『“日本アカデミー賞”を考える その2』1999.3.14.
決まりましたね、“日本アカデミー賞”。
私の予想を大きく外れ、『愛を乞うひと』の圧勝でした。
自分自身がこの作品をあまり好きでなかったため、ノーマークでした。不覚です。
ちなみに、過去5年間の最優秀作品賞は次の作品でした。
1993年『学校』監督・山田洋次/松竹
1994年『忠臣蔵外伝四谷怪談』監督・深作欣次/松竹
1995年『午後の遺言状』監督・新藤兼人/ヘラルド
1996年『Shall we ダンス?』監督・周防正行/東宝
1997年『もののけ姫』監督・宮崎駿/東宝
97年は、監督賞は『うなぎ』の今村昌平、それ以外は全て上記の監督が監督賞も受賞しています。
・・・こうやって並べて見て“配給会社の実力×監督の実績”というのが、
評価の対象になっているということに初めて気づきました。
となると、私が98年の作品賞に予想したヘラルド配給・北野武監督の
『HANA-BI』は、
最優秀作品賞の受賞など到底無理なのでしょうね。
何十年もの下働きや実績を積んできた正統派監督の中に入ってしまえば、
北野武などは、ただの“成り上がり者”なのでしょうから。
そうやって考えると、平山秀幸監督の『愛を乞うひと』の受賞は妥当なのかもしれません。
私はまだ“日本アカデミー賞”を甘く見すぎていたようです。
私のような未熟者では、日本アカデミー賞会員にはなれませんね(笑)。
それでも、『愛を乞うひと』の受賞はそれほど納得出来ないものではありません。
私自身はこの作品が好きではありませんが、海外だけでなく国内でも高い評価を得た作品だからです。
でも、どうしても納得いかないのは、助演女優賞でこの作品から野波麻帆がノミネートされたこと。
野波麻帆とは、成長した照恵の高校生の娘役をやった新人女優なのですが、
どう考えても豊子にせっかんされていた照恵の子供時代を演じていた子役の方が上手かった。
この作品から助演女優賞候補を出すなら、あの子役を出すべきでしょう。
でも野波麻帆は“東宝シンデレラ”の出身ですからね。
そういう業界のあざとさが見え見えなのが、“日本アカデミー賞”の特徴なんです。
さ、来年は当てに行きますよ(笑)。
『“日本アカデミー賞”を考える その1』1999.3.9.
今年もまた、この季節がやってきましたね。
その名も“日本アカデミー賞(笑)”!
“日本アカデミー賞”で検索しても、まともなページは引っかかって来ませんでした。
それくらい、世間にとってはどうでもいい賞ということになるのでしょう。
“日本アカデミー賞”は作品の良し悪しなど全く関係なく、
ノミネートには東宝・東映・松竹が特に力を入れた作品が名を連ね、
グランプリは日本映画の興行に最も貢献した作品に与えられます。
映画関係者が「1年間頑張ったね」と、
その功績を称え合っているだけという全く意味のない内輪のお祭りなのです。
ちなみに、日本アカデミー賞の組織委員会会長は、こうおっしゃっているそうです。
「活動屋5000人が集まり、1人1票によって公正に選ばれる賞。
偉い先生方が選ぶ新聞社の賞と違い、裏方の支持を得て権威ある賞になった」
・・・・・・・・・あっそう。
“偉い先生方”と称されコケにされた方々に、心よりお悔やみを申し上げます。
一昨年は大ヒットを飛ばした『Shall we ダンス?』が
主演女優賞を含む(これが私は一番解せない)13部門全てを獲得するという異例の快挙を成し遂げ、
昨年は『もののけ姫』の至上空前の大ヒットにより、
日本アカデミー賞の規定まで変えて、アニメ作品が作品賞の受賞をする運びとなりました。
どう考えても、東宝・東映・松竹のお偉方に媚びているだけで、
「この作品なら、文句はあるまい」というものに与えられているようにしか思えません。
さて、そんな日本アカデミー賞の今年のラインナップは・・・・
東宝がモントリオール映画祭で評価された
『愛を乞うひと』、全13部門のうち11部門でノミネート。
東映がカンヌ映画祭で評価の高い今村昌平作品
『カンゾー先生』、同じく12部門でノミネート。
興行的にコケまくりの松竹が絞り出したのは『学校V』、地味な作品だけに5部門のみ。
ベネチア映画祭で金獅子賞(グランプリ)を獲得した
『HANA−BI』が11部門。
そして、98年の邦画興行収入に最も貢献した
『踊る大捜査線』が、12部門でノミネート。
大勢の映画ファンに支持を受け、98年の邦画ベスト1とも噂されていた
