが) またある時は、吐き気と頭痛、悪寒が出てきた。続けることが困難かと思われ、後悔の念も出てきた。

●【鋭敏な感覚】
しかし、いつものことなのだがワークが終わると嘘のように気分が良くなってくる。不思議なことだが、感覚が鋭くなってくる感じだ。実際、後日ある決断を短時間でしなければいけない時があった。時間も無く、思わず出た言葉に任せた。
新規の事業を立ち上げるとき、通常迷いに迷うのが常である。ありとあらゆることを想定するのだが、神様にゆだねたい気持ちになる時もある。「小田原評定」ほど経営に於いて愚策はない。「決断」こそ経営者の技量が問われる。新規に三本目の柱を立てようと思ったとき、内なる自己に任せたのである。そしてその結果はよかったのである。
●【殺してやりたいほどの憎悪、殺してはいけない-その相手は母】

 何回かのワークを続けるうち、自分を解放してやりたくなった。大の大人が人前で泣いたり、叫んだりした。思いっきり怒ったりもした。憎しみの感情も出てきた。殺してやりたいほどの憎悪である。仮想で人を殺してみた。なかなか殺せなかった。殺してはいけないという自分がいたようだ。

一例として「殺してはいけない自分」
 殺してはいけない自分って誰。殺しきれない自分って誰。なぜ殺すことができないのだろう、仮想の世界だと知っていても。
殺される人が死なないのである。渾身の力をこめればこめるほど、その力は弱くなり死に至るまでいかないのである。

「その相手は母だった」
 その殺したい相手は母だった。13歳の頃、ひどく反抗をした。家庭内暴力に近いものがあった。怒りの元はわからず、母のやることなすことすべて頭にきた。「馬鹿やろう、てめえなんか死んじめー!」かなりの悪態をついていた。

●【両親は家の事情で結婚-未熟児の自分】

 父と母の結婚は昭和25年1月、双方とも家の事情だった。父の母が48歳で亡くなり、7人の子供を抱えた祖父は長男である私の父に嫁をとらせた。母は一歳上の戦争未亡人のような立場。祖父方のいとこ同士に当たる。
その歳の11月末、私が生まれる。1年2ヵ月後、7ヶ月の早産で弟が誕生。大人の手のひらに乗るくらいの未熟児で生まれ、生死が危ぶまれた出産であった。

母は祖母の次女として生まれ、7歳上に先妻の義兄がいる。弟もでき6人家族の環境で育つ。兄弟の中では最も活発で自己主張の強い子供だったそうである。後妻に来て周囲に気を使う母親とは対照的である。
不思議なことは母の姉、私の叔母も後妻に嫁ぐのである。母も形を変えた後妻のようなものである。実弟は遠縁に婿入りする。
祖母は小作農をかかえるわりと裕福な家に長女として生まれた。しかしそういった環境が禍したのか、結局は後妻という形で嫁いだ。両親の過保護によるのか、少しおっとりした感じの祖母だったようである。
祖母は母たちを育てるに、先妻の子に相当の気をつかったように思われる。自信のなさも手伝い、自身の子より先妻の子に気をつかうことにより、家をおさめた感じがする。
 元来祖母の持つ脆弱な感情表現力は、自身の子に対する愛情表現にはよけいに乏しかったように思われる。母は感情表現力に弱い祖母より、異性である父親により愛情を感じて育ったようだ。感じたというよりも、感じたかったというほうが的確かも知れない。

●【「やさしい母」はいなかった】
「記憶の中の母」
思い出す限りの中に私の「やさしい母」はいなかった。4,5歳の頃だった。何かのお祝いがあり親戚、家族が車座になり談笑していた。夜もふけてきたのだろうか、私は眠くなった目をこすり、すぐ右横にいた母に寄り添おうとした。瞬間、「重いなぁ、あっちいって寝な!」と一蹴された。今は私が楽しんでいるのだからお前はじゃま、という感じであしらわれた。無論、母に悪意はない。しかし、これと似た思い出はいくつかある。

●【記憶に残るのはよそのおばさんだけ】

やはり4,5歳の頃のこと、何人かで近隣の山遊びに行った。12月頃だったか、夕暮れは早く私は遊んでいるうちに道に迷い、迷子になった。途切れ途切れに聞こえてくる泣き声を、近くのおばさんが聞いた。私は薄暗くなった山道におばさんを見つけた。ちょうど母と同じぐらいの人だった。白い割烹着と妙に印象的だった。父と母の名前を云ったがすぐに理解されず、何軒か一緒に歩いた。ようやく家に連れて行ってもらったのは夜の7時か8時ごろだったと思う。 その思い出に、母が出てこないのである。親切でやさしかったおばさんは思い出される。しかし、泣きながら母の胸にとび込んだ記憶がないのである。今でも、その時、母を思い出すことができない。
●【大怪我の記憶に母はいない】
またある時、膝の内側を数センチ切ったことがある。今は見かけないが、当時庭の花壇の周りを、竹を利用した柵あった。一メートルぐらいに切った竹を、4,5本に割り弓状しアーチ型にしたものである。その切り角は鋭利で、角度によってはよく切れるのである。相撲ごっこをしていて、私は投げられた。その時、左膝をすっとなぞった。瞬間、ぱっくりと肉が開いた。白い脂肪も見えた。血はすぐには出なかった。痛いというよりどうしてよいかわからなかった。まわりのみんなはびっくりして「早く家に帰ったほうがいいぞ」と、起きたことに唖然とした。
不思議なことに、それから後の事を記憶していない。今なら数針縫っただろうが、包帯だけで治した。本当は母の胸に飛び込んで泣きたかった。「かあちゃん、痛いよう!」って。でもそのときの母を思い出せない。 自己主張、自己愛が強い母の特徴だと思う。いい悪いではない、母の生育過程にその温床はある。ただ、母はそのことに気がつかないだけである。 母も「母からのやさしさ」を受けた経験がないのかも知れないからだ。

