日本共産党90周年の根本的な逆説
国際共産主義運動関係を基準とした5時期分類−6部作1
2012年1月、志位和夫新春インタビュー+旗びらき=その特徴4つ
90年間の概要−5つの時期とその性格規定
(宮地作成−1922年〜2012年の6部作1)
〔目次−6部作1、90年間の概要〕
2、『日本共産党の八十年』出版−『七十年・上下』『年表』を大幅縮小・削除
1、『日本共産党の八十年』出版−『七十年・上下』『年表』を大幅縮小・削除
2、2012年1月、志位和夫新春インタビュー+旗びらき=その特徴4つ (表1)
「反共作戦」「反共キャンペーン」27回連発、「革命政党」7回連発
3、国際共産主義運動関係を基準とした5つの時期分類とその性格規定 (表2)
〔6部作1〕、日本共産党90年間の概要=根本的な逆説
〔第1期〕、ソ連共産党支配下の反国民的隷従政党−1922年創立〜45年敗戦〜49年
〔第2期〕、ソ中両党支配下の反国民的隷従政党−1949年中国成立後〜67年決裂
〔第3期〕、隷従脱出の受動的な完全孤立政党−1967年決裂後〜70年代後半
〔第4期〕、ユーロコミュニズムに急接近→逆旋回→再孤立−1970年代後半〜97年宮本引退
〔第5期〕、孤立恐怖から党独裁・党治国家4つとの関係復活政党−1998年〜現在
〔関連ファイル〕 健一MENUに戻る
『逆説の戦前日本共産党史−コミンテルン日本支部史』ファイル多数
1927年テーゼ〜29年の党史、1930年代の党史、戦争責任論、加藤哲郎HP
『逆説の戦後日本共産党史−1945年〜現在』ファイル多数
1、朝鮮戦争と武装闘争路線 2、白鳥事件 3、メーデー事件 4、吹田・枚方事件
5、大須事件 6、山村工作隊 7、50年問題 8、49年問題 9、シベリア抑留
10、スターリン批判・ハンガリー事件 11、他テーマ・逆説の戦後日本共産党史
『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実』宮地ファイル32編+転載ファイル56編
(社会民主党、社会運動史)
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「20世紀社会主義・革命運動史を21世紀にどう描くかーー河西英通著『「社共合同」の時代』に寄せて」(法政大学『大原社会問題研究所雑誌』737号、2020年3月)
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20世紀日本の社会主義と第一次共産党」(『社会主義』2004年2月号)
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社会民主党宣言から日本国憲法へーー日本共産党22年テーゼ、コミンテルン32年テーゼ、米国OSS42年テーゼ(『葦牙』第31号、2005年7月)
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「社会政策学会での日本の社会労働運動論議──栗木安延さんを追悼して」(『アソシエ21 ニューズレター』第38号、2002年6月号)
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「現代史史料としての『労働運動研究』誌 」(労働運動研究所の『労働運動研究』誌総目次、推薦文、2015年6月)
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インタビュー1970年代「エピローグとなった『序説』への研究序説ーー『スターリン問題研究序説』と70年代後期の思潮」(中部大学年報『アリーナ』第16号、2013)
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「金脈批判以上 の衝撃——『日本共産党の研究』」(『文藝春秋11月臨時増刊号・立花隆のすべ て』、1996年、単行本『立花隆のすべて』文藝春秋社、1998年、同文春文庫 版、2001再録)
(戦前第一次共産党)
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1922年9月の日本共産党綱領(大原社会問題研究所雑誌,1998/12,1999/1)
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第一次共産党のモスクワ報告書(大原社会問題研究所雑誌、1999/8 ・10)
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「『党創立記念日』という神話」(加 藤哲郎・伊藤晃・井上學編著『社会運動の昭和史——語られざる深層』白順社
、2006、所収)
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「国家権力と情報戦——『党創立記念日』の神話学」(『情況』2006年6月号)
(第二次共産党)
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「非常時共産党」の真実──1931年のコミンテルン宛報告書(大原社会問題研究所雑誌、2000/5、PDF版)