『がんばっていきまっしょい』などの小品や、新参の監督たちの作品は、全く無視状態。
それでも日本アカデミー会員は、海外に出品して評価された作品にはめっぽう弱いようですね。
正直言って、私は『がんばっていきまっしょい』の良さが分からない人たちに、
『HANA−BI』のような難しい作品が、本当に理解出来ているかどうかが疑問なのです。
今年の作品賞はどうなるのでしょうか。
『学校V』はまず無理、『愛を乞うひと』と『カンゾー先生』はどっこいどっこいなので、
両者とも仲良くグランプリからは外す、というのが私の予想。
興行的には『踊る大捜査線』でしょうが、作品的にはちょっと疑問が残ります。
となると、やっぱり『HANA−BI』でしょうか。
東宝、東映、松竹のいずれにも属していませんが、受賞しても誰にも文句を言わせない作品です。
監督賞は『HANA−BI』の北野武、
全く無視は出来ない『踊る大捜査線』は脚本賞くらいにさりげなく入れておき、
主演男優賞は『カンゾー先生』の柄本明、
主演女優賞は間違いなく『愛を乞うひと』の原田美枝子・・・というところではないかな。
さぁ、そんな茶番劇が、いよいよ3月12日に行われます。
昨年はあまりのバカバカしさに見るのもやめてしまった私ですが、今年は何だか楽しみ♪
私の予想は当たるでしょうか?
『1歳です』1999.3.1.
2月の末で、当サイトは満1周年を迎えました。
おかげさまでカウントの方も順調に延び続け、あっという間に22000を超えてしまいました。
本当に嬉しい限りです。ありがとうございます。
先日行ったアンケートでも、実に嬉しい結果が出ました。
それは「このサイトでのお気に入りのコーナーは?」という問いに対し、
約半数の方が『まるこのつぶやき』を挙げて下さったことです。
自分が見て感じたことをそのまま文章にしたものを「面白い」と思って下さったり、
共感して下さったりする方がいらっしゃるということが分かっただけでも
このページを続けていた意味はあったと思います。
これからも『1度来た人が、また来たくなるようなページ』を心がけ、
頑張って続けて行きたいと思っています。
どうぞ、末永くよろしくお願いします。
『映画の料金と映画のレベル』1999.1.23.
映画って、高いですよね。
現在、大人の一般料金が1800円。
普通のアルバイトの時給が700〜800円と考えると、贅沢な娯楽のような気がします。
この料金で納得出来る作品を観ることが出来ればいいのですが、
映画には、当たりもあれば外れもあります。
人の感性もそれぞれに違うものなので、自分の目で最後まで観てみなければ、
その作品が当たりなのか外れなのかは分かりません。
そうやって考えると、作品選びは一種の“賭け”だと思うのです。
最初から絶対当たりだと分かっている作品に1800円払うのは、全然惜しくありません。
でも“賭け”でお金を払うのに、1800円は高すぎます。
せいぜい1000円が妥当な金額だと、私は思うのです。
1000円くらいなら、例えその作品が外れであっても、それほど惜しくはない気がするのです。
私は昨年、130本の映画を観ました。
これに1800円ずつ料金を払っていたとしたら、年間で23万4千円。すごい金額です。
もちろん、私はそんな大金を払って観た訳ではありません。
130本のうち、50本くらいは試写会で観ることが出来ましたし、
1000円の“映画の日”を利用することもあります。
また、出来るだけ安く、たくさんの映画を観たい私は、
大抵、金券ショップで1300円くらいのチケットを買って観に行きます。
しかし、試写会と言えど、何通ものハガキを出して当選しないと行けないので、
決してタダで観ている訳ではありません。
ある月は2000円のハガキ代で5本の試写に行くことが出来ましたし、
ある月は2000円のハガキ代で1本しか観られず、
1800円の料金を払って普通に映画を観るよりかえって高くついてしまったこともあります。
そんな要素を踏まえて、およそで計算すると、
私はだいたい1本1000円くらいで映画を観ていることになるのではないかと思われます。
1800円の映画代が高すぎると感じている私が“妥当”だと考えている金額です。
毎月1回、1000円で映画が観られる“映画の日”にはどこの劇場も超満員になることを考えると、
映画に1800円という料金は高すぎると考えている人がいかに多いかということが分かります。
