2017年2月4日の状態
ノーマルに戻してたまにエンジンを掛ける程度です。
復活させたいがなかなか腰が上がらない。
2008年5月26日まだたまに乗り回していた頃。
エンジンをオーバーホールし、スガヤチャンバーを取り付けました。
アンダーカウルは分かりにくいですがマジカルレーシングのカーボンです。
スズキRG500γ(85年型、国内モデル)です。
GPにあこがれて、レースごっこに明け暮れたあげく
あの興奮を街中で合法的に味わえるおばいくはないか?
と考えたところ、ずっと心に残っていたRGγのことを思いだし
1992年、6月に限定解除と同時にまよわず購入に踏み切りました。
以来、いまだに手元にあるいちばんのお気に入り。ぼくがほんもののガンマを始めてサーキットで見たのは、
既にその活躍の絶頂を過ぎようかと言う頃でした。
83年の鈴鹿BIG2&4がそのレースでしたけど
あのレースは、ホンダが2ストロークのNS500を始めて国内レースに本格投入して
いきなりの1、3フィニッシュという、その後のGPの行方を暗示するようなレースでした。水谷勝 選手は、前年に市販 RGB500で無敵のチャンプを決めていて
故石川岩男選手の後を受けて、
初めてワークスガンマでフル参戦したシーズンだったと思いますが、
降りしきる雨の中、孤軍奮闘している印象がありました。その後も何度も水谷勝選手や 伊藤巧 選手の健闘する姿を見ましたが
唯一堂々のトップ争いを見たのは86年の鈴鹿200キロでした。
NSR500に乗る、木下恵司選手との激しいバトルが印象深かったです。
毎レース、闘志あふれる激しい突っ込みでしたが
折から全日本ロードレースが盛り上がってた時期だったということもあり
ひときわ華々しかった印象がありました。好レースを期待する観客とそれにこたえようとファイトするライダーの間に
良いフィードバックの関係が成り立ってて
サーキット全体の空気が華やかだったように思います。この時つむいだ夢が現在の世界GPでの日本人ライダーの活躍として
形をなしているのかなぁ、という印象はありますですね。ぼくもやはり、魅せられたひとりで
足掛け4年ほどサーキットを走っていましたが
じっさい自分でやってみると、資金繰りの算段や、パーツの調達、ケガのことなど
考えるべきことも多く、案外見ると聞くでは大違いという印象もありました。そこから学ぶべきこともおおいにあったはずですが
バブルの崩壊とともに、つわもの共のなんとやらで終ってしまった感じで
なにか取りこぼしをしているような割り切れない感じもあります。
おそらく自分の夢の補償行為のようなものなのかな?
いまじぶんがやってるのは、という自己分析もやってみますが
どうなんでしょうね?
お笑いメンテナンス日記
01年8月13日〜 ガンマの外装リペア〜車検まで 03年3月17日更 新RGガンマのBBS
02年2月20日〜 ガンマのエンジン補修 03年3月17日更 新
05年11月9日〜 S4 ガンマ20 周年ミーティングのための整備 05年11月11日更新
2008年8月25日、新URLに移行いたしました。RGガンマの BBS2です。
旧BBSのログはこちら
ホームページへRG400/500γっ てこんなバイクRG400γ開発ストーリー超私的インプレ
かの横内さんはじめ
400/500γの開発スタッフの方々のインタビュー記事の採録ですスクエア 4エンジンについて
空前絶後の2ストローク4気筒エンジンについてざっとおさらいRG400/500γのカラーリングバリエーション
06年7月7日、400γの型式名で未記入のところを再アップいたしました。
RG500γの TT−F1レーサー
プライベーターのRG500γのほうが、
開発費うん億円と称する750のワークスマシンより速かったりしたんだよねぇ。
うそみたいなほんとのはなし
独断と偏見に基づくインプレッション、有害かもしれないので
よい子は読まないでね
パワーチェックγってほんとのところ何馬力よ?というかたに。レーサーRG500ヒスト リー
でもうちのはwebで公開されてるなかではお馬さんがいちばんすくないです。
なんちゃって自家チューンだからね。
うちのプラス10ばりょくくらいが目安かな?なんちゃってγの直接の開発ベースとなったRG500系の各モデルを年代別に紹介しています