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「32年テーゼ」と山本正美の周辺(『山本正美裁判資料論文集』解説、1998)
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反骨の在米ジャーナリスト岡繁樹の1936年来日と偽装転向(20世紀メディア研究所『インテリジェンス(INTELLIGENCE)』第4号、紀伊国屋書店、2004年5月
(戦後第三次共産党)
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講演記録「ゾルゲ事件と伊藤律ーー歴史としての占領期共産党」(日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第47号、2016年8月、東京・明治大学)
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「日本共産党とコミンフォルム批判」(『岩波講座 東アジア近現代 通史 第7巻 アジア諸戦争の時代」1945−60年』岩波書店、2011
年2月)
(第四次共産党)
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科学的真理の審問官ではなく、社会的弱者の護民官に(完全版、日本共産党への手紙、1990)
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『日本共産党の70年』と日本人のスターリン粛清(公開しなかった公開状、1994)
·
ひとつの時代の終わり——宮本共産党議長退任の意味(時事通信社論評,1997)
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宮本顕治氏の逝去にあたって(日経新聞・朝日新聞コメント、2007年7月19日)
·
From
a Class Party to a National Party (階級政党から国民政党へ): Japanese communist party survives through the
worldwide decline of communist parties (AMPO, Vol.29, No.2, March 2000, 日本語訳付き)
(第五次共産党)
·
「日本の社会主義運動の現在」(『葦牙』第28号、2002年7月)
·
日本共産党が新綱領採択——現実政治への影響力は疑問(2004/1)
·
「現代世界の社会主義と民主主義」(『社会体制と法』第3号、2002年6月)
(沖縄非合法共産党 米国共産党日本人部)
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「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(上)」(大原社会問題研究所雑誌、2001/4、PDF版)
·
「新たに発見された『沖縄奄美非合法共産党資料』について(下)」(大原社会問題研究所雑誌、2001/5、PDF版)
·
「非合法共産党資料に見る戦後沖縄の自立」(沖縄タイムス2001/6/5、報道記事「50年代沖縄に非合法共産党組織」沖縄タイムス2001/5/20)
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「消し去ることのできない歴史の記憶──占領期領期沖縄・奄美非合法抵抗運動のシンポジウムから」(『アソシエ21ニューズレター』第32号、2001年12月号、『琉球新報』11月23日付け文化欄への抗議・訂正
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ロングビーチ事件(『沖縄を知る事典』日外アソシエーツ、2000年5月)
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「米国共産党日本人部研究序説」(藤井一行教授追悼寄稿、中部大学『アリーナ』第20号、2017年11月)「
1、日本共産党90年間の概要を検証する根本的な逆説視点
フランス共産党・中国共産党は、2011年にコミンテルン型共産党創立90周年を迎えた。日本共産党90周年は2012年7月である。レーニン・トロツキーらは、1917年10月、単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターによってソ連国家を樹立した。それは、ソ連崩壊までの75年間、社会主義国家でなく、クーデター権力国家だった。レーニンは、最高権力者5年2カ月間において、ロシア革命・労兵農ソヴィエト勢力を赤色テロルで排除し、彼ら数十万人を殺害した。その過程で、党独裁・党治国家を完成させた。彼は、世界革命を目指し、1919年にコミンテルン=国際共産党を創設した。それは、政党史上初めての単一世界政党であり、世界各国の政党は、その支部となった。日本共産党も、コミンテルン日本支部だった。レーニンは、1920年コミンテルン第2回大会において、各国コミンテルン支部をプロレタリアート独裁理論と体制、Democratic Centralism+分派禁止規定の組織原則で隷従させた。
wikipedia『コミンテルン』1919〜35年