いつも1000円で観ることが出来れば、映画人口はもっともっと増えると思うのに。
いっそのこと一般試写会なんて一切廃止して、映画の料金を1000円に統一すれば、
劇場も採算がとれるのではないかと考える私の考えはおかしいでしょうか。
私は自分で映画を評価する時、
“レベル3”を1000円、“レベル4”を1800円の価値の作品だとしています。
それでふと思い立ち、昨年観た130本の映画の評価を平均してみたら、こういう結果が出ました。
98年に観た映画の平均レベル3.22
料金に換算したら、1176円でした。
こちらも、私が“妥当”だと考えている金額にピタリと一致します。
映画のレベルなんて、だいたいこんなもんでしょう。
1本につき、およそ1000円の料金を払って130本の映画を観た私にとっては、
98年の私の映画鑑賞結果はまずまずで、納得出来る数字であるような気がします。
しかし、もしもこれらを全て通常の料金1800円を払って観ていたとしたら、
それは、冗談事ではない数字だとも言えます。
結果、やっぱり今の映画のレベルでは1800円という料金は高すぎる、というところに到達しましたが、
それでも、映画の料金は下がることはまず無いでしょう。
これに太刀打ち出来るのは、映画のレベルを上げてもらうこと以外にありません。
今年は映画の平均レベルが、限りなく“レベル4”に近づくことを期待しつつ、
せっせと劇場通いを続ける私なのです。
『まるこのお願い』 1999.1.9.
『イン&アウト』という作品が公開されました。
アメリカで大ヒットしていた頃から、ずっと観たいと思っていた作品でした。
日本での公開を待ちつづけて1年以上。
初めてチラシを見つけた時には、ようやくこの作品が観られることが嬉しくてたまらず、
劇場で観た予告編の出来も最高で、いやおうでも私の期待は膨らんでいきました。
なのに公開を間近に控えたある日、信じられない事態が発生。
私が愛読してる情報誌が、ご丁寧にこの作品の紹介を載せた文章で思いきりネタをバラしてくれたのです。
・・・・・・・・・・・・・・まるこっち絶句。
まるで、生まれてくるまで子供の性別を医者に聞かずに楽しみにしていた出産を控えた夫婦が、
たまたまいつもの担当医が不在だった時、代わりに検診を担当した医者の口からポロリとこぼれた
「あー、男の子だね」と言葉を聞いてしまった時のような脱力感。
「どうしてくれるの?」と怒っても始まらない。
「読まなかったことにしよう」と思っても、もう遅い。
ネタを知ってしまったという事実を受け入れて観るしかないのです。
この情報誌の過剰な情報のおかげで、私の1年来の楽しみは半減してしまいました。
昨年、日本で公開された映画は約500本。
その莫大な数の映画の中で、自分が満足出来る作品を選ぶためには多少の情報は必要です。
私自身昨年は130本の映画を観ましたが、それらはみな、何らかの形で作品の情報を得て選んだものです。
そして、私自身もその情報の発信源になれば幸いと思い、このサイトを運営しています。
昨年も多くの映画をこのサイトで紹介してきましたが、
ネタばれになるような文章に関しては、細心の注意を払ってきたつもりですし、
いくらアマチュアで無利益で作っているサイトとはいえ、それは当然のことと思っています。
なのに天下に名前を轟かす有名な情報誌がこんな行為を行ってしまうとは、全く言葉もありません。
そこまでのネタをバラすことが配給会社の意向であれば、仕方ないことかもしれませんが、
予告編を観ても、チラシを見ても、その部分には触れていないし、
作品を観た限り、その部分は宣伝の時点では触れてはいけないところなのだということが分かります。
その文章を載せた雑誌の編集者は、きっとこの映画を観ていないんでしょうね。
しかし、例えば配給会社のおバカな営業マンからもらった文章をそのまま載せたのだとしても、
それはただの怠慢に過ぎないでしょう。
読者からお金をもらって情報を提供している以上、
どんな些細なことであれ、出版側には責任を持った文章を掲載して頂きたいと思います。
私は情報を得るため、これからもその情報誌を買い続けるつもりでいますが、
お金を払ってまで過剰な情報を得たいとは思っていないのです。
どうか今後そのようなことが起こらぬよう、関係者の方にはくれぐれも気をつけて頂きたいものです。
『徹夜で並ぶ人』 1998.11.14.