●【私の中の「甘えたい子供」は「母の拒否」を知っていた】

「心のきず」
この心のきずは大きい。甘えたい子供にその拒否は辛く癒えないきずとなる。瞬間のきずは小さかったかも知れないが、やがてしこりとなって奥に潜んでいく。あるときが来ると、それはマグマのように、感情の出やすい場所を選び激しく噴火する。

「甘えたい子供」
しかし「甘えたい子供」は、実は「母の拒否」を知っていた。遠く昔にその体験をしていることを記憶していたのだ。だから、意識が芽生え始めた頃、彼は勇気をもって試したのである。辛い「母の拒否」を知りながら、一縷の望みをかけたのである。
数回のチャレンジにもう絶対にしない、こんな悲しいことはしない、こんな辛いことは奥の奥にしまってしまおう、こう考える。そして、それは「拒絶」という恐怖に変化していく。

●【理由もなく弟をいじめてしまう】

「感情の源」
恐怖、寂しさ、嫉妬、憎悪、こういった感情は私の場合、母とも関係に育まれたように思う。 未熟児で生まれた弟には、母を取られた嫉妬感が成人するまであった。理由もなく弟をいじめた記憶がある。
●【恋を打ち明けることができない-恐怖と憎悪】
思春期に恋を打ち明けることができない自分がいた。拒否の恐怖。そして、彼女への憎悪。
●【社長なのに・・・】
会社のトップである社長、権限もあり権力もあるのだが、思い切ったことが言えずお茶を濁してしまう。叱るべき時にかばってしまう。社員のすべきことを社長がやってしまう。社員が育つはずがない。やな顔をされたらどうしよう、拒否されたらどうしよう、そんな恐怖が生まれる。
●【強烈な寂しさ】
別居して一人暮らしをはじめころ、ぽっと時間の空間ができたときの寂しさは強烈だった。いても立ってもいられないほどの寂しさ。世界でたった一人になってしまったよう。家にいることはできず、人のいるスーパーやコンビニにいってしまう。 こういったもろもろの感情の源が母親からきていると実感していくと、それらの感情を自分の中に認めてあげることができるようになる。
●【ベビーブレス-いろいろな感情、胎児の至福】
「もう一人の自分」

私の場合、ベビーブレスするときは強い呼吸を意識して、後は成り行きに任せる。その時、そのときに応じていろいろな感情が湧き出てくる。「甘え」「怒り」「恐怖」「喜び」「悲しみ」、ある時はライオンになった自分がいたり、深海を泳ぐ大きなイカになったりする。母の胎内で自由きままにいる自分もいる。まったく自由奔放で、なんの制約なく全てが許されるとても至福の状態。実際、母の胎内でいるときはこういう状態なのだろうか。
●【自分の変化に驚く】

「ベビーが終わって」

ワークをした後、数日が立つ。微妙だが、感情の変化に気づく。怒りが弱くなっていたり、寂しさの度合いが違ってきたり、憎しみが和らいだり、妙に花がきれいに見えたり、変化に驚く。 感覚的だが、何かがすーっとしたり、さわやか気分になったり、心の泥を落としたような気分になる。帰りの車中、あるときは地動説が天動説に思え、自分が広い宇宙の中心になったような気分になり、落ち込んでいた心がじわじわと温まってくる感じもした。 知らぬ間に、歌を歌っている自分に気がつく。 また、食べ物の好みが変わってきた。味覚が変わったのかもしれない。カレー、とんかつとかが重くなりあまり食べなくなった。音楽もジャンルが広がり、サラブライトマンなど最近では女性ソプラノ系がここちよい。

●【母の事を深く知りたい-それは自分を深く知ること】

エピローグ

人間できれば素直に生きたい、本音でいきたい、あるがままを受け入れたい、そんなものを本来もっていると思う。しかし、受精、妊娠し胎児となった辺りから生きるための本能が働き、生きていくことを最優先する機能が働くように思われる。必ずしも受け入れられてない出産もあるだろう。母親としての自覚に疎い人もいるだろう。子供を認めたくない母親もいる筈だ。いろいろな状況で子供は生まれてくる。

母親の持つ感情、思い、それらを全部知って生まれてくるのだという人もいる。自分の経験から言えば、当たらずとも遠からず。
だからといって、母親のみが悪いのかというとそうとも云えない。その母も、祖母も、また母親だって、みんな産んでくれた母親から影響をうけて育ったのだから。

私はベビーブレスを続けることにより、もっともっと母の事を深く知りたいと思う。母の心の内側も見たいし、同化もして見たい。そして、それは結局、自分を深く知ることになるのだから。

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