21世紀現在、レーニンのこれら理論・体制は本質的な誤りであり、かつ、犯罪的な組織原則だったと、ヨーロッパのすべての共産党により判定され、放棄宣言をされた。ただ、ポルトガル共産党だけが、レーニンの組織原則を堅持している。しかし、この党は、プロレタリアート独裁理論・実践は犯罪的な誤りだったとし、ヨーロッパで一番早く1974年に放棄宣言をした。
日本共産党=国際共産党日本支部は、この政党結成経緯と党運営実態から見て、日本のどの政党とも違うまったく異質な政治組織だった。異質さはどこに現れるか。(1)暴力革命を基本手段とし、日本を社会主義→共産主義にする革命組織だった。(2)しかも、日本支部なので、国際的利益・コミンテルン利益と日本の国民的利害とが対立したとき、国際的利害を優先させることが絶対的義務だった。具体的には、90年間中の第1、2期の45年間・50%期間において、何度も反国民的隷従犯罪を繰り返してきた。現在、不破哲三は、さすがに、レーニンの暴力革命理論だけを否定している。しかし、資本主義世界において、唯一、レーニンの他原則を隠蔽・堅持している。最後に残存するコミンテルン型の反国民的隷従政党を続けている。
wikipedia『日本共産党とコミンテルンテーゼ』
この異質な政治組織=日本共産党90年間の概要を検証する視点をどう設定すればいいのか。通常の日本史の記述方式は、戦前・戦後を分け、戦後については、10年代ごとに歴史的出来事・事件を書く。従来の日本共産党史も、『日本共産党の五十年』〜『日本共産党の七十年・上下』『年表』まで同じだった。大幅縮小・削除した『日本共産党の八十年』も同一の時期分類をした。
2004年の不破綱領は、日本において当面、資本主義枠内での改良方針をとるとした。しかし、その最後で、社会主義→共産主義を目指すとし、革命路線綱領も堅持・明言している。この革命路線政治組織にたいし、従来の日本史型90年間の記述でいいのか。その概要は、根本的な逆説視点で検証する必要があるのではないか。
もっとも、私自身、1960年安保闘争で共産党員になり、1962年・25歳から1977年・40歳で除名になるまで民青・共産党専従を15年間続けていた。その間、レーニン理論・体制を信仰し、国際共産主義運動を名古屋市担当地区・愛知県の党員たちにたいし賛美し、伝道する専従だった。私はマルクス・レーニン主義教の熱烈で盲目的な信者だった。ただ、私の党中央批判言動にたいする報復としての監禁査問21日間など2回→報復の専従解任→除名→日本共産党との裁判2年間は、日本共産党が党内犯罪システム政党だという認識を深めた。東欧・ソ連10カ国のいっせい崩壊は国際共産主義運動にたいする評価を一変させた。
日本共産党との裁判第1部『私の21日間の“監禁”「査問」体験』「5月問題」
ソ連崩壊後に発掘・公表された「レーニン秘密資料」6000点や膨大なアルヒーフ(公文書)資料は、レーニンこそがウソ詭弁の天才であり、かつ、ロシア革命・ソヴィエト勢力の労働者・農民・兵士数十万人にたいする大量殺人犯罪者だった真相を確信させた。レーニン・トロツキーらが1917年10月にしたことは、社会主義革命などでなく、単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターだった。彼らは、臨時政府権力とソヴィエト権力という二重権力が対立していた間隙の瞬間を突いて、反民主主義のクーデター政権を樹立した。レーニンが創ったのは、理想の社会主義国家どころか、党独裁・党治国家だった。その犯罪路線・体制に隷従した国際共産党日本支部とは何だったのか。それを信仰し、伝道した私の恥多き党内犯罪もはかり知れない。(1)この日本共産党90年間ファイル6部と、(2)レーニン批判ファイル多数は、私の自己批判結論として載せている。
『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実』宮地ファイル32編+転載56編
通常の日本史の記述方式や、従来の日本共産党史記述方式という視点を否定する。このファイル6部作は、90周年について、国際共産主義運動関係を基準とした5つの時期分類とその性格規定という逆説視点で検証する。まずは、『日本共産党の八十年』(2003年1月)がどのようなレベルかを検討する。
2、『日本共産党の八十年』出版−『七十年上下』『年表』大幅縮小・削除
〔小目次〕
1、『日本共産党の八十年』出版−『七十年・上下』『年表』を大幅縮小・削除
2、2012年1月、志位和夫新春インタビュー+旗びらき=その特徴4つ (表1)
1、『日本共産党の八十年』出版−『七十年上下』『年表』大幅縮小・削除
2003年1月、不破・志位・市田ら新体制は、『七十年・上下』におけるウソ詭弁の完全継承である『日本共産党の八十年』(日本共産党中央委員会出版局)を、『七十年』の大幅縮小版にして出した。『七十年・上下』2段組みは920頁、『七十年・党史年表』が397頁で、合わせて1317頁である。『八十年』は、詳細な年表全面削除で、1段組み326頁になり、1頁字数は、80%弱にした。全体では、326/1317×80%≒20%、5分の1に縮小した。年表を除いた党史記述部分は、326/920×80%≒28%に簡略化した。
Google検索『日本共産党の八十年』志位発表、不破講演