好きなものや好きな人を見るために、徹夜で並ぶ人の気持ちってよく分かります。
私も以前、好きなアーティストのコンサートを観るために新幹線に乗って出向いたり、
チケットを取るために徹夜して並んだ経験があるからです。
映画でも舞台挨拶があるとなれば、徹夜するくらいの努力は必要でしょうね。
大人気の映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』の初日初回の舞台挨拶を観ることができたのも、
徹夜組だけだったようです。
ただ“映画のために徹夜で並ぶ”と聞いて、ひとつ思い出すエピソードがあるのです。
私が邦画の封切館でモギリのアルバイトをしていた、ある寒い冬の日のこと。
最終回が始まった頃から、翌日封切りのアニメ映画を待つ1番のりの人がやって来ました。
バイトは1年近くやっていましたが、そんなの初めての経験でした。
先着の人への多少の特典くらいはあったかもしれませんが、舞台挨拶などがあるわけではありません。
それなのに、何日間も上映する映画を“誰よりも早く観たい”という気持ちだけで
12時間以上並んで待とうというのですから・・・・。
驚いていると、それから続々と同じような人がやって来て、
最終回が終わる頃には、結構な人数の人たちが列を作っていました。
最終回のお客様を全部見送ったところで私のバイトは終了です。
高校生だった私は、学校の制服姿で彼らの横を通り抜け、表に出ました。
外はものすごく寒くて、雪がちらつき始めていました。
その劇場はビルの地階にあり、劇場が閉まるまでは建物の中で待っていた彼らも、
劇場が閉まると同時に、外に放り出されてしまったようです。
それでも彼らは“誰よりも早く映画を観るために”雪の中を一晩待ったのでしょうね。
恐るべきアニメマニアのパワーを初めて見せ付けられた、忘れがたい出来事でした。
その出来事には後日談があります。
それから何年か経ち、中学校のクラス会に参加した時のこと。
中学校時代はほとんど会話したことのなかった、おとなしめの男の子から声を掛けられました。
「ねぇ、**劇場でバイトしてたでしょ?」
劇場でモギリのアルバイトをしていれば、知っている誰かに会っても不思議はありません。
「うん」と私が答えると、彼は嬉しそうにこう言いました。
「学校の制服着て帰るとこを見掛けたからさぁ」
嫌な予感がして「・・・・・・・・・もしかして、あの時並んでた?」と聞くと、
彼はとても嬉しそうに「うんっ!」と答えました。
それは、恐るべきアニメマニアとの再会の瞬間だったのでした。
『もうひとりの私の存在』 1998.10.3.
『スライディング・ドア』という映画を観ました。
ギリギリで地下鉄に乗れた時と、乗れなかった時で運命が分かれてしまう女性の物語です。
このテーマには、昔から個人的に非常に興味がありました。
確かに『運命』という言葉もありますが、現在の私がここに居るのは偶然と選択の積み重ねです。
もし過去に別の選択をしていたら、現在と全く同じ私は存在していないのだと思うと、
その時別の道を選んだもうひとりの私は今ごろ一体何をしているんだろうと、ふと考えることがあるのです。
『スライディング・ドア』を観る前日も、不思議な体験をしました。
友人と遅くまで飲んでいた私は、乗れたはずの電車を一本見送って、最終電車に乗りました。
電車を一本見送った理由は単純、反対向きに帰る友人の電車の時間に合わせただけです。
最終電車に乗っているのは、ほとんどが酔った男性ばかり。
酔ったおじさんにもたれられるのも嫌なので、私はある男性の隣を『選んで』座りました。
少し酔っていた私は座ると同時に眠ってしまい、それからの記憶は全くありません。
ふと気が付くと私が降車する駅に着いていて、うっかり乗り過ごすところを慌てて降りました。
危うくその最終電車で20キロ先の終点まで行ってしまうところでした。
降りられたことにホッとしてホームを歩いていると、背後から男性の声が・・・。
「やっぱりこの駅で降りましたね」
頭がまだ半分眠った状態で見知らぬ男性に声を掛けられ、キョトンとしていると、
その男性は「僕、隣に座ってたんですけど、この人絶対乗り過ごしちゃうだろうなって思って
降りる時にわざとぶつかって起こしてあげたんですよ」と言うのです。
私は彼のことを知りませんでしたが、彼はいつもこの駅で乗降する私のことを知っていたらしく、
終点まで乗って行ってしまいそうな程よく眠っていた私を、さりげなく起こして下さったのです。
もしも私が終電ではなく一本前の電車に乗っていたら、もしも私が彼の横を『選んで』座らなかったら、
私は間違いなく終点まで行っていたでしょう。
そしたら、私は一体どうやって家まで戻って来たのでしょう。
その時は、無事に私を降ろして下さったその男性の親切にただ感謝するのみだったのですが、
翌日『スライディング・ドア』を観て、その時の出来事も簡単にやりすごしてしまえるほど
軽いものではなかったのかもしれないとふと思ってしまいました。
もしも終点まで行ってしまったとしたら、今と全く同じ私はここには存在してはいないのだし、
もしかしたら、現在の私に戻れない程の『運命』が用意されていたかもしれないと考えて、
とても不思議な気持ちになってしまったのです。
『まるこっち東京に現わる』 1998.9.15.
