昔から、世間一般に御柱祭りの年には結婚式を行ってはいけないといわれていますが、これは今日でも長野県下をはじめ、山梨県の北部地方にもいい伝えられています。「この御柱年に結婚をすると7年目ごとに離縁される!」とか、「寅は千里走って千里かえる。」から離婚につながるから結婚には良くないとか、「申(さる)は、”去る” に通じて離縁される。」とか、いろいろといい伝えられています。勿論この伝承の起りにも古い文献が遺されています。
・諏訪大明神絵詞によれば
「サレバ彼ノ年暦(御柱年)ニ当レバ −中略− 氏人国中ノ貴賎、人屋ノ営作ヲナサズ、料材ヲ他国に出サズ −中略− 加エ首服、婚嫁ノ礼共是ヲトドム、違犯ノ者ハ必ズ神罰ヲカウムル」とある。
・また「上社物忌令」にも
「一、御造営二元服、袴着、ヨメトリ、聟取り、屋造り、造作不可有」とあって、式年造営の御柱年には前記の婚礼や男子の元服式をあげてはいけないことに在っており、また個人の家屋の新築や改築をどすべての吉事も禁じられていたのです。
また「信陽一之宮下諏訪宮大系図」には、個人の家の造作の一切を禁じておりますが、産屋(お産をするとき臨時に作る部屋)門、木戸は作ってもよいと記されていて、中々厳重であった様子がうかがえます。
この意味はどういうことかと考えて見ますと、以前の御柱年は式年造営といって神社の建物全部を建てかえるので、各村々で大鳥居を受持つとか、神殿の造営を命ぜられるとかで、部落こぞって資金を出したり労力を奉仕するため、経済的にもをかなか大変であったので、この年には個人的な出費を最小限に留めることに、その本来の意味があったのではないかと思われます。神罰があたるなんてことは迷信であるといえばそれまででありますが、なかなかこの言い伝えも根強く個人の心の中にしみこんでいるのです。
また現在の御柱祭りについても春の4月5月は諏訪大社の御柱祭、9月10月11月は各部落の神社、同族の祝神や巻(マキ)の小宮の御柱と、それこそ秋の日曜日はほとんど御柱祭りにとられてしまうため、親族知己を集めて婚礼の式をあげるのもなかなか困難な状態であることもまた事実です。 |