日本共産党にとって戦前とは、1922年から1945年日本敗戦までの23年間である。戦前における共産党の根本的な誤り内容とは、次である。それは、(1)ソ同盟絶対擁護=日本国家の対ソ戦争を内乱に転化せよスローガン、(2)抽象的な天皇制打倒綱領を共産党系労働組合・市民団体への押しつけ、(3)それによる労組幹部全員検挙と最強最大の労働組合連合を自ら破壊した共産党方針、(4)社会ファシズム論などの根本的に誤った路線・方針により、日本国民の第一の敵を、軍事ファシズムでなく、社会民主主義政党であると規定し、それとの闘争を最優先させたことである。
(5)それらの誤りにより各分野で盛り上がっていた反戦統一行動を自ら分裂、弱体化させ、戦争突入を許したという前衛党責任のことである。ただ、現在、共産党に問われているのは、それに関し、1930年代コミンテルン路線・スターリン命令下の完全隷従・上意下達関係を含む正確な国際的視野の総括・データ公表問題だけではない。
戦後におれる日本共産党の誤りは多数ある。その一つは、3つのコミンテルン型前衛党が行なった朝鮮侵略戦争と、それに参戦した統一回復日本共産党の戦争責任に関する、国際的視野からの総括、および、武装闘争具体的データ公表の義務問題である。その前衛党結果責任を棚上げし続けるのか。
なぜなら、『八十年』公認党史における上記の対応は、戦前・戦後における2つの戦争責任問題が、たんに宮本顕治個人にとってだけでなく、不破・志位・市田新体制にとっても恐怖の真実となっているからである。それは、東アジアに残存する4つのレーニン型前衛党の一つを崩壊させるに足る性質を持っているからである。
なぜ、不破ら新体制が、1997年第20回大会前の党内クーデターによる宮本引退強要・宮本秘書団私的分派解体後も、宮本顕治の出版著書の3冊以外のほとんどを絶版にしただけで、批判していないのかを考える。宮本顕治の誤り問題を追及すれば、別ファイルにのべた六全協人事の謎が暴かれることになるからである。六全協人事とは、ソ中両党命令に基づいて、ソ連スパイ野坂、武装闘争惨敗責任者の党中央軍事委員長志田、指導部復帰者宮本との3人が行なった、私的な手打ち式だった。
『朝鮮戦争に参戦した統一回復日本共産党(4)』ソ中両党隷従者宮本顕治、六全協人事の謎
一方、不破ら新体制にとっても、戦前・戦後に関する宮本・野坂のウソ詭弁を全否定しようものなら、自らと共産党そのものが崩壊してしまうことを怖れていた。
2、2012年1月、志位和夫新春インタビュー+旗びらき=その特徴4つ
志位和夫は、赤旗に、新春インタビューを載せた。彼は、そこで長い長い日本共産党90周年党史を語った。その内容は、不破哲三『日本共産党の八十年』内容をそのままコピーしたレベルだった。1月5日党旗びらきあいさつ内容も合わせて検証する。いくつかの特徴があるので、そのうちの4点だけを簡単に取り上げる。
志位和夫『創立90周年の年にふさわしい躍進を』2012年1月1日新春インタビュー
志位和夫『党創立90周年―歴史に学び、新しい歴史をつくろう』12年1月5日党旗びらき
〔小目次〕
〔特徴1〕、「党史の力」を何度も力説−レーニンの国際共産党日本支部創立90周年党史という規定を隠蔽
〔特徴2〕、北朝鮮・拉致犯罪・金正日死去問題への沈黙・隠蔽−韓国との交流のみ
〔特徴3〕、党勢力6分野の全面的衰退データに沈黙・隠蔽−83.1%支部が「90周年大運動」にそっぽ (表1)
〔特徴4〕、停滞・後退2回の真因は党内部崩壊→「反共作戦」が原因とすり替え転嫁、「革命政党」を連発−「反共作戦」「反共キャンペーン」27回連発、「革命政党」7回連発
〔特徴1〕、「党史の力」を何度も力説−レーニンの国際共産党日本支部創立90周年党史という規定を隠蔽
不破哲三『八十年』と同じく、ウソ詭弁で日本共産党史の偽造歪曲犯罪をしている。ウソ詭弁にたいする根本的な逆説は、ファイル6部作で検証する。ウソ詭弁個所は無数にあるので、個々への逆説は6部作で書く。問題は、「90周年党史の力」とは何かということである。正確には、「コミンテルン=国際共産党日本支部創立90周年党史の力」という規定になる。
レーニンは、1919年コミンテルンを創設した。1920年コミンテルン第2回大会において加入条件21カ条を決定した。コミンテルンの本質は、レーニン・ソ連共産党による支配→隷従の軍事的規律関係で呪縛する国際的な反民主主義犯罪機関だったというのが真相である。レーニンのウソ詭弁犯罪や数十万人大量殺人などの国内犯罪データはかなり明らかになっている。しかし、国際犯罪の実態はほとんど解明されていない。それを6部作で解明する。
『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実1〜6』ファイル宮地32編+転載56編
レーニンの国際的な反民主主義犯罪機関各国支部創立90周年を、1年違いで、(1)党独裁・党治国家の中国共産党と(2)3人独裁者が支配する日本共産党とがともに祝うという奇怪な共通現象をどう評価したらいいのか。共通点は、両党ともが共産主義友党関係を回復した反民主主義組織ということである。
志位和夫は、長いインタビューにおいて、レーニン・コミンテルンとの関係史を意図的に沈黙・完全隠蔽した。90周年中の八十年期間については、なんの新鮮味もなく、不破哲三『八十年』の抜粋・コピペだけである。その後の10年期間についても、韓国との交流事実以外、新たな党史解釈はない。これは、一種の志位和夫版『九十年』であろう。ただ、『九十年』の出版計画は発表されていないので、このインタビューを90周年祝賀の基本文書にすると思われる。または、パンフにして大量販売を図る可能性もある。