休日を利用して東京方面に遊びに行ってきました。3年ぶりくらいです。
せっかくなので、地元でまだ上映していない映画でも観ようと思い、
映画ファンの間で密かに話題になっている『CUBE』を観にシネ・ヴィヴァン六本木へ。
いくら平日の昼間とはいえ封切直後だったので、ある程度の混み具合は予想していました。
しかし、その混み具合は私の予想をはるかに越えていました。
開演30分前に会場に着いたら、既に切符売り場は長蛇の列。
約150席のその回の切符は売り切れだったため、
私は次の回の切符を買い、整理券番号50番をもらいました。
開演2時間半前で、既に整理券番号50番ということです。
結局、1本の映画を観るのに半日がかりになってしまい、
その後の予定を大きく変更せざるを得ませんでした。
東京では、仕事の帰りに映画でも・・・と思って立ち寄っても、
観られずじまいで帰らなきゃならないこともあるんでしょうね。
もちろん、土日にはもっともっと大勢の人が詰め掛けるのでしょう。
ロングラン上映も納得出来る気がしました。
地元では、いくら封切直後とはいえ、
映画の日でもなければ平日の昼間にこんなに混んだ映画館なんて考えられません。
この前仕事帰りに観た『アンラッキー・モンキー』なんて、
封切して1週間も経っていないのに、70席の会場に客は5人でした。
これじゃ、2週間ごとでプログラムが変わることも仕方ないですよね。
東京では1本の映画を観ることも大変なんだなぁ・・・と実感してしまった、
まるこっちの初めての東京の映画館体験記でした。
『憧れの職業』 1998.8.31.
昔から『小説家』という職業に憧れていました。
とは言っても、こっそり小説を書いているとか、小説を書きたいと思っているのではありません。
私にはそんな想像力も文才もありません。
ただ、『小説家』という存在に憧れていたのです。
マスコミに度々登場する一部の人を除き、ほとんどの小説家はその『名前』しか表に出しません。
本屋で山積みにされているベストセラー小説を書いた人であっても、
その素顔はほとんど世間に知られていない人が多いことでしょう。
私は作家・村上春樹氏の顔を知りません。でも、彼の小説は大好きです。
そういう人は私だけではないはずです。
仮に村上氏本人が街頭で『あなたは村上春樹を知っていますか?』とインタビューしたとしましょう。
多数の人が『知っている』と答えることでしょう。
そしてその中のいくらかの人は彼の作品を読んだことがあると答え、
またその中の何人かの人は、彼のファンだと答えるでしょう。
でも、インタビューしているその本人が村上春樹氏だと気付く人は、ごくまれだと思うのです。
とても大勢の人が自分のことを知っているのにも関わらず、
街ですれ違っても、誰も本人だとは気付かない。
そんな不思議な存在である『小説家』という職業に憧れていたんです。
私には特別な才能はありません。
でも嬉しいことに、とても大勢の方たちが私のHPに来て下さっています。
このHPを偶然見つけて下さった大勢の私の知らない方たちが、
私のことを知っていると思うと何だか不思議です。
最近、映画館で偶然私の隣に座った人が『まるこっち』のことを知っていたら、なんて考えると、
昔から憧れていた不思議な存在に自分が少しだけ近づいた気がして、ちょっと嬉しいのです。