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SFと私
もしくは”高千穂SF発言と私”、
もしくは”高千穂SF発言を読む”、もしくは…

◆第五回:SFの定義について/ガンダムは何故SFではないのか(98/10/30)
◆第四回:都築由浩さんの「SF者は『SF』を区別できるか」を拝読して(98/10/19)
◆第三回:俺的SF者像は、如何にして形成されたか(98/10/15)
◆第二回:SF者を怖れた日(98/10/**)
◆第一回:SF者を怖れるとき(98/10/**)
◆第零回:SFとSFもどきの境目(98/9/**)

メモ&当コーナーを読む上での注意事項
■予期せぬところに反応が上がっていました。ありがたいことです。
・10月20日近況報告(98年10月中旬)
のだなのだ掲示板NEOの過去ログその三
■第五回やっと纏まりました。書いている最中に「小説家:青山智樹の仕事部屋(1998/10/04の週以降の青山氏と梅本氏の往復書簡)」や「Morisita'sSFguide」を読んでしまったので、SFの定義絡みの話については、ちょっと自分の中で整理がついていないのですが、取りあえずたかみさんの書き込みを最初に読んだ時点で受けた印象を纏めてみました。(10/30)
■「俺はSFとその周辺をただよっているけど、SFファンじゃないんだよー」という発言の理由を説明したかっただけなのに、なんでこんな大袈裟な事になってしまったんでしょう(笑)。
■私はガンダムはSFだと云っているわけではありません。
◆第五回:SFの定義について/ガンダムは何故SFではないのか(98/10/30)
    ※)これは当サイト掲示板における、たかみさんのご発言に対するRESです。

    何故、SFはそのように定義されたのか 投稿者:たかみ 投稿日:10月20日(火)16時54分03秒

      キャンベルって知ってますか?
      ガーンズバックがSFって言葉を発明して以来、これが面白いと広まってから
      いくつものSFが書かれたんだけど、それは結果としてガーンズバックが意図
      していたような「科学の啓蒙と未来予測」とは外れた方向、いわゆるパルプ
      雑誌/パルプフィクションの隆盛を招いてしまったわけです。すなわち、半
      裸のネーチャンが化け物宇宙人にさらわれて、それをスーパーヒーローが救
      け出すっていう、アメコミそのまんまのパターンですね。
      これをもっと文学的な方向に引き戻そうとしたのが、当時アスタウンディン
      グだったかアメージングだったかの編集長のジョン・キャンベルJrだったん
      です。
      たぶん、スペオペとコアSFの区別(というか差別)ってのができ始めたのは
      この頃なんじゃないでしょうか。
      これだけじゃ「何故、SFはそのように定義されたのか」の回答にはなって
      いませんかねぇ。


     なるほど。漠然とではありますが、SFの文学的地位の向上を目的とした運動の過程で、定義が固まっていったことはわかりました。ただ、少々わからないことがあります。なぜ、それまで同じジャンルとして扱われていたパルプフィクションやスペオペを非SFとして切り離さねばならなかったのかという点です。いいじゃない、みんなSFで。ウエルズやヴェルヌの流れを汲む作品群には違いないんだからさあ、なんて思うわけです。別の言い方をするなら、「今後、この定義に当てはまる作品のみをSFとする」じゃなくて、たとえば「今後、この定義に当てはまる作品を本格SFとする」でも良かったんじゃなかろうかという気がするのです。そうしなかった理由、パルプフィクションをSFから切り落とした理由は何でしょうか?その程度じゃ、三流視されていたSFの地位向上は難しかったということなのでしょうか?
     SFが他のジャンルより一段低く見られる原因を、パルプフィクション他に押しつけ、SFというジャンルから追い出したのではないか?それによってSFの地位向上が図れると考えたのではないか?ぶっちゃけた言い方をするならば、パルプフィクション他をSFから排除可能な定義を、敢えて考えたのではないか?たかみさんの文章を読んで、とりあえずそのような印象を持ちました。


      都築氏と高千穂氏の意見の相違については、SFマインドとSOWはイコール
      ではなくともニアリーイコールだと思ってますんで、あんまり違和感はない
      です。

     ニアリーイコール。うーん、そうなのですか…?

     高千穂氏は、SF的発想とSF的展開を生み出す源がSFマインドだと云ってます。都築氏のSF定義と組み合わせれば、SOWを感じさせる作品を生みだすためにはSFマインドが必要である、SFマインドを身につけるためにはSOWを感じさせる作品(=SF)を読む必要があるということになるのでしょうか。その様な意味で、SFマインドとSOWは不可分の関係にあるということなら理解できます。ニアリーイコールであるというお話は、今ひとつピンときませんでした。


      ガンダム第4話で何があったのか憶えていませんが、おおかたパイロットが
      酸素タンク担がずに宇宙へ出ていったりしたんでしょう。
      「宇宙からのメッセージ事件」とかもあったし^^;
      ビデオで見直して、何か見つけたらご報告します。