共産党315地区委員会の専従は、党財政破綻によるリストラによって、1997年1376人→2010年918人、13年間で、専従458人・33.2%が減った。この2中総志位報告データから推計すれば、党全体の専従は、4000人から推定2700人に減った。残存する彼らは、コピペ党首インタビューの赤旗元旦号に赤線を引きまくって、志位版『九十年』の抜粋・コピペに励む。志位・市田・不破ら3人独裁者は、全専従・中間機関役員を『九十年』のさらなる短縮版コピペ人間に仕立て上げる。
wikipedia『コピー&ペースト−俗称コピペ』
〔特徴2〕、北朝鮮・拉致犯罪・金正日死去問題への沈黙・隠蔽−韓国との交流のみ
志位和夫は、90周年祝賀の基本文書において、韓国との交流事実だけを書いた。韓国に触れるのなら、北朝鮮を書かないのは意図的である。北朝鮮・拉致犯罪・金正日死去問題など何もなかったというようなインタビューにした。これは、別ファイルに載せたのと同質で、反国民的犯罪文書の性質になった。
『北朝鮮支援・無批判の反国民的犯罪組織=日本共産党の本質』ファイル多数
〔特徴3〕、党勢力6分野の全面的衰退データに沈黙・隠蔽−83.1%支部が「レーニン記念90周年大運動」にそっぽ
2000年不破哲三の規約・綱領路線以降、12年間において党勢力6分野で前進した項目は一つもない。すべての数値が後退した。志位和夫はインタビューにおいて、国政選挙での後退・停滞だけを認めた。それだけではなかった。党員数・読者数・支部数・民青数・党財政・地方議員数の6分野はともに全面衰退を続けてきた。それらの衰退データに沈黙・隠蔽した。
『4中総志位報告の特徴−党勢力6分野増減データほとんどを沈黙・隠蔽』 (表1)
そもそも「90周年」とは何か。この党勢拡大強要12カ月間連続期間は、正確に規定すれば「レーニンの国際単一共産党創立90周年記念大運動」の国際的性質を持つ。もっとも、「レーニン記念90周年」を祝うのは、(1)党独裁・党治国家の中国共産党、(2)党員数10万人に激減したフランス共産党、(3)3人独裁者が支配する日本共産党という3党しか残存していない。
2011年7月からの「レーニン記念90周年大運動」の5カ月間成果はどうだったのか。
(1)、入党者数5300人とした。1カ月間で平均1060人である。4中総は入党決意?者としていたが、「決意?者」ではまずいとやめた。党員拡大成果支部16.9%とした。党員拡大運動不参加・拒否支部は83.1%・18282支部もある。2009年参院選前の19カ月間、毎月1000人入党・合計19000人入党という志位報告は真っ赤なウソだった。その真相を、10年度政治資金報告書が、月別党費納入党員数−4245人と暴露・証明した。入党者数5300人もウソ=入党決意?者で入党申込書も出していない架空数値かどうかは、2012年12月公表の2010年度政治資金報告書が証明する。
(2)、赤旗日刊紙は、5カ月間通算で前進とだけ報告した。前進部数に沈黙した。日曜版の増減については、完全沈黙した。具体的データはどうだったのか。
2011年7月の3中総は、(1)党員拡大を中心とする方針と(2)日刊紙500円・17%値上げ→3400円にする方針を決定した。その後、8月〜12月までの拡大結果はどうだったのか。翌月初めの「しんぶん赤旗」における「日本共産党の活動ページ」の公表データを見てみる。(表)で見ると、「日刊紙5カ月間通算で前進」は志位和夫のウソで、通算173部減っている。もっとも、7月の拡大部数は、なぜか非公表だった。
(表1) 3中総後の日刊紙拡大と党員拡大の増減データ
年月 |
10年1月党大会 |
11年7月3中総 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
日刊紙H |
(25万部) |
24万部 |
−131 |
−105 |
−45 |
沈黙 |
+108 |
H増減累計 |
|
(−1万部) |
−236 |
−281 |
|
−173 |
|
日曜版N |
(120.4万部) |
|
−717 |
沈黙 |
+408 |
沈黙 |
沈黙 |
党員P |
40.6万人 |
|
沈黙 |
+900超 |
沈黙 |
沈黙 |
累計+5300 |
党員40.6万人とは、志位和夫による支部・党員騙しの真っ赤なウソ
10年度政治資金報告書で、志位は署名付きで党費納入党員数25万3754人と報告
1年間で、党費収入−7515万円、機関紙収入−5億4441万円
月別党費納入党員数−4245人、党費納入率−1.0%など全指標衰退
志位・市田・不破ら3人独裁者は「レーニンのコミンテルン=国際共産党日本支部創立90周年」だから、「国際共産党中国支部創立90周年」をともに共産主義友党関係で連帯祝賀し、党勢拡大をせよと指令した。それは3人独裁者による「大誤算運動」だった。3人独裁者たちは、党費納入25万党員が90周年と言われれば、党勢拡大に総決起するはずと錯覚した。彼らは、党員の空気も読めないレベルの代々木KY官僚に腐敗した。
志位・市田は、通常の専従給与と別に、常幹手当毎月50万円・年600万円をお手盛りで、機関紙日曜版収入からピンハネしている。専従給与の内訳は、基本給与+年齢給+党専従歴給の合計である。不破哲三こと上田建二郎・82歳にいたっては、毎年6000万円の党資金横領犯罪をしつつ、津久井の989.72坪で居座っている。
地区専従13年間で458人・33.2%リストラ+毎年6000万円横領常幹
〔特徴4〕、停滞・後退2回の真因は党内部崩壊→「反共作戦」が原因とすり替え転嫁、「革命政党」を連発
志位和夫は、「第1,2の躍進」後、党勢力が2回停滞・後退した事実を認めた。毎回の支部・党員騙し手口だが、停滞・後退の真因が、党内部要因にあることに沈黙・隠蔽した。真因は、(1)不破規約・綱領12年間の根本的に誤った時代錯誤路線、(2)賽の河原の石積み拡大政党の破綻、(3)Democratic
Centralism・分派禁止規定で党内民主主義を抑圧する党内犯罪システム、(4)3人独裁者が支配する反民主主義政党体質などである。
これら真因4つをすべて隠すとすれば、2回停滞・全面後退事実の原因を何に転嫁すればいいか。外部要因、または、下部・中間機関の怠慢や意識レベルに責任転嫁をするしかない。
1、外部要因としての「反共作戦」「反共キャンペーン」とその27回連発
従来は、「反共攻撃」と規定してきた。今年から「反共作戦」名称に切り変えた。大「作戦」の方が、個々の「攻撃」よりも反共規模イメージが大きくなると考えたのか。あまり使用頻度が多いので回数を数えた。「反共作戦」という新日本語を、インタビュー14個所+旗びらき9個所=両方合計23回も連発した。他に、「反共キャンペーン」4回使用も合わせると、27回連発をした。
これら27回連発の目的は何か。それは、党勢力6分野全面衰退、停滞後退の基本原因としての党内部要因(1)〜(4)の4つから支部・党員の目を逸らし、外部要因だけが原因だと騙す策謀である。そのニセ原因を支部・党員に刷り込ませるには、27回も連発する必要があった。
2、下部要因として怠慢・意識レベルと、それへのショック療法「革命政党」規定再刷り込みとその7回連発
支部・党員の意識レベルが低い。「大運動」の成果も上がっていない。「入党を決意します」と発言したか、発言させた「入党決意?者」は、書記局の日報・週報・月報点検によって、5300人までになった。日刊紙は、値上げにより毎月2億円赤字→8000万円赤字にはなった。しかし、「大運動」5カ月間経っても、増えたどころか、累計173部の減紙である。このままでは、0.8億円×12カ月間=年間9.6億円の赤字が続く。日曜版も減紙が続いているので、減紙部数を公表もできない。
22000支部・25万3754人党費納入党員を、7月15日までの残り期間=6カ月間半で総決起させるにはどうしたらいいか。何かいい手はないか。どうも、支部・党員は、レーニン創設の国際的な反民主主義犯罪機関の日本支部創立90周年だけでは、総決起しそうもない。レーニンは、1917年10月、単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターを「革命」と偽った。ソ連国民や世界の左翼は、騙されて、ソ連共産党を「革命政党」と信じ、信仰した。25万党員を党勢拡大に決起させるのには、レーニンのウソ詭弁に倣って、「国際共産党日本支部→日本共産党は革命政党だ」というショック療法しか残されていない。
『レーニンによるソヴィエト権力簒奪7連続クーデター』レーニンによる十月クーデター
「革命政党」規定を7回連発で再刷り込みをすれば、25万党員も「そうだったのか」「日本革命をひき起こす目的で入党したんだった」と入党原点に立ち返って、党員・日刊紙・日曜版拡大に奮起するであろう。2012年中にあると予想される解散・総選挙に向け、「革命政党」の真価を有権者や他党に見せつけてやろうではないか。そうすれば、志位和夫こそ、日本共産党の21世紀版救世主として崇められるであろう。
志位和夫『創立90周年の年にふさわしい躍進を』2012年1月1日新春インタビュー
志位和夫『党創立90周年―歴史に学び、新しい歴史をつくろう』12年1月5日党旗びらき
志位和夫が、東北・近畿の落選予想に怯え、気が狂ったのでなければ、彼は「反共作戦」27回連発・「革命政党」規定7回連発の絶大効果にたいし、自信を持って34回の連呼をしたと思われる。今後、総選挙小選挙区立候補予定者300人+総選挙比例代表候補者+参院選候補者+東京都議選候補者+1676人落選したが生き残りの地方議員2793人は、宣伝カーや演説会で、志位和夫のコピペ人間に変身し、「反共作戦」「革命政党」を連呼するであろう。
3、国際共産主義運動関係を基準とした5つの時期分類とその性格規定
隠蔽・歪曲されてきた党史の真実は、国際共産主義運動関係における反国民的隷従政党期間45年間の実態を、まず暴露する。「日本共産党の90周年」をもう一つの角度から検証する。その視点とは、党創立から2012年までの90年間を、ソ連共産党とソ中両党に隷従していたほぼ半分の期間と、隷従からの脱出期間、党独裁・党治国家4つとの関係復活期間などの5段階に分類することである。
(表2) 隷従・隷従脱出関係で5時期分類した日本共産党の90年
政党の性格 |
期間 |
時期の内容 |
経過 |
1、対ソ隷従政党 28年間、31% |
(戦前) 1922〜45 24年間 27% |
党創立 〜敗戦 |
戦前、国際共産党日本支部として、路線・人事・財政面でも対ソ隷従 戦前の宮本、中央委員経歴8カ月間のみ 1933年、スパイ査問事件などで日本共産党壊滅→獄中にだけ非転向幹部 1935〜45の10年間、党中央機関壊滅 |
(戦後) 1946〜49 4年間 4% |
敗戦〜 中華人民共和国成立 |
戦後、路線・政策・人事とも対ソ隷従。非転向の出獄幹部が再建共産党指導部を独占 1945年、ソ連スパイ野坂を配備→1955年六全協後、第1書記→議長 占領下での平和革命路線=アメリカ占領軍を解放軍と規定 シベリア抑留における日本共産党の反国民的隷従犯罪 |
|
2、対ソ中隷従政党 |
1950〜66 17年間 19% |
北京機関結成 〜ソ中両党と決裂 |
1949年中華人民共和国成立以降、対ソ中隷従→政策・規約だけでなく、人事も完全隷従 1950年、50年綱領・コミンフォルム批判=スターリン執筆の占領下での平和革命路線全面批判=武装闘争転換・朝鮮戦争参戦の秘密指令 1951年、ソ連内通者袴田を配備、幹部会員→副委員長 1951年10月〜53年7月、スターリン・毛沢東命令に隷従した朝鮮戦争参戦→55年六全協 1960年〜、中ソ論争期間は、対中支持 1963年〜、ソ連共産党は部分核停条約支持の日本共産党分派を形成・干渉→対ソ決裂・対中支持 1964年、4・17半日ゼネスト中止指令の誤りのとき、宮本顕治は中国共産党による国賓級接待で、長期療養中。帰国後、自分は知らなかったとして、他幹部を降格処分 1966年〜67年、毛沢東は文化大革命時期における日本共産党攻撃→文化大革命支持の日本共産党分派を形成・干渉→対中決裂 |
3、隷従脱出の受動的完全孤立政党 |
67〜1970後半 約11年間 12% |
ソ中両党と決裂・受動的完全孤立 =自主独立とのウソ詭弁 |
ソ連共産党による部分核停条約支持強要・干渉→ソ連分派形成の策謀→決裂 毛沢東は文化大革命支持強要・干渉→中国分派形成の策謀→決裂 67年後、隷従脱出の受動的完全孤立政党=国際的共産主義友党なし 隷従からの受動的脱出→自主独立とのウソ詭弁 |
4、ユーロコミュニズムに急接近 →逆旋回→再孤立政党 |
1970後半 〜1997 約20年間 22% |
ユーロコミュニズム運動 〜急接近→逆旋回 |
1970年代後半〜80年代後半、ユーロコミュニズム運動勃発とその背景 宮本顕治、ユーロコミュニズム共産党に急接近=ユーロ・ジャポネコミュニズム 宮本顕治による逆旋回クーデターと4連続粛清事件 国際共産主義運動における再孤立 1989〜91年、東欧革命・ソ連崩壊→残存する党独裁・党治国家14カ国中の4カ国 91年前後、東欧・ソ連10カ国前衛党崩壊と同時に、資本主義ヨーロッパの共産党もほぼ全滅 |
5、孤立恐怖から党独裁・党治国家 4つとの関係復活政党 |
98〜2012 15年間 16% |
日中朝3党との 友党関係回復 キューバ共産党も |
97年、宮本議長引退強要=不破グループによる宮本秘書団私的分派解体 の宮廷革命→不破・志位・市田体制 98年、日中両党の和解・友党関係回復=人権犯罪を含め内政不干渉 2000年、朝鮮総連を党大会に招待=朝鮮労働党との友党関係回復 東アジア残存3党支配の党独裁・党治国家だけとの友党関係 党独裁・党治国家のキューバ共産党とも友党関係 中国共産党・ベトナム共産党とは何回も理論交流 |
期間の比率%は、2012年党創立90周年を基準とした分類
(表2)分類の視点は、次の考え方である。国際共産主義運動とは、世界革命を目的とした政治・軍事組織の運動だった。レーニンのコミンテルン設立論理と1920年の加入条件21カ条以降、国際共産党と各国支部とは、プロレタリア独裁理論と民主主義的中央集権制という上意下達・鉄の軍事規律で結ばれた。その実態は、コミンフォルム、その解散後も、ソ連共産党が各国共産党にたいする絶対的支配権を占有し、支配・隷従の世界政党間関係を国際連帯・共産主義友党関係の美名で覆い隠していた。中華人民共和国成立後、スターリンと毛沢東とが、世界の各国共産党を、ヨーロッパとアジアで分割・分担支配する秘密協定を結んだ。この協定事実は、不破哲三も認めている。
私も、そのウソ詭弁にまみれた美名を信仰していた。そして、民青・共産党専従を15年間続け、党員を欺く党内犯罪者としてレーニン神話の伝道行為にたいし疑いもしなかった。「レーニン全集」中の基本文献ほとんどや「レーニン10巻選集」を3廻り熟読していたが、レーニンの根本的な誤り、ウソ詭弁を何一つ発見できなかった。レーニンの国際的犯罪・ウソ詭弁犯罪から目覚めたのは、愚かにも、1991年ソ連崩壊後に発掘・公表された「レーニン秘密資料」6000点や膨大なアルヒーフ(公文書)が多数出版されてからだった。
レーニンの起草になるコミンテルン第2回大会(1920年)の「共産主義インターナショナルへの加入条件」は、次のように述べていた。
〔第12条〕「共産主義インターナショナルに所属する党は、民主主義的中央集権制の原則に基づいて建設されなければならない。現在のような激しい内乱の時期には、党が、最も中央集権的に組織され、党内に軍事的規律に近い鉄の規律がおこなわれ、党中央部が、広範な全権をもち、全党員の信頼をえた、権能ある、権威ある機関である場合にだけ、共産党は、自分の責務を果たすことができるであろう」
〔第16条〕「共産主義インターナショナルの各大会のすべての決定とその執行委員会の諸決定は、共産主義インターナショナルに所属するすべての党を拘束する。きわめて激しい内乱の情勢のなかで活動している共産主義インターナショナルは、第二インターナショナルにくらべて、はるかに中央集権的に構成されなければならない」
国際共産党の日本支部創設90周年にあたり、国際共産主義運動とは何だったのかを最初から検証し直す必要がある。レーニンは、コミンテルン結成による国際共産主義運動を、創設経緯からソ連共産党支配の絶対的中央集権制機構にした。さまざまな美名は、レーニン創作のウソ詭弁である。彼は、マルクスの誤った一面的なプロレタリアート独裁理論を拡張・絶対化した。そして、それをコミンテルン加盟各国支部の試金石とした。国際的な階級闘争利益とは、実質的にソ連共産党の利益のことだった。各国支部内の民族的利益・要求は、無視された。それどころか、レーニンは、それらを反革命要求・運動として抑圧し、弾圧した。
ソ連国内の自治共和国でも同じだった。国家制度上は自治・自立でも、国家の上に君臨するソ連共産党は全土で単一だった。レーニンの単一共産党=党独裁・党治国家は、民族的運動やリーダーを逮捕し、殺害した。スターリン・毛沢東も同一のプロレタリアート独裁絶対優位理論に基づき、民族的運動・要求を抹殺した。レーニン創設の根本的に誤った理論・体制に基づく国際共産主義運動は、結果として、全世界で、民族問題にたいし無能だった。
彼は、国内においても、ウソ詭弁を繰り返し、情報統制完備の鉄のカーテン国家を創った。他党派のすべての新聞社を赤色テロルで閉鎖した。情報が国内・国外に漏れ出ない党独裁・党治国家システムにおいて、レーニンの誤った路線を批判していたロシア革命・ソヴィエト勢力である労働者・農民・兵士ら数十万人を殺害した。レーニンによる最大の国際的犯罪は、ソ連共産党支配=各国支部隷従システムというコミンテルンを創ったことである。国際共産主義運動の実態と本質とは、(1)支配→隷従という反民主主義運動だった。かつ、(2)各国・各民族の利益・要求と対立したとき、それを抑圧・抹殺する反民族的で根本的に誤った運動だった。
ところが、中ソ論争で、分割・分担支配の協定が自然崩壊した。スターリン死後処理過程で、各国前衛党の自立運動が始まった。隷従からの脱出→自立志向は、必然的に、支配・隷従政党間関係を本質とする国際共産主義運動を崩壊させた。同時に、それは、隷従型前衛党にたいする各国国民の強烈な抵抗運動を爆発させ、東欧革命とソ連崩壊になり、10カ国とその前衛党がいっせい崩壊した。
共産主義の妖怪生誕の地ヨーロッパにおいても、ポルトガル共産党以外の妖怪はほとんど同時に消滅した。生誕地域からはるか離れて、東アジアに残存する4つのレーニン型前衛党が生き延びる道の一つは、時代錯誤的なミニ・コミンテルンを再構築するしかない。しかし、その連帯構想と4党各自の必死の手直し・資本主義市場経済路線によって、あるいは、北朝鮮型先軍政治・核開発脅迫路線によって、4党は、あと何年、存続できるであろうか。
日本共産党は、日本政府を対米従属路線といつも批判している。このファイルの諸事実は、日本共産党が、党創立以来、45年間・50%期間にわたり、対ソ隷従路線政党、および、対ソ中隷従路線政党であったことを示している。いずれにしても、綱領路線・政策・人事・財政など、これほど全分野にわたり、90年間中の50%・45年間、ソ中両党との支配・隷従関係を、自らの意志で結んでいた政党は、日本政党史上日本共産党以外にない。
6部作は、コミンテルン日本支部→日本共産党の90年間を対象としたものである。根本的な逆説としての5つの時期は、多種類のテーマを含んでいる。各テーマについては、今まで個々に多数の宮地ファイルや転載ファイルを載せてきた。それらの内容をこの6部作にそのまま書けば、長大になりすぎる。そこで、リンクを多用した。例えば、第2期における統一回復日本共産党の朝鮮戦争参戦・武装闘争問題は、ファイル4部とともに、それぞれの〔目次〕もすべてリンクをするだけにした。リンク→ジャンプ→戻るマークをクリックで、次に進むことができる。
〔6部作1〕、日本共産党90年間の概要=根本的な逆説
〔第1期〕、ソ連共産党支配下の反国民的隷従政党−1922年創立〜45年敗戦〜49年
〔第2期〕、ソ中両党支配下の反国民的隷従政党−1949年中国成立後〜67年決裂
〔第3期〕、隷従脱出の受動的な完全孤立政党−1967年決裂後〜70年代後半
〔第4期〕、ユーロコミュニズムに急接近→逆旋回→再孤立−1970年代後半〜97年宮本引退
〔第5期〕、孤立恐怖から党独裁・党治国家4つとの関係復活政党−1998年〜現在
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〔関連ファイル〕
『逆説の戦前日本共産党史−コミンテルン日本支部史』ファイル多数
1927年テーゼ〜29年の党史、1930年代の党史、戦争責任論、加藤哲郎HP
『逆説の戦後日本共産党史−1945年〜現在』ファイル多数
1、朝鮮戦争と武装闘争路線 2、白鳥事件 3、メーデー事件 4、吹田・枚方事件
5、大須事件 6、山村工作隊 7、50年問題 8、49年問題 9、シベリア抑留
10、スターリン批判・ハンガリー事件 11、他テーマ・逆説の戦後日本共産党史
『20世紀社会主義を問う−レーニン神話と真実』宮地ファイル32編+転載ファイル56編