     いや、高千穂氏がガンダムをSFではないとする主たる理由は、非科学的な描写があったからではないと思います。いや、ガンダムにその様な描写がなかったわけではありませんよ。ホワイトベースは何故燃え尽きもせずに大気圏突入ができるんだとか、ホワイトベースは何故空中にプカプカ浮いていられるんだとか(ミノフスキークラフトは後付の設定だし)、その手の指摘は放映当時からあったようです。しかしそうだとしても、高千穂氏はそれらをもって、ガンダムをSFじゃないと云っているわけではないと思うのです。
     なぜなら、もしそこに理由があるならば、そのように書けばすむ話だからです。高千穂氏は、”ガンダムがSFじゃない理由”を説明する前に、SFをわかっていない人が、SFは何をやっても許されると勘違いして作った自称SF映画として「宇宙からのメッセージ」を取り上げています。「宇宙からのメッセージ」では、宇宙空間で星が瞬いて見える仕掛けを作ったり、宇宙遊泳という言葉を字面のままに受け取って平泳ぎをさせたりしたらしいですね。また、高千穂氏はSFがわかっている人なら、その作品を作る時点での科学的常識をふまえた作品作りを行なうということも、そこで云っています。もしガンダムが、その非科学的な描写故にSFではないというのであれば、同じ様な指摘を行えばすむはずでしょう。しかし、高千穂氏はそれを行っておりません。氏が”ガンダムがSFにならなかった要因”を分析している部分を引用してみましょう。
    SFを考える―巨大ロボットアニメを軸として― 高千穂 遥
    【月刊OUT 昭和56年2月号(みのり書房)/50〜51頁より】
     総監督の富野さんが「2001年宇宙の旅」を超えてみせるとまで豪語した「ガンダム」が「2001年――」を超える超えない以前にSFにすらならなかったのには、いろいろな要因があったと思います。
     その最たるものは、やはり、総監督にSFマインドが希薄だったということでしょう。富野さんは、アニメ界に数すくないSFの理解者のひとりです。しかし、SFというジャンルにどっぷりとひたった人ではありません。からだにSFを刻みこんでいる人ではないのです。だから、SFにしてやろうという意識が常に必要とされ、ふとアニメーティングや人物設定に気を奪われたとき、SFから逸脱します。SFであることを忘れてしまい、作法を見失ってしまうのです。
     かてて加えて、スタッフにSFマインドがありませんでした。もちろんこれは、ないのが当然で、ないならば、SFをめざした当人である総監督がそのように指揮すればいいのです。ところが、富野さんはそれをうまく処理できませんでした。ぼくの見たところ、ふと気を奪われてSFから逸脱した部分にスタッフの焦点が合ってしまい、やむなくそのままラストまで突っ走ってしまったという感じです。もしかしたら富野さん自身の焦点が合ってしまったのかもしれません。
    (中略)
     ぼくは「ガンダム」が20話ほど放映されたころ、富野さんに「ガンダム」がSFではなくなっていると告げ、その理由を説明しました。SFの人間が、あの設定を得たら、ストーリーは、あのようには展開しないと言ったのです。富野さんは、ぼくの意見に同意しました。何といってもSFの理解者です。多分、ぼくが言わなくても、わかっていたのでしょう。ただ理解することと、実践することは別のものだったのです。

     非科学的な描写については一切言及されていません。高千穂氏の指摘は、ストーリー展開がSFから逸脱していたという一点なのです。

     さて、高千穂氏はSFマインドを、次のように説明しています。
    SFを考える―巨大ロボットアニメを軸として― 高千穂 遥
    【月刊OUT 昭和56年2月号(みのり書房)/50頁より】
    SF的発想、SF的展開を自然に、意識することなく作品へ結晶させていく源
     そしてガンダムのスタッフにはSFマインドがなかったと言っています。これはつまり、ガンダムはその発想と展開の両方、あるいはどちらか一方がSF的ではなかったという意味に受け取れます。では、ガンダムはどこがSF的ではなかったのでしょうか?発想、展開共にSF的ではなかったと云うのでしょうか?
     ここで、先の引用を読み返してみて下さい。高千穂氏は発想についてはなんら言及していません。氏が問題にしているのは展開の部分だけです。発想が問題にされているのは「宇宙からのメッセージ」の方です。「宇宙からのメッセージ」は、ストーリーとして展開される以前の、発想の段階で、既にSFじゃなかったということなのでしょう。

     高千穂氏は「『宇宙からのメッセージ』は遙かにSFではなく、『ガンダム』は惜しいところでSFではない」と云っています。私はこれを「『宇宙からのメッセージ』は発想の段階でSFではなく、『ガンダム』は発想はSFだったが、展開の段階でSFではない」という意味で受け取っています。
     高千穂氏が「ガンダムはSFではない」と判断した、その主たる理由は非科学的な描写の存在ではないと、私が考える理由は以上の通りです。

     そして同時に、ここで疑問が生じるのです。
     SF的展開ってなに(^